【SQ5】21 はじまりの場所
水晶竜との戦い、そしてメレディスたちとの接触から早くも数日。傷も癒え、評議会への一連の出来事の報告も終えた『カレイドスコープ』は、いよいよ第四層の最奥へと足を踏み入れようとしていた。最奥――つまり、メレディスたちが消えていったあの扉の先である。
「扉……やっぱり、先は第五層に続いてるんだろうか」
大広間を目指して第四層を進む道すがら、ケイナがぽつりと呟く。あの謎の少女の口ぶりからしても第四層はあそこで行き止まりのようであるし、扉の向こうが更に上層へと続いているという可能性は高いが、そもそもこの世界樹の迷宮はいったいどこまで続いているのか。この第四層でさえかなり高い地点にあるようなのに、これより上となると一体どんな場所なのか予想もつかない。
肩にかけた鞄の位置を直しながらエスメラルダが僅かに弾んだ声で言う。
「ちょっとワクワクするね」
「ワクワクしてる場合でもないと思うが」
マリウスが呆れた表情を浮かべる。当然ながら、メレディスたち一行の行方は依然として知れない。これだけ大規模な捜索を行っても見つからないという事はそもそも街に戻っていないのではないか、というのが捜索にあたっていた衛兵たちの見立てだ。だが、三層の一件からは既に数か月が経過している。これだけの間を迷宮に籠もって自給自足のみで過ごすのというは不可能に近い。少なくとも街に協力者がおり、物資の補給などを手伝っていると考えるのが自然だが……そちらの方向での捜索も、現時点では良い成果を得られていない。
「気を付けないといけないのは分かってますけど。でもやっぱり、新しい階層ってワクワクしますよ」
「リズもわくわく」
「……まあ、私も気持ちは分からなくもないな……」
マリウスの呟きを聞き、エスメラルダとリズは顔を見合わせて笑う。三人のやり取りを横目に見ていたケイナは微笑ましげな表情を浮かべて歩き続けていたが、ふと斜め後ろを振り返って目を瞬かせた。エールが、ほげ~、としている。落ち込むでも意気込むでもなく、ほげ~、と。
「……エール?」
「ふぁい!? あっ、わっ、大丈夫ですよ!」
「まだ何も聞いてないけど……」
「あっあっうう……すみません……」
慌てていたかと思えば肩を落としてがっくりと落ち込み始めるエールに、ケイナも困ったように視線を彷徨わせる。しばし唇をもごもごさせ、彼は意を決したように頷くと彼女の隣に並んで声をかける。
「やっぱり、落ち込んでる……よな。その、形見の……」
「……それは、そうなんですけど、その……」
じっと床を見つめて口ごもり、弱々しい声でエールは話しだす。
「なんだか、急に色んなものが無くなっちゃって。わたしずっと兄の代わりに世界樹を踏破するんだって思っていたのに、いざこんな事になってしまうと……」
「しまうと?」
「……こんな事になってしまっても、ちゃんと体は動くんだって。少し、自分に失望してます……」
ケイナは少し考え込んだ。神妙な表情でエールの言葉を吟味し、つまり、と前置いて慎重に問い返す。
「目標が無くなったら、全部ダメになるって思ってた?」
「そう……ですね。そうかもしれません」
「そうか……でも、だからって、そんな自分を責めなくてもいいんじゃないか……? だってエールは、そのためだけに生きてるわけじゃないんだし……」
ケイナは呟くように告げた。今のエールは、三層でメレディスに地図を奪われた時のハルとよく似ている。だが、形見の品を奪われたからといって、故郷を離れてアイオリスまでやって来た理由が無くなってしまったからといって――家族の命を辱められたからといって。それが人生の全てではない筈だ。もっとも、それは自分が彼女たちのような痛みを味わっていないからかもしれないが……だが、失意に足を止めてしまいたくなる感覚は知っている。それが自分以外の誰にも望まれていない事だということも。
と、漠然とそんな事を考えたところでケイナははっと我に返る。慌てて両手を振り、言い訳じみた口調で続ける。
「あ、いや、ごめん! 勝手な事言いすぎた……」
途端に挙動が不審になるケイナを見て、エールは何も応えはしなかったが、しかし僅かに頬を緩ませた。ケイナはがっくりと肩を落とす。なんだか居たたまれない気持ちだが、笑ってくれたのなら何よりである。
扉の向こうにあったのは、小さな空間だった。
四方を金属の壁に囲まれた小部屋のようなその空間は、完全な行き止まりになっているようだった。扉側の壁にすべすべとした黒い板のようなものが埋め込まれているが、いくら触っても何かの仕掛けが発動するような気配は無く、かといってこれ以外に変わったものはどこにも見当たらない。ただ冷たい銀色の壁があるだけだ。
