【SQ5】1 スタートライン
そのヨチヨチと歩く生物は、どこからどう見てもドングリであった。大人のブラニーが何とか抱え上げられる程度の大きさのそれに、マリウスは盾越しに重砲を構えて狙いをつける。
一瞬の間を置いて放たれた弾丸は、ドングリの眉間とおぼしき部分に見事命中した。その場でコロリと転がるドングリにすかさず飛び出したエールが駆け寄っていく。しばし足をばたつかせてもがいていたドングリが動きを止めた事を確認すると、エールは両腕を掲げてマル印を作った。それを合図にマリウスの盾に隠れていたエスメラルダも彼女の元へ近づいていく。残されたマリウスはふうと息を吐いて銃を下ろし、盾に括ったベルトを肩にかけ直すと辺りを見回した。
ここは世界樹の迷宮第一層──鎮守ノ樹海と呼ばれる森の、もっとも浅いエリアだ。既に衛兵隊による開拓がなされたこの場所は至って平和そのもので、生息する魔物も先程倒したお化けドングリのような非好戦的で簡単に討伐できる種ばかりである。先達の冒険者からしてみればこの場所は本当の「世界樹」ではなく、ピクニックに適した自然公園のようなものだそうだが……まあとにかく、一応樹海は樹海だ。
少し離れた場所を他の冒険者たちが歩いていく気配がする。恐らくフロアの奥、水場を越えた先へ向かうのだろう。本当の事を言うとマリウスたちの目的地もそこにあるのだが……今の彼らにはそれができない理由があった。
「……あ! こうですね。取れました!」
ドングリの死骸の傍に座り込んでごそごそやっていたエールが一声叫ぶ。彼女が満面の笑みで持ち上げたのは、割れて中身が見えるようになったドングリの胴体だ。
「七エン、ゲットです!」
……そう、三人が先へ進めない理由のひとつが、圧倒的な資金不足なのである。
◆
エール、マリウス、エスメラルダの三人がギルド『カレイドスコープ』を結成してから既に五日が経っていた。五日──他のギルドであれば評議会から発令されるミッションをクリアし、正式なギルドとして認可されていてもおかしくない頃合いだ。しかし『カレイドスコープ』に関してはそう簡単にはいかない理由がいくつかある。
一つ目は既に述べた資金不足。正確には、探索を進めるに足る防具を揃えるだけの貯蓄が無い、といったところか。食費や宿泊費は賄えているがそれだけではいつまで経っても先には進めない。
二つ目の理由はより深刻だ。メンバー不足である。冒険者ギルドでは冒険者たちに「五人パーティー」を組んで探索するよう推奨している。理由は諸説あるが、どうもアイオリスには世界樹の迷宮には探索を行うのにもっとも適した人数は五人である、という不文律が存在しているらしい。もちろん手練の冒険者であればその限りではないだろうが、今ここにいる三人は手練でも何でもない新米冒険者だ。
「やっぱり都合良く入ってくれる人はいませんよね……」
エスメラルダが溜息を吐く。その右隣ではエールがむむむと唸って眉間にシワを寄せ、左隣ではマリウスが困り果てたような面持ちで手元のペンを弄んでいた。
宿屋の狭い客室で三人膝を突き合わせて話すのにもそろそろ慣れてきた頃合いだ。当初は男女が同じ部屋で寝泊まりするのはどうなんだと散々揉めたが、今のところ間違いは起きていないし、何より当のエールはケロリとしたものであるため、そのままひとつの部屋で過ごす日々が続いている。
眉間を揉みほぐしながらエールが呟く。
「酒場でも冒険者ギルドでも声かけはしてるんですけどね。何が良くないんでしょうか」
「考える事は皆同じだからな……」
