【SSQ2】18 右手の背徳

「……ふと思ったんだけど」

 崖下に見える青空と桜の花を見下ろしながら、ロレッタが首をひねる。

「落ちていったカエルやサイって、次の日には戻ってきてるじゃない?あれ、落ちていったやつと同じ個体なの?」

「ああ……言われてみれば……」

 十七階を走り回っているサイもとい『突き進む犀角』、そして十八階を跳ね回っているカエルもとい『突貫する大蛙』。どちらも勢い余って崖下に落ちてしまう光景がよく見られるF.O.Eだが、次の日には何事も無かったかのように元の場所に戻ってきており、そして再び勢い余って落下していく。落下させてしまえば戦わずに済むという事でつい先程も『突貫する大蛙』を誘導して崖下に飛び込ませたところであるが、果たして落下した先で彼らがどうなるのかは考えた事もなかった。

「縄張りに戻ってくるって事は同じ奴なんじゃないか?下の階に落ちたくらいで死ぬような魔物でもないだろう。着地できなかったら……まあ、御愁傷様だが……」

「そう!それよそれ。地図と照らし合わせてみるとここちょうど下の階にも床が無いんだけど、ここに落ちていったサイ、次の日には戻ってきてたの」

「ええ……?もう訳が分からないな……」

「樹海の神秘だなあ……」

 チアキがしみじみと呟く。結局のところ、世界樹内部で起こる事は全て神秘で片付けてしまった方が楽なのかもしれない。そもそも、こんな石造りの庭園が空中に浮かんでいたり、翼の生えた人間のような生き物がいたりしている時点で下界の常識とはかけ離れているのだ。マチルダが頬に手を当て、うーんと唸る。

「……天空の城も、比喩じゃなくて本当に浮いてるんでしょうね、多分……」

「今から不安だ……」

「うーん、見付けてもいない天空の城よりも」

 そう言いつつ、頭を掻きながらセルジュが背後の茂みを指さす。何だ何だと振り向いた一同は揃って頬をひきつらせた。木々の隙間からちらちらと覗いているのは、大きな鋏と鋭い針だ。

「目先の危機が先だよね……」

「そういう事は早く言え馬鹿!!」

 慌てて武器を構え、飛び出してきたデスストーカー達を迎え撃つ。いくら天空の城に一番近い、などと目されても、迷宮を進む彼らにそんな事を考えている余裕などないのである。


   ◆


 一軍が十八階でデスストーカーと死闘を繰り広げているのと時を同じくして、採集部隊は六階に足を運んで素材集めを行っていた。今日は助っ人はおらず、四人での探索である。

 今回のお目当てはジャイアントモアのもも肉だった。袋いっぱいに詰め込まれた肉を前に、セトはうーんと唸って頬を掻く。

「大猟だな……やりすぎた感がなくもない……」

「レジィナが喜ぶなあ」

 おやつ代わりに持ってきていたコケイチゴを貪りながらアベルがのほほんと呟いた。彼は持ってきた弁当だけでは足りず、すぐに空腹になってしまうため、探索の際は個別におやつを持ち込むのが恒例となっているのだ。

 集めた素材を数えていたナギが眉をひそめて手を動かす。

『三色の木の実の在庫、あったっけ?』

「あー……エクレアちゃんに訊くの忘れてましたね。でも品薄だとは聞いた覚えがあります。採って帰りましょう」

 幸い、三色の木の実が採れる場所は今いる場合からも樹海磁軸からもほど近い。帰る前に寄っていったところで大した負担にはならないだろう。荷物を抱え、四人並び歩いて採集場所を目指す。

「この樹海は目がちかちかしていけませんね。長時間の探索は辛いです」

「早く帰って飯にしよう。レジィナさんに試食頼まれてたよな」

『今回はパスタらしいよ。どんなのだろうね』

「蝶々……」

「アベルそれ蝶々じゃなくて葉っぱだろ」

 迷宮の中にはちらほらと他の冒険者の姿も見受けられる。辿り着いた採集場所にも、先程まで誰かがいたような痕跡が残っていた。早速モモコが茂みを掻き分け、収穫できるまで熟した三色の木の実を探し始める。採集は彼女の領分である。採掘ならば地面を掘り返す必要があるため手伝いのしようもあるのだが、採取や伐採ともなるとモモコの手際が良すぎて最早手伝える事は一つとして無い。よって手持ち無沙汰な男性陣は彼女が素材を集め終えるまでの間、魔物の見張りをして過ごす事がほとんどだった。

「木の実ある?」

「ありますよー。でも手前の方は未熟な実しか残ってないので奥に行かなきゃ……あ痛たた!枝が……」

「気を付けなよ……」

 腕を突いた小枝を慌てて取り払うモモコに苦笑混じりに言い、セトは頭上を見上げた。一面の紅葉に覆われた空からは絶えず木の葉が舞い落ちてきている。年中こんな様子だなんて、不思議なものだ。樹海の木々は、外の植物とはまた違うものなのだろうか。

