【SQ3】12 炎門の番人
「さ、行くか」
固く閉ざされた扉を前に、海賊は小さく呟いた。
◇
声を上げて母竜を呼ぼうとしたドラゴンパピーの頭蓋を槌が砕く。沈黙した仔竜の死骸を持ち上げて手近な溶岩に投げ込み、シナトベは仲間を振り返った。戦闘はまだ続いている。素早く跳び上がって矢弾を装填中のパーニャに襲いかかろうとしていたひっかきモグラをルル・ベルが剣で叩き落とし、とどめにライディーンが槍を突き刺した。息も絶え絶えに床を這っていたもう一匹のモグラもアルフレッドが星術を放って仕留める。
油断なく辺りを見回し、魔物の姿がいなくなった事を確認してからようやく武器を構えていた手を下ろす。ひとまずこれで終わりのようだ。
「怪我をした者は?」
「いないようです」
「では先へ進もう。休んでいる間も惜しい」
剣に付着した血を払い、ルル・ベルが言う。
深王からの命に従い海都の手の者からゲートキーパーを護る……それが今の『カーテンコール』に課せられたミッションだ。しかしあちらの主戦力と思われるクジュラは先に進んでしまっているし、彼とは別に冒険者が侵入しているとの報告も受けている。いよいよ本当に急がなければまずい状況だ。
細かな探索も程々に、奥へ奥へと進んでいく。星体観測で周囲の様子を探っていたアルフレッドが空白の多い地図を見下ろしつつ口を開く。
「敵の気配はありません。ただ……途方もなく大きい反応が、ここからちょうど南にひとつありますね」
「それがゲートキーパーか」
「恐らくは」
「直通の道はなさそうね」
前方に広がるのは西へ続く通路一本のみだ。ひとまず道なりに行くしかないと判断し、一行はアルフレッドの言葉通り南側に注意しながら進んでいく。途中で野営に使えそうな小部屋を見つけたが、今は体を休めている時ではない。後から後から流れてくる汗を拭いながらただ足を進める。
「深都の方は大丈夫だろうか……」
ライディーンが呟く。深都……正確には深都から第三層へ下りる道は、深都の兵士によって封鎖されている。これ以上冒険者を侵入させないための措置だが、一行が深都を出ようとしていた時には既に何人かの冒険者が兵士と揉めている姿が見えた。あちらも事態がこじれている可能性は十分にある。
「タマキをあっちに参加させて良かったんですか?」
パーニャの問いかけにルル・ベルは渋い表情を浮かべた。現在、タマキは深都で兵士たちと共に冒険者たちを止める任務に就いている。オランピアから戦力を貸してほしいとの要請を受けたため、話し合って彼を派遣する事に決めたのだ。
「妾も迷いはしたのだが……アルフレッドよりは奴の方が適任かと思ってな」
「それ、どういう意味です?」
「ああいや、そなたを悪く言っている訳ではないぞ。ただ万が一暴力沙汰になった時、そなたはあまり役に立たぬというか……」
「……否定はできませんけど……」
がっくりと肩を落とすアルフレッドにルル・ベルは声をかけようとしたが、心底どうでもよさそうな顔をしたパーニャの放っておきましょう。という言葉に従って何も言わなかった。シナトベとライディーンが苦笑する。それで、会話は途切れた。
誰も口を開かない中、固い岩の床を叩く音だけが辺りに響いている。五つ分の靴音が奏でる無骨な行進曲が周囲の壁に跳ね返っては消えていく。炎の海を挟んだ向こう側に数十分前に通った通路がぼんやりと見えた。足下の溶岩や火花のような植物が放つ淡い光は、遠くの景色を見渡すにはあまりに弱すぎる。
通路の突き当たりから浮島を伝って南側の通路へ渡る。全員が無事に下り立ったところで先頭にいたパーニャが小さく声を上げ、固い声で言った。
「あれ、冒険者だよね」
彼女の視線の先へ目を凝らす。見通しが良くないためはっきりとは分からないが、確かにいくつかの人影が動いているように見える。もう少し近付いて確認したかったが、その前に冒険者と思わしき人影たちはどこかへ消えてしまった。
