【SQ3】8 深き都へ
アユタヤへの航海は驚くほど上手くいった。航路を海図に記し、元老院から預かった書簡を港の代表者へ渡し、そして拠点にいる上司へあてた手紙を顔見知りの商船に託したセレスト・ブルー海賊団は、祝いの宴もそこそこにアーモロードへ帰るため即日出航する事になった。
これといった問題が起きたわけでも、急ぎの用事があるわけでもないのに何故……と一部の船員たちからは不満の声が上がったが、結局インディゴがそれらを押し切る形で船を出した。現在はステラマリス──この船の名である。最初の航海の後、正式に命名された──はちょうどアーモロード近海と呼べる海域へ入ったところである。このまま順調にいけば、今日中にインバーの港へ辿り着く事ができるだろう。
「後でちゃんとフォローしときなよ。ただでさえ慣れない仕事で鬱憤が溜まってるやつが多いんだから……」
まばらに減った食糧をひとつの箱にまとめながらレイファが言う。ペンを片手に海図を見下ろしていたインディゴは、顔をしかめておざなりに応えた。
「分かってるよ。報奨金で酒でも買ってやればちょっとは大人しくなるだろ」
「もう……そもそも何でそんなに急いでるのさ。理由くらいは教えてくれても良いんじゃないの」
「ん? ん~……」
咎めるような響きの問いにインディゴは指の間でくるくるとペンを回しながら首を傾げた。言いあぐねているというよりはどう言ったものか思案しているといった様子で、彼はゆっくりと口を開く。
「そろそろ……頃合いな気がする」
「何の」
「上手いことチャンスが巡ってきてるんじゃねえかって事だ。勘でしかないんだけどな」
レイファが顔をしかめる。この男の言っている事はたまに抽象的でよく分からない。インディゴは小さく苦笑すると、手の内で一回転したペンを掲げて海の向こうを示した。インクの染みたペン先が指すのは遠景のアーモロードだ。島の全景が霞んで見えるような距離でも、聳え立つ世界樹の影はしっかりと確認できる。
「ま……俺の予感が正しければ、これが最善手の筈だ。あとは幸運の女神が微笑むのを待つとしようや」
◆
第二層でのミッションにおいて『カーテンコール』の功績は間違いなく他のどのギルドよりも大きい。彼女たちは衛兵を手にかけつつ逃走していたオランピアを追い詰め、海嶺ノ水林攻略の鍵となる「海珠」を入手し、そして今、深都への道を切り開くためにその足で迷宮の奥へと進んでいる。
海流に阻まれていた通路を抜け、青い樹海の奥底へ。最奥部と思わしき場所に立ちはだかっていたのは一枚の扉……そしてその向こうから漏れ出すのは、圧倒的な何かの気配だ。恐らくこの奥に居るのだろう──「海王ケトス」と名乗った何者かが。
「自分を越えた先に深都がある……と、そう言っていたな」
扉の表面を撫でながらルル・ベルが呟く。
「恐らく、強大な相手との戦闘になる。準備は良いか」
「はい! 返り討ちにしちゃいましょう」
そう応えるパーニャは既に弩を構えて臨戦態勢に入っている。他のメンバーもそれぞれ装備を整え、いつ戦闘が始まっても良いよう備えているようだ。ひとつ頷き、ルル・ベルは静かに扉を押し開ける。
扉の先に広がっていたのは広大な空間だった。深い青に包まれた広間の奥には反対側へ抜ける扉があるのが見える……が、それを守るように立ちはだかる巨大な白い影がひとつ。
『来たか、小さき者よ。ここまで来るには覚悟もあろう』
荘厳に響く声。悠然と宙を泳ぐ巨大な白鯨は、確かな知性の宿った目で冒険者たちを見下ろしている。ルル・ベルは一歩前に出るとその澄んだ目をまっすぐに見返した。
「いかにも。我らはロード元老院より勅命を受け、深都への道を切り拓かんとする冒険者である。海王ケトスよ、そなたがその力でもって我らの歩みを止めんとするならば、我らもまたこの剣でそなたを討ち倒そう」
