閉幕三分前

 夢を見た。轟音と熱の中で目を閉じる夢だ。




 目を開ける──周囲は暗い。どうやらまだ夜だ。時刻を確認しようとして、やめた。スリープモードから復旧したばかりであるせいで電子頭脳の動作が緩慢だ。時間の確認はシステムが完全に立ち上がってからでいいだろう。


 微かな足音が耳に届く。音の出どころに目を向けて、その音が自分のために意図的に鳴らされたものであることを悟った。


 移動するのに駆動音ひとつ残さない隠密ロボットは、ブルースと目が合うと悪戯っぽい表情を浮かべる。


「ねぼすけめ。随分待ったぞ?」

「待ってほしいと言った覚えは無いが」


 返事はなかった。ころころと笑うシャドーマンの声を聞きながら、ブルースは身を起こす。どうやら随分と電子頭脳が寝ぼけている。さて、眠る前に自分はいったい何をしていて、どうやってこの隠れ家まで辿り着いたのだったか。よく思い出せないが、まあ、古い電子頭脳にはよくあることだ。システムが復旧して動作が軽くなればメモリの不調も直るはずである。


 見慣れた隠れ家の一室は暗闇に沈み、窓から射し込む僅かな光ばかりが部屋を淡く照らしている。こちらへ近付いてくるシャドーマンの輪郭もおぼろげだ。妙に現実感のない光景である。ブルースがぼんやりしていると、近寄ってきたシャドーマンがおもむろに彼の手を取る。


「いつまでぼーっとしてるんでござるか。さ、行くぞ」

「……どこへ?」

「忘れたの? 言ったでござろ、デートするって」


 言われてみれば確かに、そんなことを聞いた気もする。無遠慮に手を引かれるまま、ブルースは寝床代わりのソファから立ち上がる。そのまま部屋を出て建物の外に踏み出しても、やはり周囲は暗く静まり返っていた。


 夜に沈んだ街を二機のロボットが行く。先を歩くシャドーマンの足取りは軽やかだった。離れないよう後を追いながら、揺れる襟巻の軌跡を眺める。


「で、どこに行くんだ」

「あっちの山! なんか展望台あるんだって。夜景がよく見えて綺麗らしい」

「デートで夜景、な……」

「あ、らしくないって思っただろ。拙者にもあるんでござるよ、そういうオトナっぽいところ」


 そう言うシャドーマンの口調があまりに子供っぽかったものだから、ブルースは思わず吹き出した。なに笑ってるんでござるか! と抗議してくるその声色もまたおかしく、ついに彼は声を上げて笑う。


 なんだか胸がすうっとする、気持ちのいい夜だ。ぼんやりするのに変わりはないが、余計な悩みや感情から解き放たれたようないい気分だ。こんな晴れやかな気持ちになるのは、随分と久々な気がする。


「楽しそうじゃん」


 拗ねたように唇を尖らせてシャドーマンが言う。ブルースは肩をすくめた。不機嫌そうにしている目の前のロボットにも、本気でこちらを咎めようという気はないようだった。ふん! とわざとらしく鼻を鳴らして足を速める彼の後を、ブルースも軽い足取りで追う。


 誰もいない夜の街を抜けて山道へ。道は舗装されているようだが、ロボットの身でも険しく感じるほど長い階段が続いている。これではいくら眺めがいいといってもなかなか人は寄りつかないだろう。


「だから穴場なんでござるよねえ。密会にぴったり。もちろんデートにも」

「デートでこんな勾配を登らせるようなやつ、ろくでもないぞ」

「痛いところを突いてくるな。とにかくメインは景色だから! 行くぞっ」


 そう言ってシャドーマンは一気に階段を駆け登っていく。ブルースは急がなかった。ゆっくりと足を進め、数分かけてようやく最後の一段を踏み越える。


 階段の先には確かに展望台らしき開けた空間が広がっていた。文字の薄れた看板と野ざらしのベンチだけが配置された、どこか寂れた空気の漂う空間だ。だが木製の柵の向こう側に広がる夜景は、シャドーマンの言うとおり見事なものだった。


 夜に浮かぶ街の光はきらめく宝石箱の中身のようだ。その光景を言い表すそれ以上の語彙をブルースは持っていなかったが、とにかく彼は目の前に広がる色とりどりの灯りを見てしばし立ち尽くした。文明の光は鮮烈だ。ひとによってはこの色彩に醜さを見るだろうが、少なくともブルースの人造の瞳には美しく映った。


