【D2】7 海賊団とシノビ達は、辻斬りと遭遇した。
第四迷宮の下層部は生い茂る木々に覆われて鬱蒼としている。木々の隙間を縫うようにすいすいと進んでいくシノビ二人の背中を眺め、インディゴは頭を掻いた。
「若いってのは良いなァ」
「置いて行かれるぞ、四十路」
周囲を警戒しながら足許に生えていたミント草を摘んでいたティルが、呆れたように言う。インディゴは肩を竦めてシノビ達を追い歩き出した。
いつもと違い、今日の探索はこの四人で行っている。いつもは素材を集める事が目的である為セリカも連れて来ているのだが、今日は少々事情が違う。
例の辻斬りが第四迷宮に現れる可能性が高い、とリッカが言い出したのはつい昨夜の事である。彼はセキレイと共に迷宮や街で調査をする傍ら、単独での調査も行っていたようだった。
「『アルデバラン』が第四迷宮を踏破した後、迷宮の整備が進んでな。先日調査に行った時より、単独で挑戦する冒険者がだいぶ増えてきた」
「それは第三迷宮まででも同じじゃないのか?」
セキレイの問いに、リッカは得意げににんまりと笑って答えた。
「分かっていないなセキレイよ。冒険者は皆、辻斬りの事を知っている。特に駆け出しの冒険者ともなれば、余計に用心して固まって動く」
「……成程、D.O.Eが現れる第四迷宮はそれなりに腕の立つ冒険者しかいない」
ティルの呟きに、リッカは大きく頷く。
「実力があればあるほど、人間は己の力を過信しがちだ。増長して単独で探索する冒険者も現れるで御座ろう。先日初めて第四迷宮で犠牲者が発見された事は、あまり大きく報道されてはおらんようだしな」
リッカの言に一同はうーんと唸った。言われてみればそんな気もするが、だからといって第四迷宮に辻斬りが現れるという確証は無いが、現状次の事件がどこで起こるかの予想もついていない。
最初の犠牲者が発見されて一ヶ月も経った今、『慣れ』という名の油断が人々の間に広がっているのも事実だ。実際、第四迷宮で犠牲者が発見された事も、同じ日に起こった新人ギルドの第四迷宮踏破のニュースの陰に隠れてしまって冒険者にはあまり周知されていないようだった。その隙を付いてくるという推理自体は、あながち間違いではないかもしれない。
セキレイが納得いったという顔でひとつ頷き、リッカの方を見た。
「分かった。お前の言う通り、明日から第四迷宮を中心に探索してみよう。何か知見が得られるかもしれん」
という事で今日の探索の目的は第四迷宮の調査だ。万一の事を考えて、いつもシノビ二人で行っている所をインディゴとティルも同行する事になった。先日第四迷宮を訪れた際にはD.O.Eが現れて大変な目に遭ったと聞く。前回は運良く他のギルドの力を借りる事ができたが、いつもそう上手くいくとは限らない。
「お二人が手伝って下さるならば、百人力です」
興奮気味にそう言うセキレイにインディゴは頬を掻き、ティルは少しばかり眉を寄せた。セキレイは海賊団の事をどうも過大評価しすぎている節がある。インディゴは全盛期より大分衰えているし、そもそもティルはソードマンが本業ではない。オーベルフェの武器屋に槍が置いていないために仕方なく剣で戦っているだけの槍使いだ。今の状態で本気の戦闘になればシノビ達の方が余程強いだろう。
リッカの言葉通り、第四迷宮の内部にはちらほらと単独で挑む冒険者の姿が見られた。いずれも相応の実力を持った熟練の冒険者であるようだったが、迷宮で生き残る事と辻斬りに襲われて生き残る事とはまったく別の問題だ。
「一人でこんなとこウロウロして、何が楽しいのかね……」
インディゴの呟きにリッカがにこりと笑う。
「一人で探索ができても、同じように一人で迷宮の主が倒せるとは限りませぬからなあ。皆、足踏みしている状況なので御座ろう」