『その覚悟は見事なり! されど汝らの旅はここで終わる』
ケトスがその巨体を捩った。サンゴに覆われた尾ビレが翻り、重い衝撃が張りつめた空気を揺らす。『カーテンコール』は武器を構えた。白鯨の閉ざされていた口がゆっくりと開く。
『最後の相手が我であることを喜べ!』
腹の底まで震わせる、裂帛の咆哮──それが始まりの合図だった。
ケトスの頭の頂点、噴気孔から吐き出された潮水が頭上から降り注いで周囲の風景の輪郭をぼかす。土砂降りのような潮吹きに視界を白く奪われる前にパーニャが照明弾を放った。中空で炸裂した矢弾が水の幕に穴をあける。
ライディーンが前に出た。落下してきたサンゴの欠片を盾で防ぐ彼の隣をシナトベが駆け抜けていく。地上付近に下りてきていた尾に近付いた彼女は、そのまま槌を振り抜いてヒレの付け根に叩きつけた。鎧のように表皮を覆っていたサンゴが鈍い音を立てて砕ける。崩れたサンゴの下から露わになった白い皮に傷がついていない事を確かめ、シナトベは唇を歪ませる。
「面白いじゃない」
「シナトベ! 前に出すぎるな!」
ルル・ベルの呼びかけに応えるシナトベの声は突如響いた轟音に搔き消された。同時に足下から立っていられないほどの揺れ。ケトスが体を床に叩きつけたのだ。言ってしまえばただの体当たりだが、その体躯から繰り出される一撃はもはや災害と言っても差し支えない威力だ。最前列にいたライディーンが膝をついたまま立ち上がらない。直撃は避けたものの、衝撃で平衡感覚を失ってしまったようだ。
「伏せてください!」
掌を掲げたアルフレッドが一声叫ぶ。一瞬の間を置いて放たれたのはエーテルを圧縮して練り上げた高威力の炎の術式だ。火球が高温の尾を引きながら白鯨の額に着弾する。巨体がぐらりと揺らいだ。効いている。
「パーニャ!」
「はいっ!」
号令に合わせ、パーニャが低く構えた弩から矢弾を射出する。高速徹甲弾と呼ばれる装甲を貫く事に特化した弾だ。瞬きひとつの間に飛んでいった徹甲弾はケトスの目の近くに突き刺さったが、サンゴの鎧に阻まれて皮膚の下にまでは届かなかった。舌打ちをひとつこぼして次の弾の装填を始めるパーニャから離れ、ルル・ベルはようやく立ち上がったライディーンの傍へ駆け寄る。まだ少しふらついている彼にテリアカを渡しつつ問う。
「大事無いか」
「っ……ありがとうございます。体が痺れてしまい……すぐに戻ります」
「無理はするな。そなたが倒れてしまえば元も子もない」
「はい。ルル・ベル様もお気をつけて」
空になったテリアカの瓶を投げ捨て、ライディーンは再び前線へ駆けていく。ひとりで突っ込んでしまっているシナトベの援護は彼に任せ、ルル・ベルは周囲を見回した。戦況は安定している。ただ油断はできない。何せ相手はあの巨体だ、体当たりや尾の一撃が一度直撃しただけでも致命傷になり得る。
アルフレッドが今度は雷の術式を放つ。が、先程より効きが悪い。炎か、と呟いて再びエーテルの圧縮を始める彼の横で、パーニャがファイアバラージを撃ち出した。炎の属性が乗った散弾が白い腹を焼く。
痛みを堪えるように身を捩ったケトスは、一度ぐっと頭を下げ、それから尾を大きく振るった。迷宮を覆う膜に亀裂が走る。音を立てて流れ込んだ海水が床を覆い、凍えるほどの冷気が足首に絡みつく。距離が離れていた後衛の三人にはさほど影響は無かったが、シナトベとライディーンはそうはいかなかったようだ。明らかに動きが鈍っている。
シナトベが脛まで濡れた脚を見下ろして顔をしかめる。
「駄目ね……ライディーン、一度下がるわ」
「いつもその調子でいてくれ!」
ライディーンからのクレームは軽く受け流し、シナトベはバシャバシャと水を蹴飛ばしながら後衛に駆け戻ってくる。テリアカを喉奥に流し込む彼女に近寄り、ルル・ベルは剣を抜いてそっと掲げた。
「シナトベ、武器を」
「はい」