すぐに武器を構え直し、人影があった方向……東へ伸びる通路の先へと向かっていく。足早に進んだ先には開けた場所、そして対面には大きな扉が見える。アルフレッドがあそこですね、と呟いた。重々しく閉ざされたその扉の向こう側は、先程彼が言った「ちょうど南」だ。
すぐに先に進もうとした一行を、呼び止める声がある。
「……お前たちか。俺たちを手伝いにきた訳ではないようだな」
扉の脇に座り込んでいたクジュラが刀を杖にふらつきながら立ち上がる。傷んだ防具の隙間に血を滲ませた彼は、扉の前に立ち塞がると皮肉めいた笑みを浮かべた。先日と同じようにルル・ベルが前に出て声をかける。
「そこを退け、クジュラ殿。我々は貴殿と争いたい訳ではない」
「今更そんな事を言っているのか」
ふ、と鼻で笑ったクジュラは、『カーテンコール』をまっすぐに見て僅かに目を細めた。その瞳にはどこか惜しむような、それでいて何もかもを見通していたかのような複雑な色が浮かんでいる。彼はちらりと背後の扉に目をやり、続ける。
「お前たちがもう少し早く到着していれば、また状況は違っていただろうが……もう遅い。事が終わるまでそこで見ているがいい」
「そんなの、アンタを力ずくでどかせば良いだけの話じゃない」
弩を構えたパーニャが険しい表情で言う。既に矢弾が装填された弩の先端を向けられてもクジュラは動じなかった。唇の端に冷笑を浮かべながら余裕に満ちた様子で応える。
「そのつもりなら受けて立つ……と言いたいところだが、俺もこの状態では厳しいものがある。ここは大人しく──」
──そちらに任せる事にしよう。
咄嗟にシナトベがパーニャの首根っこを掴んで後ろへ下がらせる。瞬間、空気を裂いて飛んできた何かが、先程までパーニャがいた場所に突き刺さった。少女の足下を狙って投擲されたそれは、一本の暗器だ。手裏剣と呼ばれるそれの出所を探すまでもなく、『カーテンコール』とクジュラの間にひとつの影がどこからともなく下りてくる。
音もなく現れた影の正体は頭巾と口布で顔を隠したシノビの男だ。その佇まいには、覚えがある。
「……カゲチヨ!」
ルル・ベルが叫ぶ。男は応えず、静かに右手を振り抜く。放たれた針はライディーンの盾が防いだ。弾かれて床に転がった含針を気に留めた様子も無く、カゲチヨはその手を短刀の柄に添えた。追撃が飛んでくる気配は無いが、かといって彼がそこを退くような気配も無い。ルル・ベルが思わず呻く。
「何故……そなたが……」
突然現れた見知った顔に動揺する主を庇うように、シナトベがするりと前に出る。
「あなたたちだったのね、『セレスト・ブルー』。あなたたちとはつくづく縁があるわ……こんな形で会いたくはなかったけれど」
返答は無い。それを気にした様子もなく、女戦士は好戦的な笑みを浮かべて続ける。
「私たちより先に深都を発見したのが誰なのか……いずれ分かる(・・・・・・)。あなた、そう言ったわよね? クジュラ殿」
誰かが息を呑む音。クジュラは黙って肩を竦めた。カゲチヨは顔色ひとつ変えず、じっと目の前のやり取りを見ている。彼は至って自然体だ。その佇まいからは敵意も殺気も感じられない──それが却ってあまりにも不気味だった。
クジュラの背後、閉ざされた扉の向こうから大きな音が響いてくる。同時に足下の揺れ。戦闘が行われているのだ。それも、相当に激しい戦闘が。
シナトベが手の内の槌をくるりと回し、もう一歩前に出た。ルル・ベルが縋るように彼女を呼ぶ。
「シナトベ」
「もう良いでしょう、ルル・ベル様。殺しましょう。これ以上の対話は無意味です」
ルル・ベルは困惑したようにシナトベの後ろ姿を見て、それからじっと佇むカゲチヨに視線をやった。彼は何も言わない。ただ静かに腰の短刀を握って腰を低く落とした。やめろ、と言おうとしたが声が出ない。誰が口を開くより先にシナトベが動く。
