【SSQ2】19 淵よりの警鐘
「すいませーん……って何だ、君達もいたのか」
探索帰りの所々汚れた格好もそのままに、診察室に入ったセルジュはそう言って目を丸くする。採集部隊は今日は休みだという事は承知していたが、全員が揃ってここにいるとは思っていなかった。ソファに腰かけて茶菓子をかじっていたモモコがおかえりなさーいと片手を挙げて応える。
「お疲れ様です。おじいさまならついさっき回診に出られましたよ」
「おっと、そうなのか……頼まれてたもの持ってきたんだけど」
「ゼピュロス先生も忙しいわね」
セルジュは後ろに付いてきていたロレッタと顔を見合わせて肩を竦め、抱えていたベノムスパイダーの糸やデスストーカーの針、ビッグモスの翅などを机の上に並べて置き始める。ゼピュロスがこれらの怪しい素材を何にどう使うのかは分からないが、まあそう悪いようにはしないだろう。
四層を探索できる冒険者の数はまだまだ少なく、必然的に四層特有の素材は貴重なものとして扱われている。交易所を介して仕入れようとすると非常に高価になってしまうため、『白妙の花冠』はこうして個人的素材の収集を頼まれる事がしばしばあった。……無論、親しい相手であるからこその特権である。
席を立っていたナギが新しいティーカップを手に戻ってくる。温かい紅茶の注がれたそれを受け取り、ソファに腰を下ろしてロレッタは息を吐いた。
「アベルとセトは?」
「向こうの部屋です。アベルさん、検診が終わると寝てしまうので。他の皆さんはどちらに?」
「ロアとチアキは新しい装備を買いに。マチルダはデートの予定だってさ」
「でーと」
セルジュが何気なく口にしたその単語にモモコが目を丸くし、ナギは思わずといったように紅茶を吹き出した。こぼれた紅茶を拭き、彼は慌てて手を動かす。
『マチルダさん恋人できたんですか!?』
「ああいや、ごめんごめん。デートっていうのは言葉の綾で……弟だよ。弟くんと約束があるんだって」
「あ、ああ……そうですよね、びっくりした……」
ほっと胸を撫で下ろす若者達とそれを見てくつくつと笑みを溢すセルジュを横目に呆れた表情で紅茶を啜っていたロレッタが、それにしても、と呟いた。
「仲の良い姉弟よね。うちはあんなのじゃなかったから何だか不思議だわ」
最近のマチルダは暇な時間がある度に弟に会いに出掛けている。二年ぶりの再会を喜んでいるというのは大いに分かるが、それにしても会いすぎではないだろうか。セルジュが何とも言えない表情で頷く。
「分かるよその気持ち。僕も妹がいるけど仲はあんまり良くなかったからな……」
「そうなんですか?わたしは末っ子ですけど特に何も思いませんでしたね」
『僕は一人っ子だから分からないな』
「私ならローレンスとお茶会なんて無理ね。絶対怒られるもの、マナーがどうとかで……」
「……ま、仲が良くて悪い事は何もないさ。家族の時間に水をさすのも何だしね」
セルジュの言葉に他の三人もうんうんと頷く。仲良き事は何とやら……と言ったのは、確かエドモンドだっただろうか。何にせよ、仲間の生活が充実しているのは良い事である。
しかしよく考えてみると、とロレッタは首を傾げる。話にはよく出てくるそのマチルダの弟とやらの事を自分は全く知らない。いや、自分だけでなく仲間のほとんどが彼の事を見た事すらないだろう。果たしてどのような顔をしているのか。そもそも、彼はいったいどこのギルドに所属する冒険者なのか?知らない事ばかりである。
まあ、わざわざ知る必要もない事だが。口の中の菓子を溶かして紅茶と一緒に喉の奥まで流し込む。ナギが淹れた特製の紅茶は、いつもと変わらず美味だった。
◆
マチルダがいつも弟との茶会に使うのは、ハイ・ラガード東区にあるこぢんまりとしたカフェであった。日替わりでショーケースに並べられる宝石のようなケーキ達、店主こだわりの品だという紅茶。どちらも絶品の隠れた名店である。
「──へえ、死んだ人間を魔物に……」
眉を寄せて呟いたキリルに、マチルダはこくりと頷いた。
「どこまで本当かは分からないけどね。……でも、翼のある人が迷宮で倒れた冒険者を天空の城の白へ捧げる、っていう伝承は古くからあるみたい。その天空の城の主がどうやって、何のためにそうするのかが謎なのよね……」
「じゃあ、その謎を最初に解くのは姉ちゃん達だね」
「まだそうと決まった訳じゃないわ。期待に応えられるようには頑張るけれど」
苦笑するマチルダの顔を見てキリルも頬を緩める。
マチルダは彼が時折このような表情をするのを少し不思議に思っていた。姉の幸福をまるで自分の事のように喜ぶ、それ自体は昔から変わらない事だが、こうして再会してからのキリルの表情にはどこか陰があるように見えた。
