【SSQ2】9 ある一日
冒険者は探索をするのが仕事であるとはいえ、毎日毎日迷宮に潜っていては流石に参ってしまう。という事で今日の『白妙の花冠』の探索は中断、ギルドメンバー達は各々貴重な休息日を満喫していた。
「やっぱり、朝市は混んでますねえ」
辟易したように漏らしたモモコの横で、アベルが露店で買ったばかりのホットドッグを頬張りながら首を傾げる。世界樹を中心に円形に広がるハイ・ラガード公国の中でも、北部に位置する商人街はかなり活気溢れる地域だ。数多くの露店が立ち並び、他国からやって来た観光客や客引きの為の見世物を披露する大道芸人が一面にひしめき合っている。
モモコ──と、荷物持ちのアベル──の目的は、北区の中心広場で不定期開催される朝市である。朝市とは言ってもその実態は商人、市民、冒険者など、ありとあらゆる職業の人が持ち寄った中古品や不要品を集めて安値で叩き売る、いわばフリーマーケットのようなものだ。
「アベルさんは欲しいものありますか?」
「ん……ヨーグルトが好きだ」
「朝市にヨーグルトは売ってないですね……」
アベルの返答は相変わらず要領を得ないが、今回の荷物持ちに自ら立候補してくれたのは他でもない彼である。最近は体調も良いようだし、とモモコは特に心配する事もなくアベルを引き連れて人混みの中を歩いていた。……セトのアドバイスを参考に、迷子防止の紐を手首に括りつけてはいるが。
モモコが狙っているのは木製の古い家財道具である。モモコはこれらの素材を再利用して手ずから小物や矢を作っているのだ。いつも丁度良い品を探すのに手間取るが、今日は運良く品揃えの豊富な店を見付ける事ができた。
「この椅子と、文机をください。ここで分解して貰えますか?……はい、お願いします。アベルさん、この机を持って欲しいんですけど……」
「わかった」
「ありがとうございます。分解して貰うのに時間がかかるようなので、他の店も一回りしてみましょう!」
こくりと頷いたアベルと共に、モモコは人混みの中を潜り抜けながら露店をひとつひとつ見て回っていく。モモコはアクセサリーや衣類の店を見るのが好きだが、アベルはどうやら工芸品や日用小物に興味があるらしい。時折ふと立ち止まっては店先に並ぶ商品をじっと眺めていた。
立ち並ぶ露店を一回りし、そろそろ最初の店に戻ろうかと二人が踵を返そうとしたその時である。
「ちょっと!アナタ達『白妙の花冠』よね?」
背中に投げつけられた声に振り向けば、すぐ後ろにあった露店の中から赤いドレスを着た金髪の少女がモモコとアベルにびしっと指を突きつけている。アベルはこてんと首を傾げたが、モモコは彼女の姿を見てあっと声を上げた。
「『メシエカタログ』の……ノノンさん?」
「そう!アナタ達、二軍の人でしょ?こうして話すのは初めてね」
そう言ってノノンは人懐っこい笑みを浮かべる。話を聞くとどうやら『メシエカタログ』も今日の探索は休みであるらしい。
「九階の探索は終わったからね。十階に行く前に羽休めをしようって話になったの」
「そうなんですか。でも、どうして露店に……?」
「お嬢様は趣味で迷宮から採れた鉱石をアクセサリーに加工して、こうして売っていらっしゃるのです」
店の奥からひょっこりと顔を出したパン左衛門が言う。喋るパンダの姿に驚いたらしいアベルが目を丸くするのはあまり気にせず、モモコはノノン作であるらしいアクセサリー類をしげしげと眺めた。
