【SSQ2】17 ダンス・ウィズ・ミー!

 今日は祭りである。

 何の祭りかと訊かれても、大半が公国の外からやってきた余所者である冒険者達にはよく分からないというのが実のところだ。しかし由来は分からずとも祭りは祭りである。公国の民もそうでない者も皆一様に飲み食い踊りどんちゃん騒ぎをする──ハイ・ラガードには年に何回かはそんな日があるのだ。その日は多くのギルドが探索を休み、街中に並ぶ露店を回ったり昼間から酒宴に興じたりと自由気ままに過ごす。死と隣り合わせの迷宮で過ごす日々の狭間で、生きている喜びを噛み締めるかのように。


 当然のように、『白妙の花冠』も今日は休日であった。メンバー達は街のあちこちに散らばって、各々楽しんでいる事だろう……と考え、そこでセトは自分が置かれている状況を再確認して憂鬱な気持ちになった。

 彼が今立っているのは冒険者御用達『鋼の棘魚亭』の店の前である。正確には、店の前に設営された露店のカウンターの中である。傍らに置いてある小型のグリルの上では串に刺さった肉がジュウジュウと音を立てて焼け、香ばしい匂いを漂わせている。隣に立っているナギは代わる代わる訪れる客に酒やらジュースやらを手渡すのに忙しそうにしていた。つまるところ、彼ら二人は現在露店の店番をしているのだ。

 無論、一介の冒険者であるセトとナギがわざわざ祭りに乗じて店を出す筈もない。彼らはつい先程、通りすがりのところを店主であるアントニオに捕まって無理やり店番を任されたのである。「悪い、ちょっと用事ができちまった!お前ら店番しといてくれや!あ?今日はオフだあ?普段世話してやってんだからこんな時の頼みくらい素直に聞きやがれってんだ!」との事であるが、それにしたって理不尽である。運の悪い事に『白妙の花冠』のネームバリューのお陰か店は大盛況、そしてひっきりなしに客が訪れる露天の中は風通しが悪く非常に蒸し暑い。汗をだらだらと垂らしながら焼けた肉を引っくり返すセトの表情は虚ろだった。

 唯一の救いはアベルが勝手に動かず露店の側で大人しくしてくれている事だろうか。彼は食いしん坊のマスコット的存在として年配のご婦人方に可愛がられ、食べ物を貰ってはもぐもぐと美味しそうに食べ尽くしていた。

『疲れた……マスターまだ帰ってこないの?』

「あのおっさん、どこで油売ってるんだ……」

『服が焦げ臭いよ……昨日マント洗ったばかりなのに……』

 温厚なナギも流石にこの状況には苛つき始めているらしい。げんなりと服の匂いを嗅ぐ彼に何か声をかけようとしたところで、また露店の前に人影が現れる。

「鶏の串焼き二つくださいな……って、あれ?アナタ達何やってるの?」

 聞き覚えのある声にはっと我に返れば、そこに立っていたのは赤い衣を纏った巫医だった。怪訝そうに青い目を瞬かせる彼女にセトは片手を挙げて応える。

「やっほーノノン。店番押し付けられたんだよ。代わってくれない?」

「それは災難ね。でもアタシも忙しいから遠慮しておくわ」

 そう言いながら、ノノンは首から下げていた小銭入れから硬貨を四枚取り出してナギに渡す。セトは溜息をひとつ吐き、焼き上がった串焼きを彼女へと差し出した。

「一人で二本食べるの?」

「まさか。連れがいるのよ……あ、来た来た」

 こっちこっち、とノノンが手招きする先を、ナギとセトも揃って覗き込む。急いだ様子もなく歩いてきたのは長い白髪を編み上げた若い女性だ。その姿を見てナギは首を傾げる。女性が身に付けている衣服や小物の紋様は、アベルのそれと非常に似ている。

