【D2】5 新人ギルドは着々と歩を進めていた。
第四迷宮ともなると、いよいよ本格的に『世界樹の迷宮』といった空気になってくる。襲い来るネズミだのモグラだのゴリラのようなナマケモノだのを処理しつつ、『アルデバラン』は破竹の勢いで探索を進めていた。ここ三週間ほど行動を共にして分かった事だが、どうやらこのパーティはなかなかバランスの良い面子が揃っているらしい。
鋼の装甲を持つ丸い体の獣が動きを止めたのを確認し、ラウレアは構えていた銃を下ろして詰めていた息を吐いた。この魔物は無駄にしぶとくていけない。ビリーの術式ならば効率良くダメージを与えられるのだが、かといってビリーだけに戦闘を任せていてはすぐに体力が底をついてしまう。より安全に探索するためにそれぞれが何をするべきか、考えて動かねばならない。
「よっしゃ素材取れたゼ!」
動かなくなった魔物の装甲を力ずくで剥ぎ、ビリーがはしゃいだ声を上げた。素材が入ったバックパックは既にパンパンに膨れ上がっている。無理矢理に素材を詰め込んだバックパックをマルセルがよいしょ、という掛け声と共に抱え上げる。
「そろそろ退き時かな。これを抱えて探索するのは流石にきつい」
「そだな。帰ろうゼ」
現在『アルデバラン』がいるのは地下三階、わざわざ糸を使わずとも徒歩で帰ることのできる位置だ。本来ならば彼らが探索しているのはもっと深い階層なのだが、今日に限っては酒場で受けた依頼に必要な素材を集める為に浅い階層を回っていたのだ。
「やはり浅い場所は魔物が倒しやすくて良いな」
ユスティーナの言葉に三人も揃って頷く。迷宮の下層に行けば行くほど、生息している魔物も強さを増していく。下層の魔物の強さに慣れてしまうと、相対的に上層の魔物が弱く感じてしまうのだ。
「俺らも成長したって事だゼ」
「テメエはいつもそうやって調子に乗ってる時に限ってヘマするだろうが。調子乗んなアホ」
「ええ……暴言……」
ラウレアがビリーに対してやたら辛辣なのはいつもの事である。特に落ち込んだ様子も無く、ビリーが何か思い付いたようにあっと声を上げる。
「そーいやラウレアはどうすんだ? サブクラス! 俺ルーンマスター取ろうと思ってるんだけど」
ラウレアは、ああ……と声を漏らした。そういえば、そんな制度もあった。確か、ある程度実力を得た冒険者が、他の職業の冒険者に教わって新たな技術を習得する事ができるという制度だ。迷宮の中でも、そのサブクラス制度を活用したらしい印術を使うカースメーカーや銃使いのダンサーを見掛けた事がある。ラウレアは黙り込んで暫し考えてから答えた。
「……パイレーツだな。銃撃の技術勉強できるの、パイレーツしかねえし」
「ほうほう。姉御とマルセルは?」
ビリーが振り返り、後ろを歩いていたユスティーナとマルセルに問い掛ける。二人は顔を見合せ、苦笑しながら答える。
「まだ決めていないんだ。誰か傷の治療ができればもっと楽に探索できるんじゃないかって姉上と話していたんだが」
「お前達が攻撃の底上げをするなら、やはり私達のどちらかが回復役にならねばなるまい。まだ考えている最中だ」
「私は武器も考え直したいし……ほら、今のところ打撃の攻撃手段がビリーの杖しか無いだろう?」
「おう! 俺の腕力じゃ全然ダメージ通らねえゼ!!」
「得意気に言う事では無いな」
雑談をしながら歩いていると、いつの間にか上り階段の目前まで来ていた。荷物を確認し直し、さて帰るかと階段に足をかけたその時である。隣の部屋から駆け込んでくる人影があった。
「そこな冒険者! ここより上に砦はあるか!?」
息を荒げ、焦った表情で訊ねてくるのはシノビらしき格好をした黒髪の青年だ。四人は顔を見合せた。ただならぬ雰囲気に嫌な予感を抱きながらも、ユスティーナが答える。
