【SSQ2】序章
ハイ・ラガード公国は、決して豊かな国ではない。気候は厳しく、険しい山々に囲まれ、他国との交流も盛んではない、閉ざされた国である。北方の高地に存在するこの国が突如として有名になり始めたのは、およそ半年前の事だ。公国の民が神木と崇める巨大な樹の内部に、未知の遺跡群を内包する広大な迷宮が発見されたのだ。
『世界樹』と呼ばれるその大樹には、ある伝説が残っていた。天高く聳える樹の遥か上層部は、空飛ぶ城へと繋がっている──迷宮が発見された事により、この伝説がにわかに現実味を帯びてきた。しかし世界樹の内部は強大な魔物と自然の迷宮が道を阻む危険な場所。おいそれと調査できるようなものでもない。そこでハイ・ラガードの公宮は、公国の外から人を募る事にした。難関の迷宮を進み、空飛ぶ城を見つけ出してくれる冒険者を、彼らはそれほどまでに求めていたのだ。
世界樹の迷宮を踏破し、伝説の空飛ぶ城を発見せよ。公宮が出したその御触れは瞬く間に大陸全土へと広がった。丁度エトリアの世界樹の迷宮が踏破されてから半年程経った折の事である。次は我こそが栄光を掴んでみせる、と希望と野心に胸を躍らせる冒険者達はこぞってハイ・ラガードへ向かう馬車に飛び乗った。その先に想像を絶するほど過酷な道が待ち受けているとは知らずに。
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そして彼らもまた、ハイ・ラガードの世界樹に挑もうとする冒険者のうちの二人であった。人でごった返す冒険者ギルドの出入口付近に立つ、白髪の男と茶髪の女の二人組。その姿は他の冒険者達に紛れ、混沌としたハイ・ラガードの風景とすっかり一体化していた。
「本当にここで待ち合わせなんだな?セルジュ」
女の問いかけに、セルジュと呼ばれた男は余裕の笑みを浮かべて応える。
「心配ないよロア。僕は確かに伝えたからね、冒険者ギルドの出入口で待ってるって」
「それなら良いが……本当に信用できる奴等なんだろうな?お前を疑う訳じゃないが……」
「大丈夫さ、僕を信じてくれよ」
「不安だ……」
溜息をひとつ吐き、ロアは腰に下げた剣をそっと撫でる。
ロアとセルジュがギルド『白妙の花冠』を結成したのは、つい三日前の事だ。冒険者としてギルドを登録したならばすぐにでも迷宮へ向かうのがセオリーなのだろうが、初心者二人だけのギルドなどあっという間に壊滅するのが目に見えている。そこで二人がまず始めたのが、ギルドに入ってくれる冒険者を集める事だった。二手に分かれて街を駆け回りスカウトを続け、見事セルジュが三人捕まえてきたのがつい昨日の事だ。つまりロアにとっては今日が新しい仲間との初の顔合わせとなる。
「君は初対面の相手と話すのイマイチ下手だからなあ……引かれないように注意しなよ」
「うっうるさい……」
セルジュの呆れたような物言いに言い返してやろうと思ったロアだったが、残念な事に反論の言葉が思い付かなかった。そもそも冒険者とギルド加入の交渉をしてきたのもセルジュであって、ロアは結局一人も捕まえられなかったのだから言い返す余地すらない。
がくりと肩を落としたロアの視界の端に、ひらりと赤い何かが過る。何とはなしに目を向けてみると、赤い装束を着た金髪の女性が辺りを見回しながら二人の方へと歩いて来ていた。
女性の姿に気付いたセルジュが片手をひらひらと振って声を上げる。
「おーい、こっちこっち」
呼び掛けに応え、女性はにっこりと笑って足早に近付いてくる。ロアはそこで初めて、女性の左手に仰々しい籠手が装着されているのに気付いた。
「やあ、改めてよろしく」
「ええ、こちらこそ。……初めまして、私はマチルダ。錬金術師よ」
セルジュと握手を交わした右手を、マチルダはそのままロアへと向ける。自身も名乗りながら応じたロアは、その指が自分と比べてあまりに華奢だったものだから少々気後れしてしまった。
「貴女は剣士ね。私、探索も戦いも初心者だから、迷惑を掛けてしまったらごめんなさい」
「いや……私達も同じだ。一緒に頑張ろう」
