【D2】3 ふたりのシノビは迷子になった。

 上り階段がどこにあるのか忘れた。

 と、セキレイが自分のシノビらしからぬ失態に気付いたのはつい先刻のことで、それは荷物を漁っていたリッカが「糸はどこだ?」と訊ねてきたのとほぼ同時だった。そしてその時二人は非常に腹が減っていて、ついには近くに魔物が四体も現れていた。セキレイとリッカには知る由も無かったが、そこは丁度ドクロフロアと呼ばれる魔物の多く住まうフロアだったのだ。ここを上手く切り抜けられたとしても、無事上り階段まで辿り着けるかどうかは分からない。荷物の中には魔物に対して有効な巻物はひとつも残っておらず、印石や薬の類も残り少ない。つまり、二人は絶体絶命であった。

「セキレイよ……やはりギルドとやらに登録しないまま潜り込んだ罰が当たったのではないか?」

「……私に非があるのは認める……」

 魔物に襲われて死ぬ前に自分が情けなさすぎて憤死しそうだ、とセキレイは額を押さえる。何たる失態。任務を果たすどころか、自身のウッカリで死ぬなんてシノビとして恥ずかしい。穴があったら入りたいところだった。これから墓穴には入ることになるだろうが。

 そもそも主君からの直々の命を受けてオーベルフェまでやってきた二人に、迷宮に挑もうという意志は毛頭無かったのだ。ただ諸事情により迷宮に入って調査をする必要が出てきてしまったがためにここまで来たわけで、故に『世界樹を目指す冒険者』として冒険者ギルドに登録するという選択肢は考えもしなかったのである。それが完全に裏目に出た。

 自責の念で死にそうになっているセキレイとじりじりと迫ってくる魔物たちを交互に見て、リッカは頬を掻いた。この状況、正式なギルドとして登録された冒険者ならば支給される脱出装置でなんとか命だけは助かるだろうが、それすら無いのだから仕方ない。オーベルフェの世界樹は神の国に繋がっていると言うし、不正に忍び込んできた異邦人に天罰が下ったということだろう。万事休す。

「拙者はどうせ死ぬなら己より強い人間の手にかかりたいと思っていたのだが、まさかこんな幕切れとはな」

「言うなリッカ……申し訳ありません殿……ルリハ様……御期待に応えられず……」

「お主も難儀な奴で御座るなぁ」

「私は駄目なシノビだ……もはやシノビと名の付くゴミだ……」

「まあそう悲観するな」

 間近に迫っている蜻蛉やら蜂やらを一瞥し、さて一か八か『肉弾』でもぶちかましてみようか、とリッカが懐の火薬に手を掛けようとしたその瞬間である。二人がいる部屋に、飛び込んでくる人影があった。

「おっ! ハチいるぞハチ!」

「ハチですわね! 蜂蜜持ってらっしゃるかしら!?」

「倒せば分かるだろ! 死ねッオラァ!!」

 人影のうちのひとつ──奇妙な形の帽子を被った男が、近場にいた軍隊バチを右手の突剣で一突きに刺し殺す。少し離れた場所にいたモリヤンマには、男の後ろにいた少女が謎の種のようなものを投げ付けた。するとモリヤンマの身体の隙間からみるみるうちに蔦のようなものが生え、自由を奪う。

 突然の乱入者に呆然としていたリッカが、は、と我に返って、同じく呆気に取られた顔で固まっているセキレイの腕を引いた。

「距離を取るぞ」

「あ……ああ」

 軍隊バチとモリヤンマが倒されたことで、安全な退路が確保できた。部屋の隅まで退避する二人を見付け、少女が声を上げる。

「あら!どうなさいましたの?お怪我をしていらっしゃるのかしら?」

「いいや。お気遣い感謝する」

 近付いて話しかけてくる少女の背中の向こうで、男が最後の軍隊バチに止めを刺しているのが見える。何とか助かった、とリッカは胸を撫で下ろしたが、隣のセキレイは俯いたまま動かない。怪訝に思って何事か聞く前に、軍隊バチから剥ぎ取った素材を片手に男が声をかけてきた。

「よお、あんたらも冒険者か? なんか困ってる様子だな」

「如何にも。貴殿らはアリアドネの糸を御持ちだろうか?もし差し支えなければ、分けて頂きたい」

「確か、さっき余分に拾いましたわね。パパ、分けて差し上げましょう?」

 言いながら少女が男──どうやら父親らしい──を振り返るが、男はうーん、と唸ってリッカを頭から爪先までじっくり見回すばかりだ。

「そう言われてもな、糸をやったらあんたらは代わりに何をしてくれる?」

「見返りが欲しい、と?」

「海賊だからな。善意じゃ動かない」

 男が肩を竦める。リッカはそっと懐を探り、手持ちの金銭を数えた。セキレイと分けて持っている分を合わせれば、5,000エン程度にはなるだろうか。セキレイに声をかけようとした瞬間、当の本人がリッカの襟巻を引っ張った。首が絞まる感覚に眉をひそめながら振り返る。

「何だ」

「糸はいい」

「ここで揃って野垂れ死ぬと?」

「下賤の者に助けられるなど忍びの恥だ」

 セキレイの言葉にリッカは口布の下で唇を噛む。シノビにしか分からない言葉で交わした会話は、どうやら男と少女の耳には届いていないようだ。怪訝な顔でセキレイとリッカを見ている。

