【SQ5】24 王の帰還

 「人質」はセリアンの女性だった。彼女はレイチェルと組んでアルカディア各地を旅していた冒険者で、数か月前にアイオリスへやってきた折、レイチェルの祈祷の力を欲したメレディスにより囚われの身となってしまったのだという。

「大変でしたよ。あちこち駆け回って、評議会に話を通して……」

 などと、ステファンは疲れきった顔でぼやく。彼は人質を救出してハルとカザハナを迷宮に送り出した後、事後処理に奔走していたという。そういうわけなので当然ラクライを連れて先に戻ってきたケイナと共に第五層へ向かう事もできず、逆にケイナを手伝わせて諸々の処理を行っていたのだそうだ。ケイナは疲れ果ててしんなりとしていた。不憫である。

「ジャンもこんな面倒な事、な~んにも考えずに安請け合いするんですから。結果的に何とかなったとはいえ、丸く収まらなかったらどうするつもりだったんですかねえ……」

「あー……お疲れ様……?」

「いや、まあ、まだ収まってないんですけどね。首魁は逃がしたんでしょう?」

 ステファンの直球の問いにマリウスは眉を下げて黙り込んだ。それはその通りだが、正直逃がすとか逃がさないとかそれどころではなかったので、その辺りは許してほしいところである。

「まあ、そのくらいは分かってますけど。原生林もおかしな事になってるらしいじゃないですか」

「瘴気でた」

 リズがむっとした表情で主張する。第五層の異変についても各所に報告済みである。急ぎ他のフロアでも調査が行われたが、今のところ四層から下の階層に異常は発生していないようだ。とはいえそもそもあの変化がどういった経緯で起こったのか、いったいどのような現象なのかが分からない以上、あまり楽観視もしていられないだろう。

「準備を整え直したらもう一度五層に入る。アルコンを捜して話を聞きたい」

「ああ、例の少女とやらですか……奴に捕まってないといいですね」

「そうだな……」

 マリウスは溜息を吐く。初めて会った時、アルコンは十二年前の冒険者を「元の世界へ送り届けた」と言っていた。具体的にどのような手段を使ったのかは分からないが、彼女がその方法を知っているというならば、メレディスに捕まるのは危険だろう。なにしろ自分の望みを叶えるためならば手段を選ばない男だ。

 こんな事になるならば、彼女の望みとやらについて先に聞き出しておけばよかった。だが今それを後悔したところで何の意味も無い。

 彼が手元にあった焼き菓子――ミーシャからの差し入れである。彼は彼でリズが危険な目に遭っていないかと気が気でなさそうな様子であった――をげんなりした表情でつまみ上げたのと同時に、背後の扉が開いた。驚いた三人が振り返ると、そこにはエスメラルダが立っていた。

 険しい表情で仁王立ちする彼に、マリウスが困惑を隠せない様子で問いかける。

「え? お前……治療中のはずだろう」

「治った!」

「治ったと言われても」

 腕を組んで高らかに言い放ったエスメラルダだが、彼が身に纏っているのは病衣である。彼は迷宮から戻ってきてすぐエールと共にジェネッタの宿のすぐ近隣にある診療所へ放り込まれた。傷も決して放置できない程度の深さであったため、今は二人揃って治療を受けている頃合いだと思っていたのだが……というか、ここは宿の応接間である。もしや病衣のまま診療所を抜け出して大通りを歩いてここまで来たのか。そんなに急いで一体どうしたというのだろう。

「だってベッドでぬくぬくしてる場合じゃないでしょ。僕は大丈夫なので、はやく迷宮に戻りましょう。アルコンさんも心配だし」

「本音は?」

「治療役が真っ先に倒れて病院に担ぎ込まれるなんて悔しい~!!」

 だんだんと足を踏み鳴らして全身で悔しさを露わにするエスメラルダに、マリウスとステファンは顔を見合わせた。リズがエスメラルダの元へ近寄り、彼の頭をよしよし。と撫でた。されるがままになりつつ、エスメラルダは苦虫を嚙み潰したような表情で呻く。