 彼女もハイランダーなのだろうか、とセトに訊ねようとしたナギはぎょっと目を剥いた。一体どうしたのか、セトは女性の方を向いて壮絶な表情を浮かべたまま固まっている。

「彼女、アタシの新しいギルドの仲間で……な、何……どうしたの……?」

 セトの異変に気付いたノノンの顔に困惑の色が浮かぶ。ようやく彼女のすぐ近くまでやって来た女性は、そんなノノンを見て不思議そうに首を傾げた。

「どうしたのノノン。……あら」

 女性がセトに目を止めて沈黙する。固まって睨み合うセトと女性、そしてオロオロするしかないナギとノノン。すっかり膠着状態に陥った場に割って入ってきたのはアベルだった。お菓子を腕いっぱいに抱えて鼻歌混じりに戻ってきた彼は、女性の姿を見てあっと声を上げる。

「ラファエラ」

「……ハアイ、久し振りねアベル。元気そうで安心したわ」

 ナギとノノンが顔を見合わせる。何だか嬉しそうな様子の兄とは対照的に、セトはこの世の苦虫を一堂に集めて噛み潰したかのような顔で大きな溜息を吐いた。


   ◆


 街の中心部に設置された救護テントの下では公国薬泉院をはじめとした数々の病院や診療所から派遣されてきたメディックやドクトルマグス達が忙しなく業務に励んでいる。国内外から多くの人が集いお祭り騒ぎに興じるこんな日には、必ずと言っていいほど怪我人や病人が多発する。それらの患者を一手に引き受け治療するのがこの救護テントの役割だ。運び込まれてくるのは酔っ払った拍子に転んで頭を打っただとか人混みに酔って気分が悪くなっただとかの些細な症状の患者がほとんどであるが、それでも怪我人は怪我人、病人は病人である。大事に至る前の治療が肝心なのだ。

 頼まれていた資材を全て運び終え、モモコは心地よい疲労感にふうと息を吐いた。差し入れとして渡された菓子と紅茶を手に休息をとる彼女に、白衣の男性が歩み寄ってくる。

「お疲れ様です。すいません、力仕事をお願いしてしまって。どうも人手が足りていなくて……」

「お気になさらず!これでも冒険者ですから、あのくらい平気です」

 ぐっと拳を握ってにこやかに応じるモモコに、男性も表情を緩めた。彼は公国薬泉院所属の治療士で、確かツキモリと呼ばれていた筈だとモモコは記憶している。

「先生こそ、朝からお疲れ様です。ずっと働きづめでしょ?」

「いえいえ、僕としては患者さんの健康が第一ですので。祭りに参加できないのは少し残念ですが」

 そう言ってツキモリは微笑む。あくまでゼピュロス──彼も巫医として患者の対応に追われている──に頼まれて手伝いをしているに過ぎないモモコとは違い、彼は常に次々と運び込まれる患者を診たり、逆に自ら患者の元へと出向いたりと忙しそうにしていた。今は休憩中のようだが、またすぐに新たな患者の診療に駆り出される事だろう。

「……これでも普段の仕事に比べれば、随分と気が楽なんです。いつもは樹海で重傷を負って、命が助かるかどうかも分からない患者さんばかり診ているので」

 モモコは表情を曇らせた。ハイ・ラガードにおける医療研究の最先端である薬泉院には、風邪や簡単な骨折などの症状の患者はやって来ない。そういった比較的軽微な症状は街の小さな診療所などでも対応できるためだ。薬泉院が相手をしなければならないのはすぐさま処置しなければ命に関わるような重篤な症状の患者達で、特に最近は大怪我を負った冒険者がその大半を占めているという。

「冒険者であるあなたに言うのも失礼とは思いますが……我々がいくら苦言を呈しても冒険者の方々は探索を止めてはくれないでしょう。夢を追って迷宮に挑むあなた方の姿を見ると僕も心が弾みます。しかしその代償に癒えない傷を負ったり命を落としたりする人があまりに多い。それが少し歯痒くもある」

