【SQ5】5 禁忌の守護者

 迷宮五階の地図が描き上がったのは、『カレイドスコープ』がミッションを受領してからちょうど七日後の事だった。あちこちに書き込みのなされた羊皮紙を覗き込みながらうんうんと唸っていたエールが、神妙な表情で顔を上げる。

「あの扉の向こうにゴーレムがいるんですね」

「たぶんね。……えっと、今すぐ行こうとか言うつもりじゃ……」

「さ、流石にそんな訳ないです!」

 エスメラルダの言葉に慌てて首を横に振り、エールは地図を荷物にしまって辺りを見回す。

 周囲を水場に囲まれた大広間の向こうには、すっかり見慣れた石造りの扉がそびえ立っている。描き記した地図に間違いが無ければ、このフロアで足を踏み入れていない場所はあの扉の先だけだ。

「奥からへんなかんじする」

 と、魔力に敏感なリズが扉を指さしながら言う。これまでの探索で上り階段が見つかっていない事からみても、上層へ続く道を守護するゴーレムはあの扉の向こうにいると考えて間違いないだろう。

 浮島のような地形のお陰で、扉の向こう側の様子はこの場所からでもある適度窺える。各所に点々と置かれた石像はいずれも部屋の中央を向いて鎮座している。ここからは見えないが、彼らの視線の先に何かがあるのだろうか。

 遠くに見える石像たちを目を凝らして眺めていたケイナが仲間たちを振り返って問う。

「じゃあ今日はもう帰るのか……?」

「そうだな。装備と物資を整えて、情報を集めてまた来……うっ!?」

 唐突に呻いて仰け反ったマリウスにケイナの肩が跳ねた。が、すぐに緊張は解けた。よく見てみれば、マリウスの背中にリズが張りついて頭をぐりぐり押しつけている。フードに縫いつけられたツノが刺さって痛そうだ。遠慮なくぎゅむぎゅむと頭を擦りつけてくる少女を必死に引き剥がそうとしながら、マリウスは彼女へ問う。

「いったいどうした……帰りたくないのか?」

「おなかすいた」

 そう言ってリズはム……と唇を尖らせる。確かに今の時刻は昼食時を少し過ぎたあたりだ。今日は朝から探索を行っているし、腹が減るのもさもありなんといったところである。マリウスは何とか引き剥がしたリズをこれ以上接近しないようそれとなく制止しつつ、食材の入った荷物を持っているエスメラルダに問う。

「何か食べられるもの持ってたか?」

「生でいけるものは無いですね……コムギと卵と樹海魚なら」

「目玉焼きパン!」

「……だそうだ。そっちの広場で昼食にしてから帰ろう」

「はい! 実はわたしもお腹ペコペコでした」

 と、エールがにこやかに言い、その隣に立っていたケイナもそれとなく視線を泳がせて片手を腹に当てた。どうやらこちらもペコペコのようである。

 幸い、この広間から焚火のできる場所へは先程見つけたばかりの抜け道を通ればすぐだ。荷物を抱え直し、魔物の気配がないかを入念に確認しながら抜け道の方向へと向かっていく。

 ケイナがすんすんと鼻を鳴らして辺りを見回し始めたのは、先頭を歩いていたエールが木々をかき分けて通りやすい道筋を辿りだそうとした時だった。すぐ近くにいたエスメラルダがどうしたのかと問えば、彼はいつものように困り果てた表情で答える。

「誰かが火を焚いてる」

「え、先客? どうしよう、使わせてもらえるかな……」

 などと言っている間に、エールが木立を抜けて向こう側の広場へ辿り着いた。誰か調理をしていないかと訊ねるより先に、彼女はあーっと声を上げて大きく手を振った。

「こんにちはーっ! お久しぶりです!」

「……え、何? 誰? ぜんぜん見えない」

 その場で跳ねたり体を横に曲げたりして前の様子を窺おうとするエスメラルダを、何故か申し訳なさげな顔をしたケイナがひょいと持ち上げる。神妙な表情でされるがまま掲げられたエスメラルダはようやく目に入ったエールと、彼女の視線の先にある姿を見て、ああ、とひとつ頷いた。

