【SQ5】2 前途、多難たるべし
「それはどうも、うちの子がご迷惑を……」
と、そう言って頭を下げたルナリアの男に、ちょうど彼の真正面に座っていたマリウスは「はあ」だの「いえ」だのはっきりとしない相槌を返す。
大通りから路地を二本抜けた先、あまり人通りの無い細い道路に面した場所にその店はあった。店と言っても果たして何を扱っている店なのかはよく分からない。ただ一見すると普通の民家に見えるその建物の玄関先には「葬儀屋」と書かれている。『カレイドスコープ』が通された一室にも造りかけの棺らしき物体や何かの儀式に使用されそうな得体の知れない物体が放置されており、辺りには寄り付きがたい雰囲気が漂っていた。
男は自らをミーシャと名乗った。この店の主であるらしい彼は、ゆっくりと頭を上げると困った表情を浮かべて冒険者たちに向き直る。
「いや、こんな事は今まで無かったんだが……世界樹に興味があるなんて聞いた事もないし」
「でもご本人はわたしたちのギルドに入るつもりみたいですけれど」
エールが言いながら示したのは、自身が座るソファの隣に腰を下ろしたルナリアの少女だ。彼女はぐったりとしたエスメラルダを膝の上に乗せて、機嫌よさげに脚をぶらつかせている。
少女の名はリズという。彼女こそ路上で転んだところをエスメラルダが治療した少女その人であり、かつ知らぬ間に冒険者ギルドまでついてきていたギルド加入希望者……らしいのだが。
冒険者ギルドでリズの存在に気付いた後、『カレイドスコープ』はすぐに彼女にいくつも質問を投げかけた。冒険者だったのか、どうしてギルドに入りたいのか、そもそもどこの誰なのか……など。しかしいくら訊いても明瞭な答えは返ってこず、聞き出せたのは名前とアイオリスの住民であるという事くらいだった。どうしたものかと途方に暮れる一行を、リズは唐突にどこかへ連れて行こうとした。一行は困惑しつつもそれに従い、そうして辿り着いたのがこの「葬儀屋」だ。
ミーシャはうーんと唸って頭を掻き、三人――ケイナはひとまず今日のところは宿に帰した。また明日から合流して探索を始める予定である――をじっくり眺めながら言う。
「初対面の相手にこんな事する子じゃないんだがなあ。あんたら一体なにしたんだ?」
「何……と言われましても」
「ケガ治してくれたの」
と、唐突に口を開いたリズに、その場にいる全員の視線が集まる。彼女は膝の上のエスメラルダを――彼の口からグエエという悲鳴じみた呻きが漏れるのも気にせず――強く抱きしめ、屈託なく笑う。
「だから、だいすき」
「……、……そうか……」
溜息混じりにそう呟いたミーシャの表情が僅かに歪んだのを、一足早くリズから視線を外していたマリウスだけが見た。一瞬の陰りに疑問を挟む余地もなく、ミーシャは元の困り顔に戻って正面のマリウスとエールに向き直る。
「まあ、俺は構わないんだ。リズがどうしても冒険者やりたいって言うならな。だからその、申し訳ないが本当にギルドに入れるのかはあんたらと本人で話し合って決めてくれ」
「……どうする?」
「わたしは良いと思います! これも何かのご縁ですし」
エールがぽんと手を打ち合わせて明るく言う。きらきらした瞳でこちらを見てくる彼女とその向こうでやったーと両手を挙げて喜ぶリズとを見て、隣に座っていたマリウスは神妙な表情を浮かべる。そういえば、エールは冒険者ギルドでリズの存在に気付いた時から加入希望者を盛大に歓迎している様子だった。今回にせよ行き倒れの件にせよ、この少女はもう少し警戒心というものを持った方がいいのではないか。
とはいえエールの言わんとしている事は理解できる。ケイナが加入する事に決まったとはいえ、ギルドのメンバーは推奨されている人数にまだ届いていない。わざわざあと一人のメンバーを探し回るよりは、今ここでリズを仲間に加えてしまった方が手間がかからなくて済む。果たして彼女が本当に冒険者として活動できるのかという点には、不安が残るが……。
