【SQ3】3 海賊、海に出る

「……俺たちに船を貸す?」

 訝しむ調子が多分に含まれた問いに、インバーの港の管理人は大きく頷いた。

「君たちも知っての通り、アーモロード周辺の海域はとてもではないが安全に航海ができるような状況ではない。安全な航路を確立させ、長く断絶されている他港との交流を復活させるために、諸君らの力を借りたいのだ」

 インディゴは眉を大きく上げ、それから何気なくすぐ後ろに立っているレイファの様子を窺った。彼女はインディゴと管理人との会話に口を挟むつもりは無いらしい。黙ったままのレイファから視線を外し、インディゴは改めて目の前の老人に向き直る。どうも背筋がピリピリすると思ったら、この男、もしや元同業者か。一見穏やかな瞳の奥に見え隠れする値踏みするような色に居心地の悪さを感じながら話を続ける。

「一介の冒険者ごときの力を借りる必要が?」

「詳細な海図を作り上げ、再び航路を拓くにはあまりにも人手が足りないのだよ。それに君たちを指名したのは他でもない、君たちの仲間からの推薦があったからだ」

「……ウィリーの奴か」

「先日から港で働いてくれているのだがね、なかなか優秀だ」

 脳裏に浮かんだふざけたニヤけ面を、頭を振って掻き消す。黙り込むインディゴに向かって、管理人は静かな、しかしどこか有無を言わせないような口調で告げる。

「成果を出せばその分の報酬は約束しよう。それに、航路の開拓は君たち自身のためにもなると思うのだが、どうかね?」 

 背中越しにレイファの視線をありありと感じる。インディゴは盛大な溜息をひとつ吐き、それから管理人に向かって右手を差し出した。

「なるべく良い船を頼むぜ」


   ◆


「それで、どうして魔物の討伐という話になるんだ」

 カゲチヨの言葉にレイファは肩を竦める。二人が立っているのは元老院から貸し出された船の甲板で、言葉を交わす間にもすぐ後ろでは忙しなく人が行き来していた。

 出航を目前に控えて準備に追われているのはアーモロード中に散らばって労働にいそしんでいた「野郎ども」だ。彼らも久々の船出を前にして高揚しているらしい。その一挙手一投足にはどこか熱が籠っているように見える。

 どこかで誰かが積み荷を甲板にぶちまける音。続いて響く怒鳴り声に顔をしかめつつ、レイファが眼前に広がる海の向こうを指さす。

「だいたいあの辺りかな。ここから西北西に行った所に大きな灯台があるらしいんだよ。ほら、海都に来る時にも見たでしょ」

「……あの巨大な鳥が飛んできた灯台か」

「そう、あたしらの船を襲った鳥。あいつはその灯台……スカンダリア灯台っていうらしいんだけど、あそこに勝手に棲みついて近くを行き来する船を襲ってるみたいでね。まずはあいつを何とかしない事にはおちおち沖合の調査もできないとか」

「成程」

「まあ、討伐自体は他の冒険者がするらしいから、こっちは船の事にだけ集中してればいいんだけどさ」

「船長ー! 冒険者が来ましたよ!」

 船員のひとりが上げた声がレイファの言葉を遮った。おーうと気の抜けた返事をしながら船室から出てきたインディゴが梯子を伝って地上へ下りていく。曲りなりにも船長である彼は前日からインバーの港が所有している分の海図とにらめっこしながら──ついでに航海士であるウィリーと喧嘩しながら──航海の計画を立てていた。横顔に微かな疲れが見えたのはそのためだろうか。

「距離的には多めに見積もっても往復二日かからない程度だけど、何せ初めての船だからね。この「お嬢さん」があたしたちに舵を任せてくれるか、まだ分からないから……あいつも慎重になるってもんさ」

