【SSQ2】1 新人ギルド、金策に奔走す
第一階層・古跡の樹海。初めて世界樹の迷宮に足を踏み入れた冒険者達を迎える常緑の樹海には、穏やかな風と木漏れ日に包まれた心地よい空間が広がっている。しかし油断してはならない。いくら出入口付近のごく浅い階層とは言っても、駆け出し冒険者が魔物に襲われて命を落とした事件などごまんとあるのだ。
事切れたひっかきモグラから剣を引き抜き、ロアはふうと息を吐いた。刃に付着した血液を振り払い鞘に収めたところで、彼女の背後からマチルダが歩み寄ってくる。
「お疲れ様。前衛は疲れるでしょう」
「何て事は無いさ。男どもはへばっているようだが」
言いながら視線を向けた先では、セルジュとチアキが揃ってロレッタの治療を受けている。前衛に立って戦っている男二人だが、如何せん防御面が心許ない。両者共にロアのような重装で戦うような職ではない事は分かっているが、それにしたってどうにかならない物か。
うーむと唸るロアにくすくすと笑い、マチルダは倒れたひっかきモグラから素材を剥ぎ取り始めた。駆け出しギルドである『白妙の花冠』にとって、魔物から得られる素材は貴重な収入源だ。ロアもマチルダの隣にしゃがみ込み、比較的綺麗に残っている爪や皮を回収していく。
「一階もそろそろ探索し尽くしてしまうわね。二階はどんな様子かしら」
「この階にはいない魔物なんかもいるようだ。何にせよきちんと準備をしてからでなければ」
地下二階へと下りる階段は既に発見している。今すぐ先に進む事もできたが、ハイ・ラガードの世界樹の迷宮に棲んでいる魔物は上層部に行くにつれ強力なものになっていくという特徴がある。一階の探索に慣れてきた新米冒険者が意気揚々と二階に進んで初めて見る魔物に全滅させられる、なんて事はざらなのだ。何事も慎重にいかねばならない。
「……はい、治療終わり!怪我しないようにちゃんと防御してよね、特にチアキ!」
「えっ……ご、ごめん……」
「毎度悪いねロレッタ。……ごめん二人とも!素材採り終わったかい?」
どうやら男二人の治療が終わったらしい。回収した素材を荷物に詰め込み、ロアとマチルダは立ち上がって三人のいる方へと向かう。
世界樹探索を始めたばかりの新米ギルドがまず最初に悩まされるのが、金銭面の問題である。安全な探索の為にはより良い装備品をそろえる事が何より重要な課題だが、駆け出し冒険者には安定した金策が用意できない事が多い。そもそも浅い階層で採れる素材は基本的に売却しても二束三文にしかならない。そこらを闊歩している鹿でも狩れればまた話は変わってくるのだろうが、兎角『白妙の花冠』もまた例に漏れず家計は火の車、装備品を揃えられず二階へ進む前に足踏みをしている状態だった。
「ありがとうございましたあ!」
看板娘の声を背中で受け止めながら、五人は交易所の扉を潜った。昼下がりの街には住民や冒険者の姿は疎らだ。日が暮れるまではまだ時間があるためもう一度迷宮に潜る事もできたが、それよりも彼らには話し合うべき事がある。
「防具なら揃えられるけど、武器も新調するとなると少しきついなあ……」
素材を売却して得た金が詰まった財布の中身を覗き込み、セルジュが顎を擦る。装備代だけならばともかく、宿代、食費、その他諸経費の事を考えると今の手持ちでは到底足りない。それに今だけ金があれば良いという訳でもない。今後に備えて貯金もしておく事を考えると、数千エンは稼いでおきたいところだった。しかし一階の魔物を倒して得られる金額は多くともせいぜい一日数百エン程度。そこから宿代を差し引くと貯金できる額はさらに減ってしまう。この調子ではいつまで経っても二階には進めない。
「地道に稼ぐしかないのか……」
「酒場の依頼はどうだ?報酬の良いものは無かったか」
「どれもこれも現金支給じゃない依頼ばかりさ」
セルジュの返答にチアキはそうか、と呟いて肩を落とした。人生そう上手くはいかないものだ。
頬に手を添えて考え込んでいたマチルダが訊ねる。
「樹海以外で何か稼げる仕事はないかしら」
「……日雇い労働とか、そういう仕事か?探せばあるかもしれないが……」
「この街、人が増えすぎて職が無いの。正式な公国民じゃない、流れの冒険者にできる仕事なんてほとんど無いわ」
ロレッタの言葉は事実だった。現在のハイ・ラガードは住民に対して仕事の数があまりに少ない。冒険者としてやって来た余所者が世界樹探索を諦めて他の職を求めるケースがあまりに多いためだ。
「あったとしてもきつい肉体労働とかだろうなあ」
「それはちょっと……困るわね」
「おれは構わないが、流石におなごに肉体労働はさせられないな」
「やっぱり素材コツコツ集めるしかないんじゃない?珍しいもの採集できれば高く売れるし」
「探索だけでいっぱいいっぱいなのに、採集技術を身に付ける暇があるのかい?」
「それはまあ、無いけど……」
「モグラとネズミばかりだと、斬り甲斐が無いな」
「貴方は魔物に何を求めてるの」
「大きなギルドには採集専門の部隊なんかがあるって聞いたけど」
