【SSQ2】16 再会と秘め事と
『桜ノ立橋』──そう名付けられた第四層は、その名の通り満開の桜の花が咲き誇る迷宮だ。青い空に浮かぶ空中庭園と、一面に舞い散る薄紅色の花弁。幻想的な景色に思わず心奪われそうになるが、油断してはならない。美しさに立ち止まった冒険者の足を掬わんとする魔物が、花の陰から今か今かとその時を待っているのだから。
「新緑、紅葉、雪ときて、次は花か……四季!って感じだが、樹海とは不思議なものだなあ」
物資の詰まった紙袋を抱えてそう一人ごちたロアに、マチルダも頬に手を当ててうーんと唸る。
「そうねえ。……いくら樹海が特殊な場所だからって、あんなに大きく気候が変わるものかしら?」
「あー、確かに変だな。あそこまで様変わりするのは……ほら、規模は違うがあれみたいだ。植物園、っていうのか?」
「植物園……確かに似てるわね。……世界樹内の環境は、人工的に作り出されたもの?まさか……」
俯いてぶつぶつと何事か呟き始めたマチルダに苦笑し、ロアは紙袋の中から先程買ったばかりのホットドッグを取り出してかぶり付く。曲がりなりにも学士のマチルダとは違い、彼女は特に世界樹の秘密などに興味がある訳でもない。……そもそも、死んだ人間が魔物になるなんて場所で自分達の常識が通じる訳がないのだ。無理に考えても疲れるだけである。
並んで街を歩いていると、時折見知らぬ市民が声をかけてきたり手を振ってきたりする事がある。近頃、『白妙の花冠』はすっかり街の有名人だ。というのも彼女らが難関の第三層を抜けて上層に足を踏み入れたと聞いた街の人々の間では、『白妙の花冠』こそが天空を見付けるギルドなのではないかともっぱらの噂なのである。噂される本人達からしてみれば、応援されるのは素直に嬉しくもあるがあまり期待をかけられても困る、といったところであるが。
親しげに声をかけてきた見知らぬ壮年の男性に会釈をし、ロアは残りのホットドッグを口の中に押し込む。有名税とはよく言ったものだが、ここまでくるといっそ清々しいものがある。
「有名になりすぎて恨みを買わないようにしないとな……」
「そうねえ。最近は余計に冒険者が増えてきたみたいだし……あら」
ふと足を止めたマチルダが、街角のある一点を食い入るように見つめる。怪訝に思ったロアがその視線を追ってみると、どうやら彼女は人混みの中に目を凝らして何かを探している様子だった。
「……ロア、これ持ってて」
「え?ちょ……おい!」
抱えていた荷物をロアに押し付け、マチルダは人混みの中へと駆け出していく。一瞬呆気に取られていたロアも慌ててその後を追った。
催し物か何かの最中なのだろうか、道に立ち並ぶ露店とそこに集まる人々の波を掻き分け、マチルダは一心に通りを進んでいく。やっとの事で混雑地帯を抜けた先、そこに見えた背中にマチルダはぱっと頬を紅潮させて叫んだ。
「キリル!!」
振り向いた青年が驚愕に目を見開く。ようやく追い付いてきたロアには目もくれず、マチルダは青年の元へ駆け寄ると思い切り彼に抱き付いた。ロアはぽかんと口を開けてその様子を眺めるしかできない。
「良かった……やっと会えた!ずっと貴方を探してたの。少し背が伸びた?今までどうしてたの?怪我とか病気とかしなかった?ああ、本当に良かった……」
目には薄らと涙を浮かべ、興奮したように捲し立てるマチルダに、愕然とした表情で沈黙していた青年は絞り出すような声で呟いた。
「姉ちゃん……どうしてここに……」
◆
「へえ、弟さん見付かったんだ。良かったじゃん」
セトの言葉に、マチルダは満面の笑みを浮かべて頷いた。レジィナが厨房から運んできた雪鳥の蟹玉を頬張りながら彼女は弾んだ声で言う。
「ええ、本当に安心したわ。あまりにも見付からないから、この国にはいないんじゃないかって思い始めてたもの」
「……って事は、これでマチルダはラガードに来た目的を達成した事になるのよね」
ロレッタが小首を傾げながら呟き、その隣に座っていたナギが不安げに眉を下げる。本来の目的が無くなった以上、マチルダがハイ・ラガードに留まる理由も無くなってしまったのではないかと心配しているのだ。それを読み取ったかのように、マチルダは苦笑しながら応える。
「そんな顔しないで。弟を見付けたからって冒険者をやめたりはしないわ。今更抜けるなんて野暮だもの」
