【SQX】14-4 災厄の箱
第十四迷宮の攻略も佳境である。妙に息の合った連携を仕掛けてくるパインの群れや寝てない獅子の魔物達と命を懸けた殴り合いを繰り返し、『スターゲイザー』はやっとの思いで迷宮最深部へ辿り着こうとしていた。
「もう一生パイナップルなんて食ってやらん……」
「パイナップルに罪は無いだろ……」
無実のパイナップルに怨みを募らせるヘンリエッタを宥めるサヤもうんざりした顔をしている。一癖も二癖もある魔物ばかりで嫌になる。だが、きっと、恐らく。長かった探索もそろそろ終着点だ。
腰を下ろして休息を取っているこの高台からは、すぐ目の前にある大広間がよく見渡せた。部屋の向こう……迷宮全体を覆う薄暗闇を隔てて聳え立つ、荘厳な空気を纏う大きな扉の姿も、確かに確認できる。
「あそこが迷宮のいちばん奥?」
「まあ、そうだろうな」
エノクが問えば、傍らの少年が応える。
「その気があるなら最深部に来い……って言ってたか。あの幽霊みたいなやつ、何を考えてるか分からんな……」
「それ、きみが言う?」
「でも同じワケ分かんないもの同士なら、あの子よりおばけくんの方が信用できる感じするよねー」
「おいおい俺とあんなのを一緒にするな!」
緊張感の無いやりとりを交わす少年達を横目に、地図を描き終えたモモコが立ち上がって辺りを見回す。ヘンリエッタと熱いパイナップル議論を続けていたサヤもそれに気付いて立ち上がる。
「そろそろ行きます?」
「ええ、あまり時間をかけてもいられませんからね」
「だってよ。じゃれてないで準備しろー」
サヤに急き立てられ、エノク達も慌てて荷物を纏め始める。食べかけの食糧を口に放り込み、装備を整えた五人の頭上で少年がくるりと回った。その手には既に槍が握られている。
「さて、何が待ってるのか……」
どこか張りつめた呟きに応える者はいなかった。誰ともなく一歩を踏み出し、高台を下りて大広間へと向かっていく。
◆
ノワールは非常に困っていた。愛用のコートを着込み、腰に剣を差して準備を整えた彼はこのまま迷宮に出るつもりでいたのだが、今日に限って足止めを食らっているのである。
「いや私も悪いと思ってるよ。でも忙しいんだから仕方ないだろう?」
「どうにかならないのか」
「そう言われても……」
マリアンヌは沈鬱な表情で頭を掻いた。コーヒーの入ったマグカップを片手に仕事机に向かう彼女の頬は、いつもより幾分かやつれているように見える。
「私だってもう少し余裕を持って働きたいんだよ。でも公営の病院が溢れそうだって言うからさあ……」
嫌になるよ、とぼやいてコーヒーをあおる女医の弱々しい姿に、流石に何も言えなくなってしまう。
近ごろ原因不明の体調不良で担ぎ込まれてくる冒険者やら衛兵やら商人やらが異様に多い事はノワールも知っている。原因不明とはいっても大した事はなく、ほとんどの患者は少し休めば良くなるのだが、如何せん数が多い。万が一の可能性も踏まえて隔離に検査に予後検診にと多くの仕事に追われてマギニア各地の病院はてんてこ舞いなのだ。そんな事は承知の上だが、しかし。
「流石にこいつを連れて行くのは……」
と、苦々しく呟いてノワールが見下ろしたのは、自身の足元にじゃれつくマナである。見下ろされている事に気付いた彼女は、むむ!と唇を尖らせて抗議する。
「マナもいくの」
「危険だから駄目だといつも言っているだろう」
「いーくーのー!」
ノワールは声を上げて腰に抱きついてくるマナを引き剥がそうとしたが、少女の腕が予想外に力強かったために断念した。子供という生き物は、こうなるとたいへん頑なである。脇に積んでいたカルテを捲りながらマリアンヌが言う。
「頼むよノワール。今日はジョゼフも往診に出なきゃいけないし、マナを見てる余裕が無いんだ。食事だって用意できるか分からないんだよ」
「だが」
「……ていうか採集なんか出ないでこっちを手伝ってくれよ! 何を採りに行くんだこんな時に!」
「いや……クラントロの納品依頼が……」
「あーっ品薄だもんね! 畜生!」
盛大に机に突っ伏したマリアンヌの頭をマナがよしよしと撫でる。気まずい表情を浮かべていたノワールは、いよいよ覚悟を決めた様子でひとつ息を吐いた。
「ああ分かった分かった。マナは連れていくし、昼には戻って手伝う。それで良いんだろう」
「あーはいはいそれで良いよ。……クラントロなら第二の辺りだろう? 採集場所の近くには衛兵隊も常駐してるし、あまり心配しすぎるなよ」
「…………」
沈黙するノワールの傍らで、マナが嬉しげにぴょんぴょんと跳ねる。
「ノワールとおでかけ!」
「気を付けて行っておいで。鞄にお菓子と糸入れておこうね」
「はあい」
