【SSQ2】6 ハイランドの兄弟

 『白妙の花冠』採集部隊の三人は、採集場所を回って採ってきた素材を抱えて街を歩いていた。袋いっぱいに詰まった素材はどれも第一階層で採れる物である。一軍が第二階層の探索を開始したとはいえ、人数が少なく戦闘経験も比較的乏しい三人がすぐに新しい階層で採集を行える訳も無い。ギルド会議でも採集部隊は暫く第一階層に留まり希少な素材を集めようという事で纏まったため、彼らは日々せっせと土を掘り返したり花を摘んだり枝を折ったりしてギルドの資金を稼いでいた。

「今日は蜜のかけらがいっぱい採れて良かったです」

「ああ、ネクタルの在庫は多ければ多いほど良いとエクレア嬢も言っていた事だしな」

「高く売れて皆さんの役に立つ!蜜のかけらは素敵な素材ですね!」

 笑顔で言ったモモコにナギが深く頷く。柘榴石も樹液の塊も良いが、やはり蜜のかけらが一番だ。

「素材を売った後は四つ葉亭に寄って昼食にしよう。二人とも何が食べたいか考えておいてくれ」

「了解です!わたし、軟骨揚げが……あれ?あの人……」

 急に言葉を切ったモモコを怪訝に思った二人がそっと彼女の視線を追う。モモコがじっと見ていたのは通りの向こうを歩いている一人の男だった。長い黒髪を編み込んだあまり見ない格好の男だが、どうも様子がおかしい。壁に手をつき、足を引きずるようにふらふらと歩いている。

 と、次の瞬間、男の身体がぐらりと傾き、崩れ落ちるようにして地面に倒れた。あっと思うより早く駆け出したエドモンドが男を素早く抱き起こす。

「君!大丈夫か!?……意識が無い。まずいな」

「身体がすごく冷たい……どこか怪我は、」

「──アベル!!」

 響いた声に顔を上げてみれば、緑のコートを着た青年がこちらに走ってくるのが見える。青年は三人の傍に駆け寄ると、ぐったりした男の姿を見てさっと顔を青ざめさせた。エドモンドが知り合いかと問うと、彼はひとつ頷く。

「とにかくまずは病院に運ぼう。薬泉院……は遠いな」

「それならおじいさまの所に行きましょう!ここからは五分もかかりません」

「分かった、案内を頼む。……君もそれで良いかな?」

 最後の一言は青年への問いかけだ。彼は呆然としたように立ち尽くしていたが、はっとしたように表情を歪めてお願いします、と小さな声で応えた。


   ◆


 巫医ゼピュロスは寝台に横たわる男を前にしてそっと眉をひそめた。北方の民族衣装だろうか、見慣れぬ衣装に身を包んだ黒髪の青年は、微かな寝息を立てて深い眠りに就いている。

 ハイ・ラガードに冒険者が増えてからというもの、公国内の診療所や病院には絶えず迷宮で怪我を折った冒険者が運び込まれるようになった。それはゼピュロスの営む小さな治療院も例外ではなく、孫とその仲間達が病人を担ぎ込んできた時にはまた冒険者が無茶をしたのかと高を括っていたが──それは大きな間違いだったようだ。

『治せる?』

 不安そうな表情をしたナギの問いかけにゼピュロスは答える事ができなかった。必要な処置は施した。下がっていた体温は徐々に戻り、顔色も随分と良くなってきている。じきに意識も戻るだろう。だが……。

 ふと、診察室の扉をノックする音が響く。入りなさい、と応えると、おずおずといった様子で青年が一人顔を出した。見慣れない顔に首を傾げたゼピュロスに、すかさずナギが"言う"。

『この人の連れ合い。弟だって言ってた』

「……ふむ」

 髭に被われた顎をひとつ撫で、ゼピュロスは青年を手招く。扉を閉め、静かに近寄ってきた彼は寝台の上で寝息を立てる男の姿に安心したように息を吐いた。

「……ありがとうございます。その、ご迷惑をおかけして、何と言ったらいいか……」

「なに、患者を助けるのは医者の義務じゃ。そう固くならんでくれ」

 柔和な笑みを浮かべるゼピュロスの様子に、青年も少しだけ表情を緩めた。隣の部屋に引っ込んでいたナギが、ティーセットと茶菓子を盆に載せて戻ってくる。カップに香ばしい匂いのする茶を注ぐナギに軽く会釈し、青年は口を開いた。