「そういうものなのか」

「そういうものだよ」

 そうか……と分かっているのかいないのか判然としない調子で呟くカゲチヨにレイファは苦笑を漏らす。そうしている間に船員たちはおおよそ準備を終えたらしい。各々が持ち場につき始めるのを見て二人も動き出そうとした、ちょうどそのタイミングを見計らったかのように、インディゴが梯子を鳴らしながら甲板へ戻ってくる。その顔に浮かぶのは何とも釈然としない表情だ。怪訝に思ったレイファが声をかける。

「どうしたの、変な顔して」

「いや……妙な縁ができちまったなと思って……」

「何の話だ」

 カゲチヨが問えば、インディゴは何も言わずに親指で梯子を示してそのまま船室へ戻っていく。どうしたことかと顔を見合わせていると、再び梯子から誰かが上ってくる音がした。それからしばらくして現れた姿に、レイファが驚きの声を上げ、カゲチヨは僅かに首を傾げる。

 船に乗り込んできたのは、つい先日出会ったばかりの冒険者……『カーテンコール』と名乗った一行だったのである。


 『カーテンコール』に例の巨鳥──サエーナ鳥の討伐依頼が回ってきたのは、まったくの偶然であった。たまたま依頼が張り出されている現場に立ち会い、たまたま引き受けられる冒険者がいないと聞き、それで流れのままに受領したのである。

「でも、ここのギルドが船を任されてるって知ってたら引き受けませんでしたよ。ね、ルル・ベル様」

 甲板を囲む舷縁に肘をつきながらパーニャがぼやく。同意を求められたルル・ベルは肯定とも否定ともつかない曖昧な相槌を打ちつつ、潮風で乱れた髪をそっと直した。

「それにしても、冒険者かと思ったら船乗りだったなんて……なんで陸おかに上がって迷宮なんかに潜ってるんだろう」

「彼らにも事情があるのだろう。あまり詮索すべきではないぞ」

「しませんけどー……でも気に入らないじゃないですか、あの男。『こんなお嬢さんに仕事ができるのか?』だなんて言って! あいつルル・ベル様が若くて美人だからって舐めてるんです。一回こらしめておくべきですよ!!」

「ぱ、パーニャ……そういう事は後で聞いてやるから、今は静かに……」

 慌てて諫めれば、パーニャははっと口に手を当ててすみません……と呟く。そっと辺りを見回してみたが、幸いこちらの話を聞いていた者はいなかったようだ。ルル・ベルは眉を下げて笑い、縮こまった彼女の背中を撫でた。

「確かにあの男の物言いは気持ちの良いものではないが、妾の力量が足りていないというのもまた事実。そこは甘んじて受け入れよう。……しかしそなたの気持ちは嬉しい。そなたが妾を想ってそう言ってくれている事はきちんと分かっているからな」

「姫様……」

「今度の戦いでもそなたを頼りにしているぞ。力を合わせ、共に怪鳥とやらを討ち滅ぼそう」

「……! はいっ! 任せてください! 魔物なんてアタシの弩で全部倒しちゃいますから!」

 先ほどまでのしおらしい様子はどこへやら。拳を握って意気込み始めるパーニャを微笑ましい気持ちで眺めていたルル・ベルは、何気なく背後を振り返って思わず声を上げた。いつの間にか背後に男がひとり立っている。

 顔面に傷のあるその男は、何を考えているのかよく分からない顔でルル・ベルとパーニャを見つめている。ルル・ベルの声に驚いて振り返ったパーニャがその姿を認め、きっと表情を険しくした。

「ちょっと、なに見てるの。何か用?」

「……大きな声を上げていたようだったから、様子を見に来た。驚かせたのなら謝る」

 男の返答を聞いたパーニャが言葉に詰まる。そこでルル・ベルは、目の前の彼が迷宮での一件の際に自分を助け起こしてくれた頭巾の男だと気付いた。あの時は顔が見えなかったため一目見ただけでは分からなかった。