まあ、恐らく保護者であろうミーシャが構わないと言うからには、それなりに大丈夫だという論拠があるのだろう。そう結論付け、マリウスはリズへ向き直る。
「私もそれで構わない。だが、実際に樹海に入ってみるまでは仮加入という事で良いか? ああ、えーと、これはケイナにも言った事で、君だけ差別しているとかではないんだが」
「わかったー。リズがんばる」
リズはのんびりした声でそう応えると膝の上のエスメラルダをぎゅうと抱きしめて身体を揺らした。本当に分かっているのか怪しいが、これ以上追及するのも時間と気力の無駄だろう。なにせ今日は朝から泥まみれになって装備の洗濯に時間を費やした挙句、夕方から新メンバーを巡るあれやこれやに追われて今やすっかり夜である。マリウスは当然のように疲れていたし、その隣のエールも同じように疲れていた。難しい事はまた明日以降考えたいのである。
座ったままご機嫌に跳ねるリズの腕の中で、今にも気絶しそうな様子のエスメラルダが「噓でしょ……」と漏らした。ミーシャが小さく溜息を吐き、哀れなブラニーを少女の腕の中から救出するため立ち上がる。
◆
それから数日後。いつも通り人でごった返す大市の一角、通りに面した店の奥で釣り銭の数を熱心に数えていた店主セリクは、聞こえてきた足音に手を止めて表へ顔を出した。店内のいちばん目につきやすい棚に陳列された新発売の武器を眺めている二人組の客は、近頃よく見る顔をしている。セリクは椅子からぴょんと飛び降りると二人の方へ近付いていく。
「やあ、『カレイドスコープ』。今日も何か売ってくれるのかい?」
「セリクさん、こんにちは」
背丈の近いエスメラルダが先に店主の接近に気付いた。その隣で一拍遅れて会釈したマリウスが、背負っていた荷物に手を伸ばすと取り出した袋をセリクへ差し出す。
「今日は初めての素材も手に入ったので、どの程度で引き取っていただけるか教えていただけると助かります」
「おっ! じゃあ探索は順調みたいだね。やったじゃないか」
「ええ、まあ……」
はにかむマリウスと僅かに眉をひそめるエスメラルダへの対応もそこそこに、セリクは受け取った袋を開くと中に入っていた素材を机の上に広げて鑑定し始める。『カレイドスコープ』が迷宮で入手した素材を持ち込んでくるのはいつもの事だが、ここ数日でその数が一気に増えた。欠けた泥岩の中に覗く金属層を虫眼鏡で確かめつつ、店主は何気なく二人に問いかける。
「新しいメンバーとはうまくいってるのかい? 一気に二人も増えると大変そうだけど」
返事があるまでに数秒の間があった。怪訝に思ったセリクが顔を上げると、これ以上ないほど渋い顔をしたエスメラルダと目が合う。目を丸くするセリクにマリウスが苦笑しながら答えた。
「今のところ大きな問題は無いですね」
「僕はものすごく疲れてるけど……」
「へえ。それはまた、どうして」
「戦闘中は平気なんですけど、探索してる最中にリズさんがやたらくっついてきて……ケイナさんもすごい勢いで怪我するし、気が気じゃないですよ」
そう言って盛大に溜息を吐くエスメラルダの表情には隠し切れない疲労が滲んでいる。セリクもまたマリウスと視線を交わして苦笑し、鑑定を終えた鉱石の数をメモすると次の素材に手を伸ばした。
新たな二人のメンバーを加えての探索は十分にうまくいっていた。三人で探索していた頃は出入口の周りでうろついてドングリやモモンガを狩る事しかできなかった『カレイドスコープ』も、今や一階の奥、評議会から課されたミッションの目的地よりも先の地点へと進んでいる。
新しい仲間たちは特に戦闘での活躍が目覚ましい。ケイナはセリアン特有の膂力であらかたの魔物は叩き斬ってしまうし、リズは死霊――とは言うが、いわゆるオバケとはまた違うものであるらしい――を召喚し使役する術で攻撃から支援まで器用にこなしている。現時点で連携にも支障は無く、また探索中に問題が発生した事もない。予想に反して二人は優秀な新人であった。それこそエスメラルダが言った点を除いては。
「まあ確かに、怪我が多いのは良くないな。私からも言っておこう」
