【SQX】14-3 ロストワン

「ふーん。それじゃあ、ここでエノクくんを探してたんだ」

 チエリの問いに、ヘヴェルはひとつ頷いて応えた。

 採集場所の謎の視線とやらの真相だが、紐解いてみれば随分と簡単な話だった。採集にやって来る冒険者達を陰からこっそり見ていたのは、ヘヴェルだったのである。

「この辺り冒険者いっぱいいるから、待ってればそのうち来ると思って」

「雑な見立てだな」

「でもまあ、実際その通りに来た訳だし……。それで、ええと、僕に何か用事ですか?」

 ヘヴェルはぱちりと目を瞬かせ、何事か考え込むように俯く。傍らのヘンリエッタが何とも言えない表情で杖に手をかけるのを、エノクは横目に捉えていた。ヘヴェルにエノクへの敵意が無いらしい事は第十三迷宮での一件で分かっているが、他のメンバに対してはどうか分からない。遭難したエノクを助けてくれた以前に、彼が第十一迷宮でクチナと交戦していたのも事実なのだ。

 静かに唾を呑むエノク達に気付いた様子も無く、ヘヴェルはうーんと唸る。

「会った事が……ある気がする」

「はあ」

「……から、何か……手がかりを……んん」

「……手がかりって、その……記憶の?」

「そう、そうだ」

 エノクが思わず問えば、ヘヴェルはぱっと表情を明るくして頷いた。怪訝な目を向けてくるチエリとヘンリエッタに、エノクは彼が過去の記憶を失っているらしい事を告げる。

「記憶喪失ってやつ?」

「そうみたい」

「……キナ臭いな。というかお前、この間はよくもあの訳の分からん霧みたいなのをぶつけてくれたな」

「ちょっと、ヘンリエッタ……」

 エノクの制止を気にも止めず剣呑な視線を向けるヘンリエッタに、ヘヴェルは小首を傾げる。

「そんな事あったっけ」

「こ、こいつ……」

「それよりも俺の昔のほうが大事だ。会った事があるだろ?」

 そう言いながら、ヘヴェルは尚も詰め寄ろうとしてくるヘンリエッタを無視してエノクに顔を近付ける。エノクはずいずいと迫ってくる男を両手を挙げて押し止め、慌てて答えた。

「そう言われても、僕にはそんな覚え無いんです」

「何だって?」

「ヘヴェルさんはハイランダー……だと思うんですけど、僕は自分の里以外のハイランダーとはあんまり面識が無いし、かといって里にヘヴェルさんみたいな人がいた覚えも無いし。だからその……人違いじゃないかなって」

「…………」

 諭すような調子の言葉にヘヴェルの動きがぴたりと止まる。口を引き結び、微動だにせずエノクを見つめ続ける彼の姿に何かを感じ取ったらしい、チエリが眉をひそめて刀に手をかける。どこか近くの樹上から鳥が飛び去る音。張り詰めた空気が辺りに満ちる。

 しかし、息苦しい沈黙を打ち破ったのもまたヘヴェルだった。ひとつ息を吐いて眉を下げた彼は、ゆっくりと指先を掲げるとエノクの頬をむにゅと摘まむ。

「ムグ」

「本当に? ……でも、確かにこの魂は……ううん、勘違いだったのか……?」

「ムググ……」

「おいやめろ、そいつの頬っぺたは玩具じゃないぞ」

 ヘンリエッタに半ば無理やり引き剥がされたエノクは、赤くなった頬を撫でてヘヴェルを見やる。彼は先程までエノクの頬を伸ばしていた指をゆらゆらと宙に彷徨わせ、心許なげな表情を浮かべてぼんやりしていた。その顔は喩えるならば迷子の子供のそれだ。

 思わず背後の二人と顔を見合わせる。チエリは仕方ないというように肩を竦め、ヘンリエッタは不機嫌そうにそっぽを向いた。何だかんだ言いながらも見守ってくれる仲間達に内心感謝しながら、エノクはヘヴェルに向き直る。