「……行き止まり?」
「いや……行き止まりって事は無いと思うんだが……」
水晶竜を倒した後にこの扉の先へ消えていったメレディスたちは、エスメラルダとリズが他の面々の治療をしている間も戻ってこなかった。先に進む道が無いならすぐに引き返して別の道を探すであろうし、ここが行き止まりとは考えづらいのだが……。
各々が壁を端から端まで触ってみたり、黒い板を叩いてみたりと好き勝手している中、扉の外でひとり不思議そうに部屋を覗き込んでいたリズがむむ……と顔をしかめる。どうやらこの小部屋がお気に召さないようだ。不満げな表情のまま扉の外にいた彼女だったが、自分のご機嫌取りのためにと取り出したおやつの飴をうっかり取り落とした拍子に小部屋の中に踏み込んでしまった。瞬間、どこからか鳥の囀りのような高い音が聞こえてくる。
ピピッ、と鳴ったその音に五人の肩が跳ねた瞬間、開きっぱなしになっていた扉が音もなく閉じた。弾かれたように振り返り、いやあ! と悲鳴を上げるリズをケイナが慌てて傍に引き寄せた瞬間に、足下が微かに揺れる。何かの罠かと身構えたが小部屋は唸るような音と共に微かに揺れるばかりで何かが起こる気配は無い。エールが小さく声を上げ、壁に埋め込まれた黒い板を指さす。先程まで黒一色だった筈のそこには、いつの間にか「∧」という記号が表示されていた。
やがて鍵盤を叩くような音が響き、振動が止まった。閉まった時と同じく静かに扉が開く。その先に広がっていたのは見た事もない景色だった。
鮮やかな緑色の木々が周囲を覆っている。しかしそこに茂る葉も花も見た事もない色や形をしたものばかりだ。少し離れた場所には水場も見える。澄んだ水を湛えたそれは池というにはどこか不自然で、どこか庭園に造った溜め池のような印象があった。
そして頭上には――夜のように黒い空が広がっている。エスメラルダが困惑したように頬をひきつらせた。
「迷宮に入ったの、朝だったよね……?」
「屋根ある」
と、リズが呟く。確かによく見てみれば、この空間全体がガラスのような透明な天井で覆われているようだ。いくら世界樹の迷宮が人智を超えた不可思議な空間だとはいえ、あの天井が自然物だとはとても思えない。だが、そんな事があり得るだろうか? この空間が、何者かの手によって造られた空間だなどという事が。
戸惑う一行の耳に草を踏む軽い音が届く。振り向いてみれば、第四層で何度か顔を合わせた少女がそこに立っていた。
「よくここまで来てくれた」
五人の顔を順に見回し、少女は静かな、それでいて切実な声で告げる。
「君たちが世界樹へ挑み、ここまで来たことに感謝している。……願わくば……世界樹の頂きまで到達し、私の願いを叶えて欲しい」
少女は自らをアルコンと名乗った。
曰く、彼女は「この地を見守る者」であり、古の時代からこの世界樹の頂点へ辿り着く者が現れるのを待っていたのだという。四大種族に伝わる伝説も、人々を世界樹へ導くためにあったのだと。
「導きに応じた者たちが世界樹の頂きに到達した時、私の役目は終わるのだ」
鬱蒼とした森の中をゆっくりと進みながらアルコンは語る。その背中を追う『カレイドスコープ』の顔には戸惑いの表情が浮かんでいたが、それを振り返り見た彼女は小さく笑うと穏やかな声で言った。
「すぐに理解しろと言っても、難しいだろう。だが私は君たちを待っていた。冒険者なる者たちが現れるよりも……この世界に文明が栄えるよりも、ずっと以前から」
「そんな長いあいだ、たいくつしない?」
「退屈か。確かに長い時ではあったが、飽きがきた事は無いな」
すごーい。とリズが無邪気にはしゃぐ。その隣を歩いていたエールが、あの、と意を決したようにアルコンを呼ぶ。
「ひとつお聞きしたい事が……十二年前にも、冒険者の方がここへ来ませんでしたか? ひとりで探索している男性が……」
その冒険者とは言うまでもなく、例の地図を描き残した冒険者だ。アルコンは驚いたように振り返った。しばし品定めをするような目でエールを見つめ、彼女はゆっくりと口を開く。
「男性がひとり……か。確かに、その冒険者がこの場所を訪れた事はある。だが」
ひとつ呼吸を置き、アルコンはエールを見つめながら続ける。
「彼は私の望みを叶えるに足る資格を持たなかった。むしろ、彼が私の力を欲していた……彼は元いた場所へ帰るために世界樹の頂きを目指していたのだ」
「元いた場所……?」
「元の世界(・・・・)だ」
沈黙が下りた。その言葉の意味を図りかねる『カレイドスコープ』の表情を見てアルコンは一度目を伏せる。ローブの下から覗いた彼女の指先が天を指す。その先にあるのは、夜より深い星空だ。
