【SQ3】9 MACHINA

 深都では時間の経過が分かりづらい。いくら世界樹の上から陽の光が射し込んでいるといっても海底まで届く光など地上に比べれば微々たるものであるし、その微々たる光も枝葉に阻まれて市街地には届きにくいのだ。

 建物の軒先に吊るされた灯りを眺めつつ、ライディーンは背負っていた荷物を抱え直した。深都の宿──正確には、急遽宿として開放された屋敷──の寝心地もアーマンの宿に負けず劣らずであったが、やはり日光を浴びられないと調子が狂う。隣に立つパーニャもしきりに目を擦って眠そうにしている。これで探索に支障が出なければいいのだが。

「本当に第三層に行くの? 深都にも慣れてないのにさあ……」

「仕方が無いだろ。深王様からのご命令だ」

 でも……と唇を尖らせるパーニャを、ライディーンは軽く諫める。この場所で自分たちのような冒険者はあくまで余所者という立ち位置だ。統治者への不満など、軽々しく口にするものではない。

 深都発見の功を他のギルドに奪われた事を知った『カーテンコール』は、その後ひとまず深都へ引き返す事にした。海都から深都への使者が派遣されるより先に、深都側に「元老院に深都の存在が伝わった」という事実を知らせるためである。自分たちの功績を奪い元老院に取り入ろうとした冒険者がいる、約束を破った訳ではない……戻ってきた自分たちを警戒しつつ迎えたオランピアにそう告げれば、彼女は分かった、と一言だけ応えて『カーテンコール』を海都へ帰した。

 海都からの使者が深都を訪れ、統治者である深王へ親書と進物を渡した、と聞いたのはその翌日の事だ。誰がその任に就いたのかは定かでないが、恐らく元老院に深都の存在を報告した冒険者だろう、とルル・ベルは睨んでいた。

「そやつらにどのような意図があったにせよ、妾たちが出し抜かれたのは紛れもない事実だ」

 静かな宿の一室で、ルル・ベルはそう言って悔しげに表情を歪めた。

「元老院は深都を発見したギルドの名を公表していない。それが元老院の意向なのか、そのギルドの意向なのかは分からぬが……もし後者であるなら、そやつらは妾たちの存在を知った上で先に元老院に報告したと見るのが妥当だろう。後ろめたい事がないのなら、名を隠す必要も無いのだから」

 まあ、妾の神経が過敏になって、余計な深読みをしてしまっているだけかもしれぬが……。大きな溜息を吐いたルル・ベルだったが、他の仲間たちも彼女とまったく同じ意見であった。この状況で、自分たちの功績を奪っていった名も知れぬギルドを疑うなという方が無理な話だ。

ともかく、その使者によって伝えられた海都側の要望を、深王は条件つきではあるが受け入れたらしい。その内容のひとつが深都への冒険者の受け入れである。それが明らかになったのと同時に、『カーテンコール』はオランピアによって深都に呼びだされた。言われるがまま星極殿星御座に向かった一行に、待っていた深王は言った。卿らに頼みがある、と。

「フカビト? だっけ? アタシよく分かんなかったんだけど……それを見に行けって言うんでしょ?」

「嚙み砕いて言えば、敵方の捕虜と面会してこいって話じゃないかな。真意としてはおれたちを戦力に組み込みたいって事だろう」

「アタシはルル・ベル様以外の命令なんて聞きませんーだ」

「そのルル・ベル様がお決めになった事だ。そろそろ文句を言うのはやめにしな」

 むう、と黙り込むパーニャの頭をぽんと撫でるライディーンの耳に複数の足音が届く。振り返ってみれば、ルル・ベルとシナトベ、それからアルフレッドが宿を出てこちらに向かってくるところだった。

「すまぬ、待たせたな。支払いに手間取ってしまった」

「何も考えずに海都の通貨で払おうとしちゃいましたけど、よく考えたら貨幣制度が同じなはずないですもんね。何とかなって良かったです」

 アルフレッドの呟きにルル・ベルもうんうんと頷く。宿屋としての経営を開始して初めての客だったという事もあり色々と手こずってしまったが、これから冒険者の客が増えるにしたがってそういった問題も解消されていくだろう。

