【SQ5】Sleepy Hollow2

『随分景色が変わった。一面の荒野だ……こういった所にはあまり馴染みが無いな』
『そうだね。空気も乾いているし、どこかに水場があるといいんだけど』
『わざわざ水分補給のために降りるのも面倒だしな。何度も物資を調達したら怪しまれるし』
『大丈夫だよ、便利な言葉を覚えたから』
『へえ、言ってみろ』
「こんにちは。ぼくは、ボウケンシャです。おみずをいただけませんか?」
『ぎこちないな~』
『うるさいな! きみだって喋れないだろ!』
『俺が他人と喋るようなことがあったら問題だろ。ほら、もう行くぞ』
『くそー……しんどいんだよこの年になってゼロから言葉を勉強するの……』


     ★


 渡された「棺」の感触は、記憶には無くとも不思議と手に馴染んだ。そのまま言われた通り詠唱を重ねれば、蓋の内からずるりと飛び出した魂が形をなす。死霊術だ。記憶を失う前の自分が死霊遣いだったというのは、どうやら本当らしい。

 距離を取って一連の流れを見ていたステファンが、ウワ~と心底嫌そうな声を上げる。

「ほんとに死霊だ~……よくそんなキモ……失礼、おぞましいものを召喚できますねえ。ヤバ~……」

「わざわざ言い直してるけど、その物言いも普通に失礼だからな?」

 ミーシャの苦言にステファンはさっと目を逸らし、ふんふんと鼻唄を歌いながら発動機を弄り始める。どうやらもう完全に死霊を意識の外に追い出しているらしい。

 ミーシャは重い溜息を吐き、メレディスに向き直った。

「覚えてなくても召喚ができるなら、他の術も使えるだろ。あんたがどんな系統の死霊術を使ってたのかは知らないが」

「系統……」

「有名どころだと、召霊と破霊って二つの流派がある。俺は召喚のほうばっかりやってたから他はそんなに詳しくないんだが、まあ色々試してみたらどうだ? せっかく樹海まで来てるんだし、まだ時間もあるし……体が覚えてるって事もあるだろ。何事も実践だ、実戦」

 そう言って大きく伸びをしたミーシャに、メレディスはひとまず頷いてみる。急に連れ出されて何事かと思ったが、どうやらこれは自分に戦いの技術を思い出させるための試みであるらしい。正直なところメレディスは今の今まで自分が魔法を使えることすら知らなかったのだが、現にこうして死霊が召喚できているという事は、ミーシャの言うとおり体が覚えているのかもしれない。少し挑戦してみよう。

 棺を構え直し、何をするでもなくふよふよ浮いている死霊を真剣な顔で見つめるメレディスをよそに、ミーシャは大きなあくびをひとつ漏らす。昼下がりの第一層には暖かな木漏れ日が射し込んでいて、頬を撫でる風の涼やかさも相まってつい眠くなってしまう。こんな穏やかな陽気の中でピクニックなど洒落込んだらさぞいい気分だろう。

 ティーセット持ってくりゃ良かったな……と呑気に目を擦るミーシャの隣に、ステファンがするりと並んだ。驚いて振り返れば彼はルナリアらしからぬ人懐っこい表情でにこりと笑う。

「お疲れのところすみませんね、どうも。評議会の代表から直々にいただいた指令ともなると、断るわけにもいかなくて」

「あー……お気になさらず。俺も、あいつの件はまったく無関係ってわけじゃないし」

「そうでしたね。リズさんはお元気ですか?」

「たぶんな。何日か前に届いた手紙によれば、背がジャガイモひとつ分伸びたらしい」

「それは素晴らしいことです。どの品種のジャガイモですかねえ」

 応えるステファンの口調ものんびりとしている。ミーシャは一度彼から視線を外してメレディスの様子を窺う。棺のベルトを握ったまま難しい顔で死霊に相対する彼の周囲に、魔力が渦巻いているのが見えた。あの調子ならすぐにでも術が発動できそうである。ミーシャは再びステファンに目をやって、声をひそめて彼に声をかける。

「なあ、あんたら分かってるんだろ。本当にいいのか」

「何の話です?」

「あいつだよ。……だって、あいつ……」

「けじめは必要です。それがどんな形であれ」

 返った声は先程までの調子とは打ってかわって、どこか冷たい。ミーシャは思わず顔をしかめる。ステファンは彼を見ないまま、静かに告げる。

「私たちは区切りをつけなければならない。貴方にも分かるでしょう、無関係ではないと言うのなら」

「…………」

 ミーシャは返す言葉を持たなかった。ただ眉間のシワをますます深くしてひとつ息を吐く。小さく驚く声。顔を上げて見てみれば、メレディスの目の前にいた死霊が、その姿を炎爆弾に変えて弾けたところだった。