「嫌だねぇ半端に実力があるってのは」
アーモロードの迷宮なら全員死んでるぜ、と一人ごち、インディゴは遠方から近付いてきていた大ナマケモノに弾丸を撃ち込んだ。巨体が崩れ落ちるのを見届け、銃を腰のホルスターに収める。背後から感じるセキレイのきらきらした視線に苦笑しながら、地面に埋まっていた印石を掘り返していたティルに声を掛けた。
「次、ドクロフロアだったな?」
「ああ。ここで一度休憩しておくか」
ドクロフロアとは、迷宮内に点在する結晶という良質の魔力に満ちた物質の影響で、生息する魔物達が特に活性化している階層の事だ。通常より強力な魔物を相手にしなければならないため、事前にしっかり準備をしておかなければならない。
魔物の姿が見えない事を確認し、下り階段のある大部屋の隅に陣取って四人は弁当を広げた。今日の弁当は海賊団の副船長・レイファ特製のスタミナ弁当である。肉と米を中心に野菜もちょっぴり入った、全体的に茶色の弁当を食べていると、段々と心身の疲れが癒えていく。
「レイファ様の料理は絶品ですね!」
「本人に言ってやってくれ。次の日にはもっと凝った弁当が出てくるぜ」
「これは牛肉で御座るか? オーベルフェに来て初めて食べたが、ここまで美味とは……」
和気藹々と弁当を食べるインディゴとシノビ達を置いて、ティルは一足先に平らげた弁当箱を荷物にしまい込んだ。そして傍らに置いてあった剣を手に取り、立ち上がって宣言する。
「雉を撃ちに行ってくる」
「……おー。拭くもんあるのか」
「葉っぱがある」
「そうか……気を付けてな……」
一人で茂みの中に消えていくティルの背中を見送り、セキレイが首を傾げた。雉とは?といった顔だ。リッカは分かっているのかいないのか、素っ気ない表情で水筒の中の水をごくごく飲んでいる。聞かれたら困るなあ、食事中に言う事じゃねえもんなあ、とインディゴはセキレイが何も訊いてこない事を祈りながら弁当の残りを掻き込んだ。
言うまでもないが、雉を撃つとは汚い言い方をすれば野糞の事である。
◆
事を済ませ、ティルはすっきりした顔で浅く掘った穴に土を被せた。いつもは海の上にいるためこういった形で用を足す機会は無かったが、久々にやってみると何だか妙な解放感がある。日々のしがらみから解き放たれて童心に返った気持ちだ。いっそ服も脱いでしまいたいと思ったが、流石にそこまでやるとせっかく手に入れた人としての尊厳を失いそうな気がしたのでやめておいた。というのも、彼は海賊団に拾われる以前は獣同然の野生児であったのである。
近くの大木に立て掛けておいた剣を取り、伸びをひとつしてティルは辺りを見回す。目的が目的なだけに、少し奥まった場所まで来てしまった。インディゴ達がいる方角を確かめ、歩き出そうとしたその時だった。
背後から突然飛んできた鋭い殺気に、反射的に振り向きながら鞘に入ったままの剣を掲げる。振り下ろされていた刀は鞘に受け止められ、ティルの首筋に届く事は叶わなかった。
ティルは鞘越しに、斬りかかってきた相手の姿を確かめる。和装の男だ。笠を深く被った、髪の長い和装の男。笠の下から覗く顔立ちは端正で一瞬女かとも思われたが、刀を握る腕の太さは男のそれだ。
男は初撃を受け止められた事に多少動揺していたようだが、すぐに気を取り直して鞘に食い込んだ刀を更に強く押し込んだ。鞘の中から、ぴしり、と微かに嫌な音が聞こえる。ティルはそれが何かを知覚する前に、力ずくで鞘から剣を引き抜いた。はずみで刀を弾かれて後ずさる男に、間髪入れずに突きを繰り出す。男はそれを後ろに跳んで避けた。ちらりと目をやった剣の中腹には、刀が食い込んだであろう場所が僅かに欠け、そこから薄く罅が入っている。
──ああ、やっぱり、槍じゃないと駄目だ!