彼女は瞬きひとつの間に地を蹴りシノビに肉薄する。振るわれた槌の一撃を、カゲチヨは一歩退いて避けた。そのまま流れるように抜刀し、体勢を立て直している最中のシナトベの首筋を狙って刃を翻す。が、狙いが逸れた。攻撃を中断して身を捩った彼の襟巻の端を拡散したファイアバラージの炎が焼く。パーニャは舌打ちをひとつこぼし、次弾の装填をしながら叫んだ。
「アルフレッド! 突っ立ってないで手伝いなさいよ!」
「! あ、ああ」
呆然と立ち尽くしていたアルフレッドが我に返って星術機を起動させる。パーニャはもう一発、今度はアイスバラージを放った。氷の術式弾は床の縁を伝って外側から回り込もうとしていたカゲチヨの進行方向に着弾し、その行く手を遮る。一瞬足が止まった隙にシナトベが飛びかかった。人間にとっては一撃必殺の一振りが続けざまに繰り出される。
威力は高いが大振りの乱打をすべて避けきったカゲチヨは、ぐっと身を低くしてシナトベの脇をすり抜けた。瞬間、シナトベの体から力が抜ける。崩れ落ちそうになるのを堪えて体勢を立て直す彼女の太腿には、細い針が一本突き刺さっていた。睡眠毒のせいで閉じそうになる瞼をぐい、と擦り、彼女は惚れ惚れしたように呟く。
「良いじゃない、そういうの」
「撃ちます!」
アルフレッドの声。次いで放たれた炎の術式が駆けるシノビを捉える……筈が、まっすぐに飛んでいくと思われた火球は途中であらぬ方向へ不自然に軌道を変えてしまった。はっとして見てみれば、術式が飛んでいった先にあるのは奇妙な形をした赤い色の機械だ。あれは何だ、と思うよりも先に、どこからか無機質な女性の声が聞こえてくる。
「リフレクター発動。レッドボット内部変換機構による対応属性術式の再エーテル化を確認。反撃準備完了──発射(ファイア)」
赤い機械から眩い光線が放たれる。アルフレッドは慌てて避けたが、床に当たって散った火花がブーツの先に着弾した。黒い煙を立てる爪先を床に擦りつけつつ、彼は周囲を見回す。先程の声の主の姿は見えない。更に注視して探そうとしたところでパーニャが急に彼を突き飛ばした。尻餅をついた彼の爪先すれすれに暗器が突き刺さる。
投擲した暗器の行方を確認しないまま、カゲチヨは身を低くして短刀を掲げる。追随してきたシナトベの槌を受け流し、彼女の足下を払おうと薙ぐような蹴りを繰り出した。しかしシナトベも後ろに跳んでそれを避ける。一瞬の隙。距離を取ろうとしたカゲチヨだったが、床を跳ね回る矢弾がその行く手を阻んだ。足を止めた彼にシナトベが槌を振り下ろす。攻撃は外れた。しかし軌道上から退けきれなかった襟巻が槌に絡んで引っ張られる。
カゲチヨの体勢が崩れた。狙いを定めたパーニャと起き上がったアルフレッドの術式が、彼に向かって放たれる──その時、轟音と共に今までになく大きな揺れが足下を襲った。
まともに立っているのも難しいほどの揺れにその場の全員が動きを止める。揺れは間もなく収まった。同時に、体勢を立て直したカゲチヨが攻撃の手を止めていたシナトベの腹に蹴りを食らわせる。彼女を吹き飛ばし、そのまま踵を返した彼が向かった先は背後の扉だ。戦いのどさくさに紛れて脱出したのだろうか、いつの間にかクジュラは姿を消している。シノビの後ろ姿が守る者のいなくなった扉の向こうへと消えていく──すぐさま起き上がって追おうとしたシナトベだったが、ふと足を止めて背後を振り返った。
流れ弾から主を守るためにライディーンが構えた盾の後ろで、ルル・ベルは呆然と立っていた。混乱している様子の彼女にシナトベは少しばかり語調を強めて言う。
「ルル・ベル様」
「……、あ、ああ……分かっている。分かっている……行こう」
我に返ったように顔を上げ、ルル・ベルはよろめきながら歩き出す。彼女を庇いつつ一行は扉を潜った。
扉の向こうには広間があった。溶岩の海と石壁に囲まれた広間に、巨大な何かが転がっている。鈍い光沢を持った、巨大な鋼鉄の塊……それはよく見れば、鎧兜のような形をした「頭部」だった。少し離れた場所には両碗が、その向こう側には胴と思わしき部位がある。白い煙を上げて沈黙するそれこそが、第三層の最奥を守る兵器・ゲートキーパーだった。