「無い。何事だ?」
「……不味い事になった。お主ら、戦闘ができる備えはあるか? 手伝って貰えると有難い」
「……おい、まさか……」
聞き返すより先に、青年が駆け込んできた方向から耳をつんざくような高い鳴き声が聞こえた。直後、今度はシノビの女性が部屋に飛び込んでくる。傷だらけの女性を見やり、青年が叫んだ。
「セキレイ!」
「リッカ! 来るぞ!」
次いで通路から姿を現したそれに、マルセルがおいおい……とかぶりを振った。ラウレアがすぐさま銃を構える。
通路を塞ぐように悠々と巨大な翅を広げて飛翔しているのは『ビッグモス』と呼ばれる大型の魔物だ。普段は迷宮の奥深くに棲んでいるが時折きまぐれに上層に現れては暴虐の限りを尽くして帰っていく、いわゆる『D.O.E』と呼ばれる強力な魔物の一種である。
話には聞いていたが、『アルデバラン』がこうして相対するのは初めてだ。ビリーが杖を握り締めて呻いた。
「何てもん連れてきてんだアンタら……」
「文句ならば後で聞こう。それより手伝うが良い」
セキレイと呼ばれたシノビの女性が飲み終えたメディカの瓶を放り投げながら吐き捨てる。上層に砦が無い以上、ここでこの魔物を仕留めなければ、D.O.Eの街への侵入を許してしまう事になる。そうなれば街は無事では済まないだろう。民間人の犠牲者も出るかもしれない。
「畜生……行くも戻るも地獄だゼ……」
「シノビの者よ。見ての通り我々は遠距離攻撃と支援が主だ。撹乱はお前達に任せたい」
ユスティーナの言葉にリッカと呼ばれた青年が頷き、刀を片手にビッグモスへと駆け込んでいく。ビッグモスが翅を振るい毒性のある鱗粉をリッカに浴びせようとする直前に、ビリーの放った雷の術式がそれを防いだ。
「D.O.Eは状態異常にしないと攻撃が通らない! だよな!?」
「そうだ! ビリーはそのまま麻痺させ続けろ! ラウレアは翅を狙え!」
「今やってる……!」
ラウレアが狙いを定めて放った弾丸が、目玉模様のある翅に二、三の穴を空ける。暴れるままに繰り出された一撃は、マルセルが突剣で受け流した。
いくらD.O.Eが強力な魔物だとはいえ、行動を封じてしまえばそう恐ろしい存在ではない。幸い『アルデバラン』にもシノビ達にも、敵の行動を封じる手段は豊富にあった。あとは、状態異常の切れ目に繰り出される攻撃を上手くいなしていけばこちらの物だ。
いつの間にかビッグモスの背後に回っていたリッカが、硬い表皮に覆われた腹を深く斬り付ける。傷口から何とも知れぬ白いどろりとした液体を溢れさせながら、ビッグモスは甲高い悲鳴のような鳴き声を上げた。
このまま一気に押し込めばいける、とビリーが杖を構えた次の瞬間、彼の身体は強い衝撃と共に投げ出された。訳も分からぬままに地面に叩き付けられた姿を見てラウレアが振り返ると、いつの間にか部屋に何匹かの魔物が侵入してきている。ビリーを吹き飛ばしたのは『彷徨う狒狒』と呼ばれるサルの魔物だ。
やられた。この魔物達は恐らくあの鳴き声に呼び寄せられてやって来たのだ。舌打ちを一つこぼし、近寄ってきたモグラを撃ち抜きながらラウレアは叫ぶ。
「おい! ビリー! 生きてるか!!」
返答は無い。セキレイが倒れ伏したビリーに駆け寄ろうとしたが、巨大なアリに阻まれた。
そうしている間に、状態異常が解けたビッグモスがじりじりと動き出す。焦ったように口布を剥ぎ取りながら、リッカが声を上げた。
「雑魚どもを近付けさせるな! こやつは弱い魔物を食らって強くなる!」
「姉上! 印石を!」
マルセルの声に応え、ユスティーナがビッグモスに向かって麻痺の印石を放つ。当たった相手の動きを止める強力な印石ではあるが、D.O.E相手ではそう長くは保たない。急ぎ魔物を倒しに向かう。