ほんの一瞬、剣に意識をやったティルの思考を見透かしたかのように、男が一気に懐まで滑り込んでくる。斜め下からの斬撃を上体を反らして避けるが、僅かに間に合わなかった胸元に鋭い痛みが走る。足を踏ん張って上体を戻し、そのまま剣を手放して男の腕を掴み思いっきりぶん投げた。地面に放り出された男が起き上がる前に、剣を拾い上げて構えを取る。
「お前が辻斬りか」
「巷ではそう呼ばれているようだな」
問い掛けに男は淡々と答えた。ティルはぐっと奥歯を噛む──何という巡り合わせだ。まさか本当に辻斬りが現れて、しかも自分が襲撃されるとは。男は刀を構え、ティルの隙を窺っている。……罅割れた剣では撃退し捕らえるどころか、互角に渡り合う事すら難しいだろう。胸の痛みと自分が次の犠牲者になるかもしれないという焦りで背中に嫌な汗が滲んでくるのを感じながら、ティルは口を開いた。
「名前を聞いても?」
「…………」
男はほんの少し目を細める。戦いの最中に何を聞いているのかとでも言いたげな顔をしていたが、暫し沈黙した後にぽつりと呟いた。
「ナツキ」
「オレはティルという。海賊だ」
名乗ってくれた男に対し、ティルも名乗り返す。ナツキはやはり怪訝な表情をしていたが、ティルはそれに気付かない振りをした。しかし、素直に名乗ってくれるとは思わなかった。どうせ殺す相手に何を話した所で問題はない、とでも思われているのだろうか? 果たしてこれが正しい選択なのかどうかは分からないが、少しでも寿命を延ばすため、尚も問い掛ける。
「何故俺を襲う?」
「……お前の知る必要の無い事だ」
「訳も分からず理不尽に死ぬのは御免だ」
ティルの言葉にナツキの肩がぴくりと跳ねた。刀越しに見える瞳が急に鋭くなったのを見て、ティルはまずい、と剣を強く握り直した。地面を強く踏み込みんで駆け出した勢いのまま、ナツキは刀を振るう。重い一撃を受け止めた剣がぴき、と悲鳴を上げた。一体何が琴線に触れたかなどと考えている暇は無い。渾身の力でもって刀を弾き返す。……が、その瞬間急にナツキが身を引いたため、ティルは思いがけず体勢を崩した。あ、と思う間も無く、ひゅん、と刀が風を切る音がする。
「ティル殿!」
……自分の首が落ちていない事を素早く確かめ、ティルは顔を上げた。首筋を狙って繰り出されていた刀を、もう一本の刀が受け止めている。視界の隅に入ったのは、黒いポニーテールを生やした後頭部だ。
急に現れてティルを守ったリッカの姿に、ナツキは唖然とした表情をしている。リッカは口布の下で小さく笑うと、僅かに力の抜けたナツキの刀を横に受け流した。追撃をかわし二人と距離を取ったナツキから目を離さないまま、リッカがティルに問う。
「お怪我は?」
「……少し。来てくれて助かった」
「気になさるな。……しかし、まさか鉢合わせるとは、運が良いのか悪いのか……」
そう言って刀を構え直したリッカを、ナツキはまじまじと見つめている。そのまま何度か瞬きをした後ゆっくりと刀を下ろし、小さな声で呟いた。
「……そうか、そういう事か、……」
言うや否やナツキは懐に手を突っ込み、取り出した小さな丸い物体を地面に叩き付けた。瞬間、辺りに灰色の煙幕が広がる。煙幕の奥でナツキの長い髪が翻るのを見たリッカが煙の中へ斬り込んでいくが、その時には既に手遅れだった。少し経つと煙は晴れたが、その場にいたのはティルとリッカの二人だけだ。
「……逃げられたか」