「俺はセトっていいます。そっちは兄のアベル。ラガード領ハイランドの出身です」

「おお、山の者か。……儂はゼピュロス、医者じゃよ。お主らは冒険者かの?」

 見たところ、セトの装備は一般的なガンナーのそれと同じものであるし、今は眠っているアベルの格好も北方の山地に住むハイランダーとよばれる傭兵集団のものと似通っている。このラガードの街で武装している者など、冒険者以外にはほぼいない。そう考えてのゼピュロスの問いに、青年は頭を振って答える。

「いえ……旅人です。二人で大陸を回ってて」

 セトの視線が宙を彷徨う。

「……あの、あなたは高名な巫医だって聞きました」

「そう大したものでも無い。少し医術ができるだけの只の爺じゃ」

「でも、多くの人を救ったのは事実だ。……あなたでも、アベルを治す事はできませんか」

 膝の上に置いた拳を強く握り、セトは俯きがちに問う。傍らに立っていたナギが何か言いたげな目で祖父を見た。ゼピュロスはカップをそっと置き、細く息を吐いて答える。

「……儂にはできん」

 セトがぐっと唇を噛み締め、蚊の鳴くような声でそうですか、と呟いた。ナギは寝台の上で眠っているアベルに視線を移す。

 呪言使いであるナギにははっきりと見えていた。彼の身体を蝕んでいるのは病でも怪我でもない。鎖のように絡み合い、その身体を縛り付ける呪い──幾重にも重なってかけられた大小様々の呪術が、彼の生命力を削り取っているのだ。

 迷宮での探索中に魔物に対して使用する呪言の類いとアベルにかけられた呪いは根本的には同じものである。魔物に対して使用する呪言は一次的な行動制限や状態異常の付与という効果をもたらすが、それは対象が魔物であるが故に本来の効果が得られていないというだけの話だ。人間に対して使用され、正しく効果を発揮した呪いは解呪の儀を行わない限り永劫に対象を蝕み続ける。

「巫術による呪い、呪言による呪い……それら単体であれば、解く事も容易かったじゃろうが……彼にかけられたものはそう単純ではない。何種もの呪術が複雑に絡み合ってまったく未知の呪いと化しておる」

 そこで言葉を切り、一度息を吐いてからゼピュロスは告げる。

「恐らく、誰にも解く事はできんじゃろう。……呪いをかけた本人にすら」

「…………、……そう、ですか」

「あのようなおぞましい所業、一体彼は何を……いや、誰に何をされた?」

 セトは答えない。ゼピュロスは残っていた茶を飲み干し、カップをそっとソーサーの上に置いた。

「話したくないのであれば、それでも構わんよ。お主はこれからどうするのかね?」

「……暫くはここに滞在するつもりです。どこかギルドに所属すれば、食い扶持にも困らないだろうし……」

「冒険者になるつもりか?おお、それは良い事を聞いた。のう、ナギよ?」

 微笑みながら振り返った祖父に、ナギはぱっと笑みを浮かべた。セトに向かって手振りで何か伝えようとするが、いまいち伝わっていない。困惑の表情を浮かべるセトに、ゼピュロスがナギの言葉を翻訳して伝える。

「お主さえよければ、自分達のギルドに入らないかと言っておる。丁度新しいメンバーを探しておった所での」

 セトは目を丸くしてナギを見る。ナギは人懐っこい笑みを浮かべて、首から提げていた鈴をちりん、とひとつ鳴らした。すると診察室の出入口から小さな悲鳴と誰かが音を立てて転んだような音が聞こえてくる。