「その……会ったことは無いと思いますけど、手がかりになりそうな事はあって」

「……?」

「ヘヴェルさん、槍を見せてもらえますか?」

「……ん」

 ヘヴェルは暫し逡巡した後、背負っていた槍をそっと差し出す。エノクは年季の入ったそれを丁重に受け取り、柄と刃を接続しているパーツ──十字型の赤い金具に目をやった。そこに刻まれているのは見慣れた紋様だ。細かな傷にまみれて判別がつきにくくなってはいるが、間違いない。

「やっぱり。これ、僕の里で作られたものです」

「そうなのか?」

「間違いないです。だから、もしかしたらヘヴェルさんは僕の里とゆかりがあるのかも……」

 そう言いながらエノクはヘヴェルへ槍を返す。そうか……と小さな声で応え、手元に戻ってきた得物を見下ろしてヘヴェルはどこか遠い目で呟いた。

「お前には故郷があるのか。俺は覚えていないのに」

 エノクは思わず視線を彷徨わせた。余計な事を言ってしまっただろうか。何と声をかけたものかと迷う彼の肩越しに、ひょこと顔を出したチエリがヘヴェルに向かって声をかける。

「そんなに記憶が戻ってほしいの?」

「どういう意味だ」

 ヘヴェルがむっと顔をしかめる。チエリは慌ててエノクの背中に隠れながら弁解するように続けた。

「だって、手がかりを探すのも大変そうだし。それにもしかしたら、ものすごーく苦しい事があって、それで記憶が無くなっちゃったのかもしれないよ。思い出したら辛くなっちゃうかも」

 少女の言葉に、男は口をつぐんで圧し黙る。少しのあいだ険しい表情で足下の草花を睨んでいた彼だったが、やがてぽつりと溢した。

「エレオノーラの……役に立ちたいから」

 数歩下がった位置で会話を聞いていたヘンリエッタが顔を上げる。

「昔の事が気になって、上手く戦えなかったら、エレオノーラの役に立てない……」

「……お前、」

 ヘンリエッタが堪えきれないというように声をかけようとした、その時だった。背後から聞こえてきた足音に一同はばっと振り返る。

 そこに立っていたのはモモコだった。下ろした手に弓を構えた彼女は、何故か驚愕の表情を浮かべて硬直している。その視線が捉えているのは、エノク達ではなく。

「────」

 モモコの唇が僅かに開く。同時に強く吹き抜けた風が草葉を揺らし、辺りに波打つようなざわめきを響かせた。乱れた髪を鬱陶しげに払ったヘンリエッタが、あっと声を上げる。

「あいつ、どこに行った?」

「え?」

 つられて振り向いたエノクは思わず呆気に取られた。つい先程までそこにいた筈のヘヴェルの姿がいなくなっている。周囲を見回してみても、それらしき人影はどこにも見当たらない。……男の姿は煙のように消え失せてしまっていた。

「……なんで急に?」

「私に聞くな」

「えーっと、とりあえずモモコさんはどうしてここに?」

 チエリが頬を掻きながら問う。呆然としていたモモコは我に返った様子でああ、と漏らし、ぎこちない笑みを浮かべた。

「採集に行ったとヴィヴィアンちゃんに教えてもらったので、追いかけて来たんです。……さっきの方は?」

「クチナさんと戦ったハイランダーの人」

「そうですか……彼が……」

「おっ、あの人帰ったのか?」

 何事か考え込むモモコのすぐ横の樹上から、そんな事を言いながらサヤが飛び降りてくる。音もなく着地した彼にヘンリエッタがずんずんと近寄り、杖で頭をぽこりと叩いた。

「痛っ」

「お前どこに行ってた。まさかそこで見てたなんて言わないだろうな」

「いや仕方ないだろ!? あの人から見たら某は裏切り者だぞ? 顔合わせたら絶対殺されるって!」

「む……」

 黙り込むヘンリエッタと、某が死ぬのは困るだろ~と彼女の頬をつつき回すサヤを横目に、エノクはモモコに目をやった。彼女は微動だにせず立ち尽くしたまま、ヘヴェルがいた場所をじっと見つめている。