「悔しいっていうか……僕がついていって先に倒れたせいでエールの負担になったじゃないですか。それが許せなくて……じっとしていられないっていうか……」

「真面目ですねえ」

 呑気に呟き、ステファンはティーカップに残った紅茶をすする。他人事だと思って投げたな……と内心彼に対して恨みを抱きつつ、マリウスはエスメラルダに向き直った。

「そうは言っても、無理をおして迷宮に入ったせいで全滅なんてしたら、それこそ取り返しがつかない。焦る気持ちは分かるが今は安静に……」

 と、そこで部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてくる。何事かとそちらを見てみれば、そこにいたのは肩で息をするエールだ。エスメラルダと同じく病衣のままの彼女を見て、エスメラルダとリズが顔を見合わせる。ステファンが俯いて肩を震わせ始める。マリウスはいよいよ頭を抱えた。対面で声を殺して爆笑する魔術師に後々何らかの仕返しをする事を心に決めつつ、彼は全力で脳を回転させて先走りすぎな二人をなだめるのに丁度いい言葉を探し始める。


 マリウスが怪我人二人の説得に四苦八苦しているその頃、ケイナはちょうど冒険者ギルドの建物を出て宿へ帰ろうとしていた。つい先程まで連行したラクライに付き添って人質にされていたセリアン女性――名をミルドレッドというらしい。セリアンには珍しい名前だと思ったら、出身はルナエ方面なのだという――に関係する諸々の事情聴取に参加していたのだが、ようやく全ての取り調べが一段落したところだ。

 取り調べの場にはジャンも同席していたのだが、彼はこれから行われるレイチェルへの聴取に付き添うため冒険者ギルドに残るらしい。

「本人は洗いざらい喋るつもりらしいけどな。ただまあ、洗いざらい喋りすぎて変な責任まで背負わされるかもしれねえし、その時はオレが割り込もうかなって」

 ほらオレ実家太いから――と言う、その理屈はよく分からなかったが、彼がレイチェルを案じているらしい事はよく分かった。ケイナとしても彼女に重い罪状が課されてほしくない気持ちはよく分かる。何故ならレイチェルは迷宮を脱出してきた後、真っ先にミルドレッドが運ばれた病院へやって来て、ずいぶん長いあいだ眠る彼女の傍に寄り添っていたのだ。

 きっとレイチェルはミルドレッドの事を本当に大事に思っているのだろう。となると許せないのは、そんな彼女の想いを利用して言う事を聞かせていたメレディスだ。そう結論付けたケイナは今、これまでになく正義感に燃えている。一刻も早くメレディスを捕まえて罪を償わせるべきだ。レイチェルたちの件も、尊厳を無視して死霊として使役されたエールの兄やトトの件も、もちろん襲われて傷を負った自分たちの件も含めて、まるっと裁かれてもらわなくては。

 ふんふんと鼻息荒く通りを歩くケイナだったが、ふと視界に入った後ろ姿に目を瞬かせた。街中を這う世界樹の根の下にちょこんと腰かける、小さな背中……ディアマンテである。例のごとくおやつを食べながらぼんやりと道行く人々を眺める彼女の背後では、見覚えのあるお付きのブラニー男性が心配そうに様子を窺っている。

 しばらく見つめているとお付きの男と目が合った。彼はケイナに向かって深々と頭を下げると、どうぞどうぞをディアマンテを示した。こうなるともう話しかけない訳にはいかない。わざと大きく足音を立てながらディアマンテに近付き、声をかける。

「こんにちは」

「! ケーちゃんだ! こんにちはー」

 元気よく応え、ディアマンテは大きく手を振って隣へ座るよう促す。用事あるから、とそれとなく誘いを断りつつ、ケイナは彼女に問いかける。

「何してたんだ? また人間観察?」

「うーん、今日はちょっと違うんだ。世界樹みてたの」

「世界樹?」

「上の方でなにかあった?」

 ディアマンテの問いかけにケイナは思わず困って黙り込む。自分が迷宮を脱出した後に起こった出来事についてはマリウスたちから聞いている。何かあったのかと言われれば確かにあったが、それを無関係の彼女に話すのは良くないだろう。