 ナギが出入口に近付き、扉を大きく開く。扉の陰から室内の様子を窺っていたらしいモモコとエドモンドが、廊下に転がった状態で呻いていた。

「ひ、ひどいですナギくん……足封じなんて……」

「いや盗み聞きは確かに良くないな……騎士道感ゼロだ……私達が悪かったから呪言を解いてくれないか……?」

 肩を竦めたナギがもう一度鈴を鳴らす。封じの解けた二人はのそのそと起き上がってやたら明るい笑顔でセトの方を見た。

「お話は聞かせてもらいました!そういう事ならわたし達は大歓迎ですよう!」

「一軍の皆に話をつけなければな。だが、断られはしないだろう。人手があるに越した事はない」

「えーっとセトくんはガンナーですよね?となると後衛だから、前衛がもう一人欲しいですねえ」

 とんとん拍子に話を進めるモモコとエドモンドを、セトは呆然と見つめていた。いつの間にか隣に立っていたナギが満面の笑みを浮かべてセトの手を取り、掌に指で文字を書く。こ、れ、か、ら、よ、ろ、し、く。視界の端でゼピュロスがさて推薦状でも書くかのうと机に向かっていったのを捉えセトはついに観念したように肩を落とした。展開が早すぎて頭が追い付かないが、早急に就職先が決まったのは良い事だ。

 エドモンドとモモコ、ナギに揉みくちゃにされるセトの背後で、寝台に寝かされていたアベルがぱちりと目を開ける。うーんと呻きながら起き上がった彼は、弟とその周囲の見知らぬ人物を寝ぼけ眼で眺め、不思議そうに小首を傾げた。


   ◆


「……いや、別に私達は構わないが……そっちはそれで良いのか」

 ロアの問いかけに、セトはひとつ頷く。その手にはペンが握られていて、彼はつい先程ギルド加入に必要な書類に署名を終えたばかりであった。

「どうせギルドには入るつもりだったし……それで、あの、アベルの事だけど……」

 言いながらセトが視線を送った先、診療所待合室のソファーにはすっかり具合の良くなったアベルが腰かけている。彼は何をするでもなく、窓から射し込む西日をぼんやりと眺めているようだった。セトと向かい合って座るロアの背後で、マチルダとセルジュがそっと顔を見合わせる。

 アベルが呪いの影響を受けているのは身体的な部分だけではない。彼にかけられた呪縛は精神までもを冒し、正常な思考を蝕んでいるのだという。それこそカースメーカーが呪言で魔物の精神を操るのと同じように。

「……人に害を加えるわけじゃないし、意志疎通もできないわけじゃない。迷惑は掛けないから、一緒に置いて貰えると……」

 かなり畏まった様子の青年にロアが戸惑った様子で背後のセルジュを振り返る。彼女は一応ギルドマスターとして登録されてはいるが、こういった交渉事にはとことん弱い──セルジュはひとつ肩を竦め、身を乗り出してセトに言う。

「まあ、それは別に良いんだけどね。ただ、ギルドに入るからには働いて貰わないと困るな」

「あ、それは大丈夫。アベルは俺より強いから」

 セルジュが目を瞬かせる。少し離れた場所にいたロレッタが、その様子を見ておもむろに口を開いた。

「ハイランド地方の原住民……ハイランダーは伝統的な槍術を使う戦闘部族だって聞くわ。傭兵として他の地域に出向する人も多いの」

「俺達の里は傭兵業はやってないんだけどね。でもアベルは里一番の戦士だったし、今でもそうだよ」

「へえ、知らなかった。……体調は心配だけど、弟の君が言うならそうなんだろう」

 セトは曖昧な笑みを浮かべ、アベルの方を振り返って声を上げた。

「お前も一緒で良いってさ!こっち来て挨拶しなよ」

 アベルはぴくりと肩を揺らして緩慢な動作で振り向き、立ち上がってふらりとセトの隣へやって来る。そして何を考えているのかよく分からない目でロア達を見回すと、ぽつりと呟いた。

「蝶々みたいだ」

「……は?」

 蝶々。一同の頭の中に、強力な毒で新米冒険者を絶望のどん底に叩き落とすおぞましい色合いの蝶──毒吹きアゲハの姿が浮かぶ。どうして蝶々なのか。いや、そもそも彼は何を伝えたいのだろう。遠回しな悪口か……?と呟いたチアキの鳩尾にロレッタが肘鉄を叩き込んだ。

「あっアベル!またそんな脈絡の無い事言って!ごめん、多分特に意味は無いから……」

 焦ったように弁解するセトをよそに、アベルはぽかんとしているロアの手を取って微かな笑みを浮かべる

「これから、よろしく?」

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