【SQ5】Sleepy Hollow3
『うわあ……すごいね。きみの仲間みたいなやつがいっぱいいるよ。ほら、フワフワ浮いてる』
『誰が亡霊だって? まあ確かに、すごくはあるかもな』
『ずっと昔にここで戦争をしてたらしいよ。迷宮に籠城した王を倒すために、四種族が協力して戦ったんだとか』
『ふうん。それにしてもお前、怖くないのか?』
『うーん、不気味だとは思うけど。霊みたいなやつは殴れば倒せるみたいだし。それなら全然平気かなって』
『なんだ、すっかり可愛げがなくなったな。昔はヒャアお化け! って悲鳴上げてたのに』
『僕のこと何歳だと思ってるんだよ……ほら、先に進もう。それにしても外が見えないのが残念だね。こんな高いところまで来たんだから、もうちょっと景色を楽しみたかったな』
『高すぎて何も見えないと思うぞ』
『それが楽しいんじゃないか、分かってないな』
★
さて、無事に第二層で「メレディスの遺物」を回収した一行だったが、この調子で第三層も……という風にはいかなかった。というのも、第二層での探索を終えて街に帰還した時点でそこそこ大きめの問題が発生したのである。事の発端は樹海から脱出してアイオリスの街の石畳を踏んだ瞬間にステファンが言い放った一言であった。
「ところで私は三層には行かないので皆さんだけで頑張ってくださいね」
「……はあ?」
一瞬にして機嫌が地に落ちたような様子でハルが振り返る。その隣ではジャンが心底苦々しい表情で頭を抱えていた。彼は何故か堂々とした立ち姿のステファンに、絞り出すように声をかける。
「ステファン……その話はちょっと後で」
「いや、何を言われても絶対に行かないので。前から言っているでしょう三層にはもう二度と行かないと」
「わがまま言ってる場合か? だからここでゴネるのはやめろって、人いるし……」
「は? ジャン、貴方わかってるでしょう? 私はやると言ったらやりますからね。なんだったら明日の馬車に飛び乗って実家に帰ってもいいんですよ、ええ?」
異様な凄みのある返答にいよいよジャンは何も言えなくなる。そしてステファンの言うとおりであった。彼はやると言ったらやるし、こうなったら何をされようが絶対に屈しないのだ。この融通の利かない感じはいかにもルナリアの偏見に寄ったパブリックイメージらしい挙動なのだが、それを口に出すと喧嘩どころではなくなるのでジャンはヒヤヒヤしていた。細かい事情は割愛するがステファンはそういった方面でルナリア呼ばわりされることが大の地雷なのである。
少し隙を見せれば余計なことを言って戦いの火蓋を切りそうなハルをそれとなく牽制しつつ、ジャンは大きく手を叩いてやけくそ気味に宣言する。
「わかったわかった! メンバーの交代についてはオレが何とかする! だからここで話すのもう終わり! 解散!!」
「やった。パンケーキた~べよっ」
軽やかな足取りで意気揚々と去っていくステファンを見送りつつ、ハルが白い目をジャンに向ける。ジャンは力なく首を横に振った。彼だってこれでいいとは思っていない。だが何と言われようが、ステファンを説得して第三層へ連れていくよりも他のメンバーを見つけた方が百倍マシだ。断言できる。そしてどちらにせよ自分に責任がのしかかってくるのなら、ジャンは迷わず後者を選ぶ。
「……まあいいけどさ。あんたがどうにかしてくれるなら、どっちでも。行くよカザハナ」
地の底から響くような声でそう言って、ハルは足早にその場を離れる。カザハナは主人に続こうとしたがすぐに足を止め、ジャンの傍に寄ってくると彼の手をぺろりと舐めた。それから踵を返してハルを追う彼女を、残された面々は無言で見送る。やがてシュシャがぽつりと口を開いた。
「冒険者って皆あんなんなのかよ」
「どっちに対して言ってるのかわかんねえけど、どっちにせよギルド長に失礼じゃねぇかな、その偏見は……」
ふうん、と頷くシュシャの目には微かな憐憫が浮かんでいる。大きな溜息を吐いてとぼとぼ歩きだすジャンに、メレディスは結局なにも声をかける事ができなかった。記憶も罪の自覚もなく、そもそも彼らの仲間ですらないこの身はあまりに無力である。
それから再び迷宮に入るまで数日かかった。
