【SQX】14-2 ああっと!!

「……ヨルムンガンドが生きている?」

 困惑の声が謁見の間に響く。柳眉を歪めて口許に手をやるペルセフォネに、モモコはひとつ頷いて告げた。

「得体の知れない存在からの情報とはいえ、もし事実ならば看過する訳にはいきません」

「取り急ぎですが、彼の『少女』とのやり取りを纏めた文書をお持ちしました。お目通しください」

 サヤが差し出した文書を受け取ったペルセフォネはすぐさま書かれている内容に目を走らせる。彼女の顔色が徐々に悪くなっていく様子を、モモコとサヤは無言のまま眺めていた。……その気持ちは、痛いほど分かる。

 記された文章を全て読み終えたペルセフォネは、詰めていた息を大きく吐き出した。思わずといったように片手で顔を覆い、絞り出すように呟く。

「そうか、活動停止……完全に息の根を絶った訳ではない、と……」

「彼女は私達にヨルムンガンドを倒させたがっている様子でしたが……何はともあれ、先ずはご相談すべきと思い報告に参りました」

「……疾く報せてくれた事、感謝する。確かにこれは見過ごせぬ事態だ」

 近衛兵を呼び寄せて文書をどこかへ持っていくよう指示を出し、姫君はそっと天を仰いだ。剥き出しの配管が這う無機質な天井を睨むような目付きで見つめながら、胸に手を当ててゆっくりと呼吸を整える。しばしの間を置き、視線を戻したペルセフォネは硬い声色で告げる。

「実は司令部でも、モリビト達の伝承や各地の霊堂での調査結果を基にヨルムンガンドについて詳しく調べていたところでな。近々報告が上がる予定だったのだが……少し、事を急がせるとしよう」

 二人を真っ直ぐに見つめるペルセフォネの表情は、険しくも凛々しい。視界の端でサヤが僅かに肩を落とした事にモモコは気付かないふりをした。安い演技だ。今更どこへ逃れる事もできないなど、既に分かりきっていただろうに。

「こちらの調査の結果が上がり次第、対策会議を開こう。……それまで、汝らには引き続き霊堂の探索を頼みたい」

 任せたぞ、『スターゲイザー』──よく通る澄んだ鐘の音のような声で告げたペルセフォネの纏う空気は生まれながらの支配者のそれで、二人はただ静かに頭を下げる。

 謎の少女にヨルムンガンドの生存を告げられた時点で、覚悟はできていた。文字通りの乗りかかった船である。少なくともマギニアにいる間は、『スターゲイザー』は"英雄"でなくてはならないのだから。


   ◆


 ヨルムンガンドが生存しているという情報は、当然マギニアのごく一部にしか伝わっていない。何も知らない市民と冒険者で溢れた街は、今日も賑やかに活気づいている。

 エノクはそんな街の片隅で、屋台で買った串焼きを頬張りながらぼんやりと人混みを眺めていた。今日は少年の姿は無い。代わりに隣に立っているのは同じく串焼きを片手に持つヘンリエッタと、緑髪の女剣士──『ウルスラグナ』のニーナである。二人も彼女もそれぞれ買い出しの途中だが、今は休憩中だ。ちょうど小腹が空いていたタイミングで、美味しそうなものを売っている屋台を見付けたためである。

 揚げたての菓子をふうふうと吹いて冷ましながら、ニーナはのんびりと言う。

「やっぱりこの時間は冒険者が多いね。これから迷宮に行くのかな」

「あの感じだと……第十か、地底湖ですかね」

「そうだね。あの辺りは採集場所としても人気あるし」

 何気ない会話を交わしている間にも、目の前を見知らぬ冒険者達が足早に通り過ぎてはどこかへと向かっていく。

 司令部の当初の目的……レムリアの秘宝の捜索が一段落ついた今日この頃であるが、マギニアに集まった冒険者達が暇になったかと聞かれれば実のところそうでもない。むしろ本土への帰還を目前に控えた今こそ最後の稼ぎ時である。各迷宮の採集場所には連日多くの冒険者が詰めかけ──そして時には魔物に襲われて悲惨な目に遭っているという。

「みんな焦ってるんだよ。わざわざここまで来たのに、結局装備やら何やらのせいで損しただけで終わりました……ってなようじゃ格好が付かないもの」

 ニーナがぽつりと呟いた。冷めた揚げ菓子を一口頬張って彼女は快活に笑う。

「ま、あなた達にはあんまり関係ない話かもしれないけどね」

「いやあ、実は関係あったり……無かったり……」

「うちも割と金欠だ。第十四迷宮に入ってから出費がかさんでる」

「あら……『スターゲイザー』もそうなの。私達もこの間入り始めたけど、確かにあの迷宮は手強いよね」

「ニーナさん達も?」

「他の迷宮はだいたい回ったからね。あなた達の後を追いかけるだけになっちゃうけど、入ってない場所があれば行きたくなるじゃない?」

「……まさに冒険者って感じの言い様だな」

「あはは、付き合ってくれる仲間には感謝してもしきれないよ」

 揚げ菓子の最後の一欠片を口に放り込んだニーナは、そこでふと二人を振り返った。

「そういえば、採集で思い出したよ。第十三迷宮の近くの採集場所、あるじゃない?」

「ありますね」

「あそこに行くと誰かに見られてる気がする……って噂があるんだよね」

 エノクとヘンリエッタは顔を見合わせた。採集場所で誰かの視線を感じるというのは確かに穏やかな話ではないが、採集している冒険者とは得てして魔物に狙われやすいものである。わざわざ噂にする程の事だろうか?