人の集まる場所でのギルドメンバー募集は、それこそ人手を求めているギルドならばどこでもやっているような事だ。どこでもやっているからこそ、そう簡単に望むような結果は得られない。優秀なフリーの人材は引く手あまたであるし、そもそも冒険者側にもギルドを選ぶ権利はある。既にそれなりの実績を残しているギルドならばともかく、無名のひよっこ冒険者三人組の元へわざわざ来てくれるような奇特な冒険者などいないのだ。
人手が増えればその分必要経費も増えるが、それ以上により余裕を持って探索できるようになる。安定して魔物を倒せるようになり、迷宮の奥へも行けるようになれば自然と収入も増えるだろう。少なくともそちらの方が、今の二進も三進もいかない状況よりは遥かに良い。
「困りましたね。もっと呼び込みをかけてみますか? ほら、大通りに立って大きな声で宣伝するとか!」
「そういう勧誘は禁じられているそうだ。なんでも少し前にその手のギルドで通りが埋め尽くされて大変な事になったとかで」
「あう……」
「いちばん手っ取り早いのはお金で人を雇うっていう手なんですけど、僕らの資金力じゃね……」
「……まあ、それは本当の最終手段という事にしよう」
嘆息混じりにそう言い、マリウスは膝に乗せていた帳簿を開く。几帳面な文字と数字が並んだそれにすらすらと新たな行を書き足し、彼は神妙な声色でその内容を読み上げた。
「今日の収入、一五〇エン」
「たくさんドングリ倒しましたもんね!」
「今日の支出、一三五エン」
「じゅ、一五エンしか手元に残ってない……」
「貯蓄はともかく無事に街へ帰ってこれて、衣食住にも困窮していないという事実に感謝しないとな。……明日はもう少し先まで行ってみようか。新しい採掘場所が見つかれば、もう少し収入も増えるだろうし」
「はい! 探索再開ですね!」
明るい声でそう応えるエールに男性陣は苦笑いを浮かべる。確かに行った事のない場所へ行くのだから探索と言えなくもないだろうが、それにしたってあまりにも規模が小さい。
鎮守ノ樹海は豊かな水を湛えた森だ。至る所から滲み出る湧き水はこの場所に棲む魔物や動物、そして冒険者たちの喉を潤す恵みの雫であるが、その恵みが敵となる事も、ままある。
「……で、お前たちもあの泥濘にまんまと引っかかったという訳か」
釣り竿とバケツを抱えた鎧姿の男の問いかけに、三人は沈んだ表情で頷く。
迷宮の奥……ミッションを達成するために必要な品があるという地点へ向かうためには、湧き水でぬかるんだ地点を通過する必要があった。そろそろドングリ狩りにも限界が来ようとしていた頃であるし、どうせ後々行かねばならない道だという事で、今日の『カレイドスコープ』は初めてその泥道を通ろうとしていた。自分たち以外のギルドも必ず通る道である。頭から転んで全身泥だらけになっている冒険者を何度も見た。彼らの二の舞にならないように、枝を杖にしながら慎重に進んでいた一行だったが。
「すみません……わたしが滑ったせいで、マリウスさんまで……」
「いや、良いんだ……怪我が無くて良かったよ」
と言いつつも、マリウスの手はマントにべったりとこびりついた泥を拭っている。泥に足を取られてバランスを崩したエールがすぐ前にいたマリウスの服を咄嗟に掴んでしまったのも、踏ん張りきれなかったマリウスごとそのまま転んでしまったのも、不幸な事故だが……だからといって簡単に無かった事にできる訳でもない。
しょぼくれるエールを見て鎧の男──冒険者ギルドの長・エドガーは喉の奥でくつくつと笑う。
「それもまた新人冒険者への洗礼だ。今日はもう街へ戻るのか」
「はい。僕は大丈夫ですけど、二人は泥だらけのままで探索するのは難しいと思って」
比較的綺麗なままのエスメラルダがそう答えれば、エドガーはうむと深く頷く。
「賢明な判断だ。ただの泥とはいえ、鎧や武器がそうも汚れていては戦闘時に思わぬ弊害を招きかねん。しっかり装備の手入れをして出直すがいい」
「はい……」