「では、出発しますか」

「うむ。ひとまずは地下十階……断罪の間を目指す。準備は良いな?」

 ルル・ベルの言葉に他の四人も頷いた。行こう、と呟いて歩きだす──深都の外へ向かう道のりには、一行の他には人の姿は無い。沈黙に満ちた街を出て、『カーテンコール』は海底の更に地下深くへと潜っていく。


   ◆


「うわーッ! 何々、何このドロドロした黒いの!!」

 ベロニカの悲鳴が響く。雑巾を二重にして構えたカゲチヨが彼女の元に向かっていくのを横目に見ながら、レイファが溜息を吐いた。その手には年季の入ったモップが握られている。

「ようやく片付いてきたと思ったのに、次々変なのが出てくるね……」

「レイファー、みずもってきた」

「ありがとね。そこの端っこに置いといて」

 外から水の入ったバケツを持って戻ってきたティルに指示を出し、レイファは改めてモップを持ち直す。

 ここは深都の大通りの一角、長く使われていなかったという家屋の一室である。そして見ての通り、『セレスト・ブルー』はこの部屋の掃除をしている。何故掃除をしているのか。ざっくり言えば、依頼のためである。

 そもそも『セレスト・ブルー』が深都を訪れたのは、海都からの使者として親書と進物を届ける任務を与えられたためである。深王に会い、返答を待つため一晩宿泊し、翌日無事に了承の返事を得て海都へ戻った彼らだったが、その直後にまた新しい依頼が入った。「ネイピア商店の深都支店を開くための準備を手伝え」……言うまでもなく、商店の店主からの依頼である。

 馴染みの店主からの依頼、それもなかなかの額の報酬が提示されたとあっては断る理由が無い。そういった経緯で、現在『セレスト・ブルー』は支店を開く予定の空き家を掃除している。ただ、聞くところによるとこの家はかつて何かの研究者の住処であったらしく、少し掃除をしただけでも使い途の分からない道具や材料がわんさか出てくるのだ。

「うええ……指についた、黒いの……ちょっと嗅いでみてティル、変な臭いしない?」

「ヘンなニオイする!」

「そんなあ……」

「結局何だったの? その黒いのって」

「何らかの薬品が劣化していたようだ」

「ああ……」

 レイファが何とも言えない顔で頷くと同時に、部屋の扉が開いた。入ってきたインディゴは指を嗅ぎ合ってきゃいきゃい言っている子供たちを見て顔をしかめた後、ちょいちょいと手招いてカゲチヨを呼ぶ。

「チヨ、ちょい聞きたいんだが、お前って鍵開けとかできるか?」

「ものによる」

「見てほしいもんがある。来てくれ」

 そう言って廊下に出ていくインディゴの後を追い、カゲチヨも部屋を出る。進んだ先にあったのは固く閉ざされた扉だった。扉を前にしたインディゴがそっとドアノブの下を指さす。そこには白い埃が溜まった鍵穴があった。

「運び出した機材とか、そっちの倉庫に運んでたんだが……いよいよ空きが無くなってきてな。代わりに使えそうな部屋も無さそうだし、残りはここだけなんだよ」

「だが開かない、と」

「そう。どうにかできそうか?」

 静かに屈んで鍵穴を検分し始めるカゲチヨを眺めていたインディゴだったが、ふと背後を振り返ってうおっと声を上げた。呼んでいないはずの三人が何故かついて来ている。

「お前らなんで一緒に来てんだ」

「え? いいじゃんついて来ても」

「休憩だよ、休憩」

「いや休憩するほど疲れてねえだろ。さっき昼飯食ったばっかりだし……」

「そういう問題じゃないんだよ。船長ってばほんと気遣いできないんだから」

「あっそ……」

 女性陣の言葉にインディゴがげんなりとした表情を浮かべたその時、バキッという明らかに不穏な音が響いた。驚いてそちらに視線を向けてみれば、カゲチヨが鍵穴にクナイの先端を突っ込んだ状態で静止している。たっぷり五秒はそのままでいた彼だったが、やがてクナイをそっと引き抜いて立ち上がり、小さな声で呟いた。