ロレッタとナギがほっと息を吐く。それを横目で見たセトは、まあ俺は最初からそう思ってたけどね、とでも言うかのようににんまりと笑って食べかけの馬肉中華包子を口に放り込んだ。
しかし、とコーヒーを啜っていたロアが口を開く。
「こう言うのもなんだが、あまり似てない姉弟なんだな」
ロアが目にした『弟』は、跳ねた黒髪に赤い目をした青年だった。さらさらとした金髪に青い目のマチルダとは、お世辞にも似ているとは言えない風貌だ。マチルダは困ったように笑って肩を竦める。
「よく言われるわ。私はお母さん似であの子はお父さん似なの」
「へえー。弟さんも錬金術師なんですか?」
「ええ。スキュレーを倒した時に使った触媒は弟がくれたのよ」
『冒険者なんですか?世界樹に登ってるのかな』
「それは……」
「あーはいはい。マチルダの家庭事情を詮索するのも良いが、ちょっと僕の話も聞いてくれよ」
セルジュが隣のテーブルから身を乗り出して、答えようとしていたマチルダを遮る。彼は厨房で明日の仕込みをしているレジィナの後ろ姿をちらりと窺った後、声量を落として言った。
「まだ公にはなってない話なんだが……最近、迷宮に入った冒険者の不審死が相次いでいるらしい」
「不審死?……魔物に襲われたんじゃなくて?」
「それならこうして秘密にする必要も無いだろ」
「……不審、とされているのは、その場所ではありえない死に方をしているからだ。三層で焼死体が見付かるなんて有り得ないだろう」
チアキが静かに付け加え、一同は揃って眉をひそめた。確かに、探索した範囲では常冬の三層に炎を扱う魔物は一体たりとも存在しなかった。他の階層から迷い込んできた魔物によるもの、という線も無くはないが、他の階層の魔物が極端に気候の異なる三層にわざわざ入ってくる事は考えにくい。となると、考えられる可能性は。
「殺人……」
「断定はできないけどね。例の笛の男の事もあったし、これからは人間相手でも気を付けなきゃいけないかもだ」
衛士を装い、魔物を操る笛を使って悪事を働いていた男。彼が魔物をけしかけて街を襲撃しようとするのを力ずくで阻止した事は記憶に新しい。後々調べてみたところどうやら彼は冒険者を装ってラガードに入ってきたらしく、最近は外からやってきた冒険者や観光客への検問が厳しくなったという話だ。しかしいくら気を付けて検査を行っても、相手の腹の内まで覗く事は難しい。
冒険者の増加による迷宮内の治安の悪化は、『白妙の花冠』が三層を進んでいる頃から話題になりつつあった事柄だ。正確には冒険者の数の増加ペース自体は以前とそう変わらないのだが、浅い階層での死亡数が減少傾向にあるという事らしい。下層の探索を終え上層へと進む腕利きの冒険者が増えた事で迷宮内の地理や生態の情報が明らかになり、それらがギルドや公宮を通じて冒険者全体に広まった事が主な要因である。事前に魔物や地形の情報を得ていれば、迷宮で生き残る事ができる可能性は飛躍的に上昇する。本来であれば喜ばしい事だが、今はそれが仇となっている部分もあるのだ。
全体の数が増えれば増えるほど、その中に一定数混じる悪人の数も増えていく。本来、安全な探索のためには冒険者同士で協力しなければならないものだが、そうも言っていられないのが現状であった。特に、一般市民や冒険者に名を知られすぎた『白妙の花冠』にとっては。
「四層は他の冒険者が少ないからまだしも、下層は危険だな……」
言いながらロアが目をやったのは採集部隊の面々だ。つい先日から活動を再開した採集部隊は、パン左衛門やノノン──ノノンは最近新しいギルドを組んで探索を始めたようなので、主にパン左衛門──に手伝ってもらう事で空いてしまった前衛の穴を埋めている。その事による弊害は今のところ特に無いのだが、他者によって害を加えられる可能性があるなら話は別だ。
「そうですね……パンさん達に迷惑をかけるのはちょっと……」
「ノノンが忙しくなった以上、ムリに頼むのも悪いしな」
「一層二層辺りならともかく、三層を四人で回るのは厳しいよ。ただでさえ守りが手薄なのに」
「しかしそう都合良く三層以上を探索できる新人が現れる訳もなし。……暫くは私とチアキとで持ち回るか」
「それだと二人の負担が大きいんじゃないの?」