 焚火を囲んでいるのは、上裸のアースランと長身のルナリアの男二人組……『ヴォルドゥニュイ』だ。


 あえて熟しきらないままでパンに載せた目玉焼きは口に運ぶたびぷるぷると震えてこぼれ落ちそうになるが、そのぶん一口食べればたちまちとろけて仄かな塩味と卵の旨味を舌の上に運んでくれる。レムス直伝の目玉焼きパンのレシピは王族が考案したにしては質素すぎる気がしなくもなかったが、こうして作ってみるとなかなかに奥深い料理である。何より『カレイドスコープ』は衛兵から譲ってもらったニワトリを所有しているため卵は実質無料で手に入る。パンの原料になるコムギも樹海に山ほど生えているし、少し手間はかかるが大変お財布に優しい料理だ。

「節約を考えると自炊になりますよねえ、やっぱり。私も常々そう言っているんですが、この人金遣いが荒くて」

 と、ステファンは肩を竦める。彼の手元ではフライパンにみっちりと詰まったパンケーキ生地がふつふつと気泡を吐き出していて、同時に甘く香ばしい匂いが辺りに漂い始めていた。前回会った時もパンケーキをご馳走になったような気がするが、パンケーキが好きなのか。そう問えばステファンは笑顔で二本指を掲げてみせた。どうやら好きなようである。

 相方の非難めいた視線を受け、金遣いの荒い人は顔をしかめて反論する。

「オレ料理できねえし。それにお前だってメシじゃなくてパンケーキ作りてえだけだろ」

「さ、焼き上がりましたよ。ベリーと蜂蜜と一緒にどうぞ」

「やったー」

「自分から振っといて無視かよ……」

 文句は完全に受け流し、ステファンは焼き上がったパンケーキを皿に移してフォークを手に今か今かと待っていたリズへと差し出す。喜び勇んで甘いふわふわの塊を貪りだす少女を横目に、ジャンは無視された事を気にした風もなく『カレイドスコープ』の他の面々へ向き直る。

「そういや受けてくれたんだってな、例のミッション。助かるぜ」

「ああ……実はこちらとしても退っ引きならない事情があって……」

「? いろんなギルドがお前らの噂してるぜ。無名の新人が誰もやりたがらなかった討伐ミッションを受けたってな」

「やりたい人、いらっしゃらなかったんですか!?」

 エールは驚いた声を上げたが、隣でコーヒーを啜っていたマリウスはまあそうだろうな、という表情で小さく頷く。流石に口に出してこそいないが、依頼内容のわりには報酬が渋いな、とは思っていたのだ。あの金額では自ら進んで引き受ける冒険者はまずいないだろう……それこそ、自分たちのような特殊な事情がある者でない限り。

 マリウスの考えている事を察したのか、ジャンが誤魔化すような笑みをこぼしながらこんがり焼けた樹海魚を頬張る。魚で頬をパンパンにした彼の代わりに、二枚目のパンケーキを焼き始めたステファンが話を続ける。

「にしても、本当に大丈夫なんですか? 貴方たちの実力がどの程度かは知りませんが、これでミッションに失敗して全滅しました……なんて言われたら堪ったものじゃありませんよ」

 返る言葉は無い。各々希望の「き」の字も無さそうな表情で俯き黙り込むか、もしくはパンケーキを夢中で食べているかしている『カレイドスコープ』の面々をステファンは呆れた顔で眺め、溜息を吐きながら火の通った生地をひっくり返す。

