【SQ3】2 戦え! わけあり冒険者

「すーごいネコに絡まれる……」

 げんなりと呟くインディゴには数日前までの元気は無い。彼の足元に転がっているのは探索初日にも襲ってきたネコの魔物……オオヤマネコである。新米冒険者にとって最初の難関と名高い魔物だが、何故か奴らは『セレスト・ブルー』と遭遇するたびにインディゴを執拗に狙ってくるのだ。今日オオヤマネコに出遭った回数は四回、そしてインディゴが食いちぎられそうになった回数は六回である。ここまでくるともはや笑い話だ。

 引き裂かれたシャツの袖をうんざりしたように捲り上げ、オオヤマネコの死骸を蹴り飛ばす彼にレイファが呆れた顔で言う。

「あんた、ネコから恨みでも買ってるの?」

「そんな覚えはねえぞ……」

「でも船長、エラスムスにも嫌われてるよね」

 ベロニカの言葉にインディゴは何とも言えない顔で黙り込む。エラスムスとは海賊団で飼っているネコの名である。人懐っこく活発な性格のネコだが、何故かインディゴには懐かないのだ。

「何が駄目なんだろうな……匂いか……? 香水変えるか……」

「まあ、船長の事は置いといて。この先にはあの大トカゲはいない? ティル、どう?」

「いる! でも、おなじとこグルグルしてるって」

 答えるティルに同調するように、彼の頭──正確には、頭を覆う青い獅子の面──の上に止まっていたオオタカが一声鳴く。このオオタカはティルの「ともだち」だ。どういう仕組みなのか、ティルには動物と心を通わせる不思議な能力がある。その能力を利用してオオタカに空から周囲の状況を偵察してもらい、ティルが彼女から「聞いた」情報を仲間に伝える……航海の際もよく使う方法だが、この樹海でも有効なようだ。

 レイファがふっと表情を緩めてティルの頭を撫でる。

「ティルもタカちゃんもいつもありがとうね」

「エヘヘ」

「同じ所回ってるならさっきと同じように避けられるかな。もうちょっと進む?」

「そうだな、地図だけでも作っとこう。それで帰ったら新しい香水を買いに行く」

「余計な出費はやめて」

 応えるベロニカの声は冷たい。インディゴは肩を竦め、先に歩き出した仲間たちの後を追う。


 地上から流れてきた水が溜まっているせいか、迷宮地下二階は上階と比べて湿気が多い。特に地面は場所によっては足がとられてしまうほどにぬかるんでおり、冒険者たちの歩みを直接的に阻んでいる。こういった場所は非常に厄介だ。泥で動きが鈍るのはもちろん、足場が悪いため魔物と戦うのにも苦労するし、汚れた装備を洗うのにも手間がかかる。

 『セレスト・ブルー』も、つい先ほど初めてぬかるみの洗礼を受けたところである。足首まで泥で覆われたブーツを手近な草葉に擦りつけながら、レイファがうーんと唸る。

「なるべく避けて通りたかったけど、通路一帯がぬかるんでちゃあね……」

「替えの靴とかあれば良いんだけどな。店にあったか?」

「どうだっけ……」

 と、言葉を交わすレイファとインディゴの横を、紫色の影がふわりと通貨する。ベロニカだ。星術機の力で浮遊してぬかるみを回避した彼女は、二人から少し離れた場所にすとんと着地して振り返ると盛大に顔をしかめる。

「うえー、ばっちい。皆よくそんな所歩けるね」

「お前ズルくない?」

「使えるものは使ってなんぼでしょ。それにティルだって、ほら」

 ベロニカが指さした方を振り返ってみれば、ティルを小脇に抱えたカゲチヨがちょうどぬかるみを渡り終えるところだった。地面に下ろされたティルの靴は当然綺麗なままで、インディゴは思わずといったように溜息を吐く。

