【D2】13 かくて彼女は手を振った。
オーベルフェで稼いだ金銭で、ついに船を新調する事ができた──港町に留まっていた部下からその報せを受け取ったインディゴは大きくガッツポーズをした。これで海に出る事ができる。彼は早速街に散らばって各々雇われ仕事に励んでいた船員達を全員召集し、一週間後に街を出ると宣言した。というのが、一週間前の話である。つまり今日、彼らはオーベルフェから去る事になっていた。
オーベルフェの近辺に海は無い。辺りを森と山に囲まれたこの街から海に出るには、馬車で丸一日ほどかかる港町まで行く必要がある。この日のために押さえた数台の大型馬車を前に、海賊団はそれぞれ荷物を確認したり街で知り合った人々と別れの挨拶を交わしたりしていた。そんな様子を眺めながら、ウワバミは荷物を地面に下ろしてふんと鼻を鳴らす。
「何で海賊風情と何週間も一緒にいなきゃならないんだ?馬鹿がうつったらどうしてくれる」
「別に嫌なら一緒でなくても構わないが」
近くで船員達を順に馬車に誘導していたティルがウワバミを振り返って肩をすくめる。
「あんたの連れはもうすっかり一緒に行く気みたいだぞ」
ティルが示した先には、セリカと共に馬車の周りをうろうろしたり馬を撫でてみたりと楽しそうにちょこまかしているカガチがいる。ここにある中で一番高級な──インディゴが病人であるカゲチヨのためにと貯めていたへそくりを使って手配した──馬車を眺めながら二人は仲良さげに話をしていた。
「おれ、馬車って初めて乗るんだ。揺れるかな?」
「カガチさん車酔いをしますの? お父さまと一緒に乗せて貰いましょう! この馬車は高級だからあまり揺れない造りだって聞きましたわ」
「本当か? すごいなあ」
あまりに和やかなこども達の様子にウワバミは思わず額を押さえた。まあ、百歩譲って、社会見学のようなものとでも考えて割り切ろう。何事もカガチの笑顔には代えられない。大きな溜息を吐くウワバミを横目にティルはこっそりと笑みを浮かべ、船員達の誘導作業に戻っていく。
「ウワバミ殿」
呼び声に振り向けば、いつの間にか背後にはセキレイが立っていた。彼女はいつもの和装の上に外套を羽織っており、背中に纏めた荷物を背負っている。言うまでもなく、セキレイも海賊団と一緒に港町まで向かう予定なのだ。
「調べてみましたが、やはり直行で戻る事のできる船は無いようです」
「ああ、やっぱりそう上手くは行かないか」
「ええ……それでその……インディゴ様が、何なら運んでやってもいい、と……」
「…………」
盛大に顔をしかめ、ウワバミは暫し押し黙った後で離れた場所で馬車の御者と話し込んでいるインディゴの元へと駆け寄っていった。恐らく、ああだこうだと言いつつも船を頼むつもりなのだろう。
残されたセキレイは苦笑し、何とはなしに右肩をそっと撫でた。先日の深手の後遺症で、たまに痺れるような痛みが走るのだ。治療してくれた医者は大きな病院できちんとした治療をすれば後遺症も無くなると言ったが、セキレイはこのままで良いと思っていた。
ふと背後から聞こえてきた足音に振り返る。街から連れ立ってやって来たのは、お馴染み『アルデバラン』のメンバーであった。先頭にいたビリーがむっとした顔でセキレイに詰め寄る。
「シノビの姉ちゃん帰っちゃうのかよ~! 俺達が第六迷宮踏破する歴史的瞬間見て行かねえの!?」
「いや私の用事はもう終わっ……というか、もう怪我は良いのか?」
「おう! 全然大丈夫!」
「だからテメエは全然なのか大丈夫なのかどっちかにしろっつってんだろ」
後ろから現れたラウレアに頭を盛大に叩かれ、ビリーが思わず踞る。彼に向かってチッと舌打ちをしたラウレアはセキレイに向き直ると快活な笑みを浮かべた。
「世話んなったな。もう会う事はねえだろうが、ま、お元気で」
「ああ、こちらこそ世話になった。……探索、頑張ってくれ。お前達なら世界樹まで辿り着けるだろう」
握手を交わす二人の間に割って入るように、歩いて追い付いてきたマルセルがひょっこりと顔を出す。
「これ私達からお土産です。オーベルフェ銘菓エタラガムラせんべい」
言いながらマルセルは何やら紙袋に入った箱をセキレイに押し付ける。……エタラガムラせんべいとは一体何なのだろう。確か、第三迷宮の主とやらがそんな名前だったような気がするが。
「安心しろ、胡乱な名前だが味は良い。東の国の者はせんべいが好きだと聞いた。気に入って貰えると嬉しい」
ユスティーナにそう言われてしまっては、突き返す事もできない。セキレイは一言礼を言い、紙袋を持って馬車の方へと向かう。彼女が乗り込む予定の馬車の脇では、船員達を車に詰め込み終えたインディゴとティルが人数確認をしていた。
「別れは済んだか」
「ええ。もう出発ですか?」
「そうだな……待て一人足りねえ。確かさっき便所行った奴がいたよな!?」
インディゴの言葉にティルがやれやれと頭を振り、近場にある公園の公衆便所へと駆けていく。はあ、と大きな息を吐いたインディゴはセキレイに向き直って訊ねた。
「どうだったよ、オーベルフェは」
「そうですね。……色々ありすぎて、少し、疲れました」
「……そりゃそうだよな」
本当に、色々な事があった。任務を命じられて里からこの街までやって来たその時に、果たしてこんな形で任務を終えると思っていただろうか。
少し離れた場所で何やら話している『アルデバラン』の面々をどこか遠い目で眺めながら右肩を擦るセキレイの背中を、インディゴは勢いよく叩く。突然の事に目を白黒させるセキレイに、彼は豪快に笑って言った。
「シノビ稼業が嫌になったらうちの船に来りゃいい。悩んでる暇なんて無いくらい刺激的だぜ? 休暇の保証は無いけどな!」
「……ふふ、有難うございます。考えておきます」
もう一度、セキレイの左肩をぽんと叩き、インディゴは人数確認の作業に戻っていく。ティルが便所に行っていた若い船員を連れて戻ってくるのが見えた。それを見届け、セキレイも荷物を抱え直して馬車の中に乗り込む──程無くして、御者の一声と共にゆっくりと車は動き出した。
窓から振り返ってみれば、『アルデバラン』の四人が手を振っているのが見える。セキレイが乗っている、そのひとつ後ろの馬車の窓からは、セリカとカガチが顔を出して四人に手を振っていた。セキレイも手を振り返す。
オーベルフェの街が遠ざかっていく。
◆
かくして血塗れて輝く妖刀は元の所有者の元へと戻り、その刃は二度と誰かを殺める事は無かった。刀は社殿に納められ、二人の巫によって悪しき人間の手から守られていたという。しかし社殿はその後二十年程経った後に山火事によって焼け、刀もそれと共に焼失したと伝えられている。
だが、それと同時期に書かれたと思われる遥か遠い国に残る文献に、一本の刀についての記述がある。緋緋色金で出来た、黒い刀身の妖しく輝く刀──その特徴が件の妖刀のものとあまりに合致している事から、刀は焼失を免れ、遠い異国の地に持ち出されたのだとする説もある。しかし文献にはそれ以上の記載は無く、刀そのものも見付かっていない以上、事実がどうであったかは誰にも分からない。
文献の見付かったその場所の名は、タルシスという。
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