「心配ですねえ……。ちょっとアドバイスでも聞いていきます?」

「アドバイスですか?」

「まあ私もゴーレムと実際に戦った事はないので、話半分程度に聞いてください」

 そう言いつつ、ステファンは片手に握ったフライ返しである方角を指し示す。北西……ここから見て、ちょうどゴーレムがいると思わしき地点だ。

「ゴーレムが世界樹を禁足地とする際に置かれた結界のひとつというのはご存じでしょうが、実はあれ、私の地元の辺りではそれなりに知られた存在でして。といっても半ば伝説かおとぎ話か、という扱いでしたが」

「ステファンさんのご出身ってどちらなんですか?」

「北ルナエのド田舎でーす。その内容というのが、端的に言えば「ゴーレムは分裂合体する」というものでして」

「……ん?」

 思いもよらない単語を聞いた他の面々の動きが止まる。……分裂合体? 理解が追いつかないまま頭上に巨大なクエスチョンマークを浮かべ続ける面々を前に、ステファンはそうなりますよねえ、と呟いて肩をすくめる。

「理解を放棄する前にもう少し聞いてくださいよ。厳密に言えば、複数の小型の使い魔が集まって一体の魔導兵器を構成しているので、集合してひとつになる事も離散して別個に動く事もできるというような感じらしいんですけど」

 すらすらとよく分からない事を説明しながらステファンは焚き火からフライパンを引き上げ、そのまま片手のフライ返しで焚き火から少し離れた場所を指し示した。

「二階の石碑によれば、あれ(・・)も「ゴーレム」でしたよね?」

 彼が指すのは茂みの根元に半ば隠れるように佇む、気の抜けた顔をした小さな石像だ。しばし怪訝そうにそちらを見つめていた一同だったが、やがて何かに気付いたマリウスが大きな声を上げた。

「いやそんな、まさか!」

「推論ですよ、推論。本当の事は実際に見てみないと分かりませんし」

「ううん……ああ、だがそうか、倒しても「復活」するんだからそういう事もあるのか……?」

「……何のお話ですかね?」

「え、いや、俺もわからない……」

 もはや完全に理解を諦めて空中の少し遠いところを見つめていたエールとケイナに、すかさず切り分けられたパンケーキが差し出される。二人がほどよく焼き上がった甘味に舌鼓を打っている姿を横目に、既に自分のぶんの料理を全て食べ終えたエスメラルダが軽い調子で言う。

「そんな情報も教えてくれるって事は、そっちも先に進めなくて相当困ってるんですね」

「まあなー。オレはもうちょい一層でたむろしてても別に良いんだけど、ステファンがな」

「余計な事を言わないでください」

 若干冷ややかな語調でジャンを諫め、ステファンは僅かに眉をひそめると溜息混じりに応える。

「冒険者なんて多かれ少なかれ皆そうでしょう。この樹の天辺まで行きたいがために、わざわざこんな危険な場所まで来てるんですし」

 その言葉にジャンがうんうんと同意する。エスメラルダもひとまず納得いったように頷いたが、今度はステファンがその様子を見て訝しむような響きで問い返す。

「そちらは違うんですか?」

 咄嗟に答えられる者はいなかった。急な沈黙に驚いたのか、皿に残った蜂蜜を指で掬い取っていたリズが小首を傾げて仲間たちの表情を見回す。ステファンの眉間にますますシワが寄った。忙しなく視線を彷徨わせていたケイナが耳を伏せて俯く。エスメラルダが閉口したままそれとなくマリウスを見た。マリウスは何も言わない。ただ曖昧な微笑みを浮かべて、手元のフォークに刺さったままだったパンケーキの欠片を口に放り込んだ。


     ◆


 『カレイドスコープ』が再び例の広間に立ったのは、それから数日後の事だった。本当はもう少し早く事に挑むつもりだったのだが、酒場や評議会をあたって情報収集をしたり新しい装備を買い揃えて手に馴染ませておいたりと色々しているうちに少し時間が経ってしまったのである。