 死霊術の練習を終えて街へ引き上げ、評議会に戻ってきた三人を迎えたのは、ギルド長のエドガーだった。彼はステファンを見ると挨拶もそこそこに、手に持っていたものを差し出してくる。よく見てみればそれは『ヴォルドゥニュイ』と書かれたギルドカードだ。

「手続きが完了した。ひとまず、他のメンバーが『ヴォルドゥニュイ』に加入するという形で処理している」

「ありがとうございます。まあ、そうなりますよね。まともにギルド組んでるの私たちだけですし」

「本来なら個人に交付する登録証にもギルド名を記載するのだが、今回は特例だ。あくまで探索許可を与えるための一時的な加入だからな……ミッションが完了し次第元のかたちに戻れるよう、最低限の手続きで済ませておいた」

 そう言うエドガーの口調にはどこか疲れが滲んでいる。ステファンは苦笑して、受け取ったギルドカードを腰のポーチにしまった。ここ数日の激動のせいで方々に迷惑がかかっているのは知っていたが、どうやら冒険者ギルドの方もてんやわんやだったようだ。

「どうもすみませんね、私たちが厄介ごとを持ち込んだせいで」

 ステファンの言葉に、数歩後ろにいた厄介ごとが頼りなさげに視線を彷徨わせる。彼の様子を知ってか知らずか、エドガーはいいや、と首を振る。

「正式に発令されたミッションだからな。我々としても可能な限り対応せねばならん。それに、今のうちに解決しなければならない問題だろう」

「……そうですね。今のうちに」

「お、帰ってたのか。こっちこっち」

 会話を遮るように声をかけてきたのは廊下の奥から顔を出したジャンだ。一行はエドガーと別れ、手招かれるがまま彼が再び引っ込んでいった部屋へ向かう。扉をくぐれば、そこにはハルとカザハナがいた。尻尾をひと振りして身を起こすカザハナと彼女に手を振って笑いかけるステファンを横目に、ミーシャが目を瞬かせる。

「それ、何だ?」

 彼の視線の先にいるのはハルだ。否、正確には、ハルが小脇に抱えているものだった。

 ブラニーである。恐らく薬草師であろう格好をした、知らない顔の人物だ。

 よくよく見てみればそのブラニーは小脇に抱えられているだけではなく、ロープでぐるぐる巻きにされて身動きを封じられている。そんな状態で暴れ回るものだからその動きはまるでのたうち回る芋虫か何かのように見えた。芋虫ブラニーの動作を片腕で押さえ込みながら、ハルは不機嫌を隠そうともせずに答える。

「これも連れてかなきゃいけないんだって」

「これとは何だー! いいかげん放せっこの脳筋畜生! 力しか能のないけだもの……あ痛たたた! ちぎれるちぎれる!!」

 悲鳴を上げるブラニーをハルは冷たい目で見下ろす。険悪な雰囲気に困惑したミーシャを見かねてか、ジャンが話に割り込んできた。

「そいつはほら、アレ。メレディスの仲間だったやつ」

「仲間?」

 ミーシャがメレディスを振り返る。しかし記憶を失っている今の彼には、当然そのブラニーの顔も見覚えがなかった。自分にも仲間がいたのか……とじっとブラニーを見つめるメレディスだったが、相手のほうはメレディスと目があった瞬間に顔をしかめてそっぽを向いてしまった。二人の様子をちらりと窺いつつ、ジャンは続ける。

「まあラクライと同じ、金で雇われたみたいな感じだよ。上の階層に行くのに治療術使えるのがカザハナだけじゃ心許ないってことで、牢屋から引っ張り出してきた」

「詐欺だ! 迷宮に行かされるなんてあたしは聞いてないぞ! こんなか弱いブラニーを樹海なんかに放り込んでどうするつもりだーっ!」

「減刑のためなら何でもするって看守に泣きついたって聞いたけど?」

 ハルの冷ややかな声を受け、ブラニーはうぐぐと唸って黙り込む。やれやれと首を振ってジャンは更に詳しく話を続けた。

 彼女はメレディス一行のひとりで、彼らがアイオリスの街で使用していた拠点の留守係のような立場にあったらしい。というのも、その拠点には人質……レイチェルの相棒・ミルドレッドが監禁されていたのだ。魔法と薬品で意識を奪われた彼女の見張りをしていたのが、このブラニーというわけである。