「ほら、こっち」


 呼びかけに我に返れば、シャドーマンはベンチに座ってこちらに笑顔を向けていた。促されるまま、ブルースも彼の隣に腰を下ろす。


「ね、どう? デートにもぴったりでござろ」

「残念だが俺にはデートに関する知識は無い。だが、まあ、景色は良いな」

「でしょお? じゃあぴったりってことだ。デートで重要なのは、良いと思ったものを共有することだもんね」

「戦闘用のくせに、分かった風なことを……」


 ただ、まあ、理論自体は間違っていない気がした。


 夜風が頬を撫でる。視界の端で揺れる髪を撫でつけ、ぼんやりと目の前の景色に目を向ける。


 こうして何も考えず風景を楽しむなど、いつぶりのことだろうか。最近はどうにもこうにもそんな気分ではなかったし、ひどく久しぶりな気がする。ああ、しかし、いったい何を、悩んでいたのだったか──。


「お主はさあ、ほんとに面白いやつだね」


 突如投げかけられた言葉に、思考が途切れる。振り向いてみれば、シャドーマンはブルースの方を向いてにやにやと笑っていた。


「拙者のこと好きなんだ?」

「気持ちの悪いことを言うな。べつに好きじゃない」

「好きじゃないのにデートやキスをするのは問題でござろ!」


 正論は無視して顔を背ける。拗ねるなよ、とからかうように言い、シャドーマンは歌うように続ける。


「救ったつもりはなかったんだけど。でも、そういうものかもね。なんにもない星の残骸で、からだの上を蛇が這うなんて、誰も思ってもみないもの」

「…………?」

「ね、最後までメチャクチャで、不合理で、非論理的で、辻褄の合ってない、とびきり面白いロボットでいてくれてありがとう。お礼に傍にいるよ。お主の気が済むまで」


 またからかっているのかと思って、ブルースはもう一度シャドーマンを振り返る。だが予想に反して彼の表情は悪戯っぽいそれではなかった。慈愛にも似た感情の滲む微笑みを浮かべるシャドーマンを見て、えもしれぬ不安を覚えた──そして、気付く。


 辺りが静かだ。静かすぎる。


 眼下の街には煌々と灯りがともるばかりで、生活の気配が感じられない。喧騒も、エンジン音も聞こえない。明るい窓に人影が映り込むこともない。誰もいなくなってしまったかのようだ。自分たちだけを、この世界に残して。


 ……いや、違う。ブルースは胸元に手を当てる。いつも内側にあるはずの動力炉の重さが感じられない。機体が軽い。経年劣化したシステムがエラーを吐く気配も、ない。


 脳裏をよぎる熱、轟音、衝撃、唇に残った感触。


 ──ああ、俺は。


「シャドー」

「うん?」


 思わず、ブルースは彼を呼んだ。こちらをまっすぐに見つめて小首を傾げるシャドーマンの赤い瞳に、夜景の光が映り込んで反射している。ちかちかと、星が散っているように見えた。ブルースは少し迷って、やがて脱力するように頬を緩めるとそっと首を横に振る。


「……なんでもない」

「もう、何? 変なの」


 呆れたような返事にくつくつと笑って、ブルースはシャドーマンの肩に頭を預けた。重い! と抗議してくる声を無視して、目を閉じた。仕方ないなあなどとぼやきながら、伸びてきた指が前髪を梳く感触。何も言わず身を任せる。ひどく穏やかな気分だった。


 静寂に満ちたこの場所で目を閉じてしまっては暗闇ばかりが意識を包むが、それでも構わなかった。ぬるい空気が酩酊にも似た浮遊感を運んでくる。気を抜けば、好きだ、なんて口をついて出そうな夜だった。そんなことを言ってしまえば、また矛盾してる、意味が分からないなどと喜ばれるだろうか? それはそれで腹立たしいが、まあ、受け入れるしかなさそうだ。どうせこのロボットは、自分の気が済むまで傍にいるので。


 エンドロールのイントロが聞こえてくる。流れてくる自分の名の隣に、彼の名が並んでいる。今まで夢に見たどれよりも、きっと上等な終わり方だった。






 幕が下りる。

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