お気に入りのポシェットを掲げるマナと、どこからか菓子やらアリアドネの糸やら薬の小瓶やらを取り出すマリアンヌを横目に、ノワールはついに頭を抱える。採集をピクニックな何かだと思われては困るのだが、そこの所を分かっているのだろうか。
痛いほど寄った眉間をシワを揉みほぐしつつノワールはもう一度大きな溜息を吐く。彼はきゃいきゃいと楽しそうな女子共の声を聞きながら、行きがけに獣避けの鈴を買い足しておこうと固く決意した。
第二迷宮周辺に冒険者の姿は少ない。ここらで採れる素材は需要こそ高いが単価が安く、一気に稼ぐには向いていないのだ。本気で金が欲しいならもっと先の迷宮で採集をするか強力な魔物を倒して素材を剥ぐ方が効率が良い。ノワールが敢えてこの近辺を採集場所として選んでいるのは、ひとえに魔物の襲撃というリスクを避けたいがためだ。ギルドに入らず、一人で行動している彼にとって、魔物との遭遇は最も回避すべき事態である。
その点、迷宮の外にある採集場所は安全で良い。採れる量こそ少ないが、魔物に襲われる危険は少なく、衛兵による監視までついている。至れり尽くせりの環境だ。……今日はその監視の目が痛いのだが。
「へいたいさん、ノワールのことみてたねー」
「だろうな……」
人拐いか何かと勘違いされていない事を祈りながら、少女の手を引いて採集場所へ向かう。森の一角、開けた場所に広がる茂みの中に、目当てのものは点々と生えていた。腰を下ろして手袋を嵌め直すノワールの肩にマナがぴょんと抱きつく。
「おはなつむの?」
「お前は触るなよ、かぶれるかも知れん」
「マナもおはなほしい」
「……少し待っていろ」
奥まった場所に咲いていた花──碧照ノ樹海周辺でよく見られる、毒のない桃色の花だ──を摘んで手渡してやれば、マナは機嫌よさげに笑ってノワールの隣に座った。どうやら今のところ勝手に動き回ろうという気は無いらしい。
周囲の様子は至って穏やかだ。度々現れては採集場所を荒らしていくという子連れの魔物がいる気配も無い。小鳥のさえずりと背後の衛兵達の微かな話し声を聞きながら、他の草花に紛れたクラントロを選んで刈り取っていく。この調子ならば依頼された分はすぐに集まるだろう。
「予定より早く帰れるぞ」
「じゃあ、ノワールとおさんぽする」
「マリアンヌの奴が早く戻れと……いや、良いか。散歩くらいは許されるだろう」
ノワールの言葉に、マナはやったあと喜びの声を上げた。鈴を転がすような明るい声だ。丸い横顔にちらりと視線を投げながら、彼は思わず訊ねた。
「楽しいか」
「?」
「ここで暮らすのは、楽しいか」
マナは青い左目を二度、三度と瞬かせ、やがてうんと頷く。
「あのねー、だってみんなあそんでくれるから。かくれんぼするし、おかしたべるし、スリケンもつくるの。マナたのしいよ」
「なら、マリアンヌや『スターゲイザー』の事は好きか」
「すきー」
続く質問に答えた声にも躊躇いは無い。それならば、と三たび口を開こうとしたところで、でもね、という声がノワールを遮った。柔らかな桃色の花弁をくるくると弄びながら、何でもない事のようにマナは言う。
「マナはノワールがいちばんすき」
「……、……そうか」
沈黙が下りる。いつの間にか止まっていた手を再び動かしてノワールは採集を続ける。マナが不思議そうに視線を向けてくるのを感じたが、ノワールはそれに応えなかった。
そろそろ潮時かもしれない。まだ発見もされていない、未開の地の亜人の子だからと人目を避けて世話をしてきたが、そろそろ良いだろう。信頼できる相手も随分と増えた。このまま当てもなく各地を転々とするより、誰かに預けてどこか平和な場所に連れていって貰う方が、……。
「ノワール」
思索に耽る彼の袖を小さな手が引く。は、と我に返って傍らのマナを見てみれば、彼女はしきりに辺りを見回しながら呟いた。
「へいたいさんいなくなっちゃった」
「……何?」
背後を振り返る。……先程まで監視役の衛兵が二人座っていた筈の場所には、誰もいない。ノワールはマナにクラントロを詰めた籠を押し付けると、素早く彼女を茂みの奥へ追いやった。腰に結んでいた獣避けの鈴を渡しながら小声で告げる。
「私が良いと言うまでここでじっとしていろ。何かあったら大きな声を出せ。できるな?」
頷いた少女の頭をひとつ撫でて立ち上がる。衛兵がいた場所まではそう遠くない。様子を見に行っても、何かあればすぐに戻る事ができる。呼吸を整え、ゆっくりと足を踏み出す。
結論から言えば、衛兵達はすぐ近くにいた。椅子代わりに使われていた切り株の後ろに、二人の姿はあった。しかしぐったりと横たわる彼らが意識を失っている事は明白で、ノワールはすぐさま腰の剣に手をかけて周囲を警戒する。魔物の襲撃……いや、待て、この辺りには睡眠毒を使う魔物などいない筈だ。それならば、まさか!
