【SSQ2】25 蒼天へ到る路
まるで、悲鳴のような。
穿たれた衝撃に硬い床が軋んで割れる音を聞きながら、ロアは額から垂れてきた汗もそのままに眼前のそれを睨み付けた。鉛色に輝く巨大な卵のような何かが低く鳴動しながら宙に浮かんでいる。あの不可思議な物体こそが天空の城の主──オーバーロードそのひとなのだという。人間の身体を捨てた、とは本人の言だが、果たしてあの姿は一体何なのか。自分達はとんでもないものに剣を向けているのではないだろうか──過った考えはすぐさま振り払う。何であろうと彼を倒さない限り諸王の聖杯は手に入らず、世界樹の迷宮も永遠に未踏の地のままだ。もう後には退けない。どちらかが死ぬまでこの戦いは終わらない。
額、と呼ぶべきなのだろうか。楕円体の頂点付近に掲げられた金色の輪がまばゆいばかりの光を放ち、次の瞬間脳を直接掻き回されるような奇妙な衝撃が襲ってくる。思わずよろめいたロアの身体を、横から伸びてきた腕がすかさず支えた。はっとして見上げた先には黒髪をなびかせて立つアベルの姿がある。ロアが体勢を立て直せば、彼はにこりと微笑んで槍を片手にオーバーロードの元へと駆けてゆく。
「ロア!平気かい!?」
リュートの弦をかき鳴らす指は止めないまま、セルジュが叫ぶ声がする。背後からのそれに片手を挙げて応えた。ちらりと目をやれば、ロレッタの手当てを受けていたセトも立ち上がって銃に弾薬を込め始めている。ロアはひとつ息を吐くと剣を構え直しながら声を上げた。
「頭の輪を狙え!」
「っ、了解!」
返事を聞き終える前に駆け出し、鱗のように重なりあった金属に覆われた装甲に剣を突き立てる。僅かに入った亀裂に、すぐさま腰から引き抜いた短剣を力任せに捩じ込んで刃を捻った。がりがりと金属同士が擦れ合って壊れる嫌な音がする。これといった考えがあるわけでもない攻撃だったがどうやら少しは効果があったらしい、上部に並ぶ光を放つ器官が唸るような音と共に明滅し始めた。危険を感じたロアが慌てて後ろに下がろうとするその前に、セトが放った弾丸が巨大な卵のようなそれの頂点、冠のような金の輪を砕く。途端にその身を震わせてぐらりと傾いたオーバーロードにアベルが飛びかかり、輪の内側、煌々と光る橙色の器官に渾身の一突きを浴びせた。
地の底から響くような唸りを上げ、オーバーロードは項垂れるように床に沈み込む。鈍い駆動音が鳴りやみ、微動だにしなくなったそれに近付こうとしたロアをセルジュがそっと制した。同時にどこからか呟くような声が聞こえてくる。
「……惜しい、惜しいな……その力、さぞ……」
落胆の色が混ざった呟きはすぐに途切れ、暫しの沈黙の後に今度はこちらに語りかける声が響いてくる。
「我を倒すとは、汝らの力、かなりのもののようだ。戦いだけが全ての解決には繋がらぬ」
『白妙の花冠』は応えない。構えた武器を下ろす事さえしない彼らの様子に気付いているのかいないのか、オーバーロードはなおも続ける。その声にはどこか懇願するような響きがあるように聞こえた。
「聞け、我が研究は未だ途中。人を作り変えるシステムは完成したものの……我は聖杯を完成させねばならん。永遠に生きる命を求めて……その為には汝らに負ける訳にはいかぬのだ」
そこでだ、と彼は言う。
「提案だ。我が力をもって汝らに永遠の命、人を超える力をやろう。その代わり、汝らは聖杯を諦めてここから立ち去るのだ」
はっと息を呑んだのはセトだ。思わずといったように目を見開いて振り返る彼の視線の先で、アベルがそっと首を振る。その顔に浮かぶ困ったような笑みを見てしまえば、セトはもはや何も言えなかった。
「……悪い話でもあるまい。人を超える力を得ることができるのだ、どうだ?」