シナトベが槌を持ち上げ、ルル・ベルの剣に軽く重ねる。すると、剣の柄にはめ込まれた宝石が赤く輝いて槌を淡く包んだ。武器に属性を宿す術式だ。
「長くは保たぬが問題は無かろう。思うがまま暴れてくるが良い」
「仰せのままに」
にっこりと、まるで淑女のように完璧な笑みを残してシナトベはまた白鯨の下へ突っ込んでいく。楽しそうで何よりだ。彼女の大暴れを見守るライディーンの心労を思うと心が痛むが、ここは少しばかり耐えてもらおう。
シナトベの物理攻撃とアルフレッドの術式、そしてパーニャの狙撃。いずれもあの巨体が相手では僅かなダメージしか与えられないが、一撃一撃を積み重ねていけば必ずあちらにも限界は訪れる。現にケトスの動きは戦闘開始直後よりも鈍ってきているし、その白い肌には血が伝った痕がいくつも残っている。このままいけば押し切れるか──そう考えていたルル・ベルだったが、ケトスが大きく口を開けようとするのに気付いてはっと目を見開いた。咄嗟に声を上げる。
「備えよ!!」
次の瞬間、辺りに響いたのは歌だった。正しくは鯨の鳴き声と言うべきなのだろうが、それでも歌としか形容できない音の波が、広間いっぱいに反響して脳を揺らす。遠のきかけたルル・ベルの意識を引き戻したのは重いものが床に落ちる音だった。振り返れば、ぐったりとしたパーニャが慌てた様子のアルフレッドに抱きとめられている。二人の姿と床に転がった弩とを一瞥し、ぺちぺちと頬を叩く。しっかりしなければ。
荷物から薬瓶を取り出し、崩れ落ちた少女の体を支えるのに必死なアルフレッドの元へ駆け寄る。パーニャの顎を持ち上げて薄く開いた唇にテリアカを流し込みながらルル・ベルは言う。
「アルフレッド、パーニャが起きたら圧縮術式の準備を」
「は、はい……前の二人は無事ですか」
「ああ。妾の声を聞いてすぐ防御に入ったのだろう」
「流石ですね」
変わらない様子で炎属性つきの槌を振るっているシナトベと彼女を援護しつつ相手の注意を引き続けているライディーンを見て、アルフレッドは苦笑を浮かべる。意識を取り戻したのか、腕の中でううん……と呻いたパーニャをそっと床に横たえ、彼は術式の準備を始めた。星術機の羽が蛍光色の光を放ちながら展開し、周囲のエーテルを吸収する。
「いけそうか」
「ギリギリですが何とか。ただ二発目は難しいですね」
「そうか……では、これを」
ルル・ベルが杖を鳴らすと、剣の柄の宝石からあふれた光が二人の周囲を囲んだ。驚いた視線を送ってくるアルフレッドに彼女は告げる。
「力を高めるまじないだ。星術に効くのかは分からぬが」
「……いえ、効いているようです。助かりますよ」
アルフレッドが高く掌を掲げる。撃ちます、と一声叫び、術式を放つ──強烈な熱と光を放ちながら射出された炎の星術が白鯨の横顔に突き刺さった。同時に地面が大きく揺れる。床を抉り取ろうかという強さで叩きつけられた尻尾に弾かれ、シナトベの体が投げ出される。暴れ狂う巨体に押しつぶされる前にライディーンが彼女の元に滑り込んだ。掲げた盾に砕けたサンゴの鎧が降り注ぐ。
前衛に意識を向けていたルル・ベルの腕をアルフレッドが引いた。よろめいた彼女の視界の隅を、目にも止まらぬ速さ飛んでいく矢弾。体勢を立て直したパーニャが放った高速徹甲弾が、今度こそケトスを貫く。
悲痛な歌が辺りにこだまする。血飛沫を上げながら、それでもしばし悶えていたケトスだったが、やがてその体は音を立てて床に横たわった。
『……すまぬ、王よ。我は約定をまもれなかった……』
弱々しく響く声。白鯨の瞳が、『カーテンコール』を捉える。
『小さき……、いや、大きな者よ。もはや止めぬ。先へ進むがいい。そして……、真実を見ろ。深都へ訪れ、深王に会え。そして、知るが良い。秘するは秘するだけの訳があることを……』
「そなた、何を……」
『願わくばそれを知った汝らが正しき未来を選び、彼にとっての救いにならんことを……』
