燎原に傘はいらない

 そこには灼熱がある。破壊がある。死がある。征伐がある。そこに立っている。はじめから終わりまで、そこにいるために造られている。


 そこに雨が降ったとて、誰が気にするというのだろう。



     ◇



 ロールは夜に眠るロボットだ。人間の代替労働力としての側面を持つロボットが人間と同じように眠るというのもおかしな話だが、彼女に搭載された超小型R.S.動力炉は太陽エネルギーを動力源とする機構なので、どうしても夜間は出力が低下してしまうのだ。E缶のようなエネルギーを摂取して活動することもできるが、やはり日中の活動と比べると燃費も能力も低下する。


 なので必然的にロールも、同じ動力炉を持つ兄も、夜になればベッドに潜り込んでスリープモードに移行するのが当たり前となっている。太陽エネルギーを動力源としない弟たちも彼女たちを気遣って夜には活動を休止するため、ライト研究所の夜はとても静かだ。静寂の中、たまに窓の外でタンゴが鳴く声がして、ロールは微睡みながらそれを聞くのが好きだった。


 けれど、今日は違う。


 いつもは暗く静まり返っているはずの研究所には、いまだ灯りがともっている。博士とライトットがロックマンの最終調整を行っているのだ──ダブルギアシステムという前例のない機構を搭載された機体に、万が一異常が出てはいけないと、念入りに。


 本当はロールも付き添っていたのだが、途中で夜も更けてきたからおまえは寝なさい、とやんわり追い出されてしまった。本当のことを言うと、拒否して残ることもできたのだ。けれど自身も疲れた顔を浮かべながら、もう休みなさい、と促してくるライト博士の声色があまりに切実だったものだから、それができなかった。


 ロールは知っている。ああして少しでも親らしく振る舞うことが、ロックを戦場に送り出さざるを得ないライト博士に残された最後の抵抗なのだ。ロールは娘として、愛する父の心を守らなければいけなかった。


 機体の汚れを落として、パジャマに着替えて、火の元や施錠を確認して、自室のベッドの中に潜り込む──けれどロールはやはり、眠ることができなかった。


 明日、ロックはロックマンとして戦いに行く。何度目だったかしらと数え直そうとして、やめた。どうせまたうんざりした気持ちになるだけだ。それにきっと、また数日のうちにロボットたちとワイリーを叩きのめして無事に帰ってくる。……本当に、そうだろうか。どうしてそう言いきれるのか、明日スクラップになって転がっているのが彼でないとなぜ無条件で信じられるのか。


 なんだかとっても嫌な気分だ。いつもならこんな時はリビングに居座って、夜更かしをしている弟たちと話でもするのだが、きょう研究所にいるきょうだいはロールだけだ。こんな時に限って、皆揃ってどこかへ出かけてしまっているのである。


 ──いつも私だけ置いてけぼりだわ。


 脳裏をよぎるそんな想いを振り払うように、寝返りをうった、その時だった。はっとして布団の中で機体を強張らせた彼女の耳に届く、微かな音……聞き間違いではない。


 窓の外に誰かがいる。


 弾かれたように身を起こし、カーテンを捲って外を覗こうとして、やめる。しばし耳を澄ませたまま逡巡して、ロールはゆっくりと、ベッドを抜け出した。


 照明はつけないまま暗い廊下を進み、リビングへ向かう。ロールの部屋の窓の向こう側はちょうど研究所の庭であり、その庭に面しているいちばん大きな出入り口がリビングの大窓なのだ。


 何も持たないよりはマシだろうと廊下の隅に立ててあった箒を手に取り、恐る恐る窓へ近付いていく。物音は聞こえてこない。もし彼女が人間だったら心臓がばくばくと音を立てていただろう。だがロールはロボットなので体に変調は無い。万が一害を加えられたとしても、人間のように取り返しのつかないことにはなりにくい。だから、大丈夫だ。


 気持ちを落ち着けてカーテンの隙間に手を伸ばし、窓の鍵を開ける。そのままひと息のうちに飛び出した。外は雨が降っている。広く伸びた庇(ひさし)越しの頭上から響く雨音を聞きながら、ロールは箒を強く握りしめる。睨むように暗がりに目を凝らし、そして、見つける。


