皇帝ノ月一日――新たな一年の始まりを告げるハレの日ともあって、エトリアの街は混沌とした賑わいを見せていた。家族で穏やかな一日を過ごす者、親戚や仕事の関係者への挨拶回りに忙しい者、それぞれの神に祈る者、そうした人々のうねりを前に、今がかき入れ時と軒先で声を上げる商人。至って変わらない、例年通りの年始であった。

 そんな騒がしい通りをひとりの若者が歩いている。薄汚れた白い上着を羽織った、軽装の男だ。腰にはこの辺りでは見かけない柄の織物を巻き、その下には剣を一本差している。どう見ても一般人ではない、戦いを生業としている者の装いである。彼は人混みの中を縫うように進みながら、何かを探している様子でしきりに辺りを見回していた。

 やがて彼が足を止めたのは、街の中心部に位置する酒場の前だった。軒先に吊り下げてある看板には「金鹿の酒場」と書かれている。彼は喧噪に揺れる看板を見上げてひとつ頷くと、彼は扉を押し開けて建物の中へ入っていく。年始の一日目という記念すべき日であるにも関わらず、酒場は多くの客で賑わっていた。カウンターの向こうで酒の用意をしていた店主が新たな客に涼しげな目な視線を向ける。彼女に会釈しつつ、青年はテーブルを囲む客たちの隙間に目当ての姿を探す――。

「……あっ! 来た来た! こっちだよ!」

 高い声につられて振り返れば、見覚えのある少女が椅子の上に膝立ちになってこちらに手を振っていた。青年は苦笑する。他の客たちが向けてくる怪訝そうな視線を受け流し、彼女の元へ向かう。

 少女が腰かけた椅子の、テーブルを挟んで反対側に女がひとり座っていた。踊り子風の装束を身に纏った艶やかな雰囲気の女である。彼女は空いていた椅子を青年に差し出しながらゆるりと微笑む。

「時間ぴったりね」

「約束はきっちり守らないとな。こういうのは仕事上の信用にも関わってくるし」

 青年が軽い調子で返せば、女は小さく笑って彼にあるものを差し出す。一枚の紙と、ペンである。青年はそれらを手に取ると迷いのない手つきで紙面にペンを走らせる。

「……はい、書けた。これ以外の手続きは要らないんだよな?」

「ええ、あとはギルドに提出するだけ」

「じゃあ早く提出しに行こうよー。そしたらちょっと、あっちも覗いていこ? ね?」

 可愛らしく小首を傾げて少女がねだる。女は肩をすくめて青年を見た。青年も曖昧な笑みを返して、それから机の上に置いた紙み視線を落とす。

 見るからに上等な素材で作られた紙のいちばん目立つ場所には、「冒険者ギルド登録証」と記してある。その下に書き連ねた名前の三番目が、彼の名前だ。そう、彼はこれから「冒険者」になるのだ。かの有名な世界樹の迷宮に挑む、命知らずのひとりとして。


 青年の名はゼノン・フローライトという。出身は北方のラガード公国の所領である、ハイランド地方と呼ばれる山岳地帯だ。彼はそこに古くから住まうハイランダーと呼ばれる民の、ごくごく小さな氏族の一員である。

 数年前までは故郷である隠れ里で暮らしていたが、諸事情があって里を離れて以降は流れの傭兵として各地を転々としている。幸いそれなりに腕が立ったので、今まで食うのに困ったことはない。というのもハイランダーという部族は遙か昔から武芸ばかり磨いて戦いに明け暮れていた生粋の戦闘民族なのだ。当然ゼノンも幼少の頃から伝統の技の手ほどきを受けている。お陰で剣の扱いには多少なりとも自信がある――ハイランダーのシンボルとも言える広刃の槍は、最後まで巧く扱えないままだったが。

 傭兵であるゼノンが冒険者になった理由はごくシンプルで、「一緒に迷宮に行かないか」とスカウトを受けたためである。傭兵としての技量を見込んで、用心棒代わりに迷宮へ連れていきたい……などと言われた気がするが、正直そのあたりはどうでもいい。ゼノンにとって重要なのは、その「依頼」に対する報酬だった。

「正直、まだ疑ってるけどな……得られた稼ぎに応じて月ごとに歩合で支払うってのは良いとして、装備代とか宿代とか食事代とか、ぜんぶそっち持ちってマジ?」

「あら、ご不満?」

「逆だよ逆。あまりにもうまい話すぎて、いつ奴隷として売られるかってヒヤヒヤしてるとこ」

 冒険者ギルドでギルド登録証を提出したその足で町外れまで向かう道すがら、ゼノンが冗談交じりにそう言えば女はうふふと笑う。彼女はティファレトという。何も考えずにエトリアの街に辿り着いて「しまったここ冒険者の街だから仕事ないわ」とボンヤリしていたゼノンに声をかけ、あれよあれよという間に労働契約までこぎつけてしまったやり手の雇い主である。

