【SSQ2】7 いつかの今日

 探索を終えて、宿への道を歩く。緋色の樹海の色彩に慣れきった目に、まばゆいばかりの青空の色はよく沁みた。左腕のアタノールを外したマチルダが、うーんと伸びをする。

「ああ、疲れた!術式ばかり使ってると肩が凝るわ」

「二層には氷の術式が効く敵が多いからね。明日も頼むよ」

 からからと笑うセルジュにマチルダは溜息を吐く。他のメンバーが属性攻撃の手段を持たない現在、各種術式を扱う事のできる彼女は貴重な戦力なのだ。

 宿はもう目前というところで、先頭を歩きながら荷物の整理をしていたロアがふと足を止めた。首を傾げ、背後の仲間達に問う。

「あそこにいる奴、こっちの事すごい見てないか?」

 彼女が示した先にいたのは、青灰色の毛並みを持った犬を連れた、明るい茶髪の少年だ。服装からして吟遊詩人だろうか。見覚えのない姿に一同は顔を見合わせるが、ただ一人、最後尾にいたロレッタだけが少年の姿を見てはっと息を呑んだ。

「……ロレッタ?」

 チアキが気遣わしげに声をかけるが、返答は無い。

 見定めるように一同を見ていた少年だが、ロレッタの姿を認めると薄緑の瞳を大きく見開き、そのままずんずんと『白妙の花冠』の方へ歩み寄ってくる。ロレッタは数歩後退り、絞り出すような声で呟いた。

「ローレンス……」

「ずいぶん探したよ、ロレッタ」

 険しい表情で、少年──ローレンスは告げる。苦虫を噛み潰したような顔で俯くロレッタから視線を外し、彼は『白妙の花冠』に向き直って深々と頭を下げた。

「失礼しました。僕はローレンス・ウィンフィールドといいます。ロレッタの兄です」

 その言葉に、四人は目を瞬かせる。ローレンスは顔を上げ、ロレッタを一瞥してからはっきりとした声で言った。

「妹を連れ帰りに来ました」


   ◆


「いい加減にして!!」

 少女の怒号が響き、扉に顔を当てて聞き耳を立てていたチアキがびくりと肩を震わせた。扉の向こう、『白妙の花冠』が宿泊している宿の一室では、今まさにロレッタとローレンスによる話し合いという名目の兄妹喧嘩が行われている真っ最中だ。

「そうやって、いつもいつも年上ぶって!……私が決めた事よ。私が責任を持つ!そう言ってるでしょ!?なんで聞いてくれないの!!」

「君がそれで良くても、僕や父さんはそうじゃない。冒険者なんかになって……死んだら取り返しがつかないんだよ」

「そんなの分かってるわよ!!」

 終わらない言い合いに、チアキが泣きそうな表情で傍に立っていた仲間達を振り返る。セルジュとロアは苦い表情のまま微動だにせず、マチルダは不安そうに目を伏せた。

 「カレドニアに留学に行く途中のハイ・ラガードで馬車を降り、そのまま冒険者になった」──以前、キマイラを討伐した後の宴会でロレッタが語った事だ。どうやら今になってそのツケが回ってきたらしい。考えてみれば、留学に出た筈の少女が行方不明になったとあっては、実家の家族も留学先のミズガルズ図書館も大騒ぎだった事だろう。連れ戻しに来るのは当然、むしろ今までロレッタが見付からなかった方が奇跡だ。

 それに、ローレンスの心情も分かる。妹──それもたった十六歳の少女がひとりで行方を眩ませた挙句冒険者になって、見知らぬ大人達と共に危険な迷宮に入っていたなど、彼にしてみれば悪い夢のようなものだろう。

 セルジュが重い息を吐く。 

「これからどうなると思う?」

「どうもこうも……分からないわ」

「参ったな……ロレッタがいないと困るんだけど」

「だが、家族の問題におれ達が口を出すのは……」

「そうだな……私達はとやかく言える立場じゃない。二人でどうにか解決してくれる事を祈るしか、」

「──ローレンスの馬鹿!!」

 ロアの言葉を遮るように、扉の向こうからひときわ高い声が響く。四人が慌てて身を引くのとほぼ同時に扉が勢いよく開き、室内から飛び出したロレッタが廊下を駆け抜けていく。彼女の姿が見えなくなったところでチアキがはっと我に返った。

「ロレッタ!」

 走り出すその背中を見送れば、廊下に沈黙が下りる。

 しばし呆然としていた三人のうち、最初に動いたのはマチルダだった。彼女は開きっぱなしの扉の内側に足を踏み入れ、残されたローレンスの様子を確認した。彼は憮然とした様子で立ち尽くしていたが、マチルダの姿に気付くと消え入りそうな声ですみません、と一言謝った。その足元では、犬がきゅうん、と細く鳴きながら主人を気遣うように見上げている。マチルダはローレンスをベッドに座らせ、自身も隣に腰を下ろして彼の背中を撫でる。廊下からロアとセルジュが心配そうに顔を出した。

