【SSQ2】2 騎士と猛獣

 迷宮二階は、新米冒険者が最も命を落とす場所として知られている。原因は明らかだ。大部屋をうろつくF.O.E『駆け寄る襲撃者』……この強大な魔物が、意気揚々と二階に足を進めた冒険者達の命をことごとく奪い去っているためである。ただ徘徊しているだけでこちらが近付かなければ襲って来ない一階の鹿とは違い、この魔物は縄張りに入ってきた者を追いかけて襲う性質がある。それを知らぬままうっかり縄張りに侵入し、なす術もなく喰われてしまう冒険者は後を絶たない。

 ようやく二階に進んだ『白妙の花冠』も、その恐ろしさを何度も目の当たりにしてきたところである。一直線にこちらへ向かってくる猛獣を躱しながらの探索は精神的な磨耗が大きい。おまけについさっきは謎のリスにアリアドネの糸を奪われた。たまたま二個持っていたから良かったものの、もしそうでなかったらと思うとぞっとする。

 そんな事が重なったお陰で、昼前から探索を始めた五人は夕方になる頃にはすっかり疲れていた。二階の地図もそろそろ完成が近い。今日はこの辺りで切り上げてまた明日残りの場所を探索しよう、と決め、アリアドネの糸で街へ帰還しようとしたその時だった。

「ねえ、あそこ、誰か倒れてない?」

 そう声を上げたのはロレッタで、彼女は木立の向こう側を指さしていた。どれどれとロアがそちらを覗き込んでみると、確かに木々の隙間から見える小部屋に鎧を着た人物が倒れているのが見える。同じく覗き込もうとしたがロアに阻まれて叶わなかったチアキが小声で訊ねる。

「冒険者か?仲間は?」

「いないみたい。はぐれたのかな……」

「……よし、助けよう」

 即断し、向こう側へ抜けられそうな場所を探し始めるロアにセルジュが眉をひそめる。何が起こるか分からない迷宮で他人まで気遣っている余裕は無い。軽率じゃないか、と言おうとした彼だったが、その前にマチルダが彼の肩を叩いて首を振った。そう諌められてしまったら、もう何も言えない。

「あ、ここから抜けられそうだ」

 チアキが見付けた抜け道に、ロアとロレッタが先んじて潜り込んでいく。マチルダがそれに続き、セルジュはその姿を見送ってからちらりとチアキを見た。彼は何も言わず、抜け道を指さす。大きな溜息を吐いて観念したように女性陣の後に続くセルジュの姿が完全に茂みの中に消えたところで、チアキも近くに魔物の姿が無い事を確認してから抜け道へとその身を滑り込ませた。

 倒れていた人物は、鎧を着た男性であった。近くに転がった盾から見るに、職業は聖騎士(パラディン)だろうか。怪我をしているようだが、すぐに治療すれば命に関わる程ではない。鎧を剥ぎ取って治療を始めるロレッタの存在に気付き、男性は微かな呻き声を上げて閉じていた瞳を開く。

「……君は……」

「喋らないで。今治します」

 てきぱきと鞄から医薬品を取り出して傷口に塗布するロレッタの背中から視線を外し、ロアは辺りを見回す。周囲にこの騎士以外の冒険者の姿は無い。

 ふと、チアキがロアの肩を叩く。隣に立っていた彼が無言で指し示すそれを目で追い、ロアは顔をしかめた。地面に点々と残った血痕は隣の大部屋に繋がる扉へと続いている。地図を見ずともすぐに分かった。扉の向こう側は、『駆け寄る襲撃者』の縄張りだ。

「……傷口は塞がったけど、あくまで応急処置です。失血が多いから、早く街に戻って診て貰わないと」

 ロレッタの言葉に騎士の男性は、ああ、と力なく応えてゆっくりと身を起こした。ロレッタとその近くにいたマチルダが慌てて支える。

「……すまないね……助かったよ。ありがとう」

「助け合いの心、ですよ。同じ冒険者だもの」

「……貴方は、奴から逃げて来たのか?仲間は……」

 ロアが血痕の続く扉を指さしながら男性に問う。彼はそちらへ視線を向け、小さな声で応えた。

「もう、生きてはいないだろう」

 ロレッタが息を呑む。

「少なくとも一人、頭から喰われるのを……見た。……情けないものだ。……皆の盾になるべき私だけが……こうして、逃げおおせてしまった」

 自嘲するように吐き捨てた男性に、一同は掛ける言葉を持たなかった。運悪くF.O.Eに襲われて壊滅するギルドなどありふれているが、いざ目の前にしてみるとあまりに遣る瀬無い。