「綺麗ですねえ!ぜんぶ手作りなんですか?」
「八割方は──あの、背中を探しても出入口などありませんよあの」
「何か欲しい物とかある?特別に半額でいいわよ」
「本当ですか!ありがとうございます!」
モモコが嬉しそうにアクセサリーを見定め始める中、パン左衛門の背中をまさぐっていたアベルがふとノノンを見る。微かに眉をひそめて視線をやり続けるアベルの姿を怪訝に思ったパン左衛門がどうされましたか、と訊ねたが、彼はゆるりと首を振るだけで何も応えなかった。
品定めを終えたモモコが小さな青い石がついたブレスレットを手に取る。
「……これにします!」
「紅玉のブレスレットね。100エンになります」
「紅玉なのに青いんですか?」
「本当に赤い紅玉はすごく貴重なのよ」
きゃあきゃあと他愛ない話で笑い合う二人をパン左衛門は微笑ましく見守っている。アベルは少しばかり首を傾げ、怪訝な表情でノノンを見つめ続けていた。
◆
洋服屋のショーウィンドウを見つめたまま動かないチアキを見て、セルジュは思わずと言ったように肩を竦めた。時刻は昼前、大通りを行く溢れんばかりの人々は怪訝そうな表情でチアキを見ながら彼らの横を通り過ぎていく。セルジュは頭を掻き、呆れた様子で彼に言う。
「あのさあ……見てるだけじゃ買い物なんてできないぞ。何をそんなに怖がってるんだ」
「う……うう……だって服屋なんて入るの初めてで……」
チアキがセルジュに『服を買うのに付き合ってほしい』と頼んできたのはつい昨夜の事だ。元々チアキは東方の民族衣装を着て旅をしていたのだが、それらはハイ・ラガードに辿り着く前に追い剥ぎに遭い一着を残して奪われてしまったのだという。一着を着回し続けるのはあまりに辛い、新しい服を買いたいという話を聞いて、セルジュはこうしてわざわざ東方の衣類を扱う店を探して連れてきてやったのだが、何故店の前で怖じ気づくのか。難儀な男である。
溜息をひとつ溢し、セルジュはチアキの背中をぐいぐいと押して店の中へ押し込もうとする。
「ほらほら早く。僕、午後からロアと約束があるんだよ。さっさと買って帰るぞ」
「ああっ待て!まだ心の準備が……!」
何やらごねていたチアキだったが、店内に入って店員のいらっしゃいませ!の声が聞こえた瞬間借りてきた猫のように大人しくなった。話しかけてくる店員に戦々恐々とした様子で応じる彼の姿を横目に、セルジュは備え付けてあった椅子に腰掛けて息を吐く。
第二層の探索は八階で『樹海の炎王』に襲われて以降、特に目立った危険も無く進んでいる。九階の探索も間も間もなく完了するだろう。そうしたら次は十階──強大な魔物が待ち構えるという、第二層最後の階層だ。思えばギルドを組んで早三ヶ月、早いのか遅いのかは分からないが来るところまで来てしまったな、というのが正直なところだ。もっとも、仲間たちはここで足を止めるつもりは無いだろうか。
「この浴衣、色がいいな……」
「それ、昨日入ったばかりなんですよ。試着します?」
「あっじゃあよろしくお願いします……」
店員と話しているチアキの後ろ姿を眺め、ふとセルジュの脳内に疑問がよぎる。彼はロレッタへの恩返しのために世界樹に挑むのだと言ったが、果たしてそれだけなのだろうか。少なくともセルジュならば、ただ一度行き倒れていたところを拾われた、それだけの恩を返すために自分の命を懸ける事などできない。もしや彼は何か別の意図があってこのギルドに籍を置いているのではないか?
