【SSQ2】13 騎士の本懐

「……で、その大きな目玉が急に突進してきてさ。本当、参ったよ……ロアは混乱してチアキを殴り倒すし……」

「それ言う必要あったか!?」

 ロアの叫びは無視し、セルジュはハッハッハ、とわざとらしく笑って熱々のカニクリームコロッケを口に放り込んだ。公国直営料理店『四つ葉亭』は彼らの他にも多くの客で賑わっており、どうやら近頃の宣伝計画が功を奏しているらしい事が窺えた。時折厨房から顔を覗かせるレジィナも、忙しない様子ながらもどこか充実したような表情を浮かべている。

 先のセルジュの言葉に、ああ、とセトが納得した様子で頷く。

「それでチアキさんいないんだ。ロレッタは介護?」

「そう、介護。最近以前にも増して仲が良いからねあの二人」

「仲良き事は美しきかな。……アベル、あまり掻き込むと喉に詰めてしまう。水を飲みなさい」

 一心不乱にパエリアを貪っていたところにお冷やのグラスを渡され、アベルはきょとんとした表情で手を止める。大人しく水を飲み始めた彼を横目にエドモンドは口を開いた。

「明日は十二階に潜るが……何か足りない素材はあるか?今のところ在庫が少ない野牛ロースとカニの甲羅は重点的に集める予定だが」

「余裕があれば天青石をお願いします。質の良いものがあれば触媒にしたいので」

「天青石が採れるのは下り階段近くの採集場ですね。奥の方にも行ってペコロスを集めておきたいところですけど……」

 モモコの呟きにロアが頭を掻きながら応える。

「昼間あの辺りに行くには『魔界の邪竜』の棲み処を通らないといけないだろう。寝てるとはいえ何かあったら困るし、無理はしなくて良いぞ」

 十二階は床が凍結していて動きが制限される上、狭い通路には多くのF.O.Eが陣取っている。夜行性であるというF.O.Eの特性上、昼間の探索は比較的安全ではあるが、それでも用心するに越した事は無い。

 ひとつ頷いたエドモンドが手帳に目的の素材のメモを取っている間に、パエリアを食べ終えたアベルがふと隣に座っていたセトの腕を引く。

「ん……何、どうしたの」

「糸買わないとな」

 唐突な問いにセトは怪訝な表情で首を傾げる。確かにアリアドネの糸は大事だが、何故急にそんな事を訊いてきたのだろう。

「糸ならあるよ。アベルこそ槍の手入れちゃんとしてある?ブーツの滑り止め、磨り減ってない?」

 三層では常に足場が悪い状態での戦闘を強いられる。後衛での狙撃が主のセトはともかく、前衛での近接戦闘を行うアベルの装備は特に念入りに整備しておかなければならない。セトの問いかけに彼はうーんと唸ってデザートの杏仁豆腐に手を伸ばす。……どうやらまたぼんやりしているようだ。

「物資の確認は大事ですもんねえ。わたしも手袋を新調したいです」

『後で買い物に行きましょう。準備は大事です』

 モモコに続いてナギが手振りでそう告げ、採集部隊の面々は賛成の声を上げる。仲の良い二軍の様子に一軍の面々はほっこりとした気持ちになった。仲良き事は美しきかな。至言である。


   ◆


 翌日の午後の事である。採集部隊は予定通り、十二階を訪れて採集と食材集めを行っていた。マチルダに頼まれていた天青石は既に採掘し終え、現在は在庫の少ない野牛ロースとカニの甲羅を集めているところだ。崩れ落ちて動かなくなった暴れ野牛からまだ使える矢を引き抜き、モモコが声を上げる。

「余計な外傷なし!毒にかかった形跡なし!解体お願いしまーす!」

「はいはーい」

 一声応じ、解体用の大振りなナイフを手にセトがモモコの元へ駆けていく。これで仕留めた暴れ野牛は七体目、ロース肉もそれなりに量が集まってきた頃合いだ。剣に付着した魔物の体液を振り払いながら、エドモンドは周囲の様子を確認する。迷宮に入った時より、少し雪が強くなっただろうか。雪の中に潜む魔物がいないか警戒しつつ、並んでしゃがみ込むナギとアベルへ歩み寄る。

「大事は無いな?」

 問いかけに、アベルの手の怪我を治療していたナギがぐっと親指を掲げる。彼は巫医である祖父の手解きにより、簡易な巫術を扱う事ができた。ナギのかざした紋様が描かれた札のような物から淡い光がこぼれ、赤々とした傷口を優しく覆う。すると裂けた肉はたちまちの内に塞がっていき、あっという間に微かな傷痕を残すのみとなった。