それまでの間、メレディスは宿屋――いつまでも留置施設に置いておくわけにはいかないという事で、評議会が用意した宿に移されたのだ。もちろん監視つきではあるが――の一室でミーシャから借りた死霊術の教本を読み漁っていた。難しい内容のわりに不思議とするする頭に入ってくるそれを繰り返し熟読し、こっそり練習していくつかの術式を習得したところで、彼はよし! と気合を入れる。これで多少は実戦でも使えるかもしれない。どうせ迷宮に行くのなら少しは役に立ちたい……そう思うのは、今の彼にとってはごく自然なことであった。
ハルが迎えに来たのは、ちょうど消滅した死霊の魂を再構成して召喚し直す技術を習得した頃だった。衛兵に案内されて宿までやってきた彼は、不機嫌そうな表情のまま部屋を見回して呟いた。
「ふうん。独房より居心地よさそうじゃん」
「ああえっと、お陰さまで……?」
「三層に行くって。あんたも早く準備して」
足元に座るカザハナがわんと鳴く。メレディスは慌てて上着を羽織り、鞄と棺を抱えた。部屋にある私物はこれだけだ。装備を確認しながら廊下へ向かっていけば、後には殺風景な風景だけが残される。
迷宮入口には既にジャンとシュシャがいた。二人と一匹の接近に真っ先に気付いたシュシャが相変わらずの険しい表情でじっとメレディスを見る。メレディスは反応に困り、とりあえず会釈を返しておいた。ハルは彼女を無視し、ジャンに近付いていく。
「時間かかったね」
「まあな……流石にあいつらと同じようにはいかなかったわ」
応えるジャンの声には覇気がない。ハルは肩をすくめて、彼の隣にいる人物に目を向けた。メレディスもそちらを見る。見覚えのないセリアン女性だった――記憶が無いから、覚えがなくて当然なのだが。
彼女はメレディスと目が合うとにっこりと笑う。
「やっほ~。記憶ないってマジだったんだ? それじゃ初めましてだ……私はラクライ。君のオトモダチだぜ、メレディス」
メレディスは目を瞬かせた。告げられた名前には覚えがある。失われた記憶が甦ったわけではなく、取り調べの中で何度か聞いたのを思い出したのだ。確か、自分がこの街で悪事を働くために雇ったという剣士が、ラクライという名前だった筈だ。
にこやかに笑ったまま手を差し出した彼女に、メレディスも戸惑いながらも応えようとした……が、ハルがその手首を掴む。驚くメレディスには何も言わず、彼はラクライを睨みつけた。足元のカザハナも警戒した様子で僅かに身を低くしている。ラクライは手を引っ込めてやれやれと首を振った。
「何だよ、穏やかじゃないな。別に取って食おうってわけじゃあないのに」
「あんたの仕事は邪魔な魔物を斬り倒すことだ。余計なことするなよ」
「挨拶は余計なことじゃないだろって」
しょっぱい奴らだなあ~とぼやくラクライを横目に、ジャンが荷物から取り出したものをハルに渡す。全体に魔術的文様が刻まれた掌大の筒のようなものである。手の内で回転させてそれの構造を確かめるハルに、ジャンは何でもない事のように告げる。
「横んとこに出っ張りあるだろ。そこ押しながら上のボタン押したら非常装置が起動する」
「非常装置?」
「おう。拘束具に仕込まれた魔法がこいつの意識を速やかに奪う」
「えっ!? ちょっとこの手枷そんな機能あったの!? 鎖も無いしそんな重くなくていいなと思ってたのに!」
そう言ってラクライが振り回した両手首には、何かしらの文様が刻まれた無骨な手枷が嵌まっている。困惑しきってその場に佇むことしかできないメレディスに、ジャンがこっそりと声をかけてくる。
「あいつ、ここでやらかした件以外にもめっちゃ余罪あるからけっこう厳重に警戒されてる。シュシャとは違って減刑の可能性も無いってよ。まあ何もしねえとは思うけど気をつけろよ」
「え、何したんですか? 彼女」
「ん? あー、うーん、なんかその……擁護しづらい規模の殺人とか」
「人聞き悪いな、同意の上だよアレは。命を懸けて強さを追い求めるやつってのは意外とたくさんいるんだぜ~」