「残念だがお断りさせて頂こう。そんな大層なもの、僕らの手には余って仕方ない」
セルジュが答える。言葉こそおどけた調子ではあったが、彼の表情は真剣そのものだ。仲間達もまた各々の武器を手にじっとオーバーロードを睨み付けている。異論を挟む声はない。
彼自身、冒険者達の返答にどこか予想がついていたところがあったのだろう。オーバーロードは深い溜息を吐いて言葉を続ける。
「それが、汝らの選んだ道か。ならば仕方あるまい。我が下へ来るがいい──我が、真の力で汝らの相手をしよう」
くぐもった声が、高らかに宣言する。同時に、その言葉に呼応するかのように天空の城全体が激しく揺れ始めた。何事かと辺りを見回してみれば、王の間を囲んでいた壁が、天井が、床が、次々と音を立てて崩れ始めているのが見えた。
唖然とする彼らの目の前で、床に崩れ落ちていたオーバーロードがふわりと宙に浮かび上がるとまるで蛹が蝶へと変わるようにその姿を変えていく。卵のような物体の内側から展開したのは、金の翼を広げて飛翔する巨大な機械の騎士──否、頭上に冠を戴いたその姿はまさしく王と呼ぶべきか。雷鳴を纏ってうねる雲海を背に、暁の上帝は下界を見下ろして叫ぶ。
「聞くがいい、人の子よ。我は、滅んだ世界からの脱却……新たな世界での未来を夢見た。何人であろうと、その邪魔はさせぬ!人が人であるがゆえの限界を我は超えるのだ!」
吹き荒ぶ風の中、『白妙の花冠』は荘厳にすら見える姿となったオーバーロードと真っ直ぐに対峙する。
正真正銘、これが最後の戦いだ。
「神となりし我が力、思い知れ──!」
咆哮と共に決戦の幕が上がる。長く続いた冒険の、終わりが始まる。
◆
天空の城の最上階でオーバーロードとの最終決戦が始まったその頃、公国薬泉院の病室でチアキはじっと窓の外を眺めては重い息を吐いていた。視線の先にあるのは当然、街の向こう側に聳える世界樹だ。その更に背後に広がる空には灰色の雲が立ち込めている。
『今ので二十回目ですよ』
傍らで見舞い品の林檎を切り分けていたナギが、ナイフをしまいながら苦笑する。差し出された皿から八等分にされた林檎をつまみ上げながら、チアキはううんと唸って肩を落とす。
「こうして待つだけというのは、何というか……歯痒いな」
『僕らはいつもこんな感じですよ。でも、今日は特別気持ちがざわつきます』
「そうだな……今頃何をしているだろうな……」
病室の窓からは世界樹の幹の、その中程しか見えない。仲間達がいるのはもはや見上げる事もできないほど遥か頭上、天空の城のそのまた更に上だ。実際に探索している時はまったく実感が無かったが、こうして街で仲間の帰りを待つ身になってみると自分達はとんでもない場所を探索していたのだなという気持ちになってくる。
林檎を手に黙り込むチアキの表情を見て、ナギは眉を下げた。おずおずといったように手を動かして問う。
『やっぱり心配ですよね』
「心配……も、そうだが……やっぱり少し残念だと思うんだ。こんな事になっていなければ、おれも一緒に行けたのに」
そう言ってチアキが揺らしたのは病衣の左袖だ。本来あるべき筈の手指はそこに無く、肘の辺りで途切れた腕には包帯が巻かれている。
「……まあ、過ぎた事を悔やんでも仕方ない。そうだ、ゼピュロス先生は何か言ってたか?義手の手配の事」
『技師の方には話をつけたと言ってました。お互いに予定が合い次第寸法を取りたいと』
「手回しが早くてありがたい」
義手を作る、というのは左腕の切断を決めた時点で考えていた事だ。ハイ・ラガードでは錬金籠手の製作技術を応用した義肢の研究が盛んに行われており、最近は本物の手指と遜色ない動作が可能な義手も開発されたと聞く。失われた腕の代わりを作ろう、という話になるのも当然の帰結だ。幸い『白妙の花冠』にはそれを実現できるに足る人脈も資金も潤沢にあった。