「破壊してしまった……」

「破壊を!? 借家だぞ!!」

「だが開いた」

「あっ本当だ……いや開いたから良いって話でも無いだろ!」

「ねー、入ってみてもいい?」

 ベロニカが半分開いた扉の中を覗き込みながら訊ねる。インディゴが重い溜息と共にゴーサインを出せば、彼女は喜々として部屋へと入っていった。ティルがそれを追って駆け出し、大人三人も少し間を置いて二人に続く。

 その部屋もどうやら倉庫であるようだった。無数の木箱や星術機に似た機械やいわゆる錬金炉のような物が乱雑に置かれているが、部屋そのものが広いため物を運び込む余裕は十分にある。ここも運び出した物品を置いておく場所として使えるだろう。

 部屋はどこもかしこも埃にまみれているが、不思議と整頓されているように見える。棚に並んだ瓶のラベルを指でなぞりつつベロニカが言う。

「これ、触媒かな。錬金術に使うやつ」

「ここに住んでたのは科学者のじいさんだったそうだ。そいつが研究に使ってたんだろ」

「ふーん……」

 そんな会話が交わされている間に、ティルはひとり部屋の奥へと向かっていた。これといった意味があっての行動ではない。何となく奥に何があるのか気になっただけである。半開きの箱から飛び出した固いのに柔らかい謎の管や何に使うのか分からない金属をつつきながら奥へ進み、部屋を仕切るように立つ棚の向こうを覗き込んだ彼は、むむと唸って首を傾げた。

 部屋の最奥には綺麗に片付けられた机があった。その机の上に、人の生首が乗っている。驚いたティルだったが、すぐに間違いに気付いた。それは人の頭そのものではなく、人の頭を模した機械だったのだ。

 近付いて眺めてみる。水色の髪に見えるパーツも、柔らかそうな丸い曲線を描く頬も、全て作り物だ。不思議に思って手を伸ばしたティルのその指先が、機械の表面に触れる──その直前で、機械の頭部が唐突に目を開いた。

 ぽかんと口を開けて固まるティルの目の前で、機械はゆっくりと口を開く。

「はじめまして。突然ですがアナタにお願いがあるのです。そちらの床に落ちているハンドパーツを、あちらの箱の中にあるボディに装着していただけませんか?」

「…………」

「失礼しました。ニンゲンの幼体には不適切な表現であったと判断します。アナタにも理解しやすい平易な語彙を検索しますので、少々お待ちください」

 少女のような声でそう言い、機械はしばし沈黙する。その間に唖然としたまま動けないティルの背後から足音が聞こえてきた。棚の向こうから顔を出したレイファは、ティルの後ろ姿を見つけるとほっと表情を緩める。

「ちょっと、ティル? 勝手に離れたら駄目だって……言って……」

「そちらの方。お願いがあるのですが、聞いていただいてよろしいでしょうか?」

 一度は緩んだ表情をみるみる固くするレイファに、機械は淡々と喋りかける。結局、直後にレイファが上げた驚きの声を聞いた他の三人もやって来てその場は一時騒然となったため、機械の「お願い」が叶えられたのは数十分後の事であった。


「アナタたちのお陰でボディの接続が完了しました。ありがとうございます」

 自身の脚で立ち上がった機械がそう言ってぺこりと頭を下げる。彼女──機械に性別があるのかという話だが、声も見た目も女性のそれを模しているらしいためそう呼ぶ事にする──からそれとなく距離を取りつつ、インディゴが問う。