ひゅ、と風を切る鋭い音が耳に届いたのは、咄嗟に身を翻した後だった。左の腿に焼けるような痛み。だが直撃は免れた。懐から投刃を取り出し、振り返りざまに投擲する。真っ直ぐに飛んでいった刃を弾いたのは、無機質な光を湛えた鋼の防壁だ。
傷付いた星術器の羽越しに、嫌というほど聞き慣れた声がする。
「よくもまあ、のこのこと現れてくれたものだ……」
ノワールは剣を抜き放った。視線は逸らさないまま、意識を自身の背後へ向ける。どうか出てくるな、声を上げるな、そのまま隠れていてくれと念じながら。
「あれ(・・)も近くに居るんだろう。今すぐ差し出せ……と言って聞くようなら、初めからこんな事にはなっていないが」
「御託は良い。何故貴様がここに居る、ネロ」
そう言えば、男は顔を──ノワールと瓜二つの顔を歪めて、くつくつと笑う。
「何故、などと訊かれてもな。私がどういった手段でレムリアまで来たか、懇切丁寧に教えてほしいとでも? 問題はそこではないだろう。ノワール、お前はいつもそうやって事を見誤る」
「…………」
「無駄だとは思うが、私も一応訊いておこう。あれをどこへ隠した?」
自身と同じ声で紡がれた問いに、ノワールは放つ刃で答えた。飛び退いたネロの濃紫のコートの裾を投刃が裂く。ネロは僅かに目を細めて左手を掲げた。掌を貫くように灯った光がちかちかと明滅し、空気が肌を刺すように張りつめる。
瞬間、辺り一面を氷の柱が覆う。ノワールは足下から突き出た氷塊を避けながら、ほぼ無意識に背後を……茂みに隠れているマナの安否を確かめた。ほんの一秒、目の前の相手から注意が逸れる。視界の端で銀の刃がひらめいたのを、彼は見逃した。
鋭い痛みが脇腹に突き刺さる。
「が、っ……!」
「……言っただろう。だからお前は事を見誤るのだ」
投刃の食い込んだ腹を押さえてよろめくノワールを蹴り倒し、ネロは再び星術を発動させる。起き上がろうとした脚を氷で固定されたノワールは、唇を噛んで荒い息を圧し殺すしかできない。彼が取り落とした剣は既にネロの手の内にある。
「命まで奪うつもりは無い」
よく通る声でネロは言う。
「いくら反りが合わずとも、私とお前は間違いなく双子の兄弟だ。できるなら穏便に済ませたかった……だが、そうも強情を張るならば、どうしようも無い。……これが最終通告だ。小娘を渡せ」
ノワールは答えない。指の隙間を伝った血の滴が氷に覆われた地面に赤を落とす。いくら待っても返事がない事を悟ったネロはひとつ目を伏せて息を吐き出すと、右手に握った剣を構え直した。振り上げた切っ先が、俯いたノワールの首筋に触れる──。
「──ノワールをいじめないで!」
ノワールの喉が、ひゅ、と鳴る。ネロは剣を下ろすとゆっくりとそちらへ視線をやった。
茂みから飛び出して駆けてきたらしい、荒く息を吐く少女の肩は震えていた。千切れかけた花ごとワンピースの裾を握り込み、マナはもう一度、消え入りそうな声で言う。
「……いじめないで……」
ネロの瞳がすっと細まる。怯えたように身を縮めるマナに彼は淡々と応えた。
「それはお前次第だ。どうすれば良いか分かるな、パンドラ(・・・・)」
「ッ、待て……っ」
「ついてく……ハカセといっしょにいく……」
「やめろ……マナ!」
「……よろしい。こちらへ来なさい」
ぐすん、と鼻を鳴らしながらマナはネロの元へと近付いていく。投刃を取り出そうとしたノワールだったが、薄い刃は指からこぼれ落ちて転がった。身体に力が入らない。意識が急激に遠くなる。困惑の中、ふと漂ってくる奇妙な臭いを嗅ぎ取り、そこでようやく彼はこの眠気の原因が睡眠の香である事に気付いた。
ノワールの頭が力を失ってがくりと落ちるのを見下ろしながら、ネロは呟く。
「守ろうとしたものに逆に守られるなど、情けない。結局お前は何も変わっていない。何も成せない、半端者のままだ」
「──、…………」
「二度と私の邪魔をするな。……そのまま這いつくばって生きろ」
応えようとしたが、舌も唇も鉛のように重く、言葉は吐息に変わって虚しく宙に溶けた。狭くなる視界の中でネロはマナの手首を掴んでどこかへと立ち去っていく。引きずられるようにして歩くマナが、自分を呼びながらこちらに手を伸ばしてくるのが見える。
待て、行くな、…………。
動かない指先でその手を掴もうともがく感覚だけを残して、意識は闇に落ちる。氷に囲まれて倒れ伏す彼の傍らに、無惨に潰れた桃色の花だけが落ちていた。
0コメント