 腰のベルトを直したり装備の具合を確かめたりしていたエールが、よおし! と気合いの声を上げて背後の仲間たちを振り返る。

「準備万端です! わたしはいつでも大丈夫ですよ!」

 やる気十分な彼女に対し、隣に立つケイナは今にも倒れそうな顔色をしている。指先が真っ白になるほどの力で握り込まれた武具が破損しないか心配だが、そこは今日のために新調した刀の耐久力を信じるほかない。後衛のエスメラルダとリズも準備を終えているようだ。マリウスは自身の重砲に弾が込められているかを最後にもう一度確認し直し、深呼吸をして扉に手をかける。

「行くぞ」

 ……踏み込んだ扉の先には、予想と裏腹に静かで穏やかな空気が流れていた。リズが感じていた「へんなかんじ」の大元らしきものも見当たらない。思いもよらない状況に思わず戸惑い、辺りを見回したその時だった。

 どこからともなく現れた石像――例の気の抜けた顔をした丸々とした石像が、広間の中央に陣取る。突然の出来事に身構えるより先に、周囲の茂みから、木立の隙間から、続々と現れた石像たちがはじめの一体の元へ集まっていく。一カ所に集まった石像たちは互いに組みつくようにして重なり合い、みるみるうちに歪な人型の巨体を形成した。

 なるほど、どうやらステファンが語っていた地元の伝承は真実を正しく伝えていたらしい。あの動きはまさしく「合体」というほか無いだろう。つまるところあの動く石像の塊こそが鎮守ノ樹海を守る結界の要……ゴーレムなのだ。

 足下の地面を震わせながら石の巨人が一歩踏み出す。呆気に取られている暇は無かった。マリウスが咄嗟に盾を構えて防御を展開するのと同時に、ゴーレムはぐっと身を丸めてその胸の内からまばゆい光を発した。一瞬の静寂を置き、轟音と衝撃。内側から爆ぜた石像たちが四方八方に飛び散る。マリウスの盾に隠れたリズが死霊を操り、ケイナに迫っていた石像の軌道を逸らす。直撃を寸前で回避したエールのスカートの裾が焦げた。炎を纏った石像たちがまともに直撃すればただでは済まないが、幸い大きな痛手を受けたメンバーはいなかったようだ。

 盾の陰に収まったまま治療用ハーブの準備をし始めたエスメラルダが困惑を隠せない様子で叫ぶ。

「なんで合体したのにすぐ爆発するんですか!?」

「私に訊かないでくれ!」

 盾越しの衝撃に痺れた手を振って感覚を引き戻し、マリウスは重砲を構えた。爆散したゴーレムがいた場所には手足と頭を失って胴体にあたる部分のみとなった石像の塊が残されている。その周囲に転がっていた石像たちがむくりと起き上がり、次々に胴へ組みつこうとし始めた。背後からも何体かこちらへやって来ている気配がある。放置しておけば厄介な事になる、そんな予感がする――ならば、速攻を仕掛けて個別に撃破していくほかはあるまい。

「斬り込め! 援護する!!」

 指示を飛ばせば、体勢を立て直したケイナが目にも止まらぬ速さで踏み込んでいく。石像は数こそ多いが一体一体が驚異的な能力を持っているという訳ではないらしい。刀で斬りつければ丸いボディには容易く傷が入った。すかさず追随していたエールが刀傷を抉るように突剣をねじ込む。そのまま気合いの声と共に投げ飛ばせば、石像は広間を囲む池に転がり落ちていった。

 そうしている間に集まってきていた他の石像が再び合体し、石の巨人の下半身を形作っていく。マリウスが狙撃で妨害を試みたが効果は無かったようだ。しかし石像の数が足りないためかそれ以上パーツが組み上がる気配は無い。新たな石像たちが方々から集まってきている以上、その状態がいつまで続くかは分からないが。

 ケイナの刺突に会わせてエールが追撃を叩き込む。地面に転がった一体が動きを止めたのを確認し、次に胴体に合流しようとしていた石像を処理しようと二人が武器を構え直したのと同時に、ゴーレムがぐっと脚を上げる。予想より素早い動きで突き出された足に蹴り飛ばされたケイナが吹き飛んだ。薬草の束を握ったエスメラルダがそちらへ駆けていく。