「あー、お前……あれか、オランピアと同じ機械人形か」

「肯定します。識別ナンバーSS-1040-43-0102、個体名はマキナ。製造年月日は……」

「待て待て待て、いい、そこまで聞いてない」

「マキナっていう名前なの?」

 インディゴの後ろに隠れていたベロニカが恐る恐るといった様子で訊ねる。マキナと名乗った機械人形は肯定します、と答えた。

「マキナの事はマキナとお呼びください。そして、アナタたちの呼称を登録したいのですが、名前をお聞きしても?」

 五人はしばし顔を見合わせたが、悩んだ末に名前を教える事にした。この機械人形が何者なのかは分からないが、少なくとも敵ではないだろうと判断しての事である。

 簡単に自己紹介をすれば、マキナはうんうんと頷く。

「記憶しました。ところで、アナタたちは深都の外からやって来たという認識でよろしいでしょうか」

「そうだね、海都から来たんだ」

「海都……」

 マキナは僅かに首を傾げた。彼女の動作には人間のような僅かな揺らぎや呼吸の音、瞬きなどは見られない。オランピアのロープの下の姿を見た時もそうだったが、人間のように喋り動くのにその一挙一動の節々から血の温度が感じられないというのはかなり不気味だ。現にティルはレイファの背中にしがみついたまま離れようとしないし、カゲチヨに至っては既に掌の内にクナイを隠している。場合によってはあの機械人形も扉の鍵穴と同じような事になるだろう。

 裏で流れる不穏な空気に気付いているのかいないのか、マキナは小首を傾げたまま再び口を開く。

「重ね重ね申し訳ありませんが、もうひとつお願いを聞いていただいてもよろしいですか?」

「話だけなら良いぜ、叶えてやるかは別として」

「感謝します。まず前提としてアンドロ……アナタ方が言うところの機械人形には、行動の選択に多くの制限がかけられています。特にオランピアのような「特別製」ではない個体の行動範囲制限は非常に厳格であり、マキナも単体行動時の移動可能範囲はこの家屋の半径五メートル以内と設定されています。しかし深都内外を自由に移動できる権限を持つニンゲン、もしくはハイクラスのアンドロに追従する場合はこの限りではなく……」

 何を言っているのかまったく分からない。意識が遠のきかけた一同を見兼ねたのか、マキナは一度動きを止めてから申し訳ありません、と言う。

「配慮が足りていませんでした。簡潔にまとめますと、マキナを地上に連れて行っていただきたいのです」

「それはちょっと……」

 と、言いかけたところでインディゴは言葉を切った。顎に手をあてて考え込み、彼はマキナに向き直る。

「……いや、条件次第では手伝ってやっても良い」

「船長!?」

「条件、とは」

「お前らの事を教えてほしい。アンドロ……っていうんだって? よく分からねえが、地上にはお前らみたいなのはいねえからな」

 驚きの視線を向けてくるベロニカを片手で制しつつインディゴは告げる。黙って見ていたレイファがああ……と漏らした。機械の肉体を持つ、深都の住人……その力は未知数だ。いくら深都と海都がひとまずの友好的関係を結んだとはいえ、その力が脅威にならないとは言い切れない。現に、オランピアは『カーテンコール』や衛兵隊に追われている間に少なくともひとりの衛兵を手にかけている。彼女の鋼鉄の胸の内から冒険者への殺意が消え失せたなどと、いったい誰が証明できるのか。

 故に知らねばならない。深都の持つ技術の事を、少しでも。些細な情報ひとつが自分たちの、あるいは他の誰かの生死を分けるかもしれないのだから。

 マキナはしばしの間インディゴの顔をじっと見つめていたが、やがてはっきりとした声で応える。

「アナタの要求に応えます。ですが、特に疑似人格システム関連についてはマキナ自身にも把握できていない領域があり、お教えできない可能性がある事をご了承ください」

「疑似……何? まあいいや、じゃあそういう事で」

 一歩二歩とマキナの方へ近付き、インディゴは彼女に向かって右手を差し出す。機械人形は予想していたよりすんなりとそれに応えた。海賊の手を握った機械の掌には、まるで弱々しい小動物でも愛でるかのような柔らかく繊細な力が込められていた。


