【D2】10 殺人犯はここまでかと微笑んだ。

 辻斬り・ナツキが殺された。

 最初にそれを見付けたのは、二日酔いに苦しみながら朝早く船着き場に出勤してきた船頭だった。血の臭いに気付いた船頭が近くの茂みを覗いてみたところ、首の無い死体が転がっていたのだ。頭部は見付からなかったものの、怪我の状態や服装から見て間違いなくナツキ本人であると断定された。辺りをくまなく探しても犯人に繋がりそうな手掛かりは見付からず、その上、例の刀も見つからなかった。

 無論、この報せに海賊団の拠点は大騒ぎになった。冒険者を殺して回っていた筈の辻斬りが逆に殺されるなど、悪い冗談だ。おまけに刀も見付からないとなると、全てが振り出しに戻ってしまう事になる。

 おまけにもう一つ、非常に良くない事態が起こっている。

 ナツキの死体が見付かったその翌日の朝、オーベルフェの市街地で、首を斬られた死体が見付かった。その翌日にも、そのまた翌日にも──ナツキと入れ替わるようにして、新たな辻斬り事件が発生したのである。最悪な事に、今度はオーベルフェの中心部で。同じ事件でも迷宮の中で起こるのと街の中で起こるのとでは天と地ほどの差がある。しかも今回は一度に複数の死体が発見される事もあり、最初の事件から一週間で既に犠牲者の数は十五を超えていた。不安を感じた住民達は家に閉じ籠る事が増え、街からはいつものような活気が失われた。先日のお祭り騒ぎが嘘のようだ。

 そんな夜明け前の街を、セキレイは一人で駆けている。ナツキが殺された直後に事件が始まり、またナツキも街で殺された犠牲者達も、皆同じようにに首を斬り落とされて殺されていた。となると、新たな辻斬り事件の犯人がナツキを殺した犯人であり、刀の行方についても知っている可能性が高い。これ以上犠牲者が増える前にどうにか犯人を探そうとこうして夜の警邏を始めて今日で四日……いまだに手掛かりは掴めていない。

 ふとセキレイは足を止め、通りを見渡せる高い屋根の上から飛び降り、近くの路地裏を覗き込んだ。頬を生温く鉄錆臭い風が撫でる。……今宵の犠牲者だ。今日もまた、止める事ができなかった。

「セキレイ」

 立ち尽くすセキレイの背後から、別行動で街を回っていたリッカがやって来る。彼は血溜まりの中に浮かぶ若者らしき男の胴と首を見て、セキレイの肩にそっと手を乗せた。

「……戻ろう。拙者らも休まねば、出来る事も出来なくなってしまう」

「……、……そうだな」

 セキレイが頷くと、リッカは微かに笑みを浮かべて踵を返す。海賊団の拠点へ戻るため歩き出したその背中を少しの間じっと見つめてから、セキレイもようやく重い足を動かした。


 戻ってきたセキレイ達を出迎えたのは、小皿に盛られた魚のあらを持ったインディゴだった。彼は二人の姿を見付けるとよう、と片手を挙げる。

「お疲れさん。……収穫無しか」

「左様。……その手の物は如何なされた?」

「ああ……セリカが野良猫に餌やりたいって言うんだよ。でもこんな状況だろ?駄目だって言ったら代わりに餌やりに行けって言われてな」

「インディゴ殿も大変で御座るな」

 肩を竦めるインディゴにリッカがくすりと笑う。そのまま二人の横を通り抜けて外へと出ていこうとしたインディゴに、セキレイが声をかける。

「インディゴ様、お供致します。……貴方に万一の事があってはいけません」

「ん、悪いな」

 するりとインディゴの傍に寄って外へと付いていくセキレイの姿をリッカは小首を傾げて見つめる。

 朝の街は夜に比べるとかなり活気がある。大通りはこれから探索に出掛ける冒険者や彼らを呼び込む商店の店員などの姿でいっぱいだ。そんな通りから一本路地裏に入った場所に、野良猫達が集まる集会所のような場所がある。餌を持ったインディゴが足を踏み入れると、猫達がひょっこりと姿を現す。猫達は見知らぬ人物の姿に警戒した様子だったが、インディゴが餌を地面に置くとゆっくりと近付いてきた。