人懐っこい笑みを浮かべるマチルダの様子に、ロアもほっと肩の力を抜く。なかなか人柄の良さそうな女性だ。歳も近いようだし、これなら仲良くできるだろう。だからと言って探索が上手くいくかどうかは分からないが。
「さて、あと二人来る筈なんだが……」
呟いて懐中時計に目をやり、セルジュは首を傾げた。予定の時刻ちょうどだが、待ち人が現れる気配は無い。多少遅れたところで特に問題があるでもなし、ゆっくり待ってみよう……と彼は大きく伸びをした。
来ない。一時間待ったが来ない。うぬぬと唸るセルジュの横で、すっかり打ち解けたロアとマチルダが楽しそうに談笑している。よくもまあ、一時間も話題が尽きないものだ。溜息を吐く彼の様子に気が付いたロアが彼を振り返って言う。
「まだ来ないのか?」
「僕に聞かないでくれ……」
これはまさか、約束を反故にされたのだろうか。所詮は口約束だけの関係、そんな事もあるかもしれないと薄々思ってはいたが実際に起こってみると中々衝撃が大きい。頭を抱えるセルジュを見てロアはうーんと頬を掻いた。
「とりあえず三人だけで登録してしまうという手もあるが……」
「事務処理の関係でなるべく一括登録してくれって言われてるんだよな……もう少し待ってみようか」
「あら、それなら」
マチルダがにっこりと笑って手を打ち合わせる。
「待つついでにお昼ご飯にしましょう?近くに美味しいサンドイッチのお店があるの。テイクアウトもできた筈よ」
成程それは良い。セルジュが時計を見てみると時刻はちょうど昼飯時、そろそろ腹も減ってきた頃である。現に先程からロアの腹がぐるぐると鳴っている事にセルジュもマチルダも気付いていた。
「じゃあ僕はここで待ってるから、二人で買ってきて貰えるかな?僕の分は卵サンドかBLTを頼むよ」
「お前、動くのが面倒臭いからって……」
「いやいや、残りの二人は僕の顔しか知らないだろ。合理的判断さ」
言い逃れの上手い奴め。いってらっしゃあい、と手を振るセルジュに頭を抱え、ロアは剣を腰に下げ直してマチルダと共に冒険者ギルドの前を離れる。
「仲が良いのね」
「え?あ、ああ……うん、そう……だな」
不意に投げ掛けられた言葉にロアは視線を泳がせる。明らかに挙動不審になった彼女の様子にマチルダはくすくすと笑って、それ以上は何も言わなかった。
マチルダの言う店は、冒険者ギルドと通りを挟んで数件隣にあった。美味しい、との評判はどうやら本当らしく、店内は冒険者や市民の姿でいっぱいだ。テイクアウト用のカウンターにも三人ほど並んでおり、二人もまたそれに倣って最後尾に並ぶ事にする。
順番を待つ間、手持ち無沙汰のマチルダが左腕の籠手を見下ろして困ったように呟いた。
「……探索に出るかと思って着けて来たけど、邪魔だったわね」
「それ、噂に聞く錬金籠手ってやつか」
「ええ。錬金術師はこれが無いと子供にも勝てないヘナチョコばかりよ」
「や、それは流石に言い過ぎだろう……」
「本当よ。でも、私は弱いけど術式は強いから安心してね」
「そ、そうか……」
雑談をしているとあっという間に順番が訪れた。ロアはチキンの入った物、マチルダはポテトサラダが入った物、セルジュにはリクエスト通り卵サンド。三人分のサンドイッチを購入してホクホク気分で店を出たその時だった。
「オラッ退け!道を空けろ!」
そんな怒号と共に、通りの向こうから冒険者らしき男が走ってくる。右手には抜き身の剣が握られていて、ロアとマチルダは思わず身を強張らせた。街中で武器を振り回すなど、とても正気とは思えない。通りにいた人々も同じような考えなのだろう、さっと身を引き、あっという間に男の行く手には誰もいなくなった。
「……冒険者が増えると、自然と治安も悪くなるらしいけど……あんなのが出てくるんじゃ安心して暮らせないわよね」
「まったくだ」
男はいやにぎらついた瞳で周囲を見回しながら、通りをずんずんと進んでいく。周りの人々が固唾を呑んで見守る中、突如ひとつの影が通りの真ん中に飛び出していく。あっと思うより早く、男の前に立ち塞がった人影が叫ぶ。