 ちょうど背丈が似ていたベロニカのコートを着せ、倉庫に突っ込んであった古びたブーツや手袋、帽子を身につけさせれば、マキナの姿は人間の少女と変わらないものとなった。歩くたび微かにガショガショと重い金属音がするのはどうしようも無いが、こんな音を鳴らして歩く者など冒険者にも数多くいるのだから問題は無いだろう。

 ネイピア支店の店主に一言断りを入れて深都を出る。樹海磁軸を経由して辿り着いた海都の景色を、マキナは文字通りの鉄面皮に興味深そうな色を浮かべて見回した。

「ニンゲンが群れを形成していますね」

「ええ……?」

「今のは冗談です。アンドロジョーク」

「一回聞いて冗談って分からないような冗談は言わない方が身のためだぜ……」

「成程。学習しました」

 うんうんと頷く彼女にインディゴは何とも言えない表情を浮かべるが、マキナはそんな事にはお構いなしだ。赤縁の眼鏡の位置を直すと、人混みを気にせず歩き出す。一行も慌ててその背中を追った。

「どこに行くんだよ。そういえば連れていけって言われただけで、地上で何をしたいのかは聞いてねえぞ」

「「墓参り」です」

 マキナはあっけらかんと答える。怪訝な顔をしたレイファが訊ねた。

「墓って……誰のさ」

「マキナのマスター……製作者……アナタ方に分かりやすく言うならば、父親にあたる方の親族です。マスターは元々海都の生まれでしたが、大異変に巻き込まれ深都の住民となったのです」

「…………」

「マスターは死の直前、マキナに命令を遺しました。「もし海都へ行くことができたのならば、祖先の墓に花を供えてほしい」と。ですからその祖先の墓がマキナの目指す場所です。海都の地図のデータも既にインストール済ですので、心配は不要です」

 そう言い切ったマキナであるが、『セレスト・ブルー』の脳裏には不安の二文字ばかりが過っている。何故なら彼女が足を進めようとしている先にあるのは比較的新しい家々が並ぶ住宅街なのだ。インディゴはひとつ目配せをした。隣にいたベロニカとカゲチヨがそれに気付き、そっと別方向へと向かっていく。

 二人の離脱に気付いて首を傾げたマキナに、インディゴはひとつ息を吐いて強い口調で告げる。

「あのな、よく考えてくれ。お前のマスターとやらがお前に教えた海都の地図ってのは何年前の物だ?」

「正確な作成時期は不明ですが、およそ百年前の物かと」

「百年もあれば街なんてのは様変わりするもんだ。一回止まれ、そんで少しゆっくり歩こうぜ」

 マキナは言われた通り一度足を止め、ぽてぽてと低速で歩き始める。その間にインディゴは荷物の奥底から折りたたまれた紙を取り出した。この街に辿り着いた頃に入手した海都の地図だ。もちろん最新のものである。地図を広げてマキナに見せてやり、自分たちが今いる場所を示す。

「ちょうどこの通りがここだな。お前が目指してた方向には住宅街しか無い」

「……マキナの持つ情報では、墓地はこの地点にあると」

「今は家が建ってるみたいだね。古いものとはいえ墓を取り壊すとは考えづらいし、どこかに移転されてるとは思うんだけど……」

「流石に地図だけじゃそこまでは分かんねえな……おい、どうした?」

 地図を見下ろしたまま微動だにしなくなったマキナに、インディゴが不安げに声をかける。それから数秒の間を置き、瞳の奥でちかちかと何かを瞬かせてから、ようやくマキナは応えた。

「情報のアップデートを完了しました」

「お、おう」

「ニンゲンの営みは、時にすさまじい速度で変遷する。かつてマスターが仰っていた言葉ですが、マキナは今、その事実を初めて体感しました。深都は百年の間、姿を変えずにいましたが、海都はそうではなかったのですね」

