【Re:D2】01

01 セレスト・ブルー海賊団は休暇を楽しむ筈だった。


 船が難破した。

 難破――というには少々語弊があるかもしれない。この世界に存在するおおよその物には寿命というものがあり、当然船舶にも寿命、つまり耐用年数があって然るべきであるという事は、恐らく多くの人にご理解頂けるであろう。だからつまり、今回の件についても難破という予期せぬ災難が偶発的に発生したのではなく、来たるべき時が正しく訪れただけなのだ、と解釈すべきである。まあ問題はその来たるべき時が最悪のタイミングで来てしまった事なのだが。

「金がないんだよねえ」

 と、そう嘆息したレイファの横顔を、ティルは眉をひそめて見つめる。

 彼らセレスト・ブルー海賊団は、その名の通り海賊団である。正しくは某国の政府から発行された免許を盾に特定の海域でブイブイ言わせている「私掠船」なのだが、いま現在彼らがいるこの場所はその海域どころか海の上ですらないので、私掠免許の効力は一切存在しない。ただの船に乗ってきたガラの悪い連中である。

 その上、先に言ったとおり彼らの船は難破したのである。長年に渡って海賊団の足、あるいは寝床、あるいは砦として洋上を駆け抜けてきた彼女(・・)に寿命が迫っている事など、乗っている当人たちは百も承知だった。故に、今回の航海で引退させる予定だったのだ。本当は。しかし運の悪い事に、港に着く直前で海賊の襲撃を受けてしまった――海賊とはいっても地元のちゃちなチンピラである。戦闘はごく短時間で終わった。しかし年老いた船は短時間でも衝撃に耐えることはできなかったようだ。足下から聞こえた、泣き声にも似た破壊音の嫌な響きを覚えている。

「まあ、港に辿り着けたのは幸いだったよね。財産もなんとか運び出せたし。それでも新しい船の分を支払うには足りないんだけど……」

「材木はどのくらいの儲けになったんだ?」

「予定してた額の七割くらいかな……」

 レイファの返答に、ティルはふーむと唸って指折り数える。本来の予定なら、手持ちの予算に古い船をそのまま売り払った儲けを足して新しい船の購入代にする予定だったのだ。しかしアテにしていた収入が三割減となると、こちらとしてもたいへん困る。何故なら船を買わなければ当然海には出られないし、そうなると拠点の海にも戻れないのだ。

「本当、どうしようかね。静養に来たはずなのに、どうして心労が増えてるんだか……」

「とりあえず一度落ち着こう。ここは人も多いし、働く場所もきっとある。宿だって予定通り借りれたし、どうとでもなるさ」

「ああ……いや待って、前にもこんな事なかった? あの時は確か……」

「今回も同じだぞ」

 そう言いながらティルは寄りかかっていた壁を離れ、カーテンの引かれていた大窓へと歩み寄る。薄手の布を勢いよく引けば、明るい日射しが室内を跳ね返った。レイファがまぶしそうに目を細める。錠を上げて窓を開け放てば、そこにはまるで絵画のような美しい光景が広がっていた。

 まず目に入るのは青く輝く広大な湖だ。真上から射し込む太陽光を反射し、水面は穏やかな光を湛えて揺らめいている。そして湖の縁をなぞるように並ぶ橙色の屋根の街並み。湖に繋がる河には大きな橋が架けてある。これまで訪れたどの街でも見たことがないような美しく巨大な橋の下を、小さなゴンドラがいくつも行き交っているのが見えた。先頭を行くゴンドラが湖へ出る。その行き先に遠く見える対岸の、そのまた向こうにそびえ立つ巨大な樹の影は……。

「世界樹だ。懐かしいな?」

「……勘弁してよ……」

 レイファが盛大な溜息を吐き、ティルも肩をすくめた。


 湖畔の街オーベルフェ。そう呼ばれるこの街の存在をティルが知ったのは、ひとつ前の港で航海の計画を立てている時の事だった。この場所を目的地に選んだ船長曰く、その街並みの美しさから観光業が盛んであるとか。また曰く、古くから高度な錬金技術を有しており、ほかの土地より便利で快適な暮らしが送れるとか。しかしとりわけ彼の関心を引いたのは、この場所が古くから療養によい土地として有名だった事だ。気候は穏やかで空気も清浄、おまけに湯治までできるこの土地で、ゆっくり休ませたい人がいたのだ、船長には。

 彼の意向にはティルもおおむね賛成だった。そして海賊団の慰安旅行も兼ねて……船の喪失というアクシデントを押してまでわざわざ内陸のこの街まで赴いたその判断は、恐らく正解だっただろうと思っている。