「あんま甘やかすなよ……」

「だが、俺が運んだ方が速い」

 それはそうだが。腑に落ちないという顔で泥を拭い続けるインディゴを横目に、カゲチヨは少し見てくる、と小さく言い残して通路の先へと歩いていく。彼はシノビだ。ひとりで斥候に出ても問題は無いだろう。

「……そういえば、タカに見に行かせたのってこの辺りだったか。F.O.Eの姿は見えねえが……」

「向こうの方にいるんじゃない?」

「慎重に行かないとね。この辺りは道が狭いし、上手くすれ違えなかったら逃げ場も無いしさ」

「もいっかいみてくるか?」

「ああ、それが良いかもな。もう一回……」

 と、その時である。突如辺りに響いた大きな音に、四人は咄嗟に辺りを見回す。音の出所はさほど遠くない。星術機を起動させたベロニカが張り詰めた声で問う。

「今の、何の音だった?」

「何かが倒れるみたいな……たぶん、木かな」

「魔物が暴れでもしてるのか? 一体どこで……チヨ!」

 インディゴが声を上げた。彼の視線の先、通路の向こうから飛び出してきたカゲチヨは、素早く駆け寄ってくると淡々と告げる。

「冒険者が魔物に襲われている」

「そこの道の先で?」

「交戦しつつこちら側に退避しようとしているようだ。このままだと鉢合わせるが、どうする」

 はああ、と大きく息を吐き出し、インディゴはがしがしと頭を掻く。それから数秒の間を置いて、彼は神妙な表情を浮かべて返答を待っていた四人へ簡潔に指示を出す。


   ◆


 巨大な尻尾が勢いよく振り抜かれ、巻き込まれた木々が軋みを上げて傾く。飛んできた枝葉がこめかみを叩くが、それを気にしている余裕は無い。

「ルル・ベル様! アタシたちは置いて、逃げてください!」

 半ば悲鳴のような少女の声。できぬ、と返そうとしたが、ルル・ベルには叶わなかった。また足を取られた。ずれた脛当ての角がブーツ越しに皮膚に食い込んでいる。奥歯を噛みしめて痛みを堪え、踵が泥に沈みきる前にまた一歩踏み出す。

 背後に迫る魔物は足下に広がる泥濘などものともせず、ただ一心不乱にこちらを追ってくる。『貪欲な毒蜥蜴』とは何とも言い得て妙な名だ。縄張りを巡回しているだけの魔物と思っていたが、それは間違いだった──後悔したところで今更遅いが。

 ライディーンが泥の中で足を踏ん張り、盾を構える。振り下ろされた前肢の一撃は何とか防いだ。不安定な足場の中、白銀の鎧を泥まみれにした彼は必死の形相で叫ぶ。

「シナトベ!」

「喰らえッ!!」

 咆哮と共に振り下ろされた女戦士の槌が、毒々しいまだら模様の浮いた脇腹にめり込む。聞くに堪えない悲鳴を上げて身を捩った大トカゲの尻尾が再び周囲を薙いだ。風圧でよろめくルル・ベルを、横から伸びてきた手が支える。はっとそちらを見やれば、頭から爪先まで汚れた星術師が息を切らしながら立っている。

「アルフレッド」

「大丈夫です? いや、すみません、愚問でした。流石に大丈夫ではないですよね」

「ああ……そなたはどうだ」

「私もいっぱいいっぱいです」

 苦笑混じりに応えるアルフレッドの肩で、星術機の目にも見える部分のランプがちかちかと明滅している。体勢を立て直すルル・ベルが次の言葉を発する前に、少し離れた場所から刺々しい声が飛んできた。

