【D2】9 彼らが協定を結び、街では宴が始まった。

 ウワバミから一連の話を聞いた一同は、揃って頭を抱えた。辻斬りの目的、件の刀の詳細、ウワバミ達の素性、どれもこれも初めて聞く情報で理解が追い付かない。しかしこれだけは言っておきたいとインディゴが口を開く。

「もしかして八割方あんたらが元凶じゃねえか?」

「人聞きの悪い事を言ってくれるなよ海賊。僕らはちょっと村を燃やしただけさ」

「いやだからそれが……」

 ウワバミにキッと睨み付けられ、インディゴは口をつぐむ。ふんと鼻を鳴らして足を組み直したウワバミはさも偉そうに椅子にふんぞり返っていて、傍目から見ていたティルは思わず首を傾げた。この屋敷、オレ達が借りてるんだよな?

 セキレイとリッカがナツキとの戦いで重傷を負ったカガチを運び込んだのは、セレスト・ブルー海賊団が拠点としている借家の一室だった。現在はカガチの手当てを本職のモンクである副船長・レイファと負傷した『お友だち』の姿に泣きそうになっていたセリカに任せ、他の面々は隣の部屋に集まって会議中である。

 辻斬りがウワバミとカガチを襲撃した事件の顛末を知り、一番衝撃を受けていたのはセキレイだった。間接的とはいえ、自分達のせいで辻斬りを逃がしてしまった事は真面目な彼女の心に深い傷を負わせたらしい。机に突っ伏して動かない彼女の代わりにリッカがウワバミに問う。

「辻斬りはあの刀を餌に貴殿らをオーベルフェまで誘き寄せ、復讐を果たそうとした……そこに拙者らが横槍を入れていたという訳で御座るな」

「そうだよ。まったく、シノビってのはいつの時代も余計な事しかしない」

 リッカは明らかに機嫌を損ねているウワバミの言葉に苦笑を漏らす。見兼ねたティルがお茶と共に差し出した醤油煎餅を荒々しく引っ掴み、バリバリと音を立てて食べ始めた。そんなウワバミを見て、インディゴが言う。

「あんたの相棒、あの怪我じゃ暫くは動けねえだろう。どうするんだ、どっか贔屓の宿屋にでも移すか?」

「そんな物無いよ。そもそも宿代が無い」

「じゃ、どうすんだ。野宿なんて奴さんに殺してくれって言ってるようなもんだぜ」

「ああ、うるさいうるさい、そんな事分かってる!」

 吐き捨てるとウワバミは腹立ち紛れにお茶を一気に飲み干し、湯飲み茶碗を勢い良く机に叩き付ける。やれやれと肩を竦めたインディゴの隣で、撃沈していたセキレイがようやく顔を上げた。

「……ウワバミ殿……申し上げたい事が……」

「んあ?」

「カガチ殿の警護と辻斬りと刀の確保、どうか我々に任せて頂けませんか……元はと言えば刀を彼奴めに盗み出されたのは我々ウナリ衆の失態、汚名返上の機会を与えては頂けませんでしょうか……」

 セキレイの言葉にウワバミがすっと目を細める。途端に襲い来る奇妙な威圧感にセキレイは身体を強張らせた。よく見れば、ウワバミの手は腰の刀に添えられている。

 年若く里の重役でもないセキレイには知る由も無いが、セキレイ達『ウナリ衆』のシノビは、今回警備を破られ刀を盗み出された事件以前にも刀関連で様々な失態を犯している。セキレイの言葉はウワバミからしてみればどの面を下げて言っているのか、といった風な恥知らずな言葉に聞こえたのである。

 重苦しい沈黙が場を支配し始めてから時計の長針がちょうど三回ほど動いた頃に、ウワバミはようやく目を伏せて長い息を吐いた。セキレイの肩がびくりと跳ねる。

「……良いだろう、僕は寛大だ。そこまで言うならやってみるが良いさ」

「う、ウワバミ殿……」

「ただし君達に任せるのは辻斬りと刀の事だけだ。カガチは僕が守る」

 やたら低い声で言ったウワバミにセキレイがこくこくと頷き、リッカが頬を掻く。どうやらウワバミにとっては刀よりカガチの方が優先すべきものであるらしい。一連の流れを黙って聞きながら紅茶を飲んでいたティルが控えめにしかし、と呟いた。

「それは良いが、怪我人はどこに移すんだ」

「あー、それは……」

「ここに居てもらえば良いんですわ!」

 インディゴの言葉を遮るように声を上げたのは、いつの間にか部屋に入ってきていたセリカである。彼女はつかつかとインディゴに近付き、彼の目を真っ直ぐに見つめて問いかける。