「作るなら格好が良いのがいいな」
『そんな事言うとものすごいのができますよ。金色で装飾マシマシの、ゴテゴテのやつとか……』
「う……それは流石に、」
その時だった。チアキの言葉を遮るように、どこからか何かが激突するような音と微かな振動が伝わってくる。次いで、微かな悲鳴も。窓の外を覗き込んだ二人の目に映ったのは、街の真ん中、広場の石畳にめり込んだ金色の塊だった。
何だ、あれは。眉をひそめるナギの隣で、さっと顔を青くしたチアキがベッドから飛び下りる。
「まずい……!あれは──」
次いで二度、三度と轟音が窓を揺らす。街のあちこちで土煙が上がり、屋外にいた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見える。上着を羽織って部屋を出ていくチアキをナギは慌てて追いかける。騒ぎを聞いて診察室から飛び出してきた金髪の看護師にチアキは叫んだ。
「怪我人の受け入れ準備を!」
「は、はい……!?何事ですか!?」
「城の欠片だ!天空の城が崩れてる!街に落ちてくるぞ!!」
顔色を変える看護師からの返答は待たず、二人は薬泉院の外へ出た。予想通りと言うべきか、丈夫な石造りの薬泉院には難を逃れようと駆け込んでくる人々が押しかけてきており、その間にも天空の城の破片が落下する音はあちこちから聞こえていた。
「ナギ、辺りの市民を丈夫な建物に誘導してくれ。おまえの鈴ならできるだろう」
青年がひとつ頷くのを見て、チアキはおれは南区に行く、と言い残すと人の流れに逆らうようにして駆け出した。南区は冒険者の居住区であり、薬泉院のような丈夫な石造りの建物は少ない。冒険者の多くは探索に出ているだろうが、街に残っている者や一般市民に被害が出ている可能性もある。フロースの宿の親子も心配だ。
辿るべき道筋を思い浮かべながら石畳を駆け、チアキはそっと唇を噛んだ。天空の城で何があったのかは分からない。万一、最悪の事態が起きていたら……という不安はある。だがしかし、今はそれ以上に、仲間達が帰ってきた時に目にするのがめちゃくちゃになった街の風景ではあんまりだという思いが胸を占めていた。
ラガードの街を、ここに住まう善き人々を守らなければならない。刀を振れない片輪の身体でも、できる事はある筈だ。
◆
瞬間、爆ぜた閃光が目を灼いた。次いで全身を焼けつくような痛みが襲ってくる。思わず膝をついたロアの首根っこを掴んで背後に下がらせ、アベルはオーバーロードに付き従うようにして宙に浮く奇妙な物体を刺し貫いた。橙色に光る硝子の目玉からばち、と火花を散らしてそれきり沈黙したそれを乱雑に投げ捨て、彼はふるりと頭を振った。乱れた髪の先から汗が散る。後列で負傷したセトの腕を治療していたロレッタが、鞄から試験管を一本取り出して前方へ思い切り投げ付ける。床に落ちて割れた試験管から溢れた薬液は急速に気化し、霧状の薬となって仲間達の傷を癒した。
周囲に絶耐ミストを振り撒きながら、セルジュは踞るロアへと駆け寄るとその手を引いて立ち上がらせる。彼女は喰らった雷撃の余波で少々ふらついているようだったが、その瞳はしっかりと目の前の敵を捉えていた。
「……、先にあの小さいのを、……処理しないとな」
「無理に突っ込むな。君は隙を見て重いのを一発叩き込むのが仕事だろ」
ちらと顔を上げて見やれば、攻撃をかわしながら敵陣を駆けるアベルと腕の怪我から復帰したセトが残るもう一つの浮遊物に集中攻撃を喰らわせているところだった。あの物体が一体何なのかは見当もつかないが、オーバーロード本体と連携して攻撃を仕掛けてくるのが非常に厄介だ。優先して仕留めたいところだが相手の攻撃が激しいため中々上手くいかない。
