序
アーモロードは今日も快晴である。窓の外から聞こえる喧噪は、夜明け前から漁に出ていた漁師たちが港に戻ってきた合図だ。彼らの帰還と共に市場が動き出し、同時に街も目を覚ます。いつもと変わらない、穏やかで騒がしい朝だった。
そうしてにわかに活気づく街を、開け放った窓から覗き込む少女の姿がある。ここは温泉街の片隅にある小さな宿屋の一室だ。荷物で溢れ返った狭い部屋の中で、彼女は軋む窓枠から外へ身を乗り出している。三色が混ざった不思議な色合いの髪を、涼やかな風が揺らす――爽やかな笑顔で、少女は言った。
「没落、いたしましたわ~っ!!」
没落したそうである。
アルテミシアは、大陸内部に存在するとある国家の、さる貴族家の令嬢である。否、令嬢であった。それなりの地位のある貴族の娘として何不自由なく暮らしていた彼女だったが、のっぴきならない事情があって地位と財産と家を失う事態になった。数ヶ月前のことである。家の仕事や責務に触れずに蝶よ花よと育てられてきたアルテミシアには詳しい事情はよく分からない。ただ、両親の死後家督を継いだ叔父に何か原因があったのではないかと推測している。彼は身内であるアルテミシアに対しても横暴な、よくない大人だったのだ。
そういうわけで彼女は祖国から旅立つはめになった。追放されただとか祖国に戻れば何かしらの罪に問われるだとかではないが、だからといって今まで築いてきた一切合切を失ってそのまま同じ場所で生活を続けられるわけもない。
内陸から街道沿いに移動して港へ出て、船に乗り込み移動すること数十日。なけなしの資産と有り余る時間を消費してようやく辿り着いたのが、ここ……海都アーモロードであった。
「せっかく没落したことですし、いろんな場所に行ってみたいですわね。そういえばわたくし海の近くに来るのは初めてですわ。ばあや、海岸に遊びに行ってもよろしくて? 貝を獲ってみたいですわ、この手で」
「いけませんよお嬢様。アーモロードの海には、危険な生き物がたくさんいると聞きますからね」
窓から眼下の海を見下ろしながら問うてきたアルテミシアに、ばあやは静かな声で答える。彼女はアルテミシアが幼い頃からの世話係で、今となっては唯一の使用人であり家族ともいえる存在である。
むっとしたアルテミシアが振り返れば、彼女はちょうど大きな鉈を研ぎ終えて鞘に収めているところだった。どうやら外出の準備をしているようだ。
「ばあやが着いてきてくれれば大丈夫ですわ」
「わたしは一緒には行けませんよ。これからお嬢様のために、生活費を稼いできますからね」
「せ、せいかつひ……?」
「じゃあ、ばあやは行ってきますよ。留守番中に気を付けることはここにメモを置いておきますから、しっかり読んでおいてくださいね」
そう言い残し、鉈やその他細々とした荷物を背負ってばあやは部屋を出ていく。ひとり残されたアルテミシアは迷いのない足取りで去っていった彼女を半ば呆然と見送り、それからおよよ……と情けない声を上げて窓枠に寄りかかった。まさか、生活費とやらをわざわざ稼ぎに行かなければならないほど生活が困窮しているとは。せっかく海が綺麗だというのに、ままならないものである。
部屋に残されたからといって、特にやる事があるわけでもない。しばし外の景色を眺めながら考えていたアルテミシアだったが、やがて窓を閉めて意を決したように立ち上がった。そしてばあやが机の上に置いていったメモ書きを手に取り、丹念に目を通す。
ふんふんと頷きながらひととおりメモの内容を読み込んだ彼女は、普段着のドレスの上に薄手のマントを羽織ると弾む足取りで部屋を出ていった……途中でドアの施錠を忘れた事に気がついて慌てて戻ってきたが、ひとまず出ていった。部屋にいてもやる事がないのであれば、外に出ていくより他に選択肢は無い。
先に述べたとおり今日のアーモロードは快晴である。大通り、それもアーモロードの名所のひとつである温泉街の一角ともあれば人でごった返すのは当然の事だ。周囲の風景を物珍しげに見回しながら、アルテミシアはゆっくりと通りを歩いていく。
すれ違う人との距離が近い。ばあやのメモによれば、こういう状況では懐から荷物を抜き取っていったり、わざとぶつかって言いがかりをつけて金品を奪おうとしてきたりする人に注意しなければならないらしい。果たして本当にそんな人間が実在するのか、アルテミシアには想像もつかなかったが、ばあやがこうして与えてくれる忠言はたいていの場合正しいものであることを、彼女は幼少の頃からの経験で知っていた。
人混みに注意しながら通りを行く。アーモロードはとにかく傾斜が多い。急な坂道や階段を上り下りして移動する街の造りは、肥沃な平野に位置する都市で生まれ育ったアルテミシアにとっては何もかもが新鮮だった。階段を駆け上った先、街の高い場所から見える海の青さに目を輝かせる彼女だったが、ふと自らの頭上に落ちた影の存在に気付いて振り返る。