 どこからか強い風が吹き、木々のざわめきが辺りに響く。その時、ひらひらと舞う紅葉をぼうっと眺めていたアベルが急に背後を振り向き、槍を構えた。

「セト、ナギ……来た」

 彼の視線の先に鈍く光る石の魔物の姿を認め、セトとナギもそっと武器を手に取った。相手はまだ人間の存在に気付いていないが、動きから鑑みるにこのまま放っておけばこちらへと向かってきてしまうだろう。サンダーショット用の術式弾の準備をしながら、セトは小声でモモコに呼び掛ける。

「三人で仕留めてくる。何かあったらすぐ呼んで」

「了解です」

 頷き返せば、三人は気配を殺しながら魔物の方へと向かっていく。一人残されたモモコは荷物に注意を払いながら採取を続ける事にした。遠くから微かな破裂音や金属が擦れる音が聞こえる。

 彼女の背筋に緊張が走ったのは、周囲の気配を探りつつ十分な量の木の実を採り終えて荷物に仕舞ったその時だった。

 魔物のそれとは違う、明らかな殺気。射殺さんばかりのそれが、どこかからモモコに向けて注がれている。無意識にごくりと唾を飲み込んだ。レンジャーとしての勘が、この状況は危険だと告げている。呼吸を整え、さりげない動作を装って腰に下げていた弓矢に手をやる。

 ──どこから狙ってる?近くにはいない。となると遠距離攻撃、銃か、弓か、それとも……!

 思考を終える前に咄嗟に身を屈めたのは、ほとんど無意識の反射によるものだった。次の瞬間、先程まで彼女の上半身があった場所を赤々とうねる炎の波が通過する。モモコは半ば地に伏したまま振り返り、炎が射出されたであろう場所へ向かって矢を射る。無理な体勢のままで射ち出された矢は狙いを外れ、手前の木に突き刺さった。

 茂みの奥の暗がりを何者かが移動する姿を視界の端に捉え、モモコは新たな矢をつがえながら自身も木の陰に隠れるように移動する。少々まずいかもしれない。先の攻撃を見る限り、相手は錬金術師だ。それも相当手練れの。人間相手かつ森林地形での戦いならばモモコにはかなり有利な状況の筈だが、広範囲に攻撃ができる錬金術師が相手ならば話は別だ。辺り一帯の木々を焼き尽くしでもされたらもはや勝ち目は無い。男性陣、特に呪言で相手の行動を封じる事のできるナギが援護に来てくれると非常に嬉しいのだが、未だに戻ってこないところを見るとあちらも魔物に手こずっているらしい。

 ふと脳裏を過ったのは、先日から何度か耳にした不穏な噂話だ。曰く、迷宮で一人になった冒険者を狙った殺人が度々起こっているだとか。街でも不審火や失踪などの事件が散見されるようになっただとか。モモコは思わず頬が引きつるのを感じる。もしや、自分は大当たり──もとい、大外れを引いたのではないか。悪い冗談である。

 相手が動く気配は無い。錬金術の装填をしているのだろうか、それともこちらの様子を窺っているのだろうか。何にせよ、下手に動けば先程のような炎が再度撃ち出されるだろう。一手誤れば次の瞬間にはモモコは丸焦げだ。

 迅速に、それでいて確実に。一発で決めなければ。

 微かな吐息を漏らし、彼女は意を決して木陰から飛び出す。少し離れた暗がりに赤い光がきらりと灯り、直後、先程と同じような炎の渦が辺りを埋める。舞い落ちてきた火の粉がむき出しの腕や脚に落ちたらしい、刺すような熱を感じたがそれには構わず、木々の隙間を縫うように駆け抜ける。錬金術の弱点は発動速度の遅さにある。一度高位術式を放ってしまえば、暫くは次の攻撃はできない──とモモコは踏んでいたのだが。予想に反して、次の一撃はそう間を置かずに飛んできた。慌てて跳び退いて避けるが、その拍子に地面に落ちた帽子は炎に巻き込まれて無惨にも燃え尽きていく。しかしこの状況ではお気に入りの帽子の最期に目を向ける余裕すらない。

 ──隙が短い!これじゃ装填中を狙えない……!