 巻き添えを免れたエールがゴーレムから距離を取りつつ鋭く叫ぶ。

「リズさん! 炎爆弾を!」

「はあい」

 リズが棺桶を掲げ、死霊に命令を下す。石像たちの間でぼんやりと佇んでいた死霊がぶるりとその輪郭を震わせ、瞬く間に渦巻く炎に姿を変えて辺り一帯を呑み込んだ。炎にまかれて動きを止めた石像を蹴り飛ばし、マリウスはゴーレムの脚を狙い撃つ。表層を構成する石像が砕けたが、破壊には至らない。

 ついに胴体に辿り着いた石像たちが重なり合い、腕を構成し始める。弾を重砲に込め直しながらマリウスは声を上げる。

「エール! 脚を先に崩すぞ!」

「はいっ!」

 エールはすぐさま身を翻してゴーレムの背後へ駆け、石像と石像の隙間に剣を突き立てた。突発的な攻撃ではあったが、どうやらそれが何らかの致命的なダメージを与えたらしい。音を立てて崩れ落ちる片足に驚くエールの頭上でゴーレムが腕を振りかぶる。はっとした彼女が回避行動に移るより先に、飛び込んできたケイナが巨大な握り拳の側面に刀を叩き込んだ。

 渾身の力が込められた一撃にゴーレムの身体が傾ぐ。その隙に後退したエールは、油断なくゴーレムを睨んだまま駆け戻ってきたケイナに明るく声をかける。

「ありがとうございます!」

「あっ!? あ、うん……!」

 途端に動きに精彩を欠きはじめるケイナへ突撃してきた石像を死霊が防ぐ。やってしまったという顔で慌てて振り向き耳を伏せるケイナは気にせず、リズは棺桶で石像を振り払いながらマリウスの傍へ寄っていく。

「頭できてる」

「は……あっ、いつの間に!?」

 彼女の言うとおり、いつの間にかゴーレムの胴体の上に小さな頭がちょんと乗っている。一度破壊した脚にもなた新たな石像が集まり始めており、このままいけば全身のパーツが揃うまでにそう時間はかからないだろう。果たしてその時なにが起こるのかは分からないが、また先程の爆発を食らわされでもしたら堪ったものではない。

 ゴーレムが大きく仰け反ったかと思うと、組み上がったばかりの頭部から白く輝く風を吐き出す。偶然近くにいたエールがそれを浴びた瞬間、彼女の手足の先が石にでもなったかのように白く硬化した。エスメラルダが治療に、ケイナがその間のフォローに向かうが、そうなると当然ゴーレムの合体阻止に割ける手数は減る。次々に重なり合う石像たちによって胴体が持ち上がり始めるのを見て歯噛みするマリウスのコートをリズが引く。

「マリー……あそこ」

「何だ? ……胴体? あれがどうした」

「いちばん大事なとこ」

 マリウスはしばし少女の顔を見下ろしながら考え込み、やがてあっと声を漏らして顔を上げた。相変わらずの言葉足らずっぷりだが、言いたい事は理解できる。つまり、そこが中心部なのだ。四肢と頭が爆散しても胴体はその場に残っていた――となれば、狙うべきはいくら破壊しても石像たちが際限なく現れる限り再生を続ける部位ではなく、胴体だ。

 治療を終えたエールたちが前線に復帰してきた。欠けていた脚は既にあらかた組み上がりつつある。逡巡している暇は無い。万が一に備えて防御の準備をしながら、マリウスは叫んだ。