……その影の主が背後の遠く離れた場所にそびえ立つ大樹である事に気付くまで、しばらくかかった。意識して見なければそれが樹である事には簡単には気付けなかっただろう。あまりにも巨大すぎて、その全貌はどれだけ必死に首を逸らして見上げようとしても捉えることができない。
あの樹がなんと呼ばれているかは、流石のアルテミシアでも知っている。あれは、「世界樹」だ。
アーモロードの中心にそびえる世界樹はこの街の象徴であり、外からやって来る人々をこの島へ誘う呼び水だ。色鮮やかな街並みに似つかわしくない武具を纏った人々が通りを歩いていく姿を見つめながら、アルテミシアはうーんと唸る。初めて見たときは驚いたものだが、もうすっかり見慣れてしまった――彼らは「冒険者」である。世界樹の麓にあるという天然の迷宮に挑むため、世界各地からやって来た命知らずの戦士たちだ。
彼らが危険な船旅――アーモロード近海は、百年ほど前の大異変により潮流が複雑化しており、場所によっては航行する事すら困難なのだ――を乗り越えてでも迷宮に挑みたいというその気持ちを、アルテミシアはあまり理解できない。だがきっと本人たちには見えているのだろう。あの迷宮の底に、命を懸けるに値する何かの姿が。
まあ、わたくしは温泉に入ってのんびりいたしますけれど。アルテミシアは世界樹の麓で向かう冒険者たちから視線を外し、海の方へと視線を向けた……と、同時に視界の端で何かが跳ねる。あら、とそちらを見てみれば、石畳の上を転がってきた小さな鉱石のようなものがちょうど爪先の横で止まったところだった。
見たことのない色をした石を何とはなしに拾い上げてまじまじ眺めていると、慌てた様子の青年がひとり、アルテミシアの元へと駆け寄ってくる。彼の様子を見て彼女も状況を理解した。にっこりと笑って鉱石を青年へ差し出す。
「あなたの持ち物ですの?」
「うん。ごめんね、拾わせちゃって」
「お気になさらないで。……あの、この石は何かの宝石か何かでして? 綺麗な色をしているものですから、気になって」
アルテミシアの問いかけに、青年は目を瞬かせる。アーモロードでも大陸でもあまり見かけない、東洋風の珍しい格好をした彼は、手の内の鉱石を見て少し考え込んでから答えた。
「これは葉銅鉱だよ。宝石にもなるのかな、私はあまり詳しくないのだけれど」
「まあ、聞いたことのない石ですわ。アーモロードの特産品かしら」
「うーん、そうかもしれないね。世界樹の迷宮で採れるものだから」
今度はアルテミシアが目を丸くする番だった。青年の掌の上に乗っている鉱石は見るからに掘り出されたばかりの荒々しい形をしているが、陽の光を反射して輝く淡い緑色は浅瀬の海にも似た美しい風合いだ。
「迷宮にはこんな綺麗なものがありますの?」
「色々採れるよ、石だけじゃなくて珍しい植物なんかも。私もまだ迷宮に入り始めて日が浅いから、そんなに詳しくないけどね」
「そうでしたの……わたくし、迷宮はただ恐ろしいだけの場所だとばかり思っていましたわ」
「危険なのは本当だけれど。私なんかは戦いも全然得意じゃないし……でも、生活するにはどうしてもお金が必要だからなあ。宿代も馬鹿にならないし……」
「やどだい」
オウム返しに呟いて、アルテミシアは半ば呆然と考え込む。宿に泊まるのにも料金がかかる。今まで屋敷か別荘でしか寝泊まりしたことがなかったので思いもよらなかったが、言われてみれば当然のことだ。そして同時に思い出すのは「生活費を稼ぐ」と言って出かけていったばあやの姿である。嫌な予感に背筋が汗ばんでくるのを感じつつ、彼女は再び青年に声をかける。
「あのう……」
「何だい」
「このあたりのお宿は、泊まるのにどれくらいお金がかかるか教えていただいてもよろしくて……?」
「宿? うーん、冒険者向けのところは割安だけど、この辺りっていったら温泉街のほうだよね? それなら、結構すると思うけど」
安くてもこのくらいかな、と示された数字に、アルテミシアはおよよ……とおののく。一昨日こっそりお財布を開いて数えた今の全財産が、ほんの数日で無くなってしまう額だ。貴族の箱入り娘でも分かる、これはとってもよろしくない状況である。
確かに今の宿で好きなときに温泉に浸かって三食おいしいご飯をお腹いっぱい食べてふかふかのベッドで陽が高くなるまで寝たい気持ちはおおいにあるけれど、そのためにばあやに毎日どれだけの生活費を稼がせる事になるのか……それに考えが及ばないほど、アルテミシアは世間知らずではない。彼女はぐっと拳を握りしめる。由々しき事態だ。呑気にお散歩などしてはいられない。従者ばかり働かせて自身は安穏と惰眠をむさぼるなど言語道断である。そのような行為、まったく高貴ではない!