 夜闇の中に、ぼんやりと浮かぶ、赤。


「……メタルマン?」


 声をかければ、それはゆっくりと近付いてきた。家庭用の視覚センサーでは曖昧にしか捉えられなかった彼の全貌があらわになるにつれ、ロールは身が竦んで動けなくなっていく。


 メタルマンの装甲は大きく剥がれ落ちていた。胸から腹にかけて、素体が剥き出しになっている。右腕は失われている。彼が一歩踏み出すたび、千切れたコードが大きく揺れる。


 顔──顔も、大きく破損していた。口元を覆うマスクが割れている。その下に人工皮膚や人間を模した口は無く、無機質な発声機構ばかりがある。酷い状態だった。そんな見るも無惨な姿のロボットが、すぐそこまで近付いてきている。


 ロールの数メートル前でメタルマンは足を止めた。箒を抱きしめたまま動けない彼女を、感情の読めない瞳でじっくりと眺め、やがて彼はぽつりと呟く。


「俺には必要のないものだ」


 脈絡のないその言葉に困惑して、そこで初めてロールは気付いた。メタルマンの左手に見覚えのあるものが握られている。傘だ。いつか渡した、赤地に白いドットの雨傘。


 ゆっくりと腕が上がる。傘をロールに向かって差し出しながら、メタルマンは静かな声で告げる。


「だが、貴様はそうではない」


 ロールは彼の顔を見た。赤いカメラアイはただ静かに、まっすぐに彼女を捉えていた。薄汚れて抉れ欠けたメットのてっぺんから雨が滴っては、壊れた機体をしとどに濡らしていく。


 迷った末に、おずおずと手を伸ばす。傘の柄が手の内に収まる瞬間、僅かに指と指が触れ合った。人工皮膚に残る、突き刺さるような感触──いつかのあの日にも感じたそれが、記憶の中の同じものよりずっと、ずっと鋭利に感じられる。


「恐ろしいか」


 唐突に投げられた問いに驚いて、ロールはつい傘を取り落とした。濡れた人工芝がぱしゃりと音を立てる。湿った地面に転がるそれには目もくれず、メタルマンは続ける。


「それでいい。恐れろ家庭用。俺はワイリーナンバーズ第一号機。純戦闘用であり、任務の遂行より他に存在意義のないロボットだ」


 そこで言葉を切って、彼は右足を半歩後ろに下げた。傘を拾うこともできず、箒を抱きしめて立ち尽くすロールから目を離さないまま、戦闘用ロボットは言う。静かな声で、諭すように。


「貴様とは、住む世界が違う」

「──待って!」


 思わず声を上げて駆け出したロールだったが、庇の下から出た瞬間に肌を叩く雨の冷たさに怯んで足を止めてしまう。メタルマンは踵を返して去っていく。深い暗がりに、赤い機体が消えていく。


 ロールはしばし立ち尽くした。打ちつける雨がパジャマを濡らして肩や腕に張りつきはじめた頃に、ようやく彼女は足下に転がった傘を拾い上げて屋根の下へと戻っていく。


 ……あんなボロボロで雨に濡れて、大丈夫なはずがない。いったい何があったのか。今回の作戦に彼も関わっているのだろうか。であるならば、どうしてわざわざ返しにきたのだろう。彼にとってここは敵の本拠地だ。先の襲撃で防衛システムが破壊されていなければ、今頃彼はスクラップになっていたかもしれない。どうして危険を冒してまで……自分はもう新しいものを買ったし、返してもらわなくても困らなかった。彼こそ傘が必要だったはずだ。戦闘用でも、家庭用でも、感じる雨の冷たさはきっと同じなのに。


 ぐるぐると回る思考を止めることができないまま、揺れるカーテンをくぐってリビングに戻る。窓を閉めて鍵をかける──その前に、庭の向こう側に口を開ける暗闇に視線をやる。けれど、どれだけ目を凝らしてもメタルマンの背中はもうどこにも見えなかった。


 きっともう、二度と会うことはないだろう。


 ゆっくりと、鍵をかける。ガラスの向こうは暗く夜に沈んでいる。雨が降っている。どこか遠くから、悲鳴にも似た雷鳴が聞こえる。

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