「……ロレッタと僕は双子なんです」

 ローレンスが、深く俯いたままぽつりと溢す。

「僕は歌くらいしか取り柄が無かったけど、彼女は頭が良くて、メディックとしても優秀で……家族の期待の星だった。……もしかしたら、それが負担になっていたのかもしれない。僕らから逃げ出して自由になりたかったのかな、って……」

 でも、と呟いたローレンスの声が震える。

「いつ死ぬかも分からない場所に送り出すなんて……たった一人の妹なのに……」

 嗚咽を噛み殺して細い息を吐き出すローレンスに、マチルダは何も言わずにハンカチを差し出した。彼女は掠れた声で礼を言って顔を拭う彼を見ながら、そっと胸元に手を当てる。

「……貴方の気持ち、分かるわ。私の弟もひとりで飛び出して行っちゃって、手紙も寄越さないの」

 呟くように言ったマチルダを、ローレンスが潤んだ瞳で見上げる。

「ローレンス君は、ロレッタの事が心配?」

「……はい」

「そうよね、私もそう。……私も本当は弟の事、故郷に連れて帰りたいって思ってる。でも、あの子はそれを嫌がるだろうって事も分かるの」

 どこか遠い目をしながら語るマチルダに、ローレンスはひきつったような、泣き笑いにも似た笑みを浮かべた。

「……僕もです。それでもこうやって無理矢理連れ帰ろうとするなんて……僕は、ロレッタにとって悪い兄でしょうね」

 自嘲気味に吐き出された言葉に、マチルダは口をつぐんで眉を落とす。扉の前に陣取ってじっと話を聞いていたロアが、急に顔を上げて足を踏み出した。驚いた表情のセルジュが何か言う前に、彼女はローレンスの前に膝をついて口を開く。

「このギルドのリーダーは私だ。ロレッタが冒険者になったのも、元はと言えばギルドに誘った私に原因がある」

 セルジュが眉をひそめ、マチルダが何か言いたげな視線を向けてくる。それに構わず、ロアはローレンスをまっすぐに見つめて告げる。

「だから、お前に誓う。これから先、迷宮で危険な目に遭ったとしても……ロレッタだけは生きて帰す。私の命と引き換えてでも、必ず」

 ローレンスが呆然とロアを見つめ返した。真剣な顔をしていたロアは、ふと弱気な表情を浮かべて視線を泳がせる。

「それで、その……だから……お前の心配も分かるが、もう少し──ロレッタを、信じてやってくれないか」

 ローレンスの表情が歪む。彼は何か言おうとするように口を開いては閉じを何度か繰り返し、やがて唇を噛んで俯いた。頬を嘗めてくる犬を抱き締め、柔らかい毛皮に鼻先を埋める彼を、大人達はただ見守っている。


   ◆


 チアキがようやくロレッタに追い付いたのは、宿屋を離れて街の中心部──かつて金策のために大道芸紛いの見世物をした広場に辿り着いた頃だった。噴水の縁に腰を下ろし、膝を立てて踞る彼女にチアキは何も言わず、ただその隣にそっと座った。とうに陽は落ちてすっかり暗くなった街には、人影もまばらだ。どこかの酒場から聞こえる喧騒と噴水の音だけが辺りに充ちていた。しばしの静寂の後に、ロレッタが微かな吐息を漏らして口を開く。

「……私、もう一人お兄ちゃんがいたの」

 聞こえた小さな声に、チアキは耳を傾ける。

「お兄ちゃんは私達よりずっと年上で、急に家を飛び出しては色んな所を旅して回ってた。私はお兄ちゃんの旅の話を聞くのが大好きで、お兄ちゃんみたいに冒険する事に憧れてた。……だからお兄ちゃんがエトリアの世界樹に行くって言った時も、私はお土産話を楽しみにしてたの」

 ロレッタがほんの少しだけ顔を上げる。前髪の陰に覗いた瞳には涙が滲んでいた。

「でもお兄ちゃんは帰って来なかった。……ローレンスやお父さんは世界樹が嫌いなの。お兄ちゃんは世界樹なんかに挑んだから死んだんだって思ってるから。……連れ戻しに来るのも当然だわ」

 ずび、と洟をすすり、少女は唇を震わせて呟く。

「私、悪いやつだ。家族を心配させて、仲間にも迷惑かけて」

 チアキはしばし視線を彷徨わせ、慎重に言葉を探す。彼にはロレッタと彼女の家族との関係がどんなものなのか、まったく分からない。だが、それでも伝えなければならない事があった。

「……つまり、おまえ達兄妹は、お互いの事が大事なんだ。おまえの兄がおまえを心配するのも、おまえが自分を責めるのも、きっとそういう事だ」

 返事は無い。それを無言の肯定と捉え、チアキは続ける。

「でも、だからといって、自分のやりたい事を諦めるのは、少し違うと思う。……それじゃ、いつかきっとどちらも後悔する事になる」

 ロレッタが行き倒れていたチアキを助け、一緒に世界樹に行かないかと誘った時、彼女は確かに言ったのだ。「私は、あの樹の上から見える景色が見たい」と。それは決して、生半可な覚悟の上の言葉ではなかった筈だ。

