【SQ3】5 行き倒れブルース

 砂浜で倒れていた男は自らをタマキと名乗った。砂浜からアーマンの宿に運ばれ、併設された診療所で処置を受けた彼は、数時間の内に目を覚まして元気を取り戻したらしい。夜になって宿屋の少年に呼ばれ、病室を訪れた『カーテンコール』の四人──アルフレッドは星術機の整備が忙しいとかで来なかった。勝手な男である──が見たのは、すっかり血の気が戻った男の顔であった。

 集まった一同を前に、タマキは深々と頭を下げる。

「助けてくれた事、心から感謝する。おかげで何とか生き延びた」

「面を上げるが良い。何はともあれ、そなたが無事で何よりだ」

 ルル・ベルが応えれば、タマキはほっとした様子で顔を上げた。しかしそれも一瞬の事で、すぐにその顔にも緊張した表情が戻ってしまう。ベッドの上で正座したまま戸惑ったように視線を彷徨わせる彼にライディーンが話しかける。

「あんた、冒険者か? 武装してたようだが」

「武装……あ、刀! 俺の刀はどこに……」

「こっちで預かってるよ。あんたがおかしな奴じゃないって分かったら返すから」

「あ、ああ……そうか、分かった……」

 諫めるようなライディーンの言葉にタマキははあ、と息を吐く。居心地悪そうに体を揺らし、彼はゆっくりと口を開いた。

「ええと、言いにくいんだが、俺にはその冒険者という言葉の意味がよく分からない。一応、職業は流れの傭兵という事になるかな……」

「冒険者っていうのは世界樹の迷宮を探索する人を指す言葉ね。その物言いだと、冒険者になるためにアーモロードに来たわけではないのかしら」

「世界樹の迷宮……話には聞いた事があるが……」

 シナトベとライディーンが顔を見合わせる。どうやら本当に知らないようである。嘘を吐いているという可能性も否定はできないが、そもそもこんな嘘を言ったところで意味があるとは思えない。さてどうしたものかと考え始める二人をよそに、パーニャが呆れたように問う。

「それにしても、どうして砂浜に? まさか漂流したの?」

「実はそのまさかで……いやその、本当はアユタヤへ行くつもりだったんだが、間違えてアーモロード行きの船に乗ってしまって……」

「乗ってしまって?」

「……密航者扱いされて、甲板から海に放り投げられて……」

「そんな事ある!?」

「俺も驚いた……着水するまで何が起こったか分からなかった……。それからの事はあまり覚えていないが、何とか泳いで陸を目指そうとして……それで辿り着いたのが、俺が倒れていたという砂浜なんだと思う……多分……」

 話が進むにつれせっかく取り戻した元気を徐々に失っていくタマキを見て、『カーテンコール』一同はいよいよ心配になってきた。彼が怪しい行き倒れであるというのはそうなのだが、怪しむ気持ちよりこの男は本当に大丈夫だろうかという気持ちの方が強くなってきてしまっている。

 ルル・ベルが困ったような表情で口を開く。

「それで、そなたはこれからどうする気だ?」

「……まったく考えつかない。この街に良い働き口はあるだろうか? 傭兵の真似事しかできないのだが……」

「それこそ冒険者になるしか無い気がするわね……」

「ふむ。……このギルドに入るか?」

 その場の全員の視線がルル・ベルに向いた。パーニャが非難の色が混じった声でルル・ベル様~……と呼ぶが、ルル・ベルは肩を竦めただけで何の言葉も返さなかった。タマキはルル・ベルを見つめたまま何度か瞬きをし、ええっと、と呟く。

「ギルド……とは」

「正確には冒険者ギルドという。世界樹の迷宮を探索する冒険者の集まり、といったところだ。つまり、そなたにその気があるなら妾たちの仲間にならぬかと言っている」

「え!」

 そこでようやく状況を理解したらしい。タマキは驚きに目を白黒させ、不審な様子でひとしきり『カーテンコール』の面々の顔を見回した後でようやく口を開く。

「い……いいのか?」

「そなたが良いのならな。当然、こちらの意向に従ってもらう事にはなるが」

「いや、いや……構わない。その申し出はとてもありがたい。ぜひ貴女たちの仲間に入れてほしい」

「では、そうしよう。そなたらもそれで構わぬな?」

 問いかけられた従者たちは各々諦めの滲む笑みを浮かべたり、不服そうに唇を尖らせたりしたが、反論を言う者はいなかった。アルフレッドはこの場にいないが、彼も反対はするまい。仲間たちの意思を確認したルル・ベルはうんと頷き、タマキに向かって片手を差し出す。