「ルル・ベル様に触るな! ぼーっとしてる暇があるならアンタも戦え!」

 高い少女の声は余裕のない頭によく響く。アルフレッドは顔をしかめて声に応えた。

「そんな事言われても、こっちも弾切れなんだよ、パーニャ!」

「じゃあ肉壁にでもなってろ!!」

 大声で毒を吐きながら、パーニャは低く構えた弩いしゆみから『貪欲な毒蜥蜴』に向かって矢を放つ。まっすぐに飛んでいった矢は魔物の肩を貫いたが、それで止まるような相手ならこうも苦労はしていない。今から逃げようにも、退路はしばらく先まで泥に覆われている。背を向けて逃げ出したところで、逃げ切れる可能性より追いつかれる可能性の方がよほど高いだろう。そうなればもう、なす術は無い。

 ──ここで死ぬわけにはいかない。

 ひとつ深呼吸をして振り返る。大トカゲの足許で奮闘するライディーンとシナトベ、そして二人から少し距離を取って弩に矢をつがえ直すパーニャの姿が見えた。三人とも疲弊している。あまり力は残されていないだろうが、それでもやらねばならない。殺される前に殺す。それだけが生き延びる道だ。

 ぐっと拳を握りしめ、号令をかける──その時だった。ルル・ベルの声を遮るように、背後から聞きなれない声が飛ぶ。

「伏せてーっ!!」

 はっとするルル・ベルの肩を慌ててアルフレッドが掴み、その場に屈ませた。頭上を何か高温のものが猛スピードで通り過ぎていく感覚。顔を上げて見てみれば、弾丸のように飛んでいった火の玉が『貪欲な毒蜥蜴』の顔面に直撃したところだった。呆然とするルル・ベルとアルフレッドの傍に泥を踏む足音が近づいてくる。振り向けば、口布と頭巾で顔を隠した男がそこに立っていた。

 彼はそっと身を屈め、ルル・ベルに向かって手を差し出す。

「立てるか」

 静かに問う声から害意は感じられない。ルル・ベルは少しの逡巡の後、その手を取った。

「えーと、ぜんぶで五人? なんだ全員生き残ってるのか。そっちの奴らは無事か」

「ああ」

「そりゃようござんした。お前はそっちの二人についててやんな。よっし行くぞ!」

「いくぞー!」

「ちょっと! 前に出すぎだよ! ベロニカ、援護お願いね!」

「はーい」

 男の仲間だろうか。彼の後ろから駆けてきた複数の人物が、続々と泥を踏み越えて魔物の元へ向かっていく。そこでようやくルル・ベルは他の冒険者が加勢に来てくれたのだと気付いた。顔についた泥を拭い、傍らに立つ男に声をかける。

「そなたたちは一体……いや、まずは礼を。助力に感謝する」

「礼ならあの男に」

 彼が示したのは、先陣を切って駆け込んでいった軽装の男だ。聞けば、あの男が彼らのギルドマスターなのだという。ルル・ベルは突剣を振るう男の背中をじっと眺めた。

 冒険者たちの加勢により状況は大きく変わったようだ。傷付き疲弊していたこちらの仲間も、赤髪の女性の治療によりすっかり回復したらしい。槌、槍、矢、剣、星術……猛攻を受けた『貪欲な毒蜥蜴』の悲鳴が辺りにこだまする。それからついに力尽きた魔物の四肢が泥に沈むまで、さほど時間はかからなかった。


 加勢に来た冒険者たちは『セレスト・ブルー』と名乗った。ぬかるみを超えて固い地面に降り立つと、ルル・ベルはギルドマスターだという突剣を持った男に向き直る。

「改めて、礼を言おう。貴殿らのお陰で皆が生き延びる事ができた。感謝する」

「ん? ああ、別に礼は良い。良いんだが、代わりにアレを貰ってくぜ」

 男が示したのは『貪欲な毒蜥蜴』の死骸……ではなく、死骸の傍で何やら作業していたあの頭巾の男だ。その手には大ぶりなナイフが握られていて、どうやら彼は大トカゲの背びれを切り取ろうとしているらしかった。隣に立っていたシナトベが何か言いたげに口を開こうとするのを止め、ルル・ベルは男に応える。

