【D2】11 彼女は刃を手に取った。

 街での連続殺人がぴたりと止み、今度は迷宮での辻斬りが再開した。以前とは違い犯人の顔も名前も既に割れているというのに、捕らえるどころか目撃証言すら出てこないのだからやはりシノビの潜伏能力は侮れないという事か。

 今日の朝刊を読みながら、ラウレアは不機嫌そうな顔でミルクたっぷりの紅茶を啜った。読んでいるのは迷宮ニュースなる記事だ。あのギルドがどこを踏破した、D.O.Eがどこのダンジョンに現れたなどの情報に一通り目を通し、彼女は新聞を畳んで机の上に投げ出した。ここ数日、『アルデバラン』は一度も探索に出ていない。実際に足を運ぶ事ができない分、不思議のダンジョンで何がどうなっているかくらいは調べておかねばならない。

「あっラウレアそれ見せ……あ駄目だ起きると痛いわ死ぬわ」

「当たり前だろうが動くなバカ」

 ベッドの上から新聞に手を伸ばそうとしたビリーが傷の痛みに顔をしかめる。ラウレアは舌打ちをひとつ溢し、ぬぬぬと唸る彼に新聞を渡した。

 ビリーの怪我は重篤なものであったが、担ぎ込んだ病院の医者が迅速な治療をしてくれた事もあって何とか一命は取り留める事ができた。傷は臓器にまで達していたが、切断面が綺麗だったため比較的簡単に癒着するだろうとの話だ。無論、それまでは絶対安静とも言われたが。

 新聞をパラパラと捲り、興味のある記事だけを読んでそれきり閉じてしまったビリーは天井を見上げてあーあ! と声を挙げる。

「病院って何でこんなヒマなのかね~しりとりしようゼしりとり。なあラウレア~」

「しねえよ。黙って寝てろ」

「俺が黙れると思うのか! 口から生まれたんじゃないかと言われるこの俺が!」

「あーはいはいうるせえな……」

 こういう時、ビリーを黙らせるためには何か食べ物を与えておくのが一番である。ラウレアは机の上に積んである見舞いの品を探った。確か、ユスティーナが買ってきたお高いプリンがあった筈だ。

「……ん? あれ……テメエ、プリン食ったのかよ」

「食ってない! 食いたい!」

「でも、ねえぞ? 一体どこに……」

「あま~い」

 二人きりの筈の病室に突如響いた第三者の声にラウレアが腰の銃に手を伸ばし、ビリーは思わず飛び起きようとして傷の痛みに悶絶した。声の聞こえた方を見てみると、いつの間に現れたのか見知らぬ和装の男性が部屋の隅に置いてある椅子に座っていて、心底幸せそうな顔でプリンを頬張っていた。

「おいし~い」

「ああっ俺のプリン! おい返せ俺のプっ痛あああッ死……」

「おい誰だアンタ……いつからそこに……」

 思わず手を伸ばした拍子の三度目の激痛にベッドに四肢を投げ出して撃沈するビリーは置いておき、ラウレアは低い声で言ってそっと銃を抜いた。男性はプリンを口の端につけたまま彼女をじっと見て首を傾げる。

 と、その時、病室の入口からマルセルがひょっこりと顔を出した。買い出しに行っていた筈のマルセルは、何故か見知らぬ女の子を連れている。

「ビリー、見舞いだ……って、その人誰?」

「あっカガチさん! こちらにいらしたんですの!」

 驚いた様子で声を上げ、女の子がプリンをもぐもぐしている男性を見た。カガチと呼ばれた男性はにこやかに片手を振る。

「お手洗いに行ったんじゃありませんでしたの?」

「もう終わった。このプリン美味しいんだ。セリカも食べるか?」

「あら、よろしいんですの? 是非いただきたいですわ……っとと、その前に……初めまして。わたくしセリカと申しますの」

 セリカがラウレアとビリーの方を振り向き、スカートの裾を持ち上げて丁寧にお辞儀をする。二人も彼女につられて思わず頭を下げた。セリカは片手に提げていたバスケットから布──東洋のフロシキとかいう包みである──に包まれた焼き菓子を取り出してにっこり笑う。

「わたくしたち、セキレイさんの代わりにお見舞いに参りましたの。これよかったら食べてくださいまし」

「セキレイ……ってあのシノビの姉ちゃんか」

「はい。セキレイさん、お忙しいようでしたので。直接謝罪に行けなくて申し訳ないと仰ってましたわ」

「律儀な姉ちゃんだゼ。気にすんなって言っといて」

 受け取った焼き菓子をもさもさと食べながらビリーは言う。マルセルが菓子の欠片がシーツにボロボロとこぼれているのを見て顔をしかめた。

 仲良くプリンを分けあっているカガチとセリカを口許に手をやりながら見つめていたラウレアが、ごく控えめな声で訊ねる。

「それで……どうなってる? 『辻斬り』の件は」

 おい、とマルセルが声を上げる。見舞いの代行に来てくれただけの相手にわざわざ訊く事でも無いだろう。それはラウレアも承知の上だったが、どうしても気になるのだ。セリカとカガチは顔を見合わせる。暫しの間の後、カガチが答えた。