「……あのー、どうしたの……?」
急に黙り込んで拳を握ったり決意の表情を浮かべたりしだした少女に、青年が困惑した様子で声をかけた。わなわな震えていたアルテミシアは、がばっと顔を上げると力強く宣言する。
「わたくし……やりますわ! 労働を!!」
「え? あ、うん」
「でも……労働っていったい何をいたしますの~!? 分かりませんわ~! わたくしが一人娘として大事に大事に育てられてしまったばかりに……およよ……」
「う、うん……?」
困惑する青年をよそに、アルテミシアは手頃な柵――なにぶん段差の多い街なので、至る所に落下防止用の柵があるのだ――に寄りかかってさめざめ泣く。わたくしの白魚のような指でいったい何の仕事ができるのかしら……と途方に暮れる彼女に、青年が声をかけようとした、その時であった。
「――オラッ! 捕まえたぞ! テメェ、よくも逃げ回ってくれたなァ!?」
物騒な声に青年の肩が跳ねる。驚いて声のした方を振り返ってみれば、そこにはひとりの女がいた。銃らしきものを手に凄む彼女の視線の先には、怯えきった様子の男がいる。
女から逃れようとする途中で凍りついたかのような不自然な体勢で壁にはりつく男の頭の横には、小さな穴が空いている……ちょうど弾丸と同じようなサイズの穴だが、まさか本当に弾痕な訳はないだろう。手の内でくるりと銃を回しながら、女が男へ詰め寄る。
「おいおいおい……何だァその態度? まさか生きて帰れると思ってオレらの前でナメた真似したんじゃあねえだろうな? ええ? よくもまあそこまで見くびってくれたもんだ……このお代は高くつくぜ。分かってんだろ? なあ? 何とか言えっつってんだろうがよ」
男はぱくぱくと口を開ける……が、その口を女の指が鷲掴む。どこからどう見てもただならぬ雰囲気だ。異変を察知した住民たちも顔を出し、街角は騒然とした空気に包まれる。アルテミシアもまた、不安を感じながら事の成り行きを見守っていた。隣にいる青年も固唾を呑んで様子を窺っている。
顎を戒める手を振り払おうと必死にもがく男に、女はごく自然な動作で銃口を押し当てる。群衆の中から小さな悲鳴が上がった。同時に野次馬をかき分けて躍り出る影がひとつ。
「ホド!」
「遅ぇぞビナー。どこで油売ってた」
目の前の男から視線も銃口も外さないまま、ホドと呼ばれた女は飛び出してきた偉丈夫にそう応える。彼は素早く辺りを見回すと、険しい表情を浮かべてホドに駆け寄っていく。
「街中で騒ぎを起こすな!」
「うるせえな……上には後で言っとく。それよりこっちが先だ」
「散々言われていただろう、くれぐれも目立つなと。計画を台無しにする気か?」
「ンな事言ってる場合か? いいからさっさと積み荷を探せ。面倒な事になる」
「だから、その情報をそいつから……!」
……言っていることはよく分からないが、とにかく物騒な雰囲気の二人組である。怖いですわね~……と呟き、アルテミシアは隣の青年を見上げる。彼も何とも言えない表情でこちらを見ていた。どうやら考えていることはお互いに同じであるようだ――近くにいて巻き込まれても困るし、今のうちにここを離れた方がいいだろう。
次第に激しくなる口論を聞きながら、二人は踵を返してその場を立ち去ろうとする。騒ぎが起こっているのとは逆方向にある階段へ向かっていくところで、ふとアルテミシアは足を止めた。……何か、物音がする。重いものがぶつかるような鈍い音だ。
音の出所を探そうと辺りを見回す彼女の目に、あるものが入る。それは街の片隅、陽の当たらない奥まった場所に建つ小さな木造りの小屋だった。強めの風が吹けばすぐにでも崩れてしまうのではないかと思うほど粗末な見かけのそれが、鈍い音と共にきしきしと揺れている。まるで中で大きな何かが暴れているかのように。
「な、な、何ですの……?」
おののくアルテミシアを見て、青年も異常に気付いたようだ。焦った表情で何かを言おうとした彼だったが、ひときわ大きな破壊音がそれを遮った。嫌な音を立てて小屋の扉が外れる。
出入口を塞ぐものとしての用をなさなくなった薄い板を弾き飛ばし、小屋から飛び出してきたもの。それは見たことのない姿をした大きな猫らしき動物だった。青と黄色の毛並みをしたその猫は激しく体を震わせると、すぐ近くにいたアルテミシアと青年へ視線を向ける。
たまたまそこにいただけの二人だったが、どうやら敵だと認識されてしまったらしい。牙を剥きだしながら敵意に満ちた唸りを上げる猫を見て、青年が強張った表情で後ずさる。
「オオヤマネコ……」
「あ、危ない生き物ですの?」
「魔物だ……迷宮にしかいない筈なのに……」
「魔物っ!?」
驚愕の声を上げるアルテミシアだが、驚いている余裕はない。今にも飛びかかってきそうな姿勢でじりじりと距離を詰めてくるオオヤマネコを見て、彼女は咄嗟に辺りを見回した。逃げる道は……駄目だ間に合わない!
