【SQ3】1 はじめての探索
インディゴという男を簡潔に言い表すならば、「変わっている」の一言に尽きる。
彼はセレスト・ブルー海賊団の船長である。荒くれ者たちを率いる長なのだから、さぞ威厳のある海賊なのだろう……という部外者の予想とは裏腹に、一見すると軟派にも見える端正な顔立ちをした色男だ。だが彼は紛れもなく海賊であるし、それと同時に海賊にしてはどこか「ずれて」いる、奇妙な男なのである。
セレスト・ブルー海賊団が海賊でありながら公権力の下に身を置いているのは彼の主導によるものである。先代船長から若くして船を受け継いだ上、さんざん敵対してきた体制側の軍門に下るという半ば賭けのような方向転換を強行した彼に、反発が無かった訳がない。事実、インディゴが船長の座に就いてからセレスト・ブルー海賊団に籍を置く海賊の数はかなり減った──が、数年経った今では彼の舵取りに文句を言う者は誰もいない。何故なら、彼の指揮の下で私掠船として活動を始めた海賊団の懐事情は史上最高に潤っているし、それでも納得いかない者はとっくに全員出て行ったからだ。
自由を謳歌するアウトローではなく、規律に縛られた私掠船の長として船を纏め上げ、地位と富を築いた男──言うまでもなく変わっている。しかし海賊らしからぬ感覚の持ち主ではあるがその才覚は確かで、海賊団に残った部下達が彼に向ける信頼は厚い。……だが、まあ、たまに突拍子もない行動を始める事だけはどうにかしてほしいと多くの部下が思っているのだが。
「……っしゃ! こいつで最後だ!」
威勢のいい声と共に突剣を引き抜けば、若緑の地面に鮮血が散る。事切れた魔物の死骸を放り捨て、インディゴはふふんと鼻を鳴らして得物を肩に担いだ。
「思ってたより何て事ねえな! 鱗と歯剥いどくか。チヨ、こっち手伝え」
「ああ」
短刀を収めて辺りを見回していたカゲチヨがインディゴの元へ歩み寄っていくのを見送りながら、ベロニカは長く重い息を吐いた。傍らではティルが魚に噛みつかれた傷跡を繰り返し指先で擦っている。既にレイファの治療で傷は癒え、うっすらと肌に痕を残すばかりになってはいるが、それでも傷は傷だ。
「いやほんと、いくら船長がヘンだって言ってもこんな所に連れてくるのはヤバいでしょ……」
苦々しげに呟いたベロニカの足許で赤い魚らしき魔物が力無く跳ねている。最期の力を振り絞ってビチビチもがくそれをうんざりといった風に蹴り飛ばし、彼女はううんと唸って肩に手をやる。そこに乗っているのはいかにも重たげな機械だ。蛍光色の羽のようなパーツがついたそれを見下ろし、何とも言えない微妙な表情で言う。
「星術器が安く手に入ったのは、良かったけど」
「前に使ってたやつ、船と一緒に沈んじゃったからねえ」
苦笑混じりに応えるレイファの手に握られているのは魔物から取り外した歯である。こうした魔物から採れる素材を売って得られる金銭は冒険者にとって大きな収入となる。とはいえここは新米冒険者が多く集まる迷宮第一階。当然ながら採れる素材は既に市場に出回りきっているし、この歯ひとつを売ったところで返ってくる額は子供の小遣いにも満たない。
「塵も積もれば何とやら……ってね。地道に頑張っていくしかないよ」
「なんでレイファも流されちゃってるのよ! 船長の横暴を許していいの!?」
「落ち着きなって。……冒険者以外の就職先が無かったのも本当の事なんだし」
ベロニカが言葉に詰まる。確かにレイファの言う通り、流れの海賊を雇おうとする者は海都中を探しても数える程しかなく、それも求められていたのは肉体労働に耐えうる人員だ。屈強な海賊達ならともかく、ベロニカやティルのような女子供にそんな仕事が務まるはずもない。女子供でも働ける場所も、探せばあるかもしれないが……。
「経験上、そういうとこがまともな事ってまず無いからね。冒険者が良いって訳じゃないけどさ、あんた達に変な仕事させるっていうのも、それはそれで嫌だし」
「うう……」
「まあ危ないっていうのはその通り。何かあったらティルと一緒にすぐ逃げなね。そのために後ろにいさせてるんだから」
「……先に進むが、構わないか」
いつの間にか近づいてきていたカゲチヨが静かに尋ねてくる。一声応えて歩き出したレイファの後をベロニカも慌てて追いかけた。
セレスト・ブルー海賊団の五人……改め、ギルド『セレスト・ブルー』がいま探索しているのは、地面に開いた大穴の内壁に沿う形で広がる世界樹の迷宮・地下一階だ。地上から流れ落ちる水の音と鮮やかな緑に包まれたこの場所は垂水ノ樹海と呼ばれており、聞くところによると迷宮の「第一層」なのだという。