 慎重に餌の味見をする猫達を見ながら、インディゴがセキレイに問う。

「お前、どうした?何 かぼーっとしてねえか」

「……いえ、少し考え事をしていました」

 小さく吐息を漏らし、セキレイはそっと目を伏せた。暫しの沈黙の後、口を開く。

「インディゴ様。お聞きしたいのですが、私のようなシノビの目を盗んで夜陰に紛れ、人斬りを行う事ができる者とは、一体どのような者と思われますか?」

「どのような……って」

 インディゴが眉を寄せて自身の首を擦る。

「まあ、俺なら同業者を疑うな。素人が隠れてどうこうしようと思ってもシノビの諜報力には敵わねえだろうし……」

「……やはり、ですか。私も、同じように思います」

「悪いな、目新しい事が浮かばなくて」

「いえ。お気になさらず。……そうですよね。同業者……やり手のシノビ……」

 小さな声で呟いて俯いたセキレイの横顔をインディゴは怪訝な目で見やるが、特に何も言う事はなかった。餌をすっかり食べ終えた三毛猫が、にゃあと鳴いて彼女の足に擦り寄る。セキレイは黙って三毛の頭を撫でた。その目はどこか遠くを見つめている。

 拠点に戻ったセキレイは、インディゴと別れてウワバミとカガチが使用している客室へと向かった。襲撃事件から一週間が経ち、カガチの怪我はすっかり良くなっている。尤もまだ全快ではないため、彼はたいてい部屋から出ずごろごろしているのだが。

 ノックをしてドアを開けると、部屋にはカガチとセリカの二人だけだった。どうやら折り紙で遊んでいたらしい、ベッドの上に千代紙が散らばっている。

「あらセキレイさん!どうしましたの?」

 折り鶴を手に、セリカが声を上げる。セキレイは彼女ににこりと笑いかけ、きょとんとしているカガチに向き直って訊ねた。

「カガチ殿、近頃変わった事はありませんでしたか?何でも良いので教えて頂きたいのです」

「変わった事……?」

 こてん、と首を傾げ、カガチは少しの間考え込むような仕草を見せる。

「……ウワバミが、夜にお酒を飲みに行かなくなった」

「他には?」

「うーん、思い付かない」

 カガチの返答にセキレイはほうと息を吐いてそうですか……と呟いた。そんな彼女を見て、セリカが心配そうに声を掛ける。

「セキレイさん、お疲れのようですわ」

「あ、いえ、ご心配には及びません」

「きちんと休んでくださいな。頑張りすぎて倒れてしまってはいけませんもの」

「疲れた時は甘いものが良いってウワバミが言ってた。桃食べるか?」

 良いながら、カガチがベッド脇のテーブルに置かれていた桃を差し出す。丸々とした桃からはほんのりと甘い匂いが漂っていて、セキレイは少し、いやかなり心惹かれたが、何とかそれを押し止めて応えた。

「いえ、お気持ちだけ受け取っておきます。どなたからかは存じませんが、お見舞いの品でしょうし……」

「リッカさんからですわ。リッカさんもカガチさんの怪我の様子を気にしていらしたみたいで」

 セリカの言葉にセキレイは目を瞬かせる。カガチが手にしている桃を見つめ、リッカが、と呟いた。急に動きを止めたセキレイに、カガチとセリカが顔を見合わせる。その間にセキレイは軽く会釈をし、急ぎ足で部屋を出ていってしまった。


   ◆


 その夜も、当然のように警邏は行われた。手慣れた様子で装備を確認し、口布を引き上げたリッカの腕をセキレイがそっと引く。驚いたリッカが振り返ると、彼女は真剣な眼でじっとリッカの眼を見つめていた。

「今日は私が西を回る。お前は東を頼む」

「ああ、了解した」

 リッカの返答を聞くや否や駆け出していってしまったセキレイに彼は黙って肩を竦め、紫色の襟巻をたなびかせてゆっくりと歩き出した。空を仰いで見てみれば、今宵の月は雲の隙間から明るく光る上弦の月だ。

 街を西へ西へと駆けていたセキレイは、ある時点でふと足を止めると、踵を返して別方向へと進路を変えた。月の光が石畳に彼女の影を浮かび上がらせる。

 風を切って走りながら、セキレイは少しだけ昔の事を思い出す。彼女は『ウナリ衆』のシノビである両親の元に生まれた生粋のシノビだった。幼い頃に起こった戦で父が死んでから、セキレイは母を心配させまいと必死になって修行に励んだ。毎日毎日修行と勉学だけ行った甲斐あり、彼女は子供でありながら大人顔負けの実力の持ち主となったが、それ故に気心の知れた友人などは存在しなかった。いつも一人で修行に明け暮れる日々が、辛くなかったと言えば嘘になる。