 小首を傾げて手をさするアベルに、エドモンドは控えめに声をかける。

「体の調子はどうかな、アベル。今日はよく動いているようだが、あまり無理をしてはいけない」

 アベルは目を丸くしてエドモンドの顔を見上げ、やがてにこりと微笑んで頷いた。二人が立ち上がるのと同時に、暴れ野牛からロース肉を切り出したモモコとセトが戻ってくる。

「肉いっぱい採れましたね。そろそろ戻りますか?」

「ふむ、まだ余裕はあるが……」

「ここからだとペコロスの群生地も近いし、寄っていけるんじゃない?」

 セトの提案に、ナギが懐から取り出した懐中時計を掲げる。時刻は午後三時過ぎ、日暮れまでにはまだ時間がある。距離的にはそう離れていないとはいえペコロスが採掘できる場所まではF.O.Eの縄張りや滑る氷の床を越えていく必要がある──が、物資的にも体力的にも余裕がある内に素材を集めておきたいのも事実だ。

「糸はあるな?」

「はい、バッグの中に!」

「輪廻の角鈴は?」

「あー……それが品切れで……」

「そうか……よし、では慎重に行こう。モモコは先行して警戒、セトは後ろを頼む」

 エドモンドの指示通りに隊列を組み、足場の悪い迷宮を奥へ奥へと進む。時折鉢合わせる魔物は相手に気付かれる前に先んじて攻撃を仕掛け、時間をかけないよう迅速に処理していく。眠るF.O.Eの横を何度か通り抜け、ようやく目的の採掘場へ辿り着いたのは移動を始めて一時間程経った頃だった。気付けば雪の勢いはますます強くなっている。白む視界に目を凝らしながら、ナギが溜息を吐いた。

『徒歩で帰るのは難しいね』

「こんな時のための糸だろ。早めに切り上げて街に帰ろう」

「セト……背中……雪入った……つめたい……」

「ええ?お前なあ、無意味に雪の上に寝転んだりするからだぞ……もう……」

 お気に入りの帽子に積もった雪を払い落とし終えたセトが、隣で顔をしかめながらもぞもぞしていたアベルのマフラーとコートをひっぺがし始める。エドモンドは一心にペコロスを掘り続けるモモコを手伝いながら青年達の様子を窺う。……皆、疲労の色が濃い。

「頑張りすぎちゃったかもしれませんねえ」

「そうだな。早く帰って暖かい物でも食べよう」

「今日の晩ご飯は何でしょうね」

 弾んだ声で言うモモコにエドモンドは目を細める──娘が生きていたら、彼女と同じくらいの歳になる頃だ。

 背中に入った雪を無事取り除いたアベルが再びコートを着込み直した頃に、袋いっぱいに詰め込まれたペコロスを背負って二人は立ち上がる。降り続く雪は激しさを増し、コートやマントの表面を叩いている。忘れ物が無いかを確認し終えたナギが荷物からアリアドネの糸を取り出そうとしたその時だった。

「──!ナギ!」

「……!」

 アベルの声にはっと振り返ったナギに、茂みから飛び出してきた魔物が飛びかかる。体当たりの直撃を受けたナギの身体は荷物ごと吹き飛び、雪の上を転がっていった。そのまま彼に食らい付こうとした魔物の頭を、エドモンドが盾で圧し潰す。少し離れた場所に倒れ伏したナギは、ぴくりとも動かない。

「モモコ!治療を……」

「駄目です!第二波、来ます……!」

 切羽詰まった叫びと共に先程と同じ、魚に似た二足歩行の魔物達が続々と現れては襲いかかってくる。一体一体はさほど強くはないようだが、あまりにも数が多すぎる。

 セトが放った跳弾を浴び、何体かの魔物が耳障りな悲鳴を上げて崩れ落ちる。しかし仲間の屍を乗り越えるようにして新たな魔物が一体、また一体と飛びかかってくる。矢筒に手を伸ばして次の矢をつがえようとしていたモモコが表情を歪めた。残りの矢が少ない。同じく弾薬の数を確認したセトの表情にも焦りの色が浮かぶ。

 仲間達の様子に、エドモンドは魔物を斬り伏せながら思考を巡らせる。この調子では、相手を全滅させるまでは到底保たない。しかしアリアドネの糸は先程ナギが攻撃を受けた際に荷物ごと弾き飛ばされて雪に埋もれてしまった。戦闘を続けながら見付け出す事など不可能だ。何とか生き延びるためには、この魔物達を全滅させる他は無い。しかし──。

 倒れたままのナギに群がろうとする魔物を、駆けてきたアベルが一突きの下に串刺しにして葬り去る。そのまま槍を振るって残りを一掃しようとするが、急にがくりと膝をついて蹲ると水音の混じった咳と共に鮮血を吐き出した。雪の上に広がる血の色にセトがさっと顔色を変える。

「アベル……!」

「、来るなッ!!」

 一声叫び、アベルは腰に下げていた短剣を抜き放ってセトの背後に迫っていた魔物へ投擲する。ぎょろりとした赤い目を貫かれて悶絶する魔物にモモコが矢を射って止めを刺す。意識のないナギを小脇に抱えて立ち上がったアベルだがその呼吸はぜいぜいと苦しげで、とてもではないがまともに戦える様子には見えない。元より呪いに蝕まれた身体だ。これ以上消耗させれば、たとえ無事に戦闘を終えられたとしても彼の命が危ない。