「……モモコさん?」

「──いえ、何でもありませんよ。戦ったりした訳ではないようですね」

「あ、はい」

「なら良いんです。……帰りましょう」

 そう言って踵を返すモモコの表情は、既にいつものそれへと戻っていたものだから、結局エノクは彼女が何と呟いたのか訊ねる事ができなかった。


   ◆


 飛泉ノ水島の端、第九迷宮のほど近くに位置する森の中。エレオノーラは寝床に腰を下ろし、広げたいくつかの紙片をじっと睨んでいた。記されているのはレムリアの秘宝についての情報だ。多くはマギニアに潜伏させていたあのシノビから得たものである。今となっては何の価値も持たないそれを、彼女は未だに処分できずにいる。

 丸太を組んでを帆布を被せただけのテントを拠点と、同じく木組みの台に寝袋を乗せただけのものを寝床として使い始めてから、既に数ヶ月──更に言えば、レムリアの秘宝を手に入れ損ねてから一ヶ月近くが経っている。

 目的が潰えてすぐ、エレオノーラはマギニアと本土を連絡する定期便に一通の手紙を紛れ込ませていた。自分達をここまで送り届けた『協力者』に連絡を取るためである。手紙は既に彼らの手元へ届いている筈だ。……それどころか、そろそろ返事が来ていてもおかしくない、筈、なのだ。

 定期便に何かあったという情報は無い。受取人は最寄りの港に常駐しているし、マギニアでの受け取り手元にも抜けは無かった。否、何か不測の事態があった可能性も当然ある。あるが、そう考えるにはあまりにも。

 重い息を吐いて顔を覆う彼女の耳に慌ただしい物音が届く。目をやれば、テントの出入口に嫌というほど見慣れた人影があった。

「エレオノーラ……」

 呻くような声。返事を待たないまま、ヘヴェルはふらふらと近付いてくる。

「どうしよう、俺……思い出せない、絶対に会ったことがあるのに」

「……どうしたの、急に」

「だって分かるんだ、今度は勘違いじゃない。でも覚えてない……忘れてる事しか思い出せない……」

 どうして、と憔悴したように呟いて踞った男を、エレオノーラは言葉もなく見下ろした。心臓が早鐘のように打っている。張り付いた唇を開いて深く呼吸する──これは、少しまずい。

「……大した事じゃないわ。気にしなくても良い」

「でも……」

「ヘヴィ」

 たしなめるように呼べば、彼はますます身を縮めた。そっと歩み寄り、強張った肩に手を乗せて静かに語りかける。

「忘れてしまいなさい。その事を考えたって誰も幸せにならないわ。あなたも、私も」

「…………」

「それに……あなたがどれだけ思い出そうとしたって、絶対に記憶は戻らない」

 顔を上げたヘヴェルの表情を、彼女は見なかった。もう用はないというように踵を返し、寝台に腰を下ろして資料を纏め始める。視界の端で黒い影が形を変える。揺れるランプの灯に照らし出された影は、薄汚れた布の上を蠢くように泳いでいる。……闇夜に潜む化け物達は、きっとこんなかたちをしているのだろう。

 どれほどの時間が経っただろうか。やがて立ち上がったヘヴェルが覚束ない足取りでテントを出ていったのを確かめたエレオノーラは、紙片をおざなりに投げ出して寝袋の上に身を投げた。

 何もかもが上手くいかない。何も手に入れられないどころか、手の内にあったものまで滑り落ちてしまいそうになっている。

「どうすれば良かったって言うのよ……」

 か細い声に応えるものはいない。


 その日の夜の事である。衛士隊が引き上げて無人になった幽寂ノ孤島ベースキャンプを、一人の男が歩いていた。柔らかな風の吹く穏やかな夜だ。なびいた銀髪が淡い月光に照らされて白く光る。

 解体途中の小屋と積み上げられた材木の間を縫うように進み、やがて辿り着いたのは海を見下ろす断崖の際である。前方に広がる景色は塗り潰されたように黒い。寄せ返す波に反射する月光だけが、その深淵が確かに海なのだと主張している。

 夜闇を背に、ひとつの巨大な影が鎮座しているのが見える。飛空都市マギニアは夜も眠らない。上部装甲の上に突き出た鉄塔に灯る光を眺めて彼は呟く。

「そろそろ、潮時か」

 金の瞳が僅かに細められた。険しい表情で飛空艇を見つめ続ける彼の姿を、誰が見付ける事もなかった。

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