隙を見て、本音を聞き出してみよう。そう決め、改めてチアキの方へ向き直ったセルジュの視線の先で、当の本人は照れたようにはにかみながら浴衣を試着した己の姿を鏡越しに眺めている。
「お似合いですよ」
「そ、そうかな……」
……いや、実のところ、彼は何も考えていないお人好しなだけなのかもしれない。セルジュは大きな息を吐いた。何事も考えすぎるのは良くない癖である。
◆
『鋼の棘魚亭』のカウンター席に腰かけ、ロアはオレンジジュースの入ったグラスを片手にぼんやりと肘をついていた。まだ日も暮れきっていないにも関わらず酒場の中は多くの客で賑わっており、その大半が探索帰りの冒険者だ。どこか不機嫌にも見える表情で虚空を睨み付けるロアに、カウンターの向こうから声がかかる。
「何だ、さっきからずっとそうしてるけどよ……もしかして待ちぼうけ食らってんのか?」
「ご明察だな親父さん。どう思う?こんなうら若き乙女を酔っ払い共の巣窟に放置する男を」
「はっはっは、お前さんの手にかかればそこらの酔っ払い共なんて森マイマイより楽勝な相手だろうが!」
余計に苦い顔をしてオレンジジュースに口をつけるロアにアントニオは豪快に笑い、彼女の目の前に厚切りのローストビーフが載った皿を置いた。
「ツケといてやるよ。乙女を待たせる悪い男にな」
ロアは一瞬呆気に取られたような顔をしたが、すぐに悪い笑みを浮かべてローストビーフに手をつけ始めた。自分から約束をしておいて相手を待たせるような男に、たまには迷惑料を払わせてやるのも悪くない。
冒険者御用達のこの酒場の料理には、レジィナの樹海料理やハンナの家庭料理とはまた違った美味しさがある。言うなればそう、酒が欲しくなるような味だ。ワインでも頼んでやろうかと思ったロアだったが、流石に休日の昼間から飲んだくれるのは体裁が悪い。いやしかし、ううむ。ローストビーフを睨んで唸っていると、ふとすぐ傍らに影が落ちた事に気付き、彼女は顔を上げた。すると、そこにはにこやかに笑う見知った顔がひとつ。
「ミシェラ」
「やっほー、元気?」
ミシェラはひらりと手を振ると、ロアの隣の席に腰かけてカウンター越しのアントニオにトマトジュースを注文する。装備を着けていないところを見るに、今日は彼女も休暇のようだ。
「一人か?珍しいな」
「それこっちの台詞。待ち合わせ?」
「……どうして分かるんだ?」
ロアの問いかけには答えず、ミシェラはにやりと笑って運ばれてきたトマトジュースに口をつけた。ロアは思わず顔をしかめる。何だか良いように遊ばれている気分だ。
「……そうだ。聞いた?新しく出されたミッションの事」
「ああ……第二層のヌシの討伐任務だろう?私達にも声が掛かった」
「やっぱ、そうだよね。私達も受ける事になったの」
「おっと……それじゃ今回は先を越されるかもしれないな」
「あはは、別に競争してるわけじゃないってば。まあ、早く進むに越した事は無いけどね」
苦笑混じりに言うミシェラに、ロアはふと疑問に思った事を訊ねる。
「お前は何のために世界樹に?」
「難しい事訊くなあ。……生き甲斐みたいなものが欲しかったから、かな……」
グラスの中、トマトジュースの海の中で溶けた氷が小さな音を立てる。ミシェラはロアから視線を外し、どこか遠い場所を見ながら呟く。
「こいつのためになら命を懸けても良い、って思えるようなものをずっと探してた。私の場合はそれが世界樹と、ノノン達だった……そんな感じかな」
ミシェラの言葉は抽象的ではあったが、言わんとしている事はロアにも理解できた。彼女の言葉を噛み砕いて胸の内に落とし、ロアは少しだけ笑う。
「私も同じだ」
ミシェラが目を丸くして、何かを聞き返そうとする──が、それは扉が盛大に開く音で掻き消された。何事かと振り返れば、そこには汗だくで息を荒げるセルジュの姿があった。
「約束!……遅れて!ごめ、っげほっうぇっ」
「大丈夫かお前……」