「こんなひよっこギルドにはできない手法だなあ」
「何だかごめんなさいね、錬金術の触媒ってなんであんなに高いのかしら……」
「マチルダのせいじゃないよ。何なら医薬品も高いし」
「武器類も無限に使っていられる訳じゃない。ある程度の出費は仕方ないけど……」
一同は揃ってうーむと唸る。良いアイディアがまったく浮かばない。やはり、モグラやネズミやイモムシから素材を剥ぎ取りまくるしか無いのか。
そもそも何故こうも金欠なのか。特に贅沢をした記憶などは無いし、むしろ毎日毎日必要経費以外は削りに削った倹約生活を送っている筈だ。誰かが稼ぎをちょろまかしているのではないか?浮かんだ考えをセルジュは頭を振って打ち消した。いやいや、仲間を疑うのは良くない事だ。単に、自分達の金を稼ぐ力が足りないだけだろう。
唐突に、黙っていたロアがあっと声を上げた。他の四人の視線を受けながら、彼女はにんまり笑う。
「良い事思い付いた」
◆
広場に集まった人々を前に、マチルダが左手に装着した錬金籠手──アタノールをそっと掲げて掌に冷気を集める。冷やされて白く凍り始めた空気をぐっと両手で握り込み、数秒の後に彼女はそれを空高く放り上げた。凝結した水分が、六角形の氷の結晶となって観衆達の頭上に降りそそぐ。沸き上がる感嘆の声を浴びながら、マチルダは優雅に一礼して脇から見ていた仲間達の方へと引っ込んだ。入れ替わるようにして出ていったロレッタが観衆達の元へ向かうと、彼女が掲げた鞄の中に次々とおひねりが放り込まれていく。
「南蛮……いや北か?とにかく大陸の大道芸人は、こうして金を稼ぐんだなあ」
感心したように言ったチアキを横目で見ながら、セルジュが大きな溜息を吐いた。正直ロアが思い付いたなどと言った時から嫌な予感はしていたが、まさかこんな事になるとは。
「ロアは歌が上手かったんだな。驚いた」
「お前こそ、あのカグラマイ?とか言う踊り。よく分からんが、凄かったぞ」
先程披露した演技を誉め合うチアキとロアは何だか楽しそうな様子だが、セルジュには笑っている余裕など微塵も無かった。ロアの歌、チアキの舞、そしてマチルダの錬金術ショーが終われば、次は彼の出番だ。
アタノールを腕から外したマチルダが、ほっとしたような笑みを浮かべて近付いてくる。
「上手くいって良かったわ。弟には馬鹿ウケだったけど、ハイ・ラガードの人に通じるかどうかは不安だったから」
「錬金術はあんな芸当もできるんだな」
「うふふ。私、器用なの」
「さて……セルジュ!準備できたか」
心なしか輝いた目で訊ねてくるロアに、セルジュは力無く片手を振った。おひねりを集め終えてご満悦の表情で戻ってくるロレッタの横を通り抜け、愛用のリュートを抱えて重い足取りで観衆の真ん中へと向かう。非常に憂鬱だが、こうなったらやるしかない。
幾多の視線を一手に集めながら、彼はもう一度大きな溜息を吐くとリュートを構えて弦を弾いた。澄んだ音色が辺りに響く。軽快なリズムを刻む旋律はハイ・ラガードでは聞き慣れない異国の響きだ。故郷に伝わる曲なんだ、とロアが隣にいたマチルダにそっと耳打ちした。セルジュは目を伏せて、消え入りそうな声で何か口ずさみながら演奏を続けている。
静まり返った広場にセルジュの奏でる音だけが響き渡る時間が、暫く続いた。やがて彼が演奏を止め、立ち上がって一礼をすると、観衆の間からどっと拍手の渦が巻き起こる。ロレッタが慌てて駆け出していくと、鞄の中はあっという間におひねりでいっぱいになった。投げつけられる歓声からそそくさと逃げるようにしてセルジュが脇にはけてくる。
「ああ、もうやらないぞ!僕はこういうの大の苦手なんだ!」
「あら、折角良い演奏だったのに。ねえ?」
「勿体無いな。なあ?」
顔を合わせて残念がるマチルダとチアキに鬱陶しそうに手を振り、セルジュはずんずん歩いてロアの隣に腰かける。彼女はあっはっは、と高らかに笑い、水筒に入った紅茶を差し出す。
「良かったぞセルジュ」
「良くないよ……何だってこんな事させたんだい」
ぐったりしながら訊ねるセルジュに、ロアは笑うばかりで何も答えない。
「ねえ!見てこれ!すっごい!!」
頬を紅潮させたロレッタがおひねりで一杯になった鞄を抱えて戻ってくる。中身は小銭ばかりだが、それでもきちんと数えれば相当な金額になるという事は想像に難くない。半分は貯金に回すとして、新しい装備を一式買い揃えても十分に余裕があるだろう。これで当面、金銭面での心配は無くなった。
「よーし、今日はもう帰って、明日からは二階の探索だ!気合い入れて行くぞー!」
ロアの掛け声に一同はおー!と声を上げる。時刻は夕暮れ時、橙色に染まった空の向こうでは太陽がそっと沈もうとしていた。
その後五人は駆け付けてきた衛士に広場の無断使用についてしこたま怒られる事になるのだが、まあ、それは割愛しよう。
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