「ここで死ねば任務は果たせんぞ」

「ならば、彼奴らから糸を奪う」

「阿呆め。不要な殺しは却って任務を……」

「……なんか揉めてるけど、あんたらがいいなら俺たちはもう行くぜ」

 男がそう言って、その場を立ち去ろうとする。襟巻を掴むセキレイの手を振り払い、リッカが呼び止めようとしたその時、また見知らぬ男が一人、部屋へと入ってきた。剣士らしい装備のその男は、海賊の男の姿を認めると声を上げる。

「インディゴ!」

「…………インディゴ?」

 海賊の男の名前であるらしいその単語を聞いたセキレイの動きが止まる。インディゴは男に片手を挙げ、おう、と応えた。

「無事だったかティル」

「何とか。魔物はそんなに強くないが、やっぱり一人じゃ厳しいな。……そっちの二人は?」

 ティルと、彼に促されたインディゴがセキレイとリッカを振り向く。これは好機だと糸を買わせてほしい旨を伝えようとしたリッカは、ふとセキレイの様子がおかしいことに気付いた。全身がわなわなと震えていて、顔が青い。

「……おい、セキレイ?」

「インディゴ……海賊……そんな……まさか……うっ、うわあああっ!!」

 急に叫び出したセキレイに一同が驚いて固まる中、彼女は尋常ではないスピードで地面に伏せた。もっと正確に言えば、土下座をした。唐突な行動に誰かが突っ込みを入れる暇さえ与えず、セキレイは叫ぶ。

「セレスト・ブルー海賊団様! 大変!! 失礼致しましたあ!!」


   ◆


 セレスト・ブルー海賊団には敏腕シノビが所属している、というのはその筋では有名な話だ。彼は故郷で稀代の天才とまで謳われた才能を海賊業でも存分に発揮し、その諜報力と情報力により海賊団は世界一の海賊と言われるまでに成長を遂げていった。もう十数年前の話だ。東の島国出身のそのシノビの名は、カゲチヨと言う。

「……で、あんたらはあいつの後輩って訳か」

 対面して座っているインディゴの言葉に、セキレイはがくがくと頷いた。隣のリッカはそんな彼女を冷静に観察している。

 海賊団が借りているというこの空き家の中はしんと静まり返っているが、部屋の外では噂を聞き付けた船員たちが聞き耳を立てているらしい。愉快な部下たちの気配に溜息を吐きながらインディゴは続けて問う。

「で、そんなあんたらがどうして遙々オーベルフェまで? 俺たちを追ってきたって訳でもないんだろ」

「はい……その……任務で……」

「……何でそんなにガチガチなんだ?」

「そっそっそれはその!」

 目の前の女シノビのあまりに挙動不審な姿に思わずといった様子で問うインディゴに、セキレイはしどろもどろになりながら答える。

「貴方さま方の事は昔から聞き及んでおります。我が里と将軍家の危機を救った舶来の武人であると……」

「いや……別にそこまでの事はしてないけどな」

 インディゴは頬を掻く。確かに遥か東方の小さな国にはそれなりに深い縁があるが、危機を救うなどという大それた事をしでかした覚えは無い。インディゴたちがした事といえば、精々出奔していた若殿をアーモロード帰りのついでに船で送り届けたくらいだ。

 いまいち合点がいっていないインディゴにぶんぶんと首を振り、セキレイは叫ぶ。

「謙遜なさらず! 実はその……私は、何と言えば良いのか……幼い頃から、貴方さま方の冒険譚の、愛好者? と言うか何と言うか……」

「特にカゲチヨ様が好きなので御座ろう?いつも憧れているだの何だのと……」

「わー! わー!! 黙っていろリッカ!」

 なるほど、とインディゴは頷く。つまりセキレイは、故郷に伝わる稀代のシノビとそれにまつわる『海賊団伝説』の熱心なファンなのだ。何がどうなって国を救っただの武人だのと話が大きくなってしまったのかはよく分からないが、こうまで好意を持たれていると無下に扱う事も憚られる。

「んじゃ、会ってくか? 本人に」

「エッ!? えっあっその、よ、宜しいのですか!?」

「別に減るもんじゃねえし……ああ、ショーグン殿がどうしてるとか話してやってくれや。ティル! 案内してやれ」

 インディゴの呼び掛けに応えて廊下から現れたティルがセキレイを手招く。セキレイはちらりとリッカを窺い見た。リッカは何も言わず、肩を竦めただけだ。

 ティルに連れられて部屋を出ていくセキレイを見送り、インディゴはリッカへ視線を向けた。

「あんたは良かったのか」

「気になさるな。拙者は只の下っ端シノビで御座る故、カゲチヨ様や殿との面識も御座らぬ。着いて行った所で邪魔になりましょう」

「ふーん。……で、オーベルフェまで来なきゃいけねえ任務っていうのはどんな任務だ? 恩を売る訳じゃねえが、糸の代金がわりに教えちゃくれねえか」

 シノビ一族の戒律が厳しいことはインディゴも承知している。任務の事を口外するのは禁じられているのかもしれないが、流石に聞いておかなければならない事だ。リッカは暫し考え込むような素振りを見せ、やがて小さく息を吐いてインディゴを真っ直ぐに見据えた。

「インディゴ殿は、迷宮に辻斬りが出るという話は御存知だろうか」

「ああ……噂は聞いたな。冒険者が何人もやられてるんだろ?」

「拙者らはその犯人を捕らえる為に参り申した」

 インディゴは眉をひそめる。東国のシノビが、オーベルフェの辻斬りを捕らえる?一体どういう事なのか。インディゴの心中を察したかのように、リッカが口を開く。

「噂の辻斬りこそが、我が同胞を殺し宝刀を持ち出した盗人なので御座る」

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