「たぶん街には来ないから、心配はいらない」

「そーなのか。人殺すなら迷宮より街の方が効率いいんじゃないの?」

 ビリーの言葉にカガチは首を振る。

「街で殺してたのは、正体を隠してたからだ。たぶん元々、できるなら冒険者を殺したかったんだと思う……強い人間の魂は、良い供物になるから」

「……訳分からんけど、俺達は生贄か。ヤな話だな」

「しっかし、それなら尚更ビリーがやられた理由が分からねえな。別に強くねえだろ」

 ラウレアの辛辣な言葉に失礼しちゃうゼ! と抗議の声を上げるビリーは特に気にせず、カガチは困った顔で首を傾げた。実のところ、彼も詳しい事はよく分かっていないのだ。つい先日まで怪我で寝込んでいた事もあり、知っている事の多くはウワバミからの受け売りで、踏み込んだ話はあまり分かっていない。

 ずっと黙っていたセリカが、あまり分かりませんけれど、と前置いてから口を開く。

「パパが言ってましたわ。海賊には海賊の矜持があって、倒す相手とそうでない相手をちゃんと分けるんですって。リッカさんも、似たような事をしてるのかも」

 セリカの言葉に一同はほえーだがほあーだか、間抜けた声を漏らした。何にせよ、連続殺人犯の考える事はよく分からない。

 プリンを奪われた事などすっかり忘れたビリーがセリカとカガチを呼び寄せて見舞い品として貰った菓子を分け与え始めたのを見ながら、ラウレアは顎に手をあててじっと考え込む。


   ◆


 部屋に散らばっていた荷物を纏め上げ、セキレイは息を吐いた。元々物置として使われていたという小さな部屋には小さな簡易ベッドがひとつと備え付けの棚がひとつあるだけで、他には何も無い。

 ここはリッカが使っていた部屋だ。どうやら彼は元々貴重品や武具などはこの部屋には置いていなかったようで、残されていたのは替えの衣類と、里から持ってきたらしい本が何冊かだけだった。その本も、里に伝わるシノビの心得を纏めた教本や草木などの図が載った図説で、リッカ個人の趣向が窺える物はひとつとして無い。この部屋のどこにも、彼の意図や個性が透けて見える物は存在していなかった。……つい先日までこの部屋にいたのが嘘のようだ。

 セキレイは手の内に握り込んでいた小さな紙片をぐしゃりと潰した。つい今朝方、彼女の寝泊まりしている部屋の窓の隙間に差し込まれていたものだ。たった一言だけ書かれたその紙が誰から届いたものなのか、それを分からないセキレイではない。彼女はそっと目を伏せて俯いた。

 背後のドアが音も無く開く気配がする。セキレイは振り返らなかった。廊下を歩いて近付いてくる足音から、そこに居る人物が誰なのかの見当は付いていたためだ。

「辛気臭い背中だ。シノビっていうのはどいつもこいつも根暗で困るね」

「……ウワバミ殿」

「……驚きもしない、その態度が気に食わないんだ」

 ひとつ舌打ちを漏らし、ウワバミはつかつかとセキレイに近寄って、彼女の傍らに置いてあったリッカの荷物に目をやった。積んである教本を手に取り、ぱらぱらと捲って鼻を鳴らす。

「何を探していたんだ? 奴の何を知りたかった」

「……いえ。ただ、何を考えてこんな事をしたのだろうと。……少しでも、知っていれば、と」

「知っていた所で何ができた? 人間同士だからといって皆解り合える訳もない。あれは人間の皮を被った気狂いのけだものさ」

 僕らよりもおぞましい、ね、と呟き、ウワバミは教本をベッドの上に放った。セキレイは何も応えない。

 そんな彼女の様子を見て、ウワバミは眉をひそめた。いやに元気が無い。持ち合わせる限りの想像力を働かせ、成程このシノビは同胞が己を裏切った事に傷付いているのか、と察する。しかし傷付くのは勝手だがそれで敵を討ち損ね、刀が戻ってこない事になれば困るのはウワバミ達だ。いっそ自分が殺しに行った方が早いかとも思ったが、また小細工でも使われでもしたら堪ったものではない。何にせよあのシノビの実力を測るためにも、まずはセキレイをぶつけるのが吉だろう。

 そう結論付け、少し発破をかけてやろうとウワバミは声の調子を少しばかり落として言う。

「刀は任せろと言ったのは君だぞ。果たせない場合は、……分かっているな?」

「……ええ、分かっております」

 そう言ってぐるりと振り向いたセキレイの顔を見て、ウワバミは更に眉を寄せた。彼女の表情は至って穏やかであった。落ち着いた様子で、微かに笑みさえ浮かべてウワバミを真っ直ぐに見据えている。

「何であれ、里を抜けた離反者は殺さねばなりません。ただでさえ裏切りなどという恥知らずな行いを許しているのに、情に流され刃が鈍るなど有ってはならぬ事です。ウナリ衆の誇りに賭け、必ずや奴を一刀の下に仕留めてみせましょう」

 そう告げ、セキレイはリッカのなけなしの荷物を抱え上げてウワバミの横を通り過ぎ、部屋を出ていこうとした。それ違おうとするその瞬間、彼女は呟く。

「もう何故とは言いません」

 言い残して部屋を立ち去っていったセキレイを見送り、ウワバミは大きな息を吐いた。ウワバミも、ついうっかりしていた。今までの姿があまりに頼りなかったため、つい忘れていた。

 先程セキレイの、鈍い光を宿した暗い瞳──それはまさしく、息をするように人を殺す、冷酷無比なシノビの眼そのものだった。

「……まったく面倒臭い人間だ」

 吐き捨てて、ウワバミも部屋を出ていった。後には空っぽの部屋だけが残る。

 その夜、セキレイはこっそりと船着き場から船を一隻拝借し、街の対岸──世界樹の迷宮へと向かった。目指す場所は第六迷宮、選ばれた者だけが歩を進める難関の迷宮だ。

 リッカはそこでセキレイを待っている。

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