 何も言い返せずにむむ……と唸って黙り込むパーニャからルル・ベルへ視線を移し、男は呟く。

「姫、と」

「……何?」

「そう言っていたように聞こえた」

 張り詰めた空気が流れる。パーニャが青い顔でこちらを見てくるが、ルル・ベルはなるべくそちらに視線を向けないよう意識しながら男を見返した。この船は彼らの領域だ。可能ならば表に出したくはなかったが、下手に隠し立てをしてあらぬ疑いをかけられるより、素直に話した方が良いだろう。

「如何にも、妾は祖国では姫と呼ばれる立場にある。だがこのアーモロードの地では一介の冒険者に過ぎぬ」

「…………」

「とはいえ……あまり表立って祖国での立場を明らかにすれば、余計な揉め事が起きるやも知れぬ。故に、我が従者には表立ってそう呼ばぬよう言っていたのだが……少し気が緩んでいたようだ。不信を抱かせたのならば詫びよう」

「る、ルル・ベル様」

 パーニャがあわあわとルル・ベルと男を見る。黙ってルル・ベルの話を聞いていた男は、やがてゆっくりと口を開く。

「──高貴なお方、でしたか」

「え、ん? ああ……まあ、そうだな」

「非礼をお許しください」

「い、いや、そなたが畏まる必要は無い。面を上げよ」

 深々と頭を下げていた男はそっと姿勢を直す。それから口を開いた彼だったが、離れた場所にいた他の船員の大声がそれを遮った。どうやら何かの仕事に呼ばれたらしい、一礼を残して踵を返す男をルル・ベルが呼び止める。

「分かっているかも知れぬが、妾の素性については他言無用で頼む」

「承知しました」

「それと……そなたの名は何という?」

「カゲチヨと申します」

 先程と同じ船員の声がもう一度聞こえる。今度こそ去っていった男の背中を見送り、ようやく肩の力を抜いたルル・ベルは傍らのパーニャを見る。数分前から憤ったり奮起したり焦ったりと忙しない彼女は、カゲチヨが去っていった方向をじっとみてぽつりとこぼした。

「アイツ……良いやつかもしれない……」

「……そなた、そういう単純なところは直した方がいいぞ」

 船首付近に腰を下ろし、星術機を展開してうんうん唸っていたベロニカの視界に影が落ちたのは、水平線の向こうに見えていたスカンダリア灯台の輪郭が鮮明になり始めた頃の事だった。顔を上げてみると、見慣れない長身痩躯の男が少し離れた場所に立ってこちらを見ている。

 彼はベロニカの視線に気付くと片手を挙げて歩み寄ってきた。その肩にはベロニカと同じように星術機が乗っている。

「やあ、どうも」

「えーっと……『カーテンコール』の星術師の人。何か私に用事?」

「そういう訳でもないけど、何をしているのか気になって。……それは、星体観測かい?」

 ベロニカはひとつ頷く。彼女の掌の上に広がる扇状の光は一見するとただの光にしか見えないが、実際は周囲の環境を探知して映し出す事のできる観測術式だ。

「私の仕事はこれなの。普段は海の中に勇魚とかがいないか観測してるんだけど、今日はあの鳥が飛んでこないか見てるって感じ」

「ああ、成程。……私も一緒に見ていてもいいかい?」

「いいよ。でも邪魔はしないでね」

 ありがとう、と微笑み、男はベロニカの隣、しかし近すぎも遠すぎもしない位置に腰を下ろす。

「そうだ、私の名前はアルフレッド。君は?」

「私はベロニカ。アルフレッドさんね、よろしく」

「……、よろしく」

 アルフレッドの事はあまり気にしないようにしつつベロニカは周囲の観測を続ける。今回の航海で最も警戒しなければならないのはサエーナ鳥だ。あの鳥が灯台を離れている時間帯は海兵隊による調査である程度分かっている上、今日のような晴天ならば何か飛んでくればすぐに分かるだろうが、何事も例外はある。もう一度船を沈められては堪ったものではないし、気を配るに越した事はないのだ。