「んで、オレらがミルドレッドを助け出した時に捕まえて衛兵に引き渡して、今めっちゃ服役してる」

「ははあ、じゃあ彼女にとってはこれが恩赦を受けるチャンスってことか」

 ミーシャが得心いったように頷く。服役中の囚人が一般社会や評議会への貢献を認められて恩赦を受けるというはよくある話だ。いくら自分たちのやらかしの後始末とはいえ、ミッションに協力すれば当然その権利が与えられる可能性は高まる。このブラニーがどの程度の刑を与えられているのかは知らないが、「真面目に服役さえすればそのうち塀の外に出られる」という程度には減刑されるのではないだろうか。少なくとも何もせずに檻の中でじっとして時が過ぎるのを待つのとは天と地ほどの差がある。

 ハルに許可を取ってカザハナにおやつのジャーキーを与えていたステファンが、ふと振り返る。

「でも良かったんですか? 減刑につられてホイホイ出てきて。貴女、レイチェルさんにものすごく恨まれてるでしょう」

 返事はない。ブラニーはどこかばつが悪い表情のまま、ハルの腕の中で黙り込んでいる。ステファンは肩をすくめて、カザハナの毛皮を撫で回す作業に戻った。

 ステファンの口調は軽かったが、レイチェルが彼女に対して悪感情を持っているというのは事実である。相方を好き勝手された恨みは深いのだ。もし下手に顔を合わせれば、最悪レイチェルが檻の中に入ることにもなりかねない。そしてその場合、このブラニーは檻の代わりに墓穴に入ることになる。レイチェルは、やる女だ。

 つまり、樹海だけでなく評議会や街での立ち回りにも気をつける必要が出てきたということだ。どうしてこう面倒ごとばかりが増えていくのか。ジャンとハルが溜息を吐く。だが彼女を連れていけというのもレムスの指示なのだ。メンバー不足のままの探索にならないようにと気を利かせたつもりか、それとも万が一の時は使い捨てろと暗に言われているのか、判断をつけづらいところだ。ひとつ確かなのは、レムスは自分たちが事態を収束させてくれることを強く期待しているということである。

 重い空気が流れる。そんな中、一連のやりとりを見ていたメレディスが、ブラニーを見つめて意を決したように口を開いた。

「その……俺、あなたの事も覚えていなくて……名前を教えてくれませんか?」

 ブラニーは驚いたように顔を上げる。目を丸くしてメレディスを見た彼女は、しばし何か言いたげに口をぱくぱくとさせていたが、やがて形容しがたい表情で視線を逸らした。呟くような声で、答える。

「シュシャ」


     ◆


 第二層の「印の場所」は八階の北東にあった。上階へ繋がる階段の北側に位置する広い空間、その南側の突き当たりから繋がる小部屋……地図を完璧に描きながら探索するような几帳面な冒険者でないと足を運ばないような場所である。正直、足を運びづらい場所だ。現に実際にその場所まで探索したことがあるジャンは「めんどくさ」と言った。ステファンも特に何も言わなかったが、ジャンの呟きを聞いても何も反応しなかったあたり同じ意見であるようだ。分かりやすいコンビである。

 『ヴォルドゥニュイ』は階層転移(フロアジヤンプ)の使用が許可されているため、目標地点にいちばん近い階段まで移動することは容易だ。そこからただ移動するのにもそう時間はかからない。面倒なのは魔物の存在だ。目的地に向かうために通り抜けなければいけない広間。そこは『傲慢の通仙坊』が数多く生息する危険地帯なのだ。

「オレらあいつと戦ったことないんだよな……」

 我が物顔で広間をうろつく魔物の姿を遠目に窺いながらジャンが言う。どうやら相手は岩陰に潜んだ一行の存在には気付いていないようだ。異様に長い鼻をゆっさゆっさと揺らしながら、『傲慢の通仙坊』は縄張りを巡回している。

「なんか他の魔物使って小賢しい戦法とってくるんだろ。面倒だから避けてたんだよ」

「この辺りただでさえ面倒な魔物が多いですからね。とはいえ、向こう側まで行くとなると流石に無視はできませんよねえ……」

 ステファンが地図をなぞりながらうーんと唸る。『傲慢の通仙坊』は視界に入れた敵をしつこく追跡してくる上、各所に積み上がっている不安定な岩を崩して攻撃してこようとする習性があるのだ。ハルが盛大な溜息を吐く。

「しかも、それが三体もいる。どうするわけ」

「どうするもこうするも、取れる手段は二つだけです。戦うかそれとも避けるか」

「あ、あんなのと戦うってのかよ……? 冒険者、やばいだろ……」

 苦々しい表情でシュシャが呟く。出発するまでは散々嫌だ嫌だと抵抗していた彼女だったが、力ずくで迷宮に連れ出されてからはすっかり大人しくしていた。曰く、「変に暴れて魔物の目の前に放り出されたりしたら堪ったもんじゃない」とのことらしい。反抗的ではあるが諦めどころはよく分かっているようだ。この調子ならハルが持ってきたロープの出番は無さそうである。

