【SSQ2】11 とぐろを巻く害意

『雪が。雪が降っている。

 白く染まった地面に広がるのは目を灼くような赤で、瞬きすらできないままそれをじっと見つめていた。辺りに転がるのはつい先程までそこに立って談笑したり仕事としたりしていたもので、今やすっかり冷えきって呼吸ひとつさえ漏らさない。縮こまった自分に覆い被さる母の身体はいやに重く、じっとりと濡れていた。黒く染みた母の袖越しに人影がひとつ見える。しんしんと降る粉雪を背に立つ血塗れの女は、右手に持った刀を一振、愛おしむようについと撫でて笑みを溢した。

 暗転。

 移り変わった景色の中も、一面の白銀で埋め尽くされていた。しかし空から舞い落ちてくるそれらは立ち上る炎に晒され、すぐさま融けて消えていく。焼け落ちていく村を前に呆然と座り込む自分の身体はいつかの女と同じように、血に染まっている。

「何をぼうっとしているんだ」

 聞こえた声に思わず肩が跳ねる。振り向いた先のそのひとは、片手にぶら下げていた首をぽいと放り投げて自分の襟首を掴み上げた。

「首もろくに落とせない、残党狩りもできない、そんな木偶の坊を育てる程僕は暇じゃないぞ。さあ立て。西に散った餓鬼共を斬って来い」

 有無を言わせぬ声に息が苦しくなる。刀を握る手が震える。いつもなら出ない言葉が思わず漏れたのはきっとあの日と同じ雪のせいだ。

「もう嫌です、ウワバミさま……」

 赤い瞳がすっと細められる。身が竦んで動けない自分を地面に放り、そのひとは淡々と言葉を紡ぐ。

「それを決めるのは」

 言いながら、左腰に下げていた鞘からするりと刀を抜く。振り上げられた刀身に炎が反射してきらめいた。

「君じゃない」

 瞬間、胸に焼け付くような痛み。袈裟懸けに走る傷口を押さえて這いつくばる自分を冷たい目で見下ろし、黒髪を揺らして去っていく背が見える。

 何故、何故。こんなのはおかしい。分かっているのに逃げ出す事すらできない。斬らねば斬られる。殺さねば殺される。自分は普通の人間とは違うのだ。人を斬らなければ生きていく事も許されない。

 もう誰も、傷付けたくなどないのに。』


   ◆


「チアキの様子がおかしい?」

 問い返したセルジュにロレッタは神妙な表情で頷いた。閉店後の料理店の中には彼らの他には人影は無く、レジィナが新メニューの試作品作りに奮闘する音だけが厨房から響いている。

「何ていうか……最近になって、妙に口数が減った感じがしない?元々そんなうるさい方でもないけど、輪をかけて静かっていうか……」

「うーん、確かに近頃チアキと喋った記憶はあんまり無いな」

「悩みでもあるんじゃないの?」

 ココアがなみなみと入ったマグカップを手に厨房から戻ってきたセトが言う。悩みかあ……と呟き、セルジュとロレッタは顎に手を当てて考え込む。確かにこれまでの付き合いからして、チアキが悩みを抱え込みそうな性格をしている事は何となく分かる。

「悩みなあ……ロレッタ、心当たりは?」

「無いわ。……よく考えたら、私、チアキの事ぜんぜん知らない」

 ぽつりと呟いたロレッタにセトがへえ、と意外そうな声を上げる。

「いつも一緒にいるイメージがあったから、付き合い長いのかと思ってたよ」

「出会ったのはギルドを組む直前。付き合いの長さならセルジュ達とほとんど変わらないわ」

 重い息を吐き、ロレッタはぐったりと机に突っ伏した。どうやら思い悩んでいるのは彼女も同じらしい。大人しく椅子に座って料理ができるのを待っていたアベルがその頭をわしゃわしゃと撫で、いつも通りのぼんやりした口調で言う。

「誰にでも言えない悩みがあるものだ」

「おお、珍しく場に合った発言を……」

 わざとらしく驚くセルジュの頭にセトが手刀を食らわせる光景を横目に、ロレッタは髪が乱れてぐしゃぐしゃになった頭を上げてアベルを見やる。

「言えない……って、たとえば?」

「たとえば」

 目を瞬かせ、アベルはこてんと首を傾げる。

「……言ったら嫌われるかもしれない事、とか」

 その言葉にセルジュが少しばかり目を細め、セトは眉をひそめる。二人の様子が変わったのには気付かず、ロレッタは再び顔を伏せた。嫌われるかもしれない事、とアベルの言葉を反芻し、蚊の鳴くような声で言う。