「売ったりなんかしないわ。ハイランダーは珍しいもの、構造(なかみ)を暴いてからじゃないとね」

「……あー、本当に逃げた方がいいやつ?」

「冗談よ!」

 思わず剣に手をかけながら距離を取ろうとしたゼノンに、ティファレトは声を上げて笑う。ゼノンは溜息を吐いた。ちょっと特殊な能力を持つド田舎の少数民族に向かってそんな事を言うのは冗談でもやめてほしい。危うく本気にしてしまうところだった。

「ハイランダーが珍しいからっていうのは半分本当。人手不足で困ってたの。腕の立ちそうな傭兵がフリーでいたから、チャンスだと思って声をかけたのよ」

「確かに、探索の推奨人数は五人らしいけどまだ三人しか集まってないもんな」

「本当にそうなのよ。私はちゃんとメンバーを集めてから挑戦したいんだけど……」

「そんなのつまんないよーっ!」

 と、急に割り込んできたのは数歩先を歩いていた少女だ。ティファレトが呆れた調子で彼女を諫める。

「ケテル。つまるかつまらないかの問題じゃないのよ」

「でも、いつまでも集まらないメンバーを探して街で準備してるだけじゃ、錬金籠手(アタノール)が錆びついちゃうよ! ゼノンだって本番の探索の前に迷宮がどんな場所か見ておいた方がいいでしょ?」

「んもう……」

「僕は別に良いぜ。中を覗くったって、魔物と戦うとかそんなんじゃないんだろ?」

 ゼノンがそう言えば、ケテルはにんまり笑ってその場でくるりとターンした。その勢いのまま、軽やかな足取りで先導していく彼女――見た目と声の高さから勝手に女だと判断してしまっているが、よく考えたら本当にそうなのか確信がない。ゼノンは後でそれとなく確かめてみようと心に決めた――を見て、ティファレトは溜息を吐く。

「ほんと、仕方ない子なんだから。ごめんなさいね、付き合わせちゃって」

「いいって。……おたくらどういう関係?」

「う~ん、一言じゃ形容しづらいわ。見てのとおりって感じかしら」

「いつまで喋ってるの! ほら、ここだよ!」

 ケテルがぴょんぴょんと跳ねながら振り返る。彼女の示す方へ視線を向ければ、そこには鬱蒼とした森とその中へ続く一本の道があった。道の左右には衛士が立ち、微動だにしないまま通行人たちの一挙一動を観察している。

 ここが、世界樹の迷宮の入口だ。ゼノンは辺りの様子を注意深く観察した。見た限りでは普通の森とさほど変わらないようだが、むしろ変わりがなさすぎるようにも感じる。果たして今のエトリアは、こんなに植物が生い茂るような季節だっただろうか?

「ねえ仮登録証出してってば。早く中見てみよっ」

 ケテルが待ちきれないといった様子でティファレトの腕を引く。ティファレトは鞄を探って冒険者ギルドの仮登録証を取り出すと、迷宮に入る許可を得るため見張りの衛士に近付いていった。ゼノンはご機嫌に左右に揺れるケテルの隣で彼女のふわふわ跳ねる金髪を見つめる。いやに楽しそうだが、いったい何がそんなに楽しいのか。

「だって退屈だったんだもん。エトリアまでずっと馬車の乗り継ぎばっかりでさあ」

「ああ……確かにこのへん僻地だもんな。迷宮以外に名所があるわけでもないし」

「着いたら着いたでメンバー集めなきゃいけないっていうし。もーうんざり! だからぼく、ゼノンには感謝してるんだよ。仲間がいれば迷宮に行けるもんね」

 そう言ってケテルはにっこり笑った。ゼノンは苦笑する。こちらとしては流れで雇われただけなのだが、それで喜んでもらえたのなら何よりだ。

 衛士の許可を得たティファレトが戻ってくる。跳ねるように駆けて彼女の元へ向かうケテルの後を、ゼノンも追った。さて、噂に聞く世界樹の迷宮とはいったいどんな場所なのか。いっちょ見物といってみよう。