「妾はルル・ベル。よろしく頼むぞ、タマキ」

「ルル・ベル殿……こちらこそよろしく」

「早速だがタマキよ。そなた、巨大な魚と戦った経験はあるか?」

「え?」

 唐突な問いにタマキは目を丸くする。彼を見るルル・ベルの表情は至って真剣である。次いでかけられた言葉に、彼はいよいよ困惑しきってええ……と漏らすばかりになってしまった。


   ◆


 アーモロード周辺の海域は複雑に入り組んではいるが、潮流そのものが時期によって変化する事はあまり無く、基本的には安定している。という事は、冷静に流れを見極めれば安全な航路を見つける事も可能であるという事だ。これまでに正式な海図なしでアーモロードに辿り着いていた船たちも、そうして冷静に海を観察して航路を決めていたのだろう。決して簡単にできる事ではないが、それをやってのける熟練の船乗りも、当然存在する。

「……そう、セレスト・ブルー海賊団ならな!!」

 インディゴが高らかに宣言する。野郎どもがそれに応えるようにおおお! と声を上げ、船は一時野太い歓声に包まれた。

 彼らの船が現在停泊しているのはインバーの港ではない。ここは交易都市バタビア。アーモロードから南西に進むこと数日、海流や点在する小島や海賊船の徘徊する海域を抜けた先に位置する都市である。例によって百年前の大異変以降は海都との交流は途絶えていたのだが、それも今日までの話だ。

「いや~最高だな! あっちこっち行き来するだけで報酬が貰えるんだから、やめらんねえよ本当!!」

「でもあの海賊船そのままにしちゃったのが残念だね。あーあ、カロネード砲があればなー」

「もっと功績を立てていけばそのうち大砲つける許可も下りるかもな」

 ウィリーが酒の入ったグラスを揺らしながら上機嫌に言う。ベロニカはふーんと相槌を打ち、彼の持つグラスに手を伸ばした。

「一口ちょうだい」

「何だお前、いつもは飲まねえだろ」

「たまには良いでしょ。……うえーっ、変な味!」

「ほらな、オコサマにはまだ早えんだ」

 顔をしかめて舌を吐き出すベロニカと彼女の頭をがしがし撫でるウィリーを見て喉を鳴らして笑い、インディゴは積み荷の樽から腰を上げて船室へ向かった。机の上に広げたままになっていた海図を見下ろし、記された文字を指でなぞる。正直なところ、バタビアまで来たのはあくまで物資の確保と周辺海域の状況確認のためであり、彼らが本来目指していた場所は別にある。本当の目的地は商業港アユタヤ、南海の北東部に位置する都市だ。

 アユタヤを目指しているのにも明確な理由がある。アユタヤでは、セレスト・ブルー海賊団が拠点としている港との交易が盛んに行われているのだ。直接拠点に帰る事は船の性能的に難しいが、せめて上司に手紙のひとつくらいは出しておきたい。

 拠点を発ってから既に三ヶ月が経過しようとしている。流石にそろそろ便りを出さなければ、死んだものと思われて「切られて」もおかしくない。それはどうしても避けたい事だ。足下は盤石でなければならない。野良の海賊だとか、冒険者だとか、そんな不安定な立場に甘んじていたところでその先にあるのは遅かれ早かれ訪れる破滅だ。自由だの浪漫だの、そんなものに拘って寿命を縮めるなど、ただただ愚かでしかない。

 ──俺はそうはならない。

「インディゴー」

 開けっ放しのドアからひょっこりとティルが顔を出す。

「メシできた」

「ん……ああ、早いな。今日のメニューは何だ?」

「ほしニクと、ヘンなにおいするヤサイのスープ」

「ザワークラウトか。あれ栄養あるから残さず食えよ」

 不満げな声を上げるティルを連れてインディゴは船室を後にする。軋みを立てて薄い扉が閉まり、暗い部屋には描きかけの海図だけが残された。


   ◆


「し、し、死ぬかと思った!!」

 刀を手に、泥だらけになりながらタマキは叫んだ。彼の目の前には巨大なナマズの死骸が転がっている。垂水ノ樹海の主・魔魚ナルメルである。

 迷宮をうろついているF.O.Eは、一度倒しても何日か経過すると同じ場所に別個体が現れるという性質がある。それは迷宮の主とされている特に強力な魔物に関しても同じで、つまりこの個体は先日『セレスト・ブルー』が討伐した個体とは別のナルメルなのである。先代の後を継いで湿地の王として君臨したばかりだというのにこうして狩られてしまうというのは少々気の毒な気もするが、こちらとしてもいつまでも第一層でくすぶっている訳にはいかないのだ。残念だが諦めてほしい。

