【D2】8 復讐者は、家族の仇と対峙した。

 オーベルフェ郊外、湖畔に広がる広大な森の中にナツキはいた。木々の間を縫って進んでいった先には森を伐採して切り拓いたのだろうか、自然にできたと言うには奇妙に開けた空間が広がっている。どうやら小さな集落のようだが、点在する家屋らしき建物は多くが草木に覆われて朽ち果てていた。静かに歩みを進めながら、ナツキはこれまで自分が経験してきた事を順に思い返す。


 彼が生まれたのは、遥か東の海に浮かぶ島国にある、人口わずか五十人ほどの小さな農村だった。大都市から遠く離れた村の暮らしは決して豊かなものではなかったが、村人たちは皆幸せに暮らしていた。ナツキも同じだった。真面目な働き者の父、明るく優しい母、足は悪いが裁縫上手な祖母、お転婆で可愛い妹、生まれたばかりの無邪気な弟。家族の暮らしは質素なものだったが、彼は満たされていた。自分はこの上なく幸せだと思っていた。あの日が訪れるまでは。

 ある日、村に火が放たれた。消し止める間も無く、家屋も畑もすべて燃えて無くなった。火から逃れた人々も、一人残らず無惨に殺された。ナツキは今でも覚えている。ただ一人生き残り、村が燃え尽きていく様を見ている事しかできない絶望感を。炎を背に立つふたりの悪魔の姿を。止めどない憤怒と憎悪を。

 あれから十年、復讐を夢見て過ごしてきた。いつかあの悪魔達に刃を突き立てるその日の為に、鍬と鋤を捨てて刀を手に取った。協力者を得て必要な情報を掻き集め、練り上げた計画をついに実行に移したのが二ヶ月前。復讐の為安穏とした生活を捨て、何人もの犠牲を出しながら遥かオーベルフェの地までやって来た。もうすぐだ。もうすぐ、十年間抱いてきた悲願がようやく果たされる時がくる。


 周囲はいやに静かだ。獣や鳥の声どころか、木々のざわめきひとつ聞こえない。腰の刀にそっと手を添え、ナツキは慎重に足を進めていった。集落の更に奥の奥には、大人五人が手を広げてやっと囲う事ができるような巨大な幹を持つ大樹が立っている。その根本に腰を下ろす人影があった。ナツキは足を止め、遠目に見えるその姿を睨み付ける。

 大樹の根本に座り込んでいた和装の男は、ナツキの存在に気付くと傍らに置いていた刀を手に立ち上がった。彼にじゃれついていた一匹の子狐が、怯えた様子で森の中へと消えていく。男と真正面から対峙し、ナツキは刀を抜いた。黒い刀身が木漏れ日に照らされてぎらりと輝く。

「飛んで火に入る何とやら、ってね。自分から来てくれるなんて健気な夏の虫じゃないか?」

 頭上からの声に顔を上げると、大樹の枝に腰かけた少年……あるいは少女、どちらとも言えない人物がにやにやと笑いながらナツキを見ていた。頭上を見上げて男が呟く。

「ウワバミ、刀……」

「大丈夫だよカガチ。心配いらない」

 その人物──ウワバミは、品定めでもするかのようにナツキの頭から足先までをじっくり眺め、ふふんと鼻を鳴らす。

「刀を返しに来てくれたのかい? 有難い事だ。しかし、どうして僕らが此処にいると分かったのかな?」

「……お前に教える義理は無い」

「そうかい」

 ナツキの冷たい返答にウワバミは肩を竦めて枝から飛び降り、軽々と着地した。ナツキは何も言わず、抜き身の刀をウワバミへと突き付ける。射殺さんばかりの目付きで睨んでくるナツキに、ウワバミの背後でカガチが刀に手をかけた。それを片手で制し、ウワバミは問う。

「失礼だが、僕らは何か君に恨まれるような事をしたのかい? 君の顔に全く覚えが無い。良ければ教えて欲しいものだ」

「────」

 危うく激昂しそうになるのを堪え、ナツキは唇を強く噛んだ。ここで冷静さを欠いてしまえば相手の思うつぼだ。ゆっくりと息を吐き、努めて落ち着いた様子で口を開く。

「十年前──お前達が焼き払った村の者だ」

「ふむ……十年前。十年前……確かにそんな事もあったような無かったような」

 顎に手をあて、ウワバミが小首を傾げる。

「……で、君は仇討ちをする為にここまで来たって訳かい? わざわざこんな僻地まで誘き寄せたりなんかしたのは僕らの力を弱める為か。成程、疑問がひとつ解けたよ」

「……分かっているのに、随分と余裕だな」

「まあね。ところで、もう一つ聞かせてくれ。辻斬りの正体は君で良いんだな?」

 ナツキはひとつ頷いた。

 彼の盗み出した妖刀『魂喰御影』は、読んで字の如く人間や魔物の命を喰らう事で力を増していく、魔性の刀である。かつてこの刀を振るって多くの命を奪い続けたとある剣士は、長く刀の魔力に浸り続けた事によりついに人間では無くなってしまったと聞く。