 炎が足元に広がる落ち葉に燃え移り、嫌な臭いのする煙が辺りに充ちてくる。口元をマントで覆い隠しながらモモコは相手の周囲を円を描くように移動していく。幾度か放たれた術式はマントを掠めはしたが命中には至っていない。連射が可能だというのは完全に想定外だが、精密性に欠けているのならばまだ対処のしようはある。一種の賭けのような形にはなるが、そもそも今の時点で既に生きるか死ぬかの瀬戸際だ。やるしかない。

 木陰で一度足を止め、敢えて無防備に、しかしそうとは気付かれぬよう努めて自然な動作で術式の射程範囲内へと躍り出る。当然のように放たれた炎の術式は渦を巻いてモモコへと向かってきたが、彼女はそれを最小限の動作で、寸でのところで回避する。そのまま流れるように狙いをつけて矢を放つ──相手が攻撃を終えた直後の隙を狙う渾身の一矢、朧矢だ。

 正射必中。放たれた矢は真っ直ぐに、吸い込まれるように標的の元へと飛んでいく。辺りに立ち込める煙のせいで視界は悪かったが、確かに命中した。悲鳴を堪えるかのような微かな呻き声がモモコの耳に届く。相手が身を翻すその一瞬、隠れていてよく見えなかったその姿が顕になる。外套で全身を覆った線の細い大人の男性だ。顔は見えなかったが、右腕に錬金籠手を装着しているのがはっきりと見えた。

「──モモコ!」

 呼び声に思わず振り返り、あ、と思って視線を戻したその瞬間には男の姿は既に消えていた。戻ってきたセトはまず森を焼く炎に向かってフリーズショットを撃ち込んで鎮火してから、顔を青くしてあああ……と呻きながら頭を抱えるモモコに駆け寄ってくる。

「何があった!?炎が見えたから戻ってきたんだけど……」

「ああ……うーん……もう少しタイミングをずらして戻ってきて欲しかったです……」

「は?」

 怪訝な顔をするセトの背中越しに、アベルとナギが駆けてくる姿が見える。気が抜けてずるずるとへたりこんだモモコは、安堵に震える手と先程まで男がいた場所を交互に眺め、重い息を吐いた。逃げられてしまったのは痛恨の極みだが、とりあえず今は命があるだけで良しとしよう。

「……毒矢にしておけば良かったですね……」

 何だか物騒な事を呟いてぐったりと脚を投げ出すモモコに男性陣は顔を見合わせた。その表情が驚愕に変わるまで、そう時間はかからなかったが。


   ◆


 モモコの証言はすぐさま冒険者ギルドを通じて大公宮に伝わり、街には広く警告が出される事になった。右腕に錬金籠手を着けた男に注意されたし──しかし、ただでさえ冒険者で飽和状態にあるラガードの街には右腕にアタノールを装備したアルケミストの男性などごまんといる。衛士隊や有志の冒険者による難航を極めていた。ただ、モモコが襲撃されたあの日以来新たな被害者が見付かっていない事は幸いだった。

 クリームをたっぷり載せたチョコケーキを切り分けて口に運び、マチルダは溜息をひとつ吐く。

「何だか怖いわ。魔物だけじゃなくて、人間まで襲ってくるなんて……」

 テーブルを挟んで彼女の目の前に座っているのは弟のキリルである。ハイ・ラガードで再会を果たしてからというもの、二人はしばしばこうして姉弟水入らずの茶会を楽しんでいた。

 キリルは不安げな様子の姉に向かって大丈夫だよ、と微笑みを浮かべる。

「姉ちゃん達がいるのは上層だろ?わざわざそんな所まで行って冒険者を襲おうとする奴なんていないよ」

 現在四層を探索しているギルドの数は『白妙の花冠』を含めても十に満たない。わざわざ己の生存すら危ぶまれる場所まで行って他人に害を加えようとする者はそうそういないだろう。弟の言葉にマチルダはますます眉を下げ、物憂げに目を伏せる。

「そうかしら……でも、下の階層は危ないでしょう。貴方のギルドが今どこを探索してるのか分からないけど、もしかしたら襲われるかもしれないじゃない?私達はモモコちゃんが無事だったから良かったけど……」

「え?」

「あら、言ってなかったかしら?この間、同じギルドの子が二層で襲われたのよ。……どうしたの?」

 目を丸くして沈黙するキリルにマチルダは怪訝な表情を浮かべる。彼は少しの間その状態で固まっていたが、やがてはっと我に返ると取り繕うような笑みを作った。

「何でもない。ちょっと驚いただけ……そっか、仲間か……」

 呟き、キリルはコーヒーに口をつける。マチルダはその姿を小首を傾げて見つめながらも特に声をかける事はしなかった。暫しの沈黙が下りる。カップの中で波打つコーヒーを睨むような目付きでじっと見ていたキリルは、やがて顔を上げるとマチルダへと真っ直ぐに視線を向けて口を開いた。

「うん、そうだね。これから気を付けなきゃ。姉ちゃんもあまり無茶しないでよ。姉ちゃんに何かあったら、俺……」

「うふふ、大丈夫よ。キリルったら心配性なんだから」

 しゅんと眉を下げるキリルに小さく笑い、マチルダはまた一口、ケーキを口に運ぶ。幸せそうに甘味を頬張る姉の姿を穏やかな表情で見つめながら、キリルはそっと左腕を擦った。

 長袖の下に隠れた包帯の、その更に下に残る矢傷の痕の事を、マチルダは知らない。これから先知る事もないだろう。彼女の目に映っているのは冒険者殺しの放火魔ではなく、愛すべき弟のキリルその人なのだから。

0コメント

  • 1000 / 1000