 呟くように機械人形は言う。

 聞くところによれば、彼女は「マスター」が死亡してからかれこれ数十年の間、あの埃っぽい倉庫でひたすら自身の整備を行いながら再起動の時を待っていたのだという。時間の流れが違うのだ。人間とアンドロとでは──海都と深都とでは。

 鋼鉄の背中が心なしか小さく見える。かける言葉が見つからないインディゴとレイファは顔を見合わせて立ち尽くしていたが、急に服の裾を引かれて我に返った。見てみれば、ティルがじっと見つめてきている。

「はらへった」

「ええ? うーん……確かにおやつ時ではあるけど」

「良いんじゃねえの、適当な店で時間でも潰そうぜ。……そういえばお前は食事とかすんの?」

「否定します。アンドロはニンゲンと同様の食事を必要としません。ですがアナタの言う「店」には関心があります」

「じゃあ行くか」

 どこか軽食が売っている店を探すため歩き出せば、マキナもそれに続く。ガショガショという微かな金属音を聞きながらインディゴは、実はこの機械あんまり怖くねえかもな、と内心ひとりごちた。よく考えてみたら無表情で感情の動きがよく分からないって、チヨとほとんど同じだし。


 通りに出ていた屋台で焼き菓子を買い、街角の柵に腰かけて小腹を満たしていた三人と一体の元にベロニカとカゲチヨが戻ってきたのは、小一時間ほど経った頃だった。インディゴの手元から食べかけの菓子を奪い取ったベロニカがマキナに向かって言う。

「とりあえず、百年前にあの辺りにあったお墓がどこに移されたかは分かったよ。垂水ノ樹海に近い場所だって」

「垂水ノ樹海とは、どの場所を指す呼称ですか」

「世界樹の迷宮の第一層。とりあえず行ってみよっか」

 奪った菓子を頬張り、ベロニカは踵を返して歩き出す。三人と一体もそれに続くが、最後尾にいたマキナは横からするりと伸びてきた腕に気付いて足を止めた。その腕の先には小さな花束が握られている。四、五本の白い花を柔らかい布で包んで黒い紐で束ねた、簡素な花束だ。

 マキナは首を傾げ、腕を差し出しているカゲチヨを見た。彼は静かに応える。

「花を供えるんだろう」

「マキナは、道中に咲いている花を摘み取って供えようと考えていました。しかし、野花よりこちらの花の方が墓参りには適しているという事でしょうか」

「海都では古くからその花を弔花として用いるそうだ。花そのものに優劣は無いが、土地の風習に合ったものを用意する方が良い」

「理解しました。アナタの意見は正しいと、マキナは判断します」

 マキナがそう言って花束を受け取れば、カゲチヨはもう用は無いというように顔を背けて歩いていってしまう。先を行っていたインディゴが彼を呼び寄せて何か話しかける姿を見ながら、マキナは花束を潰さないよう慎重に握って五人の後をついていく。

 墓地はベロニカが聞いてきた通り、市街地から少し離れた場所にあった。迷宮入口にほど近い場所、小さな林と石造りの遺跡に囲まれた開けた空間に古びた墓石が等間隔に並んでいる。風化してほとんど見分けがつかなくなったそれらを見渡したマキナは、そのうちのひとつに向かって迷わず近付いていく。

「……見分けがつくの?」

「肯定します。表面に刻まれた文字の痕跡から判断しました。マキナが墓参りをすべき墓標は、これです」

 所々が欠けて苔の生えた墓石の前に膝をつき、彼女はそっと花束を供える。しかし花を手向ける事は知っていたが、祈りを捧げる方法は教わらなかったようだ。マキナはすぐに立ち上がると『セレスト・ブルー』を振り返る。

「アナタ方の協力のおかげで、最後の任務を果たすことができました。感謝します」

「それは良いけど、お前これからどうすんだ。オランピアみたいに深王に従ってるって訳でもなさそうだし……」

「マキナがマスターに与えられた最後の命令はもうひとつあります。「あとはお前の自由にしろ」と」

 そこで一度足下の花束に視線をやり、マキナはほんの少し微笑んだ。彼女が感情らしきものを見せたのはこれが初めてだ。驚く一行に彼女は続ける。

「ですので、マキナはマキナが為したい事、というものを探求してみようと思います。マキナはマスターによって個人的に製造されたアンドロです。たとえ深王様であっても、マキナの自己決定を妨げる権限は持ち得ませんので」

「そうか……」

「ところで、ひとつ提案があります」

 提案とは。神妙な表情を浮かべたインディゴが続きを促せば、マキナはひとつ頷いてぺらぺらと喋り始める。

「アナタはマキナに協力する事の見返りに、アンドロについての知識を提供する事を要求しました。とはいえアンドロは世界樹よりもたらされた技術によって造られた人工の生命体とも言うべき存在。基礎知識の無い地上のニンゲンがこの身体の構造を理解するには、並々ならぬ時間と労力が必要でしょう。しかしその都度深都まで足を運んでいただくというのはマキナとしても本意では……」

「長い長い! 簡潔に!」

「マキナを、アナタたちの仲間に加えてほしいのです」

 やっぱりそう来るか。苦虫を噛み潰したような顔をしたインディゴが断ろうとしたが、その前にレイファが口を挟んだ。

「訊きたいんだけど、あんたって家事とかできる?」

「肯定します。清掃、洗濯、その他家庭内における雑事の適切な処理方法は既に学習済みです。しかし炊事に関してはマスターから「お前はやるな」との命令をいただいています」

「そっか……ご飯は何を食べるの?」

「先程も言った通り、アンドロはニンゲンと同様の食事は必要としません。世界樹から供給されるエーテルを大気中から吸収しエネルギーに変換します」

「よく分かんないけど、つまり食事無しで働けるって事だよね?」

「肯定します。無論、適度な休息は必要としますが」

「……すごく……良くない?」

 マキナを指さしながら視線を送ってきたレイファに、インディゴはここ一ヶ月で最大の溜息を吐いた。新しい調理器具でも買うみたいなノリで聞いてくるんじゃねえ! と叫びたくなるのを堪え、あくまで平静を装って彼はレイファに言い返す。

「食い扶持の問題じゃねえだろうが。どんなリスクがあるかも分からねえのに……」

「リスクは分かんないけど、メリットはさっきハッキリしたよねえ」

 ベロニカの呑気な声。己の不利を悟って黙り込むインディゴをちらりと見たカゲチヨがぼそりと呟く。

「まあ、お前は家事をしないから分からないか……」

 予想だにしていなかった方向から追い討ちを食らい、インディゴはがっくりと項垂れた。完全な敗北である。あーはいはい好きにしてください。どうせ俺は掃除も洗濯もしない、舵取りと戦闘指揮だけしかできない船長ですよーだ。

 いじけるインディゴはさておき、レイファはにっこりと笑ってマキナの手を取る。

「それじゃ、そういうことで! 仕事ができるならウィリーもうるさく言わないでしょ。とりあえず、早速だけどうちの掃除手伝ってもらっていい?」

「承知しました。マキナは優秀なアンドロですので、埃ひとつも見逃しません」

 自信満々に言い切るマキナだが、その顔は無表情である。どこまで本気なのか分からない態度にレイファは苦笑を漏らして彼女を屋敷へと案内し始める。ベロニカとカゲチヨもそれに続いた。取り残されたインディゴの裾を、ティルがぐいと引く。

「げんきだせ」

「……あー……うん、ありがとな……」

 差し出された食べかけ……というより食べ残しの焼き菓子を受け取り、口に放り込んだ。アーモロードに来てから苦労の種ばかり増えている気がする。金の問題、船の問題、冒険者としての功績の問題、上司の問題、それから、……。

「……なーんか上手くいかねえな、お前もそう思うだろ?」

「?」

 首を傾げたティルに何でもねえよ、と笑い、彼を連れて先に行ってしまった三人と一体を追う。その間のインディゴの表情の変化に気付く者はいなかったし、いたとしてもその真意を誰が知る事もなかっただろう。

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