「縛りや盲目にするのは厳しいだろうな」
「そうだね。速攻で小さいのを片付けつつ本体も叩かないと……」
「守りはお前とロレッタに任せるぞ」
「分かってるよ」
セルジュの返事に軽く笑い、剣を構え直してロアはオーバーロードへと駆け込んでいく。無数の赤い棘の生えた金の翼が薙ぐように振るわれるのを避け、すぐさま身を翻して斬りつける。がきん、と鈍い音がして翼が砕け、オーバーロードは唸るような声を漏らした。
「やはり、汝らの力は……」
「まだ言ってるのか!しつこい、ぞッ!!」
返す刃でもう一閃。勢いの増した斬撃は更に強く、深く翼を抉る。重みを乗せた連撃は彼女の十八番だ。こうして剣を振るって、仲間と共に数々の敵を打ち倒してきた。今までの戦いでも、そしてこの戦いでもそれは変わらない。
翼を砕かれたオーバーロードの動きが僅かに鈍る。攻撃の手が緩んだその瞬間を狙って、アベルが腰の短剣を引き抜いて素早く投擲した。短剣は鋭く風を切って飛んで行き、金に輝く巨体の頭部、顕になっていた橙色に輝く核を穿つ。エネルギーの集中していた場所を貫かれ、バランスを崩したオーバーロードの身体がぐらりと傾く。
生まれた隙を逃すまいと一気に攻勢をかける『白妙の花冠』の攻撃をオーバーロードは身を丸めて耐えていた。襲いかかる斬撃を、刺突を、弾丸を、所々欠けてひび割れた金の翼で受け止めながら、彼は呻くように呟く。
「我は……人間の力、……限界を……超えし者……!」
セトの放ったチャージショットが、胸に飾られた翼のレリーフを撃ち抜く。金の装飾に覆われた、いっそ美しいまでの荘厳な出で立ちだった彼の姿も、今や満身創痍の様相を示している。砕けた鎧と、欠けた翼と、割れた冠と。その姿はもはや王と呼ぶにはあまりにも相応しくない──しかし、それでも尚。
「我は……我は滅びぬ。摂理を超越し、永遠を我が手に掴むまで!我は!倒れる訳にはいかぬのだッ!!」
オーバーロードの咆哮に呼応するように地を走った電撃が、冒険者達の脚の自由を奪う。まずい、と一声叫んだセルジュが『聖なる守護の舞曲』を奏で始めるが、間に合わない。
「地に墜ちよ、人の子よ──!!」
ヒビの入った額の核から、眩いばかりの光が放たれる。白く染まった視界の中で『白妙の花冠』を襲ったのは斬りつけられるような激しい衝撃だった。誰かが床に崩れ落ちる音。それが仲間の内の誰かのものなのか、はたまた自分のものなのか、それさえも分からないまま彼らは意識までも一面の白の中に溶かしていく。
◆
街がざわめき立っている。宿屋の親子を避難場所へと送ったその足でモモコは逃げ遅れた市民や怪我人を探して回っていた。つい先程も、避難できずにいた目の不自由な老婦人を避難誘導中の衛士に託してきたところだ。
世界樹の頂点から落ちてきているらしい破片は、途中で枝葉にぶつかって砕けてしまうためだろうか、見たところそう大きなものでもない。心配すべきは家屋の損壊と、それに伴う火事などの二次災害だ。時刻がちょうど昼過ぎで街中に人が少なかった事は幸いだった。これが通りに人の多い朝や夕方であれば命を落とす者もいたかもしれない。
ふと、どこからか聞こえる子供の泣き声にモモコは足を止めた。耳を澄まし、声の聞こえる方へと急いで向かっていけば、そこにいたのは幼い子供と地面に座り込んだ母親らしき女性だ。女性は身重であるらしい、大きな腹を守るように抱えて踞っている。
「どうかしましたか!?」
「あ……足を挫いてしまって……」