青いモグラの首を刎ねながらリッカが横目で窺うと、アリに止めを刺したセキレイがビリーに駆け寄って治療を施し始めていた。彼女には気功による治療術の心得がある。これで彼も安心だろう、と少し気を抜いたのが良くなかった。ユスティーナの声で我に返る。
「おい! 避けろ!」
はっと振り返ったその顔面に、麻痺毒を含んだ鱗粉が吹き付けられた。たちまちに痺れて身体の自由を失ったリッカにビッグモスが迫る。南無三、と思わず目を閉じたその瞬間、リッカのすぐ側を掠めて一筋の閃光が走った。動きを止めたビッグモスの懐にマルセルが駆け込み、突剣を頭部へと突き込み力任せに捻った。
魔物が傷口から体液を吹き出しながら地に墜ちたのを呆然と見つめていたリッカに、ラウレアがドラッグバレットを浴びせる。自由になった身体を動かして振り返ると、セキレイに支えられながら杖を構えたビリーがにやりと笑っていた。
「いえーい……今のは格好良かったんじゃね、俺……イテテ……」
「リッカ! お前、ぼんやりするなとあれほど!」
「──ああ、悪かった」
ぷりぷり怒りながらビリーの治療を再開するセキレイにマルセルが辺りを見回しながら近付く。
「貴方達は二人で探索しているのか? 他のギルドメンバーはいないようだが……」
「む……そうだ。同じギルドの面々はまた別の場所にいる。……貴殿らのギルド名を聞いても良いだろうか」
「私達は『アルデバラン』。メンバーはこの四人と……補欠が一人って所だな」
「『アルデバラン』……恩に着る。我々だけではあの魔物は倒せなかった。恥ずかしい話だが……」
俯くセキレイの背中を、ようやく身体を起こしたビリーが軽く叩く。
「困った時はお互い様ってヤツだゼ。俺もアンタが治療してくれて助かったし!」
「その通りだ。……良い機会だ、お前達も一緒に街まで戻らないか」
アリアドネの糸を片手に尋ねたユスティーナに、セキレイが暫し考えてから静かに頷いた。
帰り支度をするセキレイやビッグモスから素材を剥ぎ取るラウレアを眺めていたビリーの肩を、ぽんぽんと叩く手がある。振り向いてみれば、すぐ後ろに立ったリッカがにっこりと笑っていた。
「お主のお陰で助かった。ビリー……と言ったな? お主は良い冒険者で御座る。拙者が保証しよう」
「……? おー、ありがと!」
「うむ。……好い男、だ」
呟いた一言に首を傾げたビリーに何でもない、と応え、リッカはセキレイ達の方へと歩きだした。ビリーも小走りにその背を追う。
こうして、多少のアクシデントもあったが、『アルデバラン』初のD.O.E討伐は無事成功したのであった。
◆
第四迷宮の地下三階、まだ息絶えてそう間もないビッグモスの死体が転がるそのすぐ近くの茂みの奥で、ナツキは息をひそめて踞っていた。周囲を慎重に見回し、他の冒険者の姿が無い事を確かめると静かに立ち上がって茂みから出てくる。
──すぐ近くでD.O.Eとの戦闘が始まった時は驚いたが、戦乱のお陰で己の気配を気取られなかった事は幸運だった。シノビは人の気配に敏感だ。見付かって顔を覚えられでもしたら、後々困る。……それに、己だけならともかく、この状況を見られれば、最早言い逃れはできない。
ナツキは息を吐き、迷宮から出る為に上り階段へと足をかけた。彼が振り向く事のない茂みの奥、そこに転がっているものが他の冒険者に発見されるのは翌日の話だ。
無惨に斬り殺された、一人の冒険者の死体──。
オーベルフェを騒がせる辻斬り事件。その犯人は未だ見付かる事は無く、こうして悠々と迷宮を闊歩している。哀れな犠牲者の血を吸って輝く妖刀『魂喰御影』を携えて。
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