 後衛で指揮に徹していたルル・ベルがタマキに歩み寄ってくる。

「ご苦労だった。そなたの働き、予想以上のものであったぞ」

「あ、ああ……急に大ナマズを倒しに行くと言われた時は驚いたが、何とかなって良かった……」

「思ったより腕が立つのね」

 解体用のナイフを手にしたシナトベが笑顔で言う。泥と返り血が混ざった液体で汚れたその顔を見てタマキは思わず頬を引きつらせたが、ルル・ベルは特に気にした様子もなく彼女に問いかけた。

「そなたの働きにも感謝する。メディカは必要か?」

「ご厚情痛み入ります。ライディーンが腕を痛めたようですので、そちらにお渡しいただければ」

「分かった。素材の採取は頼んだぞ」

「お任せください」

 踵を返し、ルル・ベルは地面に座り込んで怪我の具合を見ていたライディーンの元へ歩いていく。タマキは少し迷ってからシナトベの後を追った。慣れた手つきでナマズからヒゲを切り取る彼女を横から眺めていると、背後からずんずんと足音が近付いてくる。振り返ると険しい顔をしたパーニャがそこに立っていた。

 何を言うでもなくただじっと睨みつけてくる少女にタマキは困惑を隠せないまま問う。

「ど、どうした……?」

「……何でもない!」

 ふん! とそっぽを向き、パーニャは来た時と同じようにずんずん歩いて去っていく。呆然とするタマキを振り返り、シナトベはあまり気にしないで、と苦笑した。

「あの子人見知りするの。しばらくあの調子かもしれないけど、そのうち慣れるから」

「……いや、俺のような行き倒れを警戒するのは当然の事だ。迎え入れてくれただけでも感謝している」

「謙虚ね。アルフレッドもそういうところ見習ってくれたら良いんだけど」

 タマキの脳裏に長身痩躯の星術師の青白い顔が浮かぶ。今日は彼は宿で留守番中である。そういえば、パーニャは彼に対しても妙に当たりが強い。思い浮かぶ理由はただひとつだ。

「彼も途中で誘われて仲間になったんだったか?」

 何気ない質問のつもりだったが、何かに触れてしまったらしい。シナトベは一瞬だけ手を止め、横目にタマキを見た。タマキが撤回するより先に、彼女は口を開く。

「そうね。私とライディーンとパーニャは、初めからルル・ベル様にお仕えしていたの」

「……なぜ冒険者に、とは訊かない方が良いのだろうな」

「貴方がその選択をする限り、私も貴方に背中を任せるわ」

「そうか」

「……素直に引き下がってくれるのね」

 意外そうに呟いたシナトベにタマキは溜息を吐き、遠い目をして言う。

「人に話せない事は、誰にでもある」


 第二層へ繋がる階段はナルメルの寝床の裏に存在している。元老院の許可を得てからでなければ通れないそこを、『カーテンコール』は一足先に覗き込んでいた。お試しというやつである。衛兵に見つかったら何か言われるかもしれないが、ナルメルを倒したのは事実なのだから言い訳はきくだろう。

 地面にぽっかりと口を開ける下り階段の前に立つと、階下から冷たい空気が吹き上げてきているのが分かる。ルル・ベルが一歩踏み出し、おお……と声を漏らした。

「先が……何だか青いぞ」

「ちょっと行ってみます?」

「そうだな、少し様子を見るだけ……」

 少しそわそわした様子で階段を下り始めるルル・ベルにぴったりとくっつくようにしてパーニャも歩き出す。シナトベとライディーンもそれに従った。少し遅れてタマキも後を追う。足を進めるにつれて驚くほど気温が下がっていくのが分かった。暗い天井に照り返る色は青で、鼻腔をくすぐるのは濃い潮の香り……すぐそこに海の気配を感じる。

 第二層は海に面した迷宮なのだろうか、という予想は、半分外れで半分当たっていた。階段を抜けた先に広がっていた光景に、一行は言葉を失う。

 海に面しているなど、とんでもない。そこは海そのものだった。より正確に言うならば、海底……サンゴが生えた海の底に、五人は降り立っていたのである。

 そうして、『セレスト・ブルー』に引き続き、『カーテンコール』も辿り着いたのだった──世界樹の迷宮第二層、海嶺ノ水林へと。

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