まあ私のほうが強かったわけだけど! とウインクするラクライを指さし、ジャンはメレディスに訴えかけるような視線を送ってくる。メレディスも深く頷いた。とりあえず、ちょっと生きている世界が違うんだなというのはよく分かった。あまり近付きすぎないようにしたいところだ……彼女を雇ってここまで連れてきた自分が言うのもおかしな話だが。
一連のやり取りを、シュシャは終始白けた表情で見守っていた。しかしついに我慢の限界が訪れたのか、舌打ちをひとつこぼすと低い声で呟く。
「いつまで駄弁ってるんだ……行くなら早くしろよ」
彼女の言葉から一拍置き、一行は荷物をまとめ直して樹海磁軸へと向かう。今日の目標は第三層に隠された遺物の回収だ。
第三層の「印の場所」は十三階の南側、隠し通路を抜けた先を少し進んだ小部屋の中にあった。第二層とは違い階段に近く、なおかつFOEがいない場所なので比較的楽に辿り着けるだろう、とは探索を断固拒否したステファンの言である。比較的楽なのにどうして嫌なのか? とメレディスは疑問に思っていたが、実際に迷宮を訪れてみて考えを改めた。
息が詰まりそうなほど淀んだ空気、まるで四方八方から見張られているかのような緊張感、辺りを彷徨う魔物とも死者の霊とも知れない存在たち……あまりにも不気味な場所だ。そして彼はステファンがここに来なかった理由を完全に理解する。真っ昼間に召喚された死霊ですら直視しようともしなかったのに、こんな場所を探索するのは無理だろう。
「行こうぜ。こんなジメジメしたとこさっさと出たいだろ」
ジャンがそう言い、一行は薄暗い迷宮の中を歩きだす。
肌に貼りつくような薄暗闇に覆われた古戦場にも、昼間ともなれば点々と陽の光が射し込む。ここの魔物たちはあの小さな陽だまりをひどく嫌うので、冒険者たちは昼のあいだに探索を行うのだとハルが教えてくれた。メレディスはふんふんと頷きながら辺りを見回す。しかし、本当にあの魔物たちは魔物なのだろうか? 生物というより、どちらかと言うと死霊に近いような気がしてならないのだが。
浮かんだ疑問を口に出せば、ジャンが困ったように首を傾げた。
「さあ……あんま気にしたこと無かったな。殴れば倒せるから」
「え、気になったりしないんですか?」
「いや、ここの探索手伝ってた時はそんな余裕なかったし、そのへんはっきりさせるとステファンが発狂しそうだし……」
そう答えるジャンの声には切実さが滲んでいる。メレディスの話を聞いていたシュシャが呆れた調子で口を挟んだ。
「なんでそんな奴と組んでんだよ」
「なんでって……オレ元々あいつに着いてきただけだし。冒険者になる予定とか無かったんだよな、別に」
「はあ? なんだよ道楽かよ。趣味わる」
「いや、だってあいつ放っておいたら勝手にひとりで行くし」
そこでジャンは一度言葉を切る。なんだよ……と苛立ちを隠そうともせずに呟くシュシャを振り返らないまま、彼は静かな声で続けた。
「そしたら死ぬだろ。あいつは。そういうやつなんだよ」
「ふーん」
興味なさげに相槌を打って、シュシャはあっけなく会話を打ち切る。メレディスはジャンに目をやった。まっすぐに進行方向を見つめる彼の横顔には、形容しがたい表情が浮かんでいる。
◆
「……へっくしっ!」
「うお、風邪か? 茶でも飲むか……?」
「う゛~ん、そうかもしれませんね。お願いしてもいいですか」
顔をしかめてハンカチで鼻をこするステファンにひとつ頷き、ミーシャは手持ちのハーブをいくつか選んでポットの中に放り込んだ。ハーブティーを淹れるのは彼の十数年来の趣味である。当然ながら調合の腕前は本職の薬草師(ハーバリスト)には及ばないが、体を暖める茶くらいはすぐに用意できる。
魔力で動く簡易コンロで沸かしておいた湯をティーポットに注ぎ、蓋をする。この「蒸らし」の時間がもっとも重要なのだ。真剣な表情で時計を見つめるミーシャをよそに、ステファンは机に肘をついて手元の手帳をぱらぱらとめくる。年季の入った黒革の手帳は、彼の私物ではない。これは彼らがつい先日迷宮で回収したメレディスの手帳である。