今にも泣き出しそうな女性の声にモモコは歯噛みした。怪我人を運んで避難所まで走れるだけの力は彼女には無い。相手が身重であるならば尚更だ。女性はこの子だけでもお願いします、と子供をモモコに押し付けようとする。
「っ……足を診せてください。何とか歩いて、建物の中まで……」
その時、頭上から何かが崩れる音が聞こえる。はっと顔を上げて見れば、落下してきた破片がめり込んで歪んだ家屋の屋根から無数の緑色の煉瓦が彼女達めがけて落ちてこようとしているところだった。モモコは咄嗟に女性と子供を守るように覆い被さる。がらりと音を立てて煉瓦が落ちる──が、しかし、予想していた衝撃は無く、代わりにフワフワとした何かの感触が背中に伝わってくる。
「モモコ様、モモコ様。私です」
「……パン左衛門さん?」
「お怪我はありませんか」
そう言い、パン左衛門は背中に付着した煉瓦の欠片を払い落とす。モモコがどうしてここに、と訊ねる前に、大きな白黒の身体の向こう側からこれまた馴染み深い声が聞こえてくる。
「パンじい!大丈夫!?」
「大事ありませんよ、お嬢様」
駆けてきたノノンはほっとした表情を浮かべ、それからモモコを見てにっこりと笑う。彼女が差し伸べた手をモモコは呆気に取られながらも掴んで立ち上がる。その間にパン左衛門は呆気に取られた様子の女性とシロクマだ!とはしゃぐ子供を丁重に背中に乗せていた。
「私はお二人を避難所へお連れします。お嬢様、くれぐれも無茶はなさいませんよう」
「分かってるわ。行きましょモモコ、他にも逃げ遅れた人がいるかも……何よその顔?」
「いえ、ええと……何だかびっくりしちゃって」
母子を連れて避難所へと向かうパン左衛門を見送り、踵を返して歩き出すノノンをモモコも慌てて追う。よく見てみれば、ノノンの赤いドレスは土埃や泥に塗れて汚れてしまっていた。
「ノノンさん達も救助活動を?」
「アタシ達だけじゃないわ。街に残ってた冒険者はほとんど救助に出てる。冒険者だけじゃなくって動ける市民や衛士も逃げ遅れた人を助けてるし、商店や病院は物資を集めて避難所に回してる。アタシ達もそっちを手伝って色々聞いて回ってたんだけど……」
振り返ったノノンの顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「『白妙の花冠』が頑張ってるんだから、自分達も精一杯の事をしなきゃ……ってさ。皆同じようにそう言うのよ。アナタ達ほんと愛されてるわね」
モモコは目を瞬かせた。くすくすと笑い、ノノンは遠景に見える世界樹の幹に目をやる。
「アタシも同じ気持ち。アナタ達の事見てるとこっちまで元気が湧いてくるの。……どんな困難だって乗り越えられる気がするくらいにね」
世界樹から視線を外し、もう一度モモコを真っ直ぐに見つめて彼女は言う。
「さ、アタシ達も頑張らなきゃ。凱旋してきたアイツらを笑って迎えてやるためにね」
「──はいっ!」
モモコも笑顔で頷いた。瓦礫の降る街を二人は駆けていく。その顔に、不安や絶望は欠片もない。
◆
一面を覆っていた白煙が晴れた時、無事でその場にいたのはロレッタ一人だけだった。辺りを見回す。少し離れたところにセトが、その向こう側にアベルとロアが倒れている。すぐ近くでセルジュが呻きながら身を起こそうとしていたが、結局叶わずに崩れ落ちてしまった。ロレッタも無事とはいうものの身体は傷だらけで、床にへたり込んだ状態から立ち上がる事ができない。ふらつく上半身を懸命に支えて鞄の中を探る。試験管はほとんどが割れ、薬品もこぼれ出てしまっていた。
「──終わりだ、冒険者よ」
頭上から低い声が響いてくる。ゆっくりと顔を上げて見てみれば、彼もまた満身創痍の状態でロレッタ達を見下ろしていた。灰色の雲を背に、砕けた翼を広げて浮遊する彼をちらと見やり、ロレッタは掠れた声で問う。