 シュシャの言葉を受けてステファンが眉間のシワを深くする。地図を睨んで本格的にルート取りの模索を始める彼の隣に、ジャンとハルが並んだ。三人寄れば何とやらである。

 ベテラン冒険者たちが地図とにらめっこしている間、メレディスはただ彼らを見守っていた。記憶をなくし、迷宮探索の経験も失った身ではどう口を出そうとしても邪魔になるだけだ。しかし、申し訳なさは強く感じる。どうして記憶を失う前の自分はそんな面倒くさい場所に物を隠したりしたのだろうか。そうまでして人目から隠しておきたいと思うほど、大事なものだったのだろうか。でも今の自分は何も感じなかったのだ、第一層に隠されたあの手帳を見ても。

 ……分からないことを深く考えても仕方ない。頭を振って思考を振り払うメレディスだったが、ふと視線を感じて顔を上げた。じっとこちらを見つめていたのは、シュシャである。彼女は半ば睨みつけるようにこちらを見ていたが、メレディスが視線を返すとますます顔をしかめた。単に不機嫌なだけかそれとも何か怒っているのか判断がつかずに戸惑うメレディスに、彼女は低い声で言う。

「おまえ……なんでそんな事になってるんだ?」

「え……?」

「散々好き勝手やっといてなにが記憶喪失だ! あたしはおまえのせいで捕まったんだぞこのやろーっ!」

「あ、ああ……ええと……ごめんなさい……」

「結局最後の報酬も貰えないし、散々だ! あたしの人生どうしてくれる!」

「うるせえな」

 ジャンがそう言ってシュシャの脳天をぐわしと掴む。帽子越しに小さな頭をホールドされたブラニーがぐええと呻くさまを見ながら彼は至極冷静な、どこか呆れたような声で続ける。

「そもそもあんな奴に雇われてた時点で、お前にも責任があるだろ。ミルドレッドだって一歩間違えば死んでたし。そんで今更逆ギレってのは虫が良すぎるんじゃねえの? 流石に」

「うぐーっ……!」

「あと魔物に食われるのが嫌なら黙っとけって。奴ら足音だけでも反応するんだ、今の声で気付かれててもおかしくねぇぞ」

 その言葉を聞いたシュシャは借りてきた猫のように大人しくなる。ジャンは肩をすくめて、それからメレディスに視線をやった。しかし彼が何とも言えない表情で黙り込んでいるのを見ると、そのまま何も言わずにステファンとハルがいる方へ向き直る。

 取り残されたメレディスは、過去の自分に思いを馳せた。アイオリスに連れられてきてから何度過去のことについて考えたか分からないが、何度考えてもなにひとつ理解も納得もできないのだから恐ろしい。

 話を聞くかぎりシュシャは自分の仲間だったようだが、果たして仲間とは何なのだろう。少なくとも人質を取って無理やり従わせることでも、金で雇って悪事に荷担させることでもない筈だ。となるとやはり、自分には仲間など存在しなかったのではないだろうか。

 他人を踏み台にしてまで、自分は何をしてどこへ行きたかったのだろう。それがなにひとつ分からない。

 重苦しい思考の海に沈むメレディスをよそに、冒険者たちは相談を終えたようである。地図をしまって立ち上がった三人に呼ばれて、メレディスも慌てて腰を上げる。隣にはシュシャが立っている。彼女は相変わらずのふくれっ面で、他の面々の背中を睨みつけていた。


 結局、全ての魔物を避けて進むのは不可能だという結論になったようである。少なくとも一体を誘い出して速攻撃破、残る二体を撒いて目的地へ駆け込むか、あるいは一体倒して余裕をもった上で移動というのが大まかな作戦であるが、果たしてそう上手くいくものだろうか。『ヴォルドゥニュイ』やハルとカザハナは魔物相手に戦うのも慣れたものであろうが、残る二人は片や記憶喪失、片や昨日まで檻の中にいた探索素人である。

「そっちの戦力には最初から期待してない。邪魔だから後ろにいて。他の魔物がきても、死霊がいれば守ってくれるでしょ」

 やや苛立ちの滲む口調で一方的に告げ、ハルは額のゴーグルを下ろす。彼の足元で待機しているカザハナも普段の無邪気さは形(なり)を潜め、張り詰めた表情で主人の指示を待っていた。彼らの様子を呆気に取られたように見つめていたメレディスだったが、はっと我に返ると棺――ミーシャのお古だ。最近新調したからと言って無償で譲ってくれた――を開いて死霊を喚び出す。

