【SSQ2】22 魔弾の射手
「お前らを探してた……この三年、ずっと!さあ吐け、あいつはどこだ?」
女の胸ぐらを掴み上げながらセトは怒りと憎悪の滲む声で問う。鬼気迫る表情で詰め寄られ、苦しげな吐息を漏らしながらもユディトはその口元に微かな笑みを浮かべた。
幸か不幸か、街の郊外へと向かう道に二人以外の人影は見られない。地面に転がった紙袋と周囲に散乱する物品をちらりと横目で窺い、女は掠れた声で言う。
「──そう。あなたは、まだ……」
「余計な口をきくな……!」
背後の壁に肩を強く押し付けられて思わず呻くユディトを、セトは殊更に強く睨み付けた。その目はぎらぎらと光り、平時の人懐っこい青年の面影はすっかり消え失せてしまっている。胸の内に滾る激情を抑えるかのように彼は低い声で言う。
「どこだ、と聞いてるんだ。素直に吐けばお前は見逃してやる……さあ言え、あいつはどこに隠れてる!?」
返答はない。焦れたセトが腰の銃に手を伸ばしかけるのとほぼ同時に、ユディトの唇が開く。
「セト君。宿に帰らなくてもいいの?」
「……!」
「仲間がいるんでしょう?あなたの事、心配しているんじゃない?」
榛色の瞳が揺れる。ユディトはゆるりと微笑み、幼い子供を諭すかのような優しい口調で続ける。
「あなた達の噂は聞いてるわ。天空の城に辿り着いた初めての冒険者、ラガードの英雄だってね。驚いたのよ?最後に会った時にはやっと一人で熊を撃てるようになったって話してたのに、いつの間にそんなに成長したのかって」
「…………うるさい……」
「やっぱり天空の城には強い魔物がいるの?あまり無理はしちゃ駄目よ。でも心配は要らないかしら、頼れる仲間もいるみたいだしね」
「……うるさいっ……!」
「あなたが元気そうで何よりだわ。あ、そうそう、私ね……」
「黙れ!黙れよッ!!」
絶叫し、セトは腰から銃を引き抜く。魔物を相手にする時の銃ではない。携帯に適した、片手の内に収まる護身用の銃だ。突き付けられた銃口にユディトはすっと目を細めた。銃身越しのセトの顔を静かに見据えながら彼女は淡々と問う。
「復讐のつもりなのね」
「……ああそうだ、あいつのせいで何もかもが滅茶苦茶になった。あいつさえいなければ、アベルはあんな事にはならなかったのに……!」
セトの脳裏に過るのはかつてのアベルの姿だ。マイペースで呑気で少し鈍感で、しかしいつも頼れる強くて優しい兄。のどかな山間部の里村で、兄弟仲良くささやかに暮らす日々が突如終わりを告げたのは三年前の事だった。襲いかかる悲劇から兄弟の身を守る盾として、アベルは犠牲になった。
否、犠牲にさせられたのだ。支え合わなければならない筈の家族──かつて兄と呼んだあの男の手によって。
「カインはどこにいる」
地を這うかのような声色で、セトは三度目となるその問いを口にする。ユディトは答えない。ただ襟元を引き寄せられて苦しげに仰け反った喉から、くぐもったような小さな笑い声を漏らすだけだ。ついに銃を握るセトの指が引き金にかかるのも気にせず、彼女は囁く。
「やっぱり、そうね。思い込んだら人の話を聞かない所も、自分に嘘ばかり吐くところも……」
艶のある唇が、にたりと歪む。嘲るような、憐れむような、どちらともつかない笑みを浮かべてユディトは言う。
「あなた、あの人にそっくりよ」
銃声がひとつ響いた。
◆
セトの様子がどこかおかしい。そんな話を一軍の面々から聞き、ナギは近頃セトに対して抱いていた違和感が思い違いではなかった事を改めて思い知った。ここのところ、彼はぼんやりとしているような、あるいは物思いに耽っているような姿を多く見せるようになった。探索を行っている時はいつもと変わらない調子であるらしいが、休憩時間や街にいる時は明らかに様子が変だ。
どこか思い詰めたようにも感じるセトの姿を、ナギはこっそりと心配していた。呪言師である事や喋れない事で他人から避けられがちだったナギにとって、セトは初めてできた同性で同年代の友人である。困っている事があるならば力になりたいと思うのも当然の事だ。