なかなか妙案は浮かばない。揃ってうーむと考え込む仲間達の様子に、ただ一人ジビエカレーライスを頬張っていたアベルが目を瞬かせる。口の周りを汚した彼におしぼりを渡してやりながら、セトが呆れた様子で言う。
「お前なあ、他人事じゃないんだぞ。一人で前衛やるわけにもいかないだろ」
「んん?うーん……」
首を傾げて暫し黙り込み、やがて不思議そうな顔をしてアベルは呟いた。
「まぜこぜが良いと思う」
「……まぜこぜ?」
「カレーは一軍……ご飯は二軍……まぜてもおいしいカレーライス……」
ふんふふーん、と奇妙な歌をうたいながら、アベルはご機嫌な様子で再びカレーライスを掻き込み始める。相変わらず抽象的な発言だが、言わんとしている事は何となく理解できた。ええと、とロレッタが頬を掻く。
「つまり混成部隊で採集すれば良いんじゃないかって事よね」
「あー……まあ確かに言われてみれば、別に一軍二軍を無理に分ける必要は無いか。三層以上で採集する時だけなら本業の探索もそう大して遅れないし……」
『組分け考えなきゃいけませんね』
「採集ならモモコは必須だろう?前衛は三人しかいないから持ち回りで……」
「一回試しに迷宮に行ってみないといけないわね。いきなり本番は危ないでしょうし……」
連携がどうだバランスがどうだと相談を始める一同の傍ら、アベルは我関せずとばかりにデザートの串団子に手をつけ始めた。『こう』なってからの彼は考える事は億劫であまり得意ではないが、こうして仲間達が集まってわいわいやっている傍で美味しい料理を食べる事は好きなのである。
◆
盛大な音を立てて、扉が開く──ベッドの上に薬品類を広げて整理していたバルトロメオは、激情を隠そうともしないまま部屋へと入ってきたその気配に思い切り顔をしかめた。振り向いてみれば、彼はちょうど右腕に装着していたアタノールを取り外して乱雑に放り投げ、崩れ落ちるようにベッドに沈むところだった。垂れた前髪の隙間から覗く瞳はどこか虚ろで、見ているこちらが不安になってくる。声をかけるか否か、逡巡した挙句バルトロメオは前者を選択する事にした。いま声をかけて手酷く詰られるより、今後状況が分からないまま地雷を踏み抜く事の方が恐ろしい。
「どうしたんだよキリル。街で何かあったか」
返事は無い。何かの状態異常にかかっているか、それともドラッグか何かをキメているのかとも思ったがそんな様子でもなさそうだ。となると、一体どうしたというのだろう。
バルトロメオが首をひねっていると、開けっ放しの扉の向こうからサロメが顔を出した。彼女が部屋を見回して首を傾げるのに合わせ、桃色のツインテールがひょこりと揺れる。
「キリルどうしたの」
「知らね」
「どうでもいいけどカインが呼んでたよ。作戦会議するって」
「へいへい」
促されるまま立ち上がり、部屋を出るその前にバルトロメオはベッドに倒れ込んだままぴくりともしないキリルに目をやる。彼とエトリアで出会ってから二年の付き合いになるが、ここまで落ち込んでいるのは初めて見る。暫く放っておくのが吉だろう。
バルトロメオがその場を後にしてしまえば、部屋には重苦しいばかりの静寂だけが残る。暫し死体のように転がっていたキリルはやがてもぞもぞとベッドの上を這い、自身の荷物の中からノートを一冊抜き取った。ページを捲った先、ちょうどノートの真ん中辺りに大切に挟まれていた紙片をそっと取り出す。そこに描かれているのは、彼の姉の肖像だ。
「……姉ちゃん……」
ぽつりと呟き、彼はのろのろと起き上がる。ベッド脇のテーブルに投げ出してあった"つい先日奪い取ってきたばかりの"地図の束を手に取って眺める。姉のギルドはどの辺りを探索しているのだろうか。もしもの事があってはいけない。今度聞いておかなければ。赤黒い染みの付着した地図をなぞりながら、キリルは目を伏せる。
彼の姉を含め、この街にいる誰もが知らない。かつてエトリアの世界樹を踏破したギルドがひっそりとラガードにやって来ている事を。エトリアの英雄と呼ばれたそのギルドがその実多くの『ヒト』を虐殺した殺戮者でもあるという事を。キリルがそのギルドの一員である事を。
そして彼らこそが、近頃迷宮で数々の冒険者を不審死に追いやっている張本人だという事を。
ギルド『ニーズヘッグ』。根を食む竜の名を掲げる彼らはラガードの世界樹すら喰い尽くさんと、暗がりで虎視眈々と目を光らせている。
0コメント