【D2】4 彼は最後のおにぎりを口に運ぶことにした。
「ああ! 何だってこんな僻地に居るんだ僕らは?」
苛つきを隠そうともしないウワバミの声に、少し離れた木の根本に腰を下ろしていたカガチはぴくりと肩を震わせて振り返った。手近な場所に転がっていた倒木に腰かけたウワバミが片手で弄んでいるのは、紛うことなく人間の生首である。たまたまこの場所で野営をしていたからというだけの理由で惨殺された男の首は、ウワバミにぶんぶん振り回されているお陰でたいそう酷いことになっていた。
「風呂が無い、畳が無い、着物が無い、おまけに味噌と米も無い! 海向こうの国がこんな酷い所のままだとは知らなかった! ああ……鎮守の森が恋しい……」
ウワバミの手で苛立ち任せに地面に叩き付けられた生首が、更に目も当てられない状態になっている。ウワバミはきっと、慣れない異国の地にいるのが寂しいのだろう。カガチは何も言わずに、今まさに食べようとしていた握り飯を二つに分けてウワバミに差し出した。少しでもお腹を満たせば、心は自然と落ち着いてくるものである。
「うん? くれるの? 優しいねカガチは」
ウワバミはカガチににっこりと笑いかけて生首を乱雑に放り投げ、その手で半分の握り飯を受け取るとそのまま一口で食べてしまった。何だか勿体無いような気持ちで自身の手に残された握り飯をじっと見つめるカガチをよそに、ウワバミは懐から地図を取り出して目的地の地名をそっと指でなぞる。
「オーベルフェはこの山を越えればすぐだ。さっきの開けた場所から湖が見えたろ?あの湖の畔にある街がオーベルフェだよ」
ウワバミの言葉に、カガチは先程山頂から見た光景を思い出す。眼下に広がる大きな湖と橙色の街並み、そして聳え立つ巨大な樹。世界樹と呼ばれるその樹を見るのは、カガチにとっては初めての経験であった。そもそも彼は生まれ故郷の小さな島国から出ること自体が初めてなのだから、それも当然なのだが。
握り飯を食べたにも関わらず、ウワバミの機嫌はまだ戻らないようだ。地図を見ながらぶつぶつと何事かぼやいている。
「まったく、米も無いような遅れた国になんて来たくなかったんだけどね。……ああ、でも、カガチの好きな甘味はたくさんあるかもしれないよ。かすてらとか、ぼうろとか」
ふわふわのかすてらや、ほんのり甘いぼうろの食感を思い出し、カガチは口の中に涎が溜まってくるのを感じた。いつも暮らしている山奥の社殿では、南蛮菓子なんて滅多に食べられない。もしかしたら、噂に聞いた『けえき』だとか『たると』だとか、『あいすくりいむ』などという菓子も食べられるかもしれない。それはとても良いことだ。カガチは俄然やる気が湧いてきた。
しかし、忘れてはいけない。二人がわざわざ海を渡ってこんな場所まで遙々やって来たのは、それはそれは大事な『お役目』を果たすためなのだ。
「神刀『魂喰御影』を奪還する」、それが二人に課せられた使命だ。社殿を血で穢し火を放った不敬者を断罪し、刀をあるべき場所へ祀り直す……その目的が達せられなければ、わざわざ遥かオーベルフェの地までやって来た意味が無い。
燃やされた社殿は二人の棲む社殿とはまた別の場所だが、それでも神聖な場所であった事に違いは無い。本来ならば刀を守るのはウワバミとカガチの役目だが、諸事情あって警護を縁ある里のシノビに任せていたのが仇となった。社殿を見張っていたシノビたちは皆殺し、事態を重く見たシノビの頭領が仇討ちと刀の奪還の為に刺客を送ったらしいが、一度下手を打った者を信用できるほどウワバミは能天気ではない。何としてでも自らの手で不敬者を見付け出し、断罪せねばならない。そう意気込むウワバミにカガチも同意見であった。人間は愚かな生き物だから、自分たちが力ずくにでも正してやらねば。
休息はもう十分だろう。地図を荷物の中に仕舞い、ウワバミが腰かけていた倒木から立ち上がる。
「さあ、行こうかカガチ。着いたらまずはご飯にしようね」
ひとつ頷き、カガチは名残惜しく思いながらも最後の握り飯を口に運んだ。オーベルフェではきっと白米なんて食べられないだろう。異国の地に訪れるのは初めてで楽しみではあるが、大好物の握り飯が食べられない事がとても辛い。ほんのり塩味の効いた米粒を飲み込み、カガチも立ち上がってウワバミの後を追った。
