【SSQ2】終章

「……彼らは、永遠の命を得たのね。この街でずっと、語り継がれる命を……」


   ◆


 大公宮の応接間は広く、二人で話をするには少々持て余してしまう場所であるように思えた。いや、問題は広さだけではない。腰を下ろしたソファーは信じられない程柔らかく、一見簡素に見える調度品や装飾のひとつひとつからは隠しきれない気品がありありと感じられる。流石は大公の住まう場所と言うべきか、空間に漂う雰囲気は高貴そのもので、一介の冒険者ごときには勿体ないとしか言いようがない。

 普通の冒険者であれは萎縮しきってしまうであろうこの状況にも表面上とはいえ平然と対応できているのは、彼女の出自によるところが大きいだろう。いつもの薄汚れた鎧ではなくシワひとつないシャツにジャケットを羽織ったフォーマルな装いのロアは、目の前に座るドレス姿の女性に真っ直ぐに向き合い天空の城で起こった出来事を今まさに語り終えたところだった。事の仔細を聞き終えた公女はふっと微笑みを浮かべて口を開く。

「仔細承知致しました。……皆様がご無事で何よりです」

「ご厚情痛み入ります」

 深々と頭を下げ、再び面を上げたロアの表情は少々渋いものとなっていた。公女を慮るように、控えめな声色で彼女は言う。

「しかし、献上する筈だった諸王の聖杯は……」

「存じております。"聖杯"は天空の城に備え付けられた設備のひとつで、持ち出す事はおろか起動させる事すら安易ではないと」

 オーバーロードを倒し、天空の城の最上階──研究室であったらしい場所を調べて分かった事だ。諸王の聖杯という名で伝わっていたそれはその名の通りの杯などではなく、ある物質を別の物質へと変換する装置、つまるところ錬金炉のような機構を指すらしい、というのが遺されていた古文書を読み解いた学者達の結論だった。現にそれらしき装置が研究室にある事も発見されている。城をひとつ宙に浮かせる事さえ可能な超古代のオーバーテクノロジーを、果たして扱う事ができるのか。本当に大公の病を治す薬を作れるのか──不安はあまりにも大きい。

「しかし、幸いにも父は小康状態にあります。今すぐには難しくとも、公国の持てる叡智を結集させて聖杯の研究を進めていけば、必ず活路を見出だせる筈。皆様が命を懸けて繋いで下さった希望……決して無駄にはしません」

 そう言いきった公女の顔は晴れやかだ。それを見てロアもようやく表情を緩めた。彼女がいるならば、この国も安泰だろう。確証はないがそんな予感がした。

 傍らに控えていたダンフォードが懐から時計を取り出して時間を確かめると、ゆるりと公女へ近付いてくる。

「姫さま、そろそろお時間ですぞ」

「あら……申し訳ありません。お呼び立てした上、きちんとしたおもてなしもできず……」

「滅相もない。こちらこそ、お手間を取らせてしまい申し訳ありません」

「そう畏まらないでください。貴女方はこの国の英雄なのですから」

 英雄。街に帰って来てから幾度となくそう呼ばれたが、英雄というのはどうもしっくりこない。いくら迷宮を踏破したとはいえ自分達はただの冒険者であって、英雄などという大仰な存在ではないのだ。

 公女がソファーから腰を上げてひとつ礼をする。ロアもすぐに立ち上がり頭を下げた。公女はにこりと微笑んでそのまま立ち去ろうとし、小さく声を上げてつかつかとロアの元へ戻ってくる。

「そうでした。あの……最後に握手をして頂いてもよろしいですか?」

「……握手?ええと……」

 突然の申し出に困惑しつつ、ロアはダンフォードをちらりと見やる。大臣はシワだらけの顔をにこにこと綻ばせるばかりで公女やロアを咎める気配はない。果たして王族の、それも大公の一人娘が一介の冒険者と握手など交わしていいものか。しかしここで断るのも不敬にあたる。おずおずと手を差し出せば、公女の白い両手がその手をそっと包んだ。

 ほんのりと頬を染めてはにかみ、実は、と前置いて公女は言う。

「もうずっと前から……私、皆様のファンなのです」

 公女が去り、ロアはダンフォードに先導されつつ応接間を出て公宮の出入口をまっすぐに目指す。ダンフォードはゆっくりと先を歩きながら、ふうと重い息を吐き出すとロアを振り向いた。