「いやあんまり言うのも良くないと思いますよ。あの人たぶん言われれば言われるだけ気にするし」
「あー……うーん」
「それよりもリズさんの方をどうにかしてください……その、好意を持たれてるのは分かりますけど、ぬいぐるみ扱いされるのは嫌ですよ」
マリウスは何とも言えない表情で頷く。どこからどう見てもその場を適当に切り抜ける時の反応であった。エスメラルダはがっくりと肩を落とし、すぐ傍の棚に置いてある防具類を弄り始めた。
その時である。会話する二人を横目に淀みない手つきで作業を進めていたセリクが、突如あっと声を上げて目を丸くする。驚いたマリウスが慌てて机の上を覗き込む。
「何かありましたか?」
「これ……マッドドッグの牙じゃないか!」
そう言ってセリクが突き出したのは、円錐形をした重量感のある獣の牙だ。二人は顔を見合わせる。先程マリウスが言った「初めての素材」とは、これの事である。迷宮一階の奥で遭遇した魔物から得た素材、なのだが。
「あのイヌみたいな魔物、マッドドッグっていうんですか?」
「そうだよ。一階に棲息する魔物でいちばんおっかないやつさ! あいつ一匹に壊滅させられたギルドを何度見てきた事か」
「そんなに怖い魔物だったんだ……」
エスメラルダが神妙な表情で呟き、マリウスも小さく頷く。牙をセリクの元に持ち込むのは初めてだが、実のところ彼らがそのマッドドッグなる魔物と戦ったのは今日が初めてではない。『カレイドスコープ』がアイオリスにやってくる前、マリウスとエスメラルダ、そしてエールの三人で討伐を行った獣……あの獣も、恐らくマッドドッグだ。一度見たら忘れられないような顔をした魔物だ。決して見間違いではないだろう。
そういう訳で『カレイドスコープ』がマッドドッグと遭遇して無事に生きて帰る事ができたのも三人の経験が活きたお陰なのだが、その辺りを説明するとややこしくなるだろう。すごいじゃないか! と褒めてくるセリクの言葉を、マリウスとエスメラルダは曖昧な会釈で受け止めた。
二人の神妙な様子に気付いていないのか、それとも気付いた上で流しているのか。とにかく平然と鑑定を終えたセリクは素材を選り分けると別の袋に移し替え、素早く店の裏に引っ込んでまたすぐに戻ってくる。その手に握られているのは何枚かの貨幣だ。丹念に金額を数え直したそれにさっと記した走り書きを添え、二人に差し出す。
「はい、今回のお代。そういえばミッションは達成したのかい?」
「明日にでも報告しに行こうと思ってて。地図ってこんな感じで大丈夫ですかね」
「どれどれ? うーん、大丈夫だと思うよ。八割方描けてれば通るって話だし」
エスメラルダとセリクが顔を突き合わせて地図を覗き込んでいる間、マリウスは手渡された代金と走り書きを見比べてほっと息を吐いた。迷宮出入口の近くでちまちまとドングリを割っていた頃と比べると収入は確実に増えている。もう少し余裕ができたら傷んだ装備を新調しても良いかもしれない。
「……ありがとうございます! マリウスさん、そろそろ行きましょう」
「ああ」
地図を畳みながら近づいてきたエスメラルダに頷き、またねーと手を振るセリクに会釈を返して店を出る。時刻は夕暮れ時に差しかかった頃、ちょうど探索から戻って来た冒険者たちの姿で辺りが賑わい始めたところだ。行き交う同業者たちをそれとなく観察しつつ二人は大市を抜けて街の中心地へ向かう。
「一階の地図って、いま描けてる分でほとんど完成らしいですよ」
「そうなのか……? 確かにあと探索してないのは扉の先くらいだな」
「明日には二階に行けたりするのかな。そう考えるとちょっと緊張してきました」
とは言うが、エスメラルダの表情はいたってのんびりとしたものである。ここしばらく行動を共にして分かった事だが、彼は見かけによらず胆が据わっているところがある。そういう性質はいかにもブラニーらしい……などという言い方は、アイオリスのような都会ではあまり歓迎されないだろうが。