「しかし、お前たちはまだ三人で探索しているのだな」
エドガーの遠慮ない一言に、三人は揃って黙り込む。あまりにも情けない新人たちの様子を見たギルド長はふうむと唸ると鎧の顎部分に手をあて、しばし考えだした。なにかお叱りの言葉でも飛んでくるのかとビクビクしていたひよっこ達に彼は静かな声で告げる。
「勧誘がうまくいっていないのであれば、私が心当たりのある者を紹介しても良いが」
「えっ!?」
「ちょうど、入れるギルドが無くて困っていた新人がいてな。無論、実際に仲間にするかどうかはお前たちが決めて構わないが……どうだ?」
三人は一度顔を見合わせ、すぐさまエドガーに向き直って答える。
「お願いします!!」
「お、おお……威勢が良いな。ではそのようにしよう。また夕方にでもギルドに顔を出すといい」
私はこの通り、これから用があるのでな──そう言ってエドガーは片手に握っていた釣り竿を掲げる。……ついつい見逃していたが、いったいどうして釣り人のそれにしか見えない装備で樹海にやって来ているのだろう。三人を代表してエスメラルダが問いかければ、エドガーはあっけらかんと答える。
「決まっているだろう。釣りをするためだ」
あ、はい、そうですか……。
街へ帰還し、泥まみれになった装備を丸洗いし終えた頃には既に時刻は昼下がりになっていた。普段なら『カレイドスコープ』も一般的な冒険者と同じように探索に出ている時間帯であるが、今日に限ってはそうもいかない。今から樹海に入ってしまうとエドガーとの約束の時間帯に間に合わなくなってしまうし、何より装備はまだ生乾きだ。そういう訳で、三人は時間潰しも兼ねて改めてアイオリスの街並みを見て回る事にした。
冒険者として活動していると、どうしても街での行動範囲というのは限られてしまいがちである。評議会と冒険者ギルドがある中心部や宿屋や酒場のある区画、それから冒険者向けの商品を扱う店が集まる大市。それ以外は元からアイオリスで暮らしていた住民たちが多く行きかうエリアであり、冒険者たちの生活エリアとはある程度の棲み分けが行われているのだ。
とはいえアイオリスの住人にも冒険者として活動している者は数多くいるし、冒険者が居住エリアに入ってはいけないという決まりも無い。武具を外して普段の装いになった今、観光がてらぶらついてみても文句は言われない筈だ。
いつも歩いている通りと比べると、周囲の空気は静かで穏やかだ。小さな雑貨屋の店先を覗き込みながらエールがしみじみと呟く。
「なんだかどこを見ても新鮮ですね。ここに並んでいる織物はどこのものでしょう?」
「クリュセの平原地帯に住んでいるブラニーたちの伝統的な毛織物だな。ここ数十年でほとんど土産物みたいな扱いになってしまったらしいが」
「マリウスさん、お詳しいですね!」
「ああ……知り合いのブラニーにクリュセ出身の人がいて……」
と、そこでマリウスはふと言葉を切り、エールとエスメラルダを体で隠すようにして道路側へ移動した。庇われる形になった二人が何事かとマリウス越しに通りの向こうを窺ってみれば、何やら騒がしい集団がこちらへ歩いてくるのが見えた。無駄に大きな声、赤ら顔、千鳥足……どこからどう見ても酔っぱらいである。
エールもエスメラルダも、その姿を認めるなり慌ててマリウスの陰に隠れて気配を殺した。マリウスも目の前の雑貨屋のショーウインドウをじっと眺め、極力酔っぱらいたちに意識を向けないようにする。ああいった手合いに絡まれるのは面倒だ。厄介事を避けるためには、あちらから興味を持たれないよう祈りつつ無視するのが最善手である。
酔っぱらい──町人らしき服を着た若いアースランの男たち四人は、いったい何が楽しいのかゲラゲラと大笑いしながら三人の背後を通り過ぎていく。幸い彼らがこちらに関心を持つ事は無かったようだ。ほっと息を吐いたのも束の間、マリウスの脚越しに酔っぱらいたちの背中を見ていたエスメラルダが小さく声を上げる。
