兄弟は両手のごとく

 これでいいのか、と誰かが言った。

 いいわけないだろ、と誰かが答えた。



     ◇



 カットマンは、見た目や振る舞いよりはずっとしっかりしたロボットだ。


 「世界初」である兄と、その対として造られた姉が特別なのは当然であるが、彼もまた違う側面から特別な存在であった。なにしろ世界で初めて「自由意思を持つ工業用ロボット」として世に出たのは彼なのだ。彼の存在は、ともすれば兄や姉の誕生を凌駕しかねないほどの歴史の転換点であった。


 カットマンが社会に出た当初、彼の周囲には常に張り詰めた空気が漂っていた。彼に向けられる感情は多くが興味であり、奇異であり、恐怖だった。それについて、思うところがなかったわけではない。だがすぐにでっかい弟やちっこい弟が生まれ、自分も彼らもそれぞれの分野で成果を認められ、職場の人間たちも慣れてきたのか普通に同僚として接してくるようになったので、まあいっか! と思うようになった。思えるようになれた。


 そこに辿り着くまでに、色々なものに折り合いをつけることを学んだのだ。ライト博士には感謝している。よくも悪くも素直なこの性格のおかげで、社会の酸いは酸い、甘いは甘いで噛み分けられるロボットになれた──それができるのも、自分が特別な立場であるお陰かもしれないけれども。




 そういうわけで。彼は相当にしっかり者だったので、悪の迷惑老人が騒動を起こすたび駆り出される兄の姿を見ては、毎度毎度やりきれない気持ちになっていた。兄はまるで正義の味方だとかヒーローだとかのように扱われているが、本当はサッカーとかわいい動物が好きなただの家庭用なのだ。それなのに何故戦わなければならないのか。何故自分たちは彼の代わりになれないのか。


 だから、ワイリーがまた新たな世界征服計画に──それもわざわざライト研究所までやって来て、健診に来ていたロボットを拐ってまで!──乗り出したと聞いて、カットマンはいよいよ我慢の限界を迎えた。自分たちにはもう戦闘用としての機能は無いであるとか、そういったことは二の次だった。


 これでいいのか? いいわけないだろ。それなら今度こそ戦うのだ。兄と共に並ぶことはできずとも、後ろから力になることはできるはずだ。


 だから動いた。ライト博士に許可を取るより早く、誰より先に。


「それにしても早すぎだ」


 隣を歩くエレキマンがそう言ったので、カットマンは肩をすくめた。手元の傘をくるくると回しながら彼は応える。


「褒め言葉として受け取っとく」

「……まあ、間違ってはいない。ロックの改造が終わる前に、俺たちも事を終えられるのがベストだからな」


 などと呟く弟機の表情は真剣そのものである。長身の彼の横顔を見上げて、カットマンは何となく感慨深い気持ちになった。初めての会った時はとんだ生意気なロボットが弟になってしまったと思ったものだが、こいつも丸くなったものだ。


 二機が並んで歩いているのは、人もまばらな昼下がりの街の、大通りから二本入った薄暗い路地だ。周辺住民すらあまり使わなそうな薄暗い道に沿って、一昔前によく見られた構造の寂れたビルが並んでいる。建物と建物のあいだには空き地も多い。人口減少と機械化の煽りを受けた街の典型的な風景だ。辺りに人の気配はなく、連れ立って歩く二機のロボットの存在を気にする者も、当然いない。


「雨止んでよかったなー。ここんとこずっと降ってたし」

「一時的な晴れ間、らしいぞ」

「マジ? 屋外作業できねえの困るんだけど」

「ロールの機嫌も地の底だ。今日も洗濯物がどうこうとブツブツ言っていた」

「あー。なんか買ってってやるか、土産とか……っと、ここだ」


 他愛無い話を切り上げて立ち止まった、その先にあるのは小さなビルだ。表札が剥がされて何の建物か分からなくなったそれは見るからに無人の廃墟といった容貌で、真正面から見るとどことなく不気味だ。変色してヒビの入った外壁を眺め、エレキマンが顔をしかめる。


「酷いものだ。どれだけ放置されているのやら」

「壊すにも金かかるもんなー。こんな狭いとこ、機材入れるのも大変そうだし……まあ、とにかく入ろうぜ」


 薄汚れたガラスのドアを開け、建物の中へ入る。入ってすぐ左手の部屋は雑多に積まれた家具で閉鎖されていた。エレキマンが階段を指さす。数歩先を行く彼の後に続いてカットマンも上階へ向かう。