 治療ができる余裕は無い。矢と弾薬の数は残り僅かだ。前衛のアベルが戦闘不能になれば数の暴力で一気に崩される。魔物の数は、目視できるだけでも十を超えている。日暮れが近い。このまま夜になれば、目覚めたF.O.Eと鉢合わせる可能性まで出てくる。エドモンドは盾と剣を振るいながら必死に歯を食いしばる。

 考えろ。考えろ。この窮地を乗り切り、子供らを無事で街に帰すには何をすればいい?未来ある若者達だ。ここでむざむざ死なせる訳にはいかない。仲間として。騎士として。大人として。自分には彼らを守る義務がある。故郷と共に家族を失った時のような、一層で魔物に追われて仲間を失った時のような──あんな思いをするのは、二度と御免だ。

 ……ふと、いつかの夜の事を思い出した。セルジュと二人、酒を飲み交わしたあの夜。青年とのやり取りが脳裏に浮かんでは泡のように消えていく。妙な熱を孕みながら冴えていく頭の中にただ一つ残ったのは、他でもない自分自身が口にした言葉。

『誰かのために命を投げ出す事も、同じように生きたいと思う事も──』

 ──ああ。

 ──本当に、その通りだ。

「……アベル。ナギを抱えて走れるか?」

 唐突な問いかけにはっとしたように顔を上げ、アベルは暫し唇を噛んで逡巡してから頷いた。エドモンドは微笑みを浮かべて彼に頷き返し、声を上げる。

「セト!モモコ!撤退だ!!」

 その声に応えるように、二人は迫り来る魔物を足止めしながら少しずつ後退を始める。武器以外の荷物は既にどこかへ放り投げてある。足元を狙った射撃に魔物の侵攻が止まったところで、エドモンドは叫んだ。

「今だっ行け!走れ!!」

 弾かれるように駆け出す青年らの後を追い、エドモンドも走り出す。背後からは獲物を逃すまいと魔物達が追随してきている。いくら荷物を捨てたとは言っても、疲弊した足ではじきに追い付かれてしまうだろう。前を行く背中を見る。

 皆、強く優しい子らだ。心配する事は何も無い。

 狭い通路に差し掛かったところで、エドモンドは足を止めて振り返った。盾を雪へと突き刺して固定し、剣を握り直してそっと構える。向かってくる魔物達の数をかぞえる事はしなかった。何体いようが、やるべき事はひとつだけだ。

 エドモンドの不在に気付いたモモコが、思わずといったように背後を振り向く。

「エドさ、」

「モモコ!振り返るな!!」

 アベルの鋭い声にモモコは泣きそうな表情を浮かべ、再び走り出す。足音が遠ざかっていくのを聞きながら、エドモンドは薄く笑みを浮かべた。それでいい。そのまま真っ直ぐ行けばいい。それがきっと正しい道だ。彼らにとっても、自分にとっても。

 ただ一つ、心残りがあるとするならば……。

 過った思考を振り払い、エドモンドは押し寄せる魔物達の姿を見据える。鋭い牙が、刃のような尾ひれが、目前に迫る。


   ◆


 満身創痍の採集部隊を保護した、と。

 迷宮十一階に駐屯する衛士隊からの連絡を受けた『白妙の花冠』一軍が十二階へと向かったのは、その日の夜の事であった。昏倒したままのナギと息も絶え絶えのアベルを馴染みの診療所へと運ばせ、セトとモモコの証言通りの場所を目指して一心不乱に足を進めていく。降り続く雪は吹雪へと変わり、視界を白く染めていた。

 目的の場所に辿り着いてもそこでは風の音だけが轟轟と鳴っているだけで、他には何も聞こえなかった。魔物の叫喚も、誰かの声も、何も。

 風に煽られながら辺りを見回し、あ……と吐息のような声を漏らしたのはマチルダだった。歩み寄ってくる仲間に彼女が指し示したものは、半ば雪に埋もれつつも確かにその姿を保っていた。それを目にしたセルジュは悟る。

 ──ああ、彼は、今度こそ本懐を遂げたのだ。

 ひび割れ砕けた盾は、半身を失いながらもなお雪の中に佇み続けている。亡き主の遺志を受け継いだかのようなその姿は、まるで墓標のようにも見えた。


   ◇


 白い。何もかもが白く染まっていて、何も見えない。何も感じない。痛みも、苦しみも、寒ささえも。自分はいったい何をしていたのだったか。何か、やらなければならない事があった筈だ。だが、思い出せない。何もかもが白に融けて消えてしまったかのようだ。

 ふと、視界の端に影が落ちる。そこで初めて、自分が仰向けに横たわっているのだと気付いた。一面の白の中に揺らぐ影へと目をやり──そして、思い出す。この時を待ち望んでいたのだ。何年もの間ずっと。

「クラリッサ……アンナ……ずっと、そこに……」

 微笑む妻と娘に手を伸ばす。繋いだ指先から感覚が薄れていく事も、白む視界ごと意識が遠ざかっていく事も、不思議と恐ろしくは無かった。

 もう何も、思い悩む事はない。望むものはすべて此処にあるのだから。

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