「……いえ、あなたの言う通りです。わたし達はもっと命を大事にしないといけない」

 脳裏を過ったのは、一面の雪に覆われた白銀の樹海の風景だ。黙り込む彼女にどこか気遣わしげな視線を送り、ツキモリは苦笑する。

「僕に言われずとも、分かっているとは思いますが……どうかご無事で。『白妙の花冠』は皆の憧れですから」

 僕も含めて、ね。と小さく笑い、彼は片手を挙げて会釈するとテントの方へと戻っていく。モモコはその背中を見送りながら少し冷めた紅茶を飲み干し、菓子を口に放り込んだ。口の中に広がる優しい砂糖の味を感じながら彼女はペチペチと自身の頬を叩き、よし!と気合いの声を上げると何か手伝える事を探すために走り出す。


   ◆


 祭りの日には街全体が活気づくが、中でも最も盛り上がるのが北区の商人街である。日頃から露店が立ち並び観光客も多い地区なだけに商売にかける熱意もひとしお、大道芸人や商人達は今が稼ぎ時といつにも増して客を呼び込む声に力がこもっている。それに応える見物客もまた、熱に浮かされたかのようにあちこちを歩き回っては目についた物を買い漁ったり道端の大道芸人におひねりを投げたりと浪費に余念が無い。

 そんな混沌とした北区の片隅で、ロレッタは一人ベンチに腰かけてジュースを飲んでいた。樹海産のベリーを百パーセント使用したのだというそのジュースを無心で吸い上げながら、彼女は視界を塞ぐ人の波をじっと見つめる。どのくらいの間そうしていただろうか、コップになみなみと入っていたジュースが残り半分を切った頃にようやく待ち人が人混みを掻き分けて帰ってくるのが見えた。

「すまない、遅くなった」

「やっぱり混んでた?」

「店自体は空いてたんだが、そこまでの道のりがな」

 苦笑混じりに言いながら、チアキは両手に持っていたパニーノのうち一つをロレッタに差し出す。まだほんのりと温かいそれを一口かじり、彼女はほっと表情を緩めた。

「美味しい。やっぱり人気の店のは違うわね」

「そうか……?おれにはよく分からない……」

 二人並んで行き交う人々の姿を見つめながら、特に何を話すという訳もなく黙々とパニーノを食べる。どこか遠くで太鼓や笛の音が聞こえてくる。大道芸人が異国の演奏でも披露しているのだろうか。

「平和ね……」

 ロレッタがぽつりと呟く。

「普段迷宮にいると、街の生活ってこんなに賑やかで気楽なんだなって思っちゃうわ。逆よね、これが普通で冒険者の方が異常なのよ」

 どこか険しい表情で吐き出されたその言葉にチアキは黙って頬を掻いた。彼女の言わんとしている事は分かる。志半ばで倒れた同業者の遺体を目にした時、背後から魔物の奇襲を受けた時、すぐ側を闊歩するF.O.Eに気付かれぬよう茂みの中で息を潜めてやり過ごす時。樹海ではいつでも死が身近にある。それは街で暮らす一般市民の生活とはかけ離れた事だろう。

「……少し怖いわ。いつか迷宮での感覚に慣れ切っちゃって、街では落ち着かなくなったりするのかな。自分で選んだ事だから、仕方ないけど……」

「そう思ってるんなら、きっとおまえは大丈夫だ。恐怖さえ感じなくなる事が一番恐ろしい」

「そう……かもね。……あなたは何か変わった?」

「何か、とは」

「ラガードに来て、迷宮に入って。変化があった?」

 チアキは視線を落とし、自身の掌をじっと眺める。……この国に来るまでは、剣を振るう事しか知らなかった手だ。

「……何もかもが変わった。毎日大変だが、楽しくて……初めての経験ばかりだ」

 仲間と共に過ごす日々も、街の人々との交流も、魔物を打ち倒して迷宮を進んでいく事も、チアキにとってはどれもがまったく新しい経験だった。思い悩んだ事、悲しんだ事も一度や二度ではないがそれを補って余りあるほどの喜びがハイ・ラガードでの暮らしには満ちていた。そして、何より。