青年が悲鳴を漏らす。オオヤマネコが唸りを上げて飛びかかってきたその瞬間に、アルテミシアはすぐそこの家屋の玄関先に置いてあった櫂(かい)を掴んだ。
そのまま思いきり振り抜けば、勢いの乗った櫂の先端は運良くオオヤマネコの横っ面に直撃する。地面に叩きつけられた魔物はしかし、大したダメージを負った様子もなく起き上がるとアルテミシアを睨んだ。アルテミシアはちらりと背後を見る。青年は腰を抜かしてへたりこんでしまったようだ。怯えた瞳と視線がかち合う。
考えるより先に体が動いた。櫂を構え、彼女は声をはり上げる。
「か……かかってきなさい! わたくしがいる限り、この方には指一本触れさせませんわ!!」
必死の挑発に乗ったのか、それとも人間の小娘ごときの吼え声など意にも介していないのか。オオヤマネコは再び牙を剥いてアルテミシアに飛びかかる。噛みつきは何とか避けることができた。お返しとばかりに櫂を叩きつけるが、やはり効いた様子はない。むしろこちらの方が先に折れ曲がって使い物にならなくなりそうだ。
固まる脚を叱咤して攻撃を避けながら、アルテミシアは漏れそうになった泣き言をぐっと飲み込む。どうして、自分はこんなことになっているのか。こんな棒切れ、あの爪と牙の前では何の役にも立つまい。死が足音を立ててそこまで迫ってきているのが分かる――だが、逃げ出すわけにはいかない。彼女の脳裏に浮かぶのは、今は亡きじいやが遺した言葉である。
――お嬢様。貴族にふさわしい立派な人間になりたいなら、綺麗な服を着て、椅子に座ってふんぞり返ってるだけじゃあいけない。
――あんたが立派だと思うことを、あんた自身がやんなさい。誰より先に、誰より胸を張って。それが、本当に気高い人間ってもんだ。
そう、貴族として生まれたから高貴なのではない。高貴であろうとする心が、己を真に高貴たらしめるのだ。たとえば怯える人を背に魔物と戦うこと。それは「立派なこと」だ。だからアルテミシアはこうして敵いもしない相手に立ち向かっている。武器が頼りない木の棒一本しかない今、じいやに習った槌術もきっと役には立たないだろう。だが、それでも。
アルテミシアは貴族である。没落したとしても、高貴な心だけは捨ててはならない!
「来なさいっ! わたくしがっ、やっつけて差し上げますわ……!」
息を切らして叫ぶアルテミシアに応えるように。オオヤマネコは地を蹴った。横に跳んで避けようとしたアルテミシアだったが、ちょうどひらめいたドレスの裾が魔物の爪に引っかかる。
そのまま引き込まれるように倒れたアルテミシアに、オオヤマネコは容赦なく覆い被さった。咄嗟に櫂を突き出して身を守る。だが力いっぱい叩きつけたせいで傷んだ木の棒は、数秒と経たずに噛み折られて石畳に吐き捨てられた。青年が何か叫んでいるのが聞こえる。何を言っているのかは、よく聞き取れなかった。鋭い牙と生臭い吐息が目前に迫る。
――ばあや、お母様、お父様、じいや、みんなごめんなさい……!