 蓋の隙間から這い出てくる死霊は意外にも俊敏で、いざという時は味方を守る盾にもなってくれるのだ。炎爆弾のような攻撃手段にも使うので、当然数が多ければ多いほど有利になるはずだが、なにせ記憶がないので戦闘における適正な数が分からない。

「何体くらい要るんだろう……」

「二体くらいでいいんじゃないですか? あんまりいっぱいいても怖……じゃない、小回りが利きませんし」

 応えるステファンの声には余裕があるが、視線は明らかにメレディスと死霊から外れた場所を向いている。メレディスは言われたとおり、二体で召喚をやめておいた。怖がられて戦闘中に支障が出てもいけないので。

 ハルの指示を受けたカザハナが先行し、魔物へと接近する。可能なら他の二体に気付かれないうちに一体のみ釣り出して撃破したいところだが、下手に動けば一斉に気付かれてまとめて相手をする事態に陥りかねない。細かな陽動ならばヒトより感覚が鋭敏で身軽に動ける猟犬のほうが適任だ。

 目立つ白い毛並みが視界に入って気を取られない生物は少ない。縄張り意識の強い魔物ならば尚更だ。岩陰でちらついた尾に気付いたのは、いちばん近くにいた個体だけだった。

 身を翻して駆け去ったカザハナを追い、のそのそと移動してきた『傲慢の通仙坊』が、ちょうど他の個体から見えない位置に入った、その瞬間に岩壁の中腹に陣取っていたハルが矢を放つ。命中。片目を射貫いた鏃の感触に悲鳴が上がるより先に、駆け込んだジャンの拳が長い腕に突き刺さる。

 「封じ」が入ったようだ。抵抗するように振り回された腕の動きが鈍い。反撃を防いだジャンが後退すると同時にステファンが詠唱を終えて魔法を放つ。圧縮された術式の炎に焼かれた『傲慢の通仙坊』は身悶えしてつんざくような叫び声を上げる。同時に飛来する痺れゼミが二体。

「任せた」

 鋭く言い残し、ジャンは増援の背後に回って身を隠す魔物を追う。任されたステファンは彼の邪魔にならないよう魔法の残り火を消滅させると、すぐさま次の詠唱に入った。展開した発動機に金の光がともる。盛大な羽音を立ててステファンや背後のメレディスたちに向かっていこうとしたセミは飛び込んできたカザハナが叩き落とした。

 魔物の相手を『ヴォルドゥニュイ』とカザハナに任せて高所から辺りを警戒していたハルは、広間の向こうからこちらへ走ってくる姿を認めて舌打ちをひとつこぼす。だが、この位置取りならこちらの有利は変わらない。滑るように岩壁を駆け下り、間髪入れずにすぐ傍にあった石積みを力いっぱい蹴飛ばした。バランスを崩した石が倒れ込むのは、ちょうど反対側まで走ってきていた二体目の『傲慢の通仙坊』の脳天だ。

 思わぬ先制攻撃を受けた魔物はしかし、傷を負ってよろめきながらもこちらに向かってくる。振るわれた拳を避ける――同時に一声吼えたカザハナがハルと『傲慢の通仙坊』の間に割り込んだ。牙を剥きだして唸る相棒に守られながら体勢を立て直すハルの視界の端で、閃光が走る。地に落ちる鈍い音を遺して羽音が途絶えた。断末魔は聞こえない。ステファンがいて助かった、と思いながら弦を引き絞る。

 ステファンがセミ二体を仕留めるのとほぼ同時に、ジャンも最初の『傲慢の通仙坊』の懐に潜り込んでいた。力強く踏み込んでワンツー、二度の追撃を叩き込めば毛むくじゃらの巨体は重々しく膝をつく。とどめとばかりにすかさず飛んできた氷の槍に貫かれれば、一体目の『傲慢の通仙坊』は完全に沈黙した。

 広間に陣取っていた『傲慢の通仙坊』は全部で三体――残り二体のうち一体はハルとカザハナが相手しており、もっとも遠い場所にいる三体目はいまだこちらの存在に気付いていない。このまま二体目を押し切って南へと走れば、目的地はもうすぐそこだ。

 カザハナが唸りを上げて魔物に吼えかかった。顔の中央から突き出す巨大な鼻に彼女の牙が食い込む。『傲慢の通仙坊』は大きく身をよじってカザハナを振り払うと空気を裂くような声で絶叫する。「仲間呼び」だ。オウムか、セミか。どちらが来る――ここ最近は相手にしていなかった魔物たちへの対処法を記憶の片隅から引っ張り出しながら、ハルは周囲を見回し、そしてぎょっと目を剥く。魔物の影が近付いている……今もっとも来てほしくない方向から。

「後ろだッ!」

 叫んだハルの視線の先には、メレディスとシュシャがいる。真っ先に反応したステファンが舌の上で詠唱を転がす、だが間に合わない。パーティーの最後尾にいた二人は、そこでようやくはっと振り返った。見たこともないような鮮やかな羽毛を持つ大きな鳥が、目の前に迫ってきている!