同時に、ろくに周りも見ずに歩いていた酔っぱらいたちの一人が、進行方向に立っていた何かにぶつかった。少女である。ルナリア族らしき細身の少女は男にぶつかられた衝撃で路面に膝をつく。しかし酔っぱらいたちは彼女の存在に気付いた様子は無く、そのまま歩いて通りの向こうへ行ってしまった。
顔をしかめた他の二人が何か言葉を発するより先にエスメラルダが駆けだした。彼は素早く少女の傍へ近寄ると、緩慢な動作で身を起こそうとしていた彼女を支える。
「大丈夫ですか?」
「……、…………」
「あ、ここ擦りむいてますね。手当するので、動かないで」
懐から薬の入った小瓶と絆創膏を取り出し、慣れた手つきで手当てを始めるエスメラルダを、少女は黙り込んだまま不思議そうに眺めていた。遅れて追いついたマリウスとエールは静かに二人を見守る。幸い、少女の怪我は膝の擦りむき傷だけであるようだ。それより不安なのは、されるがまま手当てされている彼女のぼんやりとした様子だ。時折エスメラルダを見たり二人を見上げたりはしているため状況が理解できていない訳ではなさそうだが、それにしてもこうも反応が無いと心配になってくる。
少女の様子を気にしつつもあっという間に手当てを終わらせ、エスメラルダは彼女に向き直る。
「はい、これで大丈夫。他に痛いところはありませんか?」
少女は顔を上げてエスメラルダを見た。彼女は暫し不思議そうに眼を瞬かせていたが、やがて小さく頷いた。エスメラルダはほっと微笑んで立ち上がる。
「気をつけてくださいね。ああいう人たちに絡まれると、怖いですから」
「…………」
もう一度頷いた少女が立ち上がったのを見届け、エスメラルダはマリウスとエールを振り返る。そろそろエドガーとの約束にちょうど良い時間帯だ。
軽い会釈を残して立ち去っていく三人の後ろ姿を、少女は道端に立ち尽くしたままじっと見つめていた。
冒険者ギルドはアイオリス市街の中央、評議会の建物にほど近い場所にある。新たにギルドを設立したり、登録冒険者の管理をしたり、はたまたギルドを解散したりの手続きを行う冒険者たちが常に行き交うこの場所に、『カレイドスコープ』は緊張した面持ちで足を踏み入れた。入口を抜けてすぐ、各種手続きの案内を行う長机の方へと歩いていけば、向こう側で職員と立ち話をしていたエドガーがこちらに気付いて振り返る。
「待っていたぞ。早速、件の冒険者を紹介しよう」
着いてこい、とエドガーは建物の奥へと歩いていく。促されるまま進んだ先はいわゆる事務室や応接室が並ぶ廊下だ。普段は立ち入る事のない区域を物珍しげに見回しながら歩く『カレイドスコープ』に、先を行くエドガーは静かに告げる。
「先に言った通り、紹介した者を実際にギルドに入れるかどうかはお前たちの判断に任せる。だが今回は偶然心当たりがあっただけで、次のアテは無いという事だけは覚えておけ」
「承知しました!」
「でも、ほとんど決まったようなものだと思います。僕らの力じゃ勧誘も限界なので……」
「そうか……まあ、こちらとしてもそちらの方が助かりはするが」
なかなか手のかかる新人でな、と呟くエドガーの声は普段より幾分か疲れているように聞こえる。最後尾を歩いていたマリウスはその声色を聞いていったいどんな冒険者を紹介されるのかと不安になったが、今更そんな事を言い出すわけにもいかない。
エドガーは廊下の半ばで足を止め、三人を振り返った。彼がそっと指し示す先には重厚な佇まいの扉がある。
「この部屋だ。……入るぞ」
その言葉は三人ではなく、中で待っているらしい何者かに対する声かけだった。エドガーが躊躇のない手つきで扉を開いた瞬間、盛大な物音が響く。