今までの思い出が瞬間的に脳裏に浮かんでは消えていく。絶対敵な死の影を前にして、ついにアルテミシアはぎゅっと目を閉じる。
瞬間、一面の闇であるはずの瞼の裏が、真っ白に染まった。
浮遊感。右も左も上も下も無くなったかのような感覚が全身を包む。水中よりも、空中よりも体が軽い……それどころか、体の感覚がひとつも無い。かたちを失って意識だけになってしまったかのような。ここが天国か、などと思う事すらできないまま、眩しい光にも似た一面の白が収束する。
気付いた時には、アルテミシアは再びそこに立っていた。オオヤマネコと対峙した状態で。
「……え!?」
思わず困惑の声を上げる。慌てて自身の体を見下ろしたが、傷ひとつ無い上に爪が引っかかってずたずたになった筈のドレスも無事だった。手の内には折れていない櫂が収まっている。これは、どういう事だ。自分は確かに、あの魔物にやられた筈ではなかったか。
しかし、困惑している暇はなかった。オオヤマネコが姿勢を低くしたのを見て、アルテミシアは咄嗟に横へと避けようとする……が、先ほどの記憶が脳裏をよぎった。あの時は横に跳んで、そのせいでドレスごと引き倒された。
ほんの一瞬だけ迷った。しかしすぐに覚悟を決め、アルテミシアは前へ一歩踏み出す。地を蹴ったオオヤマネコが牙を剥き出しにして肉薄してくる、その大きく開かれた口の中に、思いきり櫂を突っ込んだ。
屈強な魔物といえど体内を攻撃されれば平気ではいられない。喉奥を突かれたオオヤマネコが怯む。アルテミシアは渾身の力で、櫂を更に奥へと突っ込んだ。魔物がついに後ずさった、次の瞬間、軽い破裂音と共に手応えがなくなる。
オオヤマネコの体が崩れ落ちる――石畳の上に血溜まりができて初めて、アルテミシアはその血の出所が魔物の側頭部に刻まれた弾痕であることに気付いた。オオヤマネコが四肢をびくつかせながらももう起き上がりはしない事を確信して、そこでやっと緊張の糸が切れる。
へなへなと石畳の上に座り込んだアルテミシアに、近付いてくる足音がふたつ。
「無事か!?」
そう言って駆け寄ってきたのは、先程物騒な雰囲気で言い争いをしていた男女の、男の方である。確かビナーと呼ばれていた筈だ。彼はすっかり脱力して今にも倒れそうなアルテミシアの体を支えると、慌てた様子で彼女に声をかける。
「怪我は無いか。まともな武器もなしに魔物と戦うなんて、無茶をする……」
「おうビナー、そいつはいいから衛兵呼べよ。オレらで片付けんの面倒だ」
「ホド! 元はと言えばお前が……!」
「あーうるせえうるせえ。いいから行けって」
周囲には野次馬が集まりつつある。早急に事態を収拾するためにも、衛兵を呼んで魔物の死骸を処理してもらう必要があるだろう。苦々しい表情を浮かべ、ビナーはその場を離れていく。遺されたアルテミシアは、ゆっくりと近付いてきた女を半ば呆然と見上げた。
手の内で銃をくるくると回しながら、ホドは彼女の頭から爪先までをじろりと見下ろす。
「ふゥん……成程、良いじゃねえか。おもしれー女……気に入ったぜ」
低く呟いたホドの顔が、アルテミシアの顔にぐいっと近付けられる。硬直する彼女の目の前で、一本傷の入った女の顔はニヤリと笑った。
「テメェに決めた」
◆
「どうしてこうなりましたの~っ!?」
悲鳴じみた叫びを上げながらアルテミシアは槌を勢いよく振り下ろす。地面に落ちてもがいていたかみつき魚がひしゃげて動かなくなるのを見届けた彼女は、魚の死骸を躊躇なく掴み上げるとえーいっと気合を入れて遠くへ放り投げた。
何故か水中を飛び出して地上を跳ね回っている不思議な魚の魔物は、鋭い牙にさえ注意すれば大した相手ではない。それに今アルテミシアの手にあるのは武器としてはとても使えない櫂などではなく、金属製の戦鎚だ。これさえあれば百人力である。現に魚や蛙くらいなら簡単に叩きのめしているが、しかし、簡単にやっつける事ができるからといって心が軽くなるわけでもない。
「およよ……わたくし、お魚なんて調理済みのものしか相手にした事ありませんでしたのに……」
「……あの、大丈夫か?」
「ひゃあ!」
驚いて振り返れば、そこに立っていたのは半裸の偉丈夫である。彼は気遣わしげな表情でアルテミシアを見つめていた。
「落ち込んでいるようだが……いや、いきなりこんな事になって、落ち込むのは当然だな。すまない」
「い、いいえ! お気遣いいただき感謝いたしますわ。ビナーさんもお忙しいでしょうに……」
そう応えれば、ビナーは力なく頭を横に振る。彼はアルテミシアのことを何かと気にかけてくれる良心的な人物だが、パーティーの回復役や荷物の管理を担っているためとにかく仕事量が多いのだ。
「俺は……まあ仕事だから仕方がないが。君は元々、こんな所に来る予定は無かっただろう」
「それは、否定できませんわ……」
がっくりとうなだれるアルテミシアの頭上で、名前も知らない色鮮やかな鳥が一声鳴いて飛び立っていく。辺りに立ち並ぶ木々は南国らしく生命力に満ちあふれた緑を纏っていて、世界樹の麓からやってきた水は涼やかな音を立てて遺跡の隙間から下層へと流れ落ちている。
かの「世界樹の迷宮」の第一層、垂水ノ樹海と呼ばれる場所に、アルテミシアは立っていた――樹海の奥を目指す「冒険者」として。
なぜ、冒険者になったのか。その理由はアルテミシア自身にもよく分かっていない。ただあの街でのオオヤマネコとの死闘の後、ホドに引きずられるようにして冒険者ギルドへと連れていかれ、あれよあれよという間に登録届にサインさせられ、気付いたら彼女たちのギルドに所属させられていたのだ。
そもそも、ホドとビナーはアルテミシアが戦ったあのオオヤマネコの行方を追っていたのだという。詳細は省くが、二人は迷宮から稀少な動植物を持ち出して国外に密輸する闇商人――あの時ホドが詰め寄っていた男だ――がオオヤマネコを捕獲して持ち出したらしいという情報を入手し、密輸を阻止するため闇商人とオオヤマネコの捜索を行っていたのだそうだ。大捕物の末に下手人を捕らえる事には成功したものの、隠し場所を見つけるより先に囚われのオオヤマネコは自ら拘束を抜け出して暴れ出し、運悪くそこにアルテミシアたちがいた……というわけだ。
事の経緯はともかく、いったいなぜホドは自分に白羽の矢を立ててギルドに連れ込んだのか。アルテミシアにはさっぱり分からない。本人曰く「ちょうど五人目を探してたから丁度良かった」との事であるが……恐らくオオヤマネコに敗北しかけていた自分の姿も見ていただろうに、一体自分のどこを見て「おもしれー女」だと思ったのだろう?