「うわあーっ!!」

 シュシャの悲鳴を聞きながら、メレディスは咄嗟に棺を掲げた。周囲を漂っていた死霊が呼応して渦巻く炎に姿を変える。弾けるように拡散した炎はしかし、迫り来るオウムたちの息の根を止めるには至らない。

 地を蹴って突撃してくるオウムたちの、広げられた翼と鋭い嘴が目前にまで迫ってくる。危機を間近に感じながらもメレディスはどこか冷静だった――冷静に、隣にいたシュシャを見た。

 彼女は自分よりも大きい魔物に気圧されて、完全に腰を抜かしてしまっている。オウムの視線は彼女に向いている。小さく、戦いの技能もない身で攻撃を食らえば、それだけで命が危ないというのは、記憶がなくともすぐに分かった。

 考えるより先に体が動いていた。半ば体当たりのようにして、メレディスはシュシャを突き飛ばす。

 二人は揃って地面に転がり、下敷きになったシュシャはぐええ! と悲鳴を上げる。オウムはメレディスの急な動きに一瞬驚いたように足を止め、その瞬間に飛んできたジャンの拳に殴り飛ばされて宙を舞った。少し離れた場所にいたもう一体のオウムもステファンが放っ術式に焼かれてくずおれた。同時に、立て続けに矢を受けて動きの鈍っていた『傲慢の通仙坊』の喉笛をカザハナが食い千切る。

 血飛沫を上げて倒れた魔物をしばし警戒していたカザハナだったが、やがて体の力を抜くと弾むような足取りでハルの元へ戻ってきた。褒めてくれとでも言いたげにきらきらした目で見上げてくる相棒の頭を撫でてやりつつ、ハルは背後を振り返る。たまたまいちばん近くにいたステファンと目が合った。彼は苦笑すると発動機を腕の機構に収める。

「何とかなりましたねえ」

「そうだね」

 そう言ってハルは最後尾の二人をちらりと見る。上体を起こしたメレディスと、その下からもぞもぞと這い出すシュシャの姿を確かめ、ふんと鼻を鳴らすとポーチからタオルを取り出してカザハナに被せた。白い毛皮に付着した返り血を丁寧に拭い取ってやる彼の傍らにジャンが近付いてくる。彼は体中に細かい傷を負っているようだった。

「早く移動しようぜ。もう一体に気付かれたら面倒だ」

「分かってる。素材だけ剥ぎたいから待って」

 ハルがナイフを取り出しながら魔物の死骸へ近付いていく。あの魔物からどんな素材が回収できるのか、『ヴォルドゥニュイ』の二人には想像もできなかったが、彼を止めることも特にしなかった。せっかく大物を狩ったのだからついでに少しでも稼ぎを得ておきたい気持ちには同意できる。

 儲けの取り分どうします? と平然とした顔で訊ねてきたステファンに、ジャンは肩をすくめて応える。人前で金の話はあんまりしたくないのだ。庶民との金銭感覚の差がばれてしまうので。

 さて、ハルが魔物を解体し、『ヴォルドゥニュイ』がこそこそ相談し、構ってほしいカザハナが彼らの間を行ったり来たりしている間、メレディスは乾いた地面に座り込んで何とも言えない表情で手元の棺を見下ろしていた。

 オウムが間近に迫っていた時……あの時は混乱と焦りで冷静に考えることなどできていなかったが、思い返してみればよく咄嗟に炎爆弾を発動できたものだ。あれは、記憶を失う前の自分の肉体に染みついた動作だったのだろうか。なんだか複雑な感覚だ。昔の自分のことはまったく理解できない存在のように感じられるのに、その影響だけが今の自分に色濃く残っている。素直な気持ちを言ってしまうと、不気味だった。

 考え込む彼の頭上にふと影が落ちる。驚いて見上げてみれば、それは消費せずに残っていたもう一体の死霊だった。そういえば放置したままだった、もしやステファンが先程からこちらに近寄るどころか視線も寄越してこないのはこれのせいか。急いで死霊をしまうメレディスだったが、そちらに気を取られていたせいで背後にもうひとつ小さな影が近付いてきている事に気付かなかった。