それきり海王は沈黙した。横たわる白い巨体を見上げ、ルル・ベルは小さく息を吐く。勝利した……という事で良いのだろうか。
全身を潮水で濡らしたライディーンがシナトベに肩を貸しながら歩いてくる。どうやら最後のケトスが床に落ちた際に、足下に溜まっていた水を盛大に浴びてしまったらしい。渋い顔をしているライディーンと対照的に機嫌がよさそうなシナトベに苦笑しつつ、ルル・ベルは荷物の中に残っていたメディカを取り出す。
「ご苦労だった。少し休むといい」
「うふふ、ありがとうございます」
後衛のアルフレッドとパーニャが何やら言い合いながら近付いてくる。手当てをするために座り込んだシナトベの隣に腰を下ろしつつ、ルル・ベルは辺りを見回す。戦闘を終えた青の迷宮は静寂で満ちていて、いっそ無気味なまでに神秘的だ。
白鯨の巨体の陰、広間の奥には迷宮の奥へと続く扉が静かに佇んでいる。
大広間とその先の通路とを抜けた先、海底の更に下へ繋がる階段の向こうにその光景はあった。
それは街だった。巨大な樹を中心に、どこか寂れた風にも見える建物が無数に並んでいる。その周辺には白い砂浜。そしてそれらを覆うドーム状の壁の向こうには海底の深い青が広がっている。この場所も海嶺ノ水林と同じように空気を含んだ膜に包まれているらしい。遥か頭上の海面から陽の光が射しこんで大樹を照らしている……が、その光は街全体を明るく照らすにはあまりにも弱い。
ゆっくりと近付き、その姿を確かめる。静謐に佇む街並みは人影のひとつも見えず、まるで廃墟のようにも見える……が、よく見てみると、いくつかの家の窓から灯りが漏れているのが確認できた。通りも寂れてこそいるが荒れ果てている様子は見られない。ここは、生きている街だ。
「ここが……深都?」
パーニャが呟いた。答えられる者は誰もいないが、目の前の光景がすべてを物語っている。ありし日の姿を保ったまま海の底に沈んだ都市──まさしく深都、だ。
「遂にここに来てしまったか」
微かな足音と共に聞き覚えのある声が響く。どこからともなく現れたオランピアは、咄嗟に武器を構える『カーテンコール』に向かってどこか諦観の念が滲む声で告げる。
「そう、ここは深都。あなたたちが目指した海底に沈む幻の都市」
淡々と語るオランピアには、迷宮で見せたような敵意は無い。彼女は一度目を伏せ、それから目の前の冒険者たちの顔を見回して続けた。
「深王はおっしゃった。あなたたちの良心に頼り、頼みたい事があると」
オランピアがおもむろに腕を上げ、自身の羽織るローブへ指先を伸ばす。剥ぎ取られた水色の布が宙を舞う──その下から現れたものに、『カーテンコール』は言葉を失った。
装甲に覆われた異形の四肢。光沢のある肌も、剥きだしの脊髄も、その全てが鋼鉄でできている。そこに立っているのは紛れもなく、無機物で構成された何者かだ。
「そなたは……一体……」
「これが、深都の隠す秘密のひとつ。私は人ではないのだ」
呻くように漏らした声に、オランピアは静かに応える。
「あなたたちには、この深都の事、私の事、この深都に関わる全てを他言せずにいて欲しい」
「…………」
「それが……、人類の為でもある。『カーテンコール』よ、我が主の頼み聞いてくれるか?」
重苦しい沈黙が落ちる。
仲間たちの視線を背中に横顔に受けながら、ルル・ベルは深く息を吸い込んだ。選択の権利と責任は自分にある。だがそう軽い気持ちで答えられるような問いでもない。元老院からのミッションを受けている以上、それを反故にするのは海都の冒険者としての立場も危うい。だが……オランピアの懇願にも、恐らく明確な意味がある。
オランピアは微動だにせず佇んだまま、返答を待っている。ルル・ベルは彼女の瞳をまっすぐに見つめ、必死に平静を装いつつ口を開く。