「チアキが私に、お前の味方だ、って言ってくれた時、私すごく嬉しかった。……今度は私が味方になりたい、けど……やっぱり難しいのかな……」

 セルジュとセトが顔を見合わせた。アベルが眉を下げてロレッタの頭を再び撫でくり回し始めたところで、大きな鍋を持ったレジィナが機嫌良さそうに厨房から姿を現す。

「完成したぞ!秋野菜をふんだんに使ったポトフ……お、おい、どうした?何だか暗いぞお前達……」

 困惑するレジィナに何でもない何でもないと首を振り、ぐったりと沈み込むロレッタを横目に男性陣はポトフの試食に取りかかる。猪肉と野菜の旨味が詰まったスープは文句なしに絶品であったが、妙に渋く感じたのは恐らくロレッタから発せられる重い空気のせいだろう。


   ◆


 第三層は降り積もる雪に覆われた常冬の迷宮だ。爽やかな陽気の一層、緋く色付く二層とは違い気温が低いため、ただそこにいるだけで体力を消耗してしまう。いつものアーマーの上に厚手のマントを羽織ったロアが、へっくち!とくしゃみをひとつ溢す。

「寒い……寒過ぎる……もう一枚下に着ておけば良かった……」

「汗をかいてそのままにしておくからだぞ。……マチルダ、火を起こしてやってくれるかい?」

「分かったわ」

 苦笑混じりに頷き、マチルダは先程集めてきたばかりの薪に向かって威力を絞った火の術式を放つ。徐々に大きくなっていく火に手をかざしながら、ロアは白い吐息を吐いてセルジュに問いかける。

「集まったのか?頼まれた物」

「いや、それが微妙でさ……」

 荷物の中を覗き込みながらセルジュは渋い顔をする。

 頼まれた物とは、暴れ野牛から採れる上質なロース肉……通称『柔らか野牛ロース』だ。『探索ついでに新メニューに使う食材を採ってきてくれ』とレジィナに頼まれたためであるが、今日に限って肝心の暴れ野牛があまり姿を見せてくれない。朝の九時頃から迷宮に潜っておよそ四時間が経つが、手に入れる事ができたのはたったの三頭分だ。

「元々そんなに見る魔物でもないし、レジィナも無理しない程度で良いとは言ったけど……」

「流石にこれじゃ少ないわね」

 料理店の売上の一部を報酬として貰っている以上、食材調達の仕事くらいはしっかりこなさねばなるまい。セルジュがううん、と伸びをして立ち上がる。

「もう一回りしてみようか。それで駄目そうならレジィナには申し訳ないけど諦めて帰ろう」

「そうだな。……お前達もそれでいいか?」

 そう訊ねながらロアが視線を向けた先、互いに微妙な距離感で座り込むロレッタとチアキは彼女の声にはっとしたように顔を上げた。

「ああ……うん。私はそれで良いわ」

 ばつが悪そうな表情をしながらロレッタが答え、チアキもこくりと頷く。三人は顔を見合わせた。指し示した訳でも無いが、三人とも同じような苦い顔をしている。

 ロレッタはあからさまに思い悩んでいる様子で、その元凶であるチアキも二層を探索していた頃と比べて異様なまでに口数が少ない。下手に口を出すのも逆効果かもしれないと思って放っておいたのが完全に裏目に出ている。早期の解決を図らねば後々の探索にも影響が出かねない。

 苦い顔のまま、セルジュがジェスチャー──ナギの手話をリスペクトしているようだ──でロアとマチルダに何かを伝える。僕が、後で、話す。二人もひとつ頷き、親指を立てた。了解、頑張れ。無言でのやりとりの後、何事も無かったかのように荷物を纏めてロレッタとチアキに声をかける。

「行くぞ二人とも。牛肉が手に入るまで、もう少し頑張ってくれ」

 声に応え、二人も各々の得物を手に立ち上がる。

 冒険者や衛士の往来によって硬く踏み締められた足下の雪は、戦闘の足場にするにはあまりに不安定だ。初めは苦戦した雪上での立ち回りにもようやく慣れてきた頃合いだが、依然として気を抜く事はできない。一面の銀世界に適応した三層の魔物達は、雪に紛れて姿を隠し突然襲ってくる事も多いのだ。

 脇道から飛び出してきたスノーゴーストのずんぐりとした体を両断し、ロアは仲間達を振り返る。見れば、最後に残ったもう一体のスノーゴーストをマチルダが火の術式で蒸発させているところだった。

「怪我、見せて」

 鞄から治療道具を取り出しながらロレッタが近付いてくる。ロアは促されるまま、モリヤンマの攻撃を受けてできた裂傷を彼女へと差し出した。黙り込んだままてきぱきと処置を進めるロレッタに、ロアはかける言葉も無い。

「お疲れ様。やっぱり術式は強いね」

「あの雪だるまが炎に弱すぎるだけよ。弱点が分かりやすいと、こっちとしても助かるわ」

 少し離れた場所でセルジュとマチルダが言葉を交わしている。その傍らに立つチアキは鞘に刀を納めないままどこか遠い目でしんしんと降る雪を眺めており、その姿を見たロアは漠然と不安な気持ちになった。まるで、これまで見てきたチアキではないようだ。