「改めて、この老体からも礼を言わせてくだされ。そなたらのお陰で、この国は救われた」

「そんな大仰な事はしていません。我々は思うがままに進んできただけです」

「そんなそなたらだからこそ、皆の希望となったのじゃよ。天から石の雨が降る中で皆が諦めずにおれたのは、そなたらと共に戦っておるような実感があったからじゃ。不思議な事じゃがの……」

 からからと笑う老爺に、ロアは思わず頬を掻いた。お前達が戦っているから頑張れた、と、何故か街で出会う皆が一様にそう言うのだが、本当に不思議な事もあるものだ。集団心理というやつだろうか。

 黙り込むロアには構わず、ダンフォードはふうむと唸って顎髭を撫でる。

「本来ならば今すぐにでも式典を行い、栄典を授けるべきなのじゃろうが……姫さまも、我ら家臣団も、街の復興で手が回らんでの。もう少し待って頂けんか」

「我々はいつでも構いません。復興を最優先にお願いします」

「そう言って頂けると有難い。……しかし、本当によろしいのか?約束通り、貴族の地位を授けても良かったのじゃぞ」

「はい。……元々、地位にはあまり拘りがなかったというか……」

 世界樹の迷宮を踏破し、天空の城を見つけ出した者には貴族位を与える──とは、公宮が迷宮探索の御触れを出した当初からの謳い文句だ。『白妙の花冠』にも当然のように貴族としての地位を、という打診があったが、彼女らは満場一致でそれを断った。代わりに要求したのがメンバー全員分の公国市民権と、一家族が住むに足りるだけの広さの家を一軒。国からの報奨金は既に貰って山分けしているため『白妙の花冠』にしてみればこれだけで十分なのだが、この大臣はそれが不満であるらしい。

「気が変わったらいつでも仰ってくだされ。何なら特別顧問として公宮にお招きしますぞ」

「それこそ我々の手に余ります!」

 苦笑したロアにダンフォードも穏やかな笑みを返した。気付けば出入口はすぐそこだ。

「式典の日取りが決まり次第、使いを出そう。それまでどうか公国に留まっておいて下さるよう」

「承知しております。大臣殿もお忙しいでしょうが、無理はなさらないで下さい」

 ダンフォードと会釈を交わし、ロアは公宮を出る。守衛の敬礼を受けながら門をくぐり、ようやく窮屈な雰囲気から解放された爽快感に彼女はうんと伸びをした。ふと見上げた空は快晴で、ちらほらと見える白い雲が目に眩しい。

「……英雄、なあ……」

 一人ごち、大きな息を吐いてロアは歩き出す。街のあちこちでは瓦礫を退けたり家屋を建て直したりの作業に追われる人々の姿が見られた。どこか微笑ましい気持ちでそれを見守りながら彼女は宿への道を急ぐ。


   ◆


「……ごめん、もう一回言って」

 頭を抱えて呻くように呟いたノノンにセルジュは肩を竦め、先程と同じ言葉を一字一句違わず繰り返した。

「天空の城の更に上層に新しく迷宮が見付かった。僕らはもう迷宮には出られないから、『メシエカタログ』に探索をお願いしたい」

「…………本気?」

「話し合って決めた事さ。公宮とギルド長にも話はつけてある」

 睨むような視線を軽く受け流しつつ、セルジュはコーヒーを啜る。二人が向かい合っている個室から壁を隔てて向こう側、厨房に面した客席からはがやがやと騒がしい声が響いている。幸いにもあの天空の城崩落事件の被害を受けなかった公国直営料理店『四つ葉亭』は、つい昨日営業を再開してからというもの常に満員状態となっていた。

 レジィナの嬉しい悲鳴が聞こえるようだ、とぼんやり考えながらセルジュは俯いて黙り込むノノンの旋毛を見つめた。

「アタシ達、ついこの間やっと四層に入ったところよ」

「今すぐにとは言わないよ。順当に、天空の城を踏破してからでも全く構わない」

「どうしてアナタ達はダメなの?」

「……メンバー不足さ。アベルにドクターストップがかかった。前衛の穴が埋められない以上、もう探索には出られない」

 そろそろ僕らも潮時って事さ、と呟くセルジュをノノンはむっとしたような表情で見ている。

 無茶な頼みをしている事はセルジュ自身にも重々分かっている。いきなりこんな事を言われてノノンが困惑するのも無理はないだろう。セルジュは空になったコーヒーカップを掲げ、真剣な表情で言葉を続ける。