 不自然に沈黙したケイナを見上げ、ディアマンテは何度か目を瞬かせた。そのままうーんと唸って何事か考え込むと、おもむろに立ち上がってケイナの刀に触れた。

「わ!?」

「あ、ごめんね。ちょっと動かないでー」

 刀の柄を握ったまま、ディアマンテは口の中でぶつぶつと何事か呟く。小さな掌から溢れた光がゆっくりと刀全体を包み、数秒と経たないうちに吸い込まれるように消えていった。

「はい、おしまい!」

「……何したんだ?」

「おまじない。別に変なものじゃないから、安心して!」

 安心してと言われても。怪訝な表情で刀を眺めるケイナに、ディアマンテはにっこりと笑いかける。

「探索がんばってね! もし踏破したら、『カレイドスコープ』とお友だちだって事みんなに自慢しちゃうから」

「そ、そこまで言われるとちょっと……」

「またまた~。ところでケーちゃん、用事はいいの?」

 そう言われてようやくケイナは自分が宿に帰ろうとしていた事を思い出した。ばいばーいと手を振るディアマンテに手を振り返し、帰路を急ぐ。

 大通りを辿っていけば宿まで戻るのにさほど時間はかからない。軽やかな足取りで最後の顔を曲がったケイナは、目に飛び込んできた光景に驚いて言葉を失った。何故か病衣のエールとエスメラルダが、路上でマリウスと押し合い引き合いしている。その様子を遠巻きに見ているのはリズとステファンである。二人は菓子などを片手に、優雅に三人の攻防を見守っている。

「……え、何?」

 思わず呟いたケイナの元に、彼の存在に気付いたリズが駆け寄ってくる。抱きつくように引っついてきた彼女を運びながら歩き、ひとまずステファンの方へ寄った。焼き菓子を頬張っていたステファンは片手をひらひらと振ってケイナを迎え入れる。

「おかえりなさーい」

「その、何やってるんだ? これ……」

「もう探索に出られるとか、そんなわけないとか、なんか言い争ってます。ほら」

「だから! 安静にって言われたのなら従え! お医者様の方が正しいに決まっているだろう専門家なんだから!」

「いやもう大丈夫なんですって! 僕も専門家だし!」

「そうですよ! ほらわたしもこんなに元気ぁ痛たた」

「ほら言った事か! 寝ていろ!!」

 やりとりを聞いたケイナは困惑しきった顔でもう一度ステファンを見た。ステファンは我関せずといった顔で手元に残った焼き菓子のひと欠片を口に放り込む。肩にくっついたリズがのどかわいた~とぼやく。妙な空気感に呑まれたケイナの頭からは先程の正義感はすっかり抜け落ちてしまっていた。


     ◆


 結局、『カレイドスコープ』が再び探索に出たのはそれから数日が経った後の事だった。エールとエスメラルダの傷はすっかり塞がり、物資の用意も万全に整えた状態で、一行は第五層を歩いている。

 街で待機している数日の間、衛兵隊や他の冒険者に調査を頼んだが、メレディスに関する情報はひとつとして得られなかった。完全に身を隠しているというより、そもそも第五層を出ていないのだろう。メレディスの目的がレイチェルの証言通りのものだとするならば、彼はもう街に戻る必要など無いのだ。

「別の世界に行く、ねえ……よく分からないけど……」

 と、エスメラルダが呟く。星海の果てから迷い込んできた十数年前の冒険者を追って、彼の世界へ行く……などと言われても正直まったくピンと来ない。ただ、そう思っているのは自分たちだけではなく、メレディスと一緒にいたレイチェルやラクライも同じだったようである。