「この星海のはるか遠く、光さえ届かない場所にある星から、あの冒険者はやって来た。偶然この世界に迷い込んできた彼を、私はある頼みと引き換えに故郷へ送り届けた。それが十二年前の出来事だ」
「え……? いや、それって……」
話をまったく呑み込めていない様子のケイナが何か問い返そうとしたが、それを遮るように近くの茂みが揺れた。はっと振り向くより先にアルコンがふむ、と小さく頷く。
「私はもう少し先で君たちを待つ事にしよう。どのみち、ここはまだ世界樹の頂きではないからな……」
そう言い残し、アルコンはその場から姿を消す。幻か何かのようにその場からかき消えてしまった彼女の行き先を探す間もなく、茂みの中から白黒の巨大なアリが姿を現した。顎をかちかちと鳴らしてこちらに敵意を向けている様子のアリに、一行は慌てて武器を向ける。どうやらいくら最上部に近付いたといっても、世界樹の迷宮が「こういう」場所である事に変わりは無いようだ。
◆
今日もアイオリスは道行く冒険者やら観光客やらで賑わっている。大市を見下ろす高台から眼下の景色を眺めながら、エスメラルダは食べかけのチキンサンドを口に放り込んだ。樹海入り口の近くの露店で売っている品で、冒険者の弁当代わりにという名目で売り出されている品だが、これがなかなかどうして美味いのだ。隣に立っているエールも同じ店のサンドイッチを頬張っている。彼女が食べているのはベーコンと野菜が挟まった品で、こちらもたいへん食欲をそそられる見た目をしていた。次の機会には是非これを注文してみたい次第である。
第五層の探索は少しずつだが進んでいる。しかし初めて二十一階に到達した際に出会って以降、アルコンとは顔を合わせていない。先に第五層に到達していた筈のメレディスたちの姿も無く、気になる点や謎は多々あれど解決のヒントがどこにも無い状況だ。
「急な話で呑み込めてなかったとはいえ、メレディスたちの事くらいは訊いておけばよかったね」
「はい。……すみません、わたしが先に質問してしまったせいで……」
「え? いや、大丈夫でしょ。あの地図の冒険者の事もどうせ訊かなきゃいけなかったし。もう少し詳しく聞けたら、こんなモヤモヤする事も無かったんだろうけど」
エールは神妙に頷き、残りのサンドイッチにかぶりつく。そういえば、アルコンの叶えてほしい願いとやらも結局聞けずじまいだった。あの口ぶりだと、世界樹の頂上に辿り着いた冒険者に何かしてほしい事があるようだったが、件の冒険者に「資格が無かった」とはいったいどういう意味なのか。次に会ったらその辺りも含めてまるごと問いたださなくてはなるまい。
微かに顔をしかめたままパンとベーコンと野菜で頬を膨らませる彼女を横目にエスメラルダは眼前の世界樹を見上げた。思えば、随分と高みまで登ってきてしまった。そこでふと、彼はある事を思い出した。そのまま特に深く考えることなく、世間話とまったく同じ調子で思いついた順に話しだす。
「僕、故郷がものすごい丘陵地帯の谷間にあってさ」
「? はい」
「四方が丘に囲まれてるみたいな場所で……特に僕みたいなブラニーなんて背も低いし、本当に何も見えないんだよね。丘の天辺に世界樹の上の方が見えるくらいで」
そう言いながらエスメラルダは頭上を指さす。手袋に包まれた小さい指先が世界樹に茂る葉のいちばん高い部分と重なった。
「ずっと思ってた。あの丘の向こうには何があるんだろうって」
小さい頃の話だけどね、と苦笑し、彼は語り続ける。
「ちょっと成長して、いざ丘を登ってみたら、世界樹の全景がよく見えた。麓には小さくアイオリスの街並みがあって、反対側には海が見えて……感動したなあ。世界って思ったより広くてさ……」
「ふふ、気持ち分かります。わたしもアイオリスを目指すまで故郷を出た事がなかったので」
エスメラルダと同じく世界樹を見上げていたエールだったが、ふと表情を曇らせて俯いた。眼下の通りを歩く人々をじっと見つめながら、彼女はぽつりと呟く。
「遠くまで来ましたね」
「そうだね。でも僕は、まだまだ行けるんじゃないかって思うんだ」
エールが驚いたように顔を上げた。エスメラルダは肩をすくめ、くるりと振り返って柵に背を預ける。
「世界樹を踏破しても、アルカディアにはまだまだ未開の地がある。竜骨山脈の奥地とか海の向こうとか、暗黒大陸とかさ。そういう所にも行けたら多分すっごく達成感あると思うよ」
「それは……」