「あなたは……永遠の命が欲しかったんでしょう」
「……左様。我が求めたものは永遠に滅びぬ生命、人間を超えた新しき人類の、その創造だ」
「最後に教えて。あなたはどうして不死を求めたの」
問いかけにオーバーロードは黙り込んだ。雲の合間で雷鳴が渦巻く微かな音だけが辺りを支配する。暫しの沈黙の後、彼は静かな声で応えた。
「救いたい者達がいた」
「……この"舟"に乗っていた人の事?」
「そうだ。我は救いたかった。我を信じ、命運を託した同胞達を、滅亡から救ってやりたかった。……その為の千年だった」
「……、……そう。それが、あなたの正義なのね」
「もはや引き返す事はできぬ。例え我の選択が間違いであろうとも……諦めるには千年の時はあまりにも長く、重ねた犠牲は多すぎた」
故に、と彼は翼を広げる。
「我は汝らをここで葬ろう。許せ人間よ、我らの正義は相容れぬ」
オーバーロードの額、冠の奥で輝く核に再び光が灯る。止めの一撃を放つためエネルギーを充填させる彼の視線の先で、じっと俯いていたロレッタがぽつりと溢した。
「あなたの信念はよく分かったわ。……理解も、共感もできる」
返答はない。オーバーロードはただ黙って少女の言葉を聞いている。ロレッタは尚も言葉を続ける。彼女の傷だらけの手は鞄の肩掛けを強く握っている。
「でも……受け入れる訳にはいかない。私達にも譲れないものがある」
これまでの旅路をひとつひとつ思い返す。多くのものを得た。多くのものを失った。それら全てに背を押されて、半ば意地だけでここまで辿り着いた。辿り着いたからには、託された想いを果たさなければならない。世界樹を踏破する。諸王の聖杯を手に入れる。そして、悲劇の輪廻を終わらせる。あの時、心さえ凍えきった白銀の迷宮で、少女は泣いていたのだ。だから──。
ロレッタは顔を上げる。その瞳には強い光が宿っている。
「私は──もう誰も死なせない!」
一声叫び、残っていた試験管を鞄から取り出して一気に叩き割る。瞬く間に広がっていく癒しの霧は、傍目から見ても分かる程に色濃く、凝固したエーテルの煌めきを帯びて淡く、美しく輝いている。
はっとしたオーバーロードが、すぐさま霧を振り払おうと翼を大きく広げる。しかしそれより先に素早く身を起こしたセトの放った弾丸が翼の根元を撃ち抜いた。
「ぐ……!」
「は、っ……これじゃ、どっちが不死だか……!」
口内に溜まっていた血を吐き出しながらセトは唇を歪める。
医術と銘打たれてはいるが、ロレッタの扱う医療術は広義的には錬金術の一種だ。薬品を媒介にエーテルを変換させ、対象の治癒力を高める作用を生み出す癒しの錬金術。となれば当然、アルケミスト達が術式を圧縮してその威力を高めるのと同じで、医療術もまたエーテルを圧縮すればする程に治癒効果は大きくなっていく筈だ。今まで試した事のない方法だが、仲間は皆倒れ薬品も残り少ない危機的状況で、ロレッタはその方法に賭けたのだ。
彼女は見事、賭けに勝利した。
セルジュが震える手で近くに転がっていたリュートを引き寄せ、弦を爪弾き始める。攻撃を受けた拍子に本体が歪んでしまったためか音色はどこかちぐはぐだが、その旋律は耳にした者を鼓舞し力を与える。いつかの戦いでも聞いた『最終決戦の軍歌』だ。
立ち上がったアベルが槍を高く掲げる。自分から仲間から、溢れんばかりに吸収した生命力はまばゆい光の螺旋となって槍全体を覆い、何者をも貫く矛へと姿を変えた。喉の奥からごぽりと音を立てて溢れてくる鮮血には目もくれず。気合いと共に投擲された『ゲイボルグ』は古い伝承にある通り、稲妻のごとき速さでオーバーロードの身体の中心を貫く。
