【D2】6 お友だちですのと少女は言った。
いくら冒険者といえども、毎日毎日迷宮に潜っていては心も身体も参ってしまう。という事で、オーベルフェの冒険者には、冒険者ギルドの規定によって週に二日程度の休息日を設ける事が義務付けられている。どの日を休日にするかはギルド毎に異なるが、やはり週末と週始めに一日ずつというギルドが多いようだ。
日々迷宮の採集ポイントという採集ポイントを荒らし回って金稼ぎに精を出す『セレスト・ブルー海賊団』も、今日は休息日である。武具を外したら冒険者らしき人々が行き交う大通りを、インディゴはあくびを噛み殺しながら歩いていた。少し先を行くセリカが振り返って頬を膨らませる。
「もう! パパ! 遅いですわよ!」
「ああ……はいはい。悪かったからちゃんと前見て歩け」
インディゴは溜息を吐いた。どうして休日の子供はああも元気なのだろう。自分は早く帰ってぐうたらしたくて堪らないというのに……しかし娘と二人きりでの触れ合いの時間というのはなかなか貴重な機会である。付き合ってやるのが親というものだ。たとえショッピングの荷物持ちとして連れてこられたというだけの話であっても。
そこそこの額の小遣いを片手に、セリカは楽しそうな表情で露店商が並べているアクセサリーを眺めている。彼らの樹海での稼ぎは多くが魔物や採集場所から採れる素材だが、それらの素材の獲得にはセリカの持つ各学問の知識が大きく寄与している。今回セリカに支給された小遣いはそれを鑑みてかいつもよりも高額で、彼女はこの小遣いで新しい洋服を買うのだとはしゃいでいた。ちなみにインディゴの小遣いは毎日の酒代で帳消しになっている。
セリカがインディゴの服の裾を引いて、道行く冒険者──フーライと呼ばれる旅人だ──を指し示す。
「わたくし、あの方みたいなキモノも着てみたいですわ」
「あれキモノか? ……まあ、安いユカタくらいなら一着持ってても良いかもな……」
果たしてオーベルフェに東国の衣類を扱う店があっただろうか? 記憶を辿るインディゴを置いて、セリカは通りに面したショーウィンドウを覗き込んでは小さく声を上げたり小首を傾げたりしている。何とも危なっかしい限りだ。
気を付けて歩けよ、とインディゴが声をかけようとしたその時である。ショーウィンドウに気を取られて前を見ずに歩いていたセリカが、丁度交差点の曲がり角を曲がってきた人影にぶつかってしまった。
インディゴはぎょっとした。予期せぬ衝撃に尻もちをついたセリカの前に立っていたのは、あまりに剣呑な目付きをした和装の少女……あるいは少年、どちらとも言えぬ雰囲気の人物だった。凍てつくような視線をセリカに送る、その左手は腰に下げられた刀の柄に添えられている。セリカは動揺しているのか、固まってしまって動かない。これはまずいとインディゴが駆け出すより先に、曲がり角の先からまた新たな人物が姿を現した。
「ウワバミ、後ろつっかえてる」
大きな紙袋を抱えてのんびり言いながらひょっこりと顔を出したその人物に、固まっていたセリカが我に返って声を上げる。
「カガチさん!」
「……? セリカ」
「……えっ?」
間抜けな声を出したのは今まさに抜刀しようとしていた、ウワバミと呼ばれた人物だ。急いで近寄り、セリカを引き起こしたインディゴが娘に問う。
「知り合いか?」
「ええ、こちらカガチさんといいますの。わたくしのお友だちですのよ!」
「お友……だち……?」
インディゴはカガチというらしいその男の方を見た。……どこからどう見ても、たくましい体つきをした明らかに危ない空気の和装の男である。赤黒の装束もそうだが、何より顔に入った大きな傷が危険な雰囲気を醸し出している。インディゴは目眩がした。娘よ、お前、何か騙されていないか。
しかしどうやらショックを受けたのはインディゴだけではないらしい。ウワバミが顔をひきつらせてカガチに詰め寄っている。
「カガチ! 僕はそんな事聞いてないよ!? 何がどうなってるの!!」
「一緒に猫と遊んで、お菓子を食べたから、お友だちになったんだ」
「全部初耳なんだけど!? はぁぁあまさか第二次反抗期!? そんなの絶対来ないと思ってたのに!!」
頭を抱えて悶絶するウワバミときょとんと立ち尽くすカガチ、それからスカートのお尻が破れていないかばかり心配するセリカを眺め、インディゴは重い息を吐いた。訳が分からないが、これは互いにきちんと話をする必要がありそうだ。
◆
オーベルフェの中心街から少し離れた場所にある公園のベンチに、四人は並んで座っていた。中に挟まれているセリカとカガチは先程出店で購入したアイスクリームを美味しそうに食べているが、両端にいるインディゴとウワバミはそれどころではない。
「もう一度聞くぞセリカ。そっちの……あー、カガチ? がお友だちっていうのは本当か」
「そうですわ。猫ちゃんを助けてくださいましたの」
「……ちなみに、彼、何歳よ?」
「お友だちに年齢が関係ありまして?」
インディゴが何を聞いてもセリカはけろりとしている。聞くところによると、二人はここ三週間ほど毎朝野良猫に餌をやりに行ったついでにこっそり会っていたらしい。インディゴとしてはまさか愛娘が毎朝毎朝得体の知れない男に会っていたなどとは思っておらず、まさに青天の霹靂といった思いであった。