「何も『白妙の花冠』の名前を継げって言ってる訳じゃない。強制はしないし、断ってくれても良い。ただ、後の事を託せるのは誰かって考えた時に、真っ先に思い浮かんだのが『メシエカタログ』だったんだ。君達にとっては迷惑な話だろうけど……」

 暫しの沈黙が下りる。尚も険しい表情を続けていたノノンは、やがて詰めていた息を盛大に吐き出すとすっと居住まいを直して改めてセルジュに向き直った。

「本当にアタシ達でいいの」

「君達だから頼んでるんだ」

「その口説き文句はずるいわ……」

 呆れたような笑みを浮かべ、すっと手を差し出してノノンは言う。

「やるわ。どこまで行けるか分からないけど、頼まれたからには出来る限りやってみる」

「そうか!ありがとう、助かるよ」

 ほっと表情を緩めてセルジュはノノンの手を取る。正直なところ、断られるかもしれないと思っていたのだ。天空の城より上層とは果たしてどんな場所なのかセルジュ達にも見当がつかない。ノノンにとってもそれは同じであるだろうに、それでも引き受けてくれたのならこれほど嬉しい事はない。

 セルジュと固く握手を交わしながら、ノノンはそれにね、とにんまり笑う。

「アナタ達より上に行けるチャンスなんて、そうそう無いものね!」

「……負けず嫌いは相変わらずかい」

「上昇志向と言って頂戴」

 最初に出会った頃のような自信溢れる彼女の姿にセルジュは思わず苦笑した。しかし、自分達がそうであるように、ノノンもまたあの頃と比べて多かれ少なかれ変化している事を彼は知っている。それを成長と呼んでいいものなのかは分からないが。

 ノノンの腰には、今日も飛ぶ鳥の装飾が施された一振りの剣が携えられている。


   ◆


 ラガードの街を出て少し歩いた先にある小高い丘に、冒険者の共同墓地はある。損傷が激しすぎて身元が分からなかったりギルドごと全滅してしまったりとその経緯は様々だが、樹海で倒れたものの遺体の引き取り手が現れなかった冒険者は纏めてこの共同墓地に納められる。それ以外にも、遺体すら見付からなかった冒険者も便宜上この場所に埋葬されているという事になっていた。

 持ってきた供え物を並べ終え、モモコは身を起こしてううんと伸びをした。愛用の帽子の位置をそっと直しつつ、背後を振り向いて声を上げる。

「アベルさあん!あんまり離れちゃダメですよう!」

 少し離れた場所で遠くの景色を見ながらぼんやり佇んでいたアベルがその声に肩を揺らし、ゆっくりとした足取りでモモコの元へ近付いてくる。傍らで先に供えられていた花を並べ直していたナギが小さく笑った。

『帰りはゆっくり歩こうか。景色を見ながらさ』

「そうですねえ。アベルさんは外に出るのは久々ですし……いいリフレッシュになるかもしれませんね」

 ねっ?と同意を求めてみれば、アベルは何度か目を瞬かせた後にこりと笑った。

 天空の城を踏破して以来、エドモンドとマチルダの墓参りに訪れるのは今日が初めてだ。

 ラガードの街と聳え立つ世界樹を一望できる場所に置かれた墓標には、絶えず色とりどりの花や菓子、酒などが供え置かれている。この場所に眠る誰かの好物であろうそれらを傷む前に回収するのは、管理人として常駐する衛士の仕事だ。

「近頃はここを訪れる冒険者もすっかり減ってしまいました」

 萎れた花束を拾い上げつつ衛士は言う。野草か何かを摘んだものなのだろうか、大半が散ってしまっているそれは花束と言うにはあまりに粗雑で見映えが悪かった。

「天空の城が完全に踏破されてから、街を去る方が多いのだと聞きます。元より迷宮探索のために訪れた方々ですし、一市民である私が言うのは勝手とも思いますが……少し寂しいような気もしますね」

「そうですね……同じ冒険者とはいえ皆さん目標とするものは違いますし、仕方ない事ですけど……」

「皆さんは、ラガードに残られるのですか?」

 問いかけにモモコは曖昧な笑顔を返した。その反応で何か悟ったらしい、衛士は慌てて失礼しました、と頭を下げると丘の麓にある詰め所へと戻っていった。彼と入れ替わるようにして丘を上ってきたのは供え物を抱えたロレッタとチアキだ。去っていく衛士の背中を怪訝そうに見つめ、二人は墓標へと近付いてくる。