「そのようで。……ティル殿、お飲み下され。傷は後でセキレイに診てもらいましょう」
「ああ……悪いな」
リッカが差し出したメディカを受け取り、瓶の口に詰まった栓を抜きながらティルは息を吐いた。何とか生き延びる事はできたが、寿命が何年か縮んだ気分だ。遠くから誰かが近付いてくる気配がする。セキレイはともかくインディゴに何を言われる事かと考えて、ティルは憂鬱な気分になった。
◆
その後四人はティルの治療が終わるとすぐに迷宮から脱出し、海賊団の拠点に戻って会議を始めた。ナツキを追う事はしなかった。恐らく煙幕に紛れて迷宮から脱出してしまっただろう、とティルとリッカの意見が一致したためである。
ティルから一連の話を聞き終え、セキレイはうーむと唸った。まさか本当に辻斬りが現れて、しかも危うくティルが殺される所だったとは。
「お前、鈍ったんじゃねえの? 修行がてら一ヶ月くらい山にでも籠ってみるか」
「……剣が悪いんだ。オレは悪くない」
先程からこうしてインディゴがネチネチと嫌味な事を言ってくるため、ティルはすっかり拗ねてしまっている。やけくそ気味に机に積んであった菓子類を貪るティルをまあまあと宥めつつ、リッカが言う。
「しかし、名前と背格好の情報が入ったのは大きい。奴とて迷宮に潜る準備をするには街へ上がってくる必要があろう。手配書でもばら撒いておけば、いずれは街で捕らえる事もできるかもしれん」
「そうだな……冒険者ギルドに協力を仰ぐか」
以前、ギルド長のトラオレから、辻斬り事件について調査をしているが行き詰まってしまっていると聞いた事がある。辻斬りの正体がはっきりした以上、冒険者ギルドに情報を提供し、冒険者達の力も借りて人海戦術に踏み切った方が早く捕らえられる可能性が高い。
ふと、ティルが襲われた現場の様子を思い返していたインディゴがセキレイに尋ねる。
「そういや、奴さんが使ったっていう煙玉……あれ、あんたらが使うやつと同じ匂いがしたな。どこから買った物だ? 流通ルートが分かりゃ、奴さんがどこの店で買い物してるのか分かるかもしれねえだろ」
以前、シノビ達と共に探索している最中、魔物から逃げるために煙玉を使用した事がある。その時嗅いだ匂いが、火薬に漢方のようなものを混ぜたような独特な匂いだった事をインディゴはよく覚えていた。今回の現場に微かに残っていた煙の匂いは、その時の匂いとまったく同じだった。セキレイが困惑したように目を瞬かせる。
「同じ匂い? ……言われてみれば。しかし……」
「拙者らの煙玉は、里に伝わる独自の調合の物に御座る故、奴が調達する事は不可能。……刀を盗み出した際に、殺したシノビ達から奪ったのかも知れませぬ」
リッカの言葉に、なんだ外れか、と呟いてインディゴは肩を竦めた。
辻斬りを逃がしてしまったのは痛恨のミスだが、貴重な情報が手に入った以上、全くの大失敗であった訳ではない。辻斬り事件の犯人・ナツキについての情報はその日の内に冒険者ギルドに伝えられ、翌日にはギルドを経由してオーベルフェの住人や冒険者達へ瞬く間に広がっていった。
『セレスト・ブルー海賊団』の元へナツキの目撃情報が寄せられたのは、それから数日後の事だ。目撃されたのは迷宮ではなく、オーベルフェの街の郊外……湖畔に広がる森への入り口だった。
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