「私は金で雇われただけ。そもそもあいつ、私たちを連れてくつもりは無かったみたいだし、まあ今頃その別の世界とやらへの道を探してるんじゃない?」

 とはラクライの証言である。彼女は元々流れ者の剣士で、旅の途中で偶然メレディスと出会い、護衛として雇われていたのだという。

「私もレイチェルも、たまたま他と違う技術があったから連れてこられただけで、彼にとっては死霊と同じさ。替えの効く手駒、ってね」

 メレディスに関する証言をそう締めくくり、ラクライは肩をすくめた。

 ともかく、このままメレディスが目的を果たしてしまえば、恐らくこれまでの行いの落とし前をつけさせる事もできなくなる。早いところひっ捕らえて、恐喝、傷害、殺人未遂、死体損壊などの罪状を叩きつけたいところだ。

「でも、どこにいるんでしょう……」

「そうか、あいつ例の冒険者が描いた地図持ってるんだっけ。探索しながら進まなきゃいけない分、僕らの方が不利だね」

「せめて、アルコンと話ができれば……」

「呼んだか」

「わー!?」

 急にあらぬ方向から声をかけられ、驚きのあまり抜刀したケイナをエールが慌てて抑える。声のした方向を見てみればそこには少女が立っていた。が、その容貌は今までに見ていたローブ姿ではなく、第四層の水晶のように淡く光る不可思議な姿である。

 触手じみた珊瑚色の髪を蠢かせながらアルコンは覇気のない動きで首を振る。

「追われているうちに服が襤褸切れになってしまってな」

「もしかしてメレディスに?」

「名は知らないが、アースランの若い男だ。汝らは彼を追っているのだな」

 『カレイドスコープ』は顔を見合わせた。彼女が既にメレディスと顔を合わせているのなら、話は早い。

 一行はアルコンにこれまでの経緯を全て伝える事にした。第三層での事件に始まり、彼が求めた地図の存在、『ヴォルドゥニュイ』を巻き込んでエールを抹殺しようとした事、水晶竜戦後の抜け駆け、それから先日の戦闘の件まで事細かく。アルコンは一連の説明を静かに聞いていた。一通りの話が終わった後もしばし黙り込んで何事か考えていた彼女だったが、やがて顔を上げると意を決したように口を開く。

「私も、汝らに語らなければならない事がある。……前にも言った、私の望みに関する事だ」

 そう言ってアルコンはするりと一行の脇を抜けて先頭に立ち、視線だけで着いてくるよう促す。五人は大人しくそれに従った。

 迷宮の中は奇妙に静かだ。常ならば聞こえる筈の魔物の息遣いも、今日はどこからも感じられない。上空に滞留する瘴気らしき気体の存在も相まって周囲の雰囲気はいやに不気味だ。背筋をぞわぞわと這うような空寒さを覚える『カレイドスコープ』を引き連れながら、アルコンはぽつぽつと語りだす。

「かつて、この星は滅びの星だった。水が尽き、空気が減り、あらゆる命が絶えようとしていた」

 リズとエスメラルダが顔を見合わせた。星、という意味がよく分からないが、もしやアルカディアの話をしているのだろうか。困惑の表情を浮かべる二人をよそにアルコンは続ける。

「その滅びの化身が大地にあった。それはこの世界で生まれた原初の闇にして、死をその身にまとっていた。人が人として生まれ、育つためにはその暗黒の化身を退ける必要があった。……そのために生まれたのが、この世界樹だ」

 輝く指先が、茂みから伸びた葉の一枚をそっと撫でる。

「世界樹はその身に闇を封じ、大地に豊かな実りを捧げた。滅びを退けた星は緩やかに息を吹き返し、やがて生命が生まれた。汝らのような種族が生まれ、アルカディアが発展したのは、世界樹が大地に救う滅びの化身を抑え込み続けていたがためなのだ」

「……その、滅びの化身というのは?」

「今もまだ、この場所に」

 そう言ってアルコンは上を見る。上空に漂う瘴気の流れを見つめながらしばし沈黙していた彼女は、溜息をひとつ吐くとおもむろに振り向いてエールを見た。急に視線を向けられて怪訝な表情を浮かべるエールを、アルコンは神妙に見つめる。