「おまえに会えた」

 ロレッタが目を丸くして振り返った。俯きがちにはにかんだチアキは、躊躇うように視線を彷徨わせながら続ける。

「おれが変われたのはおまえのお陰だ。おれはおまえに救われたんだ。おまえの事が世界で一番大事だ。……会えて良かった。ありがとう、ロレッタ」

 言うにつれて段々と赤くなっていくチアキの顔を見ながら、ロレッタも頬に熱が集まってくるのを感じていた。どぎまぎしながら、慌てて俯いて顔を隠す。顔から火が出そうだ。こんな街中でそんな事をいきなり言われてしまっては、対処に困る。

 ロレッタは顔を伏せながらも右手をチアキの方へ伸ばし、彼の左手を探り当てると強く握り締めた。チアキもそっと握り返す。繋いだ手は熱を帯びている。蕩けてしまいそうだ、とぼんやり思った。

「……あ、あのね──」

 恐る恐る顔を上げチアキの方を見たロレッタは、言葉の続きを言う前にぎょっとして固まった。怪訝に思ったチアキがその視線を追っていくと、彼もまた顔をひきつらせて動きを止める。

 チアキの足下、履き馴れたブーツに絡み付くようにして鎮座するそれ。ちろちろと舌を出しながら鎌首をもたげた、艶のある鱗に覆われたつぶらな瞳のその生き物はまさしく、蛇、であった。

 一呼吸置き、チアキの口から絶叫が漏れる。

「ぎゃあああああああ!!!蛇っ蛇ぃあぁ!?はっ離、離れ、ああああ取れないいい!!!?」

「ああー!落ち着いてチアキ!どこ行くのやめて何で人の多い方に!!すいませんちょっと道空けてください暴れ馬が!!暴れ馬がそっちに!!!あああーっ!!!」


   ◆


「……それで?パニックになって暴れた拍子に露店を半壊させて修理費三万エン?あいつは馬鹿か……」

 頭を抱えたロアの隣でセルジュもどこか虚ろな表情で乾いた笑みを溢す。

「いやあ本当、財布に余裕があって良かったよね。でも頼まれてた都市開発の援助に回す分が無くなるから、西区の歩道整備は後回しだ。レジィナには申し訳ないよ本当」

「チアキの蛇嫌いはいい加減治せないのか?あいつ二層のガラガラノヅチにも悲鳴上げてただろう」

「うーん、素人が無理に治そうとすると悪化するって言うしなあ……」

 二人は揃って溜息を吐く。三層を探索している時の一悶着の後、チアキは以前と比べて随分と元気になった様子だったが、蛇が大の苦手という欠点だけはどうしようもないようだ。

 ロアとセルジュが並んで腰を下ろしているのは、街の中央広場の片隅にある小さなベンチだ。とうに陽は落ち空は濃紺へと色を変えているが、喧騒は未だ止む気配は無く、むしろ人々の熱気は依然として広まり続けているように思われた。どこからか聞こえてくる軽快な演奏に合わせ、広場に集った人々は各々のパートナーと手に手を取り合って踊っている。恋人か、家族か、友人か、その関係性は定かでないが、誰もがどこか熱に浮かされたような表情を浮かべて騒がしい空気に身を委ねていた。

「いい夜だな」

 ロアがぽつりと呟く。

「たまにはこんな騒がしい空気も悪くない。ラガードの人は皆真面目で働き者だと思っていたが、こうして羽目を外す事もあるんだな」

「はは、たまの馬鹿騒ぎが好きなのはどこも同じさ。……いい国だよ、ここは」

「……そうだな」

 故郷にも祭りの日はあった筈だ。しかしそれがどのようなものだったのか、よく思い出せない。ただ少なくとも、こんなに清々しい気持ちになる行事でなかった事は確かだ。ハイ・ラガードの祭りが特別なのか、それとも自分の心境が変わったからそう思うのか。よく分からなかった。

 温い風が頬を撫でる。纏わりつくようなそれを振り払い、セルジュはすっくと立ち上がるとロアを振り返った。きょとんと目を丸くする彼女に右手を差し出し、彼はにんまり笑う。