「世界樹の迷宮っていうのは層構造になってて、階層が変わると様子もガラッと変わるらしい。ここは普通の森とそんな違いはねえが、次の階層は全然違った様子なんだそうだ」
と、先頭を歩くインディゴが頭上から垂れた枝を除けながら言う。すぐ後ろにいたベロニカは興味なさげに相槌を打って彼に問いかける。
「船長、なんかやけに詳しくない?」
「そりゃ色々聞いて回ったからな。何事も情報収集が基本だろ」
「ふーん」
時折飛び出してくる魔物を倒しては素材を剥ぎ取りつつ、一行は先へ進んでいく。鞄の容量にもそろそろ余裕が無くなってきた頃だが、ここで引き返すのはいささかもったいない。何故なら、ミッションで指定された範囲の地図がもう少しで書き終わるからだ。
ミッションとはアーモロードの統治機関であるロード元老院から冒険者へと発令される公的な指令の事である。アーモロードで冒険者として活動するためにはまず、迷宮内の特定範囲の地図を作製するというミッションを完遂しなければならない。つまるところ、この指令を通じて新人冒険者達の適性を測っているというわけだ。
「冒険者になるのにも試験が必要なんて世知辛いね」
「多少はふるいにかけなきゃならないんだろ。元老院公認の肩書きを何の条件もなく与えるってのも面子が立たないだろうし」
……歩みを進めるうち、微かに聞こえていた水の音が徐々に大きくなってきた。進行方向の左手に見えてきた大きな滝は迷宮の足を踏み入れて初めに見たものと同じものに見える。ベロニカは隣のカゲチヨが持っていた地図を覗き込んだ。いま立っているのは滝のちょうど西側にあたる場所のようだ。つまり、すぐそこの木々の向こう側に迷宮の出入口前の広間があるという事になる。
滝に近づいてみれば冷たい飛沫がかかって気持ちが良い。日差しも強すぎず弱すぎず、涼やかな風が頬を撫でる。ここに弁当でも持ち込めばさぞ良いランチの時間が過ごせる事だろう。レイファがほぅと息を吐いてインディゴを振り返る。
「ちょっとここで休憩しない? まだ急がなくても大丈夫でしょ」
「おー。じゃあそうするか」
「やった!」
軽い調子の返事にベロニカが喜びの声を上げ、駆け足で滝へと近づいていく。滝を仰いでうんと伸びをし、後ろからちょこちょこと追ってきたティルを呼び寄せると彼女は水際を指さして問う。
「見て、キノコ生えてる。これ食べれるかな?」
「んー、たべれる!」
「えー? 何を根拠にそんな……あっ! こら! 食べちゃダメだってば!!」
「ちょっともう何してるの!」
得体の知れないキノコを口に運ぼうとするティルを慌てて止める女性陣を横目に、インディゴは一人滝の傍を離れて通路の方へ歩いていく。どうやら何かを探しているらしい。茂みを掻き分け、木々の隙間に目を凝らす彼の背中を、カゲチヨがじっと見つめる。
「……何をしているんだ?」
「ん? ああ、抜け道とかあったりしねえかなーって」
「抜け道」
「ここ突っ切ればすぐ出口だろ。わざわざ来た道戻るのも面倒だし……おっ、ここ通れそうじゃねえか?」
インディゴが指さした先の茂みには確かに獣道のような隙間がある。カゲチヨは静かに短刀を抜き、頭上の邪魔な枝葉を切り落とした。多少引っかかりはしそうだが、これで通り抜ける事はできるだろう。
抜け道の向こうの広間をじっと見るカゲチヨの肩に腕を回し、インディゴは機嫌良さげに言う。
「助かるぜ。ついでにもうひとつ手伝ってくれ」
「何だ」
「そこに転がってるやつを漁りたい」
示された方向からは微かな血の臭いが漂っている。
インディゴが腕を離して来た道を何歩か戻っていく。カゲチヨは一度、背後を振り返り、少し離れた滝の傍でキノコがどうこうと話し合っている三人を見た。それから足音を立てないようにゆっくりと茂みに足を踏み入れ、屈んでごそごそと手を動かしているインディゴの隣に並ぶ。彼の目の前に横たわっているのは冒険者らしき男の死体だ。
「流石に金は持ってなさそうだな」
死体の懐を探りながらインディゴは呟く。
「ああ、装飾品が残ってるわ。これは換金できるか……そっちの袋は何が入ってる?」
促されたカゲチヨはすぐそこに落ちていた血塗れの荷物を拾い上げ、中を覗き込んだ。ぐちゃぐちゃになっているが中身は無事なようだ。
「……薬の瓶がいくつか」
「お、それはありがたい。貰ってこうぜ」
カゲチヨはインディゴの言葉にひとつ頷くと袋の中に手を入れ、ふと指先に触れた薬瓶とは違う感触に思わず手を止めた。引き出してみればそれは血の染みた羊皮紙だ。冒険者ギルド登録証──ギルドカードのようだが、大部分が血で汚れてしまっているため記されている文字は読み取れない。