 鬱蒼としている、というのが第一印象だった。世界樹の迷宮第一層、翠緑ノ樹海と呼ばれるその森は、いたって「普通」の森であった。頬を撫でるそよ風は心地よい湿り気と僅かな青臭さを運び、視線を上げれば鮮やかに茂る緑の隙間から木漏れ日が射し込んでくる。ゼノンはちょっぴり眠くなってきた。森の空気にはナントカという成分が多く、リラックス効果があると聞いたことがある気がするが、そのせいだろうか。

「あの子もかなりのものだけど、あなたもけっこう呑気ねえ……」

 ティファレトが呟く。ゼノンはうっかり出かけたあくびを噛み殺して腰の剣に手をやった。

「まあ、ほら、あれだよ。出入口の辺りには魔物は出ないんだろ?」

「出にくいとは聞くけれど、だからといって安全ってわけじゃ……ケテル! あまり先に行かないで」

「大丈夫だよー。そこの広場までだからっ」

 軽く応え、ケテルはてくてくとひとりで先に進んでいく。二人は早足で彼女を追った。出入口から北へまっすぐに伸びる通路を進んでいくと、大きく開けた空間がある。エントランスホールじみたその場所にはちらほらと冒険者の姿もあり、あからさまに危険そうな雰囲気は無い。茂みに咲く小さな花を物珍しげに観察しながら、ケテルは楽しげな声を上げる。

「ここが世界樹の迷宮! すごーい、森だー」

「それは確かに森だけれど。私たちは遊びに来たんじゃないのよ」

「分かってるよ」

「そういやおたくら何しに迷宮に来たの? 見たところ、金に困ってるとかじゃなさそうだけど」

 ゼノンの何気ない質問に、ティファレトとケテルは顔を見合わせる。少しの間逡巡した後、ティファレトが微笑みながら口を開いた……その時、彼女の背後の茂みが大きな音を立てる。

 はっと振り返る彼女を押しのけて割り込んだゼノンが剣を抜く、同時に草葉をかき分けて近付いてきていた何かが勢いよく飛び出してきた。

 人間である。若い女が二人、体のあちこちに葉っぱや泥の汚れをくっつけて必死の形相で走っている。先に飛び出した金髪の女と目が合った――彼女は驚いたようにゼノンを見ると、強張っていた顔を僅かに緩ませる。

「冒険者! ごめんなさい、助けて!」

「は? ……!」

 唐突な頼みの真意は問い返すまでもなく明らかになった。少女たちを追って茂みから現れたのは両の手に鋭い鉤爪を持つモグラのような魔物だ。ゼノンが咄嗟に剣を構えれば、モグラは彼に向かって勢いよく飛びかかってくる。

「うっ……お!?」

「わーっ! 戦いだー! ちょっと待って術式の準備しないと!」

 背後でケテルが声を上げている……が、ゼノンはそれどころではない。何故なら、たった今剣で弾き飛ばしたモグラの後ろにはもう一体のモグラが待ち構えているのだ。見間違いでなければ青い翅の巨大な蝶々の姿も見える。多人数を庇いながらひとりで複数体の魔物を相手にするのは流石に無理だ。他の冒険者は……と視線を巡らせたが、助けになってくれそうな者がいる様子はない。

「伏せてーっ!!」

 準備を終えたらしいケテルの叫びに咄嗟に頭を下げれば、冷たい空気がつむじを掠めて飛んでいく。氷の術式の直撃を受けたモグラは大きく仰け反って倒れるが、すかさずもう一体のモグラが鉤爪を振り上げて向かってきた。頭部を狙った刺突は頭蓋の丸みに軌道を逸らされる。その間に近くまで飛来してきていた蝶々に、ゼノンは対応できなかった。

 目の前で鮮やかな水色の翅(はね)が翻る。まずい、と思った次の瞬間、視界を遮るように割り込んできた何かが、蝶を文字通り叩き潰した。

 よく見ればそれは盾である。騎士が持つような大きな盾を地面に叩きつけた姿勢のまま、緑の髪の女――モグラたちから逃げてきた二人のうち、金髪でない方がゼノンを振り返る。彼女は泣いていた。涙と鼻水をとめどなく流しながら、ベチョベチョの顔でゼノンに言う。

「ごっご、ごべんなさあい!! あたっあたしがドジなせいで、ご迷惑をおお……」

「エル! 前! 前見て!!」

 背後から聞こえてきた声に、女は弾かれたように振り向いてもう一度盾を構える。飛び込んできたモグラの爪が盾の表面を抉った。ゼノンはすかさず踏み込んで、無防備に晒された魔物の腹に剣先を突き立てる。