「あいつはいつもそうなんだ、勢いで色んな事を勝手に決めて」
ビナーが溜息混じりにそう言って眉間を押さえる。
「ちゃんと話を通してから事を進めろといつも言っているのに……いったいどうしてこんな……」
「あ? ンだテメェ、オレの悪口か?」
脇からひょっこりと顔を出した当の本人の姿にビナーは盛大に顔をしかめる。何か言おうとした彼の顎を叩いて黙らせると、ホドはにやりと笑ってアルテミシアの顔を覗き込んだ。
「細かい事はどうでもいいだろ。別に断られたワケでもねえんだし、なあ?」
「え、ええとお……」
「コイツは冒険者の才能がある。このオレがそう言ってんだ、いいから黙って従っときな、後輩」
有無を言わせない口調でそう告げるホドに、ビナーは険しい表情のまま肩をすくめる。ホドは豪快な笑い声を上げると、少し離れた場所にいた残りのパーティーメンバーに向かって声をかけた。
「おい! そろそろ行くぞ」
「はいっす!」
元気に応えて先に駆けてきたのは隆々とした肉体を持つ長身の女だった。もうひとり、鎧らしきものを着込んだ金髪の男は、特に焦った様子もなく彼女の後ろをゆっくりと歩いてついてきている。それぞれ名をエメリンとオーギュストという。どちらもホドがこの街でスカウトして集めたギルドメンバーだ。
エメリンに数秒遅れてパーティーメンバーの元に合流したオーギュストが、手の内に握っていたものをビナーに差し出す。
「これ、魚のウロコ。鎧か何かの素材になるって聞いたし、一応回収しておいたよ」
「ああ、助かる」
「オーギュストさんは綺麗に素材が取れてすごいっす。アタシは取ろうとしたらちぎれちゃって、上手くいかなかったっす」
「素手で鱗をちぎろうとする人がいるとは僕もちょっと予想がつかなかったよ……また今度ナイフの使い方教えるから」
「わーい! お役に立つっすよ~!」
和気藹々としたやり取りを横目に、アルテミシアはふと考え込む。迷宮で入手できる素材……そういえば、あの青年はどうなっただろう。オオヤマネコが倒れた後はホドに引っ張られてすぐにその場を離れてしまったので、言葉を交わすどころか無事を確認する暇すら無かった。恐らく怪我などはしていないと思うのだが、挨拶もできなかったのは心残りだ。彼も冒険者だと言っていたし、こうして迷宮に潜っていればいつか再会できるだろうか。
「……おーい、……もしもーし! アルちゃん様?」
「はっ!」
我に返って顔を上げれば、エメリンがこちらを見つめていた。たくましい肉体美を惜しげもなく晒す彼女をついまじまじと見つめ返してしまって気恥ずかしい気持ちになりつつ、アルテミシアは慌てて応える。
「申し訳ありません、少しぼうっとしていましたわ」
「そうっすか。もし疲れたんなら言ってほしいっす。アタシ、担いで運ぶっすから!」
白い歯を見せて快活に笑うエメリンに、アルテミシアもつられて笑みを浮かべる。他の三人は既に先に進みはじめていた。早足で後を追いながら、アルテミシアはふと疑問に思ったことを問いかける。
「それにしても、アルちゃん様というのは……?」
「ほら、アルちゃん様ってお嬢様だし、様をつけて呼んだ方がいいかなって。でもそのまま呼ぶっていうのも何かちょっとよそよそしいじゃないっすか? せっかく仲間なんだからもっと仲良くなりたいし……だから、アルちゃん様っす! もしかして嫌だったっすか?」
「……いいえ! 嬉しいですわ! わたくし、あだ名をつけてもらったのは初めてですの」
「エヘヘ、喜んでもらえて良かったっす!」
先を行く三人に追いついてからも、アルテミシアの足取りは軽かった。自分が冒険者になるなど完全に予想すらしていなかったし、今後どうなってしまうのかも不安は尽きないが、どんな状況であろうと良い事もあるものである。意外と。
さて、アルテミシアは実のところよく分かっていないのだが、現在彼女たち一行はアーモロードの最高機関である元老院から発令されたミッションに挑戦している最中である。なんでもこのミッションは冒険者ギルドに登録を行ったすべてのギルドに与えられるもので、これを達成することでようやく正式なギルドとして迷宮探索を行う許可を得られるのだという。つまり入門試験とかそういった類いのものだ。
「そのミッションを達成するために、わたくしはいったい何をすればよろしいんですの?」
「特段やってもらう事はないけれど。強いて言えば、魔物をたくさん倒してほしいかな」