 ドアの向こうから話し声が聞こえる。次いで、渇いた咳の音も。部屋の主を気遣うレイファの声を聞きながらティルは部屋の前から離れて階下の炊事場へ向かう。飲用水を汲んだ水瓶をひとつ、部屋に持っていかなければならない。

 嫌な咳だ、と、あの音を聞くたびに思う。振り絞るように吐き出されるそれを聞くと、漠然とした不安が湧き上がってくるのだ。だが、きっと大丈夫だ。旅の疲れが出たのだろう。少し休めば状態も落ち着くはずだ……意識して思考を楽観的な方向へ傾けながら階段を下りきったところで、視界の外から飛び出してきた影に彼は咄嗟に足を止めた。顔をしかめ、そのまま走り去っていこうとした背中に声をかける。

「ベロニカ。危ないから走るな」

「え? あーごめんごめん」

 足を止め、くるりと振り返った彼女だったが、その態度はどこか上の空だ。どうかしたのかと訊けばベロニカは困り顔で実は、と口を開く。

「船長捜してるんだけど、姿が見えなくて。どっかで見た?」

「……いないのか?」

「セリカもね。見てないなら、外か……」

 そう呟くベロニカの表情はどことなく険しい。ティルは溜息を吐いた。ベロニカの横をすり抜け、玄関へと向かう。

「上に飲み水持っていってくれ。瓶ごと」

「はいよ。見つけたら連れ帰ってきて。港に残してきた奴らから手紙きてたから」

 ティルはひとつ頷き、玄関から外へと出ていく。オーベルフェの街を一望できる小高い丘の上に建つこの建物は、今はあまり使われていない古い療養所なのだという。安く借りられたわりに状態は良く、環境も景観も申し分ないアタリの物件ではあるが、立地が立地なだけに市街地へのアクセスが悪いのが難点だ。だが、外に出るなら向かう先は街だろう。何故ならオーベルフェは観光地だ。せっかくこうして訪れたのに街並みを見て回らない理由は無い。

 辺りを見回して周囲を確認し、ティルは足早に丘を下りていく。その顔に浮かぶ表情は先ほどのベロニカのそれとよく似ていたが、それを指摘してくれる者は誰もいなかった。


     ◆


「パパ! 見てくださいまし! あの方々、あんな貧相な船に乗っていますわ。お金が無いのかしら?」

「あれはゴンドラっていうんだぜ、セリカ」

 石橋の上に立ち、欄干にもたれかかって言葉を交わす男と少女に道行く人は怪訝な視線を向ける。が、会話の内容から二人が不穏な関係ではないと分かると、すぐに興味を無くした様子でそれぞれの行き先へと向き直っていった。周囲の様子を横目で窺っていたインディゴは小さく肩をすくめると改めて傍らの少女に意識を向ける。楽しげに身を乗り出して眼下の水路を覗き込む彼女に、男は穏やかな声で語る。

「手漕ぎの渡し船だ。水路は海ほど波が無いから、あんなちゃちな造りの小船でも安定して走れる。ここみたいに水路の多い街では日常的な移動にああいう船を使うんだよ、荷物も持たなくていいしな」

「なるほど。あの方々が貧乏というわけではありませんのね」

 覚えましたわ。と呟いてうんうんと頷くセリカの姿に笑みを浮かべ、インディゴもまた彼女の視線の先を見る。水路をゆっくりと進む小舟は小綺麗な装飾がなされており、船頭の衣装も質素なようでいてそれなりに上等だ。乗客も地元民には見えないし、恐らく観光用の遊覧船だろう。初めて足を踏み入れた時から感じていたが、ああいった光景を見るとやはりこの街は聞き及んでいた以上に平和で、豊かな街なのだと改めて実感させられる。

 見える景色も、聞こえる音も、吸い込む空気も、穏やかで澄んでいる。保養地にここを選んで正解だった。ここでならきっと根深い病も少しは軽くなるだろう……と、思ったところでセリカが彼の腕を引いた。見てみれば彼女は大きな瞳に喜色を浮かべてこちらを見上げている。

「わたくし、住むならこんな街がいいですわ。とっても綺麗だし、お父さまの病気も良くなりそうですもの。ねえ、どうかしら?」

「でもここに住んだら海には出られねえぞ。港まで馬車で移動するだけで一日潰れるしな」

「それは嫌ですわ!」

 声を上げ、セリカはインディゴの腕に組みつく。子どもらしいわがままに苦笑して少女の頭を撫でたインディゴは、さて、と腰かけていた欄干の縁から立ち上がって大きく伸びをする。