余程急いで来たのか思い切りむせて踞るセルジュに呆れた表情で歩み寄り、ロアは彼の腕を引いて立ち上がらせる。そしてその懐から財布を取り出すと、紙幣を何枚か抜き取ってカウンター席にそっと置いた。
「親父さん、お代ここ置いとくぞ」
「あいよー」
「悪いなミシェラ、また次の機会に色々話そう」
「気にしないで。……仲いいんだね」
からかうような声にロアは苦笑しながら肩を竦め、セルジュを連れて酒場を出ていく。その背中を見送ったミシェラは小さな息を吐くと、ひとつ微笑みを浮かべて残っていたトマトジュースを一気に飲み干した。
◆
暇な時は、銃を手に鍛練へと向かうのが日課となっている。それはただ単に腕を磨きたいというだけではなく、こうでもしないと積もり積もった感情が発散できないからだ。迷宮一階での鍛練を終えて宿への道を急ぎながら、セトは闇に包まれ始めた街並みをじっと睨んだ。……平静でいなければ。仲間達に迷惑をかける訳にはいかない──そう思いつつも、胸の奥に溜まった澱みのようなほの暗い感情が徐々に首をもたげ始めるのを感じ、彼は深呼吸をひとつして足を早める。
宿の一室へと戻ってきたセトは、目の前に広がる光景に目を瞬かせた。立ち尽くすセトの存在に気が付いたエドモンドがにっこりと笑って彼を手招く。
「お帰りセト。君も一緒にどうだ?」
「あら、セト君。お疲れ様」
セトとエドモンドとアベルが使っている筈の狭い三人部屋に、エドモンドに加えマチルダとナギ、それにロレッタまでもがすし詰めになっている。明らかに飽和状態の部屋に少々の息苦しさを感じながら、セトはドアをそっと閉めて四人の方へと近付いていく。
「何やってるの?」
「勉強会だ。手話と言うのか?ナギが使う、あの……」
なあ、とエドモンドがナギに視線をやれば、彼はぐっと親指を立てて頷いた。くすりと笑ったマチルダが投げ出されていた紙束──ナギがいつもメモ代わりに使っているものだ──をつまみ上げながら続ける。
「筆談でも事足りるけど、それじゃやっぱり時間が掛かるでしょう?迷宮でそんな事をしてる余裕は無いから、ってエドモンドさんが提案したのよ」
「それで、私達も興味があったから参加中」
教本か何かをパラパラと捲りながら締めくくったロレッタの言葉に、セトは成程、と頷いた。ナギは手話と言うが、つまるところ彼が使っているのはハンドサインのようなものだ。手の動きだけで相手の意図が読み取れるとなれば、戦闘中の意志疎通も楽になるかもしれない。
「モモコちゃんに頼るのも限界があるものね」
「なにより、どうしても一手間かかっちゃうしね。それなら私達が分かるようになった方が絶対良いし」
女性陣の言葉に、ナギは嬉しそうな様子でにこにこと笑みを浮かべている。どちらも採集部隊の後衛で年齢も同じ十八歳という事もあって、セトはナギとある程度の親交がある。彼は明るく聡明な性格だが、モモコの通訳や筆談を介して話をする時でもどこか一歩引いているように見えた。
これはただの推測に過ぎないが、普段は何でもないように振る舞いながらも他の仲間達と『普通』に会話できない事に他でもないナギ自身が一番悩んでいたのではないか。そして、エドモンドはその事をそれとなく察していたのではないか。
「いや……私は通訳を通さなくてもナギと話ができれば良いなと思っただけで、深い理由は無いんだが」
エドモンドが照れたように頭を掻きながら言う。セトはその横顔を微笑ましいような気持ちで眺めた。
このギルドにいるのは、善良な人ばかりだ。
「……俺も参加していい?勉強会」
セトの言葉に、ナギが目を輝かせてこくこくと頷く。手招かれるまま、狭いベッドの空いている箇所に腰を下ろすセトの胸の内からは、ほの暗い感情はすっかり消え失せていた。
また明日から、探索の日々が始まる。
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