白煙と土埃が舞う中で、『カーテンコール』はゲートキーパーの残骸の奥を見る。そこにある人影に目を凝らす。
「……ああ! クソ! 二度とやらねえからな、こんな事!!」
やけくそ気味に叫び、ウィリーは担いでいた弩を床に置いた。ベロニカの怪我を手当てしてやっていたレイファがその様子を見て苦笑する。ゲートキーパーと戦うにあたってメンバーが足りなかったために急遽彼を連れてきたのだが、流石にいきなり迷宮の主と戦うのは無理をさせすぎたかもしれない。それでも勝ててしまったのだから、その狙撃の腕たるや、といったところだ。
懐から取り出した煙草に火をつけて咥え、ウィリーは煙と共に愚痴を吐き続ける。
「急に迷宮に潜れなんて言われたと思ったらあんなデカブツの相手させやがって、正気じゃねえ……どうしてくれんだ全身筋肉痛だぞ、ただでさえ港のジジイに無理言って抜けてきたってのに……」
「うるせえな終わった事をグダグダと」
うんざりしたように応え、インディゴは辺りに転がったゲートキーパーの残骸を見た。聞いていた通り強力な守護者ではあったが、所詮は作り物だ。人間様の敵ではないのである……と、作戦会議の時点でマキナにそう言ったらたいそう怒られたが。
ふと気配を感じて振り返る。残骸から立ち上る白煙の向こうから現れたのは、深都側の追手を足止めするため部屋の外に残していたカゲチヨだった。見るに、彼も滞りなく仕事を終えたらしい。
「お疲れさん。ボットとやらはちゃんと働いたか?」
「働いた」
「そりゃ良かった。……ああ、」
言葉の途中でふと背後を振り返ったカゲチヨに倣い、インディゴもそちらに視線を向ける。複数の足音。薄らいだ煙幕の先に現れたのは予想していた通りの姿だ。予想通り──そう、ここまではすべて予想通りだ。だが、これからどうなるかは分からない。想定し得る最悪の事態が、本当に最悪であるかどうかすら。
それでも彼は余裕たっぷりの笑みを浮かべて、彼女たちに相対する。
「よお──随分と遅いご到着だな、お姫サマ」
見据えた先、少女の顔が歪む。背後でウィリーが弩を構え直す気配がする。は、と笑い、インディゴは隣にいたカゲチヨの耳元に唇を寄せた。
「先に行って磁軸があるか確認してくれ。あっても無くても戻ってくるな。街で合流だ」
囁いて掌に予備のアリアドネの糸を握らせれば、カゲチヨはひとつ頷いて部屋の奥へ駆けていく。追おうとする者はいなかった。正確には、追おうとしたシナトベの視界を大きな獣が遮った。豊かなたてがみを揺らして低く喉を鳴らすそれは、獅子王と呼ばれる魔物の一種だ。その背後にティルが隠れる。彼の新たな「ともだち」は、合図ひとつで獲物の喉元に飛びかかっていくだろう。
広間に緊張が走る。腰に下げた突剣の柄に指を這わせながら、インディゴは『カーテンコール』に目を向ける。従者に守られながら、銀髪の少女はどこか青い顔でこちらを見ている。
彼女の代わりに口を開いたのはライディーンだ。油断なく主を守りながら、彼は固い声で問う。
「『セレスト・ブルー』。きみたちが我々を出し抜いて元老院に取り入ったのか」
「言い方が悪いな。だが、その通りだ」
「……こちらを騙していたと?」
「訊かれなかったから言わなかっただけさ!」
あっけらかんと──努めてそう聞こえるように振る舞いつつ──応えれば、周囲の視線がいっそう険しくなった。ぴりぴりとした緊張感が肌を這うのを感じながらインディゴは小さく笑う。
「それで、犯人が分かったところでどうするつもりだ? 謝れって言うんならそうするが……だからって何の解決にもならないと思うぜ。まあ水に流すって事でどうだ? もう終わった事なんだしよ」
「そなたは……!」
「……ああああ! もう! 我慢ならない!」
パーニャが叫んで弩を構える。装填された矢弾の切っ先がインディゴを捉えた。獅子王がぐっと身を低くするが、ティルがそれを留める。
目の前の男を激しく睨みつけながら、パーニャは声を上げる。