「どうですかお嬢さん?こんな素敵な夜に、僕とひとつダンスでも」

 差し出された掌を唖然と見つめていたロアは、やがて勢いよく吹き出すと腹を抱えてくつくつ笑い始めた。その間もセルジュは表情を変えず、手を差し出し続けている。一頻り笑った後、彼女はにっと笑ってその手を取った。

「足を踏まれても知らないぞ」

「踏まれないようリードするのも男の務めさ」

 手を取り合い、二人は広場の真ん中へと駆けていく。

 街にともる灯は遅くまで消える事はなく、明るく輝く夜の中にいる誰もが楽しげに笑っていた。過ぎる一夜を惜しむ事も忘れ、日常のしがらみから解き放たれた舞踏会は続いていく。


   ◆


 ──少し、羽目を外し過ぎたかしら。

 くらくらする頭を押さえながら宿への道を歩いていたマチルダは、自身の失敗に思わず溜息を吐いた。お祭り気分に乗せられて、ついつい飲み過ぎてしまった。早く宿に帰って休まなければ、明日の探索にも響いてしまう。……もっとも、街中がこんな調子では明日も探索どころではないかもしれないが。

 いや、こうなったらもう明日の探索の有無は関係なく、ただ早く帰って寝たい。どこか覚束ない足取りで道を急ぐ彼女の背中に、ふと声をかける者達がいた。

「あのー、お姉さん『白妙の花冠』の人ですよね」

 マチルダが振り返ると、そこにいたのは酒瓶を抱えた二人の見知らぬ青年であった。いや、もしかしたら会ったことがあるのかもしれないが酔っ払いの頭ではそれすら判断がつかない。振り返った彼女の顔を見た青年達は、やっぱり!と興奮した声を上げる。どうやら彼らもそれなりに酔っているようだ。

「オレ、ファンなんです!あの、握手してもらっていいですか?」

「すげー、こんな近くで見たの初めてだ!一人ですか?良かったら一緒に飲みませんか!?」

「ええ……?あの……」

 何か言い返す暇もなく言われるがままに差し出した手をこっちです!と引っ張られ、マチルダは思わず体勢を崩す。危うく転びそうになった彼女を寸でのところで支えたのは、フワフワした黒い物体だった。このフワフワは一体何なのか、理解の追い付かないマチルダをよそに、青年達は愕然と彼女の背後を見つめる。

「嫌がる女性を無理に誘うのはご法度ですよ」

「え……あっハイ、すいません……」

「よろしい。……マチルダ様、お怪我はありませんか?」

 声の聞こえた方を見上げ、そこで初めてマチルダはフワフワした物体の正体に気が付いた。毛皮に覆われた腕である。

「パンさん」

「はい、パン左衛門です」

 どうしてここに、と訊ねようとし、そこで喉の奥からこみ上げてきた不快感にマチルダは顔をしかめた。そそくさと去っていく青年達を見送りながら彼女へ向き直り、パン左衛門は少々怒った様子で言う。

「浮かれて粗相をするならず者がいないかとパトロールをしてみれば……こんな時間に一人で、それも酔った女性が出歩くのは危険です。迷宮だけでなく街外れでも失踪事件などが多く起こっているようですし……絡んでくる男性が皆先程の彼らのように素直だとは限らないのですよ」

「うう……肝に銘じます……」

「宿までお送りします。私の背にお乗りください」

 促されるままパン左衛門の背中に乗ったマチルダはその毛皮の触り心地にはふうと息を吐いた。程よく暖かく心地よい毛皮の感覚に思わず意識が遠ざかる。フロースの宿でよろしかったですか、と訊いてくる声には何とか応えた筈だ。

 パン左衛門の背中に揺られながら眠りに落ちる彼女の頭からは、先程の青年達の事などすっかり抜け落ちてしまっていた。


 翌日、市街地の路地裏で不審火が発生した。

 見付かった二人の遺体の身元はついに分からないままだった。

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