メレディスの行動や思想を紐解くヒントになるかもしれないと評議会に提出していたこの手帳を、ステファンはわざわざ許可を取って持ち出している。本当のところは評議会で読んでもよかったのだが、衛兵やレムスのような偉い人がいる場所では落ち着いて目を通せないと考えたのだ。だが宿は宿で人の出入りがあるから紛失しそうで怖いし……という事で彼がやって来たのが、ミーシャの店であった。冒険者の数が減ったこともあり、最近の葬儀屋には閑古鳥が鳴いている。ここでなら落ち着いて資料を検めることができる筈である。
「……あんたもしかしてウチの店ぜんぜん儲かってないと思ってる?」
「やだなあ、そんな事ありませんよ。そもそもこういう業種って来店した客からお出しされる依頼よりも他の機関を経由して来る依頼のほうが多いでしょう?」
「それはそうだが……いや、ええ……?」
「時間いいんですか?」
と、そう言われてミーシャは慌てて時計に目をやる。長針がちょうど予定していた時間を通り過ぎたのを確かめ、ポットの蓋を取った。瞬間、辺りにハーブの香りが立ちこめる。いい出来である。
ミーシャがカップにお茶を注いでいる間、ステファンは手帳のページをめくり続けていた。書いてある内容はいくつかあった。大半を占めるのが例の地図に使われている文字の解読表だが、その合間や後ろの方のページに、手記らしきものがいくつか見られる。
書かれている内容はいずれも短く、日付すらも付記されていない何気ない文章である。ただいくつか気になる言い回しもあった。例えば、後ろから三ページ目に走り書きのように残されたこの一文。
『瘴気使いは絶対に欲しい。やるしかない』
「……やるしかない、の結果があれ(・・)ですか。犠牲者が気の毒ですよ」
「ああ……瘴気使いのルナリアの事か? リズが話してたな」
カップをステファンに差し出しながらミーシャは続ける。
「外傷はあったが綺麗な死霊だったそうだ。死んですぐに加工(・・)しなけりゃ、そんな風にはできない。……それに……死霊遣い(ネクロマンサー)には、そういった事が簡単にできる方法もある」
「何ですかそれ」
ハーブティーを啜りながら問い返したステファンには答えず、ミーシャは席を立って隣の部屋に向かう。数秒経って戻ってきた彼の手にあったのは、何かの粉末が入った小瓶だった。一見すると細かい砂か何かのように見えるがどうやらただの粉ではなさそうだ。というのも、決して少なくない量の魔力が宿っているのである。
ミーシャは厳重に封がされた小瓶を軽く揺らしながら、渋い表情で口を開く。
「こいつはゾンビパウダーと呼ばれる代物だ。色々な死霊遣いの流派に秘伝として伝わっている薬で、これを使えば大抵の生物は即死させられる」
「すごいもの持ってますねえ……」
「いや、実は主題はそこではないんだ。詳細は省くが、魂に作用する術がかかっていて……ざっくり言うとこれを使って殺した生物を、生前の姿そのままに簡単に死霊にできる。他の手段を使っても同じ事はできるんだが、格段に手間がかからない」
「ははあ、成程」
頷きながら、ステファンは脇に置いていた他の資料を手に取る。表紙に「極秘事項」と書かれたそれは、一連の事件に関する調査報告書だ。報告によれば、メレディス・コーディアは死霊遣いによって孤児院から引き取られ、弟子として養育されたという。その秘伝のゾンビパウダーとやらを受け継いでいてもおかしくはない。
「まあ、人間に使うならそれなりの量が必要になるし、味も良くないから、実用性はあまり無いんだが」
「あったら困りますよ。そんな恐ろしいものを発明して、何がしたかったんでしょうね古代の死霊遣いは」
「死者蘇生の研究の中で生まれたものだって聞いた。結局、思ったような結果は得られなかったらしいけどな」
ふうん、と頷くステファンの瞳は冷めている。付け合わせの焼き菓子に手を伸ばしながら、彼は独り言のように呟く。
「死んだ人間が生き返るなんて……そうでなくても魔力で動くなんて、そんなの困りますよ。ねえ……」
彼には、どうしても忘れられない事がある。預けられた祖父母の家から半年ぶりに母に会いに行く日。ステファンは少し憂鬱だった……あの町は嫌いだ。母は元気だろうか? 手紙には働き口を見つけて頑張っていると書いてあったけれど。馬車が止まって、彼は祖父母と共に家に入る。玄関の中はしんとしている。荷物を下ろす祖父母を置いて、寝室に入った、そこで彼は見た。地に足のついていない母のどろりと溶けた顔、異様な匂いと床を這う虫のうごめき。祖母の悲鳴。呆然とする彼の腕を、祖父が何か叫びながら引く、……。