「おれはおまえの味方だ。おまえが決めた事を否定しないし、何ならおれが皆を説得する」

 だから、とチアキは穏やかな声で問いかける。

「ロレッタは、どうしたい?」

 小さな肩が戸惑うように揺れる。白衣の袖を強く握り締め、ロレッタは絞り出すような声で答えた。

「私は……諦めたくない。お兄ちゃんが行けなかった場所まで行ってみたい。皆と一緒に、あの樹の上からの景色が見たい」

 チアキは微笑みを浮かべ、彼女の肩にそっと手を添えた。ロレッタも顔を上げ、少しだけ笑う。

 他でもないロレッタ自身がそう言うなら、きっとそれが一番正しい答えだ。


   ◆


 宿には戻らず、ギルドハウスの仮眠室で夜を明かしたチアキとロレッタの元に息を切らしたセルジュが駆けてきたのは、陽が上りきって街が冒険者の姿で賑わってきた頃だった。目を腫らしたロレッタとソファで寝たせいか寝不足気味なチアキを取っ捕まえ、セルジュは慌てた様子で叫ぶ。

「ロレッタ急げ!東区の馬車乗り場だ!早く!!」

 突然の事に目を白黒させる二人に、焦れたような声で彼は続けた。

「お兄さんが帰る前に、顔くらいちゃんと見せてやれ!!」


「本当に良かったの?」

 マチルダの問いに、ローレンスは曖昧な笑顔を浮かべて頷いた。たまたま朝一番の馬車しか手配できなかったとはいえ、このまま帰ってしまって良いのか。複雑な表情で自分を見やるマチルダの心情を汲んだように、彼は苦笑混じりに応える。

「ロレッタは頑固ですから、そうと決めたら誰にも止められません。……妹をよろしくお願いします」

 そう言って少年は深々と頭を下げる。再び顔を上げたローレンスの表情は穏やかで、マチルダも少しだけ表情を緩めた。

「伝えておくわ。貴方も気を付けて」

「はい、ありがとうございます。……マチルダさんも、弟さんが早く見付かると良いですね」

「うふふ、そうね」

 軽く笑い、犬を引き連れて馬車に乗り込もうとしたところで、ローレンスはあっと声を上げて振り返る。そして何事かと首を傾げたマチルダに真剣な眼差しを向け、言った。

「ロアさんは命と引き換えてでも、って仰ってましたけど、絶対にやめてくださいね。皆さん、どうかご無事で。……その為に、ロレッタがいるんですから」

 マチルダはぱちぱちと何度か目を瞬かせ、やがて困ったような苦笑を浮かべて頷いた。もう一度会釈をし、今度こそローレンスは馬車へ乗り込む。

 動き出した馬車の揺れに身を任せながら、彼は深く息を吐いた。大人しく席に座っていた愛犬が、気遣うように鼻先を擦り付けてくる。その頭をなでてやりながら、思いを巡らす。……所詮、家族なんていつかは離ればなれになるものだ。自分とロレッタにとっては、その「いつか」が今この時だったというだけで。

「──ローレンス!!」

 やたらと耳につく車輪の音に混じって、微かに、それでも確かに聞こえたその声に、ローレンスは顔を上げた。急いで窓から身を乗り出せば、徐々に遠ざかっていく後方にロレッタの姿が見える。何かを叫んでいる様子だったが、もはやその声は聞こえなかった。

 ──これじゃ、まるで僕が旅立つみたいじゃないか。

 苦笑を漏らし、ローレンスはロレッタに見えるよう大きく手を振る。不安や心配が消えた訳ではない。それでも、ロレッタとあの人の良い仲間達ならば。

 街の遠景に見える世界樹がだんだんと霞んでいく。妹の姿が見えなくなってからも、少年は手を振り続けた。


 走り去っていく馬車を見送り、ロレッタは肩で息をしながら立ち尽くしていた。その後ろではマチルダとチアキが窺うような視線を彼女に送っている。

 しばしそのまま黙り込んでいたロレッタであったが、やがて自分の頬をペチペチと勢いよく叩くと、ばっと二人を振り返った。

「探索!行くよ!!」

「……え、ええ。行くけど……大丈夫なの?」

「大丈夫!心配かけてごめん!!行こ!!」

 何だか怒っているような、しかし今にも泣きだしそうにも見える表情でずんずんと来た道を戻っていってしまうロレッタにチアキが困惑した様子で首を傾げ、マチルダはやれやれと頭を振った。

 今日の探索の帰りには、便箋と封筒を買いに行こう。素直になれない少女が、家族に便りを送るきっかけになるように。

 チアキを引き連れ、マチルダは先を行くロレッタの後を追いかける。今日も空は澄んでいて、きっと探索を終えた目にこの青はよく沁みるのだろう。

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