「リズ、もう一度炎爆弾だ! ケイナは胴を叩け!」

「! わかった……!」

「エールも二人に合わせろ! 一気に削りきる!!」

「はいっ!」

 指示を受けた二人が一斉に動き出す。マリウスは盾を構えながら本体の脚に合流しようとする石像を狙い撃った。数秒の猶予が生まれたのを見計らって盾の陰に滑り込んだエスメラルダが、息を切らしながらも取り出したスモークと小瓶をゴーレムの足下に転がす。気化した薬品がスモークに反応して一瞬のうちに周囲へ広がった。同時にゴーレムの脚が完成する。

 巨人がぐっと立ち上がり身を丸める、よりも先にリズが命令を下した。死霊が炎の渦と化し辺りを呑み込む。スモークロットの力も借りて爆発的に拡散した炎へ、エールが自身の剣を滑らせる。刀身が赤い光を纏った。そのまま火の海を駆け抜け刺突を繰り出す。破壊された胸部の石像が崩れ落ちる……が、まだ足りない。ゴーレムが爆発の予備動作に入る。一足のうちに巨体を駆け上ったケイナが、守りの薄くなった胸部に刀を突き立てた。一度大きく捻って勢いよく引き抜く――そこに再びエールが飛び込んだ。追撃(チェイス)。突き刺した剣の先で、何かが音を立てる。

 ゴーレムがぴたりと動きを止めた。固唾をのむ『カレイドスコープ』の目の前で、石の巨人は小さくその身を震わせると音を立てて崩れだす。途端に周囲の石像たちもその場で静止し、ただの石像へと変わった。ゴーレムが完全にその姿を石の山へと変え、転がり落ちた欠片が池に落ちて水底へと沈んでいったところで、ようやくエールが振り返って口を開く。

「勝ったんですか? わたしたち……」

「そう……みたいだな」

 マリウスが応えれば、エールの表情はみるみるうちに輝きだす。彼女はいつもより余分な動きの多い手つきで剣を鞘にしまうと、いちばん近くにいたケイナの手を取ってぴょんぴょんと跳ねた。

「やった! やりましたよー!」

「あっああ……うん……!」

 喜びのあまり今にも踊り出しそうなエールと白黒させるケイナを横目に、大きく息を吐いたエスメラルダがちょこちょこと歩いて広間の西側へと向かっていく。その先にあるのは道の端から端までを遮る石の柱だ。水際ギリギリを踏み、大きく身を乗り出して柱の向こう側を覗き込む。

「あ、やっぱりこっちにもいましたね」

 遅れてやってきたマリウスもエスメラルダの頭上から柱の裏に目をやる。そこには台座から降りたところで動きを止めた石像が二体、柱に向かったままじっと佇んでいた。この様子だと東側にある柱の向こうも同じ様子だろう。辺りを見回し、マリウスは呟く。

「柱をこっちに出しておいて良かったな。あれ以上数が増えてたら大変だった」

「ステファンさんにお礼言っておかないとですね」

 エスメラルダの言葉にマリウスは神妙に頷き返す。先日のステファンの分裂合体がどうこうという話を聞いてから、一行はもしやこの迷宮に存在する石像すべてが「ゴーレム」なのではないかと警戒しながら日々を過ごしていた。迷宮中に点在する全ての石像が一カ所に結集し、一体の巨人となる……考えるだに恐ろしい事態だ。結果的にそうはならなかったものの、念のためにと作動させておいた迷宮の仕掛けが功を奏したようである。

 鞄に残った薬草の数を確認しながらエスメラルダはほっとした様子で言う。

「これで『ヴォルドゥニュイ』も他のギルドも先に進めるし、マリウスさんはお姉さんにちゃんと報告できるし、万々歳ですね。……のわりには、浮かない顔ですけど……」

「あ、ああ……いや、姉上に報告に行くのも、ちょっとだいぶ……怖くて……」

「そうですか……」

 相槌を打ちながらこちらを見上げてくるエスメラルダの目には、哀れむような呆れたような色が滲んでいる。何となく居たたまれない気持ちになって視線を逸らしたマリウスだったが、ふと浮かんだ疑問にもう一度エスメラルダを見て口を開いた。