「……十二年前の事だ。この迷宮を訪れた冒険者がいた」

 エールがはっと息を呑む。僅かに瞳を細めるとアルコンは進行方向へ向き直り、再び歩きだす。

「彼ら(・・)は私に言った。元の世界に帰る手がかりを探していると。そのために世界樹を登ってここまで来たのだと。彼の求める答えを、私は知っていた」

 元の世界――この迷宮の頭上に広がる星海の向こうにあるという場所であり、メレディスの目指す場所だ。一体どのようにしてその場所へ行くのか、気になるところだが……今は、それを訊いている場合ではないだろう。

 アルコンはひとつひとつ、思い出すように言葉を続ける。

「私は彼を望む場所へ送り届ける代わりに、ひとつ頼みを聞いてもらう事にした。封じられた暗黒の化身、その封印に力を貸してほしいと。……永き時間を経て世界樹の力が弱まり、封印が弱まってきていたのだ」

「冒険者、魔術師だったの?」

「いいや。だが、この星には無い術を使う事ができた。彼の施した封印で時間を稼ぎ、その間に世界樹の力を回復させて再度強固に封じ直すつもりだったのだが」

 ひとつ呼吸を置き、少女は嘆息する。

「間に合わなかった。……世界樹の内部を走る魔力の流れから、滅びの化身に干渉された。封印は内から破られつつある。今はかの冒険者が施した封印が、瀬戸際でなんとか抑えているが……」

「じゃあその滅びの……ってやつが、もうすぐ外に出てくるって事!?」

「そうだ。その前に、汝たちに奴を倒してもらいたい」

 強い語調で告げられたその一言に、『カレイドスコープ』は言葉を失った。困惑して顔を見合わせる一行に、アルコンは諭すように、それでいてどこか懇願するように語りかける。

「汝らにとっては急な話だろう。だが、私が世界樹に冒険者を集めたのは、このためだったのだ」

「……集めた?」

「栄誉、智慧、武力、財宝……汝らの望む、もっとも普遍的なモノだろう。釣った、と言われても仕方がないが、私にはこれ以上の方法が思いつかなかった」

「つまり……あなたが四種族の伝承を作ったんですか? その封印されているものを、倒してくれる冒険者を集めるために」

 返事はない。その無言を肯定と受け取ったエールは、傷ついたような表情で視線を左右に揺らした。

 気付けば随分と奥までやって来ていた。目の前に現れた金属の扉を開き、アルコンは五人を中の小部屋に入るよう促す。全員が中に入ると扉は閉まり、部屋が微かな揺れと共に動きだす。マリウスの腰にしがみついたリズがひゃあと悲鳴を上げた。第五層でフロアを移動する際は毎回これを利用しているが、何度入ってもこの部屋には慣れない。

 部屋の隅、黒い板の上で明滅する三角形の印を凝視しながら、アルコンは呟く。

「汝らには悪いと思っている。だが、もはや一刻の猶予も無いのだ」

 揺れが止まった、重く閉ざされていた扉が微かな音を立てて開く。瞬間、吹き込んできた空気は奇妙な重みを伴って四肢にまとわりついた。そこで気付く。風が、黒い(・・)。アルコンが一行を守るように扉の前に立ち塞がった。外の風景を指し示し、彼女は低い声で告げる。

「滅びはもう、そこまで来ている」

 ――鮮やかな緑の原生林に、瘴気の嵐が吹き荒れている。その向こう、黒い霧に阻まれた森の奥に輪郭のぼやけた黒い影が見える。広がったのは両の翼だろうか。はっきりとは見えないが、あれがおぞましいものである事だけは理解できる。それは、ただ座して待っていた。敵の、あるいは獲物の訪れを。

 神話すら記憶の果てに消える永き時を経てなお、幽冥なる原初の主はその威容でもって鎮座する。再びこの星を自らの掌中へ収めるために。

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