【SQ3】11 運命の三叉路
「魔物との戦争、か」
ぽつりと漏らしたインディゴに、マキナはこくりと頷く。
今夜は久々に海賊団の全員が拠点に揃う夜だった。船上でならともかく、陸の上で全員が揃うというのは珍しい。適当な理由をつけて宴が始まるのも当然の流れである──階下から聞こえてくる喧騒はうるさい事この上ないが、野郎どもも普段は生活費と船代のため散り散りになってあくせく労働しているのだ。たまにはこういった機会を設けて労ってやるのも良いだろう。
そんな中、インディゴは自身の寝室でこうしてマキナと話をしている。他に同席しているのはベロニカだけである。他の面子は恐らく宴会の場で野郎共のどんちゃん騒ぎに巻き込まれている事だろう。
つまみの乾燥エンドウ豆をぽりぽり食べる少女を横目に、彼はマキナへ向き直る。
「しかし、フカビトねえ……」
「あくまで深都ではそう呼ばれていたというだけであり、彼らが彼ら自身をそう呼称している訳ではない、という事もつけ加えておきます」
「まあ呼び方については良いんだが。その化物と戦うのが深都の奴らの役割……って事か」
「肯定します。オランピアをはじめとしたアンドロも、元々はフカビトの脅威に対抗するため造り出された兵器なのです」
「成程な……」
「フカビトはどうして人を襲うの?」
ベロニカが問う。マキナはしばし思考する様子を見せてから答えた。
「まず、食糧とするため。彼らにとってニンゲンは最もエネルギー効率の良い食物のひとつであるようなのです」
「うえー。私たち、化物のエサかあ」
「そして、もうひとつ。彼らの神に糧を捧げるためです」
「神?」
これまでの流れにはあまりそぐわない単語だ。怪訝な顔をする二人にマキナは淡々と続ける。
「フカビトには信奉の対象とする存在があります。彼らが神と呼ぶそれは、ニンゲンの負の感情……特に、恐怖を糧とし成長するのです。深都ではその存在を、魔と呼んでいます」
「ああ、分かった。より多くの糧を得るために人間を襲うのか。そして、そうさせないためにアンドロが造り出された。そうだな?」
「肯定します。アンドロは恐怖の感情を持ちません。フカビトの食糧になる事も、魔の糧になる事もない。深都にとってアンドロは最良の戦力なのです」
ベロニカがふーん……と相槌を打つ。インディゴは顎に手をやり、思考を巡らせる。
オランピアが深都に冒険者を近寄らせなかった理由が何となく分かってきた。そもそも深都に人間がいるということ自体が、フカビト側にとって有利に働くのだ。リスクを減らすためにも人間は少数精鋭で動かす方が良いし、新たな人間を迎えるなどもっての他なのだろう。しかしそうもいかなくなった。海都の冒険者によって、深都が発見されてしまったために。
そして、事態はより大きく動こうとしている。
「面倒な事になりそうだ」
「また勘?」
「推測だよ。……マキナ、もうひとつ聞きたい。第三層の奥には何がある?」
インディゴの問いにマキナは詳しくは知りませんが、と前置いて答える。
「フカビトの侵攻を食い止めるための自動兵器が設置され、第四層への道を塞いでいると聞いた事があります」
「そうか……」
苦々しく呟き、インディゴは眉間に手をやった。俯いて考え込む彼の顔をベロニカとマキナはじっと見つめる。階下から宴の喧騒が響いててくる。だが、床板を隔てて届くそれは小さくくぐもっていてはっきりとは聞こえなかった。
やがて、インディゴは顔を上げると真剣な顔でベロニカを見る。
「俺たちは海都につく」
「……元老院からのミッションを受けるって事?」
ベロニカが顔をしかめる。
フカビトと戦うため協力してほしい、と元老院の老婆に頼まれたのは、つい昨日の出来事だ。発令されたミッションの内容はこうだ。「第三層を踏破し、フカビトの巣窟である第四層への道を見つけ出せ」──しかし各所から話を聞く限り、どうやら深都はそれを望んではいないようだ。無理にミッションを遂行しようとすれば両都市の関係にどんな変化が起こるか……ある程度の予想はつく。
ベロニカの問いにインディゴは神妙な顔でひとつ頷き、懐から一枚の封筒を取り出した。見慣れた蝋印のあるそれを見てベロニカの顔がますます険しくなる。
「……返事、来てたの」
「この間アユタヤに行った時に受け取った」