「……とにかく、街へ戻りましょう。彼を薬泉院に連れて行かないと」

 マチルダの言葉に頷き、チアキとロレッタが男性を支えて立ち上がらせる。彼は一言ありがとうと呟いたきり、唇を引き結んで黙り込んだままだった。

 一夜明け、『白妙の花冠』は探索に向かう前に薬泉院へと足を運んでいた。言うまでもなく、聖騎士の男性の様子を見るためである。相変わらずセルジュは苦い顔をしていたが、彼も女性陣の勢いには勝てなかったようだ。

 男性の名はエドモンドといい、『白妙の花冠』と同時期に結成された新人ギルドに所属していたらしい。ギルドのメンバーは五人だけで、助け出されたエドモンド以外の全員が、未だ迷宮から帰って来ていない。長時間迷宮に潜る程の力を持たない新人ギルドにとってこの事が何を示すかなど、誰にでも分かりきった事だった。

「お陰様で、何とか生きているよ」

 ベッドの上で身を起こしたエドモンドはそう言って微笑む。貧血のためか顔色はあまり良くないが、この様子ならすぐ元気になるだろう。治療をしたロレッタはほっとしたように胸を撫で下ろすが、彼が迷宮で仲間を失った事を思い出して表情を歪めた。

「あの……貴方はこれから……」

「その事なんだが」

 控えめに問いかけようとしたマチルダの言葉を遮るようにしてエドモンドは応え、ベッドの脇に置いてあった荷物から小さな袋を取り出してそっと差し出した。受け取ったロレッタが中身を確かめる。微かに血の臭いがする小さな袋の中には、何枚かの紙幣とそれなりの量の小銭が詰まっていた。

「えっ……お金!?」

 ロレッタが驚きの声を上げる。少女の肩越しに袋の中身を確かめたセルジュが眉をひそめながら彼に問いかける。

「助けて貰った礼……という訳ではありませんよね」

「ああ。それは報酬の前払いというやつだ」

「報酬?」

 ロアが思わずといったように問い返す。エドモンドはベッドの上で姿勢を正すと、真剣な表情で『白妙の花冠』に向き直り、そっと頭を下げた。

「仲間の遺品を、取って来ては貰えないだろうか」


   ◆


「うお、お、おおおおおお!!?」

 訳も分からず叫びながら、ロアは走っていた。全力疾走である。足を踏み出す度に鎧の内側で胸が揺れて痛いなどと言っている場合ではない。彼女の背後には、今まさに『駆け寄る襲撃者』が縄張りに入った獲物を補食せんと迫っているのだ。

「ロレッタ!まずいぞロアが死にそうだ!」

「まだ待って!これじゃない……これも違う……」

 丁度F.O.Eの死角になっている瓦礫の陰で、セルジュとロレッタが冒険者の遺品を探っている。

 エドモンドから依頼されたのは確かに仲間の遺品の回収であるが、何も全て持って来いと言われた訳ではない。指示された品はただ一点、しかしそれがなかなか見付からないのだ。

「おい!早く……っと、お!?」

 二人を急かそうとし、勢い余って壁にぶつかりかけたロアは慌てて足でブレーキをかける。大口を開けて駆け込んでくる魔物を見据え、彼女は叫んだ。

「マチルダ!」

「了解!」

 近場の瓦礫の向こうに潜んでいたマチルダが一声応えて顔を出し、左手を魔物に向かって掲げた。微かな駆動音と共にアタノールが淡い光を放ち始め、数秒の間の後、その掌から青く輝く術式が射出される。『駆け寄る襲撃者』の足元に着弾した術式は瞬く間に氷の塊となって広がり、凶悪な爪の生えた足を地面に縫い付けた。悲鳴のような咆哮と共に振り回された尾を、木陰から飛び出したチアキが一閃の下に斬り落とす。ロアはぎょっとして叫んだ。

「おいそれ斬って大丈夫か!?暴れないか!?」

「え!?だ、だってロレッタ達に当たりそうだったから……」

「余所見しないで!氷が……!」

 マチルダの声にはっとして構え直したその直後、足を封じていた氷を力ずくで砕いて脱出した魔物がロアに向かってくる。鋭い牙の並んだ大口が迫って来ようかというところで、ロアは地面を蹴って駆け出し、F.O.Eのちょうど死角、腹の下を滑り込むようにして潜り抜けた。獲物が突然姿を消したように見えたのだろう、魔物はグルル、と唸って困惑したように辺りを見回す。

 近くの茂みから手招くチアキの元へ滑り込み、垂れてきた汗を拭う。ロレッタとセルジュが狙われないよう引き付け続けるのが彼女らの仕事だが、流石にそろそろきつくなってきた。