第三層は、あの時に感じたものと同じ空気で満ちている。彷徨う古代の亡霊たちの顔が母の面影と重なる。あの場所に行きたくない理由も――あるいは死霊が苦手な理由も、本当はそれだけでしかないのだ。
ステファンはふと顔をしかめる。嫌なことを思い出した。いま考えるべきなのはそんな事ではなく、この手帳に書いてあることだ。
……いや、どちらも同じことか。『ヴォルドゥニュイ』やハルが引き受けたミッションは、死者の足跡を辿ることでしか達成できない。目指すものは全て、紙の上に残された過去にしか存在し得ない。
本当は。メレディス・コーディアの記憶が戻ることを、誰も期待してなどいないのだ。
「……困りますよねえ、本当……」
溜息混じりにそう言うステファンに、ミーシャは何か応えようとして、やめた。ただ小瓶を背後の棚に置き、自身の分のハーブティーを啜る。話をしているうちに少し冷めてしまった。ミーシャは関係者ではあれど当事者ではないし、何の責任も負ってはいないので勝手なことは言えない。だがうまくいけばいいなと思った。万事、すべてが。
◆
「……このへんだけど」
辺りを見回しながら呟いたハルの声に、地面の匂いをふんふん嗅ぎ回っていたカザハナがわんと吠える。彼女が前脚で掘り返そうとしているのは部屋の端、ちょうど日射しが射し込む場所の中央だ。ハルはカザハナをどかすと柄に収めたままのナイフを握って地面に突き立てた。埋まっていたものはすぐに見つかった。硬い箱の感触を確かめつつ、周囲の土を削っていく。
メレディスはほっと息を吐く。道中で何度か魔物と遭遇したものの、大きな問題もなく目的地まで辿り着くことができた。とはいっても、メレディスがこれまでの道のりでした事といえば魔物の攻撃を死霊に受け止めさせる事くらいである。攻撃は前衛のジャンやラクライがしてくれるし、討ち漏らした敵もハルとカザハナでまとめて仕留めてしまうのでメレディスが攻撃に回る必要性が無いのだ。
しかし、ラクライは本当に強い剣士らしい。生きているんだか死んでいるんだか分からない魔物を一刀のうちに斬り伏せ、怪我もなく戻ってくる姿は確かに歴戦の戦士のそれだった。彼女を雇った過去の自分は人を見る目があったようだ……それ以外の所には問題がありすぎるが。
「お~い、おいメル太郎~? ……聞いてないな? おーい!」
「うわあ!?」
不意に肩を小突かれ、驚いて振り返る。知らぬ間に背後に立っていたラクライは、目を白黒させるメレディスを見てにんまりと笑った。少し離れた場所からジャンがこちらを見ているが、どうやら割って入るつもりはないようだ。こちらを監視する視線に少々居心地の悪さを覚えながらも、メレディスは彼女へ向き直る。
「ええと、何?」
「いや、別に用があるわけじゃないけどさ。ちょっと話したくなっただけ……ほら、今日の探索が終わったら私また牢屋の中に戻されて、くそつまんない奉仕作業を強いられる日々に逆戻りだからさあ。今のうちにってね」
「そう……」
返答に困って曖昧に頷くメレディスを、ラクライは興味深げに眺めていた。そうじろじろと無遠慮に見つめられるのは気持ちのいい事ではない。逃れるようにそれとなく視線を逸らせば、軽やかな笑い声が返った。いかにも面白がっていますという表情でラクライは言う。
「君ってば、そんな可愛い顔もできたんだね。驚いた」
メレディスは沈黙した。少し考えて、口を開く。
「……あなたから見た俺は、どんなだった?」
「ははは、自分で聞くかあ。そうだね、少なくとも私の事を「あなた」とは呼ばなかったな」
ラクライはそう言ってメレディスの顔を覗き込む。長身なうえ高下駄を履いている彼女の上背(うわぜい)はメレディスより頭ひとつ高い。にんまりと笑ったまま、彼女は僅かに声を低くした。
「メレディス。君には過去の記憶は無いし、これから思い出せそうな感じもしないんだろ? じゃあ、いっそ何も知らないままの方がいいと私は思うぜ……なんてったって、メレディスは本当に、びっくりするくらいの悪い奴だったんだ」