 鈍い断末魔を残して動かなくなったモグラを剣から振り落とし、もう一体の行き先を探す……までもなかった。最後に残ったモグラがケテルの放った雷の術式を浴びてぱたりと倒れ込み、ようやく周囲に静寂が戻る。二本指を立てて得意げに笑ったケテルに立てた親指で応えつつ、ゼノンは剣を収めて振り返る。

 緑髪の女は相変わらず顔面をベチョベチョにしたまま、あうあうと声を漏らしている。彼女を見兼ねたように前に出た金髪の方の女が、ぺこりと頭を下げた。

「巻き込んじゃってごめんなさい。でも助かったよ。ありがとうございます」

「ほんとだよー。びっくりしちゃったじゃない!」

 ケテルがぷりぷりと怒って頬を膨らませる。ティファレト――彼女はゼノンがモグラたちを相手にしている間に、逃げてきた二人組の手当てをしていたらしい――が、引っくり返した荷物を片付けながら苦笑した。

「そうねえ、倒せたから良かったけれど」

「あっあのその! 違うんです……ヴィオちゃんは悪くなくて……あたしが…………」

 忙しなく視線を泳がせながら緑髪の女が言う。そんな彼女を横目に困ったように笑いながら、金髪の女はそういえば、と口を開く。

「まだ名乗ってなかったね。わたしはヴィオレッタ、こっちがエルフリーデ。見ての通りの新人冒険者です」

「新人が二人だけで迷宮に入ってたの? ずいぶん無茶するのね」

「それがお金に困ってて、二進も三進もいかなくて。彼女は盾が使えるし、わたしは治療ができるから、魔物にやられることは無いだろうと思ってたけど……やられなくても相手を倒せなきゃ意味がなかったね」

 ぜ?んぜん気付かなかった。と呑気に笑うヴィオレッタの隣で、エルフリーデはますます肩を縮こめる。

「あ、あたし……あたしが道を間違えて、モグラの巣を踏んじゃって……だからその、ヴィオちゃんは何も……うう……ごめんなさい……」

「そんなに気にしなくていいのに」

 けろりとした様子のヴィオレッタと終始申し訳なさそうなエルフリーデは、傍目から見ても対照的である。ケテルがそっと耳元に口を寄せて、変わった子たちだね~。と囁いてきたので、ゼノンもひとまず頷いておいた。どこが変わっているかと言えば、たった二人で迷宮に入っているあたりが特に変わっている。

 変わった冒険者の様子とそれを見た二人のやりとりをじっと見つめていたティファレトは、しばし何事か考え込んでいる様子だった。その間に、ゼノンの腕にモグラと組み合った際にできたらしい傷がある事に気付いたヴィオレッタが鞄から薬品を取り出す。彼女が流れるような手つきで始めたのは一般的な薬品を用いた手当てではなく、薬品を触媒に発動する「医術」と呼ばれる回復術だ。

 ティファレトはうーんと唸って、やがてひとつ頷くと荷物の中からギルドの仮登録証を取り出した。ここで出会ったのも何かの縁で、星の導きである筈だ。きっと。


     ◆


 冒険者ギルドの推奨するパーティー人数は五人であるが、五人揃っているからといって安全に探索できる保障があるというわけではない。結局人数に関わらず壊滅する時は為す術もなく壊滅するし、新人ばかりのギルドなら尚更である。

「ほ、本当にあたしで良かったんですか……?」

 と、五人分の名前が記された仮登録証を握りしめながらエルフリーデが言う。

「こんなドジで鈍臭くてダメダメなあたしなんかをギルドに入れたら、ものすごく危ない目に遭っちゃうかもしれませんよお……」

 やはり、この調子である――ティファレトが彼女たちに「ギルドに入らないか」と持ちかけて以降、エルフリーデはずっとこの調子でゴニョゴニョ言っている。ギルドへの登録が終わった今でもだ。当初こそ何故こんなに卑屈なのかと不安になったが、相方のヴィオレッタ曰く彼女はこれが普通らしいのであまり気にしない事にした。

 際限なくゴニョゴニョ言い続けるエルフリーデに、ケテルが錬金籠手をいじりながら応える。

「大丈夫大丈夫! その時はきみを囮にして逃げればいいだけだから」

「えっ、えええっ……!」

「ケテル! 余計なプレッシャーかけないの!」

 ティファレトの注意を気にした様子もなく、ケテルは軽やかに笑って逃げるように駆けていく。ティファレトはひとつ溜息を吐くと盾を握りしめて俯くエルフリーデに微笑んでみせる。