「遅れて悪いな」

『大丈夫ですよ。採寸は無事に終わりました?』

「ああ、一月ほどで仕上がるらしい」

 そう答え、チアキは風に揺れている左袖を撫でる。義手の準備も順調に進んでいるようで何よりだ。抱えていた花束を墓標に供えながらロレッタがぽつりと呟く。

「それまでに一度、故郷に戻っておこうと思ってるの」

「ああ、ロレッタちゃんの街はラガードからそんなに遠くないんでしたっけ。チアキさんも一緒ですか?」

「えっと……まあ、そのつもりだ」

「仲良き事は美しきかな」

 いつの間にか摘み上げた野花を弄びながら歌うように呟いたアベルの言葉に、チアキが困ったようにはにかむ。ロレッタはこれといった反応を見せないまま忙しなく花束を整えているようだったが、よく見てみればその頬はほんのりと赤く染まっていた。モモコとナギは顔を見合わせ、こっそりと笑みを交わす。

「そ、それはそうと!おまえ達はどうするんだ。ナギはともかく、モモコとアベルには実家があるだろう」

 わざとらしい調子で話を逸らすチアキにナギが苦笑混じりに肩を竦める。モモコは顎に手を当ててうーんと考え込み、ぽつりぽつりと答えた。

「そうですね。そのうち帰るつもりですけど、留学が終わる予定の日はまだ先なんですよねえ」

「じゃあまだラガードに残るんだ。アベルは?」

「ん……俺は」

 アベルは小首を傾げて暫し沈黙し、やがてどこか物憂げな表情を浮かべるとそっと目を伏せた。

「……セト次第、だな」

 その言葉に一同は口を閉ざす。

 オーバーロードとの戦いで負った傷が癒えてすぐの頃から、セトはラガードの街から度々姿を消すようになっていた。一人でどこに行っているのか、何をしているのか。誰が訊ねても彼は答えないまま、ふらりと姿を消してはまた戻ってくるという生活を続けている。ギルドの一同はそんな彼を心配し、せめて行き先を教えるよう説得を試みるなどしていたのだが、結局失敗に終わって今に至っている。

「そっとしておいてやってくれ」

 と、兄であるアベルがそう言うならば、という事でもはやセトを咎める者は誰もいないが、それでも不安は不安である。

「せめて栄典の授与式には出て欲しいわよね。全員いなきゃ締まらないわ」

『そうだね。丁度よく戻ってきてくれてたらいいんだけど』

 ひときわ強い風が丘の草木を揺らし、頬を撫でながら吹き抜けていく。鮮やかな白い翅をはためかせてどこからともなくやってきた蝶が、ひらひらと視界を横切ったかと思うと風に乗ってまたどこかへと飛び去っていく。何とはなしにその行く先を目で追えば、丘の向こう側に広がる景色が目に入った。深緑の屋根が一面に並ぶラガードの街を抱くようにして、世界樹は快晴の空に枝葉を目一杯伸ばして今日もそこに佇んでいる。

 白い翅が空を舞っている。彼もまた、旅路の途中なのだろうか。どこか覚束ない軌道を描きながら、蝶はそのまま上空へ昇っていくとやがて白い雲の中に溶け込むように姿を消した。

「……どこかの国の古い伝承では」

 唐突な言葉に他の四人は目を丸くする。仲間達の様子を気にした風もなく、淡々とアベルは続けた。

「蝶は魂の象徴とされているらしい。またある国では死者の魂が形になったものだとも。花から花へ渡る美しい姿に、古い時代の人は何かしらの不思議な魅力を感じたんだろう」

 語りながらアベルは握っていた手をそっと開く。手の内で崩れてしまっていた野花の花弁が風に乗って舞い散っていった。

「こんな話もある。ある場所で飛んでいた蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で嵐を巻き起こす。儚くちっぽけな存在が、巨大な物事を動かす事の喩えだそうだが……いつも思っていたんだ。似ている、と」

 ──それはちっぽけな人間が神に等しい暁の上帝を打ち破るような、はたまた覚悟と呼ぶには程遠かった一人一人の意志が、ひとつのギルドに集った事で世界樹踏破という偉業を成し遂げるような。覚束ない軌道で、それでも天を目指したその姿はまるで。