しかし、困った事にナギにはセトが一体何を思い悩んでいるのかまったく見当がつかない。そもそも彼がセトについて知っている事と言えばハイランド地方の出身であるという事とアベルとは血の繋がった兄弟ではないという事くらいで、その他の個人的な情報についてはまったくと言っていいほど聞かされていなかったのだ。この事実に気付いた時、ナギはたいそう落ち込んだ。確かにいくら同じギルドの仲間とはいっても所詮は他人だ。他より少し仲が良いだけの赤の他人に、秘めた過去や胸の内を開けっ広げに全て話せるという人は少ないだろう。
だが、それでも。ナギはこれ以上友人の沈んだ顔を見たくはないのだ。たとえ厚かましいと言われようが、譲れない思いが彼にはあった。
そんな訳で、彼が探索帰りのセトを酒場に連れ出したのはそういった決意の下での行動だった。手振りと筆談を交えたナギの長い説明に、セトは思わずといったように苦笑を浮かべる。
「ああ……そっか。ごめん、心配かけたな」
『何かあったの?』
「いや、何でもないんだ。慣れない探索が続いてるから疲れてるのかも」
嘘だ。ナギは眉をひそめてミルクの入ったグラスをあおる。何かはっきりとした根拠があるわけではない。ただ、人の心の隙間を見付け出して呪いを忍び込ませるカースメーカーとしての勘が、セトの言葉の裏に隠された何かを感じ取っていた。
『本当にそれだけ?』
「う……ん、そうだな……俺にマチルダさんの代わりが務まるのかっていう不安はあるかな。でもそれだけだよ」
その言葉にナギは暫し考え込み、手元のメモにペンを走らせる。
『僕じゃ、相談相手になるには力不足?』
「…………」
『僕のこと信用できない?』
と、そこまで書いたところではっと我に返り、慌てて先の文章の上から線を引く。
『ごめん、今のは無し』
消された文章を驚いたような表情で見つめていたセトは、やがてああ、だかううん、だか呻いてそっと顔を覆う。ひどく苦しげなその横顔にナギは己の軽率な行動を悔やんだ。何か力になれる事がないかとこうして話をしているのに、それでセトを追い詰めてしまっては元も子もない。
改めて言葉をかけようとしたナギの手を、セトが強く掴んで押さえる。はっと振り向いてみれば、彼はにっこりと笑みを浮かべて口を開いた。
「ありがとう、その気持ちだけで嬉しい。でも、本当に大した事じゃないんだ。お前が心配するような事ないから。だから……平気だ。何もしなくていい」
穏やかな、それでいて有無を言わせぬ口調でそう言うセトにナギは何も言い返せない。腕を押さえられてしまえば彼は伝えたい言葉ひとつさえ伝える事ができない。
「──俺、明日の準備しないと。お代ここに置いとくよ。誘ってくれてありがとう」
ポケットからくしゃくしゃになった紙幣を取り出して机に置き、ナギの手を放すとセトは踵を返して足早に酒場を出ていってしまう。追いすがる暇もなく遠ざかっていく背中をナギは見送る事しかできなかった。
声を持たない自分の喉を、初めて憎いと感じた。もしもその背中に言葉をかける事ができたならば、彼の背負っている何かを少しでも取り除く事が叶ったかもしれないのに。
逃げてしまった。それも、あまりにも卑怯な手を使って。いやにうるさい鼓動の音を聞きながら人の少ない大通りを歩くセトの表情は沈鬱だ。
信じていない訳ではない、だが話す訳にはいかない。もっと早い段階で事の次第を打ち明けたならば、きっと仲間達は優しく自分を受け止めてくれただろう。それはとても魅力的で、いっそ身を委ねてしまいたくなる程に甘美な誘惑だった。しかしセトにはそうできない理由がある。もう、後には退けないところまで来てしまったのだ。本当の事を告げてしまえばそこでお終いだ。これまで歩んできた旅路もせっかく築いた絆も、何もかもが。
「馬鹿ね」
突然聞こえた声に振り返れば、いつの間にやって来たのか一人の女がすぐ後ろに立っていた。表情を歪め、彼女の名前を呼ぶ。
「ラファエラ」
いつもと同じ橙色のキルトを身に纏ったラファエラは、小首を傾げながらセトをじっと見据えている。その澄ましたような表情がやけに癪に障った。昔からいつもこうだ。歳もそう離れていないくせに、この幼馴染はまるで自分を聞き分けのない子供であるかのように扱うのだ。