「それは……もう知ってるよ。散々言われたから」
「まあ私も大概だけどね! でも自覚があるのと無いのとじゃあ大間違いだ。なあ、折角忘れられたんだ、ぜ~んぶ無かった事にして第二の人生でも送ってみるてもいいんじゃないの?」
「……そんなこと、できるわけないよ……」
自身の爪先に視線を落として、メレディスは呟くように応える。
「記憶は無くても俺がやった事だ。俺が償いをしなきゃいけない」
「……本当に、違う(・・)んだな。君は」
その言葉にメレディスは顔を上げる。ラクライは笑みを消して彼を見ていた。鋭い眼差しに射すくめられるメレディスをしばし見下ろしていた彼女だったが、ふと息を吐くと再び笑みを浮かべる。
「まあ、君の好きなようにすればいいんだけどね! めっちゃ見られてるから話はここまで。じゃあね~体には気をつけて~」
などと言いながらラクライはぴょんぴょんと飛び跳ねるようにメレディスから距離を取る。呆気に取られるメレディスの隣に、すっとジャンが並んだ。
「めっちゃ絡まれてたなお前」
「あ、あー……はい」
「まあ気にすんな、あいつ詐欺もやってるから口も回るだろうし」
「さ、殺人だけじゃなかったんだ……」
一体なにをしでかしたのか、訊くの恐ろしくなってメレディスはそれ以上追及するのをやめた。同時に、目当てのものを掘り出し終えたハルとカザハナがこちらへ歩み寄ってくる。例のごとく箱には魔法で封印がしてあるのでこの場で開けることはできない。早く中身を確かめるためにも、街に帰ってステファンと合流する必要がある。
ハルが箱をジャンに渡して荷物からアリアドネの意図を取り出す。その姿を見てラクライがえ~っ! と声を上げた。
「もう帰るの~!? そんなあ、せっかくのシャバなのに。早いよ~折角だしあの首なし鎧の相手でもしない? ほら~」
「ここのボタン押せばいいんだっけ?」
「おう」
「ちょいちょいちょい! 懲罰用の拘束具を気軽に使おうとするな! 本当に正義の冒険者かあ!?」
「別に正義って言ったこと一回もないけど」
応えるハルの声は冷え冷えとしている。メレディスは迷った末に、彼の代わりにアリアドネの糸を広げて周囲を囲んだ。首なし騎士とやらが何を指すのかはさっぱり分からないが、嫌な予感が現実になる前にさっさと脱出するのが吉である。
ステファンは呑気にパンをかじりながら、迷宮入口で一行の帰りを待っていた。彼は転移してきた五人と一匹を見るとにっこり笑って手を振る。
「おかえりなさ~い。無事見つかりました?」
「あった。これ」
「ここで開けるのも何ですし、評議会に戻りましょうか。そっちの人も牢屋に突っ込まなきゃいけませんし」
「そんにゃあ」
さりげなく牢屋に突っ込まれることが確定したそっちの人ことラクライがしゅんと肩を落とす。彼女の落胆はさておきステファンの言葉はもっともであったので、一行は特に異論もなく評議会の方向へと進みはじめた。
時刻はいまだ正午を回った頃だ。アイオリスの大通りはこれから探索に行く冒険者や辺りを見回しながら理想の昼食を求め歩く人々、そして彼ら彼女らの呼び込みに余念のない飲食店員であふれている。この街で暮らす人にとっては馴染みに光景なのだろうが、メレディスにとっては新鮮な眺めだ。きょろきょろと周囲を見回しながら歩いていた彼だったが、ふとある事に気付く。シュシャがいやに大人しい。
そういえば今日の探索中、彼女は前と比べて随分と静かだった。もしや体調でも悪いのだろうか。そう思って横顔を見つめ続けていると、おもむろに彼女が振り返った。常の三割増しで険しい顔をメレディスに向けて、シュシャは地を這うような声で問う。
「なんだよ」
「あいや、何でも……じゃなくて、気分でも悪い? なんか、元気なさそうだけど」
メレディスの問いにシュシャはむっと唇を尖らせて黙り込む。メレディスは彼女の応答を待った。数歩先では未だにごね続けているラクライを冒険者三人が囲んでごく冷静にいなし続けている。つくづく諦めの悪い剣士である。あのバイタリティを違法行為以外に向ければ大成していたのではないだろうか……と遠い目をしていると、隣のシュシャがぽつりと呟く。
「あの魔術師(ウォーロック)……一人だけ逃げたのずるいだろ」