 問い返せば、ニーナは何とも言えない表情で頬を掻く。

「それもそうだけど。まあ、気を付けるに越した事はないよ」

「ですね」

 結局のところ、正体の分からないものについては「気を付けよう」という結論しか出せない。摩訶不思議な世界樹の迷宮では何が起こるか分からないのだ。……気を付けても駄目な時は駄目なのだが、そこは時の運と実力にもよる。

「でも、こうしてここまで辿り着けてるんだ。私達にも生き残るに足る力量はちゃんと備わってる……と思いたいね」

 肩を竦めて笑い、ニーナは足下に置いていた荷物一式を抱え上げた。エノクもつられるようにして頭上を見上げる。いつの間にか太陽も随分高い位置に移動してしまっている。

「私、そろそろ行くよ。あなた達はこれから探索?」

「今日は休みだ」

「そっか。じゃ、また会おうね!」

 キレのあるウインクを残して去っていくニーナを手を振って見送り、エノクは残っていた肉を串から引き抜いて咀嚼した。先に食べ終えていたヘンリエッタが溜息混じりに言う。

「怪しい視線か。ヨルムンガンドの件とは関係なさそうだな」

「だね。……でも、一応報告しておく?」

「そうしろ」

 近頃は何かと物騒だ──と気怠げに呟くヘンリエッタに、エノクも頷き返した。第三迷宮を住処としている筈のワイバーンが何故か遠く離れた絶崖ノ岩島で大量に目撃される事件が起こった事は記憶に新しい。それに加え、最近は各地の魔物の様子が少しおかしいような気がする。以前より凶暴になっているというか、何かに警戒している風に見えるというか。

 何にせよ、どんなに些細な情報でも共有しておくに越した事はない。宿に戻ったらモモコにでも伝えておこう……そう心に決めつつ、エノクは手元に残った串を屋台脇のごみ箱に投げ込んだ。


「……いや、だからってどうして急に現地調査をする流れになるんだ!」

 ヘンリエッタがぎゃんと吠える。地図を片手に周囲を警戒していたサヤは、溜息をひとつ吐いて彼女を振り返る。

「別にいいだろ、どうせ暇してたんだし。ていうか某、無理に着いて来なくても良いって言わなかったか?」

「馬鹿言え。万が一魔物と戦闘になった時、治療係がいなかったらどうする」

「お主もそういうとこ真面目だよなあ……」

 呆れた調子のサヤの言葉にふんと鼻を鳴らすヘンリエッタを横目に、エノクとチエリは手近な地面を掘り返して綺麗な鉱石を探していた。調査のついでに金になる素材も集めてしまおうという魂胆である。ちなみにモモコは不在だ。彼女は彼女であちこち駆け回っているようで、サヤが言うには司令部で諸々の報告をした後、今度はミュラーに話をしに行ったそうだ。

 拾い上げた石の中に混じった桜石をしげしげと眺めながら、チエリが口を開く。

「でも今は何の気配も感じないねー」

「そうだな。いや、実は魔物じゃなくてクチナ殿だったりしないかな~と思ってたんだが。第五迷宮の時の不審者騒ぎみたいにさ」

「可能性が否定できないのが嫌だな……」

 サヤがギルドに復帰した第十三迷宮以降、クチナは宿に戻ってくる事が少なくなった。たまにひょっこりと姿を現しては食糧やら道具やらを買い込み、また知らぬ間に出ていくのだが、相変わらず行き先は不明のままだ。何でも、第七迷宮で言っていた『捜しもの』を再び追いかけているという話であるが。

「何捜してるんだろうな。教えて貰ったことあったっけ?」

「さあ……」

 クチナが何を考えて何を目的に行動しているのかは未だによく分からない。これといって害になっている訳でもないため自由にさせていたが、そろそろ本格的に問い詰めてみてもいいかもしれない。

 そんな他愛ない会話を交わしている間にも時間は刻々と過ぎていく。既に採集を始めてから二十分ほど経過していた。もし視線の主が魔物であるならそろそろ襲ってきてもおかしくない頃合いだが、そんな気配はまったく感じられない。わざと音を立てて茂みを漁るなどしてみても結果は同じだった。辺りは至って静かな様子である。

「何も出ないね。どうする?」

「これ以上待っても無駄だろう。さっさと街に……」

「いや、ちょっと待て」

 言葉を遮られたヘンリエッタが顔をしかめるのは軽く流し、神妙な表情を浮かべてサヤは呟く。

「……某、少し辺りを見て回ってくる」

「は?」

「何かあったら呼べ!」

 そう言い残して颯爽と駆け出すサヤを見送り、残された三人は揃って顔を見合わせた。

「……どうしたの急に」

「知らん」

「何か、やけに急いでたね……」

「あいつの考える事はよく分か、……ッ!」

 何かに気付いたヘンリエッタがはっと振り返る。つられるようにして咄嗟に武器へ手を伸ばしたエノクとチエリの耳に届いたのは茂みの中で何かが動く音だった。同時に、木々の隙間に見え隠れする大きな黒い影が目に入る。明らかに質量のあるそれは、草葉を掻き分けながら勢いよくこちらへ向かってきている。

 サヤを呼び戻す暇も無かった。剣を抜くと同時に、木陰から影が飛び出してくる──。

「こんにちはー」

「…………えっ?」

 予想だにしなかった呑気な声に、思わず剣を取り落としかける。チエリが困惑したようにあれっ……と呟くのを聞きながら、エノクはひっくり返った声で現れた人影を呼んだ。

「ヘヴェルさん!?」

「そっちの、誰だ?」

 自身に向けられる驚愕の視線は気にも留めず。身体のあちこちに葉っぱをつけたハイランダーの男は、小首を傾げてそう訊ね返すのだった。

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