【SSQ2】8 燃える緋の森

 幻獣サラマンドラの巣から火トカゲの羽毛を持ち帰るというミッションを無事達成し、『白妙の花冠』は中断していた八階の探索を再開していた。サラマンドラばかりが目立つが、八階に潜む脅威は他にも存在している。点在する棘だらけの床に他の魔物を強化する謎のゼラチン、そして辺りを闊歩するF.O.E『樹海の炎王』。一筋縄ではいかない緋色の迷宮で、彼らは今日も歩みを進めている。

「……さて、この階もあらかた探索し尽くしたけど……」

 今まさに倒したばかりの魔物の死骸からまだ使える矢を──彼は第二層に入ってから武器を弓矢に変え、後方支援に回っている──回収しながら、渋い顔をしてセルジュが言う。

「上の階に続く階段はまだ見付かってない。探索してない部屋はそこの部屋だけだが」

「その部屋にはF.O.Eがいたわね。それも二体も」

「おまけに床は棘だらけだったな……」

 先程扉の隙間から覗き見た光景を思い出し、一同はがっくりと肩を落とす。今日の探索目標は上り階段を見付ける事である。残りの一部屋を探索するとなると、体力的にはまだ余裕があるが物資──特にロレッタの医薬品の残数が心許ない。万が一、F.O.Eと戦闘になってしまった時の事を考えると、探索を続けるには少々不安が残る状態だ。

「どうする?出直す手もあるが……」

「でも、あと一部屋だけ残して帰るのもなあ」

「じゃあ次の部屋、少しでも探してみる?」

「そうだね。だけど、やばそうだと思ったらすぐに帰るぞ。糸の用意を頼むよ」

「了解」

 ロレッタが鞄の中に入っていたアリアドネの糸をいつでも取り出せるようポケットに移動させたのを確認して、先頭に立っていたロアがゆっくりとドアを開ける。瞬間、ぶわりと吹き出した熱気が頬を撫で、彼女は思わず眉をひそめた。

 大部屋の中、赤い落葉の降り積もった地面にはやはり例の棘の床が広がっており、それを避けるようにしてF.O.E『樹海の炎王』が二体、ぐるぐると部屋を見回るように巡回している。

 同じ場所を巡回しているだけならば避けて進むのも容易いが、『樹海の炎王』は視界に入った冒険者を追い回す習性がある。一体だけでも逃げ切るのに苦労すると言うのに、二体もいるのでは堪ったものではない。存在に勘づかれないよう、こっそりと壁を伝って部屋の端へと移動する。縄張りを荒らす冒険者に容赦をしないとはいえ、一定の距離まで近付きさえしなければ魔物がこちらを認識する事はない。距離を取りつつ、慎重に反対側の扉へと進んでいく。棘の群生地を進まなければならないため体力の消耗が激しいが、四の五の言ってはいられない。足音を殺し、ゆっくりと進んでいく。

 先頭のロアが、扉の前に辿り着いた。手招く彼女の元へ、続く四人も急いで向かおうとする──その時だった。すぐ傍の茂みから、火の粉を纏った焔トカゲが甲高い鳴き声を上げながら飛び出してくる。最後尾を歩いていたチアキがすぐさま斬り伏せるが、既に手遅れだった。部屋を巡回していた二体の『樹海の炎王』が、焔トカゲの鳴き声に反応してゆらりと振り返る。

「っ急げ!」

 セルジュが叫ぶのとほぼ同時に、近くにいた『樹海の炎王』がつんざくような咆哮を上げた。頭が割れるのではという轟音に、思わず身を竦ませたチアキとロレッタの足が止まる。その隙を突くように、駆けてきたもう一体が二人の行く手を遮るように炎を吐き出した。

 分断されてしまった二人の姿に、マチルダが歯噛みしながらアタノールを構える。射出された氷の術式は炎王の前肢に着弾し、瞬間的に形成された氷柱が鋭い爪を持つ脚を貫いた。これにはさしもの『樹海の炎王』も怯んだ様子で後退るが、同胞を守るようにその背後に控えていたもう一体が躍り出て鱗に覆われた尾を振るう。その先にいるのはマチルダだ。術式を撃ったばかりで完全に丸腰の彼女を庇うようにロアが立ち塞がるが、防ぎ切れずにまとめて尾に弾き飛ばされ、二人の身体は地面に転がっていく。

 まずい、とセルジュはリュートの弦を弾く指先に意識を集中させながら思考を巡らせる。アリアドネを糸を持っているのはロレッタだが、彼女のいる場所からロアとマチルダがいる場所までは距離がありすぎる。このままでは糸を使って脱出しても二人だけが取り残されてしまうだろう。二体の『樹海の炎王』はぎらぎらとした敵意に満ちた眼で縄張りに入り込んだ不敬な冒険者達を睨み付ける。

 呻き声を漏らしながら身を起こしたロアが、動かないマチルダを抱えて立ち上がろうとする──が、脳震盪でも起こしているのかその動作は覚束ない。ようやく身体の自由が戻ったチアキがロレッタを連れて炎の壁の隙間を潜り抜けようとしている。『樹海の炎王』は姿勢を低くし、微かに開いた口の奥で炎を燻らせている。物資も、策も、時間も、何もかもが足りない。