すっかり歩き慣れた大通りを突っ切り、評議会の建物がある方向へ向かう……その前に、宿屋が軒を連ねる区画へ足を進める。別行動を取っているエールたちと合流するためだ。彼女たちはマリウスたちが素材をセリクの店に持ち込んでいる間、一足先に宿屋に戻っている。
『カレイドスコープ』が宿泊しているジェネッタの宿は冒険者向けのサービスに特化した宿屋である。特徴的なのが荷物の預かりサービスで、どうやらこの宿は預けた荷物の紛失や窃盗がほとんど起こらない事で有名らしい。荷物を体から離した瞬間に盗まれる宿もたくさんあるのに……とエールは感動していたが、彼女はいったいこれまでの道中でどんな散々な目に遭ってきたのか。想像するだに恐ろしい。
ともかく、そのエール率いる三人は先に宿に戻って荷物の整理をしている筈である。というのも、ギルドメンバーが増えて借りている部屋と物が増え、荷物の移動やら配置やらが追いつかず、手狭な客室は混沌とした様相を呈しているのだ。ここ数日は騙し騙しでなんとか寝泊まりしてきたが、惨状から目を逸らすのもいよいよ苦しくなってきた頃合いだ。
「僕らが帰るまでに片づけ終わってるといいんですけど」
「いやあ、私たちの荷物を勝手に片づけてしまっているとは思えないが」
「あーそれは確かに。僕なんかは薬草の束とか崩されても困りますし」
他愛ない会話を交わしつつ、ジェネッタの宿がある通りへ出る。のんびり歩いていたせいで、ようやく目的の場所に辿り着いたのは話題が二転三転して明日の探索は何時からだのいつ頃ミッションの報告に行くだのという打ち合わせが終了した頃だった。見慣れた出入口を通り抜け、おかえりなさあい、と気の抜けた調子で声をかけてくる看板娘に会釈しながら上階へ繋がる階段に脚をかけた、その時。
にわかに聞こえてきた悲鳴に二人の表情がさっと変わる。急いで階段を駆け上り、自分たちが使っている客室の扉を半ば蹴破る勢いで開けた。瞬間目に飛び込んできた光景にマリウスとエスメラルダは揃って言葉を失う。
その客室は男性三人が共同で寝泊まりしている部屋だった。狭い空間に簡素な椅子と机、二段ベッドが二つ並んでいるその中央で、部屋着姿のエールが棒立ちになっている。彼女の片手には埃を払うためのハタキが握られていて、どうやらこの部屋を掃除しようとしていたところらしかった。こちらに背を向け、出入口に近い場所に立っているのはケイナで、彼は例のごとく顔を青くして小刻みに震えていた。その傍らのベッドではリズがのんびりと寝転がっている。
そして何より目を引く、床やら布団の上やらに散らばった草、草、草……言うまでもなく、エスメラルダが治療用にストックしている薬草類だ。今日の朝、探索に出発する前に窓際に並べて天日干ししていた筈のそれらが、見事なまでに散り散りになっている。エスメラルダが膝から崩れ落ちた。マリウスも頭を抱え、苦々しい声色で事の原因らしき少女へ問いかける。
「いったい何が?」
「……か、換気をしようと……窓を開けたら……」
事故だったようである。
ともかくこのまま放置する訳にはいかない。マリウスは後ろ手に扉を閉め、開けっ放しになっていた窓を下ろすと床に落ちた薬草の一束をつまみ上げた。種類の違ういくつかの植物が混ざってしまっているようだが、素人目には区別がつかない。がっくりと崩れ落ちたまま沈黙していたエスメラルダを振り返れば、彼も状況を察したのか生気のない表情のまま力なく立ち上がって歩み寄ってくる。とりあえず集めるだけ集めたら仕分けは彼に一任した方がいいだろう。エールとケイナは状況を悪化させかねないので今のうちに距離を取らせて……と、段取りを考えるうちにマリウスの唇からは自然と重い息が漏れた。本当にこれで大丈夫なのだろうか、このギルドは。
やって来たエスメラルダに薬草の処理を任せて立ち上がるマリウスを、ベッドに寝転がったまま事の成り行きを見守っていたリズがじっと見つめている。彼女は沈んだ面持ちでそれぞれ動き出す仲間たちを見回してぱちりと目を瞬かせると、大きなあくびをひとつこぼした。
0コメント