「ねえパパ、良いでしょう? ここにいればお母さまに診てもらえるし、たくさん人がいるんですからその辻斬りさん? だって入ってこれませんもの。カガチさんだって安全ですわ!」

「……だってよ。どうする」

 問いかけられたウワバミは思わずぐぬぬと唸った。自分を見つめるセリカの目があまりに真っ直ぐであったためである。汚れなき子供──しかも、カガチの『お友だち』──にそう見つめられては流石のウワバミでも強気には出られない。

「……分かったよ。じゃあそうしよう」

「わあい! カガチさんにお伝えしてきますわ!!」

 ひとつ跳びはねて駆けていったセリカを見送り、海賊団一同とシノビ達は息を吐いた。結局辻斬りは捕まえられなかった上に、奴がこれから何をするのかは分からない。しかし、とりあえず今のところはウワバミとカガチが敵ではない事がはっきりしただけでも充分だという事にしておこう。

 渦中のウワバミその人は、そんな一同の様子を見てふんと鼻を鳴らし、残っていた煎餅を口に放り込んでバリバリと噛み砕いた。


   ◆


 その夜、海賊団の拠点を出たセキレイは、特に行くあても無く街を彷徨いていた。本来ならば辻斬りの捜索やカガチの看護をするべきなのだろうが、そのどちらにも今の彼女は集中できる気がしなかった。任務のこなせないシノビなど邪魔になるだけだ。屋敷には海賊団の面々が残っているし、心配する事は無いだろうと結論付け、セキレイはひたすら街をぶらぶらしていた。休養も任務のうち、いくら技術が優れていても休むべき時に休めなければ一流のシノビとは言えないとカゲチヨ様も仰っていた。

 それにしても今日は街全体がやけに騒がしい。至る所で馬鹿騒ぎが行われているようだが何かあったのだろうか? 酔い潰れて道端の転がっている男性を横目で見ながら歩いていると、急にセキレイを呼び止める人影があった。

「よお、シノビの姉ちゃん! 今日は一人か」

 片手を挙げて近付いてくるのは、黒髪の少女だ。その姿にセキレイはあっと声を上げる。

「『アルデバラン』の……ラウレアといったか」

「おう、久し振り」

 ほんのり赤らんだ顔でラウレアは笑い、持っていたジョッキを盛大に煽った。年下の少女とは思えぬ豪快な飲みっぷりにセキレイは唖然とする。ぷはあ、と息を吐き、ラウレアがすぐ近くにある酒場──『黄金の麦酒場』を指し示す。

「オレら、ついさっき第五迷宮を突破してきたとこなんだよ。姉ちゃんも一緒に飲まねえか? トラオレのおっさんの奢りだぜ」

「いや、私は……」

「ああ~! あの時のシノビの人じゃないでっすか!」

 やたら大きな声に言葉を遮られ、セキレイは思わず肩を跳ねさせた。ふらふらとした足どりで近付いてきたのはラウレアと同じく『アルデバラン』のメンバーであるダンサーの青年、確か名前をマルセルといった筈だ。彼は酔っ払い特有の奇妙な馴れ馴れしさでセキレイの肩を抱き、頬にジョッキを押し付けてくる。

「ちょ……」

「あなたも飲みましょう! ね! そして一緒に姉上を讃えましょう! さあリピート・アフター・ミー!! ユスティーナ様ばんざーい!!」

「はあ……? あの、ちょ、退いて……」

「大丈夫です姉上の素晴らしさは私が手取り足取り教えて差し上げますので! さあこちらへ来……」

「気品ッッ!!」

「ガハッ……!」

 マルセルがセキレイを路地裏へ引っ張っていこうとしたその瞬間、酒場から飛び出てきたユスティーナが彼の脇腹に強烈な肘打ちを叩き込んだ。ユスティーナは地面に倒れ伏して動かなくなったマルセルをずるずると引きずって再び酒場へと戻っていく。

「……な、飲もうぜ! 酒がダメならジュースとかコーヒーとか、つまみもあるからよ」

「……そこまで言うなら……」

 よしきた! とラウレアがセキレイの手を引っ張って酒場へ連れ込む。店内は混沌としていた。床、机の上、カウンター、至る所に酔っ払いが寝ていたり起きていたり踊っていたりしている。カウンター席の一角でビリーが突っ伏しているのが視界の端に映ったが、それについて何か言う暇も無く空いていた席に押し込まれる。あれよあれよという間に目の前に出される酒とつまみを茫然と見るセキレイの肩を、誰かが勢いよくどついた。振り返ってみれば、そこにはこれまた見覚えのある人物が立っていた。