 ウワバミとカガチは人間ではない。言うなれば、『神』に近い生き物だ。神殺しを成し遂げる為には、脆く弱い人の身ではあまりに心許ない。彼らを殺す為のナツキにとって一番手っ取り早い方法が、この刀に血を啜らせて溢れ出た妖気をその身に取り込む事だったというだけの話だ。

「成程成程、実に結構!」

 ウワバミが笑いながら手を叩く。その後ろで小首を傾げたカガチもウワバミの真似をしてぱちぱちと拍手をした。思わず眉間に皺を寄せるナツキに、ウワバミは大きく手を広げて問い掛ける。

「でも、君、理不尽に村を燃やした僕らに復讐がしたい筈だろう? よく考えてみなよ、君がやってる事、僕らと同じじゃあないか」

「………………」

「身勝手な理由で理不尽に人間を殺すばけもの! 憎んだ相手と同じ穴の狢とは、やはり人間は愚かだ」

「…………話はそれだけか」

 低い声で呟くように言ったナツキにウワバミは肩を竦めた。ナツキの放つ鋭い殺気に身動ぐカガチを後ろに下がらせ、腰に下げた二本の刀にそっと手をかけた。

「カガチ、そこで見ておいで。僕がやるよ」

 小さく笑い、刀を抜き放つ。それを見たナツキが身構えた次の瞬間には、ウワバミの繰り出した衝撃波じみた斬撃が目前に迫っていた。刀を横薙ぎに振るって相殺し、駆け込んで来ていたウワバミの刀を受け止め、次いでもう片方の刀での刺突が飛んでくる前に足払いをかけて体勢を崩させる。

 子供のような見掛けのウワバミだが、その細腕──しかも片手──から繰り出される一撃は並の成人男性以上に重い。両手持ちの剣もかくやという威力の斬撃が一撃に二回襲ってくるのだから、正攻法ではまず勝ち目は無いだろう。

 二、三歩退いて体勢を立て直したウワバミが一度刀を鞘に収め、腰を低く落としたかと思うと弾丸のようなスピードで一気に飛び込んでくる。ナツキは反射的に防御の構えを取るが、予想していたような鋭い一撃が無い。狼狽した次の瞬間、ナツキの背後に回り込んで身を低くしていたウワバミが、彼の腰元を狙って居合抜きの勢いのままに斬り上げた。寸前で身を捩って回避するも、脇腹から背中にかけて傷が走る。

 焼けつくような痛みに歯を食いしばりながら、ナツキは手の内に握り込んでいた『それ』をウワバミに向けて放った。視界を覆うまばゆい光にウワバミは目眩ましか、と考えたが、すぐにその考えを打ち消した。先程までいつも通りだった身体が、異様に重い。

「……鈍足の印石!」

「お前にも効くようだな。安心した、ぞ!」

 ナツキが振り下ろした刀を、ウワバミは重い腕を何とか持ち上げて寸での所で防いだ。

 鈍足の印石は持続時間こそ短いが、対象の動作を一次的に鈍化させる事のできる強力な効果を持っている。通常の人間や魔物ならばまともに動く事もままならなくなる所だが、やはり人間でも魔物でもないウワバミには効きが弱いらしい。一気呵成に畳み掛けるナツキの攻撃を、ウワバミはギリギリの所でいなし続ける。ナツキは奥歯を噛み締めた。先程斬られた脇腹の傷が痛む。あまり時間は掛けていられない。

 首筋を狙った上段からの一撃をウワバミは両手の刀を交差させて受け止める。その隙にナツキは懐から新たな印石を取り出して、再度ウワバミに放った。光を浴びた途端、ぴくりとも動かなくなる両足にウワバミは表情を歪める。

 身動きの取れなくなったウワバミを見て、背後に控えていたカガチがついに刀を抜いて駆け出した。ナツキがちらりとそちらに視線を向ける。はっとしたウワバミは首だけでカガチを振り返り、叫ぶ。

「来るなッカガチ!!」

 その声にカガチが思わず足を止めたその一瞬、ナツキは動いた。効力を失ってただの小石となった影縫の印石を思いきり投げ付ける。勢いよく飛んできた石が右目の上辺りに直撃し、反射的に目を閉じたカガチの視界が奪われる。

 ナツキは無防備なその懐に飛び込み、胴当ての上、露出した腹から胸にかけてを一文字に斬り裂いた。

 決して浅くはない傷だ。傷口を押さえて膝から崩れ落ちるカガチに次の一撃を浴びせる前に、ナツキの身体は宙に投げ出され、地面を二度三度と転がった。ナツキの襟首を引っ付かんで思いきり投げ飛ばしたウワバミは、テリアカβの入っていた瓶を投げ捨ててカガチを守るように立ちはだかる。