「あの子のことは気にしないで。私たちもメンバーがなかなか見つからなくて困っていたし、あなたたちも探索をするなら頭数は多い方がいいでしょ」

「そうだよエル。折角のチャンスだし、頑張ってみよう?」

「そ、そうかな……そうだよね、折角誘ってもらったんだもんね。あたし頑張る……!」

 両の拳を握りしめて気合を入れるエルフリーデにうんうんと頷き、ヴィオレッタも他の三人の方へと向き直る。

「もちろん、わたしも頑張るよ。それで何をすればいいんだっけ?」

「まずは……ミッションに挑戦だな。なんか地図描けばいいらしいぜ」

 そう言いながら、ゼノンは手元にあった羊皮紙を差し出す。冒険者ギルド仮登録の身分から脱却し、正式な探索許可を得るためには、エトリアの統治組織である執政院から発令されるミッションを完了する必要がある。そのミッションの内容というのが、迷宮地下一階を探索し、指定範囲の地図を作成することなのだ。

 しかし、当然の事ながらここに集まっている五人は全員が探索初心者だ。迷宮の地図描きなど経験があるはずもない。ゼノンが差し出した地図を前にしてそれぞれがお互いの出方を窺うように顔を見合わせる中、ティファレトが仕方ないわねえと手を伸ばす。

「こういうのは最初が肝心だものね。しばらくは私が描くわ……」

「あ、じゃあ描き方を教えてもらってもいいかな?」

 ティファレトの肩から顔を出したヴィオレッタが、はにかみながら地図を覗き込む。

「誘ってもらったんだし、ちょっとは役に立ちたくて」

「…………」

 驚いたように彼女を振り返ったティファレトは何度か目を瞬かせて、それから少し離れた場所でご機嫌に体を揺らしていたケテルに視線をやった。そして少女と目が合うと今日何度目かも知れない大きな溜息を吐く。

「見習ってほしいものだわ……」

「なんでーっ! ぼくはいるだけで仕事してるもん、だってかわいいから! ね、そう思うでしょ!?」

「えっ、え、ええとお……?」

 けたたましく吼えるケテルと彼女に絡まれて困惑するエルフリーデをよそに、ティファレトとヴィオレッタは地図の描き方講座を始める。四者四様の光景を眺めていたゼノンは、どこか懐かしいような気持ちで腰に差した剣の位置を直した。女が何人か寄ればかしましい、とはよく言ったものだが、どの場所の誰であってもだいたいそれは同じであるらしい。

 幸い、ミッションには日数の期限や探索方法の制約などは無いようだった。ゆっくり時間が取れるのを良いことに最初の数日は迷宮出入口付近での訓練に費やし、ようやく本格的な探索に乗り出そうという事になったのが一昨日の事である。探索を進めては適度なところで撤退を繰り返し、いよいよ地図の完成も見えてきたというところで今日に至る。

「つっても……だいたい見たことある魔物ばっかりだし、この調子なら楽にいけそうだけどな」

 貫いた森ネズミの死骸を放り捨てながらそう言って、ゼノンは辺りを見回す。現在一行がいるのは大広間を抜けて東側の通路を南に進んだ先、迷宮出入口の裏側にあたる場所だ。出入口の裏側、というのも妙な話だが、要は階段の裏である。この階層は半地下の構造になっているため、地上から出入りするには階段を下りてくる必要があるのだ。

 頭上を覆う緑に阻まれて普段より少し遠くなった空を見上げながら、彼はひとつ息を吐く。

「しかし、一体どこまで続いてるんだろうなこの道……けっこう歩いたよな?」

「そうだね。ほら、そろそろこっち側に回り込めそう」

 羊皮紙にペンを走らせていたヴィオレッタがそう言って描きかけの地図を見せてくる。促されるがまま覗き込んでみれば、確かに探索を続ける内に出入口のちょうど真裏にあたる場所はとうに通過し、そろそろ西側に出ようという地点まで移動していたようだ。

「この先そんなに広い空間があるわけじゃなさそうだし、そろそろ行き止まりだと思うんだけど」

「うーん、ここの奥で指定の範囲埋まりそうだよな。今日で終わらせられるんならそうしたいとこだが……ってかお前、地図描きマスターしてるじゃん。早くね?」

「こういうの得意だったみたい」

 にっこり笑って指の内でペンをくるくる回すヴィオレッタに、ゼノンはそう……と頷いた。彼もティファレトの地図描き講座を聞きかじってはみたが、まったく理解できなかったので習得を諦めた経緯がある。ケテルはやる気がないようであるしエルフリーデも紙とペンを破壊して終わりそうな中、ヴィオレッタにやる気と素質の両方が備わっていたのはこの上なく幸運と言えるだろう。