「カガチさんは怪しい方なんかじゃありませんわ。猫に優しい人が悪い人の筈ありませんもの!」
「そういう問題じゃなくてだな……」
セリカとインディゴのやり取りの様子を横目で見ながらアイスクリームを食べ終えたカガチは、ふとウワバミへと視線を向けて首を傾げた。
「ウワバミ、どうして怒ってるんだ? ……あ、ウワバミも猫撫でたかったのか?」
「…………いや違……ああ、やっぱそれでいいよ。ところでカガチ、ちょっとあっちで遊んでおいで。そっちの女の子も一緒でいいから」
「はーい。行こうセリカ」
「? わかりましたわ」
立ち上がって向こうにある噴水の方へと駆けていく二人を見送った後、ウワバミはじろりとインディゴを睨んだ。インディゴは肩を竦め、苦笑を漏らす。
「どーも、うちの娘がご迷惑を」
「君が『セレスト・ブルー』の首魁だな」
「……失礼だが、どこかで会った事が?」
「君は知らずとも良い事だ。使えないシノビ共に手を貸して辻斬りを追っているらしいな」
インディゴの口許からすっと笑みが消える。ウワバミの言っている事は事実だ。セキレイとリッカの里や彼らの主君とはそれなりに深い縁がある。そのよしみで、インディゴ達も危険が及ばない程度の範囲で辻斬り探しの手助けをしてやるという事になっていた。だがその事を赤の他人にまで知れ渡る程おおっぴらに事を進めてはいない。インディゴは腰のベルトに左手を伸ばした。指先がホルスターの中の拳銃に触れる。
ウワバミがそんなインディゴの様子を横目で見て、ふんと鼻を鳴らす。
「まあ良いさ。僕らの邪魔さえしないのならね。ついでにあのシノビ共に伝えといて。『詫びる気持ちがあるんならサッサと社殿を建て直せ。刀はこっちで取り返す』」
「……知り合いか?」
「あいつらの上司とね」
インディゴは目を細める。たまたまセリカがぶつかっただけかと思いきや、とんでもない人物と出会ってしまったらしい。
「あんたも辻斬りを……いや、刀を追ってるのか?」
「まあね」
「……だが、シノビ達の味方でもない」
「そうとも」
「そして、このままだと俺達はあんたの目的の邪魔になる訳だ」
「いいね。物分かりの良い人間は嫌いじゃないよ。……しかし……」
そこまで言って大きな溜息を吐き、ウワバミはがっくりと肩を落とした。遠くに見える噴水の側でセリカとカガチが辺りを飛んでいるトンボと戯れているのが見える。こんな事を言いたくはないが、成人男性と少女が一緒に遊んでいる図というのはあまりに不審だ。
「……君の所の教育はどうなってるんだ……」
ウワバミの呻くような言葉にインディゴは思わず閉口した。
「……おい待て。あの絵面でどうしてうちの娘が悪いという発想になる?」
「人間の女はおぞましい生き物だ……あんな純情そうな振りして僕のカガチをたぶらかそうだなんて、なんて女だ……恐ろしい……」
「逆だろ。あのでかいのがセリカに悪い遊びを覚えさせようとしてんだよ。つーかあんたあいつの何? 恋人か何か?過干渉な女……いや男? は嫌われるぜ」
「は? 僕とカガチをそんな薄っぺらい関係で纏めないでくれる? 男根切り落とすぞ色ボケ海賊。あの子の乳をいやらしい目で見やがって」
「俺がでかけりゃ何でも好きだと思ったら大間違いなんだよなあ~? つーかてめえ! なんで人の嗜好まで知ってやがる!!」
「はっはっは忘れたかアーモロードでの一夜を! 表出ろオラ!! 」
「えっもしかして一夜を過ごした!? 思い出せねえ! 上等だゴラァ!!」
二本の刀を振り回すウワバミとガンソドで応戦するインディゴを遠目で見て、セリカとカガチは顔を見合わせた。一体、二人は何をしているのだろう。
「遊んでいらっしゃるのかしら」
「仲良しはいい事だ」
「そうですわね!」
笑い合い、二人は再び飛び回っているトンボと戯れ始めた。親の心子知らずとはよく言ったものである。
インディゴとウワバミは、その後通報を受けて駆けつけた衛兵にしこたま怒られた。
◆
道行く冒険者に紛れてオーベルフェの街中を歩いていたナツキは、ふと聞こえてきた声にぴたりと足を止めた。
「『アルデバラン』が第四迷宮を突破したってよ!」
「あの新人ギルドが? 随分速いな」
「アントニカんトコもうかうかしちゃいられねえな」
「違いねえ!」
ナツキは回想する。……『アルデバラン』といえば、あの時D.O.Eと交戦していたギルドだ。相当なスピードで迷宮を踏破している所を見ると、かなり手練れの冒険者であるらしい。やはり、あの時見付からなくて幸運だった。
新人ギルドの快挙に沸く人々を横目に、ナツキは目深に被っていた笠をそっと直して再び歩き始めた。今宵は街をあげての宴だろう。お祭り騒ぎが好きなオーベルフェの人々は、こうした出来事があるとすぐに宴会を始める。血に飢えた殺人者が、街の中に紛れているとも知らずに。
彼の存在に気付く者は、まだ誰もいない。
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