「……おい」

「わあっ!?」

 驚いて振り返れば、そこに立っていたのはシュシャだ。彼女はこれ以上なく不機嫌そうな顔でメレディスを睨みつけている。また何か怒りを買うようなことをしてしまっただろうかと浅い記憶の底をひっくり返すメレディスだったが、予想に反してシュシャの口から文句や罵声が飛び出してくることはなかった。ただ、射殺すような目でメレディスを見つめるばかりである。

「……な、なに……?」

「おまえ……なんであたしを庇った?」

 投げかけられた質問は思いもよらないものだった。意図が読めずに困惑しながらも、メレディスはひとまず彼女の問いに答える。

「ええと……あのままだと君が死んじゃうかもしれないと思ったから……?」

「…………」

 嘘偽りない本心を答えたメレディスを、シュシャはしばしの間じっと睨み続けていた。気まずい沈黙の中、少し離れた場所でステファンがカザハナを可愛がる声だけが響く。いよいよ緊張が限界に達したメレディスの背中に嫌な汗がじんわりと滲みはじめた頃に、ようやくシュシャは口を開く。

「顔……」

「え?」

「診せろ」

 つっけんどんに言ってずんずんと近寄ってきたシュシャの手が、メレディスの頬に触れる。彼女がむっとしたまま鞄から薬を取り出したのを見て、彼はようやく自分が顔に怪我をしているらしいことに気付いた。痛みも違和感もまったく無いので気付かなかった……シュシャは薬液を清潔な布に染みこませると、少々乱雑な手つきでメレディスの頬を拭く。

「小さい傷だからって放置するな。擦り傷でも馬鹿にすると痛い目に遭うんだからな」

「ええと、ありがとう」

「うるさい……別に……あたしは治療のために連れられてきたんだから、ちゃんと仕事しないとまた牢屋に入れられるかもしれないだろ……」

「じゃあオレの手当てもしてくれりゃいいのに」

「ワーッ!?」

 突如話に割り込んできたジャンの声に、シュシャは思わずといったように跳び上がる。何故か壮絶な表情で振り返って口をぱくぱくさせる彼女を、ジャンは不思議そうな目で見下ろした。カザハナに顔面をべちゃべちゃにされているステファンが、やれやれといった風に声をかけてくる。

「ジャ~ン。貴方ってば本当にデリカシーってものがありませんねえ。……すみませんねお邪魔して。さ、続きどうぞ?」

 彼のべちゃべちゃの顔には意味深な半笑いが浮かんでいる。シュシャは全身をわなわなと震わせた。流れについていけず困り果てて視線をあちこちに巡らせるメレディスをよそに、彼女はぎゃんと吼える。

「こ、こ、こっ……このっ野蛮な冒険者ども! 魔物に頭かじられて死んじまえ!」

「なあ、手当ては?」

「うるさーいっ!! やるから黙ってろーっ!!」

 ……死骸から素材を剥ぎ終えたハルは、一連の流れを無言で見守っていた。もう一体に見つかってはいけないから早く行こうという話だったのに、いったい何故呑気に騒いでいるのか。ここが迷宮だということを忘れてはいないか。

 何なんだこいつら……と、苛立ちが一周回って冷静な目でハルは四人と一匹を見つめる。直接文句を言うのはやめておいた。こんなくだらない事でムキになって怒るのも、逆に腹立たしいので。


 目的地には例のごとく小さな箱が隠してあった。元々人の寄りつかない土地だ、岩陰にぽんと置かれただけのそれは誰かの手に取られたような気配もなく、完全な状態で薄く砂埃を被っている。

「これも魔法がかかってるの?」

「かかってますね。ちゃちゃっと解いちゃうので貸してください」

 箱を受け取ったステファンが発動機を展開して魔法の解除を始める。メレディスは余計な誤解を招かないよう距離を取りつつ、彼の手元を覗き込んだ。よくよく目をこらせば、箱の表面を淡く光る文様が覆っているのが見える……あれが「魔法」なのだろうと直感した。だが、その文様や箱そのものには全く見覚えがない。やはり、所有物を見た程度で失われた記憶が戻るなどという都合のいい事は無いらしい。