「ウワバミ、」

 小さな声で呼び、カガチはぼんやりした顔のままごぽりと血を吐いた。ウワバミは微笑みを浮かべて振り返ると、努めて優しく、穏やかな声で語りかける。

「大丈夫だよカガチ。おまえ、薬を持ってるだろう? それを飲んで待っておいで。……そう、良い子だ。もう少しだけ我慢できるね? 大丈夫、すぐに治してあげるからね……」

 口に入った土を吐き捨てながら立ち上がったナツキが、脇腹を押さえながらウワバミを真っ直ぐに見据える。血を吐きながらも何とかメディカを口に含むカガチから視線を外し、ナツキへ向き直ったウワバミの顔からは表情がまったく消え失せていた。カガチが傷付いた事に憤るでも嘆くでもない、異様な程落ち着いた緋い眼に、ナツキは背中を嫌な汗が伝うのを感じる。両手の刀を握り直し、ウワバミは先程までより幾分か低い声で言う。

「……君の力を見くびっていたようだ。その人間らしい小賢しさは癪だが、手段を選ばない姿勢は称賛に値する」

 ナツキは何も応えない。傷を負ったまま激しく動いた事で、少し血を流しすぎたらしい。くらくらする頭を振り、刀を強く握って構え直す。

 ウワバミが勢いよく地面を蹴ってナツキへと肉薄する。ナツキは間断なく繰り出される斬撃を何とかいなし続けるが、次第に反応が追い付かなくなってくる。籠手に傷が刻まれ、衣服の切れ端が宙を舞う──ついにウワバミの刀が纏めた後ろ髪を斬り落とした時、ナツキは思わずそちらに意識を向けてしまった。次の瞬間、鋭い突きが右肩を抉る。……それでも刀を手放さなかったのは、ひとえにナツキの意地のお陰だった。

 痛みに呻きながら、ナツキは左の籠手の中に仕込んでいた辻風の印石を放つ。強風に飛ばされて後退したウワバミだったが、すぐに体勢を立て直し追撃を仕掛けようとした、その時だった。

 遠方から聞こえてきた複数の足音にウワバミがほんの少し気をとられた隙に、ナツキは煙玉を地面に叩き付ける。このまま戦っていても自分に勝ち目が無い事を彼は分かっていた。

 ──片方を手負いにしただけでも十分な出来だ。

 立ち込める煙幕に紛れて去っていくナツキを、ウワバミは追おうとしなかった。気配が森の中へ消えていくのを感じながら、腹を抱えて踞るカガチの元へと駆け寄る。腹の傷口を見てウワバミは眉をひそめた。メディカを服用したにも関わらず、出血が治まっていない。苦しげにウワバミを見上げるその顔色もいつもより悪いように見える。

 一瞬過った、妖刀の魔力が回復を阻んでいるのか、という考えをウワバミはすぐに打ち消した。いくらナツキが妖刀の力をその身に受けているとはいえ、たかが数十人斬った位ではウワバミ達の命を奪う程の魔力は手に入らない。となると、これは所謂状態異常というものだろう。

「……毒でも盛ったか、狡い奴め……」

 思わず舌打ちを漏らしたウワバミの背後から、足音が近付いてくる。振り返ると、シノビの男女が二人、こちらへ駆け寄って来ていた。

「……怪我人? 貴殿らは……辻斬りは?」

 シノビの女──セキレイが困惑した様子で呟く。辻斬りの目撃情報を聞いて急いでやって来たと言うのに当の本人の姿は無く、代わりに只者では無さそうな二人がいて、一人は怪我をしている。事態が上手く飲み込めない彼女を睨み付け、ウワバミは刀に手をかけながら口を開いた。

「おい、そこのクノイチ! 医術の心得があるだろう。この子をすぐに治療しろ」

「え? あ……ああ!」

 鬼気迫るウワバミの表情に慌ててカガチの側に膝をつき気功術による治療を始めるセキレイをよそに、もう一人のシノビ、リッカはナツキが残していった煙玉の残骸と森の中へ点々と続いている血痕を眺めていた。少し離れた場所には、斬り落とされた髪の毛の束が落ちている。リッカはそれをつまみ上げて持ち上げると、少しばかり目を細めた。

「……リッカ! 手伝ってくれ、怪我人を街まで運ばなければ……リッカ?」

「ん……何でも御座らぬ。怪我人だな? 暫し待て。担架を作る」

 ぐったりと横たわるカガチの解毒を終えたセキレイの呼び掛けに、リッカは髪の毛を手放してそちらへ駆け寄っていく。ウワバミはそれを一瞥して鼻を鳴らすと、傷の痛みにうんうんと唸っているカガチの頭をそっと撫でた。

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