二人のやり取りを見守っていたマキナが不思議そうに首を傾げる。彼女の様子を見て、ベロニカは肩を竦めて言った。
「あれはね、私たちの上司から来た手紙」
「上司、ですか」
「そうだ。その上司サマの言う事には、「できるだけ海都に恩を売っておけ」だとよ」
ベロニカがもうお手上げとでも言いたげに天を仰いだ。ひとつ呼吸を置いて、インディゴは告げる。
「明日の内に方針を固めて、元老院にミッションを受けに行く。……何にせよ来るとこまで来ちまったんだ。腹括って進むしかねえだろ」
◆
第三層・光輝ノ石窟には、天然の温泉がある。
ルル・ベルたちが生まれた国には熱い湯に浸かって身体を暖めるという文化は無い。故に温泉という概念もアーモロードに来て初めて知ったのだが、これはなかなか良いものだ。結い上げた髪が濡れないよう気を遣いながら、シナトベが肩に湯をかける。
「深都のスイッチひとつでお湯が沸くお風呂も良いけど、この温泉の方が何となく良い雰囲気ね」
「えー? 迷宮じゃない、ここ」
周囲を囲む岩に寄りかかったパーニャが落ち着かない様子で言う。温泉は魔物も滅多に来ないような奥まった場所に位置しているが、それでもここが迷宮の中である事には変わりない。
「魔物が襲ってきたら裸で戦わなきゃいけないじゃん」
「そんなに不都合があるかしら? たかが裸よ」
「たかがって何……」
「シナトベよ。そなたのその姿勢は頼もしくはあるが、その……逆にこちらが困ってしまうぞ……」
困惑と呆れがない交ぜになった顔で顔でルル・ベルが言う。本人は気にしていなくとも、彼女の鍛え上げられた豊満な肉体をあられもなく見せつけられてしまっては、周囲が目のやりどころに困るというものだ。
そんな女性陣のやりとりを、ライディーンとタマキは岩場で仕切られた向こう側の湯に浸かって聞いていた。ライディーンが疲れ切った表情で頭を抱える。
「ああいうところが心配なんだ……ああいうところが……」
「大変だな……」
「ただでさえ胸部の守りが手薄だっていうのに、余計に露出が増えてしまったらおれはどうすれば……」
さめざめと呟くライディーンの姿は勇猛果敢な騎士のそれではなく、奔放なパートナーに振り回されるひとりの男のそれである。タマキはその姿を微笑ましく見守った。仲良き事は美しきかな。いや、本人からすれば笑い事ではないのだろうが。
「お前とシナトベはどういう風に出会ったんだ?」
話題を変える目的で、タマキはライディーンに訊ねた。ライディーンは顔を上げて、微笑んでいるのか困っているのかよく分からない顔でああ……と呟く。
「あいつは軍の先輩で、たまたま同じ部隊に配属されて……いや! やっぱり恥ずかしいからやめる……」
「そこで切られると逆に気になるんだが……」
「代わりにおまえの恥ずかしい話をしてくれるなら話してもいいかな」
と、冗談めかして言ったところでライディーンは自分の失言に気付いた。恥ずかしい話……と言ったきり眉をひそめて黙り込んでしまうタマキに、彼もつられて顔をしかめる。岩場の向こうから女性三人の楽しげな笑い声が響いてくる。幸い、こちらの会話は向こうには聞かれていないようだ。
先日のアユタヤへの船旅以降、タマキは時折思い悩む様子を見せるようになった。原因は言うまでもなく『セレスト・ブルー』のシノビとの遭遇である。あの一件以降、彼の様子は少しおかしい。普段はこれまでと変わらない様子なのだが、過去の事を詮索されたり、先程のように彼の中の張り詰めた部分に触れるような事があったりするとすぐにこうして黙り込んでしまうのだ。警戒心の強いパーニャはその姿を見て怪しいと言うが、ライディーンからしてみるとむしろ疑いより心配の方が先に立つ。
数分か、それとももっと多くの時間か。とにかく重い沈黙に支配された時が刻々と過ぎていく。事故のような流れだったとはいえこのまま探索に戻るのはあまりに忍びない。さて、どうするべきか。下手に声をかけて余計にこじれる事は避けたいし……と思案するライディーンだったが、彼が何か言うより先にタマキが口を開いた。
「恥ずかしい話……してもいいか」
「え? あ、ああ……」
「昔の事だが、俺にも許嫁がいた」
それは初耳だ。黙って耳を傾けるライディーンに、タマキは続ける。