「そろそろ行くか。ついでにおやつも買ってこうな」

「はあい」

 素直に応えて隣に並んだセリカと共に、インディゴは市街地へと足を踏み出す。細い脇道を抜けて大通りに出ると一気に人通りが増えた。はぐれないよう辺りに気を配りつつ目的地へ向かうインディゴに、セリカが問いかける。

「パパは世界樹のある街に来るのは二度目ですわよね?」

「ん? ああ……前回ももうだいぶ前だけどな」

「前はどんな風でしたの? こことは似てますの?」

 インディゴは少し考えた。しばし悩み、小さく唸って答える。

「似て……はいねえな。ああ、水辺の街ってのは同じか……」

「迷宮は? 迷宮はどうですの?」

「ここのは前行った迷宮とはぜんぜん違うらしいぜ。まだ行ってないから俺も分からねえけど」

 そこで一度インディゴは言葉を切る。不思議そうに見上げてくるセリカをちらりと見やり、小さく笑うと彼は歌うように呟いた。

「ま、多分ここには変なやつはいないだろ。機械の兵士とか、人食い半魚人とかな……」

「……?」

「さ、着いたぞ」

 そう言ってインディゴが足を止めたのは、オーベルフェの中心部でもひときわ大きな建物の前だった。見るからに立派な石造りのそれには多くの人々が入れ替わり立ち替わり出入りしており、その多くは武器や鎧を身につけた町人らしからぬ人物だ。きょろきょろと辺りを見回していたセリカが建物の出入り口に掲げられていた看板を見つけ、確かめるようにその表記を読み上げる。

「オーベルフェ……冒険者ギルド」

「どこの街でもギルドはギルドなんだな。入ろうぜ」

 アーチ状の出入り口をくぐり、屋内へ入る。インディゴは二、三度周囲の人の流れを確認すると、迷わずに建物の奥へと進んでいく。その先にあったのは何かしらの受付業務を行っているらしいカウンターだ。係員の男性に何事か話し、筆記具と用紙を受け取るとインディゴはにこやかに部屋の脇に設置された机に向かう。

「書くだけでいいんだってよ。街が平和だとこういう手続きもユルくていいな」

「わたくしも書きますの?」

「あー、名前は基本的に自筆だな、こういうとこは。書きたいのか?」

「書きたいですわ!」

 嬉々としてペンを握るセリカに、インディゴが用紙を手渡す……寸前で割り込んできた手が彼の手首を掴んだ。セリカがきゃあと悲鳴を上げる。インディゴは自身の腕を力強く掴む指をしばし見つめ、はあ、と嘆息してから割り込んできた人物へ視線を向ける。

「なんだよ怖い顔して」

「お前、何をしようとしてるんだ……?」

 どうやらここまで走ってきたらしい。荒く肩を上下させたティルは、インディゴの手首を掴む指の力を緩めないまま険しい表情で問いかけた。インディゴは肩をすくめて応える。

「何って、まさか表の看板読めなかったのか?」

「そういう話をしてるんじゃない。ここが冒険者ギルドで、お前がその用紙で登録をしようとしてる事は見れば分かる。オレが訊きたいのは、どうして冒険者登録なんかしようとしてるのかと、どうしてセリカにもその紙を渡してるのかという事だ」

「お、お兄さま……」

「日に日にチヨに似てくるな、お前……」

 ティルは盛大に顔をしかめた。インディゴはおろおろと二人の顔を見上げているセリカにウインクをひとつ飛ばし、一呼吸入れると改めてティルへと向き直る。

「お前だって分かってるだろ? 今の俺たちに足りないのはとにかく金だ。こうも財布が軽いと安心して休養もとれやしない」

「だからって世界樹の迷宮に? ……あんな目に遭ったのに?」

 信じられないとでも言いたげな言葉にインディゴは何も応えない。

 「あんな目」とは言うまでもなく、彼らセレスト・ブルー海賊団が以前に経験した世界樹の迷宮での冒険の事である。もう十数年も前の出来事になるが……まあとにかく、大変な思いをしたのだ。当時ティルは右も左も分からない子どもだったが、迷宮に入ってたびたび死にかけた事と大人たちの雰囲気がとてつもなく悪かった事はよく覚えている。

 ティルとしてもインディゴが勝手に迷宮に入ると言うならこんなに強くは止めないが、セリカまで連れていくというなら話は別だ。命の危険がつきまとう場所に子どもを連れて入るのは、いくらアウトローとはいえあまりにも無謀で考え無しで無責任である。