 振り返り、アベルは笑う。

「お前達は、蝶々みたいだ」

 靡いた黒髪が風に舞う。彼の背に広がる空は果てしなく、吸い込まれてしまいそうな程に深い青で塗り潰されていた。あまりにも、あまりにも晴れやかで良い天気の、穏やかな日だった。

 またひとつ風が吹く。どこからか飛ばされてきた薄桃色の花弁が、抜けるような青空に渦を巻いて舞い上がっていった。



  ◆



「──もう終わり?続きは?」

 唇を尖らせ、もっと話して!とせがむ少年の頭を撫で、老婆はくすりと笑った。

 ぱちぱちと音を立てて燃える暖炉の側で、彼女は毎日のように子供達にせがまれてはラガードに伝わる冒険譚を語っていた。ある時には仲間と共に過ごす団欒の一時を。またある時には魔物に囲まれた死地での手に汗握る戦いを。老婆の口からそれらひとつひとつが語られるたびに子供達はころころと表情を変えた。古い記憶を紐解くように物語を紡ぐ時間は老婆にとっても楽しいものであったが、それももう終わりだ。すべてのものに終わりの時は必ず訪れる。それがどんなに色鮮やかな、永遠に続くかのように思われた冒険の一時であっても。

「そうですねえ、勿論続きはあるけれど……『白妙の花冠』の冒険はひとまずこれでおしまい」

「えー!チュウトハンパ!」

「あらあら、困りましたね。でも、本当に終わりなんですよ」

「お城の先には何があったの?」

 傍らで大人しく話を聞いていた少女が思わずといったように問う。目を輝かせて返答を待つ子供達に、老婆はそっと微笑んだ。

「二人は、何があったと思いますか?」

「うーん……ものすごいお宝!とか?」

「お城にいるより、もっと強い魔物がいたりして……」

「じゃあ、そうだったのかもしれませんね」

「えー、本当は何があったの?」

「うふふ、何があったんでしょうねえ」

 答えをはぐらかす老婆の様子に焦れた少女が再び口を開きかけたところで、窓の外から子供達を呼ぶ声が響いてくる。顔を見合わせる少年と少女の背を撫で、老婆は優しい声で言う。

「……さあ、お母さんが呼んでいますよ。今日はもう帰って、また明日遊びましょうね」

「はあーい」

「おれ、明日はあの話がいい!あの、空飛ぶ街とお宝の話!」

「ええ、ええ、分かりました。明日お話ししますからね」

「約束だゼ!」

 少年と少女は立ち上がり、並んで出入り口へと駆けていく。背伸びしてドアノブに手をかけ、よいしょ、と捻ったところで少女が振り返ってにこりと笑った。

「おやすみ、モモコばあちゃん」

「また明日なー!」

「ええ、また明日……」

 小さな二つの背中が扉の向こうに消えていくのを見つめ、老婆はほっと息を吐くとロッキングチェアから腰を上げて窓の外を覗き込んだ。夕暮れ時の空は焼けるような橙から深い青紫へとその色を変え、その内側では白く光る星々がきらきらと瞬いている。逆光で黒く塗り潰された山々の向こう、遠景にぼんやりと浮かぶのは天高く聳える大樹の影だ。

 世界樹の迷宮と天空の城を巡るお伽噺のような英雄譚は、こうして半世紀以上の時が経っても未だ人々の心に息づいている。目を輝かせて耳を澄ませるあの子供達がそうであったように、難攻不落の迷宮へと挑んだ冒険者達の物語はどこかで誰かの心を打ち、その胸に飽くなき夢を抱かせるかもしれない。誰もが夢見るだろう。この世の何処より天に近い高みから望む景色と、それを目に焼き付ける事を。かつての英雄達は、その夢を確かに叶えたのだ。

 青く、青く、一面に見える澄み渡った色。陽の光を受けて白く輝く雲海。果てしない空はまるで世界のすべてを包むように広がっている。その中にぽつりと浮かぶ、金色にきらめく天空の城──彼女らは確かに見た。どれだけの時が過ぎても決して色褪せない、美しい景色を。

 忘れ得ぬ記憶の中、仲間と共に歩んだ旅路──。

 蒼天へ到る路の果てに、それはある。


『蒼天へ到る路』 完

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