「あの子、泣きそうな顔してたわよ」
「……見てたのか」
「たまたまよ。私は酒場でノノンを待っていて、そこに偶然あなたがいたから様子を見てただけ」
事も無げに言うラファエラにセトのただでさえ深い眉間のシワが更に深くなる。近付いてくる彼女を、セトは心から鬱陶しいというように手を振って追い払おうとする。
「どうしてわざわざ里からラガードまで下りてきた?どうせ俺を止めに来たんだろ」
「…………」
「俺達の問題に首を突っ込むな。お前が何と言おうと俺は絶対に……」
「それはギルドの仲間を騙してまで為さなきゃいけない事なの」
沈黙が下りる。剣呑な空気を漂わせながら睨み合う二人の姿を、道行く人は特に気に留める事もなく流し見ては通りすぎていく。
「いくら正当な理由があったとしても、復讐に他人を利用する事は正義と言えるの」
暗い光を宿すセトの瞳を、ラファエラはまっすぐに見つめた。射殺さんばかりの目付きで睨んでくる彼のその胸中に何が渦巻いているのか、それを知る事はラファエラには叶わない。小さく息を吐き、真剣な声色で問いかける。
「アベルはそれを望んでいるの」
唇を噛んで黙り込んでいたセトはその言葉に僅かに目を細め、すっとその顔から表情を消した。無意識にか腰に携えた銃を確かめるように右手で触りつつ、底冷えするような声で応える。
「お前には何も分からない」
それきり踵を返して去っていく青年の後ろ姿を、ラファエラは何も言えずにただ見送った。憎悪に呑まれたセトの表情に、かつての不器用だが純朴だった少年の面影は無い。彼ら兄弟と、自分と。泥だらけになりながら無邪気に遊び回ったかつての日々を思い出し、ほんの少しだけ悲しく思った。
大事に布でくるんで背負っていた槍をひとつ撫で、彼女は呟く。
「分かっていないのはあなたの方よ」
その嘆きに応える声は無い。
◆
永劫の春を謳歌し続ける迷宮──桜の立橋を、男は一人で歩いている。肩に担いだ斧は魔物の血に濡れ、彼の辿る道にぽたりぽたりと赤い痕跡を残していた。それを気にした様子もなく、彼は鼻歌混じりに足を進めていく。
やがて辿り着いたのは通路の突き当たり、一面の桜が視界を埋める静かな空間だ。足を止めた彼は斧に付着していた血を振り払い、眼前に佇む影に目を凝らす。薄紅色を身体に纏わりつかせながら、青年は何をするでもなく花を見上げていた。どこか虚ろな表情で何事かぶつぶつと呟く彼へ男は声をかける。
「そろそろ頃合だ、キリル」
その言葉にキリルは漫然とした動作で振り向く。拍子に、髪に絡まっていた花弁がひらりと舞って地面に落ちた。
「お前の力、貸してくれや」
「……お前に協力するわけじゃない」
小さな声で呟き、それきり沈黙したキリルの態度を肯定のそれと捉えたらしい。男はくつくつと笑い、懐からアリアドネの糸を取り出した。少々血でよごれたそれを解いて街へ帰還しようとする彼をキリルは横目で見やる。
「あれを殺せるのか、カイン」
男──カインは糸を解く手を止め、キリルの濁った目を正面から見返す。そしてにっと口角を上げると榛色の目を細めた。
「馬鹿な弟に制裁を加えるのも兄の務めだ」
返答にそうか、とだけ応え、キリルはカインに対する興味を失ったかのように桜に視線を戻した。青年の様子に肩を竦め、カインは解き終わった糸を広げて帰還術式を起動させる。街へと転移するその瞬間、耳に届いたのはキリルの呟きだった。
「……そうだね、綺麗だね。この花、姉ちゃんによく似合うよ──」
その声を聞き終える前に視界が歪み、一瞬の目眩のような感覚と共に迷宮の外へと転移する。時刻は夕暮れ時だ。探索帰りの他の冒険者に紛れて街へと向かう彼の背中で、血のこびりついた斧がぎらりと光っている。誰にも気付かれぬよう、カインはその口元に静かな笑みを浮かべた。
もはや、疑うまでもなく。あの桜の庭園にも金色の天空城にも、誰一人として正気の者などいないのだ。
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