こびりついた染みを指先で擦るカゲチヨに、インディゴは気にせず取ってけ、と声をかける。
「死んじまってんだからどうしようも無い。こいつだって物資が無駄にならなくて喜んでるだろうよ」
「喜んではいないと思うが」
「そういう事にしとけって。……でもあいつらには言うなよ」
僅かに顔をしかめたインディゴが親指で木立の向こうにいる三人を指す。
「ベロニカとかうるさそうだ。いや、あいつの星術機、格安で買っただろ? あれも実は全滅したギルドから回収したやつらしくて……」
「それは黙っておいて良い事なのか」
「あいつそういうの気にするんだよ。わざわざ伝えて探索に支障が出るくらいなら黙っておいた方がいいだろ。ほら、云わぬが花ってやつだ」
「そうか」
素直に頷くカゲチヨにインディゴはやれやれと肩をすくめ、死体から手を離して立ち上がる。二人が名も知らぬ冒険者から回収した荷物を手にレイファたちの元へ戻ろうとした、その時だった。
は、と顔を上げたカゲチヨが刀を抜く──同時に茂みから飛び出してきた影がインディゴに勢いよく飛びかかった。
「うおっ!?」
「……! インディゴ!!」
異変に気付いたレイファがすぐさま駆け寄ってくる。飛びかかってきた影の正体は青と黄の毛並みを持つ大きなネコのような魔物だ。インディゴを地面に押し倒した魔物は鋭い爪の光る前肢で彼の腕を押さえつけ、素早い動作で肩の辺りに喰らいつこうとする……が、その前にカゲチヨの振るう短刀が魔物の首筋に突き刺さった。
濁った悲鳴を上げて暴れる魔物にもう一度刃を振り下ろすカゲチヨを横目に、駆けつけたレイファがインディゴを引き起こして怒鳴りつける。
「何やってんの、馬鹿!」
「いや急に出てき……痛っ!」
「ああもう、じっとしてて。大きな怪我は……無いみたいだね」
「船長!」
「マモノか? オレもやるぞー!」
慌ててやって来たベロニカが星術の火を放ち、ティルが高い咆哮のような声を上げる。カゲチヨと対峙して唸り声を上げていた魔物は足元を覆った火に怯えたように身を強張らせる。その隙に襲いかかったのは上空から飛来したオオタカだ。ティルの呼び声に応じて現れた鳥は果敢に魔物へと肉薄し、顔を嘴で何度もつつく。
嫌がるように首を反らせた魔物の無防備な喉元に、カゲチヨが短刀を深く突き立て、ぐっとひねる──しばし脚をばたつかせていた魔物がやがて動かなくなった事を確かめたところで、カゲチヨはようやく刀を抜いた。支えを失った獣の体が地面に崩れ落ちる。
インディゴの手当てを──手当てと呼ぶには少々乱暴な手つきであったが──終えたレイファがカゲチヨに声をかける。
「あんたは怪我してない?」
「していない」
「そっか。まあ、インディゴなんかよりあんたの方がよっぽど腕が立つもんね」
「なんかって何だよ……ああ、ありがとなチヨ。助かった」
労いの意を込めて肩を叩かれても、カゲチヨはこれといった反応を見せない。顔を隠す頭巾と口布の隙間から何を考えているのかよく分からない瞳が覗いているのを見て、インディゴは小さな苦笑を漏らす。
一連のやりとりを傍らで聞いていたベロニカがむっと唇を尖らせる。
「ちょっとー、何でこっちにはお礼言わないの? 私たちも一緒に戦ったのに。ねー、ティル」
「そーだそーだ」
「今言おうとしてたんだよ! お前らもありがと!」
「誠意が無い!」
「セーイがなーい!」
「あるわ! ていうかティルは誠意の意味も分かってねえだろうが!」
やけくそ気味に応えるインディゴとぶうぶう文句を言い始める子供たちを見て、レイファは盛大な溜息を吐いた。魔物の死骸から爪を剥ぎ取って戻ってきたカゲチヨに、彼女は疲れた声で言う。
「今日は帰ろうか。あたし、もう治療ができる気力が残ってないや。地図は明日でもいいじゃない」
「分かった」
頷いて三人の元へ向かうカゲチヨの背中を見送ったレイファはもう一度息を吐き、それから少し離れた茂みをちらりと見やった。草葉の陰から僅かに覗く白い腕を認め、彼女は一度、目を伏せる。
まあ、ああ(・・)ならなかっただけ良しとしよう。
「レイファー! かえるぞー!」
ティルの元気のいい声に片手を挙げて応え、レイファも仲間たちの元へ歩いていく。
そうして、『セレスト・ブルー』の海賊団から冒険者に転身して初めての探索は幕を閉じたのだった。翌日には規定通りに地図を描き上げてミッションをクリアし、それから数日の内に次の階へと進む事になる一行だが、稼いだ金額は新しい船の代金どころか家賃の十分の一にも満たない。陸に上がった海賊たちの奮闘はまだまだ続く。
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