「コラ!盗んだものを返しなさい!!」
人影の正体は、肩から大きな鞄を下げた少女であった。男が少女を睨み、右手の剣を握り直してぐっと地面を踏み締める。
「っまずい!」
ロアは持っていたサンドイッチをマチルダに押し付けると、少女に向かって駆け込んでいく。彼女が何とか少女の目の前に滑り込んだのは、男が剣を振り下ろすその直前であった。周囲から悲鳴が上がる。小盾で剣を受け止めようと腕を掲げたところで、ロアは視界の端にこちらへ駆け込んでくる男の姿を捉えた。
剣が振り下ろされる──が、予想していたような衝撃は無い。代わりに、バチバチと何かが弾けるような音がロアの耳に届く。顔を上げてみれば、男は剣を取り落とした状態で前後不覚といったようにふらふらしている。直後、駆け込んできた男に思いきり飛び蹴りを食らわされ、冒険者らしき男は勢いよく地面に倒れ伏した。
「大丈夫?やっぱり着けてきて良かったわ、これ」
のんびりと言いながら、三人分のサンドイッチを抱えたマチルダが近付いてくる。よくよく見れば、彼女の左手の錬金籠手はほんのりと赤い光を放っていた。何をしたのかと訊いてみれば、男に向かって雷の術式を放ったのだと言う。
「極限まで威力は絞ったけど、それでも暫くは動けないと思うわ。それにしても貴女、結構無茶するのね」
「ああ、うーん……つい……」
苦い顔でマチルダから目を逸らすロアの視線の先で、飛び蹴りを繰り出した男──黒髪を結い上げた青年だ──が、倒れたまま呻く男を縛り上げ終える。険しい顔で男を見下ろしていた彼であったが、ふと少女を振り返ると一転して表情を歪めた。今にも泣き出しそうな顔だ。
「ロ、ロ、ロレッタぁ……あれは危ない……本当にやめてくれ……心臓が止まるかと思った……」
「なによその顔、情けないわよ……でも確かに危なかったわ。反省……」
そう呟き、ロレッタと呼ばれた少女は目の前のロアを見上げてぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「ああいや、気にするな……しかし、何であんな危険な事を?」
確か、盗んだものを返せ、とか言っていたような気がするが。ロアの問いにロレッタは苦い表情を浮かべる。
「そっちの彼、あの人に刀を盗まれたんです。追い詰めてもすぐに逃げちゃって、本当に迷惑な奴……チアキ!見付かった?」
「あった!良かったー……」
男の荷物の中から一本の刀を取り上げ、チアキはほっとした様子で立ち上がる。ロレッタも安心した表情で彼に歩み寄るが、すぐにはっとしてロアに向き直った。
「あの、すいません、今何時か分かったりします?」
「何時?ええと……」
「十一時を回るところね」
マチルダが懐中時計を見ながら告げる。それを聞いたロレッタとチアキの顔からさっと血の気が引いていく。
「じゅ、十一時!?一時間も過ぎてる!」
「まずいな……まだ間に合うか……?」
慌てる二人に、ロアとマチルダは思わず顔を見合わせた。一時間の遅刻、何だか聞き覚えのあるワードだ。
「ちょっと二人とも、遅いぞー。あと何か騒がしかったけど、喧嘩騒ぎでもあったの?」
と、呑気な事を言いつつ、通りの向こうからセルジュが歩いてくる。どうやら待つ事に痺れを切らして様子を見に来たらしい。ロアが彼に何か応える前に、焦った様子でロレッタと何か言い合っていたチアキがセルジュの方を向いて声を上げた。
「あ!」
その声に反応したセルジュも、チアキとロレッタの姿を見てあっと目を丸くする。色々と察したロアは溜息を吐き、マチルダはあらあらと苦笑した。なんとまあ、運命とは不可思議なものである。
そんなこんなで、新人ギルド『白妙の花冠』はここに結成されたのだった。流れの剣士と吟遊詩人。家出中の錬金術師。医者見習いの少女。旅の刀使い。寄せ集めの五人から始まったこのギルドの名がハイ・ラガード中に轟く事になるのは──もう少しだけ、後の話だ。
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