二年前に家出してから今までの間、何があったのか。それ以前に何故家を飛び出したのか。それをマチルダは訊いていないしこれから訊くつもりも無い。しかし今のキリルは何か重大な悩みを抱えているように思えてならないのだ。
──悩みがあるなら、頼ってくれても良いんだけど……。
キリルの性格上、無理に話を聞こうとしても逆にプレッシャーをかけてしまうだろうという事をマチルダはよく知っていた。本人が話したくない事ならばそっとしておくのが一番だ。マチルダは弟の事を信じていた。悩みや困り事があったとしても、きっと悪いようにはしないだろう。人見知りがちなせいで誤解される事が多いけれど、彼は本当は優しく賢い子なのだから。彼女は心の底からそう思っていたのだ。
「……そろそろ帰ろうか。お代、俺が払うよ」
にこやかに告げながら、キリルは伝票を手に取る。マチルダはそんな彼を見て申し訳なさそうに眉を落とした。
「貴方、いつもそうやって払っちゃうんだもの。何だか集ってるみたいで悪いわ」
「良いんだよ、俺がやりたくてやってるんだから。それに、姉ちゃんは危ない場所を探索してるんだからさ。お金は良い装備のために使わなきゃ」
これもいつもと同じ言い分だ。これ以上食い下がっても、キリルは決して譲ろうとはしないだろう。マチルダは肩を竦めて小さく息を吐いた。それを諦めの合図と捉えたらしいキリルはくすりと笑ってカウンターへと歩いていく。
次こそは、せめて割り勘にまで持っていかなければ。そう心に決めてマチルダも席を立った。会計を終えたキリルの背中を追い、並んで店の外へと出る。時刻は夕暮れ時だ。赤い夕陽が空の向こうから射し込み、街並みを橙色に染めていた。
「宿まで送るよ」
「あ、今日はいいわ。夜は『四つ葉亭』で皆と合流する予定だから。一緒にどう?」
「……いや、遠慮しとくよ」
「あら……残念ね。樹海料理、美味しいのに」
「ごめん。俺も夜はちょっと予定があってさ……じゃあ、気を付けて帰ってね」
「ええ、貴方もね」
キリルが手を振り返すのを見届け、マチルダは踵を返して料理店へ向かう道を歩き始める。女性の一人歩きは危ないと散々言われているが、まだ日がある時間帯の大通りならばさして危険も無いだろう。親しげに声をかけてくる通りすがりの市民に会釈をしつつ、彼女は街の向こう側に聳える世界樹にそっと目をやる。街を抱くかのように佇む巨木は、夕陽の光を受けて金色に輝いている。
改めて見てみると、あの幹の内側に広大な迷宮が広がっていて、自分達が毎日そこを探索しているというのは何とも妙な感覚だ。四層はどの辺りだろうか?空中庭園のようだし、幹の中ではないとは思うが。
「──あっ!おーい!マチルダ!」
思索に耽っていたマチルダを呼び戻したのは、遠くから自分を呼ぶ声だった。慌てて振り向いてみれば、そこにあったのは赤いドレスを翻しながらこちらに駆けてくるノノンの姿だ。
「ノノン。久し振りね」
「ええ、久し振り!探索は順調?」
「ぼちぼち、ってところね」
「それは何よりだわ。アタシも一層から登り直して、今度キマイラに挑戦するところよ」
そう言って快活に笑うノノンに、マチルダも顔を綻ばせる。一時は塞ぎ込んでいた様子の彼女だったが、こうして新しい仲間達と世界樹に挑み直し始めてからは以前の明るさを取り戻したようだった。
「アタシ、酒場に行くところなの。アナタは?」
「私は『四つ葉亭』に行くところ」
「途中まで同じ道ね。一緒に行ってもいいかしら」
「良いわよ。酒場って事は、依頼の報告?」
「そうそう。これ納品しなきゃいけないの」
そう言ってノノンが掲げたのは一層の伐採場所で採れる樹液の塊だ。ファイアオイルなどの原料となる有用な素材だが、最近は冒険者が増えた事による需要の増加で品薄になりがちなのだ、と交易所の看板娘が言っていた事をマチルダはふと思い出した。
『鋼の棘魚亭』はちょうど料理店へ向かう道すがらにある。マチルダと並んで歩きながら、ノノンは周囲をぐるりと見回して呟く。
「やっぱり有名人といると視線がすごいわね。他の冒険者の間でもアナタ達の噂で持ちきりよ」
「そうなの?何だかこそばゆいわね……」
「アナタ達に憧れてる冒険者もいっぱいいるみたいよ。……でも、少し気を付けた方が良いかもしれない」
「気を付ける……?」
マチルダは首を傾げる。ノノンは険しい表情でそっと辺りの様子を窺ってから、声をひそめて言った。
「『白妙の花冠』を良くない目で見てる奴等もいるって事。迷宮探索のトップを走るアナタ達を勝手に恨んでる冒険者もいたりするのよ」
「……そうね、それは薄々気付いてたわ」
名声が大きくなればなるほど、それを快く思わない人物も現れる。他の冒険者に先駆けて新たな階層を進み、直営料理店の運営協力という形で公宮との繋がりまで持っている『白妙の花冠』に悪意をもって接してくる輩はこれまでも何人かいたのだ。無論、そういった者よりも味方をしてくれる者の方が圧倒的に多かったが。