◆
オーベルフェを賑わせる辻斬り事件の一人目の被害者が発見されたのは、今からちょうど三週間前のことであった。最初は第二迷宮だった。迷宮を探索していたとあるギルドの一人が仲間とはぐれてしまった後に行方を眩まし、翌日死体となって発見されたのだ。いくら他の世界樹の迷宮よりも整備が行き届いたオーベルフェの迷宮とはいえ、当然死者が出ることもある。運悪く魔物にやられてしまったのだろうと当初は誰も気にしなかったが、三日後に同じく第二迷宮で新たな死体が発見されてからは状況が一変する。二人目の被害者は一人目とまったく同じ手口で殺害されており、金品を全て奪われていた。
その翌日にまた一人、また四日後に二人……と被害者の数はたちまちに増えていき、今では十人余りが犠牲となる大事件にまで発展していた。冒険者ギルドが主導して詳しい調査を進めてはいるが、今のところ犯人に繋がるような有力な証拠は見付かっていない。分かっている事は、被害者たちは皆一様に斬殺されている事と凶器は刀であるらしいという事だけだ。
事のあらましが書いてある紙(カガチは初めて見る物だが、新聞紙というらしい)を片手に、ウワバミは心底つまらなそうな顔でサンドイッチを口に運んでいる。対するカガチは先程注文した見るからに甘くて美味しそうなホットケーキなる食べ物が運ばれてくるのをそわそわしながら待っていた。
「辻斬り、辻斬りって言ってもね……随分とみみっちい事をする奴だ。人殺しがしたいのなら、村の一つや二つ焼いてしまえばいいものを」
吐き捨てて、ウワバミはサンドイッチを噛み千切って咀嚼する。カガチはウワバミの言葉を半分聞き流し、あのサンドイッチという物も美味しそうだなあとぼんやり考えた。オーベルフェに来て早数日、この街には美味しそうな食べ物がたくさんありすぎて目移りしてしまう。
「でも、これである程度の目星は付いたね。先ずはこの辻斬りとやらについて調べていこう。冒険者ギルドっていう所に行けば手っ取り早いかな」
「……? 人に訊くのか?」
カガチは首を傾げる。人に訊ねて回るなど、ウワバミらしくないやり方だ。ウワバミならば、神刀の気配を辿っていくくらい容易い事だろうに。それに、この事件とあの刀に関係があるとは限らない。
「人間は強い力を手に入れれば振るいたくなる生き物なのさ。それに、今までもあの刀の神気にあてられて人斬りになった人間なんて沢山いたしね。ここは僕らと似たようなモノが多過ぎて、気配も判りづらいし……地道にいこう。時間だけならいくらでもある」
なるほど、と頷いたところでカガチの目の前に待望のホットケーキが運ばれてきた。ナイフとフォークの扱いをウワバミに教わって小さく切り分け、シロップというらしい甘い液体をかけて口に運ぶ。
「……あま~い」
「良かったねカガチ」
可愛らしいにこにこ笑顔──これはウワバミの主観であり、傍目から見ればほんのり口角が上がっている程度に過ぎない──でホットケーキを頬張るカガチに笑いかけ、ウワバミはサンドイッチを口に放り込んで辺りを見回した。
カフェのテラス席から見える大通りは、ちょうど夕暮れの時間内ともあって探索帰りの冒険者で賑わっていた。そのほとんどは普通の人間だが、ちらほらとそうでないものの気配も混じっている。オーベルフェの世界樹の麓には神の国への入口があると聞くが、それに関連したモノたちだろうか?詳しい事は分からないが、何にせよ見知らぬ神の治める土地はウワバミたちにとっては息苦しい事この上無い。
「厭な街だ……」
「?」
「何でもないよ。ゆっくりお食べ」
口一杯にホットケーキを詰め込んだカガチに苦笑しながら、コーヒーを飲み干す。口の中に残る苦味にウワバミは気分が重くなった。やはり、飲み物は緑茶が一番だ。
早く故郷に帰る為にも、さっさと刀を見付けてしまわねばならない。これからどうすべきかと思索に耽るウワバミを見て、カガチは他人事のように大変だなあ、とぼんやり思った。食べ物が美味しく、可愛い小動物がいる。カガチにしてみれば、それさえ満たされていればそこそこ満足だったのである。
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