 気を取り直し、改めて辺りを見回す。今のところ魔物が襲ってくる気配は無いようだ。そろそろ先に進んだ方がいいだろう。

「おーい、終わったか?」

 振り返って声をかければ、先ほど倒した魔物の傍にしゃがみ込んでいたケテルが顔を上げる。魔物の死骸から換金できそうな素材を回収するのは彼女の仕事だ。ゼノンはネズミの牙か皮あたりが回収できているものだと思っていたが、予想に反して立ち上がったケテルの手には何も握られていない。どうしたのかと訊けば、彼女は困った表情で答える。

「いや、エルフリーデに剥ぐの手伝ってもらったら、全部ちぎれちゃって……」

「……あー、そう……」

「うう……ごめんなさあい……」

 全部ちぎれた拍子に飛び散ったらしいもので手を汚したエルフリーデに、荷物の整理をしていたティファレトがそっと布きれを差し出す。薄々分かっていた事だが、細かな作業を彼女に任せるのはやめた方がよさそうだ。

 まっすぐ進んだ先の通路が行き止まりである事を確かめ、一行は北に伸びる分かれ道へ足を向ける。ヴィオレッタが今までに描いた地図が正しければ、この道の先を記録すればミッションで指定された範囲の作図は完成するはずだ。

「あの開かない扉の向こうは地図に描かなくてもいいんだよね?」

「ええ。あそこ、まだ誰も開けた事がないんですって。あの水晶の結界を破る方法が見つかれば、どうにかできそうなのだけれど」

 ティファレトの返答にヴィオレッタがふんふんと頷き、地図に何事かメモを書き込む。迷宮の中に扉とは? と思われるかもしれないが、この迷宮は至る所に空間と空間を隔てる扉が存在しているのだ。

 森の中に扉、というと不自然なように見えるが、聞いたところによると世界樹の迷宮では普通の事らしい。逆に言えば、こうした他所では見られない特異な構造物こそが、世界線の迷宮を特殊な場所たらしめる理由なのである。ちなみに扉は見かけによらずけっこうスムーズに開く。誰かが油を差している訳でもないだろうに何故ああも簡単に開閉できるのか、謎は尽きない。

「不思議だねえ。もっと先に進んだら、ぼくらが見たこともないようなモノが出てきたりして」

「例えば、どんな?」

「想像できるようなものだったら楽しくないでしょ! 実際に見てみなきゃわかんないよ」

 ケテルの弾んだ声を聞きながら、ゼノンは小さく笑った。確かに彼女の言う通りだ。世界樹の迷宮の底に何があるのか――実際に見てみたいものである。自分がそこまで行けるとは到底思えないが、まあ夢は現実味のないものを見てこそだろう。

 道の脇から飛び出す枝葉を避けつつ先頭を歩く。ふと、靴の裏から伝わる草の柔らかな感触に首を傾げた。今まで歩いてきた道は、冒険者たちが頻繁に行き来するせいか自然と草の剥げた道ができていた。しかしこの道にそんな様子は無い。あまり使われない道なのだろうか? いくら端にあるとはいえ、ミッションで指定されている範囲に人の往来が無いというのもおかしな話だが……。

「あそこが突き当たりね」

 ティファレトの声に我に返って顔を上げる。彼女の言葉どおり、通路の先にひらけた空間が見えた。風に乗って薄らと甘い香りが漂ってくる……花畑のようである。

「わっ! 花だあ!」

 ケテルが声を上げて、足元に咲いていた花を一輪摘み取る。名も知れぬ小さな花は突き当たりの広間の地面を埋め尽くすように咲き乱れ、甘ったるい香りを辺り一面に振り撒いている。穏やかな空間であった。ともすれば、ここが危険な迷宮の一角だという事すら忘れてしまいそうな程に。

「のどかだな~……」

「魔物がいなさそうだったら、ちょっと地図の整理してもいい? 描けたのはいいけど、メモとかごちゃついちゃってて」

 ヴィオレッタがそう言って地図の束を掲げる。ゼノンはティファレトを見た。辺りを見回して敵の気配が無いか窺っていたらしい彼女は、ゼノンの視線に気付くと小さく肩をすくめて、そうねえ、と顎に手を添えた。

「長居はできないけれど、少しなら」

「じゃあ、すぐに終わらせるね」

 そう言ってその場にしゃがみ込み、ヴィオレッタは地図の整理を始める。ティファレトも彼女の傍に近寄って手伝い始めたので、残されたゼノンは反対方向を見る。広間のちょうど中央あたりではケテルが座り込んで何かを拾い集めていた。何をしているのかと訊けば、摘んだばかりらしい草の束を差し出される。