 そんな彼女に転機が訪れたのは、里に見知らぬ子供が移り住んできたと聞いた頃だった。その子供は里の人間から忌み嫌われていた。話によると、疫病で滅んだ別のシノビの里の生き残りであるらしい。子供はいつも一人でぼんやりと空を眺めていた。たまたま見掛けたその横顔に、セキレイは自分と似た何かを感じた。

 だから、声を掛けた。皆から避けられて一人でいるのは寂しいだろうと。子供は寂しくなどないと笑った。けれど話し掛けてくれて嬉しい、とも言った。同い年の一人ぼっち同士、身を寄せ合うように仲良くなった。セキレイは今でも思っている。あの時築いた友情があったからこそ今の自分がいるのだと。だからこそ……。

 頭を振り、余計な考えを打ち消した。彼女はただ街を駆ける。頭上の月には雲が掛かろうとしている。


 ──人気の失せた街の中。路地裏に、酔っ払いの男が一人寝転がっている。呑気に酒瓶を抱えて鼾を立てるその姿を、じっと見下ろす者がいた。気配を殺してゆっくりと歩み寄り、男が完全に意識を手放している事を確認すると、軽く笑みを浮かべて腰の刀に手を掛ける──

「何をしている」

 控えめな、それでいてよく通る声に、刀に掛かろうとしていた手が止まる。振り返ってみれば、シノビの女は怒りと困惑とがない交ぜになった眼でこちらを見ていた。彼女は大きく息を吸い、震える声を押さえ付けるようにして再度問う。

「何をしている、……リッカ」

 呼び掛けにリッカは肩を竦めた。手をひらひらと振り、セキレイに微笑みかける。

「何もしておらぬよ。お主が思うような事は何も。……西を回るのではなかったのか?」

 セキレイは答えない。ただじっと、睨み付けるようにしてリッカを見据えている。その眼を見てリッカも口を閉ざした。沈黙の下りた路地裏に酔っ払いの鼾だけが響く。

 異様に長く感じられた沈黙を引き裂くように、セキレイがゆっくりと口を開く。

「あの日お前が第四迷宮に行こうと言った事、辻斬りが我々の煙玉を使った事、私がいつまで経っても二人目の辻斬りを見付けられない事……引っ掛かっていたんだ。何かおかしいと……それで、思い出した」

 セキレイが言葉を切る。彼女の声を、リッカはじっと聞いている。口布と長い前髪に隠され、その表情はよく見えない。

「街で殺された者達は、刀が盗まれた時に殺された警備のシノビ達とよく似た殺され方をしている。……あの夜お前は社殿の警備に就いていたな」

「左様。拙者は伝令に走らされたため難を逃れた」

「……ナツキが社殿を襲ったとして、五人のシノビ達を一人で皆殺しにできるのか?夜闇での戦闘で手練れのシノビを圧倒できる程の猛者が、ウワバミ殿との戦いでああも傷付くものか」

「ウワバミ殿は一騎当千の剣客……人智を越えた剣技に敵う者など居るまいよ」

 淡々としたリッカの言葉にセキレイは唇を噛む。拳を強く握り締め、微かに震えた吐息を吐き出した。それでも彼女は、目を逸らす事だけはしなかった。

「……私はお前を信じている」

 絞り出すような声に、リッカの肩がぴくりと動いた。

「警備のシノビはナツキが殺して、煙玉もその時奪ったのだと。第四迷宮で鉢合わせたのも偶々だと。街を回っても辻斬りが見付からないのは私の実力が足りないせいなのだと、そう信じている……だから、お前が宴の夜何をしていたかも訊かない。何も訊かないから……ひとつだけ」

 セキレイが腕を上げ、そっと人差し指を突き出す。指し示す先にあるのは、リッカの腰、そこに下げられた一本の刀だ。

「その刀を、抜いて見せてほしい」

 いつもリッカが持っている刀とは違う、彼女の見た事のないその刀を指さし、セキレイははっきりとそう言った。リッカは何も言わない。ただ琥珀色の瞳でセキレイをじっと見つめている。重苦しい静寂の時間を、セキレイは黙って堪えていた。ほんの少しの期待を胸に抱きながら。

 どのくらい時間が経っただろう。沈黙を貫いていたリッカが小さく息を吐き、ああ、と声を漏らして──ゆるりと目を細めた。

「ここまでか」

 セキレイの目が大きく見開かれる。リッカはそっと腰に手をやり、鞘から刀を引き抜いた。現れたのは鈍い光を湛えた黒の刀身、初めて目にするセキレイにもすぐに分かった。あれこそが、妖刀『魂喰御影』だ。