 抜かった。ここまでか。

 思考を止めかけたセルジュの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできたのはその時だった。

「伏せて!!」

 反射的に身を低くして顔を覆えば、瞼の裏からでも分かるほど眩い閃光が辺りを埋め尽くす。次の瞬間、襟元を後ろから思い切り引っ張られる感覚にセルジュは思わず呻いた。薄目を開けて辺りを見てみれば、自身のすぐ脇をすり抜けて前に躍り出る白い影が目に入る。

 白い影──否、巨躯のパンダは、セルジュ達の前に飛び出すと、手前にいた『樹海の炎王』の懐に飛び込んでその顎に思い切り頭突きを食らわせた。閃光弾により視界が奪われているところに突然繰り出された攻撃に怯んで『樹海の炎王』が後退りしたその隙に、パンダはすかさずロアとマチルダを抱えて飛ぶように戻ってくる。

「今のうちに逃げるよ!」

 その声に応えるように、チアキが未だ燃え盛る炎の壁を刀で斬り裂き、ロレッタを連れて駆けてくる。セルジュもそれを見届ける前に扉へ向かって全力で走り出した。背後から悲鳴のような咆哮が轟く。竦みそうになる脚を動かして扉の向こうへ飛び込んだところで、ついに気が抜けて彼は膝から崩れ落ちた。荒い息を吐きながら後ろを見てみれば、各々地面にへたり込む仲間たちの姿がある。

「立てる?怪我は無い?」

 そう言いながら差し伸べられた手に、セルジュは力無く笑みを浮かべる。

「ありがとう……助かったよ、『メシエカタログ』」

「困った時はお互い様でしょ」

 そう応え、ミシェラは柔らかく微笑む。穏やかな様子の彼女とは対照的に、少し離れた場所で気絶したマチルダの手当てをしていたノノンはむくれたような表情で振り向いた。

「もう!危なかったじゃない!アタシ達が通りかからなかったら全滅してたわよ!」

「それは……返す言葉も無いな……」

「ですが、ご無事で何よりです。複数のF.O.Eに同時に襲われて生き延びられたのは何よりの幸運かと」

 パン左衛門の言う通りである。あのままの状況が続いていたら、遅かれ早かれ『白妙の花冠』は全滅していただろう。彼らが今も五体無事で呼吸をしていられるのは『メシエカタログ』がたまたま通りかかってくれたお陰だ。

 たまたま。そう、たまたまだ。何もかも、偶然上手くいっているに過ぎない。

 大きな息を吐き、緋色の空を仰いだセルジュの背中を、ロアが怪訝な表情で見つめている。


   ◆


「それは……大変でしたねえ」

 モモコの言葉に、ロレッタは肩を竦める。迷宮で採れる素材類をまとめた図鑑──モモコの私物である。ロレッタは時折こうして採集物の見分け方についてモモコに教わっている──を閉じ、彼女は腕に巻かれた包帯をそっと撫でた。炎が掠めた事で負った軽い火傷はまだ痛むが、少し経てば跡形も無く治る事だろう。

「本当よ。ローレンスにあんな事言っておいてこんなとこで死んでちゃ仕様が無いもの」

「でも皆さん無事で良かったです。『メシエカタログ』さんに感謝感謝ですね」

 にこりと笑うモモコにロレッタも苦笑混じりの笑みを浮かべ、そういえば、と前置いてからふと浮かんだ質問を口にする。

「採集部隊はどうだったの?五人体制には慣れた?」

 新たに二人のメンバーを加えた採集部隊は、最近になってようやく二層での採集を始めた。二層で採れる素材の数々は一層のものよりも高値で売れるため一軍のロレッタとしてもありがたいばかりだが、戦闘経験においては自分たちに劣る採集部隊の事は気がかりでもあった。

「はい!アベルさんもセトくんが攻撃役になってくれるおかげで戦いがずいぶん楽になりました」

 でも、とモモコの表情が曇る。

「アベルさんがですね、吐くんです。血を」

「血を」

「はい。ゲボゲボと……」

 ロレッタの頬を汗が伝う。戦闘中にいきなり仲間が吐血し始めたら……など、考えるだけでも恐ろしい。

「……大丈夫なの?それ」

「わたしもよく分かりませんけど……セトくん曰くハイランダーには倒した魔物の生命力を吸い取って傷を癒す術があるからそんなに心配しなくていいとか」

「呑気ね……」

「まあ、戦闘で身体に負担をかけなければ済む話なので。いかに戦闘を避けて進むかはわたしの領分です」

 そう言ってモモコはえっへん。と胸を張る。ロレッタは依然として不安げな表情のままだったが、本人たちのやる事にわざわざ口を出すのもどうかと思い何も言わなかった。

 モモコが図鑑を荷物の中に仕舞い、腰かけていたベッドから立ち上がる。もうすぐ素材を売りに行っていた男性陣と薬泉院で手当てを受けていたロアとマチルダが戻ってくる頃だろう。宿の一階からはハンナが作る夕食のいい匂いが漂ってきている。

「生きてて良かったわ」

 思わず呟いた一言にモモコの目が丸くなる。ロレッタはひらひらと手を振り、自身でも何故かは分からないまま、何かを誤魔化すように続けた。

「ほら、死んだら美味しいご飯も食べられないし」

 笑いの混じった言葉に、そうですねえ、と応える声は、ひどく柔らかく胸を打った。

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