 二階はもぬけの殻だった。がらんどうの大部屋に千切れたブラインドが落ちていた。三階には物が残っていた。オフィスらしき空間に埃ばかりが積もっていた。四階──最上階に辿り着いて、ようやくエレキマンが足を止める。カットマンも隣に並んで彼の視線の先を追った。……微かな鼻歌が聞こえる。


 開きっぱなしのドアの向こうから風が吹き込んできている。弟と顔を見合わせて頷きあい、カットマンは足を踏み出した。鼻歌が途切れる。覗き込んだ部屋は整然としている。古いローテーブル、棚の上に積まれたE缶や工具類、中途半端にコードが伸びた赤いバスター。そしてその中央に置かれたソファに座る見慣れない人影。


「何の用だ」


 低い声で問われる。その声と、ソファに置かれた見覚えのあるメットを認識して、ようやく彼の正体に確信を持つことができた。


「あんたに頼みがある。……ブルース」


 ロボットは小さく笑った。左右非対称に歪んだ口元に、こちらを値踏みする意図が浮かんでいるように見えた。




 カットマンもエレキマンも、彼のことはよく知らない。ただ前触れもなく姿を現してはロックマンを手助けして去っていく、謎のロボットだという認識でいる。助けられている本人曰く「いいひと」らしいが、あの兄は基本的にこの世に存在するものはおおむね善であると考えているタイプなので信用しすぎない方がいい。


 ただし彼がワイリーと敵対していて、ロックマンを助けているというのは事実なので、少なくともその点は信じられる筈だ。そこに賭けて、二機はここにやって来た。


「本題に入る前に、どうして俺の居場所が分かった? 誰にも知られないよう気を付けていた筈なんだが」


 ソファに深く腰かけたブルースは、突然の訪問者に動じるでもなく静かな声で問いかけてくる。それは、とカットマンが答えようとした瞬間に、答えが自分からやって来た。カットマンたちの足元をするりと抜けて駆けてきた小さな影が、軽やかにローテーブルに飛び乗ってブルースの目の前で座り込んだ。


 自分を呼んだか、と主張するかのように、タンゴはにゃあと鳴く。ブルースは僅かに顔をしかめて、それから指先で彼の額を撫でた。


「成程。まあ、お前も研究所の子だからな……」

「タンゴはオレらの頼みに応えて教えてくれただけだ。文句ならこっちに言ってくれよな」

「……で、タンゴを頼ってまで俺を捜し出した理由は?」


 問いかける声には僅かな警戒が滲んでいる。カットマンはちらりと傍らのエレキマンを見た。弟は一歩退いた位置で、腕を組んだまま静かに待機している。まだ口を出すつもりはないようだ。


 一拍置き、カットマンは意を決して切り出す。


「第十一次世界征服作戦が始まったのは知ってるよな」

「ああ。懲りないじいさんだ」

「そのじいさんは今回、ダブルギアとかいう機構で今までより強いマシンを開発してる。うちの研究所から拐われたロボットたちも、今頃同じものを組み込まれてる筈だ。ロックも……同じ力で対抗する。けど、あいつ一人に丸投げするんじゃあんまりだ」


 ブルースの眉が僅かに上がった。同時に黙っていたエレキマンがおもむろに腕を伸ばし、カットマンにあるものを渡す。小さなデータチップだ。受け取ったそれを一度手の内で確かめてから、カットマンはブルースをまっすぐに見返して続ける。


「ワイリーが重要部品の大規模生産に使ってる工場の座標が分かった」

「…………」

「準備ができ次第、乗り込むつもりでいる。あんたにも力を貸してほしい」


 閉口して黙り込むブルースに、カットマンは持っていたチップを差し出す。ブルースは少し考える様子を見せてからそれを受け取り、耳の後ろ──髪に隠れる位置。ロックやロールと同じ仕様だ──の挿入口に挿し込んだ。


 データの確認は一瞬で終わる筈だ。その間にも、カットマンは言葉を続ける。


「オレはあんたのこと、正直よく知らねえ。でもこれまでロックマンを助けてくれたのは知ってるし、あんたが敵じゃないっていうのは分かってる」

「だから今回も手を貸せと?」

「……そうだ。そう言ってる。少なくとも、ワイリーのやってることを見過ごせるあんたじゃない筈だ」


 身勝手な物言いをしている自覚はある。それでもカットマンは思っていることを素直に伝える選択をした。大した縁も面識もない彼を相手に、こちらが差し出せるのは誠意くらいだ。