「ステファンさんの事?」
「あたしだって行きたくなかったわあんなとこ……もう呼ばれても二度と行かねーからな……」
「……あ、もしかして怖かったとかそういう……ああ違う今のなし、ごめんそんな事ないですよね!」
向けられたシュシャの殺気まじりの視線にメレディスは思わず顔を背ける。何はともあれ体調が悪いわけではないようで一安心だ。
自分から執拗に視線を逸らすメレディスの後頭部を見上げ、シュシャはふんと鼻を鳴らした。心配しているなら最後まで責任を持って話を聞けばいいのに、それができないからこいつはダメなのだ、などと思いながら。
ラクライを衛兵に預け、一行は評議会の一室を借りて改めて箱に向き直る。今までと同じように封印の魔法を解き、蓋を開ける……箱の内側は今までとそう変わらなかった。今回は第二層に隠されていたものよりも枚数が多い――ざっと見る限り、第二層の地図が五階分と第三層の地図が二枚といったところだろうか。綺麗に畳んで収められていたそれらを取り上げてハルがふーんと呟く。
「また地図。もっと重要そうなもの遺しておいてくれればいいのに」
「いや、まだ何か入ってる」
ジャンが箱の中に手を突っ込み、隅に残っていたものを無遠慮につまみ上げる。それは小さな鍵だった。落としてしまったら探すのに苦労しそうな大きさのそれを顔の高さまで持ち上げ、ジャンは首を傾げる。
「どこの鍵だこれ?」
「さあ。隠しておくからには何か意味があるものなんでしょうけど」
隠した張本人であるはずのメレディスも含め、揃って首をひねる。そんな中、少し距離を取って一同を見守っていたシュシャが小さく声を上げた。
「鍵……」
「何か知ってるの」
「……お前らがカチ込んできたアジトに、鍵付きのチェストがあった。多分、鍵穴もそのくらいの……大きさだったと……思う……」
言ったはいいものの自信が無くなったのか、次第に小さくなる声でそう言ったシュシャに、他の四人は顔を見合わせた。メレディスはもちろん、実際にカチ込んだ冒険者三人にもそんな物があった覚えは無いようだ。だがシュシャはこの街に来てから数ヶ月あの隠れ家に滞在し続けていた唯一の人物である。一定の信憑性は持てるだろう。
「うーん、じゃあ行ってみるか。家具までは持ち出されてなかったよな?」
「中の物は押収されたけど家具自体は置いてたはず」
「一応まだ捜査中ってことで衛兵隊が押さえてるとは聞いてます。話を通せば入れるんじゃないですかね」
ステファンがそう言い終わるのと同時に、ハルが溜息を吐きながら立ち上がる。先に鍵を持って部屋を出て行った彼を、ステファンが待ってくださいよ~などと言いながら追う。最後に残ったジャンはメレディスとシュシャに向き直り、無言で二人を手招いた。メレディスは少し迷った。だが先にシュシャがソファを飛び降りて彼の元へ向かってしまったので、結局彼も一緒に行かざるを得なくなってしまったのであった。
メレディス一行が使用していた隠れ家は、アイオリスの中でもあまり活気のない地域にあった。評議会をはじめとした公的機関や宿屋に酒場といった冒険者御用達の施設、それから昼夜問わず人の行き来が絶えない大市などからは遠く離れた場所……常に薄らと暗く、不穏な空気の漂う古い通りである。
ならず者やアウトローが出入りする治安の悪い区画という事もあり、外から来た冒険者はもちろんアイオリス住民もこの辺りにはあまり近付かない。今こうして通りをずんずん歩いている自分たちも、当然周囲からは浮いた存在である。四方八方から飛んでくる訝しげな視線に、メレディスは居心地の悪さを感じた。どうしてこんな場所に拠点を構えたのかと過去の自分を問い詰めたいくらいである。
「あいつは隠れ家も金で借りたって言ってた。でも……あたしはあいつに家を貸したってやつの話を聞いたことがない」
帽子を深く被って顔を隠したシュシャが小さく呟く。
「住み始めた頃は余所者だからって食ってかかってきたヤツもいたけど、気付いたらいなくなってて、同じくらいの時に死霊の数が増えてた。そんなんで、やっぱり嫌だから抜けますなんて、言えないに決まってる……」