大きな紙にペンを走らせながらオーギュストが応える。彼がこのギルドの「地図係」だ。まるで元からマス目でも引かれているかのような綺麗な直線が引かれていくのを見て感嘆しながら、アルテミシアは首を傾げる。
「魔物をたくさん倒すと、ミッションの達成に繋がるんですの?」
「直接的に繋がるわけじゃないけど……」
オーギュストは苦笑する。
「魔物がうじゃうじゃいる所で書き物なんて、できたものじゃないでしょ。だから、安全を確保するために露払いしてほしいってこと」
「まあ、そういう事でしたのね。分かりましたわ。誠心誠意頑張らせていただきます」
「君、素直だね……無理やり勧誘されたんじゃなかったっけ? 嫌なら嫌って言っていいんだよ」
気遣わしげなオーギュストの言葉に、アルテミシアはしばし考え込む。嫌……というか、確かに心の底から納得して探索に参加したわけではないが、今はそれなりに受け入れることができている。というのも、ついさっき大事な相談をしたのだ。
「実は、探索で得た稼ぎをいくらか分けていただけると聞いて……実はわたくし、そろそろ労働をしなければと思っていましたの。今アーモロードで最も代表的な職業といえば、冒険者でしょう?」
「職業って言っていいのかは分からないけど、まあそうだね。ちなみにどのくらいの分け前が貰えるんだい」
「このくらいですわ」
と、アルテミシアが示した数字に、オーギュストは少し驚いた様子で頷く。
「へえ、けっこういくね……僕はそんなに貰ってないけど、エメリンちゃんも君と同じくらいだって言うし、相当頑張るつもりなんだね、ビナーさん」
出てきた名前にアルテミシアは背後を振り返る。そのビナーはというと、ナイフを手にどこからどう見てもドリアンにしか見えない魔物から素材を剥ごうと格闘していた。彼は気配り上手でかゆいところに色々と手を回してくれるいい人なのだが、どこからどう見ても苦労性なのが気がかりであった。そのうち心労で胃が爆発してしまうかもしれない。それは流石に忍びないので、その前に探索に慣れて彼の負担を減らしてあげたいところである。
それにしても、とアルテミシアは唸る。降って湧いた機会に飛びついて冒険者になってしまったが、もしかすると冒険者稼業でお金を稼ぐのは簡単な事ではないのだろうか。先程回収していた魚のウロコも買い取り金額は本当に些細な金額であると聞くし、うーん、わたくし就職先を間違えたのかもしれませんわ。
アルテミシアの思考を読んだらしいオーギュストが肩をすくめる。
「ま、それも僕らの努力次第さ……ああ、そいつの素材はちょっと高く買い取ってもらえるらしいよ」
「そいつ?」
オーギュストが無言で指し示した先を、アルテミシアは何の準備もなしに振り返る。するとそこにいたのは魔物であった。青と黄色のおよそ猫とは思えない色合いをした猫、つまりオオヤマネコである。
「キャーーー!!!!」
けたたましい叫びを上げ、アルテミシアは片手に持っていた槌を振りかぶる。そのまま勢いよく振り下ろされた槌は、得物に飛びかかろうとしていたオオヤマネコの脳天に垂直に突き刺さるかのごとく直撃した。ぐらりとバランスを崩して倒れかけた獣の体を、どこからか飛んできた弾丸が追い打ちをかけるかのように貫く。
振り向いてみれば、少し離れた場所にいたホドが銃をくるくると回しながらにやりと笑っている姿が見えた。アルテミシアは彼女に向かってぺこりと頭を下げてから、倒れて動かなくなったオオヤマネコへと向き直る。その時には既にオーギュストが死骸から素材を剥ぎ取ろうとしていた。
「この爪が探索の必需品を作るのに必要らしくて、需要があるんだよね。それでも買値はお小遣い程度の値段だけど……ってうわ、どうしたいんだいその顔」
「ねこさんこわいですわ~……」
小刻みに震えながらしくしくと泣くアルテミシアを、オーギュストは怪訝な目で見た。泣くほど怖い相手だったならエンカウント直後に脳天叩き割ろうとするのはおかしいのでは、と彼は思ったが、昨日今日出会ったばかりの婦女にそこまで突っ込むのは良くないよな……と考えて黙っていた。穏当な決断である。
「こわいですわ~……わたくし、一度あのねこさんに食べられてしまいましたのよ……もうあんな経験はいやですわ~……」
「何言ってるんだい……? 元気出しなよ、ほら、星術機の話でも聞くかい? まず一般的な肩部装着型の星術機と僕が自作した鎧型星術機の大まかな違いと設計の方向性についてなんだけど」
「ええと、申し訳ありませんけれどわたくし、星術の話はさっぱりで」