「ずっと気に食わなかったのよその態度! どれだけアタシたちをコケにすれば気が済むわけ!?」
「コケにしてる訳じゃない。ただ使えそうな道具(・・)がちょうど目の前に落っこちてたんだ、拾わない理由は無えだろ」
「こ、のっ……!!」
パーニャの指が引金に伸びる……が、それより早くウィリーが動いた。構えていた弩から発煙弾を撃ち出し、周囲の視界を遮る。彼はすぐに弩を下ろして目の前にあったインディゴの肩を乱暴に引いた。振り返った船長の青い瞳を睨みつけ、航海士は低い声で言う。
「調子に乗ってんじゃねえ。……退くぞ」
「…………」
静かにウィリーを睨み返すインディゴの元に、アリアドネの糸を持ったレイファが近付いてくる。寄ってきたベロニカが小さく船長、と呼ぶ声。インディゴはひとつ溜息を吐き、獅子王を連れて不安げに見上げてくるティルの髪を掻き混ぜると一歩下がった。
広げた糸の内側に入り転移術式を発動させるのと、飛んできた矢弾が煙幕を裂いて爆ぜるのとはほぼ同時だった。視界の端で炸裂したファイアバラージの残光に目を瞬かせながら辺りを見回す。地上は既に夜だった。見慣れた樹海入口の空気は冒険者たちが行き来しているせいで相変わらず忙しない。
さくさくと草を踏む軽い足音。見てみれば、カゲチヨがこちらへ近付いてくるところだった。どうやら先に戻ってきていたらしい。
「磁軸はあったか?」
「あった。起動させてきた」
「よくやった。……ああ、とりあえず元老院に報告か。戻るぞ」
「待てよ」
獅子王を撫で回して樹海に帰すティルを横目に歩き出そうとしたインディゴをウィリーが引き止める。鬱陶しげに振り向いたインディゴに向かって、彼は咥え煙草の端を噛み潰しながらドスの効いた口調で問う。
「お前いつもあんな事してんのか」
「あんな事?」
「不必要に相手を煽って余計な恨み買ってんじゃねえかって事だ」
インディゴは何も答えない。ウィリーは舌打ちをひとつこぼして、黙り込む彼の胸ぐらを掴んだ。
「海賊らしく好き勝手振る舞うってのは結構。お前の采配にもいちいち口挟むつもりは無えさ。だけどな、ここは海の上じゃねえ。お前の下手な振る舞いでガキどもにまで害が及ぶかもしれねえんだぞ。それを分かっててやってんのか」
言葉を紡ぐにしたがってウィリーの表情がだんだんと険しさを増していく。慌てて割り込もうとしたベロニカをレイファが止めた。彼女と抱きついてきたティルの肩を抱きつつ、レイファは諫めるような声でインディゴに語りかける。
「害があるとか無いとか、そういう話をしたい訳じゃないけどさ。あんた、やっぱりあの人たちが相手だとおかしいよ。いやにイライラして……どうしちゃったの。理由があるなら教えてくれないと」
「…………」
張り詰めた異様な空気が辺りに満ちる。幸い、周囲にはただの仲間内の揉め事だと思われているようだ。道行く冒険者たちが好奇と無関心の混ざった視線を寄越しては足早に立ち去っていく。
インディゴは自身を掴み上げるウィリーの顔を、その青い瞳で冷たく見下ろした。はああ、と息を吐き、シャツの胸元を握っていた拳を無理やり払いのける。
「私怨だよ、私怨。あいつら何かと絡んできて鬱陶しかったし……今日はいなかったが、控えの刀使いはチヨと訳アリらしかったし、いちいち目障りだったんだよ」
「カゲチヨを言い訳に使うんじゃねえ。……テメエ、何を隠してる?」
「何も隠しちゃいない。何もな。……悪いとは思ってる。これで十分だろ」
強く言い切り、もう行くぞ、と呟いてインディゴは歩き出す。その後ろ姿を見たウィリーはもう一度舌打ちをして、足下の草を思いきり蹴飛ばした。レイファが不安げなティルとベロニカを連れてインディゴに続く。少し離れた場所に立ってやりとりを静観していたカゲチヨは、しばし一行の様子を眺め、それから静かにその後を追った。
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