 ティルが至極真っ当に指摘すれば、インディゴはやれやれと首を振る。

「おいおい、俺だってそんな事は分かってるっての。お前知らねえのか? ここの世界樹は「迷宮」じゃない。「不思議のダンジョン」だよ」

「不思議の……何?」

「不思議のダンジョン。ほらこれ見ろ」

 と、そう言ってインディゴは懐から取り出した紙をティルの目の前に突き出す。観光客向けのパンフレットか何からしいそれを、ティルは目を細めて読む。

「入るたび地形の変わる……結晶の恵み……神の国の入口……」

「まあ、そこはさして重要じゃない。本題はこっちだ、こっち」

 あっけらかんと言いながらインディゴは再度荷物を漁り、数枚の紙を引っ張り出した。細かい文字がびっしりと書き連ねられたそれは、どうやら何かの学術書、もしくは論文の写しであるようだ。整った手書きの文字――インディゴの字である。彼は見かけによらず達筆だ――を、ティルは目をちかちかさせながら追う。

「『不思議のダンジョンにおける砦の建設の有用性と』、ああ……ええと……」

「『磁軸の固定化による磁流の制御を前提とした緊急脱出機構の構築』。お前には難しいか。長くなるけどちゃんと聞けよ」

 そう前置き、インディゴは大きく息を吸い込んで語りだす。

「ざっくり言うと、そうだな。不思議のダンジョンでは磁軸を人工的に作る事ができて、糸がなくてもある程度任意の場所から自由に出入りができるそうだ。どうも迷宮の内部に砦を造って拠点化して、そこに磁軸を繋いでるって話だな。その上どっかの研究者が冒険者の状態を検知して生命の危機に陥った場合は自動的に転移を行う機構を開発して、ギルドに登録してる冒険者にはそれが必ず支給されるらしい。元々はアスラーガの世界樹でやってた施策なんだが最近同じ不思議のダンジョンを有するオーベルフェにも導入されたらしくてな。アスラーガで培われたノウハウがそのまま持ち込まれた事もあってかオーベルフェは冒険者の死亡率が劇的に低い。まあつまり、糸を忘れた状態でパーティが壊滅したら生還はほぼ絶望的だったアーモロードの迷宮とは話が違うんだよ。それにオオヤマネコがいない。浅い場所なら砦が建造されてて危険な魔物も少ないし、散歩気分で歩き回れるって話だしな。そして何よりオオヤマネコがいない。というわけでセリカを連れていって社会勉強させても問題ないんじゃないかと俺は思うんだがお前はどう思う?」

「え、あ、うん……???」

 理解できる限界を超えた情報の洪水をワッと浴びせられたティルが完全に混乱して頷く事しかできなくなったのを確かめ、インディゴはよっしゃ! と気合を入れると改めて用紙をセリカに渡す。二人のやりとりを神妙に見守っていたセリカは不安げな顔でインディゴを見た。

「パパ……本当に大丈夫ですの? やっぱりわたくし……」

「いいんだよ、行ってみたいんだろ? さ、早く書いちまいな。どうせ大目玉食らうんだから今のうちに全部済ませておかねえと……ああ、ギルド名……まあいいか、前と同じで」

 ついでにこいつのも書いとくか、と記名欄にティルの名前を書くインディゴの横顔をしばし見ていたセリカだったが、んふ! と嬉しげに笑うとティルの名前の下に自身の名を書き込んだ。

 セレスト・ブルー海賊団改めギルド『セレスト・ブルー』。彼らの掲げる至天の名を戴いた彼女は生まれて間もなく船の一員として迎えられ、船長の娘として健やかに育てられてきた。そんな彼女のささやかな夢こそ、まさしく「世界樹の迷宮」の探索だったのだ。

 父や仲間たちがかつて冒険したかの迷宮を、自分も見てみたい。いかにも子どもらしいささやかな夢が叶うその時を目前にして、少女は高揚していた。抑えきれない胸の高鳴りをぶつけるように、ギルド設立の申込用紙に記入を続けるインディゴに抱きつく。

「うお、何だ」

「パパ、だーいすき! ですわ!」

「ッフフ……急にどうした? フフフ……」

 ニヤニヤしながら書き終えた用紙を受付に持っていくインディゴと、ぴょんぴょんと小躍りしつつ彼についていくセリカを、いまだ混乱から立ち直れていないティルはただ見送る。彼が正気を取り戻して真っ青な顔で父娘を追って走り出すまで、あと一分ほどである。

みむら屋樹海支店

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