 商談や駆け引きをしに来たのではない。お願いをしに来たのだ。だからせめて、伝える言葉は誠実でなければならない。


「あんたはオレらのことは、どうでもいいかもしれないけど……ロックは別だろ。あいつは戦いに行く。オレらが止めたって絶対に。オレはあいつを助けたい」

「戦闘用でもないのにか」

「……戦いに行こうとしてる訳じゃない」


 静かにやり取りを見守っていたエレキマンが口を開く。彼は組んでいた腕を解き、一歩前に踏み出してカットマンの隣に並んだ。


「目的はワイリーの工場を機能停止に追い込むことであって、ナンバーズの排除じゃない。部品の生産が止まれば、ロボットの製造や基地の建設少なからず影響が出る。今後の活動も抑止できる可能性が高い」

「…………」

「だがお前の言うとおり、俺たちはただの初期型の工業用だ。もし純戦闘用の襲撃を受ければタダでは済まない。戦力が必要だ。……それでも、決めるのはお前だ」


 だから、と言葉を切り、エレキマンは目を伏せた。そのまま腰を折って彼は深々と頭を下げる。ブルースが驚いた様子で顔を上げた。サングラスの下に隠れて見えない瞳が困惑を宿しているのが分かる。カットマンも驚いた。初めて会った頃の堅物で生意気な末弟の姿が脳裏をよぎって、そしてすぐに消えた。


 真剣な声で、エレキマンはブルースに告げる。


「俺たちにできるのは、頼むことだけだ。……協力してほしい」

「っ頼む!」


 カットマンも弟に倣って頭を下げる。下を向いている二機には見えなかったが、ブルースは困り果てた顔をしていた。タンゴが何かを訴えかけるようにみゃうと声を上げる。一度俯いて、困惑と懊悩とその他形容しがたい感情がないまぜになった表情を浮かべて、ブルースは呟くように問う。


「そこまでの存在なのか。お前たちにとってのロックマンは」


 カットマンが顔を上げた。僅かに首を傾げて、迷いのない声で彼は答える。


「当たり前だろ。兄貴なんだから」



     ◇



 静寂の戻った室内で、ブルースは窓から射し込む西日をただ眺めている。ソファーの隅ではタンゴが丸まって眠っている。時折微かに動く尻尾を視界の隅で捉えながら、彼はひとり考え込む。


 ……カットマンとエレキマンは帰っていった。ワイリーの部品工場とやらの情報は仔細に聞き出し、ついでに彼らの計画にも逐一口を出しておいたので特に問題はない。あとは決行の時を待つだけだ。


 ブルースは、二機の頼みを受け入れた。


 本当は迷ったのだ。なにせ今の自分は相当弱っている自覚があるし、行ったところでむしろ足手まといになりかねない。だがそれでも行くと決めたのは、戦う理由を思い出したからだ。ずいぶん昔、研究所から逃げ出して、自分を拾ったワイリーの元からも逃げ出して、途方に暮れていた時に目にしたニュース。またも訪れた世界の危機に、ロックマンは立ち上がる。彼を望む声、望まぬ声、全てを背負って、正義のために。


 あんまりだ、と思ったのはカットマンたちだけではない。


 羽織っていた上着を脱ぎ、タンゴを起こさないよう静かに立ち上がる。整備の途中で放置していたバスターの表面を撫で、窓の外を見た。グラス越しに視界を埋める斜陽の光の中に一筋の影を探そうとして、やめた。目を伏せる。頭の中で、いつか聞いた声が響く。


 ──拙者は拙者のなすべきことをするよ。


 目を開く。電子頭脳の中を満たそうとしたいくつかの記憶と感情に鍵をかけ、別の場所へ放り込んだ。踵を返して窓際を離れ、バスターと盾に手を伸ばす。迷いがある。失意もある。絶望、したかもしれない。少なくとも自分に正義を語る資格はない。だが……まだ生きている。戦う理由も思い出した。


 弟が兄を案じるように。兄もまた、弟を想ってしかるべきだ。


 コードを繋ぎ、腕に装着したバスターの動作を確かめる。問題はない。撃てる。たとえ誰が相手だろうと。いつかの声が再び脳裏に響く。


 ──お主は、どうするの?

 ──俺は戦う。


 何故なら、兄は弟たちを助けるものなのだ。

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