「……あら?セルジュ、荷物は?」

「ああ、戦うのに邪魔だからそっちに……あれ?」

 聞こえてきた不穏なやり取りにロレッタが治療の手を止めて二人の方を振り返る。暫くの間ごそごそと近くの茂みを探っていたセルジュだったが、やがて青い顔で呟いた。

「無い……」

「……はあ!?」

「あんな大きいもの、そう簡単には無くならないでしょう……」

「おかしい……僕は確かに、ここにぶん投げた筈……」

「なんでぶん投げたのよ」

 ロレッタの冷静な突っ込みにセルジュがうぐ、と呻いて縮こまる。薬品やアリアドネの糸、貴重品などは基本的にロレッタの鞄の中に入っているため、他の荷物を無くしても探索に大した支障は無い。しかし、セルジュが持っていた荷物の中にはレジィナから頼まれた柔らか野牛ロースをはじめとした食材類が詰まっている。折角集めた食材を全て失うのはあまりに惜しい。

 一同が慌てて周囲を探し始める中、ただ一人辺りを見回していたチアキが小さく声を上げた。

「……あれだ」

「え?何が……ちょっと、待て、おい!」

 訊ねる前に外套を翻して駆け出していくチアキの背を、残された四人も急いで追いかける。


 ──ようやく追い詰めた。

 肩で息をしながら右手の刀を握り直すチアキの目の前には、白いマントを纏った一人の男がいる。その手にはセルジュが持っていた荷物が抱えられていて、彼が戦闘中の『白妙の花冠』の目を盗んで荷物を盗もうとした事は誰の目にも明らかだった。

「……返してくれ。おれ達の荷物だ」

 チアキの淡々とした声に、男は悔しげな表情で歯噛みする。

「クッ……アンタら、国営料理店に一枚噛んでんだろ。こんな素材が無くたって、十分儲けてる癖に!」

「そういう問題じゃない。泥棒が悪い事だなんて、誰にでも分かる事だ」

 言いながら、胸の内に段々と苛立ちが湧き上がってくるのを感じる。こんな事で腹を立ててはいけない、平静にならなければ、そうは思うものの、表に出さないよう取り繕っていた筈の鬱屈した感情がじわじわと滲み出してくるのを止められない。

 男は冷たい表情を浮かべたまま微動だにしないチアキに何を思ったのか、男は数歩後退ると抱えていた荷物を放り出して、懐から取り出した何かをチアキへと投げ付けた。鋭い痛みと共に肩を掠めて雪の上に落ちたそれは抜き身のナイフだ。裂けた上着の下から血が滲むのを知覚したチアキの視界がふっと赤く染まる。

 癪に障る事ばかりだ。どいつもこいつも、不快極まりない。

 自身の横を通り抜けて逃げ出そうとする男の襟首を掴み、雪の上へ引き倒す。起き上がろうともがくその腹を踏みつけ、刀を構える──首筋はがら空きだ。一撃で落とせる。柄を強く握り直し、衝動のままに鋒を振り下ろす──

「──駄目!」


 振り向いた顔は驚愕に歪んでいた。その脇をすり抜け、ロアは顔を青くして震えていた男へ駆け寄ると手早く縛り上げる。マチルダがそれを手伝い、セルジュが投げ出されていた荷物を拾い上げて中身を確認する傍ら、刀を握るチアキの右手を抑えたロレッタが彼を強く睨み付けながら言う。

「駄目よ」

「…………あ……」

 怯えるように目を見開いて固まっていたチアキの顔がだんだんと青ざめていく。その腕を取って刀を鞘に納めさせ、ロレッタは険しい表情のまま彼の肩の掠り傷を治療し始める。ずるずると崩れ落ちるように雪の上にへたり込んだチアキは、縛り上げられた男と仲間達の姿を見回し、ぐしゃりと表情を歪めて俯いた。

 その様子を渋い表情で窺い、荷物の確認を終えたセルジュはロア達の方へと近付いていく。

「磁軸のある広間に衛士隊が駐留してたね。そいつを引き渡してから帰ろう」

「ああ。……だが……」

 離れた場所にいる二人をちらりと見て眉を曇らせるロアにセルジュは小さく頭を振る。マチルダが立ち上がり、二人を呼ぶために歩み寄っていく。

 空から舞い落ちる雪はいっそう激しさを増し、いつの間にか視界はすっかり白んでいる。先の見通せない白の迷宮を、彼らは一歩一歩踏み締めるように歩いていく。


   ◆


 その日の夜。

 食材の納品と夕食を終えて客室へと戻ってきたセルジュを、着古した着物に身を包んだチアキが待ち構えていた。口を開こうとしたセルジュを制し、彼は言う。

「ギルドを抜けさせてくれ」

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