「……ひとつ聞かせてほしい。そなたがああまでして深都を隠そうとした理由は、何だ? その機械の肉体を隠すためだけか?」
「…………」
オランピアの瞳が瞬いた。ほんの数秒の逡巡を挟み、彼女は答える。
「今あなたたちがすべき事は、私の問いに答える事。答えろ、『カーテンコール』。我が主の頼みを聞くか、否か」
先程より僅かに語調を強めた彼女の言葉に、ルル・ベルは一度、唇を固く引き結んだ。無理はできない。返答を間違えば、自分たちも犠牲になった衛兵たちと同じ目に遭うかもしれないのだ。覚悟を決め、答える。
「承知した。そなたと……あの街の事は、決して他言せぬ。我が誇りにかけて誓おう」
「……有難う。では……」
ついてきて、と。どこか安堵したような声色で良い、オランピアは踵を返して歩き出す。『カーテンコール』も彼女に続く。街とは反対側、海嶺ノ水林へ上がる階段の傍にある廃墟──朽ち果てた家屋の残骸のように見える──を通り抜けた先の奥まった場所に、光の柱が立っていた。樹海磁軸だ。
「それを使えば海都まで瞬時に移動可能だ」
磁軸を指さしながらオランピアが言う。口調こそ穏やかだが、言外に「海都に帰れ」と告げているのは明らかだ。ゆっくりと磁軸に近付いていけば、背後から静かな声が届いた。
「戻ったら、元老院に伝えて。深都は存在しない幻の街だったと……」
そうして、磁軸が起動する。辺りが白い光に包まれ、『カーテンコール』の姿は一瞬のうちにその場から掻き消える。
海都に帰還した後も、しばらく五人の間に会話は無かった。樹海入口を通り抜け、市街地に足を踏み入れようかというところでようやくライディーンが重い唇を開く。
「本当に……報告せずとも良いのですか?」
「……ああ言われてしまっては、従うほかあるまい。余計な恨みを買えば海の藻屑になるのはこちらだ」
「元老院のおばあさまに何て言えばいいんだろ……」
パーニャが困惑の表情を浮かべて呟く。一行も揃って溜息を吐いた。どうあれ報告には行かねばならないが、あまりにも気が重い。オランピアとの約束を無かった事にしてありのまま見た事を伝えるか、それとも元老院に虚偽の報告をするか。
「どちらにせよ後が怖いですね。結局どっちを裏切るかって話でしょう?」
「何だかおかしな話ね。いちおう偉業を達成した筈なのに、どうして状況が悪くなっているのかしら……」
シナトベのぼやきも尤もである。
重い足取りで通りを進み、ついにロード元老院のすぐ近くまで辿り着く。と、進行方向に見えた見覚えのある人影に先頭を歩いていたシナトベが小さく声を上げた。同時にあちらも一行の姿に気付いたらしい。小走りに近付いてきた彼に、ルル・ベルが問う。
「どうした、タマキ」
「やっぱり今帰ってきたところか。どうなっているんだ? 迷宮で何が……海王とやらは?」
「待て。そなた、何の話をしている?」
怪訝に返せば、タマキは困惑しきった顔で視線を彷徨わせる。ああ、ええと、と言葉にならない声を漏らし、彼は少し混乱した様子で応えた。
「さっき、元老院に行ったんだ。魔物図鑑の提出のために……そこで衛兵たちが話をしているのを聞いてしまって……」
「だから何の話なのよ」
パーニャが苛立ち混じりに催促すれば、タマキは辺りを見回し、周囲の様子を気にしながら小声で告げる。
「深都が見つかった、と。冒険者からそう報告が入ったと」
「……何だと?」
五人は思わず声を失う。何があったのかと問うてくるタマキには答えず、ルル・ベルは元老院の方角を見た。深都を見つけたと。冒険者が。当然それは自分たちではない。だが、しかし、そうだとするならば。
いったい誰が、自分たちを出し抜いたというのか。
◆
「勘が当たったな。早めに戻って良かっただろ?」
喉を鳴らして笑うインディゴを、隣に座っていたベロニカは半目で見る。その瞳に宿っているのは呆れと軽蔑が半々で混ざりあったような色だ。