「……これ苦ヨモギか?」

「そう! 皮や牙よりは高く売れるかもしれないでしょ。今のうちに採っておこうと思って」

 ケテルはそう言いながら機嫌良く花をかき分けて苦ヨモギを摘み取っていく。苦ヨモギってこのへんでも薬用に使ったりすんのかな~とぼんやり考えながら彼女から視線を外したゼノンだったが、ふとある事に気付いて目を瞬かせた。

 エルフリーデである。彼女は盾に隠れるようにして、広間の隅に佇んでいた。視線は足下に向いている。ゼノンは少し考えて、わざと足音を立てながら彼女の近くまで近付いていく。

「よ、調子どうよ」

「! え、ええと……大丈夫です。あの、あたし……その……すみません……」

「え? いや謝ることないけど……」

「あっ、あ……うう……すみません……」

 ゼノンはうーんと首を傾げる。ちょっと世間話でもしようと思って話しかけただけなのだが、それで萎縮させてしまっていては本末転倒だ。しかしこのパーティーで前衛に立てるのは自分と彼女の二人だけである。可能な限りコミュニケーションを取って、連携できるようにしておきたいのだが。

 ただ、相手がこの調子である以上自分から接触していく他あるまい。ゼノンは腹を括って再びエルフリーデに話しかける。

「お前ってさ、盾使ってるけど騎士かなんかなの?」

「あ……ええと、あたしは……違います。お、……家の人が、その、そう……です」

「そうなんだ。いや、鎧は着てないけど盾はうまく使うなってずっと思ってたから」

「……そう……ですか。…………」

「…………」

 会話が続かない。ゼノンは不安になった。もしかすると話下手なのは自分の方ではないかという気さえしてくる。だが、ここで退いては相互理解など夢のまた夢である。傭兵としてきっちり依頼をこなすためにも、ここは何とか踏ん張らなければ。

「……あー、そうだ。ヴィオレッタとはどういう関係? 仲良いのは分かるけど、訊いたことなかったよな」

「ヴィオちゃんは……」

 エルフリーデの視線が僅かに上がった。少し離れた場所で荷物と地図の整理を続けているヴィオレッタの横顔を見つめながら、彼女は呟くように答える。

「お友達なんです。あたしなんかと仲良くしてくれて……一緒に冒険者になろうって誘ってくれて」

「ああ、それで二人で迷宮にいたのか」

「はい……でもあたし、自信がなくて、……こ、こんなんじゃ駄目ですよね……ヴィオちゃんや皆さんを守らなきゃなのに……」

 そう言うエルフリーデの手は盾を強く握りしめている。ゼノンはしばし沈黙した。同時に、やっぱり自分は話し上手なんかではないな、と痛感する。なにせ自信が持てない年下の女の子にかける言葉など、今まで考えた事すら一度もないのだ。

 それでも何か応えようと口を開こうとした、その瞬間だった。俯いていたエルフリーデが弾かれたように顔を上げ、盾を振りかぶりながら駆けだす。はっとしたゼノンが振り返った時には、彼女は既に盾を振り抜いていた。

 金属盾の重みと衝撃を受けて勢いよく地面に叩きつけられたそれは、毒々しい色合いをした蝶だ。一匹だけではない。茂みの奥の暗がりにもう二匹、鱗粉(リンプン)を散らしながら飛んでいるのが見える。

「敵襲!」

 一声叫びながら、エルフリーデが叩き落とした一匹を刺し貫く。胴を裂いてすり潰すように踏みつけてから、残りの二匹がいる方へ目をやる。エルフリーデは既にそちらへ向かっていた。剣と盾を手に応戦している彼女だったが、一匹を相手にしている隙にもう一匹が守りをすり抜けた。

 紫色の翅が空中で大きく羽ばたくのを見たゼノンは、すかさずその真下へ駆け込んで剣を突き上げる。刺突を受けた蝶が動きを止めて地に落ちるのを確かめ、顔面に降りかかった鱗粉を拭う。同時に視界の端で閃光が走った。まだ息があった魔物をきっちり仕留めきったケテルに感謝しつつ、エルフリーデが食い止めているもう一匹の方へ向かう。

 背後からティファレトの歌が聞こえる。旋律に組み込まれた術式が力を強めてくれる感覚。剣を構えて大きく踏み込み、ひらひらと舞う翅に向かって思いきり突き刺した。羽ばたきのバランスを失った蝶が不規則な軌道で落下していく。