「ウワバミ殿……何故ここに?」

「色々あって疲れたから酒でも飲もうと思ってね。君は違うのか。悩み多そうな間抜け面をしているが」

 そう言ってウワバミは持っていた酒瓶に直接口をつけて中身を一気に飲み干す。そして空の酒瓶を放り捨てて手近な机から新しい酒瓶を取り上げ、セキレイの隣の席に腰かけた。

「今の僕は機嫌が良い。何か聞きたい事があれば何でも聞いてくれて構わないよ」

 言いながらウワバミはセキレイの前に置かれたつまみを奪い取って口に放り込む。何だか理解が追い付かないが、本人がそう言うからには、何か聞かなくてはならないだろう。セキレイはウワバミに聞きたい事を探して暫し視線をさ迷わせた後、意を決した様子で口を開いた。

「ウワバミ殿は……辻斬り、ナツキの故郷の村を燃やしたと仰いました」

「ああ、言ったね」

「……その、何故そのような事を?」

「何故、か。ふむ……」

 ポテトチップスを噛み砕きながらウワバミは小首を傾げて考え込む。

「君は、家の軒先に蜂が巣を作っていたらどうする?」

「どう……と言われても、……巣を落とします。煙で燻して、蜂を追い払って……」

「だろうね。それと同じさ」

「……蜂と人とは違います」

「そりゃ、違うだろう。だが僕にとっては、どちらも邪魔で目障りな生き物という点で同じだ」

「しかし、……」

「確かに僕らは人間がいなければ存在できない。だが人間は愚かだ。放っておけば勝手に増えて、勝手に大地を弄って勝手に穢す。だから僕は人間を滅びない程度に間引くのさ」

「…………」

 酒瓶を煽るウワバミから視線を外し、セキレイは手の内にあるジョッキを見つめた。泡の消えた麦酒に映り込んでいるのは情けない顔をした自分だ。何故こんな顔をしているのだろう。理解できない相手を前にした恐ろしさか、それともウワバミの言葉に否と言えない情けなさからか。己の顔をじっと見つめているうちに何故か無性に腹が立ち、勢いのままに麦酒を煽った。微妙に温くなっていて、あまり美味しくはない。

 顔をしかめるセキレイをちらりと見て肩を竦め、ウワバミは呟くように言う。

「だがな、君、世の中には僕以上に簡単にヒトを殺す者だってごまんといる」

「…………」

「相手取った時に何故などと考えてみろ。一瞬で獲られるぞ」

「……御忠告、痛み入ります……」

 手痛い指摘に、セキレイはがっくりと項垂れた。こうもダメ出しをされると、自分はシノビに向いていないのではないかという気持ちになってくる。前々から言われていたのだ、お前はシノビとしての技術はあるが心がそれについていっていないのだと。確かにそうなのかもしれない。現にオーベルフェに来てからは失態続きで、辻斬りを捕らえるという任務はまったく果たせていないのだから。

 セキレイはジョッキの中の酒を一気に飲み干した。いわゆる自棄酒である。半笑いを浮かべたウワバミがすかさず空になったジョッキに新しく酒を注ぐ。

「ほらもっと飲め。酔って裸踊りでもしてみろ」

「やりません!」

 一声叫び、セキレイは銘柄も分からない酒を次々と飲み干していく。この麦酒とかいう酒は妙に苦いが飲んでいると段々癖になってくるような味がする。それに故郷で飲む酒に比べたらずいぶんと弱い。

 セキレイは酒をまるで水かジュースのごとくがぶがぶと飲み続けた。それはもう、べろんべろんになるまで。


   ◆


「……い、おい、起きろセキレイ!」

 己を呼ぶ声に、セキレイは勢いよく飛び起きた。……はいいが、頭がいやにぐらぐらする感覚に思わず顔をしかめた。そうだ、昨日は結局日付が変わるまで酒を飲み続け、べろべろに酔っ払ったところをウワバミに半ば引きずられる形で海賊団の拠点まで戻ってきたのだ。

 またも一時の感情に流されてシノビらしからぬ姿を晒してしまった。落ち込むセキレイの腕を、彼女を起こしたリッカが強く引く。

「まずい事になった。よく聞け」

「まずい事……?」

「ああ」

 いつになく真剣な表情のリッカが放った言葉に、セキレイは頭が真っ白になった。

「辻斬りが、何者かに殺された」

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