エスメラルダが挙げたいずれもが、四大種族の支配圏の外にある秘境の地だ。現代に至っても詳細が明らかになっていない謎の多い土地であるし、暗黒大陸に至っては未知の種族の支配下にあり、こちらの大陸の者が入れば命を奪われるという伝説すらある。歴史の中でも何人もの冒険者がこうした場所に挑んでは消えていった。ともすれば世界樹の迷宮よりも危険かもしれない土地に挑むなどと言うのは、今となっては余程の自信家か命知らずかのどちらかだ。
「いや、僕はどっちでもないよ! 自分なら絶対行けると思ってるわけじゃないし、命は惜しいに決まってるし。もし死ぬとしたら、ものすごく後悔して過去の自分を恨みながら死ぬと思う」
「それでも、そんな遠くに行きたいんですか?」
「こんな遠くまで来れるって分かっちゃったからね。最初はあーんな小さい街で、見えない景色ばっかり見てたのにさ」
呆れたような表情で、しかしどこか楽しげにエスメラルダは言う。
「僕、今でもあの丘の向こうに行きたいんだ。多分、これからもずっとそうだよ」
応える声は無かった。エスメラルダが驚いて顔を上げれば、エールもまた目を丸くしてこちらを見ていた。何かおかしな事を言ってしまっただろうかとエスメラルダが不安に思うより先に、彼女は我に返ったように目を瞬かせてええっと、と頬を掻いた。
「すみません、少し驚いてしまって。その、わたし……皆さんもっと重大な理由があって、世界樹に挑んだものだと。……あ! いえその、エスメラルダさんが軽いとか、そういうわけではなくて!」
「え? ああ、うーん。確かに君に比べたら大した事ないけど」
エスメラルダからすれば、エールのように死んだ家族の願いを叶えるためだとか、リリのように一族の悲願のためだとか、そういったのっぴきならない事情で冒険者をやっている者がそれなりにいる事の方が驚きだ。勿論それが悪いなどと言うつもりは毛頭ない。成さなければならない事に向けて命を懸けてでも進み続ける彼女たちは間違いなく立派だ。だが、しかし、全力でなければ前に進んではならないなどと、誰が決めたのか。
「もっと簡単に考えてもいいんじゃないかって、僕は思うけどね。……あ、ごめん、君にも色々あるのに」
「いえ、そんな……」
そう言ってエールは口ごもる。また考え込み始めてしまった彼女を見てなんだか申し訳ない気持ちになりつつ、エスメラルダは寄りかかっていた柵から腰を上げた。そろそろ別行動していた三人も用事が終わる頃だろう。腹ごしらえも済んだ事であるし、そろそろ宿に戻って探索の準備をしなければならない。
ひとつ伸びをして、エスメラルダは同じくそろそろ動き出そうとしていたエールを振り返る。
「うまくいくといいね。色んな事がさ」
「……はい」
高台を後にし、エールとエスメラルダは宿へと向かう。
思わぬ人物に出会ったのは階段を下りて宿屋に面した通りに差しかかったところでの事だった。通りの端でしきりに辺りを見回している不審な人影に一瞬目を逸らして通り過ぎようとした二人だったが、よくよく見てみればその不審者は見知った人物だ。エールが怪訝そうな表情で声をかける。
「あのう、ステファンさん? いったい何を……」
「! あーやっと見つけましたよ。貴方たちって用がある時に限って全然捕まらないんですから、もう……」
ぶつぶつと文句を言いながら近付いてきたステファンは、懐からおもむろに何かを取り出すとエールの手に押しつけてくる。いったい何かと思えば、それは小さく折りたたまれた紙片だった。開いてみようとしたエールを顔をしかめたまま押し止めると、ステファンは妙に硬い声で二人に告げる。
「他の皆さんがいるところで読んでください。わりと差し迫った話なので」
「はあ」
「じゃあ私は行きますね。予定が詰まっているもので」
「何かあるんですか? その、何かお手伝いできることがあれば……」
「いえ、セリクさんのところでタイムセールやるらしいので買いに行くだけです」
「あ、そうですか……」
では、と言い残し、ステファンは小走りで大市の方向へ駆けていく。エールとエスメラルダは顔を見合わせた。『ヴォルドゥニュイ』は最近忙しそうにしているとの噂を聞いたため、もしや何かの事件に首を突っ込んでいるのではないかと思ったのだが、別にそういうわけでは無かったらしい。
「……僕らも行く? タイムセール」
「いえ、探索の前にセールは……ちょっと……」
目当ての商品に群がる買い物客たちと人の波に揉まれるステファンの姿を想像しつつ、二人は改めて宿屋への道を歩き始める。長い付き合いなのでもうそろそろ分かってきたが、わりと変な人なのである。彼は。
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