 よしとどめを、と構えを取り直そうとしたゼノンだったが、急に視界が歪む感覚に思わず膝をつく。あっ、と思った時にはもう遅かった。喉奥からせり上がってきたものを吐き出すのと同時に、彼は地面に倒れ込む。

 状況は分からないが口の中に広がる感触と味が明らかに血だったので、これはまずい、という事だけ理解できた。ケテルが術式を放つ音。「よし!」と声がしたので恐らく最後の一匹も仕留めたようだ。ほぼ同時に忙しない足音がドタドタと近付いてくる。

「ぜぜゼノンさあん!? だっだだ大丈夫ですかあ! ヴィっヴィオちゃん! 血が、血が……」

「見せて! ……ここじゃ治療できない。街に帰ろう。エル、背負って」

「う、うん……!」

 大きく頷くと、エルフリーデはゼノンの体を軽々と背負い上げる。ゼノンは年下の女の子にあっさり背負われた事実に僅かに残っていた意識でショックを受けた。が、それよりも今のうちに言っておきたい事があったので必死の思いで唇を開く。

「え……エルフリーデ……」

「はいいっ! どうしましたかあ!」

「お前十分すごいって……さっきの奇襲……反応してくれて助かっ……ヴッ」

「ぜっぜっゼノンさん!? ゼノンさーん! 死んじゃ駄目ですー!!」

 エルフリーデが大騒ぎする声を聞きながら、ゼノンは意識を手放した。結局、彼は女性陣が全速力で元来た道を戻って街へ帰り、そのまま施薬院に駆け込んだ事で何とか死なずに済むのだが、その辺りのてんやわんやはここでは割愛する事にする。


 ゼノンが回復し、探索に復帰できるようになったのは、彼が迷宮で血を吐いてぶっ倒れてから二日後の事だった。随分早く退院できるという事で担ぎ込まれた本人も驚いたが、それも施薬院での治療が迅速かつ的確であったお陰である。というのも、冒険者がああして運ばれてくるのはよくある事なので処置には慣れているらしい。果たしてあんな事がよくあっていいのだろうか。

「酷い目に遭った……」

 ひとりで施薬院まで迎えにきたケテルと連れ立って歩きながら、ゼノンはぼやいた。隣を歩いていた少女は肩をすくめる。

「あの蝶、毒アゲハっていってもうちょっと下の方にいる魔物なんだって。新人冒険者のよくある死因のひとつだとか」

「ああ、成程ね……鱗粉食らったのが駄目だったんだな。次からは気を付けないと……」

「次もあるんだ。辞めますって言うんじゃないかって思ってたよ」

 ケテルの素朴な問いにゼノンは唸る。簡単に言わないでほしいものだ……こちとら仕事が無ければその日の晩飯が食えるかどうかすら危うい身であるのに、降って湧いた好待遇の依頼を放り出すわけにはいかない――いくら命の危険があろうと、だ。

 ゼノンは傭兵である。命を懸けて戦うことで対価を得るのが仕事で、そこに仕事の内容を選んでいられるような余裕は無いのだ。

 単純に金を得たいだけなら他にいくらでも方法はあるというのは、それはそうであるけれど。しかし、里を離れた流浪の身であるゼノンにとって、あくどい手を使わず真摯に傭兵として働くというのが、ちっぽけなプライドを守る最後の方法だった。

 彼は故郷を追われた身である。どれだけ生活に困っても、命の危機にさらされても、里にいる家族の元には帰れない。

「飯と寝床とカネと、ついでに総ての正義のために……ってな」

「?」

「何でもない。……ところで、今回の入院で報酬天引きされたりしないよな?」

「さあ……そのへんはティファレトと交渉して」

 ぼくはしらないも~ん、と歌うように言いながら数歩先を駆けていくケテルの行く先に、別行動を取っていた残りの三人の姿が見える。ゼノンが施薬院で伸びている間にミッションの完了報告を行い、ギルドは無事正式な探索の許可を得ることができたと聞いている。今日もこれから探索だ。

 他の面々は既に装備と荷物を整えていて準備は万端のようだ。ゼノンも剣を腰に差し直し、大きく息を吐く。さて、今度こそ上手くやろう。本当に世界樹の奥底まで行けるなどとは思っていないけれど、一階や二階で終わってしまっては流石にちょっと、示しがつかなすぎるので。

 そうして、五人連れ立って歩き出す。どこまで向かうのかまだ誰も知らない旅路へと一歩踏み出す、そのギルドの

名を『セフィロト』という。

みむら屋樹海支店

0コメント

  • 1000 / 1000