「あいつ、頭は悪いが速くてデカい!お前足封じとかできないか?」

「足はちょっと……腕ならできない事も無いが」

「術式だけが頼りか。……マチルダを一人にしておくのはまずいな、私達で誘き寄せないと」

 ひとつ頷き飛び出していったチアキに続き、ロアも剣を握り直して魔物の前へと躍り出る。爬虫類じみた眼がぎょろりと動いて二人を捉えた。半ばで切断された血の滴る尾が周囲を薙ぎ払う。後ろに跳んで回避し攻撃に転じるが、堅い表皮に覆われた脚には刃が上手く通らない。やはり、今の実力ではこいつを倒すのは無理そうだ。

「二人とも退いて!」

 マチルダが再度氷の術式を放ち、魔物の動きを封じる。こちらも避けるのに必死でギリギリだが、消耗しているのは奴も同じだ。足元に広がる氷を砕こうと巨体を揺らしてもがくが、なかなか抜け出す事ができない。

 その時、冒険者の遺品を探っていたロレッタが、あっと声を上げる。

「あった!見付けた!」

「よしっ撤収!逃げるぞ皆!!」

 セルジュの号令と共に、五人は一斉に部屋の出入口を目掛けて走り出す。当然ながらF.O.Eもそれに反応し、逃げ出す『白妙の花冠』の姿を認めるとぐっと体勢を低くした。

「あいつ突っ込んでくるぞ!」

「氷の術式!」

「間に合わないわ!」

 マチルダの悲鳴のような返答とほぼ同時に、魔物が脚を封じていた氷を砕き、地を蹴って走り出す。五人が集まっているのは扉の前、すなわち部屋の角だ。突進を避けられるだけのスペースは無い。一同がまずい、と硬直する中、はっとしたロレッタが鞄から筒状の道具を引っ張り出して叫ぶ。

「耳塞いでっ!!」

 直後、辺りに脳を直接揺さぶるような巨大な音が響く。セルジュが轟音弾か、と言ったようだが、その声は音に掻き消されて聞こえなかった。

 あまりの大音量に、さしものF.O.Eもたいそう驚いたらしい。困惑した様子で足を止め、頭を振りながら二、三歩後退する。今が好機とチアキが轟音の余波を受けてフラフラしているロレッタの首根っこを引っ掴んで扉の向こうへ駆け込み、残りの三人もその後に続いた。

 すぐさま扉を閉め、反対側の壁まで走って距離を取る。……魔物が扉を突き破って追って来ようとする気配は無い。五人は詰めていた息を吐き、半ば崩れ落ちるように座り込んだ。

「死ぬかと思った……」

「よくやったロレッタ、お陰で助かった」

「ううう……もう絶対やんない……」

 涙目でぐらぐらする頭を押さえるロレッタに苦笑しながら、ロアが問いかける。

「そう言えば、何だったんだ?頼まれた遺品」

 その言葉にセルジュが肩を竦め、ロレッタの鞄に手を入れて慎重な手付きで何かを取り出した。……包装された小箱だ。桃色のリボンがあしらわれた白い小箱。

「……帰りましょう。エドモンドさんに渡してあげないと」

 沈黙を打ち破るように言い、マチルダは荷物からアリアドネの糸を取り出す。誰が反対する事も無く、『白妙の花冠』は探索を終えて街へと帰還した。


   ◆


「ああ、本当に取って来てくれたのか!」

 病室のベッドに腰かけて言った騎士に、出掛ける前より少々やつれたように見える一同は少々ひきつった笑みを浮かべた。いや、頼んだのはそっちだろう、という言葉を飲み込み、ロアが代表して依頼品を彼に差し出す。

「これで良かったんだな?」

 遺品を受け取ったエドモンドは、悲嘆にも安堵にも見える表情を浮かべて厚い礼の言葉を述べた。ボロボロの小箱を大事そうに抱え、どこか遠い目をしながら彼は言う。

「これはメディックの青年の持ち物でね。……妹の婚約祝いなのだと言っていた。探索から帰ったら渡すつもりだったと……」

 そこで言葉を切り、改めて『白妙の花冠』に向き直ると、騎士は深々と頭を下げる。

「……これは、私から妹さんに届けようと思う。彼の分まで礼を言わせてくれ。本当にありがとう」

 薬泉院からの帰り道、五人は何も喋らなかった。それぞれ何を思って口をつぐんでいるのか、それは分からない。しかし、その顔に浮かぶ複雑な表情だけは皆同じだった。

 果たして、あの小箱の持ち主である青年は、最期の時に何を思っただろう。そして、贈り主のいないプレゼントを受け取る妹は何を思うだろう。

「……きっと、樹海ではよくある事だ」

 ぽつりと呟いたのはセルジュで、他の四人はそっと彼の顔を見た。遠くに見える夕陽を睨み付けながら、セルジュは続ける。

「僕らにできる事は、彼らの二の舞にならないように気を付ける事だけだ」

 それきり言葉を切った彼に応える声も無かった。

 明日からは、三階の探索が始まる。

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