「構わん。戦利品ひとつで貴殿らの助力に報いる事ができるのなら安いものだ」

「ふうん? その口ぶりだと、もし報酬に金一封でも寄越せっつったら渡してくれたのか? ……冗談だ、冗談!」

 シナトベの眉がますます寄る。ルル・ベルはひとつ溜息を吐いた。

「……そうだ、まだ名乗っていなかったな。妾わらわの名はルル・ベル。このギルドの……『カーテンコール』のギルドマスターだ」

「俺はインディゴ。まあよろしくな、お嬢さん」

「お嬢さん……」

 僅かに顔をしかめるルル・ベルを見てクククと笑い、インディゴは背後を振り返った。見れば、ちょうど頭巾の男が大トカゲから背びれを切り取り終えたところだ。

「終わったか。じゃあ、俺らはそろそろ行くわ」

「……ああ。気を付けて進むといい」

「お互いにな」

 踵を返して去っていくインディゴと入れ替わりに、赤髪の女性が駆けてきた。つい先ほどまでルル・ベルの仲間たちの傷を癒してくれていた彼女は、ルル・ベルの元へやってくると困ったように笑う。

「あんたは怪我してない? ごめんね、あいつ気が利かなかったでしょ」

「ああ……手当ては不要だ。気遣い感謝する」

「そう? なら良いけど。一応これ渡しとくね」

 そう言って女性は片手に握っていた薬瓶を二つ差し出す。受け取ったルル・ベルが礼を言えば、彼女は人好きする笑みを残して仲間の元へ戻っていった。

 『セレスト・ブルー』の姿が通路の先へ消えるまでその場に立ち尽くしていたルル・ベルに、シナトベが声をかけてくる。

「礼儀のなっていない連中でしたね」

「冒険者などそんなものだろう。……助けられた事には感謝せねば」

 そう応え、ルル・ベルは手の内の薬瓶を眺める。そういえばギルドマスター以外のメンバーの名前を訊き忘れていた。次に会う機会があれば、その時にでも教えてもらおう……正直、あのインディゴという男とはあまり話したくはないが。

 物思いにふけるルル・ベルを、少し離れた場所からライディーンが呼ぶ。

「ルル・ベル様! アルフレッドの星術機が直りました!」

「いやあ、自力でどうにかなる範囲の故障で良かったですよ。ご迷惑おかけしました」

「もっと申し訳なさそうにしろ……」

 じろりと睨んでくるパーニャの言葉を軽く受け流しつつアルフレッドはルル・ベルに問う。

「さて、これからどうします? 彼らに倣って先に進みますか?」

「いや、一度街まで戻ろう。……装備を整え直さねばな」

「承知しました。アリアドネの糸を使いますね」

 シナトベが荷物を漁り始める。帰還に備えて一か所に集まってくる仲間たちを横目に、ルル・ベルはふと自身の体を見下ろした。乾いた泥が脚だけでなくドレスの裾にまで飛んでいる。この様子では綺麗に洗ったとしても染みが残ってしまうだろう。パーニャあたりは自分の事のように落ち込みそうだが、ルル・ベルにとってはある意味僥倖であった。

 こうして一度汚れた事で踏ん切りがついた。冒険者に身をやつした以上、どうせこれからいくらでも泥を這いずり、魔物の血を浴びる事になるのだ。泥の染みのひとつふたつ、何を気にする必要があろうか。

「……ルル・ベル様? 準備できましたよ!」

「ああ、今行く」

 呼び声に応え、歩き出す。……それでも、まあ、帰ったら宿屋の少年に洗濯できるか訊ねてみよう。だからといって服を汚れたままにしておくというのも気分が良いわけではないし、それこそパーニャが落ち込む姿もあまり見たくはないし……。

 ルル・ベルが仲間たちの元へ合流すると、やがて微かな転移の音だけを残してその姿はかき消えた。冒険者のいなくなった迷宮は元のような静寂に包まれる。

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