「俺もその頃は若かったから、彼女の前で格好つけたい気持ちがあって……教えてもらったばかりのシノビの技を、こう……見せようとしたんだ。それで失敗して木から落ちて、結局格好つけるどころか笑われてしまった。怪我で寝込んでいる間も看病されてしまったし、あれは恥ずかしかった……」
「……そ、そうか」
ぽつぽつと語るタマキはどこか遠い目をしていて、その頬は温泉で暖まっただけと言うには赤くなりすぎているように見える。よくよく見てみれば目つきも何だか虚ろだ。そこまでして自分とシナトベの話を聞き出したいのかと不思議に思ったが、まさかのぼせて朦朧としているのではないだろうな。訝しんだライディーンはそろそろ上がろうかと提案しようとした。しかし彼が口を開くのと同時に、タマキも呟く。
「あいつにも随分と叱られた」
ライディーンは思わずタマキの顔を見た。彼は相変わらずどこか遠くを見つめているばかりで何も反応を返さない。しばし考え込んだライディーンだったが、やがてひとつ息を吐いて立ち上がるとタマキを半ば抱きかかえるようにして湯から上がった。持ち上げた体が覚束なく揺れる。もはや疑うまでもない。一刻も早く彼の体を冷やして水と塩を舐めさせてやらなければならないだろう。恥ずかしい話の続きは、また今度だ。
結局、茹でダコのように真っ赤になったタマキが回復するまで、数十分の時間を要した。
体調が戻った途端に謝り倒し始めたタマキをどうにか落ち着かせ、温泉を後にして探索を再開した『カーテンコール』は、橙色に輝く迷宮の奥に見覚えのある人影を見つけて足を止めた。慌てて身を隠す一行の視線の先で、人影は──赤い羽織を着た海都の将軍は、迷いのない足取りで奥へ奥へと進んでいく。パーニャが遠ざかっていく後ろ姿を睨んで言う。
「オランピアが言ってた侵入者って、アイツの事?」
「そのようだな。深王は侵入者を退散させろと仰っていたが……クジュラ殿が相手ではそう上手くいくとは思えぬ」
「けど、どうしてクジュラ殿がいるのかしら。第三層以降の探索は禁止するよう元老院に通達したんじゃなかった?」
シナトベの疑問はもっともだ。深都側は海都の冒険者や衛兵が第三層に深く立ち入るのを快く思っていない。この炎の迷宮から先はフカビトたちの本拠地とも言える領域であり、無闇に近付けば彼らを刺激する事に繋がるためである。元老院側にもその意向は──当然、フカビトに関連する事情は伏せて、他の理由をでっち上げた上で──伝えてある筈、なのだが。
クジュラの去っていった方向を見つめていたルル・ベルが口を開く。
「……退いてくれるかは怪しいが、追いかけて話してみよう」
そもそも自分たちがこの迷宮を進んでいるのは、海都側の侵入者を迷宮から退去させよ、と深王に言われたためだ。パーニャが戸惑った表情を浮かべる。
「でも、危なくないですか?」
「あちらには我々を排除する必要性は無い……と、思う。彼らがどういう意図でここまで進んできたか分からぬゆえ、断言はできぬが……」
「いちおう頼まれている事だし、形だけでも説得しておくのが良いかもしれないな」
タマキが言う。シナトベとライディーンもそれに同意した。パーニャは依然として納得いかない顔をしていたが、それ以上の異論は挟まなかった。
クジュラを追い、灼熱の迷宮を進んでいく。光輝ノ石窟は溶岩の海に浮かぶ迷宮だ。ぐつぐつと煮えたぎる溶岩にうっかり触れてしまえば怪我をするだけでは済まないし、そうでなくてもただでさえ高温の中にいるのだから体力はいつも以上に早く奪われる。飛び出してきた魔物を倒し、汗を拭って先を急ぐ。
先を行く背中にようやく追いついたのは、そろそろ物資が尽きかけつつあった頃だった。岩に囲まれた通路を抜けた先、少し開けた空間に彼はひとり佇んでいた。こちらをゆっくりと振り向くと、彼は涼やかな水色の瞳を細めて言う。
「お前たちか。まさか俺を止めに来た訳ではないだろうな?」
からかうような口調ではあるが、その佇まいには隙が無い。ルル・ベルが一歩前に出て彼と真正面から向き合う。
「そのまさかだと言えば、貴殿はどうする」
「どうもしないさ。俺はただ、己の信じるもののため進むだけだ」
一度言葉を切り、クジュラは真剣な表情を浮かべて『カーテンコール』に告げる。
「お前たちには伝えていなかったが……実は俺も元老院もみな、深都の存在やフカビトのことは知っていた」