何事かと室内を覗き込んでみれば、どうやらそこは応接間か何かのようだった。シンプルながらもそれなりにお高そうなソファとローテーブルが置かれた部屋の中には、ひとりの青年がいる。その頭の上でぺたりと伏せた獣の耳は紛れもなくセリアン族のものだ。そしてその足下に散らばるティーカップの欠片と、床に広がる紅茶の海。……何が起きたのかは明白だった。
ソファに腰かけ、手を妙な形で宙に浮かせたまま青い顔で固まっていたセリアンの青年は、扉の向こうから現れたエドガーたちをゆっくり振り返ると小刻みに震えながら言う。
「す、す、すみませ……お、お茶」
「あー……少し待て。人を呼んでこよう。勝手に片づけたりするんじゃないぞ」
至って冷静な声で言い、エドガーは素早く踵を返して元来た道を駆け戻っていく。床に広がる事故の痕跡とこの世の終わりのような顔をした青年と共にその場に残された『カレイドスコープ』は気まずい空気の中、視線を交わし合った。
この青年がエドガーの言う「手のかかる新人」である事は十中八九間違いない。そしてこの状況を見る限り、「手のかかる」と言われていた理由も何となく分かるというものだ。少なくともマリウスとエスメラルダはそう思った。いったいどうしたものかと戸惑う彼らの目の前で、しばし俯いて何事か考えこんでいたエールが唐突に動き出す。
エールは淀みない足取りでソファへ歩み寄っていくと、そっと身を屈めて青年の顔を覗き込んだ。はっと顔を上げる青年に彼女は笑顔で声をかける。
「はじめまして! わたしはエールといいます。あなたのお名前をお聞きしても?」
「え、あ……お、俺は……ケイナ。その……ごめんなさい……」
「どうして謝るんですか!? あの、ケイナさんはわたしたちのギルドに入ってくださるんですよね」
その言葉にケイナはますます俯いて黙り込んだ。エールは背後の二人を振り返る。エスメラルダもまた少女の視線を受け流すように隣を見やり、二人分の視線を一身に受けたマリウスは困り果てた面持ちで頭を掻いた。助けを求められても困るが、流石にここは年長者として何かしら行動しなければならない場面だろう。ひとまず話題を見つけるためケイナを観察したマリウスは、彼の傍らに置いてあったある物に目を留めた。
「ええと、君は刀使いか。セリアンの刀使いだから……マスラオと呼ばれている職業かな」
「あ、聞いた事あります。山都の伝統的な剣術を使うんですよね」
エスメラルダの助け舟にも、ケイナは項垂れたまま小さく頷くばかりだ。三人はそっと目配せし合う。これはもう、二進も三進もいかない。
しばしの沈黙の後、初めに口を開いたのもやはりマリウスだった。今度は先程よりも幾分か真剣な口調でケイナへ語りかける。
「さっきエールが言った通り、私たちはギルドに入ってくれる新人を紹介してもらうために来たんだが……それは君の事で間違いない……よな?」
「そ、それは……」
青年の耳がぴくりと震え、そして再び力無く伏せる。エールがそっと身を屈めて彼の顔を覗き込んだ。長く垂れた黒髪に阻まれて見えづらかったが、ケイナの瞳は左右でまったく違う色味をしている。鮮やかな赤と青がぎこちなく宙を彷徨った。しばし口をもごもごとさせ、ケイナはようやくまともに喋りだす。
「俺……その……冒険者になりたくて……」
「入れるギルドを探してたんですか?」
「う……ん。でも俺、人と話すの苦手……だし、街に出てくるのも初めてだし、……不器用だし、ドジだし」
そう言いながら、彼は足下に転がるカップの欠片を見つめる。
「せっかく紹介してもらったのに……こんな事……ギルド長にも迷惑かけて……やっぱり俺は駄目なんだ……」