 そのままステファンが封を解く様子を眺めていると、隣にジャンがやって来た。彼はメレディスの顔とその視線の先にあるものを見比べて、不思議そうに首を傾げて訊ねる。

「なんか気になることがあんのか?」

「え……ああいや、その、実際に見てもやっぱり記憶は戻らないんだなあと思って」

「ああ、そういう事か。まあ気にすんなよ、べつに記憶戻すためにここに来てるわけじゃないんだし」

 ジャンはあっけらかんと言うが、その言葉を素直に受け取れるほどメレディスは楽観的ではなかった。恐らく、過去の自分が起こした騒動に巻き込まれた誰もが、「メレディス」の記憶が戻ることを望んでいる筈だ。記憶が失われたままでは全ての罪を問うことはできない。本当いn罪を償うためには、何としてでも記憶を取り戻さなければならない……今の彼にできる事は、それくらいしか無い。

「そんなわけにもいかないですから。その、ジャンさんもいい方法を思いついたら教えてください。何でも試します……痛いのはちょっと遠慮したいけど」

 メレディスが苦笑まじりにそう言えば、ジャンはどこか困ったような表情を浮かべた。どうしたのかと怪訝に見つめるメレディスに彼が何か言う、よりも先にステファンが声をかけてくる。

「はい、終わりましたよ。早速開けてみますか」

「! おう」

 一声応えてステファンの元へ向かっていくジャンの背中を、メレディスは小首を傾げて見送る。……いや、見送っている場合ではない。慌てて彼の後を追い、ステファンの手元を覗き込んだ。少し遅れてハルもやって来たのを確かめ、ステファンはゆっくりと箱の蓋を持ち上げる。

 箱の中に入っていたのは紙の束だった。丁重に取り出して検めてみれば、それは迷宮の地図だ。一見ハルや『ヴォルドゥニュイ』が持っているものを同じように見えるそれには、よく見れば見たことのない言語で走り書きがなされている。ハルがいちばん上にあった一枚を持ち上げてじっと見つめ、頷いた。

「例の地図、だ。……ここに置いていったんだな。あんなことしてまで集めたのに」

「これどこの地図だろうな」

 と、箱に残っていた地図を一枚つまみ上げたジャンが、ふと振り返る。彼はその地図をメレディスに向かって差し出すと平然と問いかけた。

「そういやお前、これ読めんの?」

「え? えーと」

 押しつけられるがまま地図を受け取り、示された場所に目をやる。確かにアルカディアの公用語ではない文字だ。だが、とメレディスはジャンを見る。

「『石碑、読めない』って書いてあります」

「ああやっぱり五階の地図ですか。石碑って、南にあるアレのことですね」

 そう言いながらステファンが差し出したのは彼らが書いた地図だ。一層五階、と記されたそれは、確かにメレディスの手の中にある地図とほぼ同じ形をしている。重ね合わせて見てみれば、メレディスが読んだメモが指す位置とちょうど一致する位置に、『ヴォルドゥニュイ』もメモを残していた。

 古代文字で書いてあったので読めなかったんでしょうね、とステファンは肩をすくめる。

「十数年も昔の地図ですから地形は多少違うかもしれませんが、人工物の位置は変わりようがないでしょう。他のも一層の地図ですかね」

「……そうかも。この地形も覚えがある気がする」

 ハルが持っていた地図を見つめながら呟く。メレディスは他の地図を手に取って、そこに書かれている文字を読んだ。『かわいい石像』『りんごの樹!』『熊の巣』『気持ちのいい水辺』……いずれのメモも、探索中のとりとめの無い発見を思うまま書き連ねたように見える。いったいどんな人だったのだろう、と、かつてこれを書いた冒険者を想った。かつてのメレディスが恋い焦がれていたという彼のことを、今の彼は何も知らない。

 ふと視線を感じた。振り返ってみれば、白い目をしたシュシャが箱を囲む四人をじっと見上げている。

「無理やり連れてきたくせに除け者にして楽しんでんじゃねー……」

「あ、ああ……ごめん。これ、見る?」

「いらない。どうでもいいからはやく帰らせろ」

 シュシャの顔には風船モモンガ程度なら視線だけで殺せそうな表情が浮かんでいる。メレディスは思わず他の三人を見た。冒険者たちはやれやれといった様子で帰還の準備を始める。足元で退屈そうに伏せていたカザハナが大きなあくびをした。そこでメレディスは悟る。戦闘力もそうだが、冒険者にとって最も必要なものは大したことでは動じない図太さなのだと。

 それなら、自分は冒険者にはなれそうにないな……と思う。記憶を失う前の自分がどうだったかは知らないけれど。

1コメント

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  • 九心

    2024.04.28 08:40

    投稿お疲れ様です。前回から引き続き、すっかりしおらしくなり別人のようなメレディス氏には、ハルさんのように複雑な感情が湧いてくるばかりです。ここから記憶を取り戻すようなことになれば、どれだけ混沌とした事態に陥るのか想像も付きません。 個人的には、過去と現在の人格が頭の中で殴り合うような展開を予想しております。