 何故、という言葉は声にはならなかった。微かに動いた唇を読んだリッカがくすりと笑う。

「『そうしたいから』……理由はそれだけで十分ではないのか? ……分かっている、そんな事を訊きたいのではないのだろう」

 言いながら、彼は抜き身の刀身を指でついとなぞった。妖気を纏った刀には脂ひとつ付かず、その表面にリッカの顔を映し出す。

「拙者は人を殺すのが心地好い」

 セキレイの肩が震えた。それをちらりと見て、リッカは口布の下で笑みを浮かべる。

「ナツキを殺したのは……まあ、何だ、あ奴がウワバミ殿に殺されるのが惜しかったからだ。刀を持ち出す手伝いをしたのも拙者だが、あんな怪我では仇討ちなど到底無理だと思った故な。……あれも哀しい男だ。拙者のようなシノビに惹かれたばかりに」

「…………何だと?」

「あれと拙者は通じておったのだ。……お主は知らぬだろうが、何年も前からずっと」

 あっけらかんと言い放った理解に、セキレイは茫然と立ち尽くす。理解の追い付いていない彼女にリッカは口布を剥ぎ取って穏やかな声色で言う。

「悪いが、拙者にもやりたい事がある。……ではなセキレイ。ウワバミ殿やインディゴ殿……お主の首も、すぐ貰いに行くよ」

 セキレイがはっとしたその時には、リッカは既に路地裏から大通りに飛び出していた。セキレイも慌てて後を追う。遠くなった背中に、待て! と一声叫んだ。待ってくれる筈など無いと分かっていながら。


 その日の『アルデバラン』の探索は予定より大幅に長引いた。というのも、もうすぐ目的の場所だ、というところでモンスターハウスに当たってしまったのだ。それも、二連続で。迫り来る魔物から逃げ回りつつどうにか全滅させて探し人を連れ帰ってくるという目的を果たし、ようやく戻ってきたのがすっかり夜になった今である。時計を見てみれば、ちょうど時刻は夜十時を回ったところだ。

「はあ疲れた疲れた……早く宿に帰ろうゼ」

「そうだな。風呂に入りたい」

 くたびれた身体に鞭打って宿屋までの道のりを歩き出そうとしたその時だった。船着き場脇の茂みから、急に人影が飛び出してくる。驚いて武器に手を伸ばす一同だったが、人影の正体にいち早く気付いたマルセルがあれ、と声を上げた。

「この前のシノビの人」

 飛び出してきたリッカは『アルデバラン』の姿を認めると、にこりと笑って勢い良く彼らの元へ駆け込んできた。ぎょっとする四人に聞こえるか聞こえないかの大きさの声で彼は言う。

「ナイス・タイミング……で御座るな」

 それからは一瞬だった。リッカは刀を翻し、するりと飛び込む──丁度アタノールを外して丸腰だったビリーの懐へ。声を上げる暇も無かった。下からの一閃が彼の胴を袈裟懸けに斬り裂いた。傷口から真っ赤な血を溢れさせながら、ビリーの身体は地面に崩れ落ちる。

「──ッテメエ!!」

 すぐさま我に返ったラウレアが、船着き場の方へ逃げ去ろうとしていたリッカに弾丸を放つ。地面跳ねて拡散した跳弾が右足を掠めたが、リッカの足を止めるには至らない。『アルデバラン』を乗せて帰って来たばかりの船に飛び乗り、船を仕舞う準備をしていた船頭に刀を突き付けて低い声で言う。

「今すぐ動かせ。さもなくば殺す」

 リッカの殺気に顔を真っ青にした船頭の行動は素早かった。リッカを追ってきたセキレイが船着き場に辿り着く頃には、船はだいぶ遠くへ行ってしまっていた。セキレイは歯噛みする。全力で船を動かせば、もしかしたら追い付けるかもしれない。しかし。

「っ駄目だ血が止まらない! ヒーリングじゃ間に合わない……!」

「ああくそ医者呼んでくる! 死ぬなよバカ!」

「ビリー、寝るな。この程度の傷でお前が死ぬものか。目を開けていろ、頼む……」

 ……湖の向こうに消えていく船の影を一度だけ見やり、セキレイはぐっと唇を噛んで『アルデバラン』の元へと走った。これ以上、『辻斬り』による犠牲者を出す訳にはいかなかったのだ。

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