言葉の端に徐々に絶望が滲んでいく。すぐ近くで話を聞いていたエールがたまらずといった表情で床にひざまずき、膝の上で固く握りしめられていたケイナの手に自らの手を重ねた。
「大丈夫です! 不器用でもドジでも何とかなりますよ! かく言うわたしも無一文で行き倒れていたところをマリウスさんに助けていただきました」
「え、ええ……?」
エールが何故か胸を張りながら背後のマリウスを指し示せば、ケイナは困惑したようにそちらを見る。明らかな戸惑いとほんの少しの「ドン引き」が混ざった視線を受け止めたマリウスは形容しがたい微笑みを浮かべる事しかできなかった。
二人の無言のやり取りに気付いているのかいないのか、にっこりと明るく笑ってエールは続ける。
「でもわたし、絶対に世界樹の迷宮に行きたいと思ってここまで来たんです。ケイナさんもそうですよね? 街に出るのは初めてとおっしゃっていたので」
「そう、だけど……」
「なら大丈夫です! 一緒に冒険しませんか? たとえドジをしても、わたしがお助けしますから」
エールの言葉に陰りは無い。ケイナは彼女とその背後に立つ二人とを忙しなく交互に見て、やがてごくごく小さな動きで頷いた。エールはマリウスとエスメラルダを振り返ってぐっと親指を立てる。「ギルドメンバー、ゲットです!」とでも言いたげな輝くばかりの笑顔に男二人は閉口する。いや、まあ、新しい仲間ができるのは確かに良い事なのだが、本当にそれでいいのか。
エスメラルダがちょいちょいとマリウスにしゃがむよう促し、小さな声で耳打ちする。
「僕、何かあってもフォローできませんけど……」
「ああ……うーん……どうしようかな……」
「戻ったぞ。どうやら話は纏まったようだな」
マリウスが答えあぐねている間にさりげなくエドガーが戻ってくる。連れてきた職員が手早くカップの破片を回収し紅茶を拭き取っている間、彼は若者たちを見回すと満足げに頷く。
「これで私の気がかりもひとつ減ったというものだ。……ケイナよ」
呼びかけられた青年の方が跳ねる。エドガーは腕を組み、僅かな感慨の滲む声で続ける。
「お前が冒険者ギルドにやって来て、登録ついでに机を盛大に破壊してから一か月だな」
耳を澄ませていたエスメラルダの頬がひきつる。机というと受付に置いてある、書類を書くための大机しか思い浮かばないが、果たしてあの分厚い重量感のある机をどのように破壊したのか。彼の表情の変化をよそに、寛大なギルド長は大型新人に檄を飛ばす。
「初めはとんだ新人が現れたものだと思ったが、ようやく腰を落ち着けて活動できそうだな。これからの活躍に期待しているぞ。壊した机やカップの事はあまり気にするな」
「は、はい……すみません……」
「さて『カレイドスコープ』よ。これでギルドメンバーも十分に揃ったな」
と、そう告げたエドガーの言葉に三人は顔を見合わせる。ケイナの加入が決まったとはいえ、まだギルドの人数は四人だ。推奨されている五人にはひとり足りない。そう応えればエドガーは不思議そうに首を傾げた。
「何を言っている? そこにいるだろう、もう一人」
と、エドガーが篭手に包まれた指先で指さした先を、三人は揃って振り返る。
そこには少女がいた。
見覚えのある──具体的に言えば、つい先ほど路上で助けた覚えのある、ルナリアの少女だ。
「……え?」
「初めからついてきていたからそちらも新人なのかと思ったが……違うのか?」
「……ええ……?」
ケイナとエドガーが顔を見合わせる。困惑して言葉も出ない『カレイドスコープ』を見て少女はぱちりと目を瞬かせ、そして心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
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