「それにしても、星体観測はそういう風に航海の補助にも使えるのか……初めて見たな」

「まあ、あんまり使ってる人はいないかもね。星術機が錆びないようにいちいちメンテナンスするのも大変だし」

「それは、確かに……」

「私も慣れてない頃はすぐに錆びつかせちゃって……あ、待って、反応がある」

 ベロニカが真剣な表情で掌の上の光を覗き込む。アルフレッドは静かに腰を上げて灯台の方角を見た。確かに、鳥のような影が灯台を離れてどこかへ飛んでいくのが視認できる。距離が離れているため感覚が掴みにくいが、鳥にしてはかなり巨大なサイズである事は確かなようだ。アルフレッドがそう言えば、ベロニカは僅かに顔をしかめて頷いた。

「じゃあそれがサエーナ鳥だね。……船長! 標的確認! どっか飛んでった!」

「はいよ。じゃあ今のうちに近付いとくか」

 それからすぐさま甲板にいた船員たちに号令が飛び、穏やかだった周囲の空気はにわかに慌ただしいものとなる。術式はそのままに、邪魔にならないよう移動しようと立ち上がったベロニカは、アルフレッドを振り返って告げる。

「そろそろ上陸の準備しといた方がいいかも。風向きが良くなってきたから、たぶん着くまでそんなに時間かからないよ」

「あ、ああ。ありがとう。……なあ、ベロニカ」

「なに?」

「…………いや、やっぱり何でもない。呼び止めてごめんよ」

 含みのある返答にベロニカは首を傾げたが、深く追求はせずそのまま身を翻して去っていく。小柄な彼女の背中で薄紫の髪が揺れるのを、アルフレッドは片方だけの目でじっと見つめていた。


   ◆


 結果から言うと、サエーナ鳥の討伐は成功した。戦利品らしき巨大な爪を抱えて灯台を下りてきた『カーテンコール』を回収し、半日間の航海を経て船はインバーの港へと帰港する。地上に下り立ち、これといったトラブルも無く処女航海を終えた船を見上げてウィリーが満足気に言う。

「聞き分けの良い娘で助かったぜ。これ本当に好きに使って良いのか?」

 彼の言葉に、船から下ろした積み荷のリストを確認していたインディゴは不機嫌そうな表情で振り返る。どうやら馴染みの無い港での慣れない手続きに追われて疲弊しているようだ。

「港のじいさんの言ってる事が本当ならな。ただ海図とか交易品になるような物は発見し次第提出しろってよ」

「つっても維持費はほとんどあちらさんが持ってくれんだろ? 破格じゃねえか」

「だからってそう頻繁に海に出られる訳じゃねえ。しばらくは陸でセコセコ働くしかないだろ」

「ちぇ、つまんねえ事言いやがる……」

 と、ぼやきつつもウィリーはそれ以上の文句は言わなかった。代わりにもう一度船を見上げ、思い出したように問う。

「名前は決めたのか? 航海が終わってから決めるっつってたろ」

「あ? あー……」

 アーモロードでは航行管理の都合上、船に名前をつける事が必須である。本来ならばこの船も航海の前に名付けをしなければならなかったのだが、インディゴが何だかんだとごねて先延ばしにしていたのだ。

 頭をがしがしと掻き、インディゴはしばし沈黙した後ぽつりと呟く。

「ステラマリス」

「……格好つけすぎじゃねえの」

「うるせえ、最近の流行りはこんな名前なんだよ」

 ヤケ気味に吐き捨てて去っていくインディゴの背中を肩を竦めて見送り、ウィリーは顎に手を当ててふむと唸る。海賊の操る船の名としてはいささか詩的すぎる気もするが、ゲン担ぎとしてはなかなか悪くない。

「しかしまあ、『海の星』なんて随分大きく出たもんだ……」

 一言漏らして、ウィリーは懐から取り出した煙草に火をつける。彼の背後、沈みかけの夕日をした船は、ただ沈黙したままその場に鎮座していた。

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