「一般的な星術機はエーテルの吸収・変換・放出に特化した構造になっていて、羽根と呼ばれる収斂装置の効果で瞬間的な術式の放出が効率的に行える構造になっているんだけど、僕はそういった普遍的な星術の構築からは一歩外れた方向性の設計を試みようと思って」
「あ、あのう……お聞きになって~……?」
当然、まったく聞いてくれない。オーギュストのやたら早口な語りはビナーたちがドリアンから素材を剥ぎ終えて声をかけてくるまで続いたが、アルテミシアは彼が話している内容の一割すら理解できなかった。己の未熟さを痛感するばかりである。
◆
ミッションは、拍子抜けするほどあっさりと完了した。探索を終えて帰り着いた迷宮出入口で一行は足を止める。今回の探索だけで、ミッションで指定された範囲の地図を描き終えた上、移動時間を短縮できそうな抜け道もいくつか発見できた。なかなかの成果である。
完成した地図を掲げてやったやったっす~と喜ぶエメリンと、彼女につれらて諸手を挙げるアルテミシアを横目に、素材でいっぱいになった鞄を抱えたオーギュストがホドへ問いかける。
「今日中に元老院に報告して、明日からもっと奥に行く感じ?」
「あ? あー……」
退屈そうに足下の草を蹴っていたホドは、あからさまに興味のなさそうな顔で答える。
「まあそれでいいだろ。オレは飯食いに行く。報告はお前らで勝手にやってな」
「あっこら……!」
近くにいたビナーが止める暇もなく、ホドはごく自然な足取りで迷宮の外へ続く階段を上っていく。遠ざかっていく赤い背中を見上げながら、ビナーは大きな溜息を吐いた。
「勝手に帰った……すまない、後で注意しておく……」
「自由な人だね。まあ、あとは帰って報告するだけだし、彼女がいなくても何とかなるよ」
オーギュストが鞄を抱え直し、少し離れた場所で小躍りを続けていた女子二人を呼び寄せる。再度荷物を確認してから、一行は外へと続く階段に足をかける。
途中でこれから迷宮に入るらしい冒険者たちとすれ違った。軽く会釈をしつつ、アルテミシアはそういえば、と先を行くビナーを見上げる。
「そういえば、今更お訊きするのも失礼かとは思うのですけれど……このギルドのお名前は何といいますの?」
冒険者たちが集まり、共に探索を行う目的で結成する団体のことを「ギルド」と呼び、それぞれのギルドには個別の名前がつけられる事はアルテミシアも知っている。当然彼女がホドに連れてこられたこのギルドにも名前がある筈なのだが、状況がこんがらがっていたせいで今の今まで訊くのを失念していたのだ。
少々気まずい表情で問いかけたアルテミシアを、ビナーが驚いた顔で振り返る。
「ホドの奴、そんな事も教えていなかったのか? あいつは本当に……ギルド名は、これだ」
そう言って彼は掌大の薄い板をアルテミシアに差し出す。受け取ってよく見てみれば、どうやらそれは身分証か何かのようだった。ギルドカードと記されたその板にひときわ大きな文字で刻まれた単語を、彼女は小さな声で読み上げる。
「『セフィロト』」
「気に入らなければ名乗らなくてもいい。それは何というか……俺たちの屋号みたいなものなんだ」
そう言ってビナーは苦笑したが、アルテミシアはそんな彼に首を横に振って応える。異国の言葉だろうか、聞き慣れない発音の言葉だが、なかなか好ましい名前だ。舌の上を滑らかに跳ねてしっとりと弾けるような響きが新鮮で良い感じである。
口になじませるように何度か繰り返し呟いてから、アルテミシアはにんまりと笑う。色々ありすぎて何がなんだか分からないうちにここまで来てしまったが、不思議と何とかやっていけそうな気がする。魔物もとりあえず全力で叩けば倒せるし、思ったより自分が冒険者に向いているような気さえしてきた――もはや明言するまでもないが、アルテミシアは、タフな女であった。
階段を上りきった。弾むような足取りで彼女は仲間と共に街へ戻っていく。アーモロードの空は青く澄んでいて、行く先に明日への希望を示してくれているように見える。だが海の天気は変わりやすい。一夜明けた自分たちが二本の足でそこに立っているかどうかなど、迷宮に挑む冒険者たちの誰にも分からないのだ。
そしてこれも、わざわざ明言するまでもないが――今日この日から始まる日々は、アルテミシアの人生の中で最も長く、最も鮮烈な冒険となる。
踏み出した一歩でやがて彼女は到る。深淵より深く、天空より澄んだ、青い最果てへ。
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