しかし、ノノンは険しい顔のまま首を横に振る。
「今は少し状況が違うの。……本当はギルド長から口止めされてたんだけど、モモコの事があった以上アナタ達にも知る権利があるわ」
不穏な言葉にマチルダは閉口する。ノノンの表情は真剣そのもので、冗談を言っている様子は見られない。少々の不安と恐れを感じながら次の言葉を待つ彼女にノノンはぽつりぽつりと語り始める。
「アナタ達、少し前に指名手配されてた男を捕まえたでしょう」
「……あの笛の男の事?」
「そう。あの男、どうにかして邪魔なアナタ達を潰そうと躍起になってたみたいね。あちこちのギルドに協力を持ち掛けてたらしいわ。どれも隠れて犯罪行為ばかりやってる違法ギルドだったんだけどね」
それは、初耳だ。操られた魔物達と無法者を断罪せんと現れた大蟷螂をまとめて退け、男を捕らえて引き渡したのは自分達だが、その後の話やこれまでの男の動向などについてはほとんど知らない。ノノンの口振りからすると、知らされていなかったというのが正しいのだろうか。
「首謀者が捕まった事で、話を持ち掛けられたギルドは大半が手を引いたんだけど……『白妙の花冠』を本気で引きずり下ろそうってギルドも、少しだけ残ってたの。そいつらは鼻つまみ者同士で結託して、アナタ達を貶めようとしてた。……その情報を事前に手に入れてギルド長に報告したのが、棘魚亭のマスター」
「……アントニオさんが?」
「そうよ。その話を受けてギルド長は街外れを中心に活動してた違法ギルドの一斉摘発に乗り出したの。区画の再開発も進んでたし、時期的にも丁度良かったのね」
マチルダは話を聞きながら、そっと眉を寄せる。自分達が知らないあの事件のその後の顛末については分かった。しかし、その話と『白妙の花冠』が気を付けなければならない事との関係性が一向に見えてこない。怪訝な表情を浮かべるマチルダを一瞥し、ノノンは話を続ける。
「摘発は上手くいったわ。蔓延ってた違法ギルドのほとんどはお縄についた。でも、完全にはいかなかったの。逃げ出した一部のメンバーは街の外へと向かった。……ギンヌンガ遺跡って知ってる?」
「郊外の遺跡よね。崖のところにある……」
「奴等のうちの何人かが、そこに逃げ込んだのよ。すぐに衛士隊が派遣される事になったんだけど、遺跡の内部は魔物が住み着いてて危険だからって冒険者も何人か同行する事になった。その中にアタシ達もいたの。遺跡は広くて入り組んでたけど、奴等はすぐに見付かったわ」
そこで一度言葉を切り、ノノンは目を伏せる。重い息を吐き、沈痛な声で彼女は続けた。
「……全員殺されてた。術式の炎で丸焼きにされてたの。遺跡の魔物に出せる火力じゃああはならないから、殺人だってすぐに分かったわ」
術式の炎に焼かれて殺される──聞き覚えのある話だ。話の流れが読めて次第に青ざめるマチルダに、ノノンは小さな、しかしはっきりとした声で告げる。
「アナタ達に危害を加えようとしていたギルドの奴等と同じように、迷宮や街で殺される人がいる。証拠としては弱いけど、小狡い奴等にとっては十分なこじつけの材料になるわ」
「そんな……」
言葉を失い、マチルダはそっと俯く。冒険者を続ける中で恨みを買う可能性がある事は分かっていたが、こうも大事になってしまっているとは思わなかった。しかも、実際に犠牲者が出ている事件まで絡んでしまっているとなると、これはもうもはや知らなかったでは済まされない事態だ。黙り込む彼女を気遣うようにノノンは微かな笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。アナタ達を敵視する人は確かにいるけど、それ以上に味方のほうがずっとずーっと多いんだからね。ギルド長がアタシに口止めしてたのだって、アナタ達に余計な心配かけさせないためなんだから」
気付けば『鋼の棘魚亭』は目の前だ。鞄の中に突っ込んであった樹液の塊の数をもう一度確認し、ノノンはマチルダへと向き直る。
「重たい話しちゃってごめん。でも、気を付けた方が良いに越した事はないから」
「……、……そうね。皆にも伝えておくわ」
「じゃあ、またね。……困った事があったら、いつでも呼んでよね!絶対よ!!」
荷物を抱え、手を振って酒場へと駆けていくノノンを見送り、マチルダは詰めていた息を吐き出した。天空の城を目指すだけでも大変な事ばかりだというのに、心配事だけが増えていくような気がする。
ふと空を見上げる。燦々と輝いて街を照らしていた夕陽はいつの間にか沈みきり、夕焼けの橙色は深い紫へとその色を変えようとしていた。
じきに、夜がくる。
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