「お前も先に進めるようになって嬉しいか?」

「? そうですね。僕も折角こうして冒険者になった訳ですし、上にいきたい気持ちはありますから」

 淀みなく答え、エスメラルダはマリウスをじっと見上げた。あなたは違うんですか、とでも言いたげな様子である。マリウスはそうだよな、小さく頷いて肩にかけた重砲のベルトの位置を直した。

「――マリウスさあん! この……何でしょう? 本体の中にあった欠片、何かに使えそうです! 持って帰りましょう!」

「え……何だそれ? キラキラしてるが……」

「結界のかけら」

「そんな大事そうなもの持って帰って大丈夫なのか?」

 問われたリズは首を傾げる。……まあ、大丈夫という事にしておこう。

 アリアドネの糸を取り出し、帰還の準備を始める。ひとまずこれで評議会からのミッションも……ジュディスからの試練も、無事達成の筈である。


     ◆


 ゴーレムが討伐され、第二層への道が再び開かれた――タウンクライヤーが声を上げ、報せを街へと広めていく。舞い込んできたニュースに人々がどう反応しているかも目にしないまま、評議会への報告もそこそこに済ませた一行は連れ立ってジュディスが滞在する宿を訪れていた。といっても、実際にジュディスと対面しているのはマリウスひとりだ。他の四人が半開きのドアの隙間から固唾を呑んで見守る中、マリウスは椅子に腰かけた姉に粛々と事の次第を報告する。

「……そういう訳で、仰った通り評議会から課せられたミッションを完遂して参りました」

「…………」

「私たちは「実力」を示しました。迷宮に挑むのに不足は無いはずです。私は屋敷には戻らない……認めて頂けますね、姉上」

 言葉そのものは強気なようだが、その声は僅かに震えている。ジュディスは腕を組み、じっとマリウスを見つめたまま口を開かない。重々しい沈黙が続く。

 果たして、ジュディスはマリウスが冒険者として探索を続ける事を許してくれるだろうか。見守る四人の意見は許してくれる派が二人、許してくれない派が二人で綺麗に半々に分かれているが……ともかくこのギルドはマリウスの支えによって成り立っているところが大きい。万が一彼がいなくなってしまえば探索どころかギルドそのものが存続の危機に陥ってしまう。それに、ここまで一緒にやってきた仲間がいなくなるのは単純に嫌だ。どうにかしてジュディスには折れてほしいところだが……。

 ジュディスが深い溜息をこぼしたのは、ついに集中力を失ったリズが廊下をうろうろと歩き回って調度品を様々な角度から眺め始めた頃だった。マリウスの肩が僅かに強張る。緩慢な仕草で組んでいた腕を解き、ジュディスは頬杖をついて弟に鋭い視線を送る。

「良いだろう。力を示せと言ったのは私だ。それを撤回するつもりは無い」

「では」

「だが……やはり、お前をアイオリスに置いて私ひとりが屋敷に戻るわけにはいかない。領主ではなく、姉としてな」

 だから、と、そこで言葉を切るとジュディスは勢いよく立ち上がる。そのまま机の上に置いてあった書類へ手を伸ばすと、紙束の一番下に挟んでいた一枚の書状を引っ張り出し、思わず半歩退いていたマリウスへと突き出した。マリウスは困惑しつつもそこに書かれた文字列を目で追い、そしてさっと顔を青くする。

「ギルド加入……許可証……『カレイドスコープ』?」

「私もお前たちに同行させてもらう。嫌とは言わせないぞ。お前が勝手にするというのなら、私も勝手にするまでだ」

 廊下の四人が顔を見合わせた。マリウスはしばし陸に揚げられた魚のように口をぱくぱくさせ、それからがくりと膝から床に崩れ落ちる。ジュディスは座り込んで呆然とする弟を見下ろし、おもむろに額を押さえるともう一度深い溜息を吐いた。

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