浮遊していた身体が安定を失って落下していく。ばちり、と自身の内側から生まれては爆ぜる閃光を視界の隅に捉えながらも、核に溜めていたエネルギーを放出しようとする彼の元へ、剣を構えたロアが肉薄する。彼は見る。自身を滅ぼさんとする冒険者達の顔を。勇ましい旋律をその切っ先に乗せ、陽の光を浴びて煌々と照り返る剣の輝きを。
すぐそこに迫る剣士の目には、強い覚悟と希望の光が宿っている。
遠い昔、自分の傍らに似たような目をした女がいた事を、何とはなしに思い出した。
◆
やっとの思いで崩れた家屋の瓦礫を退け、ナギは傷付いて血の滲んだ両手もそのままに急いでその向こう側に空いていた空洞を覗き込む。暗がりの中からげほげほと咳き込みながら出てきたのはすっかり薄汚れた姿のチアキだった。
「ああ、助かった……!ありがとうナギ、死なずに済んだ」
「……!…………!!」
どうやら本気で怒っているらしい、ナギは目に涙を浮かべながらふるふると肩を震わせて何事か手を動かす。動きが速かったため上手く読み取れなかったが、無理するなだとか肝が冷えただとかそういう事を伝えたいようだった。
「いや、抱えたままだと瓦礫が上手く退けられなくて……どちらも無事だったから良しとしてくれ」
チアキは苦笑を浮かべ、上着の内側に抱え込んでいたそれをナギに手渡す。柔らかなおくるみに包まれた赤ん坊は土埃に汚れているものの怪我のひとつも無く、頬に涙の跡を残してすやすやと眠っていた。ナギはほっと肩の力を抜く。彼がこうして駆けつける事ができたのは、チアキを探している最中に偶然赤ん坊の泣き声を耳にしたためだ。この子には感謝してもしきれない。
「……あ!ナギくん!チアキさん!」
唐突に聞こえてきた高い声に振り返ると、ちょうど通りの向こうからモモコが駆け寄ってくるところだった。その後を追ってきていたノノンがチアキの姿を見てぎょっと目を剥く。
「ちょっと!その腕、血が出てるじゃない!貸しなさい!!」
「えっあっ、痛たたた痛い痛い!もう少し優しく……!」
包帯の下から血が滲んでいたチアキの左腕を引っ掴んで手当てを始めるノノンを横目に、ナギはごしごしと涙を拭ってモモコに問いかける。
『避難はどうなってる?』
「市街地はほぼ終わりました。まだ完全に確認できていませんが、今のところ死者はゼロ。重傷の方はいらっしゃるみたいですが命に別状はないそうです」
『奇跡だね』
「本当です」
街は城の破片がめり込んだせいで穴だらけのボロボロ、完全に倒壊した家屋も少なくはないが、そんな中で死亡者が出ていないというのは不幸中の幸いだった。失われた命は戻せないが、壊れた街並みならば時間をかければ元に戻せる。無惨な街の姿は人々の心を傷付けるだろうが、それは同時に未来への希望でもあった。これから力を合わせて立て直していけば、ラガードをこれまで以上に良い街にする事もできるだろう。
永遠に続くかと思われた瓦礫の雨は、いつの間にか止んでいた。ふと顔を上げたモモコが、あ、と小さな声を漏らす。何事かと三人もその視線の先に目を向け、そこに広がる光景に目を奪われた。
どこからか微かに、何かが爆ぜるような音が聞こえた。次の瞬間、空を覆っていた厚い雲に小さな亀裂が走り、隙間から淡い光が射し込んでくる。最初は今にも消えてしまいそうな程か細く弱々しかったそれは徐々に強さを増して世界樹を、ラガードの街を明るく照らしていく。雲の向こう側には抜けるように青い空の色が見える。
それはまるで、何かを祝福するような。
街の誰もが動きを止め、声もなくその光景を見つめていた。眩く、力強く。降り注ぐ光の筋は、天へと真っ直ぐに続く路のようにも見えた。
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