「こんな狡い事するために急いで戻ってきたの? 海賊っていうか、コソ泥のやり口じゃん」
「良いんだよ。そもそも、さっさと報告しないあいつらが悪いだろ。わざわざ近くまで行かなくても街は見えてた。その時点で撤収して元老院に戻れば良かったのに、そうしなかったんだから、非はあいつらにあるよなあ?」
「屁理屈だあ~! カゲチヨはどう思う? ずっるいよねこの人」
「姑息ではあると思う」
「お前までそう言うなよ……」
溜息を吐くインディゴだが、その表情に曇りは無い。
彼らが今いるのは元老院の一室である。恐らく来客用であろうフカフカのソファに腰かけ、三人は「偉い人」に呼ばれるのを待っている。レイファとティルは今日はいない。恐らく今頃は拠点で溜まっている家事を片付けている事だろう。
『セレスト・ブルー』がアユタヤへの航海を終えてアーモロードに帰還したのは、ちょうど一昨日の昼の事であった。そして迷宮探索を再開したのはその翌日である。まだ船旅の余韻も抜けないうちに海流が止まって様変わりした海嶺ノ水林を突貫で進み、辿り着いた最深部──そこで彼らが見たのは、巨大な白鯨と交戦する『カーテンコール』の姿だった。
それから先は、先程インディゴが言った通りだ。迷宮の主を倒した『カーテンコール』の後をこっそりとついていった彼らは深都の存在を確認してからすぐに海都へ帰還し、元老院へ報告に向かったのである。
「アルフレッドさんたちかわいそ~。ていうか私たちがあのでっかい鯨倒してないってすぐバレるんじゃないの?」
「迷宮の主を倒したやつと、その先にあるものを見つけたやつが同じじゃなきゃいけないなんて決まりがあるのか?」
「それは……あれ? 無いね。じゃあいっか……」
「良いのか」
「うん」
良いようである。
微妙に腑に落ちていなさそうなカゲチヨを上手く丸め込もうとインディゴが口を開いたところで、部屋の扉が開いた。現れたのは目付きの鋭い金髪の男だ。元老院に所属する剣士・クジュラである。
「『セレスト・ブルー』、姫様がお待ちだ。ついてこい」
三人が立ち上がれば、彼は踵を返して廊下の奥へ歩いていく。廊下は冒険者たちが自由に立ち入る事のできる場所とは違って多くの花や装飾品で荘厳に飾られている。奥に住まう人物の血筋を象徴するかのような、美しい装飾だ。
視線は前に向けたまま、クジュラが喋りかけてくる。
「深都発見は姫様の悲願だった。功労者であるお前たちと直接顔を合わせて礼を言いたいと仰せだ」
「噂のグートルーネ姫か。あまり顔をお見せにならないって聞いてたが、冒険者風情が謁見して良いもんかね」
「直々のご命令だ。拒否すれば逆に不敬にあたるぞ」
そこで一度言葉を切り、男は小さく笑う。冷笑、とでも言うべき笑みだった。
「上手くやったものだ」
「何の話だ?」
「咎めるつもりは無い。手柄もお前たちのものだが、余計な諍いは起こすなよ」
振り向いたクジュラの水色の瞳に静かに見つめられ、インディゴは何の事やら、といった表情で肩を竦める。完全にしらばっくれるつもりであるらしい彼にベロニカが呆れた視線を向けた。バレた上で見逃されているというのに、よくもまあそんな態度でいられるものだ。
廊下の奥、重厚に佇む扉の前でクジュラは立ち止まった。視線だけで促してくる彼に瞬きひとつで応え、扉に手をかける。部屋の中で待っていたのは元老院議官の老婆フローディア、そしてその隣に立つ白を纏った少女だ。
白亜の姫君・グートルーネは、冒険者たちの姿を認めると、その美しいかんばせに花が咲くような微笑を浮かべる。
「皆さまの事を、お待ちしておりました」
万感の思いを込めたような声だ。その声色にインディゴは僅かに怪訝な表情を浮かべた──が、すぐにそれを隠し、恭しく頭を下げた。
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