そこまで言ったところでシュシャは数歩後ろにいたメレディスをはっと振り返り、それきり黙り込んだ。ハルの隣を歩いていたカザハナが速度を落として彼女の顔を覗き込む。心配そうにクンと鳴いた白犬に、険しい顔のブラニーは何も応えなかった。
しばし歩いて、ようやく一行は目的地へ辿り着く。警備に立っていた衛兵に事情を話せばすんなりと中へ通された。そんなに簡単に入れてしまっていいのか? とメレディスは疑問に思ったが、ジャン曰くあの衛兵は顔見知りでこちらの事情も既に知っているから大丈夫なのだという。成程、とメレディスも納得した。道理でさっきから自分を見る目が厳しいわけだ。すみません、何か諸々ほんとうに。
物がすっかり無くなった室内はひどくがらんとしている。ステファンがちょんちょんとメレディスの肩をつついて、玄関のすぐ脇にある部屋を指さした。どうやらここが自分の使っていた部屋だったらしい。……予想通り、見たところでなにも思い出せなかったが。
最後尾にいたシュシャが先頭に立ち、狭い通路を進んでいく。彼女が足を止めたのは突き当たりの部屋の隅に置いてあるチェストの前だ。よく見てみれば確かにいちばん上の引き出しに鍵穴がついている。ハルが迷わずそちらへ歩み寄り、鍵穴に鍵を差し込んだ。
引き出しはあっけなく開いた。中に入っていたものは、紙の束だった――だが地図や日記ではない。一枚一枚をめくって中身に目を通したハルは顔をしかめる。
「何、これ。びっしり文字ばっかり」
「あ? あー……ステファン」
自力での読解を早々に諦めたジャンがカザハナの額を撫で回していたステファンを呼ぶ。紙束を渡された彼は、しばし無言で書かれている内容を熟読するとぽつりと応えた。
「論文ですね。ルナエ文化圏の学院で書かれたものはだいたいこの書式です。未発表の原文って感じですかねえ。表題は『魔術的干渉による瘴気の抑制と無毒化に関する研究』……著者サルヴァトーレ・フェリリ」
「誰」
「セリアンには馴染みが薄いですかね。「トト」って愛称なんですよ。「マリウス」が「マリー」になるみたいなもんです」
ステファンの迂遠な物言いに顔をしかめつつも、ハルはああ、と頷いた。つまり、トトと呼ばれていたあの死霊が生前に書いたものであるようだ。
「なんでそんなものがこんな所にしまわれてるのさ」
「さあ。彼を死霊にしたらおまけで持ち出せてラッキー、とかそんなところじゃないですか。瘴気使いの力と瘴気から身を守る知識を同時に得られたんですし」
ハルとステファンのやり取りを聞きながら、メレディスは開けっぱなしの引き出しをじっと見た。紙の束が取り出された今、中身は完全にからっぽだ。この根城の主だった男の足跡になりそうなものは、もう何も残されていない。
さて、自分はいったい何故その論文とやらをこんなところに隠しておいたのか。彼にはまったく分からないし、正直なところ自分自身の問題だとはまったく思えないのだ……こう思うのも最早何度目か分からないが、メレディスにはどうしても、周囲の人々が言う「メレディス」と自分が同じ存在だと感じられない。
本当に記憶を失ったとして、考え方や価値観まで変わるものか? いま自分が抱いている行き場のない罪悪感はどこから来たものだ? どうして自分は入れ込んでいたはずの「あの冒険者」や彼が遺した地図のことを見聞きしても何も思わないのか?
――本当に自分はメレディス・コーディアなのか?
「……とにかく、この論文はトトの関係者に返すのが筋ってもんだろ。評議会に話つけて……」
「他に何か隠されてそうな場所とか無いわけ?」
「無い。あってもあたしは知らない」
ハルの問いにつっけんどんに答えるシュシャの声を聞きながら、メレディスはふと顔を上げる。視線の先にはちょうど窓がひとつあった。薄く埃を被った木枠の向こうから、微かに赤い西日が漏れている。気付けばもう夕暮れ時だ。明日もまた探索だろうか。……探索が終わった後、自分はいったいどうなるのだろうか。
当然、答えは無かった。もし自分が本当に「メレディス」であったなら、きっと求める答えもすぐに見つけられたのに。
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