「それは……」
「知った上であえて、冒険者を使い深都を目指し迷宮を進んでいた。……それもこれもこの日の為だ」
懐かしい光景を思い出しているかのような遠い目で呟き、青年は冒険者たちから視線を外した。淡い高熱の光を放つ溶岩を見つめながら彼は続ける。
「訳は……、理由は全て姫様にある。俺も元老院も姫様の為にと信じ、今日に至るまで戦ってきた」
パーニャの肩が揺れた。明らかに動揺した彼女を、ライディーンが盾の陰に引き込む。クジュラはその様子を見て何を思ったのか僅かに唇を歪め、それから思い出したように告げた。
「お前たちは深王の命によって動いているようだが……海都に戻ってくるつもりがあるなら、今からでも遅くはないぞ。第二層を突破した冒険者が力を貸してくれるとなれば、俺たちとしても心強い」
「……!? 貴殿、知っていたのか!」
「さて、何の話だろうな」
小さく笑い、クジュラは羽織を翻して踵を返す。
「深王に伝えろ。元老院の目的はフカビトを討ち滅ぼす事……志を同じくする我々を、そちらが止める理由はあるまい。邪魔立てはしてくれるな……とな」
「待て! ひとつだけ……妾たちより先に深都を発見(・・)したのは、いったい誰なのだ?」
ルル・ベルの問いに、クジュラは首だけで振り返った。自身を睨むように見つめる少女に静かな視線を送り、彼は応える。
「いずれ分かる」
それだけ言い残して海都の将はその場を立ち去る。駆け出した彼の姿はあっという間に迷宮の奥へと消えていき、その場には『カーテンコール』だけが残された。
通路の先を覗き込んでみたがクジュラの足は予想以上に速く、あっという間に距離を取られてしまった。追いかけようにも物資の残量が心許ない。これ以上迷宮を進んでいくのは無理があるだろう。ライディーンがルル・ベルの顔を覗き込み、声をかける。
「深都へ報告に戻りましょう、ルル・ベル様」
「…………」
「深王の指示を仰ぐべきです」
「……そうだな。一度退く」
その言葉を聞き、シナトベが荷物からアリアドネの糸を取り出した。パーニャが姫様、と呟いてルル・ベルの近くへと駆けてくる。不安げな彼女の手を握りながら、ルル・ベルは目を伏せた。事態は想像の何倍も迅速に、悪い方向へと向かいつつある。
深王から下された命は簡潔なものだった。光輝ノ石窟の最奥部、第四層へ続く道を守る兵器・ゲートキーパーが破壊されないよう守る……それだけである。ゲートキーパーはそれそのものが高い戦闘能力を保有する機械兵であるらしく、深王によればいくら海都の将といえど簡単には突破できないだろうとの事だったが、海都側の戦力がクジュラひとりだけとも考えづらい。恐らく冒険者が動員されているだろう。元老院からの信頼の篤い、腕利きの冒険者が。
「場合によっては戦闘になるかもしれませんね……」
宿への道すがら、小さく呟いたライディーンにルル・ベルも頷き返す。
「それは、海都側の姿勢によるだろうな……。そうならない事を祈ってはいるが」
「どちらも同じ敵と戦おうとしている筈なのに、何故こうも食い違ってしまっているんだ……。どうにか仲を取り持てないものか」
苦々しげなタマキの言葉はもっともだ。だが既に事は動き出してしまっている。もし海都と深都の食い違いを止め、両者の友好関係を保つチャンスがあるとすれば、それは自分たちが海都からの刺客と対面したその時だ。
「そんな大役……アタシたち、冒険者なのに」
「冒険者だからこそ、じゃないかな。たとえばオランピアが出ていったところで、良い結果になるとは思えないし」
それはその通りである。
瞬く恒星亭はもう目前だ。重い足取りで歩いてきた一行だったが、この空気のまま宿屋の娘と顔を合わせるのは忍びない。深呼吸をして表情を繕う。モニモニと自らの頬を揉んでいたルル・ベルが、よし、と頷いて仲間たちを振り返った。
「ひとまず体を休めよう。そして……明日からの探索では第三層の最深部に向かう」
四人も頷き、一行は宿へと入っていく。行き来する冒険者の数が増えてきたとはいえ相変わらず深都